第2回ソーシャル・イノベーション研究会

情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会第2回が9月に開催されます。だいぶ先ですが、お知らせしておきます(私は物理的には出席できませんけど)。

ブロードバンドを使って何するのというのはよく言われることですが、地域医療は期待されている領域の一つであり、ソーシャル・イノベーションの実践例だと思います。

申し込みは学会のウェブページの載せられている電子メール・アドレスからどうぞ。軽食付きです。


日時:2008年9月18日(木)18時〜

場所:マルチメディア振興センター会議室

発表者:秋山美紀(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)

題目:地域医療におけるコミュニケーションとICT

発表要旨:地域医療連携のためにICTを用いる関する各地の取り組み事例の中から、組織を越えて他職種が日常的にITを用いて情報共有している成功事例について、密度の濃いフィールドワークを行い、定量的・定性的に分析を行った結果を報告する。非同期で蓄積型という特徴を持つメディアが、医師と共同で医療を行う職種に対して、効果をもたらしていることが明らかになっている。

参考資料:秋山美紀『地域医療におけるコミュニケーションと情報技術―医療現場エンパワーメントの視点から』慶應義塾大学出版会、2008年。

MIT図書館

遅ればせながらMITの図書館をよく使い始めた。学生がいなくなっているのでがら空きだ。国際関係研究所から一番近い経営学・社会科学系のDewey Libraryはあいにく工事中でうるさいが、チャールズ側をはさんだボストンの景色を見ることができる。ただし、工事が完成して新しいスローン・スクールの建物ができたら見られなくなるかもしれない。

20080725MIT1.JPG

ドームの近くにある人文系のHayden Libraryは静かだ。MITは基本的に理科系の大学ではあるが、人文・社会科学系もトップクラスである。フェルナン・ブローデルの『地中海』の英訳やアーノルド・J・トインビーの『歴史の研究』原書全12冊といった定番もちゃんとある。『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローの本はあるかと思って探してみたら、彼の本と関連本だけで5段もあった。ソローはそれなりの思想家なのだろう。誰かが寄付した福澤先生の『文明論の概略』の和装綴じ6巻セットもあった。

ハーバードには戦時中に集めた日本の貴重な文献もあるらしいし、ケンブリッジに来て、少し離れたところから日本研究というのも悪くないのだろう。Hayden Libraryのロビーの本棚を眺めていたら日本のマンガの英訳まで置いてあった。ドラゴン・ボールその他がずらりと並んでいる。さすがMITだ。

20080725MIT4.JPG

森の生活と市民的不服従

タングルウッドの夜の公演からそのまま帰宅すると夜の1時ぐらいになるので、今回は途中の安宿で一泊。翌日は独立戦争で知られるコンコードを散策。イギリス軍と民兵が最初に戦火を交えたノース・ブリッジを見る。復元された橋が架かっていて渡ることができる。橋の手前には戦死したイギリス兵の墓がある。

20080720concord01.JPG

20080720concord02.JPG

昼食を食べている間に大雨になって雷が鳴り始める。と思ったらすぐにやんだので、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが『森の生活』を送ったウォールデン湖を見に行く。駐車場の横に彼が暮らした小屋のレプリカがある。ワンルームで日本の学生の下宿みたいな感じだ。ベッドと机、それに暖房兼調理用のストーブがあるだけ。実際に小屋があったところは湖沿いに10分ほど歩くと見つかり、礎石が残っている。ソローの『森の生活』は最近は日本でも見直されてアウトドア系の雑誌などでも紹介されるようになっている。

20080720thoreau.JPG

現在のウォールデン湖はレクリエーション・スポットになっていて、家族連れが湖水浴にたくさん来ている。

20080720walden.JPG

数年前にカリフォルニアでネットの関係者にインタビューをしていたとき、「市民的不服従」という言葉が出てきた。これはソローの死後にまとめられた本のタイトルになっている。自分の信じるところに従って政府の政策には従わないといったような意味だと思うが、そのネット関係者は、政府が主導してネット・インフラを作ることに反対していて、その議論の中で出てきた言葉だ。とても印象に残っていて、ソローのことをもっと知りたいと思っていたので、彼の小屋を見るのは興味深かった。

2年あまりとはいえ、あんなところで一人で過ごすのは大変だろう。そうした反骨精神ともいえるような強い思いが当初のネットを作った人たちの中に息づいているとしたらおもしろい。市民的不服従はソローの後、ガンジーやアメリカの公民権運動にも受け継がれていく強い思想になっていく。

まだ若手……

20080720tanglewood.JPG

週末、また車に乗ってタングルウッドへ。前回は昼の公演で、Seiji Ozawa Hallだったが、今回はKoussevitzky Music Shedのほうで、夜の公演である。芝生席ではなく屋根のある席にした(写真は開演前に撮影)。ちょうどこの日は天気が悪く、開演前には雨と雷があったので芝生席はぬれて大変だったと思うが、前回と比べると格段に多くの人が来ていた。

3曲の演目のうち、2曲目にMIDORI(五嶋みどり)が出ることもあって、たくさん日本人が来ている。MIDORIを聴くのは初めてだが、なるほどすばらしい。どうやら演奏中に弓が二、三本切れたみたいだけど(バイオリンの弦ではない)、それもダイナミックな弾き方のせいだろう。

パンフレットに載っていた彼女の経歴を読むと、一年違いの同世代だと気づく。先日の野茂英雄の引退で、すごいおっさんだと思っていた彼が二つ上の同世代だということにも気づいた。MIDORIは11歳でデビューして四半世紀以上にわたってトップアーティストとして活躍している。野茂は一時代を築いて引退。それに引き替え、私は大学ではまだ「若手」と言われている……。帰国したら中堅と呼ばれる位にはなっているのだろうか。

都会離れ

いくつか用事があって一泊二日でニューヨークへ行く。朝7時15分にボストンのサウス・ステーションを出るアムトラックの特急アセラに乗り込む。アセラはファースト・クラスとビジネス・クラスしかないのだが、座席指定ができない。座席数以上の予約はとらないので全員座れるのだが、どの席に座るかは自由である。おまけにどのホームから発車するのか、発車10分前にならないと分からない。乗客は待合いホールでブラブラしていて、アナウンスがあると(電光掲示板でも表示される)発車ホームに殺到するというひどいシステムだ。

何とか座って3時間半の列車の旅である。アセラは電源がとれるのでパソコンが使えるのが良い。さすがに無線LANはない。昼前に到着し、連絡してあったJ先生とペン・ステーションで待ち合わせをする。

ニューヨークは暑い。地下鉄のホームがサウナのように暑くてしんどい(ボストンの地下鉄はなぜかそんなに暑くない)。地下鉄の車内は冷房がきいているが、電車が来るのを待っている間に汗が出てくる。おまけに路線が複雑で、ローカル電車に乗ったはずなのに駅をすっ飛ばすことがある。放送をしっかり聞いていないと変なところへ連れて行かれてしまう。J先生と電車で話しているうちに乗り過ごしてしまい、そのおかげで思いがけず世界貿易センターの跡地を見ることになった。

これまでテロのことについてそれなりに書いてきたし、テロ後も何度もニューヨークに来ているが、今まで一度も近づいたことがなかった。単なる見物で行くべきところではないような気がしていたし、当時の自宅近くにあったペンタゴンのすさまじい光景を見てからはますます行く気がなくなった。しかし、7年が経って、今回は時間があったら見に行こうと思っていた。

跡地は再開発工事の真っ最中だった。しかし、高いビルに囲まれてぽっかりと空いた空間は、いろいろなことを考えさせる。いまだに泣き崩れている人がいるのも悲しみの深さを感じさせる。あれからずっとアメリカは戦争をしている。戦争中であるという雰囲気はあまりないけれども、戦争がもうすぐ終わるという感じもない。ローマ帝国のヤヌスの神殿は戦争中は開けたままにしておいたそうだけど、アメリカにそんなものがあったとしたら7年間近く開きっぱなしだ。

20080718wtc.JPG

それにしても、ニューヨークは人が多い。車も多い。ボストンの調子で歩いていると轢かれそうになる。東京からニューヨークに来てもどうということは思わなかったのに、今回は人と車の動きと高層ビルにくらくらする。何度も見たはずのエンパイア・ステート・ビルに見とれてしまう。ふと自分が都会離れしてしまったのだと気がついた。ボストンにだって高層ビルはある。しかし、ケンブリッジ側に住んでいると、それは遠くから見るものになっていて、高層ビルの間に住んでいる感じがない。ボストンの運転の荒さは全米で最悪だと言われるが(すぐにクラクションを鳴らすのをやめて欲しい)、やはりニューヨークよりはのんびりしている気がする。ニューヨークのアパートの値段を聞いてびっくりしてしまうし、この街には住めないなと思う。きっと東京に帰ったらしばらくはくらくらするのだろう。

20080718empire.JPG

二日目、東京から来ているHさんとSさんと一緒にフリーダム・ハウスを訪問したり、研究者に会ったりする。フリーダム・ハウスは1941年にエレノア・ルーズベルトが作った非営利団体で、民主主義のための調査や支援活動を行っており、近年は報道の自由に関する指標を作っている。インターネット規制についても調査を行っているので、その辺を聞くことができて有益だった。実は面談相手は5月のニュー・ヘブンのカンファレンスで知り合った人なのだが、今回改めて話してみると、私がお世話になったY先生の娘さんとクラスメートだということが分かった! 世の中狭すぎる。たまたま知り合った人の交友関係を深く調べることができたら、こんな偶然はもっと見つかるのだろう(あまり他人のSNSの友人リストをのぞく気はしないけどね)。

全ての用事を終え、再び汗をかきながらペン・ステーションに戻る。夕方6時の電車を待つが、平日のラッシュ時に重なったこともあって駅は乗客でごった返している。予約した電車は30分遅れの表示が出ている。しかし、6時半が近づくとアナウンスを待つ人たちが電光掲示板の下に集まり、なんだか殺気立ってくる。そして、ワシントンDCから到着した乗客がエスカレーターを上がってくると、そこが発車ホームに違いないと人だかりができる。アナウンスされたときには列も何もなく人が殺到している。まるで発展途上国のようだ。アメリカは世界で最も豊かな国という割には、こういう原始的なところが残っている。絶えず移民が入ってくる国ではこうならざるを得ないのだろうか。

大西洋を見てくる

もうすぐ渡米4ヵ月になる。生活が軌道に乗ってしまうといろいろ忙しくなる。あっという間に一日が過ぎていく。夢中で時間が過ぎていくのは良いことなんだけど、もっとじっくり味わって時間を過ごしたい気もする。

先日、ふと丸一日空いている日があったので、車に乗ってポーツマスまで出かける。まずはポーツマスを少し通り過ぎて大西洋を見てくる。日差しは強いのに涼しい風が吹いていて心地よい。

20080715atlantic.JPG

ポーツマスは言わずとしれた日露戦争の講和条約が結ばれたところである。先日ポーツマスを訪れたSさんとOさんがとても良かったと言っていた展示を見に行く。確かにここの展示は良くできている。いわば、政策過程分析を詳細にやっているのだ。国際交流基金日米センターの支援があったそうだが、良い仕事を支援しているなと関心。講話成立は両国政府代表団の努力だけでなく、米国政府やポーツマス市、ポーツマス住民の支援があって初めて可能だったのだということが分かる。

出口のところで売っている資料を物色しているうちに私は出口をふさいでしまっていた。アメリカ人のおじさんがやってきて、「ちょっと失礼」と言う。それも日本語。おじさんはそのまま出て行ってしまった。買い物が終わって外に出てトイレに行こうとすると、さっきのおじさんが出てきて、「左です」とまた日本語。話をしてみると、早稲田に留学したり、同志社で先生をしたりしたこともあるアメリカの大学の先生だった。コロンビア大学で日本政治の博士号をとり、今はバージニア州の大学で先生をしていて、専門はなんと公明党の政治。いやはや恐れ入ります。

独立記念日

20080704independence01.JPG

20080704independence03.JPG

20080704independence02.JPG

7月4日はアメリカの独立記念日。ボストンは歴史ある街なのでここ一週間ぐらいはずっとイベントが続いている。3日と4日はチャールズ川沿いのエスプラネードで夜の無料コンサートがある。カントリー・ミュージックやボストン・ポップが聴ける。3日のほうが空いているので午後から席取りをしていたのに、開演直前に雷警報が出て近くのハイウェイのトンネルに避難するようにという指示が出てしまった。本降りになるとのことなので断念して帰宅。

4日も朝は雨だったので今日もダメかと思ったが、午後から晴れてくる。昼間は家でのんびり過ごす。夕食を食べてからテレビを見ると8時半からエスプラネードのコンサートが始まっている。独立記念日当日は朝から席取りをしないといけないというので行かなかった。しかし、コンサートの後にチャールズ川の上で花火がある。9時半に家を出て、MITのキャンパスへ。川沿いに出るとたくさんの人が集まっていて、日本の花火と同じくらいの人だかりだ。夜になると涼しいのが良い。

対岸のエスプラネードでコンサートが続いていて、スピーカーを通じて音が中継されている。しかし、テレビ中継のコマーシャルの時間になると演奏が止まってしまう。この辺がアメリカ資本主義だなあと感心してしまう。MIT側にいる人たちは勝手にわいわいやっている。でも野外でのアルコールは禁止なので酔っぱらいがいない。

10時半になると轟音とともに花火が上がる。音楽と合わせて上がる花火もなかなか良い。アメリカの花火もかなり進化して、一昔前のようにただ上に上がってど〜んだけではなくなっている。趣向を凝らした花火がどんどん上がってなかなかのハイレベルだ。日本の花火がなつかしい。

戦時中だというのに、そんな雰囲気は感じない賑やかな夜だった。

MITの先生たち

MITの先生二人と食事に行った。そのうちの一人が本を出したのでそのお祝いも兼ねている。こちらでは200ページの本は薄いと判断されて業績にならないのだそうだ。どうりで300ページとか400ページとかいう本が多いわけだ。

ひとしきり話をした後、あるテーマについて彼ら二人がすごい勢いで議論を始めてしまい、話についていけなくなる。同僚とでも激しく議論をするのだなあと感心。でももちろん人間関係が悪化するわけではなく、最後はハグをして分かれる。

二人のうち一人と私はジャズ・クラブへ。こちらでは夜遊びなんてしないのだが、良い機会なので連れて行ってもらう。ボストンには有名なバークリー音楽大学があり、その界隈にはジャズ・クラブがたくさんある。今回行ったところは、普通のジャズではなくて、ロックに近い激しいドラムとベースがおもしろかった。タングルウッドのクラシックも良いが、こういうのも楽しい。

音楽の合間に、ある有名な先生のうわさ話を聞く。その先生はライバル大学からかなり良い条件で引き抜きのオファーを受けた。ところが、そのオファーがあったことを人に話してしまうのだ。日本だと人事の話は極秘で進められることがほとんどで、途中で漏れると横やりが入ってダメになることが多い。しかし、こちらではわざと公にして、周囲の反応を見る。案の定、その有名な先生は現在の大学の学長から良い条件で慰留のオファーがあり、残ることになった。へええとこれにも感心してしまう。アメリカの大学の教員は給料で差を付けられるからこんなことも可能なのだろう。日本の大学は年齢給と勤続給で決まることが多いから、インセンティブを付けられない。

夜の12時を過ぎて帰宅することに。帰る途中、「明日は寝坊できるの?」と聞くと、「いや、9時から5時のペースで仕事することにしているんだ」とのこと。もうこちらの大学は夏休みに入っているから、ゆっくりできるはずなのに、3人の子供の面倒を見ながら自宅で毎日同じペースで仕事をしているそうだ。おまけに夜遊びも欠かさない。

せっかくの自由なのだからと最近の私は勝手気ままな生活をしている。好きな時間に研究し、眠くなったらひたすら眠る。何にもしない日もある。日本のある有名な先生に生活のリズムを聞いたとき、「リズムは一定してない。好きなときにやるだけだよ」と言っていた。その先生は自宅近くに仕事場を持っていて、そこにベッドもあるので、本当に好きなようにやっているようだった。高齢なのでそんなに睡眠時間が必要ではないらしいし、引退して授業も持っていないからそれで構わないらしい。

そのまねをすべく、好きなようにやっていたのだが、どうも私には合わない。不規則な生活をしていると集中力が持続しないような気がする。調子に乗って徹夜などすると、その後の二、三日は影響が出てしまう。結局のところ、集中できる時間を最大限確保するためには規則正しく、ルーティーンで研究をするほうが良いのかもしれない。ムラのある仕事をするよりも、たぶん毎日少しずつ積み重ねていく方が結果が出るのだろう。