外星人

今日、日中共同プロジェクトの最終報告会があった(残念ながらクローズド)。その打ち上げの席で中国の研究者に教えてもらったところによると、中国では宇宙人のことを外星人というそうだ。外国人と同じ発想である。分かりやすい。

外星人が北京にやって来ると、北京の人々は国家安全保障問題だから政府に通報しようと言うらしい。外星人が上海にやってくると、上海の人々はビジネスにしようと言うそうだ。外星人が河南省にやってくると、海賊版コピーを作ろうと相談するらしい。外星人が広東省にやってくると、スープにしてしまおうと言うそうだ。

利己的な遺伝子

リチャード・ドーキンス(日高敏隆、岸由二、羽田節子、垂水雄二訳)『利己的な遺伝子<増補新装版>』紀伊國屋書店、2006年。

30周年を迎えた遺伝子についての名著である。 その主張は、

われわれは生存機械――遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚きつづけている。(p.xxx)

私は、淘汰の、したがって自己利益の基本単位が、種でも、集団でも、厳密には個体でもないことを論じるつもりである。それは遺伝の単位、遺伝子である。(p.16)

などに表されている。そして、われわれ個体は、不死身といっていい遺伝子の乗り物(ヴィークル)に過ぎないという。

読み進めると、生きるとはいったいどういうことなのだろうと考えさせられる。

救いに感じられるのは遺伝子とのアナロジーで語られるミームである。

われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ。われわれは、遺伝子を伝えるためにつくられた遺伝子機械である。しかし、遺伝子機械としてのわれわれは、三世代もたてば忘れられてしまうだろう。子どもや、あるいは孫も、われわれとどこか似た点をもってはいよう。たとえば顔の造作が似ているかもしれない、音楽の才能が似ているかもしれない、あるいは髪の毛の色が似ているかもしれない。しかし、世代が一つ進むごとに、われわれの遺伝子の寄与は半減してゆくのだ。その寄与率は遠からず無視しうる値になってしまう。われわれの遺伝子自体は不死身かもしれないが、特定の個人を形成する遺伝子の集まりは崩れ去る運命にあるのだ。エリザベス二世は、ウィリアム一世の直径の子孫である。しかし彼女がいにしえの大王の遺伝子を一つももち合わせていない可能性は大いにあるのである。繁殖という過程の中に不死を求めるべきではないのである。

しかし、もしわれわれが世界の文化になにか寄与することができれば、たとえば立派な意見を作り出したり、音楽を作曲したり、発火式プラグを発明したり、詩を書いたりすれば、それらは、われわれの遺伝子が共通の遺伝子プールの中に解消し去ったのちも、長く、変わらずに生き続けるかもしれない。(p.308)

いずれにせよ、人生あくせく生きてもそれほど意味はないのかもしれない。何せ「獲得形質は遺伝しない」のだから、われわれがいくら意識的に頑張ってみても、子供に伝えられるものは遺伝子レベルで決まっている。無論、子供は環境にも影響を受けて育っていくから、遺伝子で人生すべてが決まるわけではない。しかし、われわれは単に遺伝子の乗り物に過ぎないのだ。そんな人生にどんな意味があるというのだろう。

新年の抱負

今年は変化と移動の多い年になりそうな気がする。だからこそ、目標は「没頭」である。我を忘れて夢中でいろいろなことをしてみたい。レーガン図書館での5時間は久しぶりに誰にも邪魔されない没頭した時間だった。ネットも通じないし携帯電話もかかってこない。目の前にある資料との格闘だけだった。こんな贅沢な時間はない。

おまけに新年早々良いことがあった。母校の三鷹高校が全国サッカーで都立高校として初の2勝目をあげたのだ。

三鷹が都立勢初の2勝目 全国高校サッカー

確かに私がいた当時からサッカー部は元気が良かったが、全国レベルにはなっていなかったはずだ。どちらかというとのんびりした高校で、そこが良さでもあったのだが、スポーツでも勉強でもガツガツした人は少なかった。しかし、いざテレビで見てしまうと大声で応援してしまう。これも夢中になれるすばらしい時間だった(録画で短縮されていたというのもあるけどね)。

LAからコミケへ

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所用があってロサンゼルスに行ったついでに、大阪大学のロバート・エルドリッヂ先生に刺激され、郊外のレーガン図書館に寄ってきた。エルドリッヂ先生によれば歴代大統領は任期終了後に地元に図書館とミュージアムを建てる。そこに政権時代のあらゆる資料が集められる。今回、レーガン図書館の展示では、ナンシー夫人の服が特別展示されていた。しかし、展示の目玉はやはりエア・フォース・ワンとマリーン・ワン(ヘリコプター)の実物であろう。エア・フォース・ワンの内部も見ることができるが、写真は禁止。

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ホワイトハウスのオーバル・オフィスのレプリカもある。レーガン大統領はジェリー・ビーンズが好きだったらしく、エア・フォース・ワンの中にもオーバル・オフィスの中にも瓶に入ったジェリー・ビーンズが置かれていた。これはメーカーが特別に作ってくれた展示用とのこと。

図書館の外にはベルリンの壁の実物が展示され、大統領のお墓もある(でも実にからっとしたものだ)。図書館は丘の上にあるが、木も生えていない岩山で、荒涼とした風景が周りには広がっている。陽気な大統領とは少し似つかわしくない感じがしたが、本当はこういう荒れ地が好きなカウボーイだったのかもしれない。

リサーチ・ルームにも入れてもらう。ここは前もって連絡をしてから行った方が良いそうだが、私は何とか入れてもらった。予約が必要なのは、資料が情報自由法(情報公開法)で公開が認められたものに限られるからだ。もし自分が欲しい情報がまだ公開されていない場合には、事前に公開請求をかけてから行った方がいい。

欲しい資料そのものではなかったが、関連するお宝資料にたまたまめぐり会えた。昼飯を食べる間も惜しんで389枚のコピーをとる。原資料は丁寧に扱わなくてはならず、ホチキスで止まっている場合にはいちいちアーキビストのところに持っていってとってもらわないといけない。一枚一枚丁寧にコピーをとっていると、5時間で389枚が限界だった。年末だったせいか、私の他には一人しかいなかったので、コピー機を独占できて幸運だった。

短い滞在から戻って、大晦日にコミケに学生と出かけた。話には聞いていたが、実際に行くのは初めてである。わざわざカタログを取り寄せてくれたS君に案内してもらった。東ホールと西ホールがあり、東ホールは山手線の満員電車並みの混雑だった。

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西ホールでは卒業生のyokk がライトノベル(ラノベというらしい)の評論集を売っていた。きれいに製本してあり、完売したそうだ。お見事。近くで出店していた旧知のAさんとも久しぶりにお話しできた。ミリオタや政治評論のパンフレットも売っていて、こちらは何となく親近感を持つことができた。

LA郊外の岩山の上にあってほとんど人のいない図書館から18万人も押しかける東京のコミケへの移動は恐いぐらいだ。あれだけたくさんの人たちを引きつける力は何なのだろう。祭りとはああいうものなんだろうか。「まだ4万円も余っているよ」という声が聞こえてきたり、銀行のATMに長い行列ができていたりするのを見ると、確かに大きな「マーケット」になっているということはいえるだろう。

しかし、普通の市場経済とは何かが違う。例えば、それぞれの売り物の値段が100円や500円というスタンダード価格が付いている。ということは、中身を吟味した上で、それに見合う値段を付けているわけではないらしい。値段はあくまでコストを回収することができれば良い程度の意味しかないような気がする。手に入れられるか入れられないか、読んで、見て、おもしろいかどうか、それが重要なんだろうか。公文俊平流に言えば「智場」なんだろう。しかし、あそこまで大きくなるものか。

養老孟司『死の壁』によれば、戦争で発散できなくなった若い力が60年安保、70年安保に代表される学生運動につながったという。しかし、その学生運動ももはやない。若い力を発散する必要すらなくなっているのか、それともコミケは新しい力の使いどころなのか。興味深いが、なかなか腑に落ちない。

ところで、MovableTypeをアップデートしてみたらかなり改善されているようなので、またココログから移動してみようと思う。