帝国の驕り

Anonymous, Imperial Hubris: Why the West is Losing the War on Terror, Washington, DC: Brassey’s, 2004.

残念なことに神がわれわれの目から驕りを取り除かねば、われわれは負ける。われわれがそれを取り除くことができる兆候は無く、アル・カイダがわれわれよりも世界を明確に見ていることを私は心配している(Sadly, unless the Divinity rids our eyes of hubris, we are lost. There is no sign we can remove it, and, I fear, al Qaeda sees the world clearer then we. )

米国のインテリジェンス・コミュニティで20年以上分析に従事してきた人物が匿名で書いた本。米国の政策がいかにまちがっているか、アル・カイダを理解していないかを告発している。

『9.11委員会報告書』

Joanna Glasner「ネットで無料公開の『9.11委員会報告書』、書籍版もベストセラー」(wired news)

この本は、米国の同時多発テロに関する国家調査委員会(通称:9.11委員会)の報告書を一字一句そのままで印刷し直した、516ページにもおよぶペーパーバックだ。通常この種の本が米国民の読書リストのトップを維持することはない。しかも、この報告書は他のたいていの政府発表文書と同様に、オンラインで無料で入手可能なのだ。

私も買った一人だ。この報告書の「人気」は、インテリジェンスに関する米国民の関心の高さを示している気がする。

それにしても、入国に際して指紋と写真をとるのはなんとかならないのだろうか。

CIAの内幕

スタン・ターナー(佐藤紀久夫訳)『CIAの内幕—ターナー元長官の告発—』時事通信社、1986年。

カーター政権でCIAの改革に腐心したターナー長官の回顧録。よくある暴露本かと思ったが、いろいろと勉強になった。

一九四七年の国家安全保障法の起案者たちはDCI長官に、全情報機関が収集した情報の拡知に関する管理権を与えた。起案者たちは、日本の作戦計画に関する情報を狭く押し込めた結果、パールハーバーを招いたような事態の再現を望まなかった。(p. 239)

今とまったく同じではないかと思ってしまう。9.11を防げなかったことから、ブッシュ政権はインテリジェンス・コミュニティを総括するポストの新設を迫られている。しかし、すでにCIA長官=DIAであり、インテリジェンス・コミュニティを総括する役割を担っていたはずだ。

訳書では、ターナーの肩書をCIA長官ではなくDCI長官としたが、原書に従ってそうするのが適当だと思ったからである。もちろんCIA長官のことである。アメリカ政府の法制では、この地位はディレクター・オブ・セントラル・インテリジェンス(DCI)であって、CIAを含む全情報機関を統轄する。原書はすべて、この肩書で記述している。同長官はCIAの長でもあるが、それは権限の一部である。つまりDCI長官は全情報部門とCIAの双方の責任者であるわけで、単なるCIA長官ではない。(p. 262:訳者あとがき)

現在ブッシュ政権が求められているのは、CIAからも独立した総括ポストということになる。しかし、そうするとよほどうまくやらないとどこからも情報が上がって来なくなるという危険がある。それに、9.11後に国土安全保障省を新設し、その時にCIAやFBI、NSAなどは入れないということになったはずだ。コミュニティ全体の秩序が混乱するだけのような気がする。

リーズバーク・パイク通り5913番地

田中 宇「テロをわざと防がなかった大統領」(2002年1月24日)

そんな愛国的な雰囲気のフォールズチャーチには、アメリカを愛していないと思われる人々も住んでいた。この町には、911のテロ事件の容疑者のうち4人が以前に住んでいたと思われるアパートがある。リーズバーク・パイク通り5913番地(5913 Leesburg Pike)という住所である。

これもたまたま見つけた田中ニュースの記事。ここに出てくる番地は、私が住んでいたところに結構近い。Yahoo!のドライビング・マップでは車で12分の距離だ。先に知っていれば見に行ってきたのになあ。しかし、このアパートは本当に使われていたのだろうか。この辺は確かに住宅街で、ところどころ大きなアパート(日本のマンション)が立ち並んでいる。巨大アパートになると、隣がどんな人かはあまり気にしないのは日本と同じ。ワシントン近郊なら外国人が住んでいても特に目立つことはない。

情報デモクラシー

毎日新聞社会部『情報デモクラシー』毎日新聞社、1992年。

一昔前の本だが、「一見、便利で快適な「情報化社会」でありながら、重要な情報はテクノクラートに操られ、情報公開は遅々として進まない『日本的情報世界』」というのがテーマ。新聞社の取材本だけあっていろいろなエピソードが入っていておもしろい。

警視庁では「データを持ち出した、あるいは持ち込んだ行為に対して規制する法律はない。背任や横領など背景に明確な動機があれば別だが、これも認定がかなり難しい」(広報課)としている。(75〜76ページ)

という現状は今も変わらない。情報を盗む行為そのものを罰する規定がない。個人情報保護法は、情報管理を怠った者は罰することができるが、情報を盗んだ者はコピー用紙の窃盗罪として裁かれるだけだという。情報の価値を定義づけるのが困難だかららしい。プライバシーに関する情報は、当事者にとってはすごく高価だが、関係ない人にとってはゼロに等しい。商業的価値に換算するのは難しい。住居侵入や不正アクセスで捕まえることになるが、電子データをコピーしてその痕跡を残さなかったとすると、裁くのはますます難しくなる。外国では、スパイ防止法や産業スパイ防止法のようなものがあるが、日本ではトレード・シークレットとして守るのがせいぜいで、個人のプライバシーは裁判でいちいち争わないといけないようだ。

蛇足ながら、

私たちの身の回りを眺めると、一口に「情報」といっても、一次情報としてのinformationと、二次情報としてのintelligenceを混同していることが多いのではないか。(254ページ)

という記述はいただけない。形式的には二次情報ともいえなくはないが、これでは単なる伝聞もインテリジェンスになってしまわないか。インテリジェンスそのものの理解ができてないのではないかと思う。

「情報は要らない」

岩島久夫「『情報無視・思惑先行』型日本政治-昔を思い今を憂う

当時外交当局を牛耳っていた最高幹部(今は退職)が冗談ともつかず言った。「日本が独自に撮影した写真に基づく自前情報が入ってくるようになると、国際政治上の日本の責任が増え、大きくなるので困るよ・・・」

ウェブを検索中にたまたま見つけた。この最高幹部はひょっとするとあの人かなあ。

さすがに今はそんなことはないと思いたい。

すべての敵に向かって

リチャード・クラーク(楡井浩一訳)『爆弾証言―すべての敵に向かって―』徳間書店、2004年。

遅ればせながらようやく読んだ。原書が出たときに大変な話題となり、クリントン政権と現ブッシュ政権の閣僚が議会の公聴会に呼ばれて内容を問いただされたという曰く付きの書だ。クラークはレーガン政権から現在のブッシュ政権まで四人の大統領の下で官僚をずっと務め続けた異例の人だ。クリントン政権以降はホワイトハウスで対テロ対策にあたってきて、ブッシュ政権のやる気のなさといい加減さに怒って辞職した。

この本は米国のインテリジェンス・コミュニティの現実を学ぶのに格好の教科書だと思う。クラークやFBIのジョン・オニール(あるいはCIAのジョージ・テネットを含めて)が9.11の前からアルカイダをどれだけ追いつめようと努力してきたかが分かる。クリントン政権はうまく対処しようとしてきたが、クリントンのスキャンダルで政治力を失ってしまい、ブッシュ政権は最初からアルカイダを無視してイラクを叩こうとしていた。9.11を利用してイラクを叩いたと言っても過言ではないだろう。

また、ホワイトハウスはインテリジェンス・コミュニティの陰の部分である工作活動(covert action)の発動にためらいを見せていないのに対し、逆にCIAと国防総省が極度にそれを嫌っている姿は面白い。いったん事が露見するとホワイトハウスはCIAや国防総省に責任を押しつけて知らんぷりするのがこれまでのパターンだったからのようだ。

いずれにせよ、現場の様子がよく分かって面白い本だった。インテリジェンスの訳語が相変わらず諜報とか情報になっているので、インテリジェンスの重要性が埋もれてしまっているのが残念。

「すべての敵に向かって(Against All Enemies)」という原書のタイトルは、米国の公務員が就任する時に行う宣誓に入っている言葉だそうだ。

CIAもFBIも監督するポスト

CIAもFBIも監督、ポスト新設勧告へ 米議会調査委

01年9月11日の米同時多発テロをめぐる米議会超党派の独立調査委員会が、近く発表する最終報告書の中で、米中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)などの情報機関を監督する閣僚級ポストの新設を勧告する。報告書を見た複数の政府当局者が語った。

すでにCIA長官がインテリジェンス・コミュニティ(ここでいう情報機関)全体を総括する中央情報長官(DCI: Director of Central Intelligence)を兼任している。ここではこの兼任を解いて、別のポストを作るということだろうか。しかし、それを国土安全保障省(Department of Homeland Security)がやろうとして失敗しているはずなのに。

私は失望し、悔やんでいる

情報源は亡命者「カーブボール」 「戦争の大義」に影響」(asahi.com)

やはり偽情報だった。パウエル国務長官は「情報源は不正確で間違っていた。私は失望し、悔やんでいる」と言っているという。

下からあがってくるインテリジェンス情報をどう評価するのかはやはり難しい。それを間違えると国策を間違えることになる。

「インテリジェンス」を一匙

雑誌『選択』に連載されていたインテリジェンス・コミュニティ論が単行本にまとまった。体系的に書かれているわけではないが、全体像を知るいい教科書だと思う。大森さんは元内閣情報調査室長。

大森義夫『「インテリジェンス」を一匙』選択エージェンシー、2004年。

今回内舘さんのアイデアを借りて『「インテリジェンス」を一匙』、とタイトルを決めたのはインテリジェンスは毒だからである。毒があるから解毒作用が起きる。両作用の拮抗で生命体は活力を持つ。医療関係者に限らず企業エクゼクティブも教育関係者も同意いただけると思う、戦後の我が国は子供の世界からも大人の世界からも「毒」を除き過ぎたために、のっぺらとした虚弱な体質になってしまったのではないか。(15ページ)

日本の危機管理論の一番の問題は過去の手痛い教訓がいっこうに積み上げられない点にある。(17ページ)

本稿の最終回(本年十二月号)に到達するであろう結論を予め記しておこう。

 それは、

(1)政府の「情報コミュニティー」を整備して、中核となるインテリジェンス組織を再編する。

(2)世界各地に関する地域研究を強化することからスタートする。いきなり外国で情報員を運用したり、教科書か小説に出てくる手法をトライする力量はない。現地情報に重点をおいて時間をかけつつ中央アジアにせよ中南米にせよ基礎研究を深め、人的パイプを開拓して行く。任務にたえられる人材も養成されてくるだろう。

(3)新しいインテリジェンスは国内イシューをカバーしないこととする(これには例外がある。後述する)。

 以上の結論を基調として現状の問題点を逐次検討してみたい。(20〜21ページ)

インフォメーションでは物足りない、インテリジェンスには力不足、それだったら先ず「クラシファイド・インフォメーション」(機密性の高いインフォメーション)を丹念に集めることから我々は始めよう。仮免許からスタートしなくてはならない。(24ページ)

国際インテリジェンスとは砲弾の飛び交わない陰の戦争であって、攻防(インテリジェンスVSカウンターインテリジェンス)とはともに愛国者のゲームだからである。インテリジェンスの任務につく者は勲章や栄達で報われようとは願わない。(26ページ)

日本でも海外で働く日本人を守るため、国益を守るために国際情報は必要である。(27ページ)

日本に新しいインテリジェンスが出来たらオペレーション部門は別として、分析部門のスタッフには守秘と論文作成の二つの義務を課したい。そして個人能力の評価による一年ごとの契約で精鋭だけを選抜する。最高の能力の持ち主に対してはエズラ・ヴォーゲル博士がCIAのナショナル・インテリジェンス・オフィサーを務めていたようにナショナルな(国家の)称号をもって遇すべきである。現行の公務員制度で収まることではないが制度の根底から変えねば国家の情報能力は向上しない。現状は情報に与えるステイタスが低いから組織がモラールの面で低きに流れるきらいなしとしない。(28ページ)

大切なのは危機に素早く対応することである。危機を乗り越えるために必要な、役に立つ武器を当局に与える、その濫用に対しては厳しくチェックする、最終的には国民の代表が総括する、というのが闘う国家の姿だと思う。日本の現状は、(1)命題の捉え方が後追いになっている、(2)観念論議が多すぎる、(3)そのくせ既成事実になってしまうと抜け出せない。(33ページ)

当局の行う通信傍受などのインテリジェンス活動はプライバシー侵害の恐れのある「毒」である。ただし必要な毒だから国民はこれを直視して、解毒の社会装置を構築しておくべきなのである。(34ページ)

戦後の日本が今日に至るまで半世紀以上にわたってインテリジェンスの機能を欠いたままで来たのには理由がある。他人の秘密を覗くのは下品な業だとする感情は別として、一つは戦前・戦中の暗い思い出である。「間諜」とか「諜報」といった言葉自体、謀略や人権抑圧、非条理な多国への侵略を連想させる。強圧的な特高警察、憲兵の亡霊を見るひともいるだろう。政府(大本営)のウソ発表を忘れないひともいる。結果として、インテリジェンスは敬遠され今なお諜報に代わる訳語すらない。二つには戦後日本が自国の存在と安全を米国に委ねてきたからである。(38ページ)

日本のインテリジェンスにとって現状のままでも、すぐ出来る改善を二点提言したい。一点は外国との情報接受の窓口を一本化すること、もう一点は情報管理である。(41ページ)

結果は明白である。十万人の人員と年間三兆円の予算を使いながら世界最大の米国インテリジェンス機構は九・一一テロを予測できなかった。(44ページ)

情報も一つの商品である。商品である以上、第一に客=ユーザーがあり、第二に商品の生産システムがあり、第三に商品の質がある。(45ページ)

日本のインテリジェンス再建は一〇〇%防衛的なカウンター・インテリジェンス組織の構築から始めよう。防衛戦を重ねているうちに米国はじめ攻撃的インテリジェンスにたけた国々が世界レベルとはどんなものか教えてくれるに違いない。(57ページ)

ワシントンポスト紙はデビッッド・イクナティウス記者署名の論説を掲載した。タイトルは「スパイ活動のためにブッシュは友人を獲得せよ」。その内容は、(1)テロリズムに対する戦争は軍事力だけでは勝利できない。的確なインテリジェンスが必要である、(2)米国は歴代、スパイゲームにおいて成果を収めていない。国民性に合わないのだ、(3)過去、米国が貴重な情報を入手できたのはウォーク・イン(内部情報をもたらす亡命者)を得たからである。自力で敵対組織に浸透できた事例はまずない、(4)インテリジェンス分野における米国の強みはテクノロジー、資金(マネー)そして世界の同盟国ではないか、(5)経験豊かなイギリス、フランス、イタリアに学べ。幸いロシア(プーチン大統領)という友人を得たのだから……。(59ページ)

そこはかとなく「伝えたいこと」を伝えあうのが外交であるとすれば、伝えたくない内面を探るのがインテリジェンスである。外務省は外交の範囲で情報活動を行い、リスキーな部分はインテリジェンスにアウトソースすればよい。これが世界の常識の筈だが、本格的なインテリジェンスを作ろうと言えば猛反対するのは左翼勢力と外務省である。(70ページ)

国家の情報機能は外交、インテリジェンス、軍事の三つのチャネルで成り立っている。(75ページ)

情報は受ける側にも器量と水準が要求される。(82ページ)

私は提唱する。日本にもインテリジェンス機関をつくろう。それは警察からも外務省からも独立していなくてはいけない。それは政局とか選挙とか国内問題は一切カバーしない。インテリジェンス要員に必要なのは警察官に負けない使命感と根性であり、国際経験である。(89ページ)

警察は法の執行機関だから活動は厳格に法の枠に限定される。他方インテリジェンスのとる手段は「合法と明確な違法の間のグレーな空間」を広く用いる。その手段と範囲は国際的な水準に拠って自ずから合理的な枠組みが設定される。といってインテリジェンスが野放図な行動を許されるのではない。国会の厳格な監督に服するし、法の逸脱には裁判所が刑事罰をもって規制する。しかし第一自適にはインテリジェンスのトップがインテリジェンスの行動を管理するのである。(94ページ)

情報を読む決め手は経験と執念である。(99ページ)

米国の商業衛星は米国政府との契約によって「シャッター・コントロール」条項をもつ。つまり米軍の軍事行動は撮影しない。米国の担当者は「米本土とイスラエルの上空写真は撮らせない」と言う。米国の支援を受けつつも我が国が独自の衛星を運用したい所以である。(118ページ)

やってはあならない戒めとしての「朝寝、昼酒、幼稚な会話、愚か者の集いに連なること」は我々むしろ老年になって守るべき教えのように思われる。(126ページ)

「人脈のつくり方」指南の本があるが、基本的なポジション(立場)とケミストリー(体質)が合致すれば「お友達」になるのは簡単だ。(128ページ)

情報は与える側の意図的操作であることが間々ある。調理(cook)された、あるいは味付け(season)された情報の危うさである。(130ページ)

軍事的に中級の国家がインテリジェンスで国を守っている、その仕組みこそ学ぶべきだ。しかし抹殺部隊(キドン)をふくむ実働部門は日本には要らない。(中略)我が国が手本とすべきはMI6とも呼ばれる英国のSIS(シークレット・インテリジェンス・サービス)であろう。政策と分離して純粋に情報だけを扱う。事件になれば警察に、外交処理は外務省に実務を委ね黒子に徹する。抑制的な英国型情報活動に学んでJ-SISの情報組織論を模索したい。必要なのは腕力ではない。観察力と知恵である。(132ページ)

日本のインテリジェンス組織は百人でスタートすればよい、と私は思う。一桁か二桁少ないのではないか、との嘲笑が降ってきそうだが構わない。だいたい適格者がいない。適正のないエージェントを抱えた情報組織ほど始末のわるい代物はない。三十年後に五千人規模を目指すことにして、身の丈相応で営業開始しよう。(165ページ)

[英漢辞典で]Intelligenceを引くと日本語に似ていて、智力、情報、諜報、情報機関といった中国語訳が出てくる。一方のInformationを引くと、情報、通知などとならんで信息という訳もある。信は中国語で手紙の意味であり、返信などと日本語でも使う。息は消息の息である。(189ページ)

私は近い将来日本でも一般のInformationは「信息」に統一され、Intelligenceを諜報ではなく、情報と使うようになるのではないかと予測する。「情報」は文字通り、情に報いるものだからIntelligenceの訳語にふさわしいと思う。(190ページ)

泥棒を捕まえに泥棒を送り込む

Ex-C.I.A. Aides Say Iraq Leader Helped Agency in 90’s Attacks” (New York Times)

イラクの暫定首相になるIyad Allawiは、かつてCIAと協力してサダム・フセイン政権に対抗するために爆弾テロをしていたと元CIAのオフィサー複数が認めたという。Allawiの第一優先事項は爆弾を止めさせて治安を回復することだというから、「Send a thief to catch a thief」というわけだ。彼の反体制グループの爆弾テロはフセイン政権には何の影響も及ぼさなかったようだが、よりによってそんな人を引っ張り出すとは人材難もはなはだしい。あるいは、アメリカの傀儡政権を作るという冷戦時代の発想からアメリカは抜け出ていないのか。そこまでひどくないと信じたいが。