ウェリントン

ニュージーランドの首都ウェリントンに来た。夕方6時半に成田を発ち、機内では調子に乗って本を読んでいたのだが、乗り換えのオークランドに着いたのは日本時間で朝5時。11時半(日本時間8時半)にウェリントンに着き、寝不足と昼食抜きのまま午後のアポをこなす。気温は16度で東京の半分だ(南半球は冬だから暖かいともいえる)。

辺境の国といっては失礼だが実におもしろい。ウェリントンは市街地の端から端まで30分で歩けるといわれていて、小さな港町だ。取り囲む山に住宅地が広がりつつある。オーストラリア以外の世界のどの地域からも遠いこの町に映画をはじめとするクリエイティブ産業が勃興しつつある。ロード・オブ・ザ・リングスの監督ピーター・ジャクソンがこの町出身のため、第3部のワールド・プレミアもここで開かれた。イギリスの伝統とマオリの伝統がミックスされたところでアートが花開いている。そしてITがこの辺境の地にもチャンスをもたらしている。

疲れていて写真を撮り忘れたので今日は撮ろう。

今日は午前中に潜水艦と護衛艦の内部を見学。当然のことながら写真撮影は制限されているが、見られるだけでもいい。

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潜水艦内部は映画で見るような感じで、パイプやコードなどがむき出しになっている。これはすぐに原因究明・修理ができるようにするためだそうだ。それほど圧迫感はなかったが、やはり狭い。あらゆるものがコンパクトに作られている。特に船室と船室をつなぐドアが密閉できるように小さく作ってあるため、移動がやや大変(もちろん慣れればどうということはないのだろう)。潜望鏡の精度に感心。

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護衛艦は、かつて戦艦大和が造られた造船所の隣に停泊していた。140人乗りだが、艦長は全員の名前と顔を覚えているそうだ。艦長の任期は意外に短く、1年から1年半ほどだという。艦長は命令が下ればすぐに出航できるように、港にいるときでも呉から離れられないそうだ。招集がかかれば乗員は1時間で集合し、45分で出航できるようになっている。

なぜ旧海軍は呉に軍港を造ったのか聞いてみると、内海で防衛がしやすく、港の水深が確保されていて、飲み水が確保しやすいからだそうだ。

1泊2日だったが非常に充実していた。現場を見ることで分かることがたくさんある。自衛隊と聞いて眉をひそめる人もいるが、現実に存在しているものだし、その実態を見ておくことは議論をする上でも重要なはずだ。

大和ミュージアム

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江田島の後、対岸の呉で大和ミュージアムを見学。呉市が戦後60年をねらって建てたミュージアムだ。目玉は戦艦大和の10分の1の模型。けっこうな迫力だ。上のフロアに行くと宇宙戦艦大和の展示コーナーもある。

このミュージアムには50万人も訪れたそうだ。日本は右傾化しているのか……な。

江田島

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広島の江田島に来た。海上自衛隊の第1術科学校があり、旧海軍兵学校があったところだ。

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この煉瓦はその昔ロンドンからわざわざ取り寄せたそうだ。さわるとツルツルしている。

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若き自衛官たちは五省で一日を振り返る。

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これが有名な教育参考館。残念ながら内部は撮影不可。東郷元帥やネルソン提督の遺髪まで保存されている。

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F君が見上げるのは戦艦陸奥の主砲。とにかくでかい。

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江田島自体は思っていたよりも大きい。海軍兵学校はもともと東京にあったそうだが、都心の繁華街を避けるために江田島に来たという。

江田島は第二次世界大戦の際にも米軍は直接攻撃せず、戦後はしばらく米軍に接収されていたため、建物もよく残っている。戦前の状態を知るには格好の素材といえるだろう。

いただきもの:現代人のプライバシー

現代人のプライバシー

NEC総研の小泉雄介さんに送っていただいた。小泉さんは9.11の日に一緒にサンフランシスコにいた仲だ。

1134人にアンケート調査をしたそうだ。

Q. あなた自身の現在の生活の中で、家族や友人など近しい人には積極的には知らせていない個人的な事柄がありますか。(単数回答)

たくさんある(9.7%)

少しある(64.4%)

以前はあった(4.6%)

まったくない(21.3%)

いただきもの:ブログ—世界を変える個人メディア

ブログ—世界を変える個人メディア

最近、いろいろ書籍や報告書を送っていただくことが多くなってきた。しかし、御礼もちゃんと申し上げないままに時間が過ぎてしまうことがあるので、なるべくここで紹介していくことにしようと思う。

まずは、訳者の平和博さんからいただいたダン・ギルモアの本。ギルモアはネット系では有名人だけど、訳書は初めてみたいだ。

夜釣り

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昨年11月からすでに3回目となる湘南国際村での合宿。夜10時過ぎまで議論の後、突如乱入してきたOさんに率いられ、別のOさん、Fさんと夜釣りに出かける。釣りなんて久しぶりだ。

Oさんはベテランらしく、車の中に何でも入っている。竿から仕掛けから全部用意していただき、防波堤から投げ釣りをすると、小さな、アジが1匹、ゴマサバ4匹、正体不明が2匹釣れる。いずれもとても小さい。写真は二人目のOさんがつり上げたゴンズイ。これは猛毒らしい。実に危ない。

夜中2時半に宿に戻る。けっこう楽しかった。しかし、明日の議論は大丈夫なのだろうか……。他の連中はどこかの部屋で飲みつぶれているに違いない。

メール断ち

明日(4日)から10日まで夏休みをとります。申し訳ありませんが電子メールは読みません。あしからず。11日から13日までは学事関係の合宿なので、メールの返事はけっこう遅くなると思います。ごめんなさい。

10年以上も電子メールを使ってきて、そろそろ飽きてきました。処理できる能力を超えつつあります……。

合宿

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研究会の合宿で御嶽山に行く。宿にたどり着くにはケーブルカーに乗らなくてはならない。

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山頂には御嶽神社がある。

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朝5時から滝行に参加した勇者7人(私は遠慮した)。右端は駒鳥山荘のご主人(ブログでも紹介されている! 御世話になりました)。駒鳥山荘は安永5年(1776年)創業で、現在のご主人は17代目。今年5月に青梅で初めて光ファイバーを入れたとのこと。山の上で軽快なネット接続が可能。

台風接近中

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台風が接近してきている。これから夕方までキャンパスでイベントがあるが、聴衆はあまり集まらないに違いない。夜は嵐の中のキャンパスに泊まり込んで他の教員たちと合宿である(このキャンパスの伝統の一つが合宿好きだ)。そして明日は修士論文の最終発表がある。きっと発表する学生たちも徹夜だろう。

非伝統的安全保障

日米防衛協力の変容と非伝統的安全保障」というシンポジウムに出た。お世話になった安倍フェローシップに恩返し。最近はインターネット系の会議ばかりだったから新鮮だった。隣に座ったステイプルスさんは米軍のコマンダーだし、ヒルさんは六カ国協議の当事者だ。おまけに番匠さんの話まで聞くことができた。

しかし、私は相変わらずの馬鹿話で、ギークが安全保障にも影響を与えていますよと話してきた。Google Earthのデモを見せたらぎょっとしている人が多かった。ナショセキュ(安全保障)の人たちはネットの世界のイノベーションがあまり見えてないのかもしれない。

今回初めて知ったのだが、モーリーン&マイク・マンスフィールド財団のフェローシップというのがあって、米国の政府官僚が2年間日本の役所や政治家の事務所で研修できるとのこと。このフェローシップでは来日前に1年間日本語のレッスンがあるそうで、ステイプルさんもヒルさんも日本語が達者だ。いい制度だと感心した。

国際交流基金日米センターの皆さんの段取りも良くて、いいシンポジウムだった。でも疲れるので、今度は聴衆として行きたい。

音楽著作権

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今週で授業がおわり、妻が旅行に出ているので独身生活を満喫できるはずだったが、やたらと用事が入っていて、朝から晩まで出かけている。おかげで外食続きだ。

今日は、朝の用事を済ませ、午後はJASRAC(日本音楽著作権協会)を学生と訪問。JASRACはなにかと悪者扱いされることが多いが、アーティストたちの権利を守るための非営利組織だ。ビデオを見せていただいたり、データベース構築の手順を教えていただいたり、議論の時間をとっていただいたりしていろいろ学んだ。

夜は著作権関係の研究会。明日は朝9時から大学で用事だ。

コンテンツ政策

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授業の最終回で中村伊知哉さんに来ていただいた。コンテンツ政策の再構築と題して熱く語っていただく。京都の話、絵文字の話、各国の政策の分類の話などどれも興味深い。少年ナイフの話はここ(pdf)にある。

工場見学

昨日、市ヶ谷にあるDNP(大日本印刷)の工場見学をさせてもらった。市ヶ谷という東京のど真ん中に大きな工場がある(それも防衛庁の隣だ)。原稿の入稿からハンコと呼ばれる版下の作成までは電子化がだいぶ進んでいる(あれだけマックが並んでいる場所は初めて見た)。しかし、印刷から製本までは轟音鳴り響く工場の中で行われる。25年前の機械が現役で動いている。それよりいい機械が出てこないそうだ。電子化がいくら進んだとしても、印刷業は設備産業であることがよくわかった。

かつて印刷工場は政治的パワーを握っていた。ビラや政治パンフレットを印刷し、大衆を動かすことができたからだ(レッシグ著『FREE CULTURE』ではイギリスの印刷屋がコピーライトを独占していた様子が書かれている)。印刷業は創発的な現象が起きるきっかけを作っていたとも考えられる。今はそれが電子媒体へ移ってきているのだろうが、10万枚、20万枚と一気に紙をすることができるのはやはりパワーだという気がした。

しかし、DNPは従来型の印刷に加えて、RFIDなどのハイテク化を進めている。ちなみにこういうイベントも(SFC生向け)。

http://www.kri.sfc.keio.ac.jp/collaboration/seminar050726.html