日本の神々

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先週、九州を旅してきた。一番おもしろかったのは、高千穂の天岩戸神社だ。神話にある天照大神が隠れてしまったという岩戸がある。岩戸は神社から川を挟んだ崖っぷちにあって、お願いすれば川を挟んで20〜30メートル位のところから見せてもらえる。写真はNGだが、洞窟はかなり大きな岩壁の中腹にあって、屋根にあたる部分と床にあたる部分は崩れ落ちてしまっているそうだ。大きな岩の裂け目になっているといったほうがいい。崖の斜面に生えた木々で覆われてしまっているが、大きな台風が来ると、その木々も崩れ落ちていってしまうという。

神社の方のお話しがまたおもしろい。日本で神様になる人は、生まれたときから神様なのではない。菅原道真など、実際に生きていた人が、死後になって神様として祭られるようになる。天照大神も今では太陽の神ということになっているが、実は普通の人だった。しかし、亡くなった後にその人を偲ぶ人たちから天照大神と呼ばれるようになったのであって、生前には普通の人間としての名前を持っていたはずだという。

しかし、本当なのかなあ?

聞きながら、キリスト教やイスラームのような一神教の神と、日本の神々とは本質的に異なるのだと思った。一神教の神はこの世に生まれたことはない。預言者を通じて話をするだけだ。天岩戸神社の方によれば、日本の神々になった人々は、この世に生きた人たちだ。

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九州の最終日、中津まで足を伸ばして、福澤諭吉記念館にも立ち寄る。福澤先生(とKOでは呼ばなくてはならない)が19歳まで過ごした旧居が保存されている。勉強したという土蔵はあいにく修復作業中だった。記念館の中では50分もかかる福澤先生の生涯についてのビデオが流されている。その冒頭で、少年時代の福澤先生が、神社のお札を踏みつけてみたけど何も罰が当たらなかったという有名なエピソードが紹介されていた。愉快な人だ。

フロー体験

鎌倉の円覚寺で暁天坐禅会に参加する機会があった。早朝5時半から1時間で、誰でも参加できる。坐禅に参加するのは初めてだ。友人H君とその義弟M君とともに参加。20人ほどの人が参加していて、常連に見える人たちも多い。20分坐禅、1分休憩、20分坐禅、最後に読経という流れだった。テレビでよく肩をバチーンと叩いているが、ここではお坊さんが前を通りかかった際に手を合わせながらお辞儀をすると叩いてくれる。

残念ながら、初めてで好奇心が高ぶっていたせいか、汗が流れ落ちるほど暑かったせいか、無我の境地にも悟りの境地にも達することができなかった。残念。

その後、M・チクセントミハイ著『フロー体験—喜びの現象学—』を読み始める。最初は誰に教えてもらったのか忘れたが、買ったまま本棚に入っていた。その後、3月に知り合った人に読むといいよと教えてもらったが、それでも読まなかった。自分の研究に直接関係はなさそうだし、細かい字で分厚い本だということで敬遠していた。しかし、ダニエル・ピンク著『ハイ・コンセプト』にも紹介されていたし、夏休みだということで読み始める。

ここでいうフロー体験とは、要するに楽しくて没入してしまうこと、時間が流れる(フロー)のを忘れてしまうほど没頭してしまうことだ。あらゆる楽しいことには文化を越えてフロー体験が見られるという。自分が今正しいことをしているという感覚があり、他のことに気をとられない状態になっていないとフロー体験は得られない。「フロー体験」という言葉は何となくいかがわしい感じがするが、文化を越えて大規模なインタビュー調査をした結果に基づくまじめな心理学・社会学の本だ。日本の暴走族の少年にもインタビューしている。

お金持ちになるとか、権力を持つとか、そういったことは実は幸せや喜びにはつながらない。原始人と比べればわれわれは物質的にはるかに豊かなのに、われわれが精神的な満足を得られないのはなぜなのかというのがハンガリー移民でシカゴ大学の教授になったチクセントミハイの問題意識だ。幸せや喜びは、実は自分の内的なところに発している。

たぶん、私が研究を職業としたいと思ったのも、いろいろな出来事を調べ、研究することでフロー体験が得られるからだろう。逆にいろいろな瑣事で没入ができないといらいらしてしまう。いかにして好きなことに没入できる環境と時間を確保するかが重要なのだろう。

坐禅をしながらいろいろ考えてしまうのも、集中できる環境・状態にないからに違いない。坐禅は自分の状態をチェックすることにつながるのかもしれない。

鎌倉で旧友とその家族たちと過ごすのも時間を忘れる一種のフロー体験だった。

ハイ・コンセプト

荒野高志さんのおすすめでダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』を読む。芸術的センスのなさを悲観し、左脳主導的な仕事ばかりしてきたことを反省する。

今、SFCではカリキュラムを作り直しているが、「『専門力』ではない『総合力』の時代!」という<はじめに>の言葉には励まされる。本の帯や大前研一さんの訳者解説には、給料とか富という言葉が出てきて、ノウハウ本なのかと思うが(私はノウハウ本も好きだけど)、大きな社会変化を示唆している本だ。トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』とも呼応している。

「ハイ・コンセプト」とは「パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力、などだ」という。そして、対になる「ハイ・タッチ」とは、「他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力など」である。

そして、「今の仕事をこのまま続けていいか」という疑問に三つのチェックポイントを提示してくれている。

(1)他の国なら、これをもっと安くやれるだろうか

(2)コンピュータなら、これをもっとうまく、早くやれるだろうか

(3)自分が提供しているものは、この豊かな時代の中でも需要があるだろうか

ううむ。教育は例外だとはいえない時代だよなあ。

滋賀の旅:長浜

旅の最終地は長浜。秀吉が城と町を作った。その後、NHKの大河ドラマ『功名が辻』で取り上げられている山内一豊と千代が、土佐藩に移る前に住んでいたところだ。残念ながら再建された長浜城はいまいち迫力がない。近くに大きなマンションが建ってしまっているのも興ざめだ。しかし、中の博物館は割と楽しめた。ここの売店で中公新書の宇田川武久『鉄炮伝来』(中公新書、1990年)を思わず買ってしまう。

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長浜では食べ物が楽しめた。彦根には申し訳ないけど、長浜のほうがおいしいような気がする。みんな観光客向けのお店だけど、まずは鳥喜多の親子丼。けっこう繁盛している。おいしいけど分量が物足りない。地元の人らしきおっちゃんたちは麺類も一緒に食べていた。

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二軒目は茂美志(もみじ)やの「のっぺうどん」大きくて分厚い椎茸が入ったあんかけうどんだ。

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最後に、滋賀といえば近江牛。もちろんおいしかったけど、ヒットは「よいこのびいる」だ。きれいに泡がたって色もそっくりだが、甘いジュースだ。東京の飲み屋にも置いてくれれば、私は飲むぞ。

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滋賀の旅:国友

今回の旅でもう一カ所行きたかったのが国友だ。戦国時代に鉄砲を作ったところである。技術と国際政治を研究している者としては避けられない。

国友は長浜のすぐそばだが、やたらと静かなところだ。なぜか司馬遼太郎の碑がいくつもある。『街道をゆく24 近江散歩・奈良散歩』で紹介されたらしく、そこからの引用がいくつも碑になっているのだ。そのうちの一つにあるように、とても静かだ。しかし、決して貧しいわけではない。人影が無く、物音がしないのだが、家々はとても大きく立派で、よく手入れがされている。昔ながらの豊かさをうまく受け継いでいるのだろうか。もちろん、今は鉄砲は作っておらず、火薬を応用した花火や、鉄砲の装飾を応用した金細工などが行われているらしい。しかし、工場や作業場らしきものは見あたらなかった。

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ここには国友鉄砲の里資料館というのがある。それほど大きなものではなく、受付のおじさんがいるだけで、他に見物人もいなかったが、なかなか楽しい。最初に真っ暗な部屋でスライドショーを見せてくれる。後ろでスライドががしゃがしゃと入れ替わるおもしろいシステムなのだが、映画のように鉄砲と国友の歴史を見せてくれる。

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二階の展示室にはずらりと鉄砲が並んでいる。火縄銃を見るのも初めてだ。けっこう長い。

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実物を持ってみることもできる。ずしりと思い。これを持ち歩くのは大変だろう。弾込めにもそれなりに時間がかかりそうなので、信長がやったように、何列かに分けて順番に使わないとあっという間に相手の馬が迫ってきてしまうに違いない。弾が撃てる状態になっていないと、この重さでは足手まといになったのではないだろうか。

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このお店も司馬遼太郎の本に出てくるらしい。天文十三年というのは、種子島に鉄砲が伝わった翌年だという。このお店の中に国友鉄砲鍛冶資料館というのがあって、司馬はそこにも入ったようだ。しかし、今は見られないそうなので、外からだけ。

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滋賀の旅:安土

なぜ琵琶湖周辺を旅しようかと思ったかというと、小学校の時に織田信長の安土城について調べたことがあって、是非行ってみたいと思っていたからだ。安土城は信長が本能寺の変で敗れてからすぐに燃えてしまったので、小学校の時に調べたときは謎の城ということになっていた。しかし、先日お酒の席で、T先生が「安土城は発掘が進んできてかなりおもしろい」と言っていて、これはいかなくてはと思っていたのだ。

たぶん1980年代だったと思うが、安土城の図面が見つかったので、それを元にいくつか模型が作られている。下の写真は安土駅前の安土町城郭資料館にある20分の1のもの。ちなみにこの模型はまっぷたつに割れて、内部も見ることができる。

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また、いつだったかの万博のために天守閣も実物大で復元されている。信長の館というところにそれが置いてある。

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最上階の内部は実にきらびやかだ。しかし、内部の装飾については文献に基づいて「こんな感じだったのでは」という想像よるものだそうだ。

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今は普通の山になってしまっている安土城。真ん中の山の頂上に天守閣があった。

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天守閣跡まで登ることができる。この階段は入り口付近。城が焼け落ちた後、中腹にあるお寺だけが残り、そのお寺がずっと管理してきた。発掘調査が進むとともに、観光地化も進められるようで、今年の秋からは入山が有料になるそうだ。この写真の階段は、土砂で埋もれていたものを掘り起こし、石を積み直して登りやすくしているが、上に行くほど段差がきつく、非常にくたびれる。真夏なので汗がしたたり落ちる。こんなもの毎日登っていたら大変だ。

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この写真はところどころにある石仏。信長はこんなものまで敷石にしてしまった。彼のラディカルな思想が現れていておもしろい。現物は見つけられなかったが、墓石まで敷石になっているそうだ。

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入り口に近いところにある羽柴秀吉の邸宅跡。ここの発掘が一番進んでいて、安土城考古博物館というところに解説がある。石階段を挟んで秀吉邸の向かい側には前田利家の邸宅跡とされているところがあるが、こちらの発掘はあまり進んでいないようだ。どちらも山の中にあるせいか、それほど大きなスペースではない。

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30分ほどかけて急な石階段を上ると、二の丸に信長の廟がある(入れない)。その上の天守跡がこの写真。礎石が並んでいるだけで、木々に覆われている。

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天守跡の石垣を登って藪の中へ入っていくと、琵琶湖が見えるスペースがある。安土山の周りは、今は田畑になっているが、これは埋め立て地で、信長の時代は城のすぐ下にまで湖が来ていたという。さぞかしいい眺めだっただろう。

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エジプトのピラミッドにも中国の万里の長城にも行ったことはないが、権力者というのはとてつもないものを作るものだ。

滋賀の旅:彦根

だいぶ間があいてしまった。春学期はいろいろあって書く暇と気力がなかった。

ある研究会の合宿で琵琶湖まで行ってきた。遅ればせながら読んだ『ウェブ進化論』によると「あちら側」に情報を置いておくことが重要なので、写真と感想を書いておこうと思う。

たぶん、琵琶湖を直に見るのは初めてだったと思う。鉄ちゃんのA先生が、湖西線は最高だと言っていたので期待していたが、電車の中は部活の合宿の高校生であふれかえっていて、景色など楽しめなかった。

合宿が終わった後、かんかん照りの中、最初に行ったのは彦根城。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼ゆかりの場所。なかなか立派なお城だ。

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船に乗って遊びに行ったのが竹生島。船で30分ぐらいかけて行くのだが、琵琶湖は広いと実感。

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この島は断崖絶壁で囲まれていて、一カ所だけ船が着けられる港がある。島は山になっていて、神社や資料館などがある。下の写真は豊臣秀吉が寄進したという竹生島神社。

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ここから見ると琵琶湖は海のように見える。

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ホテルから見えた夕日。

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