松尾守之「情報が歴史を変える」

松尾守之「情報が歴史を変える  第118回望星講座」『無限』1993年1月25日。

 7月に東海大学の望星講座で講演させていただいた。その際、東海大学創設者である松前重義が海底ケーブルに大きく貢献したという話になり、何か資料はないかと聞いてみたところ、松尾守之東海大学工学部教授が講演されたときの講演録があるはずということで、わざわざ探して送ってくださった。

 松前は無装荷ケーブルを発明し、1932年に吉田正および篠原登と共著で「長距離電話回線として無装荷ケーブルを用ひたる実験」という論文を発表しているそうだ。1939年に実用化され、東京〜奉天間の3000キロに無装荷ケーブルの長距離電話が開通、ヨーロッパまで延長することを構想していたが、第二次世界大戦で実現しなかったようだ。

佐賀健二「アジア開発途上国のICTインフラ整備の課題と展望」

佐賀健二「アジア開発途上国のICTインフラ整備の課題と展望—アジア・ブロードバンド計画実施に向けての提言—」『海外電気通信』2005年1月号、7〜33ページ。

 太平洋島嶼国も含めたアジアにどうやってブロードバンド・ハイウェーを作るか。

カンボジャ、バングラデシュのように海に面していながらどの光海底ケーブルも陸揚げされていない国や、太平洋島嶼国のように数ある太平洋横断海底ケーブルが、フィジーを除いて全てバイパスし、約20カ国・地域がブロードバンドの幹線網を構成する国際光海底ケーブルを利用できない状況にあり、ブロードバンド接続のボトルネックとなっている。

 パラオについても書いてある。

パラオからヤップを経てグアムに至る光海底ケーブルの敷設提案が提出されているが、建設コストと運用コストが高くパラオの電気通信事業者は敷設に踏み切れない状況にある。

 誰が提案したのだろう。

パラオでは、現在、全ての国際通信回線をインテルサット衛星にアクセスする1基の地球局のみに依存している。

 人工衛星を使った日本のWINDS(Wiredeband InterNetworking engineering test and Demonstration Satellite)への期待も書かれている。

宇高衛「開発途上国における競争環境下での電気通信インフラ整備資金調達」

宇高衛「開発途上国における競争環境下での電気通信インフラ整備資金調達—ユニバーサル・サービス基金の可能性について—」『海外電気通信』2005年1月号、34〜49ページ。

 開発途上国が通信インフラの整備を進める場合、内部相互補助、免許条件による地域網整備の義務づけ、赤字補填負担金、ユニバーサル・サービス基金の四つの方法があると指摘。ペルーとマレーシアを事例に検証している。

 国内インフラの整備にはその通りだと思うのだが、海底ケーブルを引く際にはどれも使えないような気がする。どうだろう。

佐賀健二「太平洋島嶼国・地域のICT政策・戦略計画」

佐賀健二「太平洋島嶼国・地域のICT政策・戦略計画」『海外電気通信』2003年2月号、28〜33ページ。

論文というほどの分量はなく、最初のページに著者の解説があり、残りは文書の要約(翻訳?)になっている。

太平洋地域組織協議会(CROP:Council of Regional Organizations of the Pacific)という組織があるらしい。まったくもってこういう地域機構は多すぎてよく分からない。このCROPは、22の太平洋島嶼国・地域が加盟する8地域組織(太平洋島嶼開発計画、太平洋島嶼フォーラム、太平洋島嶼電気通信協会、南太平洋観光機構、南太平洋地域環境計画、南太平洋大学など)の連合体だという。

このCROPが太平洋島嶼国・地域共同のICT政策・戦略計画を合意し、発表した。その内容の紹介になっている。

おそらく、米国議会図書館で見つけたパラオのICT戦略というのは、これを契機に作られたものなのだろう。二つの文書の内容は似ている気がする。

インフラ開発についてもやはりあっさりしていて、戦略2.1.1での行動計画で「太平洋島嶼国地域をループ上に結ぶブロードバンド海底ケーブル敷設の調査」と書いてあるだけである。「調査」で、敷設そのものではない。及び腰だなあ。

Republic of Palau, 5-Year ICT Plan

Republic of Palau Communication Information Technical Advisory Group (CITAG), 5-Year ICT Plan, January 2003. (LOC Call Number: HC 79.I55 P35 2003 Copy 1)

 オンラインで見つからなかったので、TPRCの合間に米国議会図書館でコピーしてきた。閉架式なので出てくるのに2時間半もかかった。

 海底ケーブルについては

Review, make recommendation and identify potential funding sources for connecting the Republic of Palau to an appropriate international fiber optic cable (p. 2)

としか書いてない。私が考えすぎなのか、パラオの認識が甘いのか。国際回線を確保しないで国内の話をいくらしても意味ないんじゃないだろうか。これを書いた人にインタビューしてみたい。S先生はアドバイザーだったのだろうか。

小菅他「北西太平洋情報通信調査報告II」

小菅敏夫、岡育生、田中正智、飯田尚志、江戸淳子、牧野康夫「北西太平洋情報通信調査報告II—ミクロネシアの新たな可能性—」『電気通信大学紀要』第4巻1号、1991年、45〜65ページ。

 この報告では、ミクロネシア連邦(FSM)とマーシャル諸島共和国(RMI)が中心。

 グアム〜パラオ〜チュウク〜ポンペイ〜コスラエ〜クワジュリン〜マジュロ〜ホノルル等を結ぶ、ミクロネシア海底ケーブル(仮称)の敷設という提言が書かれている。残念ながら現在でもまだ敷設されていない。

 政府開発援助(ODA)による通信インフラストラクチャの支援も書き込まれているが、現実には日本のODAによる支援はほとんど行われなくなっている。ODA白書によれば、二国間政府開発援助分野別配分の通信は0.26%である。

 通信事業は民間でできる商業性の高いものだからというのが、ODAを使わない理由とされている。しかし、太平洋島嶼国のようなところでは、少なくとも海底ケーブル敷設のような大規模な初期投資は、商業ベースではできない。日本のODA予算が減り続ける中、ここに日本の援助を期待するのは残念ながら難しくなっている。

長崎海底線史料館

 今、海底ケーブルのことを研究テーマの一つにしている。「今」というよりはずっと関心があって、博士論文の中にも書いている。日本は海に囲まれているのだから、海底ケーブルなしでは情報通信のインフラストラクチャは成り立たない。そう思って1840年頃に海底ケーブルがイギリスで発明されて以来の歴史を折に触れて振り返ってきた(『情報とグローバル・ガバナンス』および『ネットワーク・パワー』に収録)。

「今」また関心があるのは、昨年、パラオに行ったとき、海底ケーブルがつながっていないために、パラオが大変な苦労をしていることを知ったからだ。パラオだけではない。少なからぬ太平洋島嶼国が苦しんでいる。海底ケーブルにつながっている勝ち組と、つながっていない負け組で結果がはっきり出てしまっている。例えば、国ではないが、グアムは米領になっているので複数の光海底ケーブルがつながっている。軍事基地でもあるグアムは、太平洋のネットワーク・ハブの一つになっている。しかし、そこから1300キロほど離れたパラオにはつながっていない。1300キロという距離は現代の海底ケーブル技術からすれば何でもない距離だが、いくつかの理由でつながっていない。

 パラオを中心とする太平洋島嶼国について調べるとともに、海底ケーブルの現状も知りたくて、事業者へのヒアリングにも行った。特に、3.11の大震災で茨城沖の海底ケーブルが複数箇所で切断されたものの、すぐに復旧した努力には驚いた。

 そうした関心の一環で、長崎の海底線史料館に行ってきた。長崎に行くのは初めてなので泊まりがけで行きたかったが、予定が立て込んでいるので日帰りにした。朝4時半に起きて羽田空港に行き、8時過ぎに長崎に到着した。レンタカーを借りて長崎市内へ向かう。長崎空港は大村市にあるので、40分ほどかかる。長崎駅で、福岡に帰省中のゼミ生K君と落ち合う。

 11時前にNTT-WEマリンへ。長崎駅から20分ぐらいだっただろうか。NTT-WEマリンはNTTコミュニケーションズの関連会社で、ケーブル敷設船すばるの母港になっている。あいにくこの日はすばるは出航中で見ることはできなかったが、この場所は岩場に挟まれた天然のドックになっているとのことだった。普通の港では嵐が来ると船を沖に出さなくてはいけないが、ここではそのまま港の中に係留しておくことができるそうだ。

 海底線史料館は普段は閉まっているので、予約が必要である。私も1ヶ月ほど前に電話してアポイントをとっておいた。案内してくださったのはSさん。上司のTさんにもご挨拶をして、まず見せてもらったのは修復用のケーブルである。大きな工場のような建物の中に合計六つの丸い大きな穴が開いており、その中にさまざまな海底ケーブルがぐるぐると輪になって保管されている。一つの穴の中に何層にもなって複数の種類のケーブルが入っている。これは現在使用されているケーブルが何らかの理由で切断されたり故障したりした場合の修復に使われるそうだ。したがって、最新の光ファイバが入ったケーブルだけでなく、昔の同軸線のものもある。

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 この工場のような倉庫の隣にある煉瓦造りの建物が海底線史料館である。長崎は日本で一番最初に海外との海底ケーブルがつながった場所である。19世紀から20世紀の変わり目頃に世界の海底ケーブルを牛耳っていたのは大英帝国である。しかし、日本に海底ケーブルをつないだのはデンマークの大北電信(Great Northern Telegraph Company)であった。海底線史料館の建物は明治29年(1896年)に海底電信線貯蔵池の電源舎として作られたようだ。しかし、とても風情がある。取り壊しの話もあったようだが、保存の要望があって残すことになった。そして2009年には経済産業省から「地域活性化に役立つ産業遺産」に指定された。

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 史料館の中には予想を超えるさまざまなものが保存されていて驚いた。最初の部屋には各時代の海底ケーブルを短く切断したものが展示されている。KDDから提供された最初の太平洋ケーブルもあった。海底ケーブル自体の技術革新がよく分かる。隣の部屋にはまず最初に大英帝国の有名なケーブル敷設船Great Eastern号の模型がある。何度も本で読んだ船だ。第二次大戦末期に使われていて、ソビエトに撃沈されたとする説のある日本のケーブル敷設船小笠原丸の大きな模型もある。三つ目の部屋はロフトのように二層になっていて、巨大なケーブル移動用の装置が置かれていた。まだ整理し切れていないと思われるものも置かれている。

 何よりも興味を引かれたのは、年代物の戸棚に収納されている文書である。背表紙のタイトルからして興味をそそられるものが多い。しかし、どれもかなりの年代物なので簡単に手にとって見られるものでもなさそうだ。時間をかけて丁寧に中身を見なくてはならないだろう。その量からして日帰りではどうにもならない。

 会議を終えられてTさんとNさんが史料館にやってきてくださった。そこでお話を伺うと、私と同じような目的でこの史料館にやってきて、この文書をすでに見た研究者がいるとのこと。「いとうかずお」さんという方だったとのことで帰宅してから調べてみると、おそらく、伊藤和雄『まさにNCWであった日本海海戦』(光人社、2011年)だろうと分かる。この本はつい先日注文してあって、もう大学の研究室に届いているはずだ。一番乗りでなかったのは残念でならない。本の中身を確認して、私がまだやれる範囲があれば、もう一度この史料館に来て、文書を見てみたい。

 NTT-WEマリンを辞去して、市内でK君とチャンポンを食べる。チャンポン発祥の店だそうだ。食後、すぐ隣の全日空ホテルの入り口へ。ここに「国際電信発祥の地」と書かれた記念碑が建っている。新しく見えるが昭和46年(1971年)のものだそうだ。隣には「長崎電信創業の地」と「南山手居留地跡」の碑もたっている。なぜここに記念碑があるかというと、港近くで陸揚げされた海底ケーブルが陸線につながり、全日空ホテルの敷地にかつてあったホテル・ベルビューで通信業務が行われていたからだそうだ。

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 また車に乗り、今度はやや離れた国際海底電線小ヶ倉陸揚庫へ。ここには海底ケーブルの陸揚げに使われた小屋が残っている。港のすぐそばで、民家の隣にぽつんと立っている。しかし、ここは柵で囲われていて中に入ることはできない。柵はそれほど古いものではなく、最近作られたように見える。この建物の手がかりになるものは、外側の石碑だけである。それによれば、「原形を復元し」となっている。1971年頃に復元されたらしい。管理しているのはKDDIのようなので、もし長崎再訪のチャンスがあれば、中を見られるかどうか聞いてみよう。

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 この時点ですでに14時近くになっている。時間が十分に余れば、グラバー園に行くか(グラバーも海底ケーブルに関係していたらしい)、長崎県立図書館で資料を調べようと思っていたが、16時半には市内を出ないと帰りの飛行機に間に合わない。そこで、市内を車で走っている最中に見つけた出島を見に行くことにした。出島は明治の開国で不要になった後、周囲の埋め立てが進んだり、運河の整備で一部が削られたりして、場所がよく分からなくなっていたようだが、最近の調査で境界が確認され、復元された。復元と行っても何度も火災があったので時代によって出島の姿はさまざまだったようだ。

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 この日、長崎は台風の影響があって、午前中は雨、午後は非常に蒸し暑かった。出島はそれほど大きくないが、ここでバテてしまう。長崎駅前で土産物を少し物色して、K君は電車で福岡へ戻っていった。私はまた車で空港へ。帰りの機内で、出島の売店で買った小冊子を読む。出島についてよくまとまっていて勉強になった。国際政治のパワーの中心がポルトガルからオランダへ、そしてイギリスへ移っていったことが出島にも影響した。

 帰宅は21時頃になった。見たいと思っていた史料館が見られたという点では大いに満足した。しかし、そこに宝物のような文書が眠っていることも分かり、心が騒ぐ。次にケーブル敷設船が戻ってくる時期に行きたいが、授業があってその頃は難しそうだ。春休みにまた行けるかどうか考えてみよう。

古橋好夫「太平洋島嶼国間のテレコミュニケーション」

古橋好夫「太平洋島嶼国間のテレコミュニケーション」『太平洋学会誌』第24号、1984年、109〜122ページ。

 まだパラオ独立の10年前の講演録。ここで期待されているのは、予想以上に寿命が延びたATS-1という通信衛星の活用。海底ケーブルについてはほとんど言及がなく、人工衛星の時代まっただ中だったことがうかがえる。

 ATS-1についてはこちらも参照。

http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/007/007.htm

江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」

江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」『科学』第34巻12号、1964年、658〜659ページ。

 47年前の論文。ただし、論文と呼べるほどの長さはなく、見開き2ページのB4サイズ。著者は日本国際電信電話株式会社の人。

 1906年に太平洋の海底ケーブルは開通しているが、電信線1本だった。1956年に大西洋で同軸海底ケーブルが開通し、太平洋には1964年に敷設された。そこで使われた技術について解説している。細かい技術的な点はよく分からないが、大きなイノベーションだったことは分かる。

パラオ訪問

 太平洋島嶼国の一つ、パラオに行ってきた。

 かつてパラオは30年以上にわたって大日本帝国の委任統治領だった。パラオまでは現代の飛行機でも、グアムでの乗り換えを含めて8時間かかる。大日本帝国政府はパラオに南洋庁を置き、産業振興を図ったが、よくこんなところまで来たものだと感心する。

 パラオというと南洋の暑い国というイメージだったが、意外にも夜は涼しくて過ごしやすい。酷暑日が続く東京から来ると、夜の涼しさは天国のようだ。無論、昼間は強烈な太陽が照りつけるので暑いが、東京のような交通渋滞や満員電車はない。

「パラオまで何しに行くんだ」と多くの人に言われたが、今回の目的はAPT(Asia-Pacific Telecommunity:http://www.aptsec.org/)という総務省がバックアップする団体主催のワークショップに参加することであった。テーマは無線ブロードバンド(http://www.aptsec.org/2010-WS-WBP)で、対象者は太平洋島嶼国の代表たちである。総務省はAPTを通じてこのワークショップに資金提供しているので、総務省からも担当官が来ており、挨拶もかねて日本のIT政策に関するブリーフィングを行った。

 それ以後は、無線ブロードバンドをめぐる規制や技術についてのプレゼンテーションとディスカッションが行われた。昨年、インドネシアのバリで開かれた大臣会合で「Bali Plan of Action」という文書が採択されており、それに沿った形で提言案を考えるのがゴールである。

 各国の事業者や規制者、それにクオルコムやインテル、インテルサットといったベンダーや事業者、さらに各国のコンサルタントも参加し、太平洋島嶼国を念頭に置いたソリューションのプレゼンテーションもあった。

 太平洋島嶼国の課題は二つ。(1)小さな島々をどうやってつなぐか、(2)国際回線をどうやって確保するか、である。

 島が一つだけであれば、その島の中にネットワークをつなぐのはそれほど難しいことではない。むしろ、小さい分だけ簡単だともいえる。例えば、WiMAXとWiFiを組み合わせればそれなりのネットワークは構築可能である。電波も混み合っているわけではない。

 しかし、太平洋島嶼国の多くは無数と言っても良いくらいの小さな島々で構成されていることが多い。人口が数十人しかいないという島もある。そうした小さな需要のために設備へ投資しなくてはならないとしたら大赤字になってしまう。音声電話だけならマイクロウェーブ波の無線でも良かったが、インターネットを想定するなら光ファイバーによる海底ケーブルが欲しい。これが第一の課題である。

 さらに深刻なのが、第二の問題の国際回線の確保である。音声通話の時代には人工衛星による通信が主であり、国際電話や国際ファクシミリは国営事業者にとって大きな収益源であった。しかし、電子メールが使えるようになると国際電話や国際ファクシミリの利用は急速に減り、収益も減少するようになった。さらに、インターネットのコンテンツはどんどんリッチになり、帯域を必要とするようになる。そうすると、人工衛星では大きな需要を裁ききれなくなってきた。例えば、2010年8月現在、パラオでは三つの人工衛星回線を使ってインターネット接続をしているが、合わせて30メガbpsしか帯域が確保できていない。人口が少ないとはいえ、島内の需要を満たすのは難しい。

 そこで、光ファイバーの海底ケーブルが必要になるが、その敷設には莫大な資金が必要になる。その資金をまかなえるだけの事業規模がほとんどすべての太平洋島嶼国で確保できない。米国領のグアムは米国の重要な軍事拠点となっているために、大容量の光ファイバーが接続されている。しかし、グアム(米国)やオーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピンといった国々との海底ケーブル接続を行うためにはそうした国々が納得するうよな事業規模と収益が見込めなくてはならない。

 インターネットにおける相互接続では、規模の小さなネットワークが規模の大きなネットワークに料金を支払うことになる。同規模同士のネットワークならばピアリングという料金相殺を行うことができるが、太平洋島嶼国の場合は、どうしても料金を支払って接続してもらうという構図になってしまう。国内で十分な収益が確保しにくい上に多額の国際接続料金が必要となれば、海底ケーブルによる国際接続は現実的なオプションではなくなっている。「つなぎたいけど金はない」という状態を脱しないことには太平洋島嶼国のデジタル・デバイド解消は不可能である。

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 今回のワークショップを通じてもブレークスルーは見つからなかった。私にとって新鮮だったのは、O3bという人工衛星を使ったサービスである。GEO(静止軌道)でもLEO(低軌道)でもなく、中間のMEO(中軌道)の人工衛星を使い、各衛星は毎日地球を4周する。一つの衛星は10本のビームをだし、1本のビームは400メガbpsから1.1ギガbpsの間の通信容量を持つ(最大で下り600メガbps、上り500メガbps)。しかし、いまだしっかりとしたサービス実績があるわけではないようで、料金もよく分からない。地上で10キロごとに受信アンテナを作らなければいけないということも課題のようである。

 今回のワークショップで私にとっての成果は、太平洋島嶼国の当事者たちが何を考えているのか、生の声を聞けたことである。頭では難しい問題と分かっていても、実際に会って話をするとより多くの情報が伝わってくる。彼らも自分たちの課題を痛いほど理解しているし、それが解決できないことに非常にいらだっている。APTがそうした当事者たちの声を束ねる場になっており、それに日本が資金を出してくれていることに感謝してはいるものの、それだけで話は進むのかとイライラしているのだ。

 それでは日本が援助すれば良いではないかという声もあるが、日本のODA予算は1997年を頂点に、その後はどんどん減ってきている。財政赤字の拡大が大きな要因である。総額が減り続ける中で、通信関連のODA予算は総額の1%を切っており、どんどん縮小傾向にある。

 また、被援助国によっては通信事業はすでに民営化されており、民間会社を直接的に支援することも難しい。音声電話の基本サービスならまだしも、インターネットは「贅沢品」とする見解もまだ残っている。

 最終日、ワークショップは昼で終わり、午後は地元のPNNCという国営事業者を見学。写真の二つのアンテナのうち、上を向いているのがインターネット用、斜め上を向いているのが音声用とのことだった。

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 飛行機は夜中の1時発である。PNNC見学の後、ボートに乗り、ロック・アイランドというダイビングの名所に連れて行ってもらう。本格的なダイビングではなく、シュノーケリングだが十分楽しめた。あいにく雲があったが船上で夕日が沈むのを見て、港に変えるまでは久しぶりに天の川を眺めた。開発が進んでいないからこその美しさだと思うと複雑な気分になる。

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