ガラパゴス

Galapagoseo

ガラパゴス諸島に一度行ってみたい(連休に行けたらどんなに幸せか)。しかし、ICTの世界では日本市場が「ガラパゴス諸島」のような様相を呈していると「ICT国際競争力懇談会」の最終とりまとめが指摘している。そのまま保存しておいたほうがおもしろいんじゃないだろうか。

他にも「国際共生力」「技術外交」といったおもしろい言葉が出てきている。

アメリカの田舎にブロードバンドを

大統領選に向けてヒラリー・クリントンがアメリカの田舎を活性化する案を出し、その一環として「Rural Broadband Initiatives Act(田舎ブロードバンド主導法って感じか)」を出した。法案番号はS.1032。労働組合も支持しているというが、民主党らしい政策パッケージだ。

おもしろいのは、連邦通信委員会(FCC)に何かをさせるのではなく、農務省の中に「田舎ブロードバンド主導局(Office of Rural Broadband Initiatives)」を作ってしまおうということだ。その際、「Rural

Electrification Act of 1936(1936年田舎電化法)」とかいう古い法律を改正するという。電力のアナロジーでいこうということみたいだ。

ブロードバンドの導入によって農業の生産性を上げようと演説するのかな。確かに大事だと思う。このテーマは研究したいと思っていて、7年前からいろいろなところで言っているのだけど、あまり相手にしてもらえない。

でも、法案の成立は難しいだろうなあ。上院の「農業、食料、森林(Agriculture, Nutrition, and Forestry)委員会」に付託されているが、こんなところでブロードバンドの議論なんてできるのだろうか。

ネット時代の社会関係資本形成と市民意識

20070412socialcapitalメディアコムの菅谷先生を中心に続けてきた研究会の成果が出た。私の担当章は、『ブロードバンド時代の制度設計』という本で書いた「セルフ・ガバナンスの意義と変容」のアップデート版になる。

菅谷実、金山智子編『ネット時代の社会関係資本形成と市民意識』慶應義塾大学出版会、2007年3月30日、本体3000円+税、ISBN978-4-7664-1362-5(叢書 21COE-CCC 多文化世界における市民意識の動態 20)
「第5章 インターネット・コミュニティの変容」担当。

編集の村山さんに感謝。

ワンセグonマック

20070330onetvkk氏にそそのかされ、USB接続でマック上でワンセグのテレビが見られるデバイスを衝動買いする。この機種はウインドウズにもつなぐことができる。

確かに映る。テレビと見比べると6〜7秒ほど遅れている。

しかし、自宅では電波が弱いらしく、すぐに切れてしまう。パワーブック(G4世代)の性能のせいかもしれないが、パソコンの操作をすると途切れてしまう。無線LANと周波数は違うが、ポンと出力がかかると切れる感じだ。じっと画面を見るために必要なわけではなく、他の作業をしながら音だけ聞きたい(いざというときには画面も見たい)ので、やや期待はずれだ(大学の部屋の電波状況が良ければうれしいのだが)。

添付のデスクトップピクチャでは画面を二倍にしてある。実際はこの半分。画面を大きくするほど当然ながら粗さが目立って、動きがデジタル的にぎこちなくなる。

一見すると通信と放送の融合という感じがするが、せいぜい「混合」だなという感じがする。ワンセグ用の電波と無線LANの電波は違い周波数だから、一つのパイプなり波なりの上でデジタル化された信号が融合して流れてくるわけではない。一つのパソコンの上で両方の電波を受信できるようにして、一つのスクリーンに入っているだけだ。

リアルタイムの録画や予約録画ができるは優れているが、良い電波状況を確保しながらパソコンの電源を起動させておかないといけない。ノートパソコンがスリープしてしまったら予約録画は失敗する。

録画したファイルも自由に編集ができるわけではなさそうだ(まだきちんと確認はしていない)。

コンテンツ的にも地上波その他と同じものしか流れていないから、融合とはいえない。連動してオンラインショッピングができるようになんて話があるが、同じパイプや波に乗っかってできないと実用性はないのではないかなあ。

このデバイス、ハードウェアのデザイン的にも意図があんまり理解できない。もうちょっとスタイリッシュにして欲しい。少なくともマックにはいまいち調和しない。

ま、出始めのデバイスにはいろいろ改善の余地がある。頻繁にソフトウェアはアップデートするとのことなので、期待してみよう。思わぬ形で役に立つかもしれない。友人N夫妻の家にはテレビがないから部屋が美しい。そういう家庭でもたまにテレビが見たくなった時には良いだろう。

【追記】このデバイス、ウインドウズ・マシンで使うほうがはるかに安定している。他の作業をしていてもあまり落ちない。

ドクター・フィッシュ

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先週、シンガポールで魚に足をついばまれる。ドクター・フィッシュと呼ばれているそうで、足がつるつるに。世の中には不思議なものがいるもんだ。

これも中立性問題か

マイナーな話題なんだけど、備忘録を兼ねて。

Molly Peterson, “FCC Grants Internet Phone Access,” Washington Post, March 2, 2007; D03.

タイム・ワーナーが訴えた請願を許可する形で、FCC(連邦通信委員会)がインターネット電話のための回線開放を決めた。構図としては大手の通信会社が中小の通信会社のネットワークを経由してVoIPを使えるようになったということらしい。

一般的にはケーブル会社のタイム・ワーナーと電話会社のAT&Tやベライゾンは競争関係にある。しかし、三社ともこの決定を歓迎している。

中小の(そしてたぶん過疎地にある)通信会社はまだ収益の大部分を固定電話サービスで上げている(アメリカの田舎にはうじゃうじゃ小さな電話会社がある)。このFCCの決定で、都会の大手通信会社のネットワークを使う加入者がVoIPを使って田舎の通信会社の固定電話と通話できるようになる。その結果、田舎の通信会社が得られる収益が変わるのだろう。

たぶん中小の通信会社のロビーイングを受けてサウス・カロライナの規制当局はそうした通信を認めていなかったが、FCCはこの規制をくつがえした。

ネットワークとネットワークをつなぐ際の相互接続料やアクセス・チャージは複雑怪奇でよく分からないが、「VoIPだけはつなぎたくないよ」という中小の通信会社のぼやきが聞こえてきそうだ。

ネットワークは中立的であるべきで、サービスやコンテンツを差別してはいけないという中立性原則に立てば、FCCの決定は正しい。それによって田舎にもブロードバンドが普及するとマーチン委員長は考えているようだ。しかし、その提供者が地元の中小通信会社ではなく、それを買収した大手になるかもしれない。利用者にとってはどちらがいいのだろう。

クリエイティブ・シティ

Creativecity

C&C振興財団監修、原田泉編著、上村圭介、木村忠正、庄司昌彦、陳潔華、土屋大洋、山内康英著『クリエイティブ・シティ—新コンテンツ産業の創出—』NTT出版、2007年2月28日、本体3200円+税、ISBN978-4-7571-0204-0

この本の取材をしたのは2005年の夏。かなり忙しかった頃で、自分の担当章を読み返すと息切れしているのが分かる(いいわけだなあ。しかし、私はずっと前に脱稿していて、半ば忘れていたのだけど、それが諸般の事情で遅れて今ごろ出版されたというわけです)。庄司さんのソウル(韓国)をはじめ、上村さんのウェリントン(ニュージーランド)、木村さんのボローニャ(イタリア)とバルセロナ(スペイン)など、他の章はおもしろいです。

春休み

20070205yugawara研究会(ゼミ)合宿と採点を終え、ようやく苦しい時期を切り抜けた(写真は帰りに真鶴半島で撮ったもの)。秋学期の採点量は春学期よりはるかに少ないけど、手抜きはできない。卒論の数もこれまでで最も多かった。しかし、自分が学生だった頃は同期のゼミ生が20人以上いたから、先生はもっと大変だったに違いない。

今日は、春から九州の大学に赴任する旧友の送別会。旧友と馬鹿話ができるのは良い気分転換になる(N夫妻のイタリア仕込みの料理も最高だった)。彼のゼミが軌道に乗ったら合宿はぜひ九州でやりたい。それぞれの分野は全然違うけど、それもまた楽しいだろう。頑張って欲しいなあ。

ようやく春休みに入ったが、もうすぐ入試シーズンだ。志願者が増えた。オープンキャンパスやら模擬講義やら出前講義やらをやった甲斐があった。出て行く学生に負けない、おもしろい学生に入ってきて欲しい。

みやじ豚BBQ

土曜日、キャンパスで熊坂研、井庭研と合同研究発表会をした後、みやじ豚のBBQをする。寒かったけど、うまかった。普段違うことをやっている人たちと研究について議論できるのはいいね。広い意味での社会学つながりだけど、それぞれのアプローチや手法が全然違うことが分かって刺激になった。写真はこちら

ネットワーク・パワー

Networkpower_1

『ネットワーク・パワー—

情報時代の国際政治—』NTT出版、2007年。[NTT出版のページ

3年半ぶりにひとりで書いた本が出る。SFCFRIGLOCOMICPCNTT出版、その他の皆様のおかげです。特にMさん、ありがとうございます。時間かかっちゃってすみません。

今日、某所での研究会から帰宅してから、息抜きを兼ねて『不都合な真実』の英語版DVDを見る。インターネット革命の立役者の一人、アル・ゴアは環境問題に取り組んでいる。日本は環境問題のリーダーになるべきだというMITの先生の言葉を思い出す。技術と国際政治というのが広い意味で私の研究テーマだ。いずれ環境問題にも取り組んでみたいと思う。

コンビニ弁当の白身魚のフライ

今日は福澤先生の誕生日のため休みだ。たまった仕事をほっぽりなげて、師匠が「国際関係論の担当者必見」と推薦する『ダーウィンの悪夢』を見てきた。渋谷のシネマライズで19日まで上映している。

アフリカのビクトリア湖に放流されたナイルパーチという魚が引き起こした悲劇のドキュメンタリーだ。これはアフリカのローカルな悲劇ではなくグローバリゼーションがもたらした悲劇だ。大型で良質の白身がとれるナイルパーチは工場で加工されてヨーロッパと日本に輸出される。日本では別名「白スズキ」となってコンビニ弁当や学校給食の「白身魚のフライ」に化ける。

ビクトリア湖周辺の人々はナイルパーチが作りだした産業で潤う一方で、湖の環境は大きく代わり、新たな貧困と暴力が生まれている。

情報通信技術から見るグローバリゼーションは良い側面が目立つ。しかし、この映画が描くグローバリゼーションは圧倒的に悲劇的だ。そして、自分に何ができるのかが分からないことが腹立たしい。コンビニ弁当をボイコットしてもさしたる変化はないだろう。知らず知らずに貧困と暴力にわれわれは加担している。忸怩たる思いだ。次は『不都合な真実』を見に行かなくては。

箱根駅伝

20070103hakone

箱根駅伝を沿道観戦。写真は順大のアンカー。長い時間待っているのにランナーはあっという間に走り去ってしまう。速い。

我が校が出るのはいつのことやら。

半学半教

松永安左衛門が慶應義塾に入学してまもなくのこと、校庭で教師を見かけて、すれ違いざまあわててお辞儀をした。ところが、それが終わるか終わらないうちに、後からポンポンと背中をたたく者がある。だれだかわからない、まったく知らぬおじいさんであった。
「お前さん、今、そこで何をしていたんだね。」
「先生にお辞儀をしました。」
「それはいかん。うちでは、教える人に途中で会ったぐらいでいちいちお辞儀をせんでもいいんだ。そんなことをはじめてもらっちゃ困る。」
 あっけにとられて、あらためてその老人を見たら、それが福沢先生であった。
「お前さんは入ったばかりだから言っとくが、うちではお前さん方を教えているのは生徒の古い方で、お前さん方の仲間、いわば同格だ。ただ少し早よう入って年も上、勉強もちっとは進んどるだけなんだ。つまり、お前さん方の先に立って少し難しいことを覚えて、そこでいっしょに臨講していてくれるにすぎんのじゃ。ここで先生といえば、まあこの私だけなんじゃが、この私にもいちいち用もないのにお辞儀なぞせんでいい。ごく自然な会釈だけでたくさんだ。」

加藤寛『なぜ、今、「学問のすすめ」なのか?—福沢諭吉の2001年・日本の診断—』PHP研究所、1983年、260〜261ページ。

古本屋で見つけた本の一節。この本が出た頃はSFCの構想すらなかったのだろうな。

学生の卒論を読みながら学んだり、反省したりしているうちに、「半学半教」の話を思い出す。

やわらかな心をもつ

たまった新聞を読んでいたら、12月20日の日経夕刊で梅田望夫さんが、小澤征爾、広中平祐、プロデューサー萩元晴彦『やわらかな心をもつ—ぼくたちふたりの運・鈍・根—』(新潮文庫)を紹介していた。梅田さんが海外で生活して早起きして勉強するきっかけになったという本だ。

近所の本屋に行ったら、小澤征爾『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)も隣にあったのでついでに買ってきた。『やわらかな心をもつ』を読み始めたら、最初のところに『ボクの音楽武者修行』の紹介が出てきたので、『ボクの音楽武者修行』を先に読み始める。

小澤征爾さんの音楽は数年前にベルリンで聞く機会があったきりで、大した予備知識はないのだけど、その成功物語に驚く。最初にヨーロッパに行ったときは、スクーターとともに貨物船に乗って、60日かけて船旅をし、フランスをスクーターで旅してパリにたどり着いた。しばらく語学などを勉強して、ブザンソンというところで開かれた指揮者のコンクールで優勝してしまう。

それからヨーロッパとアメリカで修行が続き、日本に凱旋するところまでの話が、当時の手紙とともに語られている。日本にいたときには決して恵まれた環境ではなかったようだけど、留学して言葉の壁をあっさり乗り越えて成功してしまっている。音楽というユニバーサルなものだからこそできるのかもしれないけど(しかし、そうはいってもクラシック音楽はヨーロッパ色が強いはずだ)、見事なものだ。

『やわらかな心をもつ』は、数学者の広中平祐との対談。二人の全く違うタイプの天才が語り合っている。私も大学院生の時、副題にもなっている「うん・どん・こん」という言葉については聞かされた。学者になろうという人には大事な言葉だと思う。この本が語源なのかと思ったら、そうでもないようだ。

数学の世界は、割と正解がはっきりした問題ばかりをやっているのかと思っていた。しかし、先日、昼飯を食いながら同僚の数学者と話していたら(数学者と気軽に話せるのがSFCのすばらしいところだ)、数学の世界でも社会と同じようにどんどん新しい問題が生まれてきていて、それに対するアプローチは一つではないという。広中さんの話を読んでいてもやはりそうなのだと確認する。

二人はどうやら天才のタイプが違う。小澤さんは集中力がずば抜けているらしい。朝3時か4時に起きて一気に譜面の勉強をする。その分、演奏会の後は音楽のことはけろっと忘れてお酒を飲んで寝てしまう。広中さんは考え続けることができるらしい。数学の問題は解くのに数年かかることもある。努力し続けることができる(あるいは努力を努力と思わない)のが天才の条件なのだろう。小澤さんは若いうちに嫉妬心を殺すことを覚え、広中さんは元来「鈍い」のだそうだ。この辺も実は重要な点だろうなあという気がする。他人と自分を比べていたらきりがない。

音楽家、学者、そして教育者としての話、それにアメリカ生活の話もとてもおもしろい。音楽や数学を専門としていなくても楽しく読める本だ。

天才にはほど遠い私も一時期はずっと早起きをしていたのだけど、最近は諸般の事情があって諦めて、普通の時間に寝て普通の時間に起きている。相変わらず夜のつきあいはあまりしないので体調は少し良くなった気がする。しかし、問題は生産性が上がっているか、下がっているかだ。もう少し見定める時間が必要だ。

仕事納め

大学教員にはあまりきっちりとした「休み」の制度がない。裁量労働といえばそうだし、過少労働の人も過剰労働の人もいる。私は要領が悪いのでダラダラと仕事をして過剰労働気味である(無論、パフォーマンスがどうかは別の話)。

しかし、外でしなければいけない仕事は昨日で終わり。某所の勉強会で急場しのぎの発表をして、懇親会で楽しいお酒を飲んできた。大学の事務室も今日で終わりなので、一応の仕事納めだ。無論、休みに入っても原稿を書いたり、卒論、修論、博論を読まなくてはいけないからほとんど休みにはならない。外で拘束される時間がなくなるというだけだ。

ポロポロと外国からクリスマス・カードが届くのだけど、12月の忙しい時期によく書けるなと思う。日本は年末がやたらと忙しいけど、たぶん、アメリカではそれが少し早く来て、感謝祭あけからは休みめがけて猛烈モードに入るんだろうな。私は相変わらず年賀状を書いていない。こちらからあまり出さないから届く年賀状は減り続けている気がするが、初めて会った人から来てしまうので無くなるわけでもない。来年は仕事始めが実質的に9日(火)だから、大学に届いている年賀状を見て、申し訳ない思いをするような気がする。

私は忙しくなると新聞を読まなくなる。今日になって読もうと思ったら12月10日からたまっていた。毎日メールやウェブは見ているから、大事件を知らないということはもちろんない。しかし、やはり見落としている記事にへえっと思ったり、あの人が言っていたのはこの話かと思うこともある。つまり、インターネットも従来のマスコミもそれなりに居場所があるはず。

今年は通信と放送の融合がずいぶんと議論になったが、あんまり「融合」は進まないのではないかなあと思う。せいぜい「混合」ぐらいじゃないだろうか。この話は12月15日のコンテンツ政策研究会でも話したが、賛否両論あった。来年のバズワードは何なのだろう。

戦争と情報

20061207chuchill二泊四日で英国に出張。

帰国便は夜だったので、午前中の用事を済ませた後、午後はチャーチル博物館を見に行く。ブレア首相のいるダウニング街10番地のすぐ裏手にあって、非常にこぢんまりとした入り口だ。実はここは第二世界大戦中の内閣が置かれていたところで、この入り口から先が複雑な地下施設になっている。閣議が開かれた部屋や、チャーチルの書斎、寝室、キッチン、スタッフの寝室、通信室、作戦室などがあって展示されている。その戦時内閣室(War Cabinet Rooms)の奥にチャーチルの博物館がある。

ところで、第二次世界大戦中の日本の暗号が解読されていた話はよく知られている。しかし、なぜ日本はそれほど情報を軽視したのか、その理由がよく分からない。

谷光太郎『情報敗戦』(ピアソン・エデュケーション、1999年)を読むと、日本の参謀本部はドイツを手本にしていたからだという説明がある。プロイセンの伝統を受け継ぐドイツでは情報参謀よりも作戦参謀のほうが幅をきかせていたのに対し、フランスや米国では両者が対等な関係にあった。日本はドイツをまねしてしまったために、情報よりも雄弁を好む作戦参謀の暴走を許したということらしい。

そこで、渡部昇一『ドイツ参謀本部』(中公文庫、1986年)を読んでみる。しかし、ドイツの参謀のヘルムート・モルトケが電信を重視するなど情報を重視したことは書いてあるが、情報参謀と作戦参謀の力関係については何も書かれていない。

飛行機の中で、大江志乃夫『日本の参謀本部』(中公新書、1985年)を読む。これによると、モルトケの推薦を受けたお雇い外国人のクレメンス・メッケルを通じて、確かに日本はドイツの影響を受けていたことが分かる。もっと興味深いのは、明治の元老・山県有朋が情報政治家、謀略家であり、山県の影響が陸軍に強く残り、「日露戦争を契機として情報活動とは謀略活動であると考える伝統が成立した」ということである。こうなってしまうと、まっとうな精神の持ち主が情報を忌避したくなるのが分かる。

20061207churchill2

しかし、チャーチルは、「すばらしいこととは、それが何であれ、真実の姿を得ることだ」といっている。ここが違いだろう。

スター・プレーヤーの中途採用は危険である

ボリス・グロイスバーグ、アシシェ・ナンダ、ニティン・ノーリア「スター・プレーヤーの中途採用は危険である」『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2004年10月号、135〜148ページ。

二年前の記事だが、たまたま読んでおもしろかった。金融アナリスト1052人の調査の結果、スター・プレーヤーが引き抜きにあって移籍すると、たいていはパフォーマンスが落ちてしまうという。

スター・プレーヤーは、個人の能力の要素も大きいものの、組織やチームワークによってもそのパフォーマンスは大きな影響を受けている。元の実力が移籍先で簡単に出せるわけではない。高額の報酬で入ってくるスター・プレーヤーを元からいる人たちがよく思わないことも多い。組織になじむのに二、三年かかるし、一度移籍した人はまた移籍しやすくなるともいう。

プロ野球を見ていてもそうだし、大学でも当てはまる気がする。

筆者たちの結論は、忠誠心の高い生え抜きのスター・プレーヤーを育てるべきだというもの。

組織は人事。難しい(私は人事に一切関わっていない。念のため)。

ネットワークの中立性と表現の自由

ネットワークの中立性が少しだけ世の中の話題となっている。この問題はいろいろな様相を見せているので、理解しがたい。

先日、あるところでの議論で、アメリカの中立性論議は表現の自由の問題にまで発展していてやりすぎだ、という話があった。日本の文脈でそれを論じるのは確かに少し無理があるかもしれない。

しかし、アメリカの政治や法律を学んだことがある人は、それほどかけ離れた話だとは思わないはずだ。というのも、情報公開法にあたる「情報自由法(FOIA)」の論議では、表現の自由の前提として情報への自由なアクセスが必要となるという認識が共有されているからだ。

情報自由法は、政府の情報独占に対抗するために市民が持てるツールである。政府が持つ情報とは、国民の税金によって活動した結果として持つようになった情報なのだから、当然国民のものである。国民が政府情報にアクセスするのは当然の権利だというのが情報自由法の論理である。

表現の自由とは、好き勝手なことを言うことではなく、政府の規制や検閲に怯むことなく自由な発言ができるということである。政府に対する批判を行うには、政府情報に自由にアクセスできなくてはならない。

そして、この考え方は、アメリカの中では、政府だけでなく公開企業の持つ情報や、市民活動に関わる広範な情報にも適用されるようになっている。情報は民主主義の通貨であるからだ。

こうした考えが背景にあって、インターネットは自由でなくてはならないという思想も形作られてきた。無責任な自由をインターネットの中で求めているわけではない。したがって、ネットワークのトラフィックを差別するということは、情報への自由なアクセスを奪うことにつながり、表現の自由を損なうおそれがある、というのがアメリカでのネットワーク中立性論議の「一つの」側面だ。

この文脈を理解するのにはそれなりの時間がかかるし、日本の文脈とは異なるということを考えれば、日本のネットワーク中立性論議にこの話を持ち出すのは不適切かもしれない。しかし、このアメリカの文脈を理解していなければ、グローバルな存在としてのインターネットを理解することも難しいだろう。

ネットワーク中立性の話を、「アメリカと日本は違う」と切り捨て、単純化し、日本の国境の中に閉じこめた話にするのは、それこそ議論を歪めることにならないだろうか。インターネットはグローバルな存在なのだから。

コンテンツ政策研究会2006年総会

1 コンテンツ政策研究会2006年総会
 日時 12/15(金)17:00〜19:00
 場所 慶應義塾大学東館6F
    東京都港区三田2-15-45
    http://www.keio.ac.jp/access/mita.html
 テーマ コンテンツ政策2006〜2007
 参加費 無料

2 懇親会
 日時 12/15(金)19:30〜21:00
 場所 白十字
    東京都港区芝5-14-2 徐ビル
   (慶應東館から東門を出て1分)
    Tel;03-3451-1219
 参加費 社会人5,000円  学生3,000円

ご参加いただける方は、事務局<contents@ifit.or.jp>あてメールにてご連絡ください。
それぞれ定員がありますので、満席になりましたらご容赦ください。