ハッカー誕生の地

久しぶりにアメリカに行ってきた。ワシントンDCは2005年9月以来だろうか。前職のときはしょっちゅう行っていたが、最近は海外出張に行く時間がなくなってきたのがさびしい。

しかし、ワシントンは東京以上に蒸し暑くて大変だった。いろいろ聞いて回ったが、イラク戦争一色で、議会が民主党主導になってしまったために、イラク戦争以外のアジェンダは大統領選挙の結果待ちになっているという。それにしたって大統領選挙まで16カ月もあるだろうに。

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今回一番おもしろかったのは、日帰りで行ってきたボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)。MITの卒業生でもある教授が案内してくれた。左の写真は、かつてハックのひとつとして消防車が乗っていたことのあるドームだ。

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表玄関の中のホールに「Established for Advancement and Development of Science its Application to Industry the Arts Agriculture and Commerce」と書かれている(ちなみに昔はUをVと表記したそうで、INDUSTRYがINDVSTRYになっている)。これが建学の精神なのだそうだ。ハーバード大学が真実の探究をモットーにしているのに対し、MITは応用科学をモットーにしている。写真にある「APPLICATION」が重要なのだ。わがSFCはなぜかハーバード関係者が多いのだが、慶應の実学の精神やSFCの総合政策学という視点から言えば、MITのほうが近いのではないかと思う。SFCの将来について議論をするとき、リベラル・アーツ・カレッジにしたい人と、リサーチ・ユニバーシティにしたい人との間で常に議論がある。私はどちらかというと後者だが、新学部長は前者だ。

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教授に案内してもらった後、今度は一人で有名なところを探しに行った。ハッカー誕生の地である。スティーブン・レビーが『ハッカーズ』でハッカー誕生の地としたのはMITのTech Model Railroad Club (TMRC) という鉄ちゃんたちのサークルだ(左の写真にあるドアの右側にある部屋)。見学の予約をしていなかったし、ミーティング時間とも外れていたので中は見られなかったが、なかなか感慨深いものがあった。SFCの教員にやたらと鉄ちゃんが多いこともMITとの共通性を感じさせる。

MITは理工系大学として誕生したのに、経済学や政治学もやたらと強い。理工系の研究者が2/3なんだそうだが、それでもノーベル経済学賞をとった人がたくさんいるし、国際政治も強い。日本の国際政治学者でも、猪口孝、田中明彦、薬師寺泰蔵、山影進といった先生たちがMIT出身だ。その辺のところを先述の教授に聞いてみると、「科学技術の研究だけでは社会への応用を考えるにあたって不十分だから、社会科学や人文科学にも力を入れることにした結果だ」という返事だった。実にいいねえ。

適々豈唯風月耳

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土曜日、日帰りで大阪に出かける。朝7時20分の新幹線に乗り、用事の前に適塾を見に行く。言うまでもなく福澤諭吉先生が蘭学を学んだところだ。地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅から5分ぐらいのところで、日本生命のビルに囲まれている。今は大阪大学が所有している。

受付を入ってすぐのところに福澤先生の軸が飾ってある。

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適々豈唯風月耳。
渺茫塵芥自天真。
世情休説不如意。
無意人乃如意人。

「適を適とする、すなわち自分の心に適することを適とする、言い換えると自分の心に適うことをたのしむ生活、それは何も自然の風月をたのしむだけのものではない。むしろ広くて見定めがたい俗世間に天の理にかなった真実があるというものだ。世の中が自分の思い通りにならなくても、何も不満をこぼすことはないではないか。ことさらたくらむことなく真実に生きる人こそ、自分の思いを達する人なのだ。」(展示解説より)

いいなあ。

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二階にはヅーフ辞書(蘭和辞書)が置かれていたというヅーフ部屋がある。『福翁自伝』から想像していたよりも小さい。

「会読の準備のために、適塾内に一揃えしかないヅーフ辞書のまわりには多くの塾生たちが入れかわり立ちかわり押しよせて、この辞書を手にとることも容易でなく、ヅーフ部屋には燈火が一晩中たえなかったといわれています。塾生たちはむつかしい原書を読み解くのに、面目にかけても他の塾生から教えてもらうことはなく、完全に自分で考え工夫をして説をつけ、それで塾生同士おたがいに学力をたたかわすことを誇りにしていました。」(展示解説より)

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ヅーフ部屋を抜けたところに塾生大部屋がある。ここも想像していたよりもはるかに狭い。

「適塾には、常時百人をこえる塾生がいて、外から適塾へ通ってくる外塾生と、適塾内で起居する内塾生とがありました。内塾生はこの塾生大部屋を中心に、一人当たりたたみ一畳分だけの広さが割り当てられ、その中に机や夜具をおき、学習したり寝起きしたりしたのです。毎月末には、この割り当ての場所の席換えが行われ、その月の会読での成績順に上位の者から好みの場所を占有することができました。悪い場所に当った者は、みんなの通りみちになって夜間に踏み起こされたり、勉強するのに昼間もあかりをともしたりしなければなりませんでした。」(展示解説より)

畳一畳分とは実に狭い。しかし、仲間がいるから良い勉強になったのだろうな。今は途方もなく大きくなってしまったけれど、慶應義塾の原点はやはりこの適塾なのだろう。

みやじ豚BBQ

土曜日、キャンパスで熊坂研、井庭研と合同研究発表会をした後、みやじ豚のBBQをする。寒かったけど、うまかった。普段違うことをやっている人たちと研究について議論できるのはいいね。広い意味での社会学つながりだけど、それぞれのアプローチや手法が全然違うことが分かって刺激になった。写真はこちら

半学半教

松永安左衛門が慶應義塾に入学してまもなくのこと、校庭で教師を見かけて、すれ違いざまあわててお辞儀をした。ところが、それが終わるか終わらないうちに、後からポンポンと背中をたたく者がある。だれだかわからない、まったく知らぬおじいさんであった。
「お前さん、今、そこで何をしていたんだね。」
「先生にお辞儀をしました。」
「それはいかん。うちでは、教える人に途中で会ったぐらいでいちいちお辞儀をせんでもいいんだ。そんなことをはじめてもらっちゃ困る。」
 あっけにとられて、あらためてその老人を見たら、それが福沢先生であった。
「お前さんは入ったばかりだから言っとくが、うちではお前さん方を教えているのは生徒の古い方で、お前さん方の仲間、いわば同格だ。ただ少し早よう入って年も上、勉強もちっとは進んどるだけなんだ。つまり、お前さん方の先に立って少し難しいことを覚えて、そこでいっしょに臨講していてくれるにすぎんのじゃ。ここで先生といえば、まあこの私だけなんじゃが、この私にもいちいち用もないのにお辞儀なぞせんでいい。ごく自然な会釈だけでたくさんだ。」

加藤寛『なぜ、今、「学問のすすめ」なのか?—福沢諭吉の2001年・日本の診断—』PHP研究所、1983年、260〜261ページ。

古本屋で見つけた本の一節。この本が出た頃はSFCの構想すらなかったのだろうな。

学生の卒論を読みながら学んだり、反省したりしているうちに、「半学半教」の話を思い出す。

仕事納め

大学教員にはあまりきっちりとした「休み」の制度がない。裁量労働といえばそうだし、過少労働の人も過剰労働の人もいる。私は要領が悪いのでダラダラと仕事をして過剰労働気味である(無論、パフォーマンスがどうかは別の話)。

しかし、外でしなければいけない仕事は昨日で終わり。某所の勉強会で急場しのぎの発表をして、懇親会で楽しいお酒を飲んできた。大学の事務室も今日で終わりなので、一応の仕事納めだ。無論、休みに入っても原稿を書いたり、卒論、修論、博論を読まなくてはいけないからほとんど休みにはならない。外で拘束される時間がなくなるというだけだ。

ポロポロと外国からクリスマス・カードが届くのだけど、12月の忙しい時期によく書けるなと思う。日本は年末がやたらと忙しいけど、たぶん、アメリカではそれが少し早く来て、感謝祭あけからは休みめがけて猛烈モードに入るんだろうな。私は相変わらず年賀状を書いていない。こちらからあまり出さないから届く年賀状は減り続けている気がするが、初めて会った人から来てしまうので無くなるわけでもない。来年は仕事始めが実質的に9日(火)だから、大学に届いている年賀状を見て、申し訳ない思いをするような気がする。

私は忙しくなると新聞を読まなくなる。今日になって読もうと思ったら12月10日からたまっていた。毎日メールやウェブは見ているから、大事件を知らないということはもちろんない。しかし、やはり見落としている記事にへえっと思ったり、あの人が言っていたのはこの話かと思うこともある。つまり、インターネットも従来のマスコミもそれなりに居場所があるはず。

今年は通信と放送の融合がずいぶんと議論になったが、あんまり「融合」は進まないのではないかなあと思う。せいぜい「混合」ぐらいじゃないだろうか。この話は12月15日のコンテンツ政策研究会でも話したが、賛否両論あった。来年のバズワードは何なのだろう。

創発する社会@ORF

Souhatsu_coverh1on國領二郎編著『創発する社会—慶應SFC〜DNP創発プロジェクトからのメッセージ—』日経BP企画、2006年。

ちょっと宣伝。今月22日、23日のORF(Open Research Forum)2006に合わせて発売。私も少しだけ書く。プロジェクトは参加していてすばらしく刺激的で創発的。そうした雰囲気がうまく本を通じて伝わるといいのだけどどうだろう。この画像では分かりにくいが、表紙カバーに少し凹凸がついていて、おもしろい。

書籍自体は22日朝から下記二店舗で先行発売。

◎丸善 丸ビル店
◎丸善 丸の内本店(オアゾ内)

ORFでも関連セッションあり。

「慶應SFC〜DNPセミナー『創発する社会』」11月22日(水)18:00-19:30

ORFでは他に二つのセッションに顔を出す予定。

「クリエイティブ社会のための法制度-クール・ブリタニカとクール・ジャパン」11月22日(水)14:00-15:30

「SFC研究プロジェクト見学会」11月23日(木・祝)10:00-11:30 ※高校生向け

あの香りの原因

わがSFCの卒業生はすでに1万人ぐらいになるらしい。そのほぼ全員が驚き、失望したのが、あの「香り」であろう。雨が降った後などにキャンパス中に漂う強烈な「香り」である。おしゃれなシティ・キャンパスでないことは分かっていても、あの香りと慶應のイメージとは明らかにかけ離れており、新入生をがっかりさせてしまう。

その原因についてはすでにSFC CLIPが詳細なレポートを出している。この辺から香りが飛んでくる。

誰もが忌み嫌うこの香りなのだが、一度この豚肉を味わうと許せるようになるという噂がある。

藤沢市遠藤近辺ではSFCができる前から畜産が行われていたとのことで、頑張っているのがみやじ豚.comである。SFCの卒業生の宮治さんがやっている。しかし、ここの豚肉はなかなか手に入りにくいらしい。

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そのみやじ豚をなんとlunch_lunchさんが苦労してなんとか入手し、バーベキューに持ってきてくれた。この写真ではそのおいしさは伝わらないと思うけど、やはり許してしまおうかなという気になった。mshoujiさんやktagumaさん他、皆さんもありがとう。

真鶴で合宿

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真鶴で2泊3日の研究会(ゼミ)合宿をしてきた。真鶴の港が見下ろせる旅館。3日間、畳の生活だと実に腰が痛くなる。ネット接続も不可。PHS接続でスパムメールの語源となったモンティ・パイソンのビデオをダウンロードしようとしたが無理だった。ブロードバンドのありがたさを実感。10年前はネット接続といえば夜11時から朝8時だったよなあと。

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7人が無事に卒論を書き終えた。にぎやかな7人がいなくなると寂しくなる。最後にみんなでタッチフットを体験。普段元気のない連中も楽しそうに走り回って大声を出しているのが印象的だった。スポーツはいいもんだね。

今日はこれから日帰りで浜松に取材。そういうわけでメールの返事が遅れ気味。ごめんなさい。

早朝

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昨晩はDMCのクリエイティブ産業政策フォーラムに出るものの、今日の朝の授業の準備ができていないために早々に帰る。今朝はいつもと違って2コマ連続で授業がある。

夜中にだいたい準備が終わって寝ようかと思ったら、またもや頭を悩ませるメールが届いて、返事を書いているうちに遅くなってしまう。

でも早起きして余裕を持ってキャンパスへ来る。携帯の写真ではなかなか表現しきれないけど、SFCは朝がきれいだ。

土曜日の仕事

昨日(土曜日)、学内の仕事のために朝からキャンパスへ行く。夕方までびっちりと仕事なのかと思ったら思いがけず昼でいったん終わってしまい、午後4時半の会議までぽっかり時間が空いてしまう。こんなことは久しぶりだなあと思い、やるべきことはいっぱいあるはずなのに何をしていいのか分からなくなる。

たまたま机の上にあった学会誌を読み始めるとなかなかおもしろい。ここ数年は学会にもろくに顔を出していないから、最新の状況についていっていないという漠然とした恐怖感があるが、それも少し和らぐ。学会誌に出ていた論文と図書を探しにメディア・センターに2回出かけ、コピーをとる。土曜日のキャンパスは人が少なくて居心地がいい。学生も教員もORFで疲れてあまり来てないのだろう。ダイゼン先生が連続授業をやっているのに出くわした。この人は学事から逃げるのにかけては天才的にうまいのだが、実は面倒見がいい。

午後4時半からの会議は事情で開始が遅れて5時過ぎに開始。午後5時に開始予定だった次の会議も遅れてしまう。この10月から出なくてはいけない会議が増えたけれども、総じてこのキャンパスは会議が早くていい。特に学部長たちが司会だと、みんなせっかちかつ多忙なので早い。

そういえば、先日、三田キャンパスを歩いているときにSFC出身のK先生に会う。かっちりとしたスーツを着てるのでどうしたのかと聞いてみると教授会があったそうだ。ネクタイしてないほうがおかしいという雰囲気らしい。SFCの合同教員会議だとネクタイしている人のほうが少ないんじゃないかなあ。

ORFで村井先生と大前研一さんが対談したとき、あえて三田や日吉から遠いところに新しいキャンパスを作ったのが慶應のウィズダムだと大前さんが言っていた。築地から三田に移ったときは三田の丘はド田舎だった。三田が都会になってから作った日吉や矢上もド田舎。日吉が都会になりつつあるときに作ったSFCもド田舎。あと50年ぐらいするとSFCも都会になるのかな。すでに山形にもキャンパス作ってしまっているけどね。人間を変えるには、場所を変えるか、つきあう人間を変えるか、時間を変えるしかないそうだ。慶應義塾の傘の下に違うカルチャーがあるから緊張感があっておもしろい。