日本学会事務センター

預かり金流用の「日本学会事務センター」が破産へ」(YOMIURI ON-LINE)

先月、各学会からの預かり金の流用や深刻な財務状況が表面化。財団は同月、再建計画を策定し、文科省に報告するとともに、各学会に返済の猶予を要請。金融機関にも援助を求めるなどしたが、受け入れられなかった模様だ。

某学会からこの件についてお知らせが来た。困ったものだ。学会運営は大変そうだからアウトソースしたのだろうけど、アウトソースもいいことばかりではないなあ。

4日間で252通

ソウルから戻った。今回は4日間で252通のスパム/ウイルス・メールが届いた。若干少な目か。

今週は韓国の休暇のピークだった。そのせいでソウル名物の渋滞がだいぶ緩和されており、めずらしく一度もアポに遅刻することがなかった。会いたい人にはほぼ会えたので、とても充実していた。

ただ、やはり蒸し暑いので、疲れた。ソウルは車優先で街並みが作られている。片側8車線という広い道路があるが、歩行者は横断するのに地下道を通らなくてはいけない。エスカレーターはほとんど設置されていないので、階段を上り下りする機会が多い。小さい子供連れや老人にはつらいだろうなあといつも思う。

やはり韓国では冬ソナは人気がなかった。ペ・ヨンジュンは10年前のアイドルという評価で、角刈りマッチョを求める韓国の男性像とは一致しない。「なぜ日本で人気あるの?」というのが一般的な韓国人の見方だ。

何度かデモに出くわした。中心街で数百人の警官が集まっているから何事かと思ったら、イラク派兵に反対するデモ・グループがアメリカ大使館突入を計画していたらしい。いやあ激しいなあ。これほど大規模な警官隊の投入は久しぶりとの通訳さんのコメント。

フロンターレ

客員研究員をしているF総研の親会社がサッカーの川崎フロンターレ(J2)のスポンサーをしている。今日はFグループの社員は、社員証を見せると無料観戦ということだったので行ってきた(私も社員証をいただいている)。

久しぶりのサッカーはなかなか良かった。それにフロンターレはコンサドーレ札幌相手に6対0で快勝。暑くもなく、楽しかった。無料観戦デーのせいなのかどうかは分からないが、J2の試合でも8000人以上入っていた(もちろん満席じゃないけどね)。

地元にスポーツ・チームがあるのはいいなあ。

南米は遠い

昨日、ようやく帰国した。リマからロサンゼルスまで約8時間、5時間の待ち合わせの後、成田まで約10時間。映画を何本も見て、ヘトヘトなって眠ってを繰り返した。今回は12日間でスパム総数は846通。

リマ

リマに着いた。南半球はもう秋で、サマータイムは終わっているからロサンゼルスからリマのフライトは8時間半だった。ランチリ航空は先進国と変わらない設備とサービスで悪くない。スターアライアンスでないのが残念。

夜の12時半到着と言うのに空港にはわんさか人が溢れている。白タクが多いのは当然か。われわれにはガブリエラさんとホセさんが迎えに来てくれたので助かった。

リマは霧に包まれているが、まったく雨は降らないそうだ。ガブリエラさんは東京に来たときに初めて傘をさしたとか。リマでは傘も売ってないらしい。

チュニス(4)

いよいよチュニス滞在最後の日になった。昼の便でフランクフルトに戻る。

毎朝散歩をしていたが、6時前からカフェの店開きをしたり、店の前を掃除したりしている人がけっこういる。夜遅くまで騒いでいる人が多いのに、早起きの人も多いのは驚きだ。一所懸命掃除をしている姿を見ると、どこの国も変わらないなと思う。

今朝は偶然、魚市場に出くわした。カツオ、サバ、イワシのようななじみの魚から、太刀魚やサメなどもあった。エビも大量に積み上げられている。確かにチュニスのシーフードはおいしかった。残念ながらデジカメのケーブルを忘れたので、帰国してから写真をアップしよう。

チュニス(3)

チュニスにはメディナと呼ばれる旧市街がある。聖書に出てくるメディナかと思ったらそれはサウジアラビアだった。

チュニスのメディナは魔窟のような感じだ。フランス門を越えて一歩踏み込むと「日本人か、中国人か。俺の店をのぞいていけよ」という魔手があちこちから伸びてくる。どうもこういうのは苦手だ。基本的にはみんな親切な人たちなんだろうけど、うっかり話を聞いていると「ガイド料を寄こせ」と言ってくる(実際にカルタゴでやられた)。

カルタゴはチュニスから電車に乗って20分ぐらいのところにある。カルタゴと言えば、森本哲郎の『ある通商国家の興亡』という本を読んだことがあるが、すっかり忘れてしまっていた。現地の人がPunicと言っているのも最初は何かよく分からなかったが、古代カルタゴ人のことらしい(フェニキア人とも言う?)。カルタゴ人は子供を生け贄にしたという伝承があるらしく、トフェという子供のお墓がたくさんある遺跡がある。

出張前にもっと勉強してくれば良かったが、後の祭り。できるだけいろいろなものを見ておいて、後でもう一度勉強しよう。

またもや

またもやネットワークのトラブルらしい。どこに問題があるのか分からないが、SFCのアドレスからメールを送るとブラックホールに吸い込まれるらしい。今朝、たまっていた返事を20通もいろいろなところに書いたのに、どれも届いていない気配だ。SFCのサーバーにトラブルが起きているのか、それともチュニジアのどこかで……。なぞだ。勘弁して欲しいなあ。

チュニス(2)

ADSLが使えないから部屋を変えてくれと頼んだら豪華な部屋に変えてくれた。ADSLは完璧につながる。LANの中では100Mbpsらしい。すばらしいじゃないか。ダイヤルアップではメールの送信もできなかったのだが、これも完璧に動いている。ああ、ネットがつながるというのはすばらしい。

今日の夕方会ったベンチャーの社長はなかなか強烈だった。止めないといつまでも話し続ける。約束の2時間が経ったところでちょうど彼の携帯に電話が入った。これで帰ろうかと思って身支度したものの、彼は20分間携帯でしゃべり続ける。終わったところでありがとうと言おうと思ったら、「まあ座れよ。続きを話そうぜ」ということで、結局3時間半、彼はほとんどしゃべりっぱなしだった。

こちらも負けずに議論したのはWSIS(世界情報社会サミット)のこと。シビル・ソサイエティのメンバーをなぜ歓迎しないのかという点。「民主主義の定義は国によって違うし、チュニジアの場合のシビル・ソサイエティは政党になってしまう」というのが彼の主張。「だからって政府だけがインターネットのガバナンスを論じる主体になるべきだということにはならないだろう」と反論したけど平行線。

最後は「国際電話をかけなくてはいけないから」と言って帰ってきた。

チュニス

チュニジアのチュニスに来た。初めてのアフリカ大陸だが、漠然と抱いていたイメージとは少し違った。建物や町並みはベトナムを思い起こさせる。どちらもフランス文化の影響を受けているからだろう。

イスラム教のせいか女性が一人で歩いている姿はあまり見ないが、ベールもかぶっていないし、男性もひげを生やしていない人がかなりいる。おもしろいのは、やたらとブラブラしている男たちが多いことだ。ホテルは町の中心部の目抜き通りに面しているのだが、ネクタイを締めたビジネスマンが歩くという姿はほとんど見られない。みんなやたらと体を触れ合い、しゃべりながら歩いている。濃密な人間関係が社会の基盤になっているのかもしれない。

ホテルにADSLが設置されている。しかし、つながらない。ケーブルを差し込んでブラウザーを起動するだけでいいと書いてあるのだが、接続を認識しない。ダイヤルアップは28.8Kでつながるのだが、メールの送信ができない。メールを受信はできるのだが返事が書けない。困る。

小澤はすばらしい

ベルリンのイベント・カレンダーを見ていたら、たまたま小澤征爾がコンサートを開くことが分かり、チケットを入手して聞きに行った(昼間はちゃんと仕事しましたよ)。演奏はサイトウ・キネン・オーケストラでほとんどが日本人。客席は少し空きがあるくらいで、当日チケットを入手したのにもかかわらず、指揮者の真後ろ10メートルぐらいの席がとれた。

クラシックをよく知らない私はサイトウ・キネン・オーケストラに正直期待していなかった(スミマセン)。しかし、演奏はすばらしかった。期待をはるかに上回ってダイナミックで迫力があった。(言っては悪いが)指揮者ひとりでこんなに変わるものかと驚いた。みんなのびのびと自己表現していて、今まで日本で見た日本のオーケストラとは段違いだった。

アンコールも終わって、演奏者が壇上からいなくなっても拍手が鳴り止まない。結局、拍手が小澤をもう一度ステージに呼び戻した。そのすばらしさは真にベルリナーを感動させたと思う。

國領ゼミ

昨日、國領二郎先生の大学院のゼミにお邪魔してきた。國領先生のことはグローコムにいるときからずっと存じ上げていたが、具体的な接点が作れなくてご挨拶ができないままでいた。先日、都内で開かれたSFCフォーラムの時にエスカレーターでばったり会ったときにご挨拶させていただいたら、ゼミに誘ってくださった。昨日はブログについて濱野さんが話し、eParticipationについて折田さんが話をしていた。どちらも自分の思いが詰まっている内容で、うまく整理すればいい論文になると思う。いろいろ知的な刺激を受けた2時間だった。

泊まってしまうんですか?

同僚のF先生と話す機会があった。F先生はSFCの研究室にベッドを持ち込み、毎週水曜日から金曜日の2泊3日泊まり続けて研究するらしい(週3日はキャンパスに来なくてはいけないという約束がSFCにはある)。自宅がキャンパスから遠いからというのが理由だが、30歳を過ぎて(失礼)そのパワーはすごい。悩みはずっと研究室にいて運動不足になることだとか。学者も体力勝負だ。

引き際

日米でまたもや引き際が問題になっている。福田官房長官は突然やめた。民主党の菅代表を引きずりおろす計算だろうか。福田さんには次の可能性がある。官房長官の在任記録まで更新した後だから、ちょうどいいといえばいい時期かもしれない。しかし、菅代表には後がない。ここでおろされてしまえば、つらい立場に置かれる。

ただ、民主党が一枚岩でないことも背景にはあるだろう。菅代表の「未納三兄弟」という批判が行き過ぎであったとしても、「菅代表で政権をとる」という一致した思いがあれば、民主党内からも辞任を求める声は出ないはずだ。

アメリカでもラムズフェルド国防長官が集中砲火を浴びている。一年前に戦闘終結を宣言した頃が絶頂だったのかもしれない。

林紘一郎先生が書いている「「引き際」を「科学」する」という文章が参考になる。「自分の引退は自分で決められる」という仮説が虚構だというのは手厳しい。

12日間で651通

出張から帰国。12日間の不在中、すべて電子メールはメール・サーバーに残しておく設定にしておいた(サーバー管理者の方すみません)。その間に届いたスパムやウイルスは約651通。1日50通以上。ほとんどはフィルタでゴミ箱に入るからそれほど気にならないとはいえ、やはり迷惑だ。

メールに返事を書いていない皆様、申し訳ありません。なるべく早く書きます。

バークレーの月

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バークレーに初めて来た。しかし、CFPの会場になっているホテルが大学から遠くて、一度しかいけなかったのが残念。しかし、なんだか小汚いというのが感想。

ホテルそのものは良かった。部屋の中では有線のブロードバンド(といっても128Kbps)、会議場やロビーでは無線の11bが使えた。

部屋からははるか遠くにサンフランシスコ湾をはさんでサンフランシスコが見える。夜になると欠けた月が見えてきれいだった。

CFP2004

今日からアメリカ出張。バークレーでCFP2004に出た後、ワシントンDCとボストンを回る。

CFPは、ネット・プライバシー関連では有名な会議。毎年西海岸と東海岸を往復している。前回2002年に出たときはPGPのフィル・ジマーマンにインタビューできた。「Computers, Freedom and Privacy Conference」という名前はアメリカ人にもインパクトがあるようで、「何だそれ?!」といわれることが多い。

今年はRFIDとポスト9.11関連の話題が多そうだ。クリエイティブ・コモンズのBOFもある。ちなみに、BOFとは、

■birds of a feather {1} : 同じ羽毛の鳥、似たような連中{れんちゅう}、同じ穴のムジナ、同類{どうるい}(の徒)

■birds of a feather {2} : 同じ興味を持つ人たちの集まり◆【同】Special Interest Group

のこと(英辞郎より)。こういう業界用語は最初に聞くと訳が分からない。

釈迦堂遺跡

週末に山梨県の釈迦堂遺跡を見てきた。ここは中央自動車道を建設するときに地面を掘ったら出てきた遺跡。高速道路のパーキング・エリアから博物館に行くことができる。だいたい3800年前頃までの縄文人たちの生活の様子が再現されている。

面白いのは作った土偶をわざわざ壊して、破片をバラバラにして埋めたらしいということ。何のためなのだろう。

そもそも、土偶がなぜ作られたのかはっきりしないらしい。博物館の中のパネルによれば、(1)子供のおもちゃ、(2)装飾品、(3)女神像、(4)病気・傷害・災害の形代(かたしろ:身代わりのこと)、(5)埋葬具、(6)宗教的儀式の祭具、(7)護符(ごふ:守り札のこと)などの諸説があるそうだ。

昔の知恵を忘れてしまうのは何となく悲しい。ネイティブ・アメリカンのイロコイ族は一万年の記憶を語り継いでいるそうだが(ポーラ・アンダーウッド『一万年の旅路』)、そんな部族はめったにない。

今学期初講義

金曜日(9日)に三田で今学期初講義をやった。予想以上に多くて驚いた。念のため150部シラバスを作っていったが足りなかった。しかし、「厳しいよ〜。CもDもつけますよ」と言ったら少し減った。

教室は昨年よりもやや広めの階段教室。やりにくい。黒板ではなくてホワイトボードになったから、書きにくいし、教室の後ろの人も読みづらいに違いない。できれば変えて欲しい。