旅というのは計画しているときが一番楽しいと野口悠紀雄先生が確か『超旅行法』で書いていた。その通りだ。今回は大学の用事で急に頼まれたので、ついでにテネットCIA前長官の講演を聞いてくるか、おまけにレッシグ教授の講演にも足を伸ばすか、と楽しく計画した。しかし、年度末の出張は無謀で、押し寄せてくる仕事に破綻してしまった。kkさん、本当にごめんなさい。
機内では全然眠れず(リチャード・ギアの『Shall We Dance?』は役所広司のバージョンそのままだった)、ようやくサンフランシスコにたどり着く。『風とともに去りぬ』のロケで使われたという豪華なフェアモント・ホテル(カンファレンスの会場なので割引で泊まれる)にチェックインするも、頭痛がとれない。おまけにパソコンの調子が悪い。この際、アップル・ストアでパワーブックを買おうかと真剣に考えている。
ところで、マーク・ブキャナンという物理学者が『歴史の方程式(原題はubiquity)』という本を出している。邦訳の副題は「科学は大事件を予知できるか」である。『歴史の方程式』という題はあまりいいとは思えないが、確かに読み終わるとその意味が分かる。その結論は、戦争や生物の大絶滅や地震の発生を予測することは理論的には不可能かもしれないということだ。
つまり、戦争や生物種の絶滅や地震は、規模はともかく実は頻繁に起きている。それが大規模なものになるかを事前に知ることはきわめて困難である。例えば、マントル・プレートの上にある日本では、体に感じない地震が無数に起きている。しかし、ある時、積み重なったエネルギーが爆発して大地震になる。そこには周期性があるように思えるが、実際にはないため、地震予知はことごとく外れている。戦争においても同じである。歴史家は第一次世界大戦がなぜ起きたのかという点で、いまだに合意ができない。鍵はべき法則にある。
国際政治学で予測は無理なのかとがっかりし始めていたところなので、「地震予知でも経済予測でもことごとくはずれているのです」といわれると、少し安心してしまう。
そういう意味では今回の私の破綻も予測不可能だったといっておこう(できた気もするが)。砂山に落ちる一粒の砂が大崩落を起こしたに過ぎない(←本を読むと分かる)。