Barton Gellman, Dafna Linzer and Carol D. Leonnig, “Surveillance Net Yields Few Suspects: NSA’s Hunt for Terrorists Scrutinizes Thousands of Americans, but Most Are Later Cleared,” Washington Post, February 5, 2006; A01.
日本の新聞でも引用されていたが、ワシントン・ポストが報じたところによれば、昨年末に発覚したブッシュ政権の令状無し傍受の対象になった人は5000人にもなる可能性がある。当初の報道では3000人という数字が出ていたが、とにかく多い。そのほとんどがテロとは無関係だという。
この記事はさまざまな専門家に取材していておもしろい。法律が求めている「probable cause(相当な根拠)」がなければ傍受できないとすると、ほとんど使えなくなる可能性は高くなるが、それにしても5000人を傍受無しでやっているというのは尋常ではない。ブッシュ大統領は記者会見で「30件」と言っていたから、「5000人」という数字のインパクトとは大きくかけ離れている。
この記事がもう一つ面白いのは、ネットワーク分析で使う「degrees of separation」を使っていること。つまり、ケビン・ベーコン・ゲームをテロ分析に援用していることだ。
電子メールの傍受がどう行われているか、少し説明されている点も面白い。
ところで、下記は頼まれて書いた原稿だが、前にもほとんど同じことを書いていた(情けない)ので自分でボツにした。若干付け足されている情報もあるからここに載せておこう。
「毒が回るインターネット——ブッシュ政権の通信傍受と民主主義」
土屋大洋
米国でキング牧師を記念する休日となる1月16日、アル・ゴア前副大統領が演説を行った。ブッシュ政権による令状無しの通信傍受は、行政権の拡大を意味しており、立法、司法、行政の三権のバランスを目指した米国憲法の精神が深刻な危機に陥っていると指摘した。2005年12月、ニューヨーク・タイムズ紙の報道を受けて、ブッシュ大統領は、法律で求められている令状を得ることなく、30件以上の電話や電子メールの傍受を行わせていたと認めた。キング牧師は政府によって通信を日常的に傍受されていたという。この日に合わせてゴア前副大統領はブッシュ大統領を非難したことになる。
対米同時多発テロ(9.11)の直後から、ポスト冷戦の時代に死に体になっていたインテリジェンス・コミュニティ(情報機関)が再び活発になる様子を見るにつけ、いずれこうしたことが明るみになるだろうと考えていた。そもそも外国人を対象とした令状付きの通信傍受は日常的に行われている。それが米国市民を対象として令状無しで行われるようになるのにそれほど時間はいらなかったのだろう。
そもそもインターネットは性善説に立って作られている。プライバシーを守るようには作られていない。電子メールは丸裸のままさまざまなサーバーをすり抜けていく。ウェブ・ページは、普通のユーザーが想定している以上にたくさんの情報を収集している。クッキーやIPアドレスが収集されていることはよく知られているが、さらに、どのOSを使っているか、パソコンの解像度はどれくらいか、どのブラウザーを使っているか、どんな検索語を使ってそのページにたどり着いたかということまでウェブの管理者は把握することができる。
米国の通信事業者は法律によってインテリジェンス・コミュニティに協力することが義務づけられ、協力している事実を公表することは許されていない。公表を認めないことで通信事業者を守っていることになるが、ユーザーはそうした事実を知らされないまま、情報が収集されていることになる。
テロが脅威であることはいうまでもない。しかし、テロは通常の政治制度の中で意見を聞いてもらえない人たちが最終的にとる手段である。テロという行為が許せない行為であることに異論はないが、彼らが本当は何を求めていて、それがなぜ実現されないのか、なぜさまざまな人の意見をすりあわせていく政治制度としての民主主義が機能しないのかを考えることは重要だろう。ゴア前副大統領がいうように米国の民主主義が壊れていっているのなら、アルカイダのねらい通りということだろう。
日本の内閣情報調査室の室長だった大森義夫氏は、インテリジェンスとは毒だと論じている。一匙の毒は薬として効くこともある。しかし、毒が全身に回り、麻痺してしまえばもはや健康体とはいえない。テロを予測し、防止するためにインテリジェンス・コミュニティの役割は不可欠だ。日本について言えば、もっと拡充してもいいはずだと私は考えている。しかし、それをコントロールする目と制度が備わっていなければやめたほうがいいだろう。
米国のインテリジェンス・コミュニティがインターネットを傍受しようと、日本に住むわれわれには関係がないと思うかもしれない。確かにそうだ。しかし、インターネットはグローバルなメディアであり、米国よりももっと、ネット通信傍受を活用したいと考えている政府が世界にはたくさんある。それがインターネットのデフォルトになってしまったとき、日本だけが無縁でいられるかどうか分からない。アジアの一部の政府が日本のネット・トラフィックを傍受しつづけるということも、できなくはないだろう。
性善説に立って作られていたインターネットには深刻な問題がある。インターネットにおける自由を本当に欲するなら、何もしないのではなく、何かをしなくてはならない。PGPという個人用暗号ソフトウェアを開発したフィル・ジマーマンにインタビューした際、「なぜ日本の憲法に、(米国憲法で明記されていない)通信の秘密が書き込まれたのか考えた方がいい」といわれた。通信の秘密と言論の自由は、民主主義にとって不可欠の要素だ。これがなくなったとき、eデモクラシーの神話は崩壊してしまうのではないだろうか。