プリンストン大学を訪問。アインシュタインやジョン・ナッシュがいたところ。村上春樹や江藤淳も滞在したことがある。
国際関係論でいえば、ウッドロー・ウイルソン大統領がかつて学長を務めていた。写真はWoodrow Wilson School of Public and International Affairsの外観。
下は、ウイルソンが学長時代に使っていた部屋(二階)だそうだ。
今、一番の有名教授といえば、経済学のポール・クルーグマンだろうか。国際政治学だとG・ジョン・アイケンベリーがいる。それから、ファカルティの写真を見ていて気がついたのだけど、ロバート・コヘインがデューク大学から移籍してきている。おもしろそうなところだ。
残念なのは、プリンストンにはロー・スクールがないこと。学部教育が重視されており、大学院は、エンジニアリング、アーツ(建築)、公共・国際問題(ウイルソン・スクール)の三つしかないそうだ。ロー・スクールがないとネットのことを論じる人が少なくなる(アメリカではネット問題を論じる人の中で法律家の割合が非常に高い)。
いろいろ話を聞きながら、SFCと比較してみておもしろかった。プリンストンでは(まだ?)一般教養の必修授業があり、二年生が終わるまで自分の専門を決める必要がない。SFCはいきなり一年生から専門科目が学べるので早熟教育になっている(学部の四年生になると学会発表までやってしまう)。プリンストンでは97%がキャンパス内の寮に住んでいるが、SFCには寮がない。大学といってもいろいろなスタイルがあるものだ。
こちらの新聞を読んでいると、ローレンス・サマーズ学長を追い出したハーバード大学関係の記事が目に付く。3月4日付けのOP-ED欄には、John Tierney氏が「Free Harvard! (Or Not)」(有料)というコラムを書いている。大学教授はテニュア(終身在職権)(こちらも参照)で守られているため、人事権を持たない学長(や学部長)が改革を実行できず、大学はいつまでたっても旧態依然としているというわけだ。テニュアを正当化する理由の一つは、テニュアが無くなると、自分のポジションを危うくするような優秀な若い研究者を既存の教授たちが採用しなくなり、大学自体のレベルが下がるというものだ。それは一理あるだろう。コラムでは、結局のところ教授たちに変革を促すのは冷笑しかないという。教授たちのプライドを傷つけるというわけだ。
ついでにいうと、大学というところは、採用するにあたっては研究が重視され、採用されると教育が義務になるというおかしなシステムになっている。素晴らしい教育者であっても研究業績がないと採用されない。素晴らしい研究をする人は素晴らしい教育もできるに違いないという前提で成り立っている。しかし、現実には必ずしもそうではない。まして、テニュアを取ってしまうと、頑張るインセンティブが極端に減る。特に日本の場合は頑張っても給料が増えることはまずない。アメリカの場合は、高額の移籍金と好待遇によって引き抜きがあることはある。しかし、現状に満足している人は、何もしないで過ごすこともできる。
ハーバードはどうなるのか、日本の大学はどうなるのか。
【追記】
明日、アカデミー賞ということで、テレビで『ビューティフル・マインド』が放映されていた。調べてみると、まだジョン・ナッシュはプリンストンで研究している。
http://www.math.princeton.edu/directory/
http://www.math.princeton.edu/jfnj/
懐の広い大学だ。下記にはナッシュの短い自伝が出ている。
http://nobelprize.org/economics/laureates/1994/nash-autobio.html