ここ10日ぐらいのこと

3月4日、小島朋之先生の訃報が届いた。私にとっては大恩人である。私が政策・メディア研究科の後期博士課程にいた当時、主査は学位審査委員会の委員長になれないというルールがあった(今はなくなったらしい)。そこで、委員長を小島先生にお願いし、研究科委員会で学位取得のイニシアチブをとってくださった。私が総合政策学部の助教授としてSFCに戻ってきたときの学部長も小島先生だった。その後も折りに付けていろいろなアドバイスをくださった。まったくもって惜しい人をなくした。定年まであと一年で、定年後はライフワークとして残してある中国の思想家の伝記を書きたいとおっしゃっていたことを思い出す。ぜひ書いていただきたかった。

小島先生の通夜は10日、告別式は11日になった。これを知って二重にショックだった。この二日間、私はトルコの首都アンカラでシンポジウムに参加することになっていた。しかし、もともとこれは私が招待されたわけではなく、代役のそのまた代役だった。だから、この二人の同僚と、もう一人、間にはさまっていた元トルコ大使に連絡し、葬儀に出たいのでシンポジウムはキャンセルしたいと伝えた。もちろん、一度引き受けた仕事なのだからというとまどいもあったが、私にとっては小島先生は大事な人であり、シンポジウムのアジェンダを見る限り、最終日の一番最後の「その他」というセッションが私の出番であり、そのセッションで3人いるうちの一番最後で、おまけのように付いているトピックである。どう見ても私の不参加が大きな影響を与えるとは思えない。

辞退しようかどうか迷っているなか、6日の午後に小島先生の棺を乗せた車が三田キャンパスに来ることになっていた。三田の新研究棟の前でお見送りをし、やはり葬儀に出て皆と一緒に小島先生をお送りしたいと思った。その場に来ていた同僚のSさんとも話してその意を強くし、辞退のメールを主催者に送った。

その日の晩、プロジェクトの慰労会があって、都内のレストランで食事をしていた。レストランは地下一階で、携帯電話の電波が届かないところだった。店を出て携帯を見てみると、留守番電話のメッセージが二件入っているので聞いてみるが、何を言っているのか良く聞き取れない。削除してそのまま帰宅しようと駅まで行ったところ、携帯電話が鳴ったのでとってみると、在アンカラ日本大使館の駐在武官の方からの電話だった。国際電話の上に、駅のプラットフォームで電車が走っているのでよく聞き取れないのだが、どうやらトルコのシンポジウムに来て欲しいということらしい。なぜ日本大使館の人が電話をかけてくるのかよく分からなかったが、検討しますとだけ答える。

帰宅してからメールを開いてみると、主催者からの返事が来ていて、「事情は理解したが、VIPが待っているので今さらキャンセルはできない。準備万端整っているので再考して欲しい」との内容で、何やら脅しがかった文面である。先の駐在武官からも事情説明のメールが入っており、主催者からトルコ軍参謀本部に連絡が入り、そこから大使館の駐在武官に連絡が行き、私をどうしても引っ張り出せという要請を受けたらしい。

何だが強引なやり方だなあと思う一方で、直前になって辞退したことの後ろめたさもある。しかし、なぜ軍の参謀本部が出てこなくちゃいけなのか分からない。小島先生の葬儀を取り仕切るKさんその他に連絡し、何か方法はないかと探る。しかし、通夜が午後7時までで、仮に7時半の飛行機に乗れたとしても、アンカラの空港に着くのは私のセッションが始まる30分前である。無理な話である。仕方がないので、香典をSさんに託し、Kさんのアドバイスに従って供花を出し、学部長と理事の了解を得てアンカラに行くことにした。駐在武官に連絡をし、参加の意向を伝言してもらう。

9日(日)、昼に成田を飛び立つ飛行機に乗り、ミュンヘンを経由してアンカラへ到着。時間は夜の11時。日本時間では朝の6時である。機内では眠れなかったので、徹夜状態だ。タラップを降りると制服を着た軍人がぞろっと立っている。その一人が私の名前を持った札を持っている。名乗るとこちらへ来てくれと言われて、普通の旅客が通らない階段へ連れて行かれ、地上で待っていたミニバスに乗せられる。他にも何人かシンポジウム参加者と見られる外国人が乗ってきた。そして、パスポートと預けた荷物のタグを渡せという。パスポートはどこかに持って行かれたままバスは動きだし、少し離れた建物に着くと、VIPルームに通された。こちらは眠くて仕方ない上に、パスポートまでとられ、軍人にぞろぞろ囲まれて不安で仕方ない。隣に座った参加者らしき二人の英語がまったく理解できない。私の英語力の問題か、彼らのなまりのせいか、はたまた眠気で集中できないせいか。軍人が一人やってきて、私の隣の人のパスポートが受け付けられないと言っている。しかし、その人は「私のパスポートは外交官用だ。そんなはずはない」と食い下がっている。一体何が起きているのだ。

私は20分ほど待たされると、案内がやってきて、空港の外に連れて行かれた。そこには車が待っていて、私の荷物が載せられている。パスポートを返してくれ、これに乗っていけばホテルに着くといわれる。もうどうでも良い気分なので、素直に従って乗り込む。

夜の11時半を過ぎた道路はがらがらである。一般道なのだが、運転手はあくびをしながら100キロを超えるスピードで突っ走る。4車線ある幅広い道路なのだが、車線を示す線が消えかかっており、レース場を走るような感覚である。30分ほどかかってホテル兼会議場に到着する。今度はホテルのレセプションで何やらもめている。どうやら事前に聞いていた料金と違うとか何とかということを4人ぐらいの人がホテルと交渉している。勘弁してくれ〜と思いながらもずっと待たされる。ようやく私の順番が来た。予想外にも私には鍵だけ渡され、スムーズにチェックインできた。ホテルの部屋にはいるとベッドの上に巨大な箱が置かれている。何かと思って開けると、トルコ軍参謀本部からのプレゼントだというティーセットが入っている。こんなでかい箱をどうやって持って帰れというのだ。それでもって何で軍がこんなに出てくるのだ!

翌朝、目が覚めて、窓の外を見ると、テレビの中継車が数台と、軍人がぞろぞろ歩いている。朝食をとろうと思ってロビーに出ると、またぞろぞろと制服の軍人たちが歩いている。どうやらこのシンポジウムは軍の関係のものだと理解し始めた。テーマは「Global Terrorism and International Cooperation」なので、軍人がいても全くおかしくないのだが、軍の主催だとは聞いていなかった。しかし、これは軍が中心になって組織してるのだ。

20080311ankara1.jpg9時になってシンポジウムが始まる。会場は数百人入っている。後で聞いたところでは690人の参加者がいたそうだが、その8割は制服の軍人だろう。すると突然皆が立ち上がった。何事かと思ったら、トルコ軍の総司令官の登場である。彼が挨拶を始めるとフラッシュがたくさんたかれ、数えてみるとテレビカメラも19台入っている。隣に座ったアメリカ人とドイツ人といったいこれは何なんだろうねとひそひそ話をする。挨拶などを聞いていると、どうやら主催している組織はNATO(北大西洋条約機構)が金を出しているらしく、参加している軍人たちはNATOに関連する国の人たちらしい。しかし、なぜNATOのメンバーではない日本から呼ばれたのかよく分からない。

シンポジウムは二日間でキーノートの他に、五つのセッションが用意されていた。それぞれ司会と3人程度のパネリストがいる。全部で34名の登壇者が予定されていたが、何と、3人も来ていない。キーノート・スピーカーの1人まで来ていないのだ。くそお、私も来なければ良かった。しかし、私のパネルはもともと3人のスピーカーが予定されていたのに、私を入れて2人になっている。先に逃げた人がいたのだ。私が来なければ1人になってしまう。そこで焦って私を引っ張り出そうとしたのだろう。

シンポジウム自体は、総司令官の挨拶の後は、テレビカメラが5台に減り、淡々と進んでいく。というのも、ほとんどの人がパワーポイントなどを使わず、用意してきた原稿をただひたすら読み上げ、時間オーバーで途中で無理矢理終わらされるというパターンだからだ。さすがに聞いている軍人さんたちは行儀が良くて、おしゃべりしたり、退出したりはしないのだが、どちらかというと退屈だ。テーマも、テロの定義は何かといった概念的な話が多い。

それにしても、軍のお偉いさんたちは一番前のソファに座って聞いているのに、スピーカーのわれわれは後ろのほうのパイプ椅子というのはひどくないかと思った。実に座り心地の悪い椅子で、ずっと座っていると腰が痛くなる。ぎっちり人が座っており、われわれの席は指定席になっているので、適当に動くこともできない。

一日目の夜、レセプションが開かれることになっていた。私はパーティーが嫌いなので、本当は欠席したかった。しかし、690人もいる中で、アジア顔をしている人はほとんどおらず、おまけにぼさぼさの長髪の男性というのはなかなかいない(軍人はみんな短髪)。そのためどうも目立つらしく、じろじろ見られる。ここで出席しないと後で何か言われるに違いないと思って、無理矢理参加する。ホテルからバスに乗せられて、市内にある軍所有のクラブでレセプションは開かれた。

ここでも主役は総司令官である。テレビカメラに囲まれ、人だかりができて、まるで芸能人のような感じだ。私は英語があまり得意でないトルコ空軍のおじさんと身振り手振りで話す。高校を出てから26年間、空軍一筋だそうだ。たぶんこの国で軍人であるということは良い身分なのだろう。誰に聞いたのか忘れたが、現在のトルコ政府は宗教色が強く、それを軍は快く思っていない。可能性は低いが、軍によるクーデターの期待もあり、総司令官の人気が高いらしい。途中でレセプションを抜け出して、市内を散歩できればいいと思っていたのだが、警備が厳しく、街からも遠いので出られない。おまけに夜は寒くてコートなしでは歩けない。

翌日のシンポジウムも淡々と進む。しかし、アメリカのジョージ・ワシントン大学の元先生の話は比較的おもしろい。しかし、たくさん文字の入ったスライドをぱらぱらとめくっていくので消化不良。もう一人、アメリカのジョージ・メイソン大学の先生の話もおもしろかった。テロの資金源の話だ。

昼食休憩が2時に終わり、ようやく私のセッションが始まった。最初のスピーカーはドイツ人の国連職員で、WMDについての話である。国連のような国際組織は窮屈で、あらかじめ上司の承認を受けたテキストを読み上げることしかできないらしい。ジョークも言えないのかと聞いてみると、言えないという。質疑応答はどうするのかと聞くと、差し障りのない答えしかできないとのこと。大変だなあ。彼女は用意した7ページのテキストをひたすら読み上げていく。

私は普段、テキストを読み上げることはしないのだが、主催者から事前に出してくれと頼まれ、それを読み上げるように言われていたので、一応はそうする。私のゼミのN君に訳してもらった(彼はネイティブ・スピーカーだ)テキストに、いくつかのコメントを加えてパワーポイントを使いながら話をした。テーマはサイバーテロリズムである。外国人相手だし、私の英語も下手なので、読み上げはゆっくり、パワポは文字をレッシグ並に減らし、図を多用して説明した。これが良かったらしく、後で分かりやすかったとお誉めの言葉を多くちょうだいした。居眠りしかかっていた将軍も起き上がり、私に質問をしてくれたのも何となくうれしい。

もう一つ分かったのは、私のセッションは最後のおまけのようなセッションであるのだが、しかし、その後に締めのセッションと、副司令官の挨拶、そして例の総司令官からスピーカーに対して参加証と記念の楯を渡すセレモニーがあるということだ。最後のセッションに私が参加せず、スピーカーが1人だけだと締まらないのでまずいという判断が主催者側にあったのだろう。

シンポジウムの後、何人かの人たちと連絡先を交換し、分かれる。私は日本大使館に戻るという例の駐在武官の方の車に便乗させてもらい、新市街へ出かける。今回はまったく観光の時間がなかったので、せめて街をぶらぶらしたいと思ったからだ。この駐在武官の方は海上自衛隊の飛行機乗りだそうで立派な方だ。私の携帯電話にかけてくる前、トルコ軍の参謀本部に呼び出されたそうで、申し訳ないことをした。車の中でトルコのことを少し話してもらい、新市街で車をおろしてもらってお別れする。

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夕暮れ時で、若い人がたくさん通りを練り歩いている。バス・ターミナルでは帰宅する人たちが並んでいる。スターバックスもちゃんとある。お腹が空いていたので、学生食堂のようなところに飛び込み、写真を指さしてこれを食べさせてくれと頼む。なかなかおいしい。日本のテレビをいつか見ていたら、中東でドバイの次に発展するのはトルコではないかと言っていた。おそらくイスタンブールのことだと思うが、アンカラもなかなかのものだ。古本街みたいな一角があって、たくさんトルコ語の本が並んでいる。自国語で出版ができる国は幸せだ。

ホテルに戻ると、朝の4時10分に迎えの車が来るというメッセージが届いた。フライトは朝の6時10分である。本当はすぐに寝た方が良かったのだが、読みたかった本を読み出してしまい、なかなか眠れなくなる。午前3時に起きられるか不安だったが、目覚ましが鳴る前にふっと目を覚ますと3時だった。しかし、目覚ましは結局鳴らなかったので危ないところだった。この日は結局誰も軍人は登場せず、ミュンヘンまでたどりつく。ここで7時間、仕事をしながら時間をつぶして、成田行きの飛行機に乗り、13日に帰国する。

小島先生の葬儀に出られなかったのはとても残念だった。しかし、私に代役を振ってきた二人は、立場上必ず葬儀に出なくてはいけない二人だった。私は、自分では葬儀に出たかったが、しかし、私が出なくてもさして葬儀そのものに影響はないことを考えると、これも小島先生の深謀遠慮であったのかもしれない。いつものように、にやっと笑ってくださっている気がする。おかげで人脈も豊かになった。別の場所で話をする招待もいただいたことは素直にうれしい。小島先生はいつも外に出て行って頑張ることを期待してくださっていた。そのミッションを忘れずに研究生活を続け、小島先生のご冥福をお祈りしたい。

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