エルサレム、ベツレヘム、帰国

イスラエルは行ってみたい国候補の上位に入っていた。カンファレンスだけで帰るわけにはいかない。

カンファレンスの最終日、知り合いになった地元の日本人が、ヤッフォという港町まで夕飯に連れていってくれることになった。他にシンガポール人2人とドイツ人1人も一緒で計5人。シンガポール人男性とドイツ人男性が、異様に仲が良いのがおかしい。すでに夜だったので簡単にヤッフォを見て歩いてから、テルアビブの夜景が見えるレストランで夕食会。帰りの車を途中で降りた2人はどこへ行ったのやら。

翌日は金曜日。イスラムの休日。おまけに9月11日。毎年この日になると複雑な気分になる。自分の仕事も何となく振り返ってしまう。

この日は無理をお願いして、車でエルサレムとベツレヘムに連れて行ってもらった。金曜のイスラムの休日と、土曜のユダヤの安息日は避けるらしいのだけど、週明けまでイスラエルにいるわけにはいかない。

まずは一度見てみたかった死海文書のミュージアムへ。ここには最近できたばかりのユダヤの第二神殿時代の巨大屋外模型もある。エルサレム旧市街の発掘調査ができないので想像の部分もあるらしい。お目当ての死海文書は、一番良いところだけ展示されているそうだが、当然さっぱり読めない。しかし、ようやく本物を見ることができてうれしい。

次に、イスラムのお祈りの時間を避けるため、オリーブ山へ。ここからはエルサレムの旧市街が一望できる。この日は特別空気が良かったそうでラッキーだった。旧市街からは大音響でイスラムのお祈りの声が聞こえてくる。

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オリーブ山の急な坂道を徒歩で下る。途中にはユダヤ教徒のお墓が並んでいる。下に降りると、礼拝に向かうイスラムの人たちでごった返している。旧市街の中に入ってもイスラムの人たちの人波が続いている。ラマダンも重なっていて、大きな礼拝がある日だったそうだ。

ユダヤの嘆きの壁を見て、迷路のような道をたどって、キリストが十字架を背負って歩いたとされるビア・ドロローサをたどる。狭い道だ。そして、磔になったゴルゴダの丘があったとされる聖墳墓教会を見る。複雑に入り組んだ教会で、人で溢れている。おもしろいのはこの教会のカギを管理しているのはイスラム教徒だということ。一歩脇道にそれるとアルメニア人の教会もある。

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対立しているはずの宗教を背負った人々が背中合わせで暮らしている。エルサレムは不思議な場所だ。

そこからまた車に乗って30分程でベツレヘムへ。ベツレヘムはキリストが生まれたところだが、今はパレスチナ自治区の中になっている。車に乗ったまま自治区に入ると景色が変わる。道路の質が悪くなり、鉄条網がいたるところにあり、ゴミが多くなる。別世界だ。

基本的にユダヤ人は自治区に入れないそうだが、キリストの生誕教会には外国人観光客が押し寄せている。あまりにも長い列ができていて、地下にあるキリストが生まれたという場所には時間の関係で行けなかった。

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帰り際、駐車場でちんぴら風の若い男たちに囲まれた。言葉は分からないし、何を求めているのかも分からない。何かを話しかけてきているが、友好的な雰囲気ではない。そのうちの一人が握手を求めて手を差し出してきたが、その手を握り返すまでずいぶん時間がかかってしまった。たいした会話はせずに車に乗り込んで事なきを得たが、彼らは何を言いたかったのだろう。イスラエルが作った壁に囲まれて暮らす若者は、どんな思いで成人していくのだろう。

自治区を出て、ホテルのあるビーチへ戻ると、楽しそうな人で溢れている。親子連れが海水浴をして、若者はサーフィンをしている。老夫婦はチェアに座って雑誌を読んでいる。大音響で音楽をかける屋外スポーツジムまである。インストラクターのかけ声で何十人も一緒にバイクをこいでいる。黒服の敬虔なユダヤ人もイスラエルにはたくさんいるが、世俗的で享楽的といっても良いユダヤ人も多い。このギャップの存在を受け入れるのは、部外者である私にも容易ではない。

帰国するため、テルアビブからウィーン行きの飛行機に乗る。午前6時45分発で、セキュリティのために3時間前に来いとのことなので、午前2時半に起きて、3時にホテルを出発する。ヨーロッパ便は夜中に着いて、早朝に出発するスケジュールになっている。

ウィーンまでの機中、たくさんの黒服のユダヤ人たちがいた。少年も混ざっている。もみあげが長くて編んだようになっている。離陸前、もう動き出しているというのに何やら立ち上がってお祈りらしい動作をする人、食事前のお祈りなのか座席で頭を激しく前後に振る人、着陸時に拍手喝采する人。違和感は否めないなあ。

往復の機中、ポール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史(上・下)』を読む。カール・マルクスはユダヤ人として生まれながらキリスト教に改宗したために、激しい自己矛盾を抱えていたそうだ。そして、彼が破壊しようとした資本主義とは、金貸し・投資家として資本主義を発展させてきたユダヤの伝統だというのも考えさせられる。

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