論文書き

マクドナルドで本を読んでいた。相変わらず付箋を本にベタベタ貼っていた。一息ついたのでラップトップを広げたところ、近くに座っていた女性が「3分いいですか」と声をかけてきた。

げげ、いきなり宗教の勧誘かと身構える。女性は、「この本に付いている付箋の色に意味はあるんですか」と聞いてきた。色に全然意味はないのだが、よく聞かれる質問だ。本から目をそらさずに付箋を付けるので、いちいち色など気にしてはいない。たまたま手に付いたものを貼り付けているだけだ。

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どうやら女性は修士論文を書いているらしく、どうやって論文を書いたらいいのか分からないらしい。正月からマックで付箋のベタベタ付いた本を読み、ラップトップを広げるのは大学院生だと思って声をかけてきたという(まだ若く見えるのか)。

いろいろ質問を受けた後、「指導教官から指導を受けるコツを教えてください」といわれた。指導教官からまず文献を読めといわれたが、何をどう読んでいいのかも分からず、困っているようだ。

「指導教官は男性ですか」と聞いてみると、やはりそうだった。レナード・サックス『男の子の脳、女の子の脳―こんなにちがう見え方、聞こえ方、学び方―』という本を読んで分かったのだが、先生と学生(生徒)の男女の組み合わせはけっこう難しいらしい。男性の先生は基本的に丁寧なアドバイスを与えたがらず、学生の自主的な取り組みに任せようとする。男子学生ならそれで良いが、女子学生は先生から突き放されたように感じるらしい。

結局3分以上話し込んだが、最後に、「ばんばん投稿論文を書いているんですか」と聞かれた。そうしたいけどできないなあと内心思いつつ、「教える側に回ってしまったので、もうあまりしてませんね」というと、「私の指導もしてもらえませんか」とのこと。それはさすがにね。

彼女にアドバイスをしたのは、たくさん論文を読むということ。論文を読んだことが無い人は論文を書けない。bookishな学生が今は多いから、本のような論文を書こうとする。しかし、論文と本は別のもの。論文が書けても本が書けない人、本が書けても論文が書けない人もいる。

公文俊平先生によれば、村上泰亮先生は、社会科学者は論文よりも本を書けというポリシーだったそうだけど、それは論文を書く能力があった上での話だと思う。日本の学会誌には見るべき論文が多くないということがあるかもしれないけど、海外の学者はちゃんと論文を書いている。売れっ子の学者が本を出す場合、たいていは最初に論争を呼ぶような論文を書いていて、それをふくらませて本にしている。フランシス・フクヤマとかサミュエル・ハンチントンもそう。

たいていのコンセプトや発見は、論文の長さがあれば示すことができる。これから研究者になろうとする人は、まずは論文を書くべきだと思う。そのためにはたくさん読まないと。

ついでに言うと、ネイティブでない私が多大な時間をかけて英語の本を読むよりも、エッセンスの詰まった学術論文をしっかり読むほうが、その著者の言いたいことが短時間で分かるかもしれない。話題の本はほとんどが翻訳されるから、少し待てば日本語でも読める。だから、英語のジャーナルに継続的に目を通すほうが大事なんだろうな。すでに誰かが読んで評判になっている翻訳書を読むよりも、自分で原著論文の目利きができるほうが研究者としては有能だろう。

ちなみに読んでいたのは、マーク・ブキャナン(阪本芳久訳)『人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動―』(白揚社、2009年)。『歴史の方程式』とか『複雑な世界、単純な法則』なんかを書いた人。この本も英語で読むと時間がかかりそう。

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