中根千枝が『タテ社会の人間関係』を書いたのは1967年。ずいぶん経った。
日本社会ではタテの関係が重要、「ヨソ」より「ウチ」が重要といわれてなるほどなあと昔は思った。
もちろん、今でも通じるところがあるのだろうけど、でも世の中はずいぶん変わったなあとも思う。フラット化とか中抜きなんていわれるようになり、上と下だけ見ていれば通じる社会ではなくなった。
若い人たちはどんどん横に移動するし、斜めにも移動し始めている。若い人だけでもない。例えば、いろいろな仕事をしていた人たちが大学院で勉強しようとしたり、大学の教員になろうとしたりする。
素直に大学院生になろうとする人はまだ良いのだけど、社会的経験があるから自分にも授業ぐらいできる、大学教授なんて簡単だと思っている人はけっこういる。
思い切って一般化すると、実業界や政界、官界で著名な人でも、大学教員としてのネームバリューが通用するのは3年ぐらい。3、4年も経つと学生はどんどん入れ替わってしまうから、あるときに一世を風靡した人でも新入生にはネームバリューが通用しない。高校生の狭い世界の中では大人が有名にはなりにくい。芸能人のほうが圧倒的な存在感を持っている。
また、実業界や政界、官界で生きてきた人は、組織に支えてもらってきた部分を軽視している。学者は基本的に個人商店で、自分ひとりでやるか、チームを自分の力で構成しないといけない。大学の外で活躍してきた人たちは、プレゼンの資料も部下に作ってもらっていた人が多い。突然一人で放り出されて、コピーをとってくれる人もいないという事実に唖然とする。
自分の手柄話を学生がおもしろがってくれるのもせいぜい3年だ。下手をすれば1年で飽きられる。SFCの場合だと1年間で少なくとも四つの講義を担当しないといけない(ゼミなどを除く)。それぞれ90分の講義を14回やる。そうすると、90分の講義を56回(14×4)やらなくてはいけないわけだ。いくら講演で引っ張りだこだった人でも56個分のネタを持っている人はまずいないだろう。90分話し続けられる手柄話を56個持っていたらたいしたものだ。
必然的に、大学教員は他人から学ばなくてはならない。論文や本に書いてあること、学会で聞いたことなどを自分なりに咀嚼して学生に伝えなくてはならない。常に学び続けなくてはいけない。部下に資料を作ってもらっていた人には到底つとまらない。大学教員になりたいという相談をよく受けるけれども、大学院で学ぶ訓練を受けていないとけっこうきついのだ。
さらにやっかいなのは、専門家として生きるのが面倒な時代になっているということだ。単なる知識はインターネットにも転がっているし、電子ジャーナルをひけば専門論文も手に入る。誰でもが専門家を気取れる時代だし、ちょっとでも専門家が間違えればすぐにあげ足をとられる。批判するほうは匿名の陰に隠れて言いたい放題でもある。自分で論文を書いたり、本を書いたりして反論するというアカデミックな作法に乗っ取った批判は展開されない。
ひとりの人間が一つの組織に埋もれず、いろいろな帽子をかぶりながら自己実現を図れる時代になったのはとても良いことだし、情報社会とは機会開発者の時代だと増田米二は言っている。斜め移動も大いにするべきだろう。ただし、それほど簡単ではないだろうなとも思う。
私は教育者としてはまったく不出来なので、ときどき他にできる仕事はないかと妄想にふけるときがある。しかし、どれもあまり実現性を伴わない。実現性はないものの、そうした妄想にふけることができるようになっただけでも良い社会かもしれない。