“China celebrates 10 years of being connected to the Internet” (computerworld.com.au)
中国のインターネット接続10周年を記念した6本の企画記事。2本目では検閲の問題が取り上げられていて、現地の人々は「大したことではない」「100%できているわけではない」と考えているという。慣れっこになっているということか。3本目のウィキペディアが検閲されていないという話もちょっとおもしろい。
“China celebrates 10 years of being connected to the Internet” (computerworld.com.au)
中国のインターネット接続10周年を記念した6本の企画記事。2本目では検閲の問題が取り上げられていて、現地の人々は「大したことではない」「100%できているわけではない」と考えているという。慣れっこになっているということか。3本目のウィキペディアが検閲されていないという話もちょっとおもしろい。
昨日、ようやく帰国した。リマからロサンゼルスまで約8時間、5時間の待ち合わせの後、成田まで約10時間。映画を何本も見て、ヘトヘトなって眠ってを繰り返した。今回は12日間でスパム総数は846通。
「テネットCIA長官が7月辞任 大量破壊兵器で引責か」 (asahi.com)
いつどうやってやめるかが焦点だったCIA長官人事。「個人的な理由」としたものの、更迭の印象をぬぐえないということか。
世界で一番情報を握っているはずなので、情勢を見極めることができなかったのはなぜなのか。
ペルーの東大にあたるサン・マルコス大学を訪問する機会があった。ここは国立大学で、授業料は完全無料だそうだ。入学はとても大変らしい。
ここのサイバーローの講義に招かれた。一緒に出張しているHさんが簡単に日本の情報通信政策を説明して、私は質疑応答に参加した。その中でクリエイティブ・コモンズについても説明したのだが、「何の話をしているの?」という顔をしていた。
パラパラと教室を出て行く学生もいたからつまらなかったのかと思ったが、終わった後に数十人に囲まれて質問攻めにされた。「ウェブからとった写真を使って訴えられるのはおかしいじゃないか」と講義する学生もいたけど、議論できておもしろかった。途上国(ペルーは途上国脱出中だけど)の学生は真摯だなと感動した。
リマに着いた。南半球はもう秋で、サマータイムは終わっているからロサンゼルスからリマのフライトは8時間半だった。ランチリ航空は先進国と変わらない設備とサービスで悪くない。スターアライアンスでないのが残念。
夜の12時半到着と言うのに空港にはわんさか人が溢れている。白タクが多いのは当然か。われわれにはガブリエラさんとホセさんが迎えに来てくれたので助かった。
リマは霧に包まれているが、まったく雨は降らないそうだ。ガブリエラさんは東京に来たときに初めて傘をさしたとか。リマでは傘も売ってないらしい。
Katie Hafner, “For some, the blogging never stops,” International Herald Tribune, May 29, 2004.
結婚記念日の旅行の最中にホテルのバスルームにこもってブログをしてしまうほどの中毒者が紹介されている。大して読んでいる人がいないブログ(私のブログがまさにそうだ)がほとんどなのに、みんな必死になって書き続ける。自分のアイデアをすべて残しておきたい、書き続けなくちゃいけないという強迫観念にとりつかれ、仕事もすっぽかしてブログにはまってしまう。
よく見たらこのブログもここ数日たくさん書き込んでいるが、明日は無理。11時間半(本当か?)かけてフランクフルトからロサンゼルスへ。約1時間半の乗り継ぎで、ロサンゼルスからリマまで7時間半。おまけに到着は夜中の12時半。誰だこんな日程組んだのは。
Paul Krugman, “America’s press has been too soft on Bush,” International Herald Tribune, May 29, 2004.
クルーグマンは、自分がコラムを書いているニューヨーク・タイムズを含めてアメリカの報道機関がブッシュ政権に甘すぎたと批判・反省している。9.11後のアメリカの報道機関は愛国精神を鼓舞するためにブッシュ政権批判を弱めてしまったがゆえに、数々の問題を招いてしまったという。
戦争の時に報道機関が体制寄りになるのはよくあること。しかし、異常な時期でも反対意見を許容しておけるか、異常な時期が過ぎたら元に戻れるかが重要だろう。
いよいよチュニス滞在最後の日になった。昼の便でフランクフルトに戻る。
毎朝散歩をしていたが、6時前からカフェの店開きをしたり、店の前を掃除したりしている人がけっこういる。夜遅くまで騒いでいる人が多いのに、早起きの人も多いのは驚きだ。一所懸命掃除をしている姿を見ると、どこの国も変わらないなと思う。
今朝は偶然、魚市場に出くわした。カツオ、サバ、イワシのようななじみの魚から、太刀魚やサメなどもあった。エビも大量に積み上げられている。確かにチュニスのシーフードはおいしかった。残念ながらデジカメのケーブルを忘れたので、帰国してから写真をアップしよう。
Jennifer L. Schenker, “Broadband goal eludes Europe,” International Herald Tribune, May 26, 2004.
旧知のEwan Sutherlandが引用されている。彼はヨーロッパのブロードバンドを「Bonsai Broaband」と呼んでいる。名言だ。
ネット接続の問題はひょっとするとチュニジアの暗号規制かもしれない。
実は一つのメーラーで三つのメール・アドレスを使っているのだが、うまくいかないのはSFCのアドレスだけだ。SFCのアドレスが他と違うのはAPOPを使っていること。
グーグルで検索してみたら、下記のような情報が出てきた。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00085/contents/184.htm
http://www.jccme.or.jp/japanese/08/08-02.cfm#Tunisia
ちなみにダイヤルアップでつなぐと、すべてのメール・アドレスで送信ができなくなる。ADSL接続にすると、SFC以外の二つのアドレスからは送信が可能になる。ううむ。
チュニスにはメディナと呼ばれる旧市街がある。聖書に出てくるメディナかと思ったらそれはサウジアラビアだった。
チュニスのメディナは魔窟のような感じだ。フランス門を越えて一歩踏み込むと「日本人か、中国人か。俺の店をのぞいていけよ」という魔手があちこちから伸びてくる。どうもこういうのは苦手だ。基本的にはみんな親切な人たちなんだろうけど、うっかり話を聞いていると「ガイド料を寄こせ」と言ってくる(実際にカルタゴでやられた)。
カルタゴはチュニスから電車に乗って20分ぐらいのところにある。カルタゴと言えば、森本哲郎の『ある通商国家の興亡』という本を読んだことがあるが、すっかり忘れてしまっていた。現地の人がPunicと言っているのも最初は何かよく分からなかったが、古代カルタゴ人のことらしい(フェニキア人とも言う?)。カルタゴ人は子供を生け贄にしたという伝承があるらしく、トフェという子供のお墓がたくさんある遺跡がある。
出張前にもっと勉強してくれば良かったが、後の祭り。できるだけいろいろなものを見ておいて、後でもう一度勉強しよう。
またもやネットワークのトラブルらしい。どこに問題があるのか分からないが、SFCのアドレスからメールを送るとブラックホールに吸い込まれるらしい。今朝、たまっていた返事を20通もいろいろなところに書いたのに、どれも届いていない気配だ。SFCのサーバーにトラブルが起きているのか、それともチュニジアのどこかで……。なぞだ。勘弁して欲しいなあ。
ADSLが使えないから部屋を変えてくれと頼んだら豪華な部屋に変えてくれた。ADSLは完璧につながる。LANの中では100Mbpsらしい。すばらしいじゃないか。ダイヤルアップではメールの送信もできなかったのだが、これも完璧に動いている。ああ、ネットがつながるというのはすばらしい。
今日の夕方会ったベンチャーの社長はなかなか強烈だった。止めないといつまでも話し続ける。約束の2時間が経ったところでちょうど彼の携帯に電話が入った。これで帰ろうかと思って身支度したものの、彼は20分間携帯でしゃべり続ける。終わったところでありがとうと言おうと思ったら、「まあ座れよ。続きを話そうぜ」ということで、結局3時間半、彼はほとんどしゃべりっぱなしだった。
こちらも負けずに議論したのはWSIS(世界情報社会サミット)のこと。シビル・ソサイエティのメンバーをなぜ歓迎しないのかという点。「民主主義の定義は国によって違うし、チュニジアの場合のシビル・ソサイエティは政党になってしまう」というのが彼の主張。「だからって政府だけがインターネットのガバナンスを論じる主体になるべきだということにはならないだろう」と反論したけど平行線。
最後は「国際電話をかけなくてはいけないから」と言って帰ってきた。
チュニジアのチュニスに来た。初めてのアフリカ大陸だが、漠然と抱いていたイメージとは少し違った。建物や町並みはベトナムを思い起こさせる。どちらもフランス文化の影響を受けているからだろう。
イスラム教のせいか女性が一人で歩いている姿はあまり見ないが、ベールもかぶっていないし、男性もひげを生やしていない人がかなりいる。おもしろいのは、やたらとブラブラしている男たちが多いことだ。ホテルは町の中心部の目抜き通りに面しているのだが、ネクタイを締めたビジネスマンが歩くという姿はほとんど見られない。みんなやたらと体を触れ合い、しゃべりながら歩いている。濃密な人間関係が社会の基盤になっているのかもしれない。
ホテルにADSLが設置されている。しかし、つながらない。ケーブルを差し込んでブラウザーを起動するだけでいいと書いてあるのだが、接続を認識しない。ダイヤルアップは28.8Kでつながるのだが、メールの送信ができない。メールを受信はできるのだが返事が書けない。困る。
Kevin Maney, “Now they’ll know if you read their e-mail,” USA Today, May 20, 2004.
この記事によると、DidTheyReadIt.comという会社のサービスを使うと、自分が送ったメールを相手が読んだかどうか、どれくらい読んでいたか、それを転送したかが分かるという。おっそろしい。しかも、受信者は自分のメールにそうしたトラック機能がついているかどうか分からない。
FirstClassのような昔のグループウェアにはそうした機能が付いていたけど、それは小さなコミュニティの中だから機能したように思う。それにお互いそういう機能が知っていたから使えた。知らない間にそうされているとなると、どうなのかなあ。
ドイツのホテルに入って困ったのが、久しぶりにダイヤルアップで
つながなくてはいけないこと。最近のアメリカのホテルではたいて
い有線か無線のブロードバンドが入っている。多少お金はかかるが、
イーサーケーブルをつないでブラウザーを起動するだけで使えるの
は非常にうれしい。
しかし、ダイヤルアップは電話番号を探してからIDとパスワードを
入れて、その他もろもろの設定をするのにえらく時間がかかる。何
といっても遅い。それに従量課金だ。
おまけに今回は教えてもらったパスワードが違っていて最初はつな
がらなかった。こういうのは何回やってもイライラする。
たまたまメールを送ってきたイギリスの友人に愚痴を書いたら、
Dial-up is good to remind you of how other’s suffer 🙂
だと。なるほどね。
ベルリンのイベント・カレンダーを見ていたら、たまたま小澤征爾がコンサートを開くことが分かり、チケットを入手して聞きに行った(昼間はちゃんと仕事しましたよ)。演奏はサイトウ・キネン・オーケストラでほとんどが日本人。客席は少し空きがあるくらいで、当日チケットを入手したのにもかかわらず、指揮者の真後ろ10メートルぐらいの席がとれた。
クラシックをよく知らない私はサイトウ・キネン・オーケストラに正直期待していなかった(スミマセン)。しかし、演奏はすばらしかった。期待をはるかに上回ってダイナミックで迫力があった。(言っては悪いが)指揮者ひとりでこんなに変わるものかと驚いた。みんなのびのびと自己表現していて、今まで日本で見た日本のオーケストラとは段違いだった。
アンコールも終わって、演奏者が壇上からいなくなっても拍手が鳴り止まない。結局、拍手が小澤をもう一度ステージに呼び戻した。そのすばらしさは真にベルリナーを感動させたと思う。
ベルリンでクリエイティブ・コモンズのドイツ版を担当しているRoland HonekampとGerd Hansenに会った。彼らの話によると、今日(5月24日)フィンランドがライセンスをリリースし、来月にはイギリスとドイツがライセンスをリリースするそうだ。iコモンズの動きが加速してくる。
ドイツの話を聞いていると、隣接権や人格権、パブリック・ドメインなど共通の問題が浮かび上がってきている。日本法はドイツ法を参考にしたのだから当然か。
日本からドイツへ。機内で見た映画『半落ち』には泣けてしまった。骨髄移植のドナー登録は重要なので検討してみたい。
『半落ち』の著者がさりげなく(いやかなり目立つ形で)裁判の傍聴席に座っていたのには笑ってしまった。