David Pogue, “Microsoft on the Trail of Google,” New York Times, July 8, 2004.
マイクロソフトの次のターゲットはグーグルらしい。ウンドウズはマッキントッシュから、ポケットPCはパームから、インターネット・エクスプローラーはネットスケープからアイデアを拝借したといわれている。今度はMSN serachをグーグルそっくりに変えたという。ただ、検索の性能についてはまだ追いついてないようだ。
David Pogue, “Microsoft on the Trail of Google,” New York Times, July 8, 2004.
マイクロソフトの次のターゲットはグーグルらしい。ウンドウズはマッキントッシュから、ポケットPCはパームから、インターネット・エクスプローラーはネットスケープからアイデアを拝借したといわれている。今度はMSN serachをグーグルそっくりに変えたという。ただ、検索の性能についてはまだ追いついてないようだ。
Louise Witt「米大統領選:ネット戦略を進化させる両陣営」 (HotWired Japan)
大統領選挙でウェブが選挙本部の延長として利用されるのは今回が初めてだ。ケリー、ブッシュ両陣営とも、インターネットを利用して大きな成果を挙げたハワード・ディーン候補の戦略を模倣している。
日本ではあまり大統領選は報道されなくなったが、今が一番の票の掘り起こしの時期ではないか。
中国がいつの間にやら勝手にIPv9を採用しているのではないかとIETFで問題になっている。
http://news3.xinhuanet.com/english/2004-07/05/content_1572719.htm
セキュリティの名の下に相変わらずの検閲体制のようだ。使われるのは中国国内だけで、国際ゲートウェーでIPv4ないしIPv6に変換されるという。
ビント・サーフ「何なんだこれは」と中国の関係者に問い合わせているようだ。
中国人研究者からIETFのメーリング・リストに出てきた情報によると、中国では10桁の電話番号を使っているが、IPアドレスも10桁にして、シームレスに使えるようにするという(なんだそりゃ?)。ただ、これはある中国人研究者が研究資金をとるために自己宣伝しているのではないかという見方もある。
Saul Hansell, “You’ve Got Mail (and Court Says Others Can Read It)“, New York Times, July 6, 2004.
サーバーをリレー中の電子メールは読んでもいいという司法判断がアメリカで出されたようだ。
100万冊の本、出前します。「本とコンピュータ」
ここでインタビューされているブルースター・カールはすごい人で、もっと知られてもいい。CFP2004のトリで講演していたが、拍手大喝采だった。彼のインターネット・アーカイブはクリエイティブ・コモンズを活用している。
Colin C. Haley, “Vonage Records Regulatory Victory,” internetnews.com, July 1, 2004.
アメリカでもIP電話が普及し始めているが、IP電話は「電話サービス」なのか「情報サービス」なのかでもめている。電話サービスだとすると重い規制の対象となってしまうからだ。VonageなどのIP電話サービス・プロバイダーは規制を逃れようとしているが、結論には時間がかかりそうだ。
自分の本の表紙をホームページに載せることがある。しかし、自分の本といっても厳密に著作権を持っているのは文章の部分だけであって、表紙の部分は装幀家が作ったものだから彼らが著作権を持っている。だから、自分のホームページで本の表紙の画像を付けて、自分でマルCマークを付けると厳密にはアウト。
しかし、出版社の編集者に聞いてみると、「そんなの構わないからどんどん載せてよ」とのことだった。まあ、載せるのはいいけど、マルCマークやCCのライセンスを付けるのは難しいということかな。
Joseph Kahn, “China Is Filtering Phone Text Messages to Regulate Criticism,” New York Times, July 3, 2004.
China has begun filtering billions of telephone text messages to ensure that people do not use the popular communication tool to undermine one-party rule.
中国は今度は携帯のテキストメッセージを検閲し始めたらしい。
雑誌『選択』に連載されていたインテリジェンス・コミュニティ論が単行本にまとまった。体系的に書かれているわけではないが、全体像を知るいい教科書だと思う。大森さんは元内閣情報調査室長。
大森義夫『「インテリジェンス」を一匙』選択エージェンシー、2004年。
今回内舘さんのアイデアを借りて『「インテリジェンス」を一匙』、とタイトルを決めたのはインテリジェンスは毒だからである。毒があるから解毒作用が起きる。両作用の拮抗で生命体は活力を持つ。医療関係者に限らず企業エクゼクティブも教育関係者も同意いただけると思う、戦後の我が国は子供の世界からも大人の世界からも「毒」を除き過ぎたために、のっぺらとした虚弱な体質になってしまったのではないか。(15ページ)
日本の危機管理論の一番の問題は過去の手痛い教訓がいっこうに積み上げられない点にある。(17ページ)
本稿の最終回(本年十二月号)に到達するであろう結論を予め記しておこう。
それは、
(1)政府の「情報コミュニティー」を整備して、中核となるインテリジェンス組織を再編する。
(2)世界各地に関する地域研究を強化することからスタートする。いきなり外国で情報員を運用したり、教科書か小説に出てくる手法をトライする力量はない。現地情報に重点をおいて時間をかけつつ中央アジアにせよ中南米にせよ基礎研究を深め、人的パイプを開拓して行く。任務にたえられる人材も養成されてくるだろう。
(3)新しいインテリジェンスは国内イシューをカバーしないこととする(これには例外がある。後述する)。
以上の結論を基調として現状の問題点を逐次検討してみたい。(20〜21ページ)
インフォメーションでは物足りない、インテリジェンスには力不足、それだったら先ず「クラシファイド・インフォメーション」(機密性の高いインフォメーション)を丹念に集めることから我々は始めよう。仮免許からスタートしなくてはならない。(24ページ)
国際インテリジェンスとは砲弾の飛び交わない陰の戦争であって、攻防(インテリジェンスVSカウンターインテリジェンス)とはともに愛国者のゲームだからである。インテリジェンスの任務につく者は勲章や栄達で報われようとは願わない。(26ページ)
日本でも海外で働く日本人を守るため、国益を守るために国際情報は必要である。(27ページ)
日本に新しいインテリジェンスが出来たらオペレーション部門は別として、分析部門のスタッフには守秘と論文作成の二つの義務を課したい。そして個人能力の評価による一年ごとの契約で精鋭だけを選抜する。最高の能力の持ち主に対してはエズラ・ヴォーゲル博士がCIAのナショナル・インテリジェンス・オフィサーを務めていたようにナショナルな(国家の)称号をもって遇すべきである。現行の公務員制度で収まることではないが制度の根底から変えねば国家の情報能力は向上しない。現状は情報に与えるステイタスが低いから組織がモラールの面で低きに流れるきらいなしとしない。(28ページ)
大切なのは危機に素早く対応することである。危機を乗り越えるために必要な、役に立つ武器を当局に与える、その濫用に対しては厳しくチェックする、最終的には国民の代表が総括する、というのが闘う国家の姿だと思う。日本の現状は、(1)命題の捉え方が後追いになっている、(2)観念論議が多すぎる、(3)そのくせ既成事実になってしまうと抜け出せない。(33ページ)
当局の行う通信傍受などのインテリジェンス活動はプライバシー侵害の恐れのある「毒」である。ただし必要な毒だから国民はこれを直視して、解毒の社会装置を構築しておくべきなのである。(34ページ)
戦後の日本が今日に至るまで半世紀以上にわたってインテリジェンスの機能を欠いたままで来たのには理由がある。他人の秘密を覗くのは下品な業だとする感情は別として、一つは戦前・戦中の暗い思い出である。「間諜」とか「諜報」といった言葉自体、謀略や人権抑圧、非条理な多国への侵略を連想させる。強圧的な特高警察、憲兵の亡霊を見るひともいるだろう。政府(大本営)のウソ発表を忘れないひともいる。結果として、インテリジェンスは敬遠され今なお諜報に代わる訳語すらない。二つには戦後日本が自国の存在と安全を米国に委ねてきたからである。(38ページ)
日本のインテリジェンスにとって現状のままでも、すぐ出来る改善を二点提言したい。一点は外国との情報接受の窓口を一本化すること、もう一点は情報管理である。(41ページ)
結果は明白である。十万人の人員と年間三兆円の予算を使いながら世界最大の米国インテリジェンス機構は九・一一テロを予測できなかった。(44ページ)
情報も一つの商品である。商品である以上、第一に客=ユーザーがあり、第二に商品の生産システムがあり、第三に商品の質がある。(45ページ)
日本のインテリジェンス再建は一〇〇%防衛的なカウンター・インテリジェンス組織の構築から始めよう。防衛戦を重ねているうちに米国はじめ攻撃的インテリジェンスにたけた国々が世界レベルとはどんなものか教えてくれるに違いない。(57ページ)
ワシントンポスト紙はデビッッド・イクナティウス記者署名の論説を掲載した。タイトルは「スパイ活動のためにブッシュは友人を獲得せよ」。その内容は、(1)テロリズムに対する戦争は軍事力だけでは勝利できない。的確なインテリジェンスが必要である、(2)米国は歴代、スパイゲームにおいて成果を収めていない。国民性に合わないのだ、(3)過去、米国が貴重な情報を入手できたのはウォーク・イン(内部情報をもたらす亡命者)を得たからである。自力で敵対組織に浸透できた事例はまずない、(4)インテリジェンス分野における米国の強みはテクノロジー、資金(マネー)そして世界の同盟国ではないか、(5)経験豊かなイギリス、フランス、イタリアに学べ。幸いロシア(プーチン大統領)という友人を得たのだから……。(59ページ)
そこはかとなく「伝えたいこと」を伝えあうのが外交であるとすれば、伝えたくない内面を探るのがインテリジェンスである。外務省は外交の範囲で情報活動を行い、リスキーな部分はインテリジェンスにアウトソースすればよい。これが世界の常識の筈だが、本格的なインテリジェンスを作ろうと言えば猛反対するのは左翼勢力と外務省である。(70ページ)
国家の情報機能は外交、インテリジェンス、軍事の三つのチャネルで成り立っている。(75ページ)
情報は受ける側にも器量と水準が要求される。(82ページ)
私は提唱する。日本にもインテリジェンス機関をつくろう。それは警察からも外務省からも独立していなくてはいけない。それは政局とか選挙とか国内問題は一切カバーしない。インテリジェンス要員に必要なのは警察官に負けない使命感と根性であり、国際経験である。(89ページ)
警察は法の執行機関だから活動は厳格に法の枠に限定される。他方インテリジェンスのとる手段は「合法と明確な違法の間のグレーな空間」を広く用いる。その手段と範囲は国際的な水準に拠って自ずから合理的な枠組みが設定される。といってインテリジェンスが野放図な行動を許されるのではない。国会の厳格な監督に服するし、法の逸脱には裁判所が刑事罰をもって規制する。しかし第一自適にはインテリジェンスのトップがインテリジェンスの行動を管理するのである。(94ページ)
情報を読む決め手は経験と執念である。(99ページ)
米国の商業衛星は米国政府との契約によって「シャッター・コントロール」条項をもつ。つまり米軍の軍事行動は撮影しない。米国の担当者は「米本土とイスラエルの上空写真は撮らせない」と言う。米国の支援を受けつつも我が国が独自の衛星を運用したい所以である。(118ページ)
やってはあならない戒めとしての「朝寝、昼酒、幼稚な会話、愚か者の集いに連なること」は我々むしろ老年になって守るべき教えのように思われる。(126ページ)
「人脈のつくり方」指南の本があるが、基本的なポジション(立場)とケミストリー(体質)が合致すれば「お友達」になるのは簡単だ。(128ページ)
情報は与える側の意図的操作であることが間々ある。調理(cook)された、あるいは味付け(season)された情報の危うさである。(130ページ)
軍事的に中級の国家がインテリジェンスで国を守っている、その仕組みこそ学ぶべきだ。しかし抹殺部隊(キドン)をふくむ実働部門は日本には要らない。(中略)我が国が手本とすべきはMI6とも呼ばれる英国のSIS(シークレット・インテリジェンス・サービス)であろう。政策と分離して純粋に情報だけを扱う。事件になれば警察に、外交処理は外務省に実務を委ね黒子に徹する。抑制的な英国型情報活動に学んでJ-SISの情報組織論を模索したい。必要なのは腕力ではない。観察力と知恵である。(132ページ)
日本のインテリジェンス組織は百人でスタートすればよい、と私は思う。一桁か二桁少ないのではないか、との嘲笑が降ってきそうだが構わない。だいたい適格者がいない。適正のないエージェントを抱えた情報組織ほど始末のわるい代物はない。三十年後に五千人規模を目指すことにして、身の丈相応で営業開始しよう。(165ページ)
[英漢辞典で]Intelligenceを引くと日本語に似ていて、智力、情報、諜報、情報機関といった中国語訳が出てくる。一方のInformationを引くと、情報、通知などとならんで信息という訳もある。信は中国語で手紙の意味であり、返信などと日本語でも使う。息は消息の息である。(189ページ)
私は近い将来日本でも一般のInformationは「信息」に統一され、Intelligenceを諜報ではなく、情報と使うようになるのではないかと予測する。「情報」は文字通り、情に報いるものだからIntelligenceの訳語にふさわしいと思う。(190ページ)
昨日、國領二郎先生が国際大学グローバル・コミュニケーション・センターで「ID技術とトレーサビリティ」と題する講演をされた。その中の最後に出てきたのが「ストアイマジネーション2009ポリシー」。
RFIDと個人情報保護の話は分かるようで分かりにくい。早くうまい整理ができるといいと思う。
Mary Beth Schneider, “Indiana offers free software to residents,” INDYSTAR.COM, June 25, 2004.
インディアナ州に住んでいる人は誰でもSimDeskと呼ばれるオフィス・ソフトウェアを無料で使えるようようになったらしい。マイクロソフト・オフィスとも互換性がある。これは注目だ。
米国商務省が電波政策に関する提言を発表した。ひとつは連邦政府向け。もうひとつは地方政府と民間向け。
http://www.ntia.doc.gov/reports/specpolini/presspecpolini_report1_06242004.htm
http://www.ntia.doc.gov/reports/specpolini/presspecpolini_report2_06242004.htm
主な提言は、以下のとおり。
■イノベーションと新技術を奨励する
■電波管理システムを近代化する
■経済的・効率的インセンティブを確立する
■重要な政府電波利用者とサービスの保護を確実にする
公文俊平『転換期の世界』(講談社学術文庫、1978年)を読んでいたら、コモンズの話が出てきた。
コモンズ(commons)ということばのもともとの意味は、中世の大学などのような共同生活者の集団において、共同の食卓に提供される食事のことである。各人は、それを好きなだけ食べることができる。だから”コモンズ”にはもともととくに”土地”という意味合いはなく、むしろ私が定義した意味での「共用財」に最も近い。ただし、[ガレット・]ハーディンは、共同放牧場や公道を、その典型例とみなしている。つまり、実質的には、「共用財」は”資本(個物)”よりは”土地(場所)”にあたるものの方が多いと思われる。なお、ハーディンは、全体としての”国土”あるいは”地球”をもコモンズの一例としてあげている。
なるほど。そういうことだったのか。
客員研究員をしているF総研の親会社がサッカーの川崎フロンターレ(J2)のスポンサーをしている。今日はFグループの社員は、社員証を見せると無料観戦ということだったので行ってきた(私も社員証をいただいている)。
久しぶりのサッカーはなかなか良かった。それにフロンターレはコンサドーレ札幌相手に6対0で快勝。暑くもなく、楽しかった。無料観戦デーのせいなのかどうかは分からないが、J2の試合でも8000人以上入っていた(もちろん満席じゃないけどね)。
地元にスポーツ・チームがあるのはいいなあ。
作者逮捕で話題になっているWinny。実は使ったことがないのでコメントできない。
昨日、あるベンチャー企業の社長に会ったら、Winnyは宣伝媒体として非常に優れていると力説していた。実際、大規模な宣伝を打てなかった音楽や動画をWinnyを使って流したことで、はっきりと宣伝効果が現われたそうだ(社長自ら流したらしい)。
Winnyで流れるコンテンツにクリエイティブ・コモンズのライセンスがついたものがたくさん出回ればいいのに。
SFCがVPN(Virtual Private Network)を始めた。自分で使うのは始めて。出張中の時などは便利かもしれない。
経済学を落第したことがある身としては、ユーロダラーとかユーロ市場というのはどうも分かりにくいので、古い本だけど、及能正男『国際マネー戦争』(講談社現代新書、1987年)で少し勉強した。
ヨーロッパ(EUROPE)に集まったドルであるためにユーロ・ダラー(EURODOLLAR)と略称されるようになった、巨大な無国籍的な国際資金市場の誕生である。(22ページ)
米国をはなれたドルがユーロ・ダラーと呼ばれるように、ドイツ国外にあるマルク建ての預金がユーロ・マルク、スイス国外にあるフラン建ての勘定がユーロ・スイス・フランと称されており、同様に日本国領土以外に所在する銀行が取引する日本円はユーロ円と呼ばれている。(78ページ)
広く非居住者に金融システムを開放し、居住者・非居住者間で当該主権通貨以外の通貨を自由に貸借する市場をユーロ通貨取引市場と呼んでいる。つまり、ロンドンで英ポンドを居住者間、居住者非居住者間、非居住者間で取引するのはいわば国内金融取引である。しかし、同じ関係の下でマルクやドルや円を定期預金の形で貸借する市場がユーロ・カレンシー市場である。(87〜88ページ)
結局のところ、最初はヨーロッパ(特にロンドン)で取引されるようになった米ドルのことだったが、徐々に、自国以外で取引される通貨をユーロカレンシーと呼ぶようになってきたようだ。
グローバリゼーションは80年代後半になって突然使われるようになった言葉だというが、この本でははっきりと次のように書いているのも興味深い。
グローバリゼーションとは経済規模の拡大、開放経済体制の進展、情報の迅速化と緻密化、取引内容の統一化、国内法・慣行規制の形骸化などによって、金融市場を第一義的な国内市場と第二義的な海外市場とに分断するという既定概念を放棄して、双方をひとつの合体した金融市場として見ることである。(191ページ)
それと、長年疑問だったことも解決した。
たとえば日本における国際金融市場のひとつの形態である外国為替市場をとらえてみても、丸の内界隈になにか特定の外国為替市場ビルというものがあって、そこの一室内で毎度NHKニュースにおなじみの、ワイシャツ姿の若い男性たち(最近は女性の進出もさかんであるが)が、マージャン台を特別に大きくしたような四角なテーブルをかこんで、両手に電話受信機を握りしめ、猛り狂い、怒鳴りあい、目をつりあげながら叫びつづけているのが、いわゆるトーキョイガイタメ市場だと思うのは錯覚である。あれはたとえば東京短資とか山根短資とかの公認ブローカー業者の事務室にすぎないのであって、実は同市場はほとんどが電話の市場、テレフォン・マーケットとして形成されているのである。テレビ局は具象的な視覚対象を放映上必要とするので、やむをえず怒鳴り合いの修羅場じみた場所を放映しているのである。(85ページ)
ちなみに山根短資は合併でセントラル短資になったらしい。
しかし、だとするとテレビのニュースで流れてくる数字はどこで誰が決めているのか。たぶん、さまざまなデータをどこかで集計して平均しているのだとは思うけど。
NTTインターコミュニケーション・センターの季刊誌『InterCommunication』でドミニク・チェンさんがレッシグ教授にインタービューしているのを発見。3月のシンポジウムの報告も少し出ている。
初台のNTTインターコミュニケーション・センターで「ネクスト:メディア・アートの新世代」を見た。
アートのセンスがさっぱりない私なので、いまいちよく分からないものが多くて残念。自分はやはりテキスト好きなのだと実感した。特に映像で視覚に訴えるものはなかなか難しい。おもしろかったのは、電子ペンで地図上の道路を指定すると、実際にそこで聞こえる音がヘッドホンから聞こえるというもの。
出品者のほとんどが70年代以降の生まれ。アートの世界も若返りなのだ。
“Ex-C.I.A. Aides Say Iraq Leader Helped Agency in 90’s Attacks” (New York Times)
イラクの暫定首相になるIyad Allawiは、かつてCIAと協力してサダム・フセイン政権に対抗するために爆弾テロをしていたと元CIAのオフィサー複数が認めたという。Allawiの第一優先事項は爆弾を止めさせて治安を回復することだというから、「Send a thief to catch a thief」というわけだ。彼の反体制グループの爆弾テロはフセイン政権には何の影響も及ぼさなかったようだが、よりによってそんな人を引っ張り出すとは人材難もはなはだしい。あるいは、アメリカの傀儡政権を作るという冷戦時代の発想からアメリカは抜け出ていないのか。そこまでひどくないと信じたいが。