日中紛争の主戦場はサイバー空間

土屋大洋「日中紛争の主戦場はサイバー空間——新しい国防組織の拡充は焦眉の急」『撃論』第8号、2012年12月、136〜143ページ。

 求めに応じて書かせていただいたけど、相変わらず過激な見出しが躍っている『撃論』。

またソウルへ(11/21〜22)

 なんと、この2ヵ月間で3回目のソウルへ。私にとっては新記録だ。でも今度は1泊2日。33時間ぐらいの滞在。

 12月21日(金)の11時にソウルに到着すると、雪がずいぶん降っている。

 今回は、SFCが提携している延世大学の先生からのご招待。ちょうど、慶應=延世=復旦(中国)の遠隔授業10周年シンポジウムも開かれていて、SFCからも同僚教員4名に加えて大学院生がぞろぞろと来ている。

 私は復旦の先生や延世の先生と個別に協議をしていたので、シンポジウムにはフル参加できなかったが、たくさんの学生が参加し、議論も活発だったようで、良かった。

 延世大学に来たのは2回目だが、今回はキャンパス内をうろうろあるく機会があり、その大きさに驚く。慶應の全キャンパスをくっつけてもこの大きさにはかなわないのではないか。一つ一つのビルも大きい。

 延世には世界各国から留学生も集まっていて、日本の大学よりもグローバル化が進んでいるという気がする。延世の先生たちの英語はややブロークンだが、堂々と話していて気持ちがよい。学生たちの日本語はとてもきれいだ。

 今回は延世のH先生といろいろと突っ込んだ意見交換ができて良かった。両大学の関係強化につなげていこう。

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今回はおいしいものしか食べなかった。

長崎でのシンポジウム

 見学ツアーの後、シンポジウム「長崎からつなぐ <過去・現在・未来> ―日本の電信電話事業の幕開けと現代におけるケーブル事業の展開―」に参加。開会挨拶は菅谷実先生(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所教授)、総合司会は吉光正絵先生(長崎県立大学国際情報学部准教授)。

 基調講演のブライアン・バークガフニ先生(長崎総合科学大学教授)がとてもおもしろかった。この先生、40年前にカナダから来日し、10年間お寺で修行していたそうだ。その後、独学で日本語を学び、長崎の外国人居留地を中心とする研究をされている。講演のジョークも、使われている資料もすばらしい。50分間、よどみのない日本語で講演された。

 内容はそれほど海底ケーブルとは関係ないけれども、グラバー亭のトーマス・グラバー一家の話や、長崎の最初の電話架設の話など、とても興味深い。長崎のことをもっと知りたいなあという気にもなった。

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 バークガフニ先生のお話、国際交流の意味についても深く考えさせられた。ただ単に集まるだけでは国際交流にならない。目的を持って一緒に活動をしないとダメとのこと。本当にそうだと思う。

 休憩の後のパネル・セッション。司会は菅谷先生。ツアーの解説もしてくださった岡本健一郎さん(長崎歴史文化博物館研究員)、河又貴洋先生(長崎県立大学国際情報学部准教授)、安田豊さん(株式会社KDDI研究所代表取締役会長)、それぞれおもしろい話だった。

 焦ったのは、皆さんのお話で私の話すネタがだいぶなくなってしまったこと。他の皆さんのお話の最中に急遽、パワーポイントを作り変えた。重なる話はなるべく控えて、海底ケーブルのデジタル・デバイドやケーブルの物理的な保護について話をする。

 最後に少し相互に議論したり、フロアとの対話をしたりする時間があって良かった。フロアからの最後のコメントが強烈で、おもしろかった。長崎は昔話だけしているだけじゃだめで、これからのことを考えないとということだった。閉会挨拶はKDDI総研の東条続紀社長。良い締めの言葉だった。年末は遠くの家族に電話しましょう。

 シンポジウムが終わって、空港に急ぐ。飛行機には間に合う見込みだったが、空港で長崎名物トルコライスを夕食に食べたかったからだ。トルコライスの由来はよく分からないらしく、トルコのものではないだろうとのこと。内容も、ピラフとトンカツとスパゲティの盛り合わせというだけなんだけど、トルコライスというのをこの旅行中に初めて知ったので、試してみたかった。

 空港2階のレストランに駆け込み、頼んで出てきたトルコライスはものすごいカロリーと思えるしろもの。

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 トンカツのせいでピラフは見えない。スープも付いている。空港価格だったけど、おなかいっぱいになって良かった。

 今回、たくさん長崎の方々とお知り合いになれて良かった。SFCの卒業生2人にも会えた。活躍している様子でうれしい。長崎にまた海底ケーブルの調査その他で行きたい。実は来月も長崎には行くのだけど、市内には行けず、時間的余裕もなさそうなのが残念。

長崎海底ケーブル資料見学

 シンポジウムに参加するため、長崎に行って来た。今回はKDDI総研さんが全面的にサポートしてくださり、とても良かった。

なんと言っても、前回は外から眺めるだけだった小ヶ倉の陸揚庫の中を見せてもらえたこと。

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中身は空っぽなんだけど、広さ/狭さを体感できたのがうれしい。

案内してくださった岡本健一郎さん(長崎歴史文化博物館研究員)によると、場所はもともと千本松といわれた半島の中にあったが、港湾整備のために女神大橋近くにいったん移され、その後に今の場所に移ったので、正確ではないとのこと。

中にあったものは、先日訪問した栃木県小山の国際通信史料館と長崎歴史文化博物館に分けて保存されている。長崎歴史文化博物館には、机や通信機、電信文の記録などが展示されている。

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この博物館は今回初めて訪問した。時間がなくて全体は見られなかったが、今度是非全部を見たい。昼食を博物館の中にある銀嶺というレストランでいただいた。ここはもともと市内でも有名だったレストランだそうだ。トルコライスを是非いただきたかったが、シンポジウム参加者用のメニューが決まっていたので残念だった。

シンポジウム「長崎からつなぐ <過去・現在・未来> ―日本の電信電話事業の幕開けと現代におけるケーブル事業の展開―」

日曜日に長崎でシンポジウムに出ます。他の方々の話がとても楽しみ。

http://www.jotsugakkai.or.jp/operation/nagasaki-symposium.html

主 催:長崎歴史文化博物館

共 催:情報通信学会/社会情報学会(SSI)九州・沖縄支部/公益事業学会九州部会

協 賛:KDDIグループ

日 時:平成24年12月16日(日)13:30〜16:50 

場 所:長崎県歴史文化博物館ホール(〒850-0007 長崎市立山1丁目1番1号)

プログラム:

12:30 開場・受付開始

13:30-13:35 開会挨拶 菅谷実(情報通信学会会長・慶応義塾大学教授)

13:35-14:25 基調講演 ブライアン・バークガフニ(長崎総合科学大学教授)「情報交流地としての長崎〜過去から現在へ」

14:25-14:40 休憩

14:40-16:40 パネル・ディスカッション

テーマ:「海底ケーブルは何をどのようにつないだのか?!」

  コーディネータ:菅谷実(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所教授)

  パネリスト:

   「近代化の魁・長崎〜電信電話事業の幕開け」

     岡本健一郎(長崎歴史文化博物館研究員)

   「電信電話事業から見た日本の近代化における世界認識」

     河又貴洋(長崎県立大学国際情報学部准教授)

   「海底ケーブルの現状と将来展望」

     安田豊(株式会社KDDI研究所代表取締役会長)

   「海底ケーブルの国際政治学」

     土屋大洋(慶應義塾大学大学院政策メディア・研究科教授)

16:40-16:50 閉会挨拶 大堀哲(長崎歴史文化博物館館長)

  総合司会:吉光正絵(長崎県立大学国際情報学部准教授)

(敬称略)

概要:近代化の魁(さきがけ)となった長崎。その一つに電信電話事業の発祥の地としての長崎の存在がある。幕末の国際情勢動乱期に、長崎に持ち込まれた電信電話技術は、国際と国内を結ぶ交易都市としての長崎のみならず、国際情報流通ポイントとして長崎の戦略拠点的役割を高めることともなった。

 本シンポジウムでは、近代化という社会改革の胎動期にあった長崎の遺産を手掛かりに、その後の近代・現代化を推進することになる情報通信技術の役割と機能拡大に伴う、歴史、政治、経済、技術の観点からとらえた「世界認識」の視点を探究しようとするものである。そして、今日のグローバル化の進展の中での世界情勢と情報メディア環境の動態に照射しうる視座を得るための議論の場を提供する。

参加費:無料

参加申込:下記にメールアドレス宛に、件名を「シンポジウム参加申込」とし、お名前、所属、連絡先を明記の上、お申込みください。

申込先:3bu@kddi.com

問合せ先:KDDI総研 3bu@kddi.com  電話:03-6678-6179

ワシントン、ボストン

 12月4日、NさんとワシントンDCへ。到着日はワシントン在住のMさんと、もうひとりのNさんの4人で会食。韓国とアメリカのインテリジェンスについてお話をうかがう。韓国では機密性を第一に考えたが、アメリカではスピードを重視するようになっているというお話が印象的だった。

 翌5日は朝から4件のアポをこなす。すべてサイバーセキュリティに関して。

 びっくりするような新しい話はなかったが、フォローアップできてよかった。夜はイタリアン・レストランで賑やかに。同行のNさんとはここでお別れ。

 6日は午前の便でボストンへ。ワシントンDCのナショナル空港は大好きだ。めずらしく窓際の席に座ったので、滑走路上から外を見ると、ワシントン・モニュメント、ジェファーソン・メモリアル、議事堂が見渡せる。離陸してペンタゴンとアーリントン墓地を横目に見ながらぐっと旋回すると、飛行機はアーリントンの上空で上昇していく。2001年7月から1年間住んでいたアパートが見えた。とてもなつかしい。

 機内では本を読んでいた。窓からふと外を見ると、なんとニューヨークのマンハッタン! まるでミニチュアのようにマンハッタンが見渡せた。これからナショナル空港からボストンへ飛ぶときは、窓際Aの座席に座ることにしよう。

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 ボストンでは3日間にわたってハーバードのバークマン・センターが主催するシンポジウムに参加。シンポジウムといっても非公開。世界各国のインターネットと社会に関する研究をやっている研究所の研究者たちが50名ほど集まる。慶應SFCからは両学部長が参加予定だったが、学部の行事のため、私が代理で参加。他にフォスター先生とマラッケ先生、それに学部生のO君が参加。

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 なぜかやたらとドイツからの参加者が多かった。アジアは、慶應SFCチームの他に、シンガポールやインドから数人。韓国からも来るはずだったが、仁川空港の雪のための飛行機が飛ばなかったらしい。3日間、いろいろ議論して、次のステップをみんなで考える。

 会議終了10分前に失礼して、ボストンのローガン空港へ。セキュリティ・チェックでMITメディアラボの研究者とばったり鉢合わせる。彼もバークマン・センターの会議に参加していたが、ワシントンDCでの会議に行くとのこと。共通の知り合いがいたので、話がはずむ。1月に東京に来るらしいので、会えたら会おうといって分かれる。

 ワシントンDC行きの便も窓側に座ったが、あいにく天気が悪く、ずっと雲海だった。それはそれで良い。

 ワシントンDCに到着してからYさんに電話。少し遅れるとのことなので、ナショナル空港で買い物。車でピックアップしてもらい、タイ料理を食べに行く。ワシントンで外国人研究者が生き抜く方策を教えていただいた。とても大変だ。

 空港近くのホテルまで送っていただき、そこで1泊。帰国前までにやらなくてはいけない宿題をなんとか片付け、メールで送る。間に合った。

 ワシントンDCから東京への便は満席。ワシントンDCでいただいた論文を読み、映画を1本見て、残りの時間は割とよく眠れた。

ソウル(11/14〜16)

 ソウルから帰って10日後、またもやソウルへ。今度は韓国国防部のお招きで、ソウル防衛対話に参加。

金浦空港に降り立つといきなり私の名前を掲げた制服の軍人が立っている。韓国陸軍のキム少佐で、日本語がぺらぺらだ。エスコートされて荷物を受け取りに行くが、パスポートを渡せといわれる。ちょっとドキドキ。荷物を受け取ったらそのまま優先ゲートを通り、車へ案内される。キム少佐が3日間エスコートしてくれ、車を自由に使ってくれといわれる。あまりのVIP扱いにびっくりする。トルコに行ったときよりも丁重な扱いだ。

ホテルに到着すると、テレビカメラが待ち構えていて、車を降りるところからホテルにチェックインするところまで撮影されて、なんかへんな気分である。ホテルの部屋もやたらと大きい。ソウルでも一番良いホテルだそうだ。

同僚に紹介された韓国の先生と12月のハーバードでの会議について意見交換。

レセプション会場に行くと、もっとたくさんカメラの放列が待ち構えていて、韓国国防部の次官をはじめとする韓国側のスタッフと各国からのゲストが歓談している。しかし、誰が誰だかさっぱり分からない。適当に挨拶するだけだ。夕食会は韓国の宮廷料理。普通の韓国料理のほうが好きだ。食事の後に韓国紹介のビデオを上映。とにかくお金がかかっている。

翌朝から本格的な会議。最初のオープニングでは総理と国防大臣が来たので、これまですごい数のカメラ。気後れして集合写真に写り損ねた。

最初のセッションは大量破壊兵器について。第二セッションが私の出番で、サイバーセキュリティについて。高麗大学の先生が一緒だが、高麗大学は学部と大学院にサイバーセキュリティのコースを作っていて、話を聞きたかったので、非常に良い機会だった。私は当初予定していた内容をやめて、今までの素材を作り直して話をする。シンガポールより好評だった。

夜の晩餐会は前日よりも大きくて、音楽や踊りの出し物がたくさんあった。韓国は徴兵制だから、音楽の才能がある若者も軍隊にいる。そういう人たちを無料で動員できるのが強みだ。6人ぐらいの男性メンバーによるカルメンの合唱は迫力があった。

3日目。新しい安全保障についてのセッション。仲良くなったドイツ人の報告がおもしろかった。

会議終了後、すぐに会場を抜け出して、大学院の卒業生に会う。それからKISA(韓国インターネット振興院)を訪問して、意見交換。

終了後に金浦空港まで送ってもらい、VIPゲートを通してもらう。

しかし、VIP扱いもここまで。夜の羽田に着いたら庶民に戻っていた。電車に乗って帰宅する。

ソウル(11/2〜4)

 8月、9月、10月は海外出張に行かず、おとなしくしていた。

 11月はじめに急遽、ソウルへ行くことになる。SFCで展開している日本研究プラットフォーム(JSP)の活動の一環だ。2日間で昔からの友達と新しい友達にたくさん会い、ネットワークを広げる。

 最近の日韓関係はあまり良くないが、実際にソウルに行ってみると、ニュースを通じて伝えられる雰囲気とはずいぶん違うなと感じる。

 印象的だったのは国民大学校の日本学研究所。スタッフの厚さと資料庫に驚かされる。日韓関係を支えているのはこういう研究者たちでもあるのだなと感心。

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 3日目早朝の便で金浦空港から羽田空港へ。そのまま三田へ行って午後1時からの会合に参加。こういうことができるのも近いからだ。

北京(7/22〜23)

 シンガポール出張と同じ7月にHさんと一緒に1泊で北京へ行った。午後、ホテルへ着いてからFさんと待ち合わせると、「飛行機は大丈夫だったか」と聞かれる。何のことか分からなかったが、前日は北京は大雨による洪水で、死者がたくさん出ていたとのこと。帰れなくなった人が職場で夜を明かすなど、大変だったらしい。出張に出る前はいつも忙しいので、何も知らずに来てしまった。

 Fさんに大きな公園に連れて行ってもらう(名前を忘れてしまった)。

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 その後、近くのお店で会食。写真の料理がおいしかったが、これも名前を忘れてしまった。

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 翌日の午前中、サイバーセキュリティ関連の仕事をして、また会食をしてからすぐに空港に向かい、帰国の便に乗る。

 パソコンは持って行かなかったので、iPhoneでネットをのぞいてみるが、Yahooのニュースは見られなかった。

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シンガポール(7/14〜15)

 もうずいぶん前になってしまったんだけど、7月、お招きを受けて、シンガポールへ。

夜行便で早朝に到着。ホテルへ行ったらチェックインさせてくれた。良いホテルだ。ランチは同僚のJさんと。眺めの良いレストランに連れて行ってくれた。ごちそうさまでした。

夕食から会議は始まる。会場のホテルのレストランで主催者と参加者が集まって会食。旧知のSubimal Bhattacharjeeがいたのにはびっくりした。彼とは2008年のジュネーブの会合で一緒だった。

この会議には昨年も参加したので、同じく昨年も参加していた何人かと1年ぶりだねと挨拶する。

翌日は朝から本格的な会議が始まる。基調講演はEneken Tikkで、NATOのCCD COEで、タリン・マニュアルの作成に関わっていたようだ。若いのに堂々とした基調講演で感心した。

別の同僚のAさんも午前中のパネルで報告。

私は午後のパネルで報告。昨年と同じではつまらないので新ネタを披露。笑いはいまいちとれなかったが、おもしろい問題提起だと評価してくれた人がいたので良かった。

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会議はまだまだ続くが、私は授業があるのでこの日の夜行便で帰国。早朝に羽田について、そのままSFCへ。疲れる旅だった。