太平洋における海底ケーブルの発達

土屋大洋「太平洋における海底ケーブルの発達―情報社会を支える大動脈―」慶應義塾大学JSPワーキングペーパー、第2号、2012年10月。

日本研究プラットフォームのワーキングペーパーがアップロードされた。これはアメリカ学会の学会誌『アメリカ研究』に書いたものをアップデートしたもの。特にハワイにおける海底ケーブル接続について加筆している。

これと少し似ているが、違うバージョンが、今年中に出版される本に収録されるはず。はず。はず。だが先行き不透明。その出版社の近刊案内はからっぽである! またすごーく時間のかかるプロジェクトなんだろうか。

と思ったら……、その本の初校ゲラを返していなかったことに気づいて呆然としている。他の著者がまだだからゆっくりで良いとは言われたものの、すっかり意識から遠ざかっていた。まずい。

SEACNケーブル

 これも先日のこと、ある研究所の壁に貼られていた2001年の海底ケーブル地図を見ていたら、パラオの近くにSEACNという海底ケーブルが引かれている。そんな話は聞いたことがないし、現在の海底ケーブル地図には出ていない。

 おかしいなと思ってググってみると、SEACN(South East Asia Cable Network)は、インドのDishnet DSLという会社が敷設しようとしていたが、パートナーのTyComという会社が投資資金を引き揚げてしまったために、プロジェクトが中止になったようだ。

Dishnet DSL abandons submarine cable project (Monday 9 June 2003)

 2003年のニュースだが、2001年のITバブルがはじけた余波だったのだろうか。

Dishnet shelves $1.2bn undersea cable project

 この記事を読むと、

Post 9/11, TyCom’s financials along with those of a host of other US companies came under the scrutiny of the US market regulator.

とある。9/11の影響か。

 2001年3月のニュースを見ると、パラオをつなぐという話は書かれていない。やはり素通りの計画だったのだろうか。

DishnetDSL-TyCom route survey on

 TyComという会社はよく分からないが、インドのTATAに2004年に買収されたようだ。

PTC’13

 年度末で青息吐息。昨年は暇だったのに、今年はなぜかとても忙しい。年末から学生の卒論、修論、博論を読み続けながら、国内外で出張し、原稿を書き続けている。相変わらず会議も多い。予定が混乱してきていて、先日は政府との会合をすっぽかしてしまった。スケジュール帳には入っていたのだが、他のことに気をとられていたのと、キャンセルになっていたと勝手に思い込んでいたのとで、すっかり頭から抜けていた。別の会合はどう見ても間に合わない時間に設定していた。まずい。

そんな中で楽しかったのが、1月20日〜23日にホノルルで開かれたPTC(Pacific Telecommunications Council)。昨年も行って楽しかったのだが、なんだか日本のプレゼンスが小さいなあと残念に思っていた。

ところが、今年は急に日本のプレゼンスが大きくなっていてびっくりした。元総務省の坂巻政明さんが中心になって企画を練られたらしく、日本からは我らの村井純学部長や総務省情報通信政策研究所の仲矢徹さんらもプレナリーに登場した。

それと、キーノートでTubes: Behind the Scenes at the Internetの著者Andrew Blumが来ていたのが良かった。この本は12月にハーバードに行ったとき本屋で見つけていて、読みたいと思っていた。彼のキーノートで日本語版も出ると紹介されたのでその場で注文した。

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こういう仕事、いいなあ。自分で書いてみたかった! 海底ケーブルのことも書いてあっておもしろい本。キーノートの後にたまたま彼を見つけたので挨拶して名刺をもらえた。ミーハーな気分だ。

今回のPTCでは自分もワークショップで報告。

Motohiro Tsuchiya, “International Politics of Submarine Cables,” presented at Research Workshop: Bridging the Digital Divide in the Pacific, Pacific Telecommunications Council, Honolulu, HI, United States, January 20, 2013.

PTCは通信事業者の会合で、アカデミックな会議ではない。しかし、アカデミックな研究者をもっと呼ぼうという声もあり、そうしたニーズに応えるワークショップやセッションもある。私としては業界の動向、特に海底ケーブルや人工衛星の最新動向がつかめるので、それだけで楽しい。

アカデミックなワークショップは例年あまり人が集まらないらしいが、今回は太平洋島嶼国がテーマということもあって、それなりに人が集まってくれた。なんと、10年ぐらい前にとてもお世話になっていた元FCCで今はシスコにいるロバート・ペッパーさんもフロアに来て鋭い質問をしてくれた。GLOCOM時代の資産だ。

東京での用事があって、PTC全部には出られなかったけど、PTCをバックアップしているPTC日本委員会の食事会にも参加させてもらって楽しかった。

今回のワークショップは慶應のメディアコムの菅谷実先生から声をかけていただいて実現した。先日の長崎のシンポジウムでも菅谷先生にはお世話になっている。この一連のプロジェクトの成果は、まもなく、菅谷実編著『太平洋島嶼地域における情報通信政策と国際協力』(慶應義塾大学出版会)として公刊される見通しだ。私はパラオのことを書いた。

ついでに、久保文明/高畑昭男/東京財団「現代アメリカ」プロジェクト編著『アジア回帰するアメリカ—外交安全保障政策の検証—』(NTT出版)という本ももうすぐ出る。こちらは相変わらずのサイバーセキュリティ。

どちらの本も、なかなかゲラを返さない人がいるらしく、年度内に出るかどうか微妙みたいだ。

夏頃までにはもう一冊共著本が出るはず。こちらではハワイにフォーカスした海底ケーブルの話を書いている。昨年後半苦しんで書いていたものが成果になるのはうれしい。

長崎でのシンポジウム

 見学ツアーの後、シンポジウム「長崎からつなぐ <過去・現在・未来> ―日本の電信電話事業の幕開けと現代におけるケーブル事業の展開―」に参加。開会挨拶は菅谷実先生(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所教授)、総合司会は吉光正絵先生(長崎県立大学国際情報学部准教授)。

 基調講演のブライアン・バークガフニ先生(長崎総合科学大学教授)がとてもおもしろかった。この先生、40年前にカナダから来日し、10年間お寺で修行していたそうだ。その後、独学で日本語を学び、長崎の外国人居留地を中心とする研究をされている。講演のジョークも、使われている資料もすばらしい。50分間、よどみのない日本語で講演された。

 内容はそれほど海底ケーブルとは関係ないけれども、グラバー亭のトーマス・グラバー一家の話や、長崎の最初の電話架設の話など、とても興味深い。長崎のことをもっと知りたいなあという気にもなった。

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 バークガフニ先生のお話、国際交流の意味についても深く考えさせられた。ただ単に集まるだけでは国際交流にならない。目的を持って一緒に活動をしないとダメとのこと。本当にそうだと思う。

 休憩の後のパネル・セッション。司会は菅谷先生。ツアーの解説もしてくださった岡本健一郎さん(長崎歴史文化博物館研究員)、河又貴洋先生(長崎県立大学国際情報学部准教授)、安田豊さん(株式会社KDDI研究所代表取締役会長)、それぞれおもしろい話だった。

 焦ったのは、皆さんのお話で私の話すネタがだいぶなくなってしまったこと。他の皆さんのお話の最中に急遽、パワーポイントを作り変えた。重なる話はなるべく控えて、海底ケーブルのデジタル・デバイドやケーブルの物理的な保護について話をする。

 最後に少し相互に議論したり、フロアとの対話をしたりする時間があって良かった。フロアからの最後のコメントが強烈で、おもしろかった。長崎は昔話だけしているだけじゃだめで、これからのことを考えないとということだった。閉会挨拶はKDDI総研の東条続紀社長。良い締めの言葉だった。年末は遠くの家族に電話しましょう。

 シンポジウムが終わって、空港に急ぐ。飛行機には間に合う見込みだったが、空港で長崎名物トルコライスを夕食に食べたかったからだ。トルコライスの由来はよく分からないらしく、トルコのものではないだろうとのこと。内容も、ピラフとトンカツとスパゲティの盛り合わせというだけなんだけど、トルコライスというのをこの旅行中に初めて知ったので、試してみたかった。

 空港2階のレストランに駆け込み、頼んで出てきたトルコライスはものすごいカロリーと思えるしろもの。

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 トンカツのせいでピラフは見えない。スープも付いている。空港価格だったけど、おなかいっぱいになって良かった。

 今回、たくさん長崎の方々とお知り合いになれて良かった。SFCの卒業生2人にも会えた。活躍している様子でうれしい。長崎にまた海底ケーブルの調査その他で行きたい。実は来月も長崎には行くのだけど、市内には行けず、時間的余裕もなさそうなのが残念。

長崎海底ケーブル資料見学

 シンポジウムに参加するため、長崎に行って来た。今回はKDDI総研さんが全面的にサポートしてくださり、とても良かった。

なんと言っても、前回は外から眺めるだけだった小ヶ倉の陸揚庫の中を見せてもらえたこと。

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中身は空っぽなんだけど、広さ/狭さを体感できたのがうれしい。

案内してくださった岡本健一郎さん(長崎歴史文化博物館研究員)によると、場所はもともと千本松といわれた半島の中にあったが、港湾整備のために女神大橋近くにいったん移され、その後に今の場所に移ったので、正確ではないとのこと。

中にあったものは、先日訪問した栃木県小山の国際通信史料館と長崎歴史文化博物館に分けて保存されている。長崎歴史文化博物館には、机や通信機、電信文の記録などが展示されている。

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この博物館は今回初めて訪問した。時間がなくて全体は見られなかったが、今度是非全部を見たい。昼食を博物館の中にある銀嶺というレストランでいただいた。ここはもともと市内でも有名だったレストランだそうだ。トルコライスを是非いただきたかったが、シンポジウム参加者用のメニューが決まっていたので残念だった。

シンポジウム「長崎からつなぐ <過去・現在・未来> ―日本の電信電話事業の幕開けと現代におけるケーブル事業の展開―」

日曜日に長崎でシンポジウムに出ます。他の方々の話がとても楽しみ。

http://www.jotsugakkai.or.jp/operation/nagasaki-symposium.html

主 催:長崎歴史文化博物館

共 催:情報通信学会/社会情報学会(SSI)九州・沖縄支部/公益事業学会九州部会

協 賛:KDDIグループ

日 時:平成24年12月16日(日)13:30〜16:50 

場 所:長崎県歴史文化博物館ホール(〒850-0007 長崎市立山1丁目1番1号)

プログラム:

12:30 開場・受付開始

13:30-13:35 開会挨拶 菅谷実(情報通信学会会長・慶応義塾大学教授)

13:35-14:25 基調講演 ブライアン・バークガフニ(長崎総合科学大学教授)「情報交流地としての長崎〜過去から現在へ」

14:25-14:40 休憩

14:40-16:40 パネル・ディスカッション

テーマ:「海底ケーブルは何をどのようにつないだのか?!」

  コーディネータ:菅谷実(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所教授)

  パネリスト:

   「近代化の魁・長崎〜電信電話事業の幕開け」

     岡本健一郎(長崎歴史文化博物館研究員)

   「電信電話事業から見た日本の近代化における世界認識」

     河又貴洋(長崎県立大学国際情報学部准教授)

   「海底ケーブルの現状と将来展望」

     安田豊(株式会社KDDI研究所代表取締役会長)

   「海底ケーブルの国際政治学」

     土屋大洋(慶應義塾大学大学院政策メディア・研究科教授)

16:40-16:50 閉会挨拶 大堀哲(長崎歴史文化博物館館長)

  総合司会:吉光正絵(長崎県立大学国際情報学部准教授)

(敬称略)

概要:近代化の魁(さきがけ)となった長崎。その一つに電信電話事業の発祥の地としての長崎の存在がある。幕末の国際情勢動乱期に、長崎に持ち込まれた電信電話技術は、国際と国内を結ぶ交易都市としての長崎のみならず、国際情報流通ポイントとして長崎の戦略拠点的役割を高めることともなった。

 本シンポジウムでは、近代化という社会改革の胎動期にあった長崎の遺産を手掛かりに、その後の近代・現代化を推進することになる情報通信技術の役割と機能拡大に伴う、歴史、政治、経済、技術の観点からとらえた「世界認識」の視点を探究しようとするものである。そして、今日のグローバル化の進展の中での世界情勢と情報メディア環境の動態に照射しうる視座を得るための議論の場を提供する。

参加費:無料

参加申込:下記にメールアドレス宛に、件名を「シンポジウム参加申込」とし、お名前、所属、連絡先を明記の上、お申込みください。

申込先:3bu@kddi.com

問合せ先:KDDI総研 3bu@kddi.com  電話:03-6678-6179

国際通信史料館

 先日、栃木県小山市にあるKDDIの国際通信史料館を見せてもらった。一般公開されているが、予約が必要。

昨年、長崎まで海底ケーブル関係の史料を見に行ったが、その際に国際海底電線小ヶ倉陸揚庫は中を見ることができなかった。実はその中身は長崎の博物館とこの小山にある国際通信史料館に分けられ、展示されていることが分かった。今回、KDDI総研と慶應メディアコミュニケーション研究所の菅谷実教授のご厚意で見せてもらえることになった。

史料館の建物は昭和5年(1930年)のものだそうで、80年以上経っているが、現在は史料館以外の目的では使われていない。もともとは国際電信電話(KDD)の短波無線の送信所として使われていたそうだ。太平洋戦争中、米軍もこの施設の場所をよく知っていて爆撃せず、GHQが来てからすぐに再利用されたとのこと。

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史料館には海底ケーブルの歴史を示す史料とともに、小ヶ倉陸揚庫を復元したものもある。内部には24時間対応できるようにベッドなどもあったそうだ。へえーっと思ったのは上海と長崎の間に引かれた日本最初の海底ケーブルを切り取ったもの。家に置いておきたいという気にはならないが、よく残っているものだと驚いた。

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他にもインテルサット(人工衛星)の実機も置いてあった。予備機で打ち上げられなかったものだ。

説明の話の中でおもしろかったのは、日本の海底ケーブルはデンマークの大北電信との間の不平等契約によって牛耳られてしまったので、短波無線が出て来ると、海底ケーブルから脱却するために短波無線に入れ込んだという指摘。日本は大北電信にやられたが、その大北電信も裏ではイギリスとロシアの影響下にあったという話もある。当時の世界の海底ケーブルはイギリスに支配されていたので、それから脱却するために無線が多用されたとすれば、つじつまが合う。この話は収穫だった。

史料館の内部は1時間しか見られなかったので、また是非行きたい。丸一日つぶして見ておきたい。

ウィリアム・N・アームストロング『カラカウア王のニッポン仰天旅行記』

ウィリアム・N・アームストロング(荒俣宏、樋口あやこ訳)『カラカウア王のニッポン仰天旅行記』小学館、1995年。

 ハワイの海底ケーブルのことを調べていて、ハワイ王国の最後から二人目の王様であるカラカウア王が明治天皇に会いに来たとき、海底ケーブル敷設の提案や、皇室とハワイ王室の姻戚の提案をしたことは前にもちょっと書いた。

 その時のことが詳しく書いてないかと思ってこの本を読んでみた(絶版なので図書館で借りた)。アームストロングという人はアメリカ人なんだけど、ハワイ王国の大臣としてカラカウア王とともに世界一周の旅に出て、その旅行記をカラカウア王が亡くなった後に出版した。まあ、ひどく辛口で、カラカウア王の悪口もいっぱい書いてある。王と従者というより、もともとは学友だった二人だから、そういう視点で書いている。

 肝心の海底ケーブル敷設の話は注釈で書いてあるだけで、詳しい話はなかったけど、日本の明治政府が莫大な金額をかけてカラカウア王を歓待して、王様と従者3人が仰天している様子がおもしろい。明治天皇の人となりもちょっと分かってイメージが変わった。荒俣宏が博学を駆使していろいろ注釈を付けてくれているのも楽しい。

Motohiro Tsuchiya, ”Digital Divides in Pacific Island Countries: Possibility of Submarine Cable Installation for Palau”

Motohiro Tsuchiya, “Digital Divides in Pacific Island Countries: Possibility of Submarine Cable Installation for Palau,” G-SEC Working Paper, no. 32, September 5, 2012 <http://www1.gsec.keio.ac.jp/text/working_detail.php?n=34>.

太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド」という論文を英語にしたものをグローバル・セキュリティ研究所(G-SEC)のワーキングペーパーとして載せた。

海底ケーブルの話は調べるほどおもしろい。

今は100年前の太平洋ケーブル、特にハワイをめぐる争いについて調べている。イギリスがハワイ王国につながせてくれと頼むと、互恵条約を根拠にアメリカが拒否、アメリカは補助金を使ってアメリカの海底ケーブルを引こうとするが、議会を巻き込んでの大論争。そこに無料で引いてやると現れた実業家。米西戦争のあおりでハワイも併合……といった感じでドラマが続く。

これは是非とも次の本としてまとめたい。もうすぐ出る『サイバー・テロ 日米vs.中国』で本を書くのは終わりにしようと思っていたんだけど、また書きたくなってきた。インターネットの研究をしている私が100年前の文献を読むなんて考えにくかったのだが、とてもおもしろい。

今日は『明治天皇紀』や『日本外交文書』でハワイのカラカウア王が来日した時の記述を読んだ。「国王」ではなく「皇帝」として書いてあるのもおもしろい。カラカウア王は明治の日本が初めて迎えた外国の皇帝だから礼を尽くせと明治天皇が指示し、「微服間行」で「アリー・カルカウア」という偽名でやってきたカラカウア王は、あまりの歓迎ぶりにびっくりして滞在を延長することになる。

そして、カラカウア王は、(1)アジアの諸国が欧米に対抗するために連合し、その盟主に明治天皇がなるべきだ、(2)海底ケーブルをハワイとの間に引こう、(3)カラカウア王の姪を日本の皇室に嫁がせたい、という三つの驚くべき提案をする。どれも実現しないのだが、(1)なんかは明治天皇の国際情勢認識に影響を与えたんじゃないかと思う。想像が膨らんでおもしろい限りだ。

授業が始まるまでにある程度読み込んでおきたい。

海底ケーブルの地政学的考察

土屋大洋「海底ケーブルの地政学的考察—電信の大英帝国からインターネットの米国へ—」『アメリカ研究』第46号、2012年3月、51〜68ページ。

アメリカ学会の学会誌で「海と国家」という特集を組むということで、これは書かねばなるまいと投稿した。特集論文は4本しかなく、普通の研究論文が6本収録されている。

「地政学的考察」というのは今となっては大げさで、気恥ずかしい。私としてはパラオの海底ケーブルの論文とセットで書いたつもりだ。

山中速人『ハワイ』

山中速人『ハワイ』岩波書店、1993年。

 ハワイに行く際に読んだ。ハワイについての本としては定番のようだ。通俗的なハワイのイメージの背景にあるものを教えてくれておもしろい。アメリカによるハワイ併合についてもようやく理解した。海底ケーブルがハワイに接続されたのも併合と前後していて興味深い。

 執筆当時、著者は放送教育開発センター助教授だったが、現在は関西学院大学教授のようだ。

史康迪「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史」

史康迪(Curtis Smith)「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史–中国大陸のマスコミ報道の検視と海底通信ケーブルの新発見」『南島史学』第65・66合併号、2005年、294〜282ページ。

 沖縄に行った際、自由時間に沖縄県立図書館までホテルから歩いて行った。方向音痴気味の私としては、知らない町をフラフラ歩くだけでけっこう楽しいのだが、余り時間もなかったのでiPhoneの地図を使って最短距離を探して行った。観光客が通らない裏道を通って生活の様子を眺めるのはけっこう楽しかった。

 なぜか県立図書館と市立図書館が隣り合わせで建っているようなのだが、県立図書館のほうだけ行く。公園の中にあって、日曜日だったので多くの人が出てきている。

 いくつか見たい資料があり、そのうちのひとつがこれだった。

 南島学会というのはウェブももなく、いまいちよく分からない(琉球新報による解説)。

 県立図書館の郷土資料のコーナーでようやくこの論文を見つけたが、なんと要旨以外は中国語でずっこけた。台湾との合同学会で発表された報告らしい。中国と台湾の間で最初に敷設された海底ケーブルの解説らしく、それが中国で報道されているものとはルートなどが違うと主張しているようだ。切断されたケーブルの写真などが出ていて興味深いのだが、いかんせん読めない。残念。

 著者は多分この人だろう。ミシガン州の大学で中国語を教えているようだ。

http://www.gvsu.edu/mll/curtis-smith-27.htm

自衛隊沖縄基地見学

 3年ほど続けてきたアメリカの海洋戦略に関する共同研究が終了に近づき、まとめの議論をするために沖縄で合宿をした。無論、リゾート気分を味わいたいからではなく、アメリカの海洋戦略の要衝となっている沖縄を見学するためだ。

 3日間の合宿のうち、初日と2日目は4人の研究報告。私は11月に済ませているので司会だけでよく、割と気軽だった。

 3日目は自衛隊基地と米海兵隊基地の見学。海兵隊のほうは、旧知のロバート・エルドリッヂさん(大阪大学の教官から海兵隊に転身)に案内してもらい、彼が中心になって進めた気仙沼の大島小学校との交流の話を中心に聞く。

http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Releases/110803-Release.html

 自衛隊基地は、研究メンバーに自衛隊関係者が二人いたので実現した。基地内に残る旧海軍の砲台を見たり、P-3C哨戒機、F-15を間近に見せてもらったりした。

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 両方ともよく整備されているが、いささか装備が古いという印象も受ける。哨戒機としてはゆっくり飛ぶことができるプロペラ機のP-3Cは優秀とのことだったが、それでも導入から30年経っている。F-15も次世代の戦闘機には対抗できない。日本の防衛はなかなか難しい。

 共同研究の成果は来年出版される見通し。私はしつこく海底ケーブルの話を書く予定。先のパラオやハワイの話もここにつながる。

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その4:終わり)

 週末に陸揚げ局を見に行ったのだが、平日はハワイ大学の図書館で資料を漁っていた。ハワイ大学は州立大学なので誰でも入れる。本の貸し出しはできないが、ほぼ全ての資料にアクセスできる(日本の国立大学もそうすべきだと思うのだが、なぜかそうなっていない)。州立大学は政府関連資料も充実しているのが良い。

 だいたい100年ぐらい前の資料を目当てに探していて、いくつかはすでに電子化されてデータベースに載っていた。インターネット万歳。他の古い資料はマイクロフィッシュになっている。たぶん、これも東京のアメリカン・センターにあるのかもしれない。

 ただ、ここでしかアクセスできない資料もいくつかあって、その中でも他ではアクセスできないなと思ったのは1956年にハワイ大学に提出された修士論文。まだパラパラと目を通しただけだが、かなり使えそうだ。参考文献リストからたどって、1911年にハワイ歴史学会の会報に載った文章にもたどりついた。芋ずる式に資料が見つかるとおもしろい。

 いろいろ見つかった資料をざっと眺めてみると、ハワイがまだ王国だった1890年代から太平洋ケーブルをつなげようという動きはあったようだ。ハワイにはフィリピンから移民が来ているが、在マニラ米商工会議所から早くケーブルをつなげという催促が来ていて、おもしろい。

 王国だったハワイは、1898年の米西戦争によってハワイの戦略的重要性を認識した米国によって併合されてしまう。そして、海底ケーブルがサンフランシスコ〜ホノルル間で開通するのは1903年である。その年の7月4日の米独立記念日にはミッドウェー、グアム、マニラまでが開通してしまう。すごい早業だ。

 そして、この太平洋ケーブルをつないだのは英米の合弁会社である。はからずもこの太平洋ケーブルの敷設が、大英帝国による海底ケーブル支配を終わらせ、通信事業においても米国の時代が来るきっかけになる。

 大英帝国は太平洋ケーブルをニュージーランドからハワイへ、そして米西海岸へとつないでいたが、米国はハワイから真西へ向かい、グアムにつないだ。そして、そこからフィリピンと日本へとつないだ。東海岸13州から始まった米国は、西部を開拓し、ハワイを併合し、アジアへと辿り着いたのだ。

 戦略という言葉は安易に使うべきではないが、何を考えて米国は海底ケーブルを太平洋に敷設したのか。1900年前後に米国議会は何度も公聴会を開いている。その内容をじっくりこれから読んでみる。

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ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その3)

 次の訪問地は、マカハ(Makaha)である。ここでは、Hide Fukuharaさんがマンホールと陸揚げ局の建物を容易に確認できたとしている。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

 ここはマカハ・ビーチ・パークの中にある。カヘとは違って、ビーチ・パークという名前にふさわしく、白い砂浜の広がるきれいな海岸である。ワイキキからは遠いので、地元の人向けなのかもしれない。

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http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii/makaha

 ここは詳しい図が上のリンクでも確認できるように、確かにマンホールとAT&Tの陸揚げ局の建物があった。ケーブルそのものは砂浜に埋まっている。

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 ここの様子については、ハワイ大学の図書館で関連文書を見つけた。1970年代に海底ケーブルを追加する際にハワイ・テレコムが州政府に提出した環境評価報告書である。新しくケーブルを敷設する際に工事が行われるが、珊瑚礁はなく、砂浜をほじくり返してケーブルを通すだけだから環境に悪い影響はないと論じていて、詳しい図も載せてある。

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 マカハにつながっているのは、Japan-US CNという海底ケーブルで、太平洋の大動脈と言って良い重要なケーブルである。

http://www.submarinenetworks.com/systems/trans-pacific/japan-us-cn

 しかし、その重要なケーブルがのんびりとした海岸に埋められて陸揚げされているというのも何となく不思議な感じである。

 ハワイは日米間(あるいはアジアと米国の間)の太平洋上にあって、中継点となっているからこそ、高速のインターネット・サービスを享受することができる。しかし、そうした中継点になれなかった太平洋の島々は、人工衛星にサービスを頼るしかない。人工衛星はかつて地球上を覆い尽くす画期的な技術的解決法とされたが、インターネットの大容量通信の時代には対応できなくなっている。今は光ファイバの海底ケーブルが命綱なのだ。

 やや心配になるのは、私のような素人でも簡単に陸揚げ地を見つけられるということだ。何らかの工具を持って夜中にこのマンホールをこじ開け、回線を切断することもできなくはないのではないだろうか。少なくとも2、3日は通信を途絶させることができるだろう。重要インフラストラクチャの防護という点では、心配になってくる。

(続く)

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その2)

 まずは、ホノルルから一番近い「カヘ(Kahe)」の陸揚げ局へ。ここにはサザンクロス(Southern Cross)という海底ケーブルが来ている。

 場所はカヘ・ポイント・ビーチ・パークという公園になっているのだが、海水浴には適していない。道路から廃線になっている鉄道の線路を横切ると公園の駐車場になっている。駐車場にはそれなりに車が止まっていて、みんなダイビングの準備をしている。

 ビーチ・パークといいながら、ここには砂浜はない。駐車場の向こうは草地になっていて、その向こうは断崖絶壁である。どう見ても崩れかかっている。あちこちに危険だから近づくなという看板が立ててあり、おまけに亡くなった人の十字架まで立っている。

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 ダイビングに行く人たちはやや北側の防波堤のようなところまで行ってから水に入るらしく、プカプカ浮いている人たちが見える。波はけっこう荒く、初心者向きには見えない。

 さらに気になるのは駐車場に散らばるガラス片である。少なくとも二カ所ある。これはどうやら車上荒らしの後ではないか。ダイビングに行ってしまうと、長時間戻ってこないのは明らかだ。その隙にガチャンと車の窓を割られて貴重品を盗まれるのだろう。海の中にまで財布を持っていく人はいないだろう。

 先に訪問しているHide Fukuharaさんは海底ケーブルの痕跡が見つけられなかったという。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

 確かに、それらしきものは見当たらない。あたりを見渡して目に付くのは火力発電所だ。陸揚げ局らしきものは見当たらない。マンホールも見当たらない。無論、ケーブルそのものも見えない。うろうろ歩いてみるが、それらしきものはない。

 道路を挟んで陸側にある火力発電所の入り口まで行き、何か看板でもないかと見てみるが、何もない。すると守衛が出てきてしまった。正直に海底ケーブルの陸揚げ局を探しているんだけどというと、はあっという顔をしていて、知らないとのことだった。あっちにディズニーのリゾートホテルがあるからそっちじゃないかという。退散。

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 次の場所に行くかと車に乗り込み、バックさせていると、ふと駐車場の南側の仕切りを越えたところにマンホールらしきものが見えた。慌てて車を降りて確認しに行くと、確かにマンホールだった。

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 マンホールにはGTEと書いてある。GTEは吸収合併されてすでに消滅している通信会社だ。現在はベライゾンになっている。

http://en.m.wikipedia.org/wiki/GTE

 サザンクロスはベライゾンが現在の共同所有者の一つになっている。見つけた。これが海底ケーブル陸揚げのためのマンホールだ。

 周りをよく見ると、土とアスファルトが海から陸にかけてはがされた跡がある。マンホールから海に向かっていくと、そこだけ小さな入り江のようになっている。岩がゴロゴロしていて降りていく気にはならないが、上から海中に目をこらすと、何となくケーブルらしきものが見える。普通、海底ケーブルは沖合から地中に埋めるが、ここは海岸からすぐのところから地中に入れているのかもしれない。写真に撮っても写らなかったが、あれはケーブルそのものではないかと思う。これがはるかアジアまでつながっているかと思うと感慨ひとしおである。

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 ふとこの入り江の一番奥をのぞいてみると、洞窟のようになっており、なにやら椅子などが置いてある。どうもここに住み着いている人がいるようだ。もういないのかもしれないが、住んでいた形跡がある。邪魔をしないように早々に退散した。

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 陸揚げ局の建物は確認できなかったが、マンホールを見つけただけでも一応の成果だ。

(続く)

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その1)

 最近、海底ケーブルのことについていろいろ調べている。サイバーセキュリティという点では、物理的なインフラストラクチャとしての海底ケーブルも、重要インフラストラクチャの一部をなしており、その保護をどうするかというのも関心の一つだ。この点はまだあまり議論されていない。

 そこで、海底ケーブルの陸揚げがどうなっているかということにも必然的に関心が及び始めている。そこで、先日訪問したハワイの海底ケーブル陸揚げがどうなっているかを少し調べた。ハワイは米国西海岸と日本との間の中継点になっており、歴史的にも重要である。20世紀初頭に最初の電信の海底ケーブルが日米間で結ばれたときもハワイが中継点になった。

 ハワイには現在五つの主要な海底ケーブル陸揚げ局があるそうだ。

http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii

 そのうち、二つはハワイ島にあり、残りの三つがオアフ島にある。ホノルルからハワイ島には飛行機か船に乗らなくてはいけないので、オアフ島の三つが比較的アクセスしやすい。三つはいずれもオアフ島の西岸に位置する。

 しかし、ホノルルから一番遠く、オアフ島の北西端に位置するケアワウラ(Keawaula)陸揚げ局は、カエナ・ポイント州立公園(Kaena Point State Park)の中にあり、ここはあまり治安が良くないようだ。サーファーたちが好んで集うそうだが、車上荒らしなどもあるらしい。ここに行くのは断念した。

http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii/keawaula

http://www.hawaiistateparks.org/parks/oahu/index.cfm?park_id=19

http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/Nana/blog/15846.html

 残りの二つは、カエナ・ポイント州立公園に行く途中の海浜公園にある。しかし、いずれの二つも、すでにHide Fukuharaさんが訪問している。その後追いになってしまうが、やはり現地は見ておきたい。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

(続く)

太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド

土屋大洋「太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド―パラオにおける海底ケーブル敷説の可能性―」慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所編『メディア・コミュニケーション』第62号、2012年3月、161〜171ページ。

 慶應のメディア・コミュニケーション研究所の菅谷先生のプロジェクトの成果(正確には慶應の東アジア研究所が支出しているプロジェクト)。

 一時期、やたらと太平洋島嶼国に関する論文を読んでいたのは、これを書くため。なかなか海底ケーブル関連の話はなかったが、それでもこの論文を書くのは楽しかった。

パラオ再訪

 1年半ぶりにパラオを訪問してきた。1日目の夜に到着し、2日目の夜(正確には3日目の未明)に帰る便だったので、実質1日しかなかったが、おもしろかった。

 主たる目的は、Caroline Cable Projectというパラオとヤップをつなぐ海底ケーブルプロジェクトの進捗を聞きに行くため。

 2010年8月に初めてパラオを訪れたとき、インターネットのあまりの遅さにびっくりして調べ始め、光ファイバの海底ケーブル敷設の有無が太平洋島嶼国を勝ち組と負け組に分けていることに気がついた。

 パラオももちろん分かっていて、海底ケーブルをつなげたいと思っていたが、さまざまな要因でできなかった。

 ところが、2011年春になって、フィリピンとグアムを結ぶケーブルが用済みになったという話が伝わり、パラオとミクロネシア連邦が提携してそれをパラオとヤップ島に引き込もうというプロジェクトが動き出した。パラオでは大統領が率先してこのプロジェクトを動かしている。

 ここまでの話は実は、慶應のメディア・コミュニケーション研究所の紀要に書いた。

 それがその後どうなったのかと聞きに行ったわけだ。やはりインターネットの時代でも、現場に行って話を聞くことには意味がある。パラオではマスコミもそれほど発達していないし、そもそもネットが遅いから、ネットにもたくさんの情報は載ってこない。現場で情報は埋もれている。

 聞いてきた話はまたどこかに書くとして、感激したのは、パラオ・コミュニティ・カレッジの看板。写真のように日本の震災のことを大きく掲げてくれている。パラオはやはり日本の味方なんだなと再認識した。パラオの皆さん、ありがとう。今日はあの日からちょうど1年だ。

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初めてのハワイ

 実はハワイには行ったことがなかった。そんな軟派なところに行けるかという思いもあったし、用事もなかった。

 ところが、共同研究の一環として、毎年ホノルルで開かれているPTC(Pacific Telecommunications Council)に行かせてもらえることになった。授業を休講にしてしまって学生には申し訳なかったけれども、太平洋島嶼国のデジタル・デバイドが最近のテーマの一つで、その関係者がたくさん集まる会議だ。それと関連して、海底ケーブルのこともいろいろ調べていて、そっちの話もたくさんある。

 PTCは何十年も前から毎年ハワイで1月に開かれている。もともとは国際料金精算の交渉をする場だったらしいが、最近はパケット通信全盛になってしまい、そんな交渉はほとんど行われず、今は業界の最新情報を交換する場になっているようだ。学者よりもビジネスマンが多いところを見ると、毎年経費で行ける休暇先ということで続いているのかもしれない。

 学者中心の学会とは違って、基調講演なんかもリラックスした雰囲気。悪くいえばグダグダ。パワポもハンドアウトもなく、壇上でソファに座って座談するみたいなセッションが多い。しかし、学者が仕切っているパネルは、学会風になっている。

 期待していたほど、太平洋島嶼国の話は出てこなかったが、海底ケーブルのほうはいろいろおもしろい話が出てきて来た甲斐があった。北極海に海底ケーブルを通そうというプロジェクトもおもしろい。1980年代からいくつも同じようなプロジェクトが浮かんでは消えていったらしいが、また新たにやろうとしているところがある。そういえば、同僚の村井さんもその話をしていた

 人工衛星のほうも気になってセッションにいくつか出てみたが、こっちはそんなにイノベーションの徴候をつかめなかった。

 日本の総務省から審議官も来ていて、規制のパネルと震災のパネルに出ていた。研究者も何人か発表している。しかし、日本企業はスポンサーになっていなくて、ちょっとプレゼンスが足りない感じ。

 最終日の表彰式を兼ねたランチが終わると、同僚とともに、ハワイ大学へ。TIPG(Telecommunications Information Policy Group)というプロジェクトを主催するノーマン・オカムラ教授にインタビューする。太平洋島嶼国の光海底ケーブル敷設問題はあまりにも政治的で、国際政治学者としてはおもしろすぎる。これはしばらく追いかけたいテーマだ。恥ずかしながら、TIPGのウェブに写真が載っている(パーマリンクがないのでそのうち消えると思う)。写真を撮ったとき、同僚はすでに空港に向かうタクシーに乗ってしまっていたので私しか写っていない。

 私はもう一泊あったので、インタビューの後はハワイ大学の図書館で資料を漁る。1900年頃にどうやってハワイが海底ケーブルを敷設したか分かる資料が残っている。しかし、17時で書庫が閉まってしまい、すべてをコピーできず。またハワイに来る理由ができてしまった。

 大学からバスに乗ってホテルへ戻ろうとするが、どこで降りたら良いのか分からず、ワイキキの繁華街まで連れて行かれてしまった。夕暮れの中をブラブラ歩く。みんな楽しそうに騒いでいる。

 ホテルに戻り、日本から持ってきたプリンタをたくさん回して論文と資料を印刷し、翌日の機内では9時間半のフライトの中、7時間ひたすら読みまくった。エコノミーの3席を占領できたのでとても集中できた。来年も行けるといいなあ。予算があるかなあ。休講にするとひんしゅくかなあ。