京都で一週間

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選挙の投票をしてから新幹線に乗り、昨日まで京都の立命館大学で過ごす。夏休みだというのに、夏期集中講義にわんさかと学生がやってきていて(ただし、私の大学院の講義は受講者3名なのでのんびりと)、食堂はピーク時には席がなくなる。学期が始まると大変なことになるらしい。とにかく元気な大学だ。正門を入ると縄跳び(?)サークルが練習中で、見事なパフォーマンスを見せてくれる。

朝10時40分から午後4時10分まで講義で、その前後にそれぞれ45分のバスに乗らなくてはいけないので、観光はできない(その気力も残っていない)。でも食事を楽しんだり、バスの風景を見たりしているだけでも京都は興味深いからよしとしよう。

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これは立命館大学の近くにある中野屋という讃岐うどんの店で食べた「釜玉生じょうゆうどん」(天ぷらは別売り)。昨年の受講生に教えてもらった店で、ちょっと歩かなくてはいけないが、とてもおいしい。六本木で讃岐うどんを食べたらあっという間に1000円を超えてびっくりしたが、ここではそんなことはない。

京都の帰りに名古屋に数時間立ち寄って会食。万博効果なのか、とても景気がいいようだ(世界で一番景気がいいんじゃないかとすら思える。ここを超える景気のいい街はどこだ)。一泊しようと思ったがホテルはまったく空きがない。夜中に帰宅。ウェリントンから名古屋までの長いツアーが終わった。

国際政治事典

国際政治辞典

猪口孝・田中明彦・恒川恵市・薬師寺泰蔵・山内昌之編『国際政治事典』弘文堂、2005年。

少しだけ執筆。11月刊行予定。執筆者は総勢445人。執筆者が1冊ずつと全国の図書館が買えば1000部にはなる計算か。なるほど。

ヴィント・サーフがグーグルに移籍

Yuki Noguchi, “Google Grabs Internet Founder From MCI: Vinton Cerf Helped Develop Protocol for Web Communication in the 1970s,” Washington Post, September 9, 2005; D05.

グーグルは最近マイクロソフトからの人材引き抜きで話題を振りまいているが、今度はMCIからヴィント・サーフまで引き抜いた。アプリケーションもどんどん拡大中だし、何を考えているんだろう。

低くて小さい島

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昨日はStockholm School of Economics(SSE)でセミナーを開いてもらう(写真はメイン・ビルディングの正面玄関)。ニクラスのおかげだ。いろいろな人が集まってくれて興味深い話を聞くことができた。

SSEにいる日本人の友人(今回は会えなかったが)は、SSEを「ストックホルム商科大学」と訳しているが、「ストックホルム経済大学」と訳している例も多い。後者のほうが直訳としてはいいようだが、どうなんだろう。スウェーデンの大学は一般的には無料だ。その分税金が高いのだが、でもうらやましい(留学生は授業料をとられる)。SSEは例外的な私立大学で、授業料が必要だ。

ちなみに「ストック」は「低い」で、「ホルム」は「小さい島」という意味だそうだ。ストックホルムは低地にあり、徐々に海に浸食されているという。温暖化はここでも他人事ではないようだ。

もっと時間があればさらに調査を深められただろうが、時間切れだ。今日の便に乗って東京に帰る。

ヨーテボリ

昨日は日帰りで飛行機に乗ってヨーテボリ(英語では「Gothenburg:ゴッセンバーグ」)まで出かける。

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ヨーテボリ大学の情報学部クリエイティブ・コモンズ・スウェーデンをホストしている。写真の5人のうち真ん中のマシアスと右隣のカールが中心になっている。もうすぐポーティング・プロセスを終えるそうだ。左端のスタファンは人類学者で日本に5年滞在したことがある。左から二番目のジョセフは建築家で大学ではデザインを教えている。右端のジョナスはフリー・ソフトウェア・ファンデーション・ヨーロッパのバイス・プレジデントだ。

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ひとしきり議論した後、ヨーテボリを案内してもらう。ヨーテボリは大阪みたいなスウェーデン第二の都市だが、文化的な中心でもある。街自体はさほど大きくなく、中心部は歩いて回ることができるが、景観が維持されている。石畳や建物の外観は古いものを残している。写真の通りはその典型的なもので、再開発の話が出たときに住民が立てこもって反対したそうだ。

カフェや書店、劇場などが建ち並び、年に一回映画祭も開かれる。スタジアムではコンサートもあり、最近はU2も来たそうだ。大学街なので教職員だけでも5000人おり、それを中心とした文化都市になっている。かつては造船業で栄えたそうで、まだドックが残っているが、日本との競争に負けてしまったという。

1時間半ほど歩いて案内してもらったのだが、大学と街が融合し、アートが溢れ(政府は一定額をアートに支出する義務があるという)、いい雰囲気だ。なんともうらやましい。スウェーデンでは数百年単位で話をすることが多いという。「われわれは16世紀以来、攻められたことがない」とか「200年前に隣の某国を失ってしまった」とかである。そう考えられるのも身近に歴史があるからだろう。

ストックホルム市内

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日曜日の夕方、ストックホルム市内をぶらぶらしていて見つけたお店。この組み合わせはやめてもらいたい。

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旧市街近辺は王国の雰囲気に溢れている。けっこう賑やかだ。

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絵になる街だ。

ストックホルムに到着

3日夕方にNYを発つ。スカンジナビア航空はなかなかいい。食事も一風変わっていたし、ネット接続も可能だった。

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写真は、大西洋上の機内でスカイプを通じて東京と話しているKさん。TさんとSさんと話したが、Tさんとの会話は問題なし。Sさんとの会話はとぎれとぎれ。CPUの処理速度が関係しているということだが、どうなんだろう。大声出していると周りの人に迷惑ということ以外は実用的だ。

朝の6時半(NY時間で夜中の12時半)にスウェーデンのストックホルムに到着。霧が立ちこめていて、空気がひんやりしている。むせるようなニューヨークと比べると気持ちがいい。

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7時半にホテルにチェックイン。まるで学生寮のような部屋だ。窓が小さいのは暖房対策かな。今、ストックホルムは医学関係の大きな学会が開かれているらしくて市内のホテルは満杯。仕方なく郊外のホテルになった。周りは住宅地で何もなさそうだ。

昼寝をして少し元気を回復したので、夜は市内まで行ってみよう。

NYへ

ワシントンDCからニューヨークへ移動した。新聞もテレビもハリケーン被害の報道が続いている。無法状態になっているところも問題だが、特にガソリンの値上がり(便乗値上げも含む)が懸念されている。ブッシュ大統領の支持率も最低になってきている。新聞記事を読むと、イラク戦争よりもガソリンの値段を問題視して大統領の支持を下げる人がいるのは残念だ。

いつも思うのだが、この国はたくさんのエネルギーを浪費するシステムがはびこっている。ワシントンのホテルはチェックインしたら(サービスの一環だと思うのだが)部屋のエアコンが付けっぱなしで寒いぐらいに冷えていた。それが豊かさの象徴でもあるし、「そうやってお金を使うことで世界経済を牽引しているんだ」という人もいる。しかし、そうも言っていられない時代に変わりつつあるのではないか。

カリフォルニアで会った友人が結婚を機に日本のハイブリッド車を買い、とても喜んでいた。ハイウェイの優先ゾーンを使えるなど実利もあるが、そうしたことを考える人が増えてきているのはうれしい。

しかし、NYは暑い。おまけに泊まっているホテルが、たぶんここ数年で最悪ではないかと思えるほどひどい。パソコンを充電しようと思って部屋中を探すが、まともなコンセントがない。ようやく見つけたものを引っこ抜いたらエアコンが止まってしまった。

おまけに時差ぼけなのか、体調もおかしい。今晩の夕飯は、同行の二人の他に、日本人のゲストが二人いたのだが、最初に飲んだ一杯のシャンペンのせいで、食事中に居眠りしてしまった。子供が食事しながらこっくりこっくりするようなものだ。普段は時差ぼけはあまり気にならないのだが、こんなにひどいのは記憶にない。明日からアルコールはやめることにした。先が思いやられる。

イノベート・アメリカ

ニューオーリンズあたりのハリケーン被害がすさまじい。アメリカ版の津波というのもうなずける。まさに緊急事態だ。ワシントンDCの街中では特に反応は見られないが、新聞によれば、救助に動き出しているグループもあるようだ。ガソリンのいっそうの値上がりが懸念されている。長期的には経済全体にも影響が出ることは必至だろう。

ところで、今回の調査ではいろいろなことを聞いているが、そのうちの一つが『イノベート・アメリカ(Innovate America)』、別名パルミサーノ・レポートのことだ(NEDOワシントン事務所の松山さんのレポート[pdf]参照)。パルミサーノとはIBMの会長の名前で、たくさんの専門家を集めたCouncil on Innovationというところが作成した(しかし、なぜか、昨年12月に出たファイナル版はウェブから削除されている)。1980年代に日本の挑戦に対応するためにヤング・レポートというのが出されたことがあるが、それと重ね合わせてみる向きが強い。

おもしろいのは、シリコン・バレーの人は一人も知らなかったこと。「知らないね。ワシントン的な発想のレポートだな」という人が多い。ワシントンDCの人はたいてい知っている。あまり政党色は出していないものの、若干、民主党色が出ているため、ブッシュ政権はほとんど反応していない。ヤング・レポートのように本格的に議論されるのはもう少し先なのかもしれない。

BASHO君

夜中の12時過ぎにサンフランシスコからワシントンDCに着いた。ホテルに着いたのは1時半。何でこんなフライトなんだ。旅程は人任せにしてはいけないことを痛感。

シリコンバレーではInstitute for the Futureなどを訪問。旧知のアンソニー・タウンゼントにも会えた。ニューヨークから移ってきてハッピーそうだ。

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Institute for the Futureはアムトラックの線路を挟んでスタンフォード大学の反対側のパロアルトにある。そこで見かけたのがこの車。Geek Squadは最近テレビコマーシャルもやっているパソコンのお助け隊。ビートルにこんなステッカー貼ってしまうとは儲かっているのだろうか。

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夜は思い切ってサンフランシスコ・ジャイアンツの試合を観戦。こういう楽しみもないと出張はやってられない。しかし、ベリー・ボンズはケガで欠場中。隣の熱狂的ファンがずっと嘆いていた。

ところで、サンフランシスコのホテルをチェックアウトするとき、「あなたの名前好きです」と初めてアメリカ人に言われた。衝撃的だった。私の名前はアメリカ人にとっては長すぎるし発音しにくいのですぐに覚えてもらえることはない。絶望的といえるほど損だ(taiyoはまだ覚えやすい)。しかし、このホテルマンはマンガのAKIRAを読んでいて、鉄雄が好きなのだそうだ。普通は発音しにくい「TSU」の音にひかれてしまったらしい。日本のゲームメーカーで働くのが夢とか。おもしろいものだ。

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飛行機の機内のカタログ雑誌に出ていた写真。「BASHO」君というらしい。「バショー」なのか「バショ」なのか。いずれにしても変。庭の置物にするらしいが、買う人いるのだろうか。Japan Coolとはこんなものか。

時差ぼけだ

冬のウェリントンから夏のサンフランシスコへ。しかし、サンフランシスコは肌寒い。時差は19時間かな? ぐっすり眠ろうと思って夕食にビールを飲んだら、部屋に着いたとたんに倒れ込んでしまう。そのまま朝まで眠れればいいのだが目が覚めてしまい、完全に時差ぼけになった。西回りのほうが楽だといわれているが、今回はずっと東回りなので厳しい。

昼間ぶらぶらした感じでは5カ月ぶりのサンフランシスコはあまり変わらない。相変わらず気持ちのいいところだ。インターネットで距離の暴力が消滅したといわれたが、世界にはやはり人気のある都市が存在する。リチャード・フロリダの『The Rise of Creative Class』を読んでみると、地理がいまだに重要だと言っている。新たに台頭しているクリエイティブ階層は仕事がある場所に(いやいや)住むわけではなく、住みたい場所で仕事を探すことができるという。

ウェリントン2

昨日は政府関係者と面談する。remote, small, but smartな国になるための戦略を聞く。

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メインストリートは普通に賑やかだ。ケーブルカーが走っているためワイアが張り巡らされている。

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夜はたまたま開かれていたラグビーの試合を見に行く。繁華街は端から端まで30分なので、そのすぐ外側にあるスタジアムまでも歩いていける。チケットもスタジアムで並ぶだけで買える。しかし、地元チームのライオンズが弱すぎる。先制の3点の後は全く点がとれず、最後の5分まで26対3。最後にトライとゴールを決めるものの26対10。残念。

今日は土曜日なので観光しようと思ったが、朝から激しい風と雨。Windy Wellingtonならではだ。午後から晴れ間がのぞいたのでCuba Streetという繁華街をぶらぶらする。カフェが多いとは聞いていたが、他に本屋と旅行会社が多い。娯楽がないから読書が人気だと地元の人が言っていた。また、成人するとみんな世界中に旅行するのも伝統だそうだ。

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こんなお店もあった。寿司屋もけっこう多い。

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これはどこかの国の人には読めるのだろうか?

ウェリントン

ニュージーランドの首都ウェリントンに来た。夕方6時半に成田を発ち、機内では調子に乗って本を読んでいたのだが、乗り換えのオークランドに着いたのは日本時間で朝5時。11時半(日本時間8時半)にウェリントンに着き、寝不足と昼食抜きのまま午後のアポをこなす。気温は16度で東京の半分だ(南半球は冬だから暖かいともいえる)。

辺境の国といっては失礼だが実におもしろい。ウェリントンは市街地の端から端まで30分で歩けるといわれていて、小さな港町だ。取り囲む山に住宅地が広がりつつある。オーストラリア以外の世界のどの地域からも遠いこの町に映画をはじめとするクリエイティブ産業が勃興しつつある。ロード・オブ・ザ・リングスの監督ピーター・ジャクソンがこの町出身のため、第3部のワールド・プレミアもここで開かれた。イギリスの伝統とマオリの伝統がミックスされたところでアートが花開いている。そしてITがこの辺境の地にもチャンスをもたらしている。

疲れていて写真を撮り忘れたので今日は撮ろう。

今日は午前中に潜水艦と護衛艦の内部を見学。当然のことながら写真撮影は制限されているが、見られるだけでもいい。

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潜水艦内部は映画で見るような感じで、パイプやコードなどがむき出しになっている。これはすぐに原因究明・修理ができるようにするためだそうだ。それほど圧迫感はなかったが、やはり狭い。あらゆるものがコンパクトに作られている。特に船室と船室をつなぐドアが密閉できるように小さく作ってあるため、移動がやや大変(もちろん慣れればどうということはないのだろう)。潜望鏡の精度に感心。

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護衛艦は、かつて戦艦大和が造られた造船所の隣に停泊していた。140人乗りだが、艦長は全員の名前と顔を覚えているそうだ。艦長の任期は意外に短く、1年から1年半ほどだという。艦長は命令が下ればすぐに出航できるように、港にいるときでも呉から離れられないそうだ。招集がかかれば乗員は1時間で集合し、45分で出航できるようになっている。

なぜ旧海軍は呉に軍港を造ったのか聞いてみると、内海で防衛がしやすく、港の水深が確保されていて、飲み水が確保しやすいからだそうだ。

1泊2日だったが非常に充実していた。現場を見ることで分かることがたくさんある。自衛隊と聞いて眉をひそめる人もいるが、現実に存在しているものだし、その実態を見ておくことは議論をする上でも重要なはずだ。

大和ミュージアム

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江田島の後、対岸の呉で大和ミュージアムを見学。呉市が戦後60年をねらって建てたミュージアムだ。目玉は戦艦大和の10分の1の模型。けっこうな迫力だ。上のフロアに行くと宇宙戦艦大和の展示コーナーもある。

このミュージアムには50万人も訪れたそうだ。日本は右傾化しているのか……な。