ミュンヘン

ミュンヘン安全保障会議(MSC)は、日本の防衛省によると「欧米における安全保障会議の中で最も権威ある民間主催の国際会議の一つ」だそうだ。今年は55回目で、もともとは米国とドイツの間の小さな二国間対話だった。今年は故ジョン・マケインを記念した賞が創設されたり、マイク・ペンス副大統領、ジョー・バイデン前副大統領、イバンカ・トランプが顔を見せた他、米国議会からはナンシー・ペローシ議長をはじめ52人もの現役の連邦上院・下院議員が参加したりしたそうだ。そんなに大量にワシントンDCを離れて大丈夫なんだろうか。

MSCでは、聞くところによると100以上のサイド・イベントが開かれるそうで、日本国際問題研究所もその一つを開いたそうだ。現地で佐々江賢一郎理事長、小谷哲男さん、佐藤俊輔さん、北海道大学の遠藤乾先生にお目にかかった。

通常、この時期は大学入試がぶつかるのだが、今年はたまたま日程の都合が付き、サイド・イベントの一つのミュンヘンサイバー安全保障会議(MCSC)にご招待をいただいたので行ってきた。

会場はミュンヘン中央駅から歩いて15分ぐらいのHotel Bayerischer Hofの6階。MCSCはMSCの前日に行われるので、6階のバルコニーから下を見ると、VIPの車がホテルの前にわんさか乗り付けていて渋滞になっている。ホテル周辺は厳戒態勢で、銃を持った警官がたくさん集まっている。

MCSCの会場はやたらと細長い部屋の真ん中にステージを作っている。ステージの上から見ると、目の前の奥行きがなく、両側に広く客席が展開していて、やたらとたくさん人が詰めかけているのだが(以下の写真2枚は終盤でだいぶ人がいなくなった後のもの)、それほど圧迫を感じない。

午後2時から7時半までセッションが続き、その後にレセプションがあって、時差ぼけの身にはつらいのだが、私は幸い第1セッションだったので、元気なうちに話ができた。スライドを一切使わず、全部即興でやれという話で、一応事前に司会者とネット会議があったのだが、その段取りと全然違う展開で進行が進み、なんだよと思ったが、まあ楽しむことができた。

友人が撮影してくれた登壇中の写真

多少、私の話がおもしろいと思ってくれたのか、休憩時間にバルコニーでブルース・シュナイアーと話ができたのはうれしかった。「サイバーセキュリティ政策を教える教授たち」というメーリングリストがあるらしく(本当か?)、入れてくれるそうだ。

ブルース・シュナイアー(真ん中)

GCSCの仲間2人も別のパネルで登壇。フロアには他に3人のGCSCコミッショナーがいた。

翌日、サイド・イベントとして、サイバー・セキュリティ・ラウンドテーブルも開かれた。当初は35人の招待制ということだったが、実際に行ってみると45人が招待されていて、部屋にはそれを上回る60人ぐらいが来ていて、座席が奪い合いになっている。知り合いの教授の席は関係ない人に占拠されており、彼が部屋に来たときには座る席がなく、彼はそのまま出て行ってカフェでお茶をしていたらしい。このラウンドテーブルでは韓国外相が話をしたが、基本的にはセンターテーブルに座っている人がごく短く一言ずつ話をして終わってしまった。私はお呼び出ないという感じだったので、内職しているうちに終わった。

それにしても、MCSCでもMSCでも、ラップトップを広げている人が全然いない。通常のネット系の会議と全然違う。もちろんみんなスマホとにらめっこしているのだが、ラップトップを使わない人種(年代)ばかり来ているのか、ラップトップを使うこと自体が時代遅れなのか、判断が付かない。

本体のMSCは、初日のみ参加できた。メインのホールはかなり小さく、VIPと政府関係者優先なので、私はオーバーフロー用の別室に回され、そこでネット中継を見る。河野外務大臣もパネルに登場していた。

河野外相が出たパネルが終わって休憩になると、さーっと人が引けていった。そして、メインのホールが開放されたので潜り込んで、NATO事務総長の演説を聴いた。

その最中に、夕食のお誘いのメール。事務総長の演説と質疑応答が終わってレストランに駆けつけ、ビールとドイツ料理をごちそうになった。

ホテルに戻ってMSCのウェブサイトを見ると、夕食の間にイバンカ・トランプが登場し、ジョン・マケイン賞の席ではペンス副大統領が演説していたことを知る。どうやらメイン・ホールではなく、別室だったようなので、中に入れはしなかっただろうが、ちょっと残念だった。

MSCの2日目は、日本でも報道されたように、ペンス副大統領、楊潔篪・中国共産党中央外事工領導弁公室主任、ロシアのラブロフ外相らのつばぜり合いが繰り広げられた。3日の最終日はシリア問題を中心に議論が繰り広げられた。

会議の合間に、是非行きたかったドイツ博物館にも足を運んだ。

受付で「Uボート(ユー・ボート)はどこか」と聞いたら、一瞬キョトンとした顔をされ、「ウー・ボート」はあっちだと言われた。ドイツ語では「U」は「ウー」だった。最初のUボートであるU1は確かに置いてあったが、想像以上に船体が長すぎ、全体を写真に収めることができない。船体に穴が開けてあって、中身を見ることができるようになっている。しかし、ドイツのキールにあるUボート博物館のほうが良かった。

もう一つ見たかったV2ロケットの展示はなんと休み中だった。Wikipediaにあるペーネミュンデ陸軍兵器実験場のジオラマも見たかったのだが、見当たらなかった。見ていたガイドブックが古かったせいか、全然展示の内容が違う。飛行機は郊外の別館のほうに移されていて、楽しいものはなかった。残念。

コンピュータや通信機器の展示も充実しており、お約束のエニグマも2台置いてあった。1台欲しい。ドイツのエニグマは世界中にたくさん残っているのに、日本のパープルの完全なものは見たことがない。NSAのCryptologic Museumにカバーのないパープルが残っているだけだ。どこかにないものか。

ともあれ、慶應の入試日程が変わらない限り、MCSCにもMSCにももう参加することはできそうにないので、とても良い経験だった。

時差ぼけで早く起きて、こんな長々と書いてしまったが、今日一日耐えられるか心配だ。

特別研究プロジェクト@台湾

 わがSFCには特別研究プロジェクトという制度があり、夏休みや春休みに国内外で集中授業を行うと単位が付く。私は今までやってことがなかったが、たまたま日程がうまく空いたので、初めて8月上旬に実施した。10人の学部学生とともに台湾を訪問し、安全保障と文化における日台協力について学んだ。

 田中靖人・産経新聞台北支局長(SFC出身)にレクチャーをお願いしたり、台湾師範大学でもレクチャーをお願いしたりした。

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 有名な誠品書店を訪問すると確かに日本の本や雑誌が置いてある。写真は子供用のセット。台湾の子供もこういうのを買うのだろうか。それとも現地在住の日本人向け?

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 私の個人的な調査対象としては淡水という街にある海底ケーブル陸揚局。

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 中国語(繁体字)で海底ケーブルは「海底電纜」、陸揚局は「海纜站」というらしい。

 最終日の午後に国立政治大学で成果報告会を開き、コメントをいただいた。日台協力というのは簡単だけど、具体的に何ができるかと考えるととても難しい。お互いの文化が気に入って旅行しているだけではほとんど何も改善しない。それをひとまずは学生たちが認識してくれたようなので、ひとまず良かったことにしよう。

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 もちろん、合間にはおいしい料理もいただいた。写真は学部の時の同級生に連れて行ってもらった居酒屋での宴会料理。シジミの醤油漬け老酔蜆子がどこでもおいしい。

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護衛艦いずも

 海上自衛隊の護衛艦いずもに体験乗艦する機会をいただいた。研究者5人、プレス10人、それにASEAN諸国の若手士官10人がシンガポールから乗り込み、南シナ海で訓練を行いながら4泊5日を過ごし、再びシンガポールに戻った。シンガポールまでの渡航費は自己負担、艦内での食事代も自己負担だが、こうした機会はめったにいただけることではない。

 ASEAN諸国の若手士官は防衛省のビエンチャン・ビジョンに基づいて、艦内でセミナーを受講したり、訓練に参加したりしていた。

 プレスの皆さんはASEANの若手士官たちの様子や艦内の様子を取材していた。すでにいくつか動画がYouTubeに載っている。


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 私たち研究者は自衛隊の皆さんにレクチャーしたり、訓練を見学させてもらったり、ASEANの若手軍人たちと懇談したりして過ごした。ゲスト用の個室をそれぞれ提供され、快適に過ごすことができた。

 朝5時55分に「総員起こし5分前」という号令が放送でかかるとみんな身支度(会場自衛隊では「身辺整理」と呼ぶ)を始め、6時に「総員起こし」の号令がかかる。6時15分から朝食、11時15分から昼食、17時15分から夕食と規則正しく動く。海上では携帯電話もインターネットもつながらない。時々、艦橋で海図を見せていただきながら、位置を確認していく。

 朝晩は天気が崩れることが多いが、一晩だけ、南シナ海の満天の星空を見ることができた。赤道近くの星座はよく分からなかったが、あれだけの星を見たのはハワイのマウイ島ハレアカラ山頂で見て以来だった。しかし、デジカメで星空は写せない。

 今回の私のベストショットは、夕暮れの海に飛び立つヘリコプターSH-60Kである。

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 艦内をいろいろ見学させてもらって改めて感じたのは、こうした大きな艦艇はチームワークで動かすしかないということ。艦橋で「おもーかーじ(右旋回)」と号令がかかると、その後ろにいる操舵手が実際に舵を切る。しかし、エンジンのスピードはずっと下の機械室で操作している。機械室では艦橋からの指示がジリンジリンと鳴るベルで伝えられ、操作盤のボタンを押してエンジンのスピードを調整する。機械室にいる人たちは窓もなく、外の様子が全く分からない。艦橋からの指示がおかしいと思ってもそれに絶対に服従する。そこに信頼関係がなければ操艦はできない。

 さまざまな人たちが役割分担をしながら護衛艦いずもは動いている。乗員だけで400人以上。いずもはすでに熊本の被災地支援に出動しているが、東日本大震災時のような大規模な災害も想定して数百人を収容できるようになっている。三食を確実に用意することに専念をする人、見張りに徹する人、ヘリコプターの整備に専心する人、たくさんの職種と階級に別れてチームワークは成り立っている。甲板より上にいて、常に外の様子が分かる人は半分もいないのではないか。船の下のほうに何層も降りていったところにあるエンジンルームは、常に轟音と熱がある。そこで何時間も過ごす乗員の皆さんのご苦労は計り知れない。

 ちょうど伊豆半島沖で米イージス艦フィッツジェラルドの事故があった直後で、艦艇を安全に動かすことの難しさが再認識されていたときだっただけに、非常に良い体験だった。海上自衛隊の皆さんの努力に敬意を表したい。そして、第1護衛隊群の伍賀群司令、いずもの甲斐艦長、大勢の乗組員の皆さんに感謝したい。

 一緒に乗艦した研究者たちの多くは、シンガポール港に帰港した際、「もっと乗っていたい」と言っていた。facebook中毒の同僚Hさんまでそう言っていたので驚いた。私は正直、「もう十分」という感じだった。私の名前は海上自衛隊向きだとよくからかわれるのだが、私に船乗りは務まらない。シンガポールから飛行機で帰国した後も体がユラユラしている感覚がなかなか抜けなかった。

ベルリン

 2008年〜09年にMITでお世話になったリチャード・サミュエルズ教授がドイツのベルリンで日本のグランド・ストラテジーに関するワークショップを開催するというので参加した。サミュエルズ教授にお目にかかるのは6〜7年ぶりだろうか。

 私は相変わらずサイバーセキュリティの話をする。日本からの参加者は私の他に8人。すべて知り合いの方々だったので旧交を温めることができた。諸外国からの参加者は11人。それに地元のオブザーバーが出たり入ったりする。

 しかし、部屋も暖かかった。というか、暑かった。ベルリンは今年一番の暑さで30度超え。ベルリン自由大学の狭い部屋にはエアコンがなく、30人がぎゅうぎゅう詰め。風もほとんど入らない。サウナ状態での2日間だった。会議中にこんなに汗をかいたのは久しぶりだ。震災後の日本でもないと思う。その分思い出に残るワークショップになった。

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 3年かけて本にするとのことだが、脱落しないようにしないと。

 そうそう、ワークショップの1日目がイギリスの国民投票の日だった。2日目の朝、みんな結果に苦笑い。そして、何が起きるのだろうかとため息。いろいろな影響がアジアにもあるだろう。次の英国首相になると見込まれているボリス・ジョンソンと現在の首相のデイビッド・キャメロンを幼い頃から比較する番組がBBCで流れている。EUからイギリスが抜けることによるインパクトも数字で具体的に何度も流していて、BBCが結果に失望していることをなんとなく感じさせる。

 2日目のワークショップ終了後、日本の大使の差し入れで、会議場でレセプション。私は頭が痛くなるので滅多にワインを飲まないが、このときは冷たい白ワインがとてもおいしかった。それともドイツ・ワインが口に合うのか。その後、防衛駐在官のNさんにドイツ料理の店に連れて行ってもらう。シーズン最後という巨大なホワイトアスパラガス、アイスヴァイン他の肉盛り合わせ、それにビールを堪能した。

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 今年前半はとにかくたくさん国際シンポジウム、国際ワークショップに出た。これでいったん打ち止め。7月と8月はお断りして、7月は授業をしっかりやって採点をする。8月は充電と原稿書き。9月からまた海外回りを再開する予定。

長い2週間

 韓国から帰った後、博士課程の学生の審査(無事に学位がとれた)や高校への出張講義、学会理事会などで慌ただしくしていた中、某省の研究会で研究報告。時間オーバーで尻切れ。完全に準備不足。久しぶりの敗北だ。

 米軍周辺で通信やサイバーに関係する人々が集まるAFCEA(Armed Forces Communications and Electronics Association)という団体がある。東京にも支部(チャプター)があり、その年次会合が6月1日〜3日に開かれた。2日(木)のランチタイムに日本のサイバーセキュリティ政策について話をさせてもらった。プロの皆さんが集うところで英語での報告なので、まずまず。

 6月5日(日)、日経新聞社の富士山会合に呼んでいただき、サイバーセキュリティのパネル討論で司会をする。電子版の記事にもしてくださった。

 パネル討論が終わると、そのまま成田空港へ向かい、ワシントンDCへ飛ぶ。ワシントン時間で同日の夕方着。

 翌日の6月6日(月)、シンクタンクのCSISと司法省のCCIPS(Computer Crime and Intellectual Property Section)が開いたサイバー犯罪シンポジウムに参加。

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 午後の暗号のパネルで話をする。ここではパワーポイント使用禁止で、話だけで勝負しなくてはならない。日本をめぐる暗号、特にApple vs. FBIで見られたような法執行機関(警察)による暗号解除の問題について議論。同じパネルで話したブラジルの人が、「これはフェアじゃない。我々は携帯一つ開けるために1万ドル払うことなんてできない」と言っていたのが印象的だった。

 このシンポジウムの他のパネルでおもしろかったのは、米英間で令状の行使を相互にできる協定を検討しているという話。どうやらワシントンではかなり関心を集めているようだ。

 シンポジウムが終わった後、ホテルに戻って預けておいた荷物を受け取り、そのままダレス空港へ。夜8時半の国内線でLAへ。深夜に到着した後、日付が7日(火)に変わってから羽田行きの飛行機に乗る。7日(火)はあっという間に終わってしまった。

 羽田に着いたのは8日(水)の午前4時50分。ワシントン1泊4日の旅。いったん帰宅してシャワーを浴びた後、SFCへ。11時10分からの大学院の特別授業で講義(裏で担当している学部の授業は同僚たちに任せる)。午後、都内の会議に参加し、夜はサイバーセキュリティの関係者と焼き肉で宴会。

 翌9日(木)はさすがにくたびれたので休む。予約していた整体に行くと、左足が長くなっているとのこと。3月頃から左足の土踏まずが痛んでいたが、骨盤が歪み、左足が長くなってそちらに負担がかかっているのだろうとのこと。

 10日(金)は午前中に幕張メッセで開催中のInteropを見学。午後は都内でいくつか面談。夜は三田キャンパスでサザンメソジスト大学と共催の国際シンポジウムで基調講演を聴く。スピーカーは、5年前のトモダチ作戦で指揮に当たったパトリック・ウォルシュ提督・太平洋艦隊司令官(当時)。講演の前に挨拶に行くと、今は民間企業でサイバーセキュリティを担当しているとのことで驚く。やはり注目されているトピックなんだと思う。

 11日(土)、前日に続いてサザンメソジスト大学と国際シンポジウム。知り合いの先生たちが次々と登場する。

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 私の出番は午後の最後のパネルで、相変わらずサイバーセキュリティの話。同じパネルの池内恵さんのイスラム主義の話、サザンメソジスト大学の若手による日本の食の安全の話も大変勉強になった。終了後、中国飯店で20数名で宴会。旧知の皆さんや新しく知り合った皆さんと楽しく過ごす。

 とにかく長い2週間だった。さすがに疲れた。

またソウル

 今年2回目の韓国・ソウル。午前6時に家を出てソウルに向かうものの、結局、予定していた2人のうち1人には会えず残念。時間が空いたので、ソウルの街をうろうろ歩く。何度もソウルには来ているが、こんなに暇な時間を過ごすのは初めてのような気がする。適当に裏路地を歩いていると、いろいろな臭いが漂っていておもしろい。ランチの時間が終わって食堂街はけだるい休み時間という感じ。

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 ソウルはカフェがやたらと多い。3軒並んでカフェというとこもある。スターバックスのような外資だけでなく、席もない小さなカフェも多い。会社員らしき人たちがたむろしながらコーヒーを飲み、たばこを吸っている。私もそのうちの一つに入ってストロベリーのスムージーを頼んだら巨大なものが出てきた。なかなかおいしい。

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 ホテルに戻って会議主催者たちとの夕食会。なぜかイタリアンで、おいしいのだが、ソウルでイタリアンというのもなんとなく寂しい。

 翌日は朝から高麗大学でThe 5th Asia Forum on Cyber Security and Privacy: Security and Privacy for Cloud Computing In Digital Ageという会議に参加。クラウドコンピューティングは私には苦手なトピックである。午前のパネルが終わって、昼食は弁当。大きくて食べきれない。

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 午後のセッションで私は司会。プレゼンターもコメンテーターもみんな法律学者なのでかなりやりにくい。

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 セッション終了後、まだ会議が終わっていないが、空港へ向かう。この日の夕食会は韓国料理の予定ということで残念だ。私は空港のフードコートでシーフード入りチゲ鍋をいただく。

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 機内では食事をパスして、横江公美さんの『崩壊するアメリカ』(ビジネス社、2016年)を読む。トランプ現象ってそういうことかと感心する。横江さんにはワシントンDCでいろいろお世話になった。ヘリテージ財団での成果がこうしてまとまったことはすばらしい。

 帰着した羽田空港が大混雑。JALとANAのハワイ便が重なってしまったらしい。荷物がなかなか出てこない。最終バスに乗って24時に帰宅。42時間の出張だった。

シンガポール

 シンガポールへ2泊の出張。もともとは会議の招待を受けていたのだが、いろいろあって会議への参加はキャンセル。しかし、ついでに設定してあった別件があって自費で渡航。すれ違いでなかなか会えなかった方と会うことができて良かった。

 さらについでにシンガポールで働く卒業生と夕食。地元の本当においしいシーフードの店に連れて行ってもらった。手をべとべとにしながらエビとカニをいただく。

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 こうして卒業生とゆっくり話ができるのは教師冥利に尽きる。彼がやっていることを聞くと大学での教育なんてほとんど役に立っていないんじゃないかという気もするが、立派に仕事をしてくれているのはうれしい限りだ。

 もっとついでに、海底ケーブルの陸揚局も2箇所見に行く。一つは堂々とケーブル陸揚局と看板が出ている。

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 もう一つは、タクシーの運転手もうろうろ迷い、ビルにもそれらしい表示は見当たらなかったが、どうやらこの建物のようだ。

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 公開情報とはいえ、怪しまれて捕まるとやっかいなので、早々に退散。

 両方ともチャンギ空港の近くで、海は空港を挟んで向こう側。さすがにマンホールを探すまでは無理だった。

ビュード

 年度末最後の出張はロンドンへ。今回はオープンなイベントはなく、RUSI(英国王立防衛安全保障研究所)でのクローズドのミーティング。前回11月に来た際、RUSIの研究者と食事会で一緒になり、サイバーセキュリティはクローズドでちゃんと話がほうが良いと言われ、そうしてもらった。日本の政策を説明した後、2時間がっちり議論。最後はネイティブ同士の弾丸トークになってしまい、ちょっとついて行けなかった。まだまだ英語力が足りない。

 実はこの日は、ブリュッセルでテロがあった日の午後。さすがイギリス人というべきか、動揺した顔は見せず、全く話にも出なかった。その日の午後のEvening Standard紙では、次のターゲットはイギリスかもしれないと煽り立てていたが、どうなるのだろう。たまたまメールが来た東欧の友人は、ヨーロッパはもうたやすく行けるところではなくなったという。

 泊まっていたパディントン駅の周辺は、ヒースロー空港からヒースローエクスプレスがつながっているので便利だが、ムスリム系の人たちが多く住むところとしても知られている。改めて見渡すと、以前に来たときよりも増えている気もする。特に、目だけを出して全身黒ずくめの女性が目に付く。テロによる私の偏見なのか、移民が増えているのか、判断しにくい。

 予備にとってあった一日が丸々空いた。どうしようかいろいろ悩み、友人たちにも相談したが、やはり海底ケーブルを見に行くことに。ブリテン島の最西端にポースカーノ(Porthcurno)という場所があり、19世紀に最初の大西洋ケーブルが陸揚げされたことを記念した電信博物館がある。しかし、冬の間は土日月しか開いていないらしいので断念。

 その代わりに現代の海底ケーブルがたくさんあがっているビュード(Bude)に行くことにする。パディントンから地下鉄でビクトリア駅へ出て、ガトウィック・エクスプレスに乗ってガトウィック空港へ。そこからflybeという格安航空でニューキー(Newquay)まで飛ぶ。小さなプロペラ機。Bombardier Q400らしい。「道路や鉄道より速い(Faster than road or rail)」っていうキャッチフレーズはどうかと思う。

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 1時間ちょっとで到着。そこからレンタカーでさらに1時間ほどでビュードへ。

 陸揚局の場所はhttp://www.stevenheaton.co.uk/SubmarineCableLandingsUK/?p=113で確認済み。そこへ直行すると本当にあった。意外にも住宅街のど真ん中で、そこら辺にいる住民たちの「何しに来た、アジア人?」っていう視線が痛い。何も悪いことはせず、敷地の外から建物を眺めて少しだけ写真を撮らせてもらう。

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 敷地の奥には海底ケーブルが巻かれたまま置かれており、建物の警告文にはBTの所有物と書いてあるので間違いない。

 ここは冷戦中の60年代に作られたとのことで、地下化されているようだ。地上の建物は掘っ立て小屋に近いが、敷地の芝生の所々に空気穴のようなものがある。冷戦中の陸揚局は核兵器対応のところが多いと聞くが、ここもそうなのだろうか。国営独占事業者の時代だからできたことだろう。現在の事業者の陸揚局はコスト削減最優先で、そこまでの余裕はないはずだ。

 海岸線までは1.5キロほどか。一番近いと思われるBlack Rock Beachへ。かなり遠浅の海岸になっているが、その名の通り黒っぽい岩がゴロゴロしている。岩がなく、砂が続くところもあるので、そこにケーブルが通っているのかと考えながら海岸をうろうろするが手がかりはなし。犬を散歩させている人たちがとても多い。近くのカフェで昼食。大きなボールに出てきた熱々のトマトスープがうれしい。

 念のために、隣のビーチにも行ってみる。ここはサーファーが多い。ウェットスーツに着替えている人たちがたくさんいる。案内板を見ると、さっきのビーチは犬を遊ばせて良いが、こちらはダメとのこと。ふとライフガード小屋の横を見ると、大きな標識のようなものが立っている。岸側に向いているのではなく、海を向いている。海側に出て見上げてみると、「TELEPHONE CABLE」と書いてある。これが海底ケーブルの場所だ。

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 ケーブルが引き上げられているウィドゥムス・ベイ(Widemouthと書いてワイドマウスではなくウィドゥムスと発音するらしい)を見下ろす岬の上に立つ。まさに断崖絶壁で、柵もないので下を見下ろすのが怖い。花束がたむけてあるのがなんとも。そこから南側のベイを見下ろすと、確かに湾(ベイ)になっていて、ケーブルを引き上げるには良い場所だろうなと思える。ただ、岩が多すぎるのではという気もする。

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 そして岬の上から反対の北側を向くと、なんとはるか先にGCHQ(政府通信本部)の基地が見えるではないか。地図で確認すると車道で15キロぐらい。直線では10キロぐらいだろうか。肉眼で確認できたのはうれしい。カメラの精度がもっと良ければきれいにとれたのにと残念。近づいてみたいところだが、外国人がおいそれと近づけるところではないので、ここで我慢。

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 ロンドンに戻り、その晩は勢いで「テムズ川のバビロン」と呼ばれるSIS(MI6)本部も見に行く。『007 スカイフォール』で爆破されてしまい、『007 スペクター』ではもう一度爆破されてしまうが、本物は健在だった。

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サンタモニカ

 ホノルルから戻って数日ですぐにカリフォルニア州サンタモニカへ。

 成田からロサンゼルス空港に飛ぶ際、機内で同僚の神保謙さんと一緒になる。二人とも同じ会議へ参加予定。ロサンゼルス空港からサンタモニカまではタクシーで30分ぐらい。私の頭の中では桜田淳子の「サンタモニカの風」が吹き始める(古!)。サンタモニカに来るのは初めてだ。

 ホテルにチェックインして荷物を置いた後、神保さんを無理矢理誘って予約しておいたZipcarに乗り、ソニー・ピクチャーズへ。日曜日なので見学コースは見られないが、ここが大規模なサイバー攻撃の舞台となったかと思うと感慨深い。

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 そこからさらに30分ほど車を走らせて、海底ケーブルが陸揚げされているビーチへ。調べてあった情報と照らし合わせると、二つのマンホールが怪しい。

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 陸揚局が入っているとされる建物も確認。手のひら認証が付いた扉もあった。こんなセキュリティで大丈夫なのかなあと改めて心配になる。

 今回の訪問の目的は、RAND研究所で開かれる「U.S.-Japan Alliance Conference: Strengthening Strategic Cooperation」という会議への参加。当初知らされていなかったチャック・ヘーゲル前国防長官と小野寺五典元防衛大臣も参加。RAND研究所といえば、インターネットの原型となるARPANETを構想したところとして知られている。当時の建物は残っておらず、洗練された新しい建物になっている。

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RAND研究所の外観

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基調講演する小野寺元防衛大臣

 私の出番はサイバーセキュリティについてのセッション。日米の取り組みの可能性について話す。下の写真は神保さんが撮ってくれたもの。一番左がRANDのマーチン・リビキ、その横が私、右から二番目がJPCERT/CCの伊藤友里恵さん、一番右がRANDのスコット・ハロルド。

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 二日目はヘーゲル前国防長官の基調講演。下の写真はスコットの質問に答えているところ。

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 最後のパネルに神保さんが登場。下の写真の一番左はワシントンDCのシンクタンクのアトランティック・カウンシルのロジャー・クリフ、その隣がスティムソン・センター辰巳由紀さん、そして神保さんとスコット。

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 会議終了後、RAND研究所についてツアーをしてもらい、解散。

 買い物をしてからブラブラと歩いて、サンタモニカ名物の海に突き出した桟橋で海に沈む夕日を眺める。桟橋には観光客の他にたくさん釣り人がいて、鯖のような魚が入れ食い状態だった。私も釣りたかった。

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 最後の夕食は、頑としてRANDに土地を売らなかったレストランChez Jayでステーキとエビをいただく。ちょうどテレビでは大統領選挙の予備選の開票結果を流していてスコットの解説を聞くことができた。

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Zippy’s

 昨年から始めた共同研究プロジェクトのためにハワイのホノルルへ。

 まずはお世話になっている同級生の大塚領事御夫妻とランチ。到着日の昼ということもあり、こちらは眠い。どこへ行こうかとなって、ふと、Zippy’sの名前が浮かぶ。ハワイで有名なファミレスチェーンだが、1年間の滞在時には一度も行くことができなかった。ここはファミレスながらポイントが高いと聞いていたので、一度は行ってみたいと思っていたので、急遽行くことに。かなりメニューの選択に悩むが、定番のロコモコ。

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 ラーメン風のどんぶり。少しかけているところもハワイ風のご愛敬。栄養バランスを無視したこの食べ物にしびれてしまう。

 翌日は、Zippy’sとは何も関係ないZipcarを借りる。ボストンで入会したZipcar。会員を続けていて良かった。ようやくハワイにも入ったのだ。ワイキキのホテルに停まっているZipcarをピックアップして、まだ見ていなかったところを回る。まずはえひめ丸の記念碑。だいたいの場所は知っていたが、ちゃんと確認していなかった。昨年、中谷防衛大臣がハワイを訪問されたときにも献花をされていたので、一度行っておこうと思い、訪ねる。

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 帰国の機中で

中村邦子「米太平洋軍の同盟マネージメント対策と市民社会との連携―えひめ丸事故とその後の友好関係―」『外務省調査月報』2008年。

を読んだが、本当につらい事件だ。本文・脚注に知り合いの名前がいくつか出てきて、「この人たちも関わっていたのか」と感慨深くなる。

 真珠湾攻撃前に森村正こと吉川猛夫が入り浸って真珠湾に出入りする艦船を監視したという春潮楼の建物も外から少しだけ見学。今は「夏の家」という店になり、中で食事をするには団体での予約が必要らしい。

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 吉川については、昨年、以下の本が出ている。これは前に本人が書いた回顧録を整理し直したものだ。

吉川猛夫『私は真珠湾のスパイだった』毎日ワンズ、2015年。

 他にもいくつかまわって、昼食は中華街の香港粥麺家へ。ここは阿川家御用達で、阿川佐和子さんの本の中でも紹介されていたと思う。つけ麺(つゆを撮り忘れた)とダック。

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 プロジェクト関連の訪問とミーティングをこなして、イースト・ウエスト・センターも再訪。プロジェクトのメンバーのデニー・ロイさんたちと打ち合わせ。

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 最後の夕食は、一緒に行った同僚の西野純也さんとベトナム料理のフォーをいただく。

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 こうしてみると食べてばかりだが、オフレコでいろいろ意見を聞き、滅多に行けない場所にも行くことができたので、慌ただしいが充実した出張だった。なかなかお目にかかれなかった新しい総領事にもお目にかかれて良かった。

ソウル1泊2日

 またもや1泊2日で韓国へ。

 往路の飛行機が早く着いたので、ホテルの近所の韓国料理屋に飛び込んで昼食。日本語のメニューも英語のメニューもないので適当に指さしで注文。牡蠣などのシーフードが入った味噌汁風の鍋が出てきた。おいしかった。

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 今年後半に行われるイベントの打ち合わせ。日中韓で膝詰めで議論し、ビールとワインでウイスキーで詳細を詰め(た気にな)る。また体重が増えた。

 前回よりも帰国便を遅くしたので朝の余裕があって良かった。

ワシントンDC

 3泊5日でワシントンDCへ。なんと、往路の機内で知り合い3人に会う。彼らは私とは別の会議。驚いた。

 到着日の翌日はフリーにしておいた。年末年始の仕事が忙しく、かなりへばり気味だったので、食事以外のアポは入れなかった。

 ホテルやカフェで仕事をする合間、授業のネタ探しも兼ねて本屋に行こうとするが、12th StreetにあったはずのBarnes & Nobleが閉店してしまっている。とても残念だ。18th StreetにあったBordersもずいぶん前に閉店した。

 頼みの綱は、学術系に強いReiter’s Booksだが、ここも移転し、店がとても小さくなっていて、本の数もとても少ない。かなり残念。

 良かったのは、新しいReiter’s Booksの店舗に行くことで、世界銀行とIMFのビルを確認できたことだ。知識としてワシントンDCにあることは知っていたが、ようやく位置を確認できた。

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 足を伸ばして、地下鉄オレンジ・ラインのクラレンドンにあるBarnes & Nobleものぞくが、ここも一般書が中心なので、授業に役立つ学術系の本はあまりない。

 夜、会食の後、ワシントンDC三田会の集まりにも15分だけ参加。会場のバーがいっぱいで席がない上に、時差と疲労で飲める状態でもなく、翌朝一番のワークショップでの報告の準備もできていないので、早々に退散。それでも、旧友の顔を見て、思わぬ人に会えたのも良かった。

 ホワイトハウス近くのバーを出ると、外で雪が舞っていて、きれいだなーという気分と勘弁してくれーという気分が一緒におそってきたが、すぐにやんでしまった。

 今回のメインはクローズドのワークショップ。日中韓米露の研究者が集まり、サイバーセキュリティと戦略的安定性について議論。オフレコとのことなので、みんな言いたい放題言っていて、けっこうおもしろかった。懐かしい顔にも何人か会えた。

 新しいプロジェクトも立ち上げることになりそうだ。またワシントンDCに来る機会もできるだろう。

 土曜日の朝にSFCで仕事があったので、ワークショップ終了後の金曜日の夜の便でLAに飛び、そこから羽田行きの便に乗る。直行便なら14時間ぐらいなのに、乗り継ぎにすると合計で20時間ぐらいかかる。なんだか残念だ。

 ワシントンDCからLAまでの機内では、疲れて仕事ができる状態ではなかったので、買ったまま読んでいなかった『工学部ヒラノ教授』と『工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行』を読む。どっちもとても参考になったが、特にアメリカの大学制度について詳しく書いてある後者が印象的だ。アメリカの場合、研究者は一度競争から落ちるとカムバックできないらしい。一流大学で教員&研究者になるには、一流大学で学位を取った後、3年+3年の有期の間に論文を量産しないといけない。そこで躓くと、後は転げ落ちて、教育マシーンになるか、何者でもないという意味で透明人間になるという。工学系の話が書いてあるが、文系も似たようなものなんだろうか。

 LAから羽田の便は、一眠りしてから、何か映画はないかと探し、『The Man from U.N.C.L.E.』を見る。完全エンタメ志向の映画。CIAとKGBが協力するという現実にはない設定なので、インテリジェンス活動の研究の参考にはならないが、ヒュー・グラントがおもしろい役をしていた。

 それに比べて、先日ちゃんと映画館で観た『007 SPECTRE』は、アクションのところはともかく、政治的な設定はけっこうおもしろい。Five EyesならぬNine Eyesが構想されており、日本も入っている。

 そして、007が辞任することが匂わされているが、エンドロールの最後には「James Bond will return.」と書いてあったのも意味深。さすがにシリーズがこれで終わりではないのだろう。

サンフランシスコへ

 年賀状、全然出しておりません。申し訳ありません。昨年は海外生活だったので出しませんでした。今年は、全然告知していなかった私が悪いのですが、喪中でした。しかし、単なる怠惰です。すみません。

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 大晦日、いくつかの仕事を何とか片付け、終わらなかった仕事を抱えたまま、脱出するように飛行機に乗り、サンフランシスコへ。飛行機に乗っている間に日本は元旦になったものの、到着したサンフランシスコはまだ大晦日。フィッシャーマンズワーフの花火でも見ようかと思ったが、眠いので眠ってしまう。元旦はゴールデンゲートブリッジを間近に見るなどして過ごし、夜は旧友と食事。

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 翌日、ワインで有名なナパ・バレーを目指し、ナパ・バレー・ワイン・トレインに乗る。ナパ・バレーのワイン畑を見ながら行って帰ってくるだけ。往路は展望車でオードブルをつまみながらワインを飲む。復路は食堂車に移り、メインディッシュを堪能する。

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という楽しい旅のはずだったが、往路で飲んだワイン1.5杯とオードブルで満腹になり、電車の揺れもあって気持ち悪くなる。メインディッシュのステーキは持ち帰り用の箱の中へ。私はやはりワインよりビールが体に合うらしい。

 3日から仕事再開。学生の卒論や修論の添削をし、メールに対応し、原稿を書く。夜は日米の国際会議の参加者による夕食会。基調講演は元海軍提督。

 4日は終日、日米の経済学者たちと議論。1月3日から5日までアメリカ経済学会がサンフランシスコで開かれており、それに合わせて日米のスタッフも含めて30名程度の小さめの会議が開かれた。

 私は経済学者ではないのだが、なぜかサイバーセキュリティのパネルに招いてもらった。アメリカ側の研究者から、サイバー犯罪の被害よりも詐欺や脱税なんかのコストのほうが大きいからサイバー犯罪対策なんてやらなくて良い、サイバー戦争なんて世界の終わりのことは考えても意味がない、と指摘され、考えさせられた。

 経済学者はできるだけ費用と便益に換算して考えようとする。私は学部の1年生のときの経済学で単位をとれなかったので、経済学の発想はできないらしい。

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日加平和安保協力シンポジウム

 カナダの首都オタワで日加平和安保協力シンポジウムに参加。寒いのは覚悟していたが、到着日の翌朝、カーテンを開けたら雪景色なのはびっくりした。前日は何も降っていなかったのに。

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 カナダでは英仏併記なので、フランス語のプログラムもちゃんとある。”Japan’s Response to Cyber Threats”と書いてあるはず。

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 司会はUBCのPaul Evans教授、カナダ側の報告者はトロント大学Citizin LabのIrene Poetranto。シチズン・ラボはダライ・ラマに絡む「ゴーストネット」を見つけたところである。

 昨年の3月(?)、シチズン・ラボ主催の会議に招いてもらったのだが行けなかった。今年はどうなったのかと聞いてみたら、サイバーセキュリティ関連の会議がたくさん出てきたからもうやめたのだそうだ。残念。

 初日の会議の後は、日本大使公邸で大使主催のレセプション。「酒サムライ」の称号を持つ門司大使の貴重な日本酒が振る舞われた。二日目の会議の後は、ベトナム料理屋で宴会。ベトナム戦争時の移民がたくさんいるそうだ。なぜか私は青島ビール。時差ぼけと疲れで食事中に居眠り状態。こんなのは久しぶりだ。

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 3泊したが、予定がいっぱいで、行きたかった本屋にも行けず、何も観光できないまま帰国便に。夕方、羽田空港に近づくと、富士山の形がきれいに見えた。

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 カナダでの議論は、Newsweekの連載に書くつもり。

ロンドン

 1年2か月ぶりにロンドンへ。それほど寒くなかった。

 旧知の大学研究者たちや、新しく知り合ったシンクタンク研究者たちなどと議論できて得るところが大きかった。我が研究室のK君も頑張っていた。ジャーナリストのKさんご夫妻とのギリシャ料理もおいしく、楽しかった。ごちそうさまでした。

 道路を歩いていて、ふと気がつくと足下にマーキュリー社のマンホールが! 1982年に独占通信会社だったブリティッシュ・テレコムに挑戦した会社だが、1997年にケーブル・アンド・ワイアレスの一部になっている。通信自由化を勉強すると必ず習う名前だったが、今では忘れられている。

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 ふと空いた時間にピカデリーの大型書店Waterstonesへ。ここはいつ来ても楽しい。出張で本を買って帰るのはやめにしたいのだが、結局、ハードカバーを1冊買ってしまう。重い。

 2階のカフェで紅茶とレモン・タルトをいただく。至福の時である。

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 このロンドン出張のため、沖縄でのサイバー会議には参加できなかったのが残念だった。

ソウル1泊20時間の旅

 午前8時55分、羽田発の便でソウルへ。11時20分に金浦空港着。すぐに地下鉄に乗って高麗大学を目指す。本当はAREX(空港鉄道)に乗りたかったのだが、案内された電車が間違っていて普通の地下鉄に乗ってしまうが、引き返すのも時間がかかるのでそのまま向かう。高麗大学の駅で朴魯馨教授が出迎えてくれる。

 朴教授と昼ご飯を食べながら打ち合わせ、その後、高麗大学のサイバー・ロー・センターで講演。急な話だったので誰も来ないんじゃないかと言っていたが、15人ほど集まってくれたので、日本のサイバーセキュリティ政策について話す。変化球の質問が多くておもしろかった。

 場所を移動して、マイクロソフト・コリアの会議室で共同研究プロジェクトの打ち合わせ。このオフィスからは景福宮の前庭がよく見え、さらに奥には青瓦台(大統領府)も見える(下の写真の右奥、山の麓)。

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 来年ソウルで開く会議は、その場にいた誰もが専門としていないテーマを中心に開催することに決定。それぞれ知恵を出し合う中で、いろいろ新しいことを学んだ。

 近くのホテルのレストランで会食。韓国料理ではなくイタリア料理。一品だけ、ソースが韓国風でとても辛かったが、あとはおいしい。テラス席だったので、秋の風を受けながら、イタリアのビールをいただく。これで月が見えれば最高だったが、角度が悪くて見えなかった。

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 マイクロソフト・ジャパンからいらしたKさんがとてもおもしろくて、CEO(Chief Entertainment Officer)の称号を受けていた。

 翌朝、5時前に起床。地下鉄で金浦空港に向かい、途中AREXに乗り換える。金浦空港7時45分発の飛行機で帰国。滞在20時間ほど。

ワシントンDC

 9月16日〜19日はアメリカのワシントンDC。17日は朝食から夕食までいろいろな人たちに会って話をうかがった。朝食の席では知人の年齢を聞いてのけぞり、昼食の席で聞いたブリーフィングにため息をつき、夕食の席では600本のワインを持っているというアメリカの外交官に目を丸くする。合間の午前と午後のヒアリングでもそれぞれサイバーセキュリティについて意見交換。

18日は、日米のサイバーセキュリティ協力について講演を2回。大使館の皆さんの手厚いサポートで充実した時間を過ごせた。

夜は大学時代の同級生たちがチケットをとってくれたので、メジャーリーグのワシントン・ナショナルズの試合へ。しかし、ここで失態。すっかりRFKスタジアムだと思い込んでスタジアムに着くものの、ここでやっていたのはサッカーのDC Unitedの試合。慌ててNavy YardのNats Stadiumへ。45分遅れで到着。相手チームはフロリダ・マーリンズ。つまり、イチローのチームである。

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イチローは内野安打で出塁。周りはナショナルズのファンばかりだが、我々はイチローにだけは拍手。

メジャーリーグの試合は、ボストンでレッドソックス岡島を見て以来ではないか。そうだとすると7年ぶりだ。その間に何度もアメリカには来ているはずだけど、観る時間がなかった。結局、友人たちと話していてあまり試合は観ていなかったけど、球場の雰囲気を味わえたのはとても良い気分転換だった。

第8回日中危機管理交流会

 日本危機管理学会の皆さんに誘われ、中国四川省の成都へ。2008年に四川大地震があったため、四川大学には香港理工大学と共同で災後重建与管理学院という大学院が設置されており、そこで2015年9月8日と9日、第8回日中危機管理交流会が開かれた。「重建」は日本語で言う「再建」のことらしい。

 実は、この災後重建与管理学院がどこにあるのか、日本側一行は把握していなかった。四川大学にはいくつかキャンパスがあり、到着日の空港出迎えでは、ホテルから10分と言われていた。ところが、翌日の朝になってタクシーに乗ったところ、大雨のために大渋滞。しかし、それにしてもなかなか着かない。至る所で交通事故が起きている。どの車も我先にと頭を突っ込んでくるので、進まないし、事故も起きる。

 タクシーの中でいったいどうなっているのかとネット地図で場所を確認すると、どうやら郊外の空港に近い江安校区(キャンパス)らしい。いっこうにタクシーも進まないし、そもそも30分の移動時間しか確保していなかったので、完全に遅刻してしまう。9時開始予定のところ、着いた時には10時を過ぎていた。

 香港の財界からの支援で建てられた建物はかなり立派で、後で見学させてもらうと、さまざまな演習・実習ができる部屋が充実していた。日本は震災の後、こういう研究・教育施設はどれぐらいできているのだろう。

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 1.5日にわたって行われた研究発表のうち、比較的多かったのが中国の社会秩序維持に関するもの。特に、大勢の人が一カ所に集まる場合にどうやって秩序を維持するかという研究を中国側が熱心にやっているのに驚いた。デモが暴徒化することを恐れているのだろうか。

 腐敗防止キャンペーンの時節柄、昼ご飯はなんと弁当。中国で弁当を食べるのは初めての経験だ。分量が多くて食べきれないが、味は悪くない。

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 6月の北京での経験があったので、夜の宴会もないのかと思ったら、さすがにあった。グラグラと煮立つ四角い鍋を使ったしゃぶしゃぶ、いわゆる四川名物の火鍋だ。ビールは雪花というちょっと薄めの味のもの。おいしくて良かったが、着ていたスーツに強烈なにおいがしみこんだのはいただけない。

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 2日目のセッションを昼で終えて、また弁当を食べた後、雨の中を観光(後で知ったが、この頃、日本では大雨で大変なことになっていた)。

 夜は、卒業生と再会。レストランがイトーヨーカドーの近くだった。少し早めに着いたので、イトーヨーカドーの中を見学。売られている肉の切り方が中国風。上海蟹もずらりと並んでいる。いけすに入っている魚もずいぶん違う。多宝魚や烏魚と書いてある。小さめのナマズも大量に泳いでいる。巻き寿司もきれいに並んでいる。なんだか日本企業が中国の皆さんの生活に貢献しているかと思うとうれしい。

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 成都の後は北京へ。北京に到着したときはやはり大雨だったが、翌日は晴れた。いつもの薄暗いスモッグではなく、少し青空も見えた。直前にあった軍事パレードの時の青空は「パレード・ブルー」と呼ばれたのも記憶に新しい。

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イースト・ウエスト・センター再訪

 7月半ば、ハワイでお世話になったイースト・ウエスト・センター(EWC)のアルムナイ(OB・OG)の会合が東京であり、初めて参加した。EWCのスタッフ2人もたまたま来日していたので、来てくれた。来年1月にEWCはマニラで大きな会議を予定しており、その下見の後に立ち寄ったそうだ。2人とも100円ショップがお気に入りで大量に買い物をしたという。

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 その翌週、ハワイのEWCを再訪。2月末に帰国して以来、5ヵ月ぶりぐらいになる。その間、チャールズ・モリソン所長が引退を表明しており、来年8月に新しい所長が就任する予定だ。連邦政府(国務省)とのつながりが深い研究所なので、次の所長選びは簡単には行われず、1年かけて選ぶそうだ。すでに関心を示している人がいるという話だが、どんな人になるのだろう。研究部長とも話す機会があったので聞いてみたが、若い血を入れないとと言っていた。

 今回の再訪の目的は、新しい共同研究プロジェクトのキックオフのため。サイバーセキュリティとは直接関係ない新しいテーマに取り組む。今回の会合にはその分野に詳しい方々にも集まってもらい、いろいろと意見を聞いた。私がよく理解していないことが多いことが分かった(だからこそ研究する意味はあるが、まずは最先端に追いつかないといけない)。3年計画の共同研究なので、またEWCに戻ってくる機会もあるはずだ。逆にEWCのスタッフに日本に来てもらうこともあるだろう。楽しみだ。

 今回の滞在中、ハワイ大学のDavid Lassner学長にも短時間お目にかかった。学長には10月にSFCの25周年記念式典&シンポジウムにご参加いただくことになっている。学長の部屋の扉は観音開きの大きなもので、部屋の中も格好良かった。

北京でのワークショップ

 6月25日、中国防衛科学技術情報センター(CDSTIC)というところの招きで、北京での国際ワークショップに参加してきた。CDSTICは、米国防総省の報告書(PDF)では以下のように書いてあって、なにやら物騒である。

an overt intelligence collection and clearinghouse operation, gathering together all manner of information across the world on militarytechnical affairs.

 公然(overt)であって、非公然(covert)ではないから多少の救いはあるが、それでも相手は中国のインテリジェンス機関である。何せ、90分のセッションをひとりでやれと。60分話して、30分の質疑応答というから、普通の国際会議ではあり得ない。こちらから何を聞き出そうというのか。知り合いの中国人研究者からの依頼だったので、行くことにしたが、ちょっと警戒度を上げ、用心棒に後輩のK君に一緒に来てもらった。しかし、結果的には、どうということはない。何も困ったことは起きなかった。

 そもそも、一緒に招待された欧米の研究者たちが私よりもはるかに有名な人たちで、「あの人たちにオペレーションをかけてはまずいでしょ」という人たちだった。全体のプログラムをもらったのは北京に行く2日前だったので、ちょっとほっとした。

 ワークショップの私の番では、日本語と中国語のパワーポイントの整合性に問題があったのか、2回もパワーポイントがクラッシュするという失態。大変残念だった。この写真は別の人が話しているときのものだが、しっかりと私の失敗もビデオに撮られていただろう。

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 ワークショップは名目で、それが終わった後は宴会があって、じゃんじゃか飲まされていろいろしゃべらされるぞと東京の友人たちに脅されていた。しかし、ワークショップが終わってみると、会場のホテルのレストランの食事クーポンを渡され、食べ放題の夕食を勝手に食べてくれとのことだった。主催者側の人は全く来ず、聴衆の人たちがちらほらといるだけ。ビールもなんと有料自腹であった(実際にはK君が払ってくれた)。

 K君となんだか拍子抜けだねと話して食事をしていたら、日本語が話せて、聴衆の中にいた女性がやってきた。おやおや、ついに来たかと思った。彼女はセッションの最中に細かい日本政府の動きをいくつか質問してきた人だ。話を聞いてみると、彼女の仕事は英語を中国語に翻訳する仕事だということだが、なぜか日本語を習っていた。しかし、日本に行ったことはないという。彼女は名刺を持っていないのでどこで働いているのかよく分からなかった。

 そこに英国のキングスカレッジのThomas Rid教授がやってきた。彼はCyber War Will Not Take Placeという本で知られる有名な研究者である。彼はもちろん日本語が話せないので会話を英語に切り替えると、彼女はCDSTICで働いていると自己紹介した。それなら先に言ってくれよと思ったが、彼女の意図はよく分からない。私とRid教授が英語でサイバーセキュリティの話を始めると彼女は挨拶をして去って行った。結局、何者でもなかったらしい。朝一番の便で羽田から北京に飛び、すでに始まっていたワークショップにそのまま参加したので、とても疲れた一日で、疲れすぎてよく眠れなかったが、特に何事もなく夜は過ぎた。

 翌朝、K君の案内で万里の長城に向かう。私は初めてだが、K君は修学旅行で来たことがあるという。最初は電車で行こうとするが、3時間待ち。仕方がないので隣駅からバスに乗る。このバスは満員になり次第、すぐに出発というもので、2台目で乗れた。バスは長距離用だが、少しシートは狭い。多少の不安はあったものの、ゴトゴトと揺れているうちに眠り込んでしまう。

 長城のふもとに着くと、観光客がたくさん。体力に自信がないので、女坂といわれるゆるい方の傾斜を登る。しかし、蒸し暑さもあって、かなりへばる。案外、きれいに整備されている感じがする。観光用にずいぶん修復されているか、復元なのかもしれない。眺めが良いと言いたいところだが、少し離れたところはかすんで見える。ただの霞なのか、大気汚染の影響なのか。帰国後、この長城もかなり消失しているという記事を目にした。残念なことだ。

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 帰国便に乗る日の午前中は時間があったので、中南海を歩いてみようということで、K君と二人で中南海を一周してみる。正門にあたる新華門では写真を撮っても問題なかった。それほど人は多くないが、観光名所になっているようだった。門の奥には「為人民服務」と書いてある。是非そうあって欲しいものだ。

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 中南海は歩いてみると一周5〜6kmぐらいある。かなり大きい。南側と西側は高い塀になっているが、北側は中海という巨大な池になっている(ここは写真を撮ろうとすると止められた)。しかし、東側は住宅や商店、学校などが並んでおり、セキュリティは大丈夫なのかと興味深い。

 そうそう、帰国した後で聞いたところでは、ワークショップの後で宴会がなかったのは、どうやら習近平国家主席の反腐敗キャンペーンの一環らしく、余計な宴会はやらないことになっているからではないかと聞いた。それは良いことだ。