佐賀健二「わが国のIT国際協力」

佐賀健二「わが国のIT国際協力—戦略の動向と展望—」『ITUジャーナル』第34巻3号、2004年3月、43〜47ページ。

 2000年の沖縄サミットの際に日本政府は150億ドルの支援を明言したが、実際にはそれほどの規模で行われることはなかった。

問題は、包括的協力策を発表して以来、わが国が具体的なIT国際協力戦略と行動計画を持っていないところにあるのではないか。

 これ以降もどんどん日本のIT国際協力は減少してしまっている。得意分野のはずなんだけどなあ。さらに、

わが国の伝統的なODAの枠組みは、ODAやOOFを活用したIT分野の国際協力の実施に適合しないものがある。

という指摘もされている。

Republic of Palau, 5-Year ICT Plan

Republic of Palau Communication Information Technical Advisory Group (CITAG), 5-Year ICT Plan, January 2003. (LOC Call Number: HC 79.I55 P35 2003 Copy 1)

 オンラインで見つからなかったので、TPRCの合間に米国議会図書館でコピーしてきた。閉架式なので出てくるのに2時間半もかかった。

 海底ケーブルについては

Review, make recommendation and identify potential funding sources for connecting the Republic of Palau to an appropriate international fiber optic cable (p. 2)

としか書いてない。私が考えすぎなのか、パラオの認識が甘いのか。国際回線を確保しないで国内の話をいくらしても意味ないんじゃないだろうか。これを書いた人にインタビューしてみたい。S先生はアドバイザーだったのだろうか。

比較ガバナンス

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土屋大洋「グローバル・ガバナンスとインターネット・ガバナンス—プラットフォーム化する国家—」大山耕輔編『比較ガバナンス』おうふう、2011年、121〜140ページ。

 ようやく出ました。

廣瀬淳子「アメリカ連邦公務員の天下り規制」

廣瀬淳子「アメリカ連邦公務員の天下り規制―オバマ政権の倫理制約に関する大統領令―」国立国会図書館調査及び立法考査局編『外国の立法』第241号、2009年9月、3〜7ページ。

 これも大統領令に関する論文。オバマ大統領が就任初日に出した大統領令について。

Missing In the Midst of Abundance

Mito Akiyoshi, Motohiro Tsuchiya, Takako Sano, “Missing In the Midst of Abundance: The Case of Broadband Adoption in Japan,” The 39th Research Conference on Communication, Information and Internet Policy, Arlington VA, United States, September 24, 2011.

 TPRCで発表。TPRCはもともとは、Telecommunications Policy Research Conferenceの略だったのだけど、最近はResearch Conference on Communication, Information and Internet Policyになった。しかし、通称はいまだにTPRCのまま。

 総務省情報通信政策研究所から支援を受けた行った共同研究の成果発表。なぜ安いブロードバンドが使えるようになっているのに、日本のブロードバンド利用率はそれほど高くないのか(OECDで16番目)について分析。

廣瀬淳子「大統領記録の公開」

廣瀬淳子「大統領記録の公開―大統領記録法とオバマ政権の大統領記録に関する大統領令―」国立国会図書館調査及び立法考査局編『外国の立法』第240号、2009年6月、76〜79ページ。

 これも大統領令に関するもの。

紙野健二「アメリカにおける総合調整の法的検討」

紙野健二「アメリカにおける総合調整の法的検討—大統領命令12291号をめぐって・1—」『法律時報』第59巻3号、1987年、65〜70ページ。

紙野健二「アメリカにおける総合調整の法的検討—大統領命令12291号をめぐって・2—」『法律時報』第59巻5号、1987年、83〜92ページ。

紙野健二「アメリカにおける総合調整の法的検討—大統領命令12291号をめぐって・3完—」『法律時報』第59巻7号、1987年、60〜64ページ。

 アメリカの大統領令(大統領命令、行政命令)についての論文。レーガン大統領が出した12291号について検討。

 その1論文の67ページが大統領令の理解に役立つ。

 大統領は憲法または制定法にもとづいて一定の立法的作用を行う。通常これらは、大統領命令と大統領布告(Presidential Proclamation)とに大別されるが、要するに大統領命令とは、大統領がそのようなものとして制定公布するものをいうにすぎない。右のいずれも1935年の連邦公事録法により連邦公事録に記載される。大統領命令は、号数によって呼ばれるが、それは1907年以降のことにすぎず、またその数字すら右以降の正確な件数を示しているわけでもない。また、後者が大統領の政策表明の際の規範形式であるのに対して、前者は法的拘束力を有するものといわれることがあるが、実際には大統領命令の内容と法的性格は多岐にわたり、両者の区別は画然とはしていない。

 あの番号はいい加減だったのか。

 しかし、法律の論文というのは長いよなあ。

中露等が国連に情報セキュリティ国際行動規範案を提出

 北京に行ってヒアリングをしたとき、相手側から3枚の紙を渡された。9月12日に中国、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタンの4カ国が国連に提出した情報セキュリティ国際行動規範の案である。

http://news.xinhuanet.com/english2010/china/2011-09/13/c_131134484.htm

(新華網)

http://www.wired.co.uk/news/archive/2011-09/21/code-of-conduct

(Wired UK)

原文は各国にある中国大使館のウェブに載っている。

http://www.chinaembassy.nl/eng/zgyw/t858978.htm

(在オランダ中国大使館)

中露が敵対的行為に情報技術を使うなというのは、ちょっと常識的にはおかしな感じがするが、政治的なポーズなんだろうか。ロシアが数年前から国連で何かを作ろうとしていたのは確かだ。採択はされるのだろうか。

https://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/wordpress/?p=4562

(ジュネーブのセミナーの話)

ふるまいよしこ『中国新声代』

ふるまいよしこ『中国新声代』集広舎、2010年。

 ふるまいさんにはずいぶん前に北京でお会いしたことがあり、ツイッターで大活躍されているのを見て(GLOCOMの庄司さんや猪狩さんとも親しくされている)、またお会いしようと思った。久しぶりにお会いしてみて、前回お会いしたのは10年前の2001年11月だと分かり、とてもびっくり。

 最近いろいろ言われるそうだが、「ふるまいよしこ」というのは本名をひらがなにしただけとのこと。ご両親も意識していたわけではないらしい。

 北京行きの飛行機の中で読み始めたが、かなり分厚くて、お会いするまでに全部は読めなかったが、その後も読み続けた。内容は18人の中国・台湾・香港のとんがった人たちとのインタビュー。ふるまいさんの強烈な個性で切り込んでいったり、うまく波長が合ったり、あるいはずれてしまったりしているのがおもしろい。いずれの人たちも、単純化されたマスコミの報道では分からない中国の新しいメッセージを伝えている。

 なんと出版社のウェブサイトでまるまる一人分が読める。

http://www.shukousha.com/free/pdf/400/

廣瀬淳子「オバマ政権の大統領行政府とホワイトハウスの機構」

廣瀬淳子「オバマ政権の大統領行政府とホワイトハウスの機構—アメリカにおける行政機関の再編—」国立国会図書館調査及び立法考査局編『外国の立法』第246号、2010年12月、3〜6ページ。

 アメリカ大統領は立法に頼らず大統領令によって勝手にいろいろなことをやってしまうのが不思議で、関連する論文をいくつか集めた。その最初。

 論文としては短いが、後ろに関連法規の訳文が載せられているので便利。

 大統領はかなりホワイトハウスの機構については裁量権を持っているようだ。

福島康仁「宇宙利用の拡大と米国の安全保障」

福島康仁「宇宙利用の拡大と米国の安全保障—宇宙コントロールをめぐる議論と政策—」戦略研究学会編『戦略研究』第9号、2011年3月、23〜38ページ。

 福島君は防衛研究所教官をしながら、政策・メディア研究科後期博士課程で博士論文を書いている。この論文は半年ぐらい前に抜き刷りでもらっていたけど、読む時間がなかった。宇宙は私の研究テリトリーではないけど、某学会で宇宙についても発表しなくてはいけなくなったので、出張の機内で読む。

 ブッシュ政権からオバマ政権に代わって、宇宙コントロールという言葉は使われなくなっているらしい。グローバル・コモンズとしての宇宙を重視する姿勢が見えてきている。注がたくさん付いているので、後からたどるのに便利だ。

 私に宇宙のことを学会で話せという依頼が来たのは、アウタースペース(宇宙)とサイバースペースという二つの空間(スペース)に米国が関心を示しているからで、それに共通する点があるのかないのか、これはちょっとした知的チャレンジだ。

Roger Thurow, ”The Fertile Continent”

Roger Thurow, “The Fertile Continent: Africa, Agriculture’s Final Frontier,” Foreign Affairs, November/December 2020.

 書類整理をしていたらたまたま出てきたので、今日は気分を変えてアフリカの食糧問題についての論文。

 といっても、今後の世界の人口増加と食糧不足を考えると気が重くなる。日本は人口が減るとしても、世界では90億人に達するかもしれない。それだけの人間を養うことができるのかは大きな挑戦だ。こうしたテーマは、ITのような「贅沢品」についての研究をしている身からすると、重大さの違いを感じる。

 しかし、マイクロソフトのビル・ゲイツが、3000万ドルものお金をGAFSP(Global Agriculture and Food Security Program)をつぎ込んでいるという論文の中の記述には少し救われる。大金を得た人が賢明にそれを使ってくれるのはありがたいことだ。

北京訪問

 4年ぶりに北京へ。2泊3日(実質1日半)と相変わらず短くて残念だったけど、いろいろな人に会えておもしろかった。

東京よりもずっと涼しく、前回と比べて格段に空気がきれいになっていた。空が青くなっていた。

前回訪問時の写真

https://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/wordpress/?p=4525

忙しくてほとんど写真も撮らなかったけど、おいしいものは食べられた。四川料理が良かったなあ。下の写真は、川魚を唐辛子ともやしが入った油の中でグラグラさせてしまうもの(水煮魚というのかな)。熱くて辛くておいしい。川魚の臭みも全くない。この店ではテーブルに出す前に唐辛子を除いてくれていた。

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ちょうど柳条湖事件の記念日で、新聞やテレビが取り上げていた。それに関連してサイバー攻撃が行われたようだ。

数ヶ月前から読売新聞はサイバーセキュリティ関連の特集記事を用意していた。そこにうまく三菱重工へのサイバー攻撃のニュースも重なったようだ。それとも、読売新聞は前から知っていたのかなあ。9月20日付け夕刊で私のコメントも載せてくださりました。

小菅他「北西太平洋情報通信調査報告II」

小菅敏夫、岡育生、田中正智、飯田尚志、江戸淳子、牧野康夫「北西太平洋情報通信調査報告II—ミクロネシアの新たな可能性—」『電気通信大学紀要』第4巻1号、1991年、45〜65ページ。

 この報告では、ミクロネシア連邦(FSM)とマーシャル諸島共和国(RMI)が中心。

 グアム〜パラオ〜チュウク〜ポンペイ〜コスラエ〜クワジュリン〜マジュロ〜ホノルル等を結ぶ、ミクロネシア海底ケーブル(仮称)の敷設という提言が書かれている。残念ながら現在でもまだ敷設されていない。

 政府開発援助(ODA)による通信インフラストラクチャの支援も書き込まれているが、現実には日本のODAによる支援はほとんど行われなくなっている。ODA白書によれば、二国間政府開発援助分野別配分の通信は0.26%である。

 通信事業は民間でできる商業性の高いものだからというのが、ODAを使わない理由とされている。しかし、太平洋島嶼国のようなところでは、少なくとも海底ケーブル敷設のような大規模な初期投資は、商業ベースではできない。日本のODA予算が減り続ける中、ここに日本の援助を期待するのは残念ながら難しくなっている。

牧野他「北西太平洋情報通信調査報告」

牧野康夫、小菅敏夫、潮田厳、田中正智「北西太平洋情報通信調査報告—ミクロネシアへの新たなアプローチ—」『電気通信大学紀要』第1巻1号、1988年、69〜82ページ。

 パラオを中心にミクロネシアの通信事情がよく分かる。しかし、いかんせん1988年と古い。パラオの独立は1994年だから、その前になる。

 当時としてはミクロネシアの通信事情に注目するのはとても先端的だっただろう。なにせ、インターネットすら普及していない時代である(当然、インターネットへの言及はない)。

長崎海底線史料館

 今、海底ケーブルのことを研究テーマの一つにしている。「今」というよりはずっと関心があって、博士論文の中にも書いている。日本は海に囲まれているのだから、海底ケーブルなしでは情報通信のインフラストラクチャは成り立たない。そう思って1840年頃に海底ケーブルがイギリスで発明されて以来の歴史を折に触れて振り返ってきた(『情報とグローバル・ガバナンス』および『ネットワーク・パワー』に収録)。

「今」また関心があるのは、昨年、パラオに行ったとき、海底ケーブルがつながっていないために、パラオが大変な苦労をしていることを知ったからだ。パラオだけではない。少なからぬ太平洋島嶼国が苦しんでいる。海底ケーブルにつながっている勝ち組と、つながっていない負け組で結果がはっきり出てしまっている。例えば、国ではないが、グアムは米領になっているので複数の光海底ケーブルがつながっている。軍事基地でもあるグアムは、太平洋のネットワーク・ハブの一つになっている。しかし、そこから1300キロほど離れたパラオにはつながっていない。1300キロという距離は現代の海底ケーブル技術からすれば何でもない距離だが、いくつかの理由でつながっていない。

 パラオを中心とする太平洋島嶼国について調べるとともに、海底ケーブルの現状も知りたくて、事業者へのヒアリングにも行った。特に、3.11の大震災で茨城沖の海底ケーブルが複数箇所で切断されたものの、すぐに復旧した努力には驚いた。

 そうした関心の一環で、長崎の海底線史料館に行ってきた。長崎に行くのは初めてなので泊まりがけで行きたかったが、予定が立て込んでいるので日帰りにした。朝4時半に起きて羽田空港に行き、8時過ぎに長崎に到着した。レンタカーを借りて長崎市内へ向かう。長崎空港は大村市にあるので、40分ほどかかる。長崎駅で、福岡に帰省中のゼミ生K君と落ち合う。

 11時前にNTT-WEマリンへ。長崎駅から20分ぐらいだっただろうか。NTT-WEマリンはNTTコミュニケーションズの関連会社で、ケーブル敷設船すばるの母港になっている。あいにくこの日はすばるは出航中で見ることはできなかったが、この場所は岩場に挟まれた天然のドックになっているとのことだった。普通の港では嵐が来ると船を沖に出さなくてはいけないが、ここではそのまま港の中に係留しておくことができるそうだ。

 海底線史料館は普段は閉まっているので、予約が必要である。私も1ヶ月ほど前に電話してアポイントをとっておいた。案内してくださったのはSさん。上司のTさんにもご挨拶をして、まず見せてもらったのは修復用のケーブルである。大きな工場のような建物の中に合計六つの丸い大きな穴が開いており、その中にさまざまな海底ケーブルがぐるぐると輪になって保管されている。一つの穴の中に何層にもなって複数の種類のケーブルが入っている。これは現在使用されているケーブルが何らかの理由で切断されたり故障したりした場合の修復に使われるそうだ。したがって、最新の光ファイバが入ったケーブルだけでなく、昔の同軸線のものもある。

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 この工場のような倉庫の隣にある煉瓦造りの建物が海底線史料館である。長崎は日本で一番最初に海外との海底ケーブルがつながった場所である。19世紀から20世紀の変わり目頃に世界の海底ケーブルを牛耳っていたのは大英帝国である。しかし、日本に海底ケーブルをつないだのはデンマークの大北電信(Great Northern Telegraph Company)であった。海底線史料館の建物は明治29年(1896年)に海底電信線貯蔵池の電源舎として作られたようだ。しかし、とても風情がある。取り壊しの話もあったようだが、保存の要望があって残すことになった。そして2009年には経済産業省から「地域活性化に役立つ産業遺産」に指定された。

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 史料館の中には予想を超えるさまざまなものが保存されていて驚いた。最初の部屋には各時代の海底ケーブルを短く切断したものが展示されている。KDDから提供された最初の太平洋ケーブルもあった。海底ケーブル自体の技術革新がよく分かる。隣の部屋にはまず最初に大英帝国の有名なケーブル敷設船Great Eastern号の模型がある。何度も本で読んだ船だ。第二次大戦末期に使われていて、ソビエトに撃沈されたとする説のある日本のケーブル敷設船小笠原丸の大きな模型もある。三つ目の部屋はロフトのように二層になっていて、巨大なケーブル移動用の装置が置かれていた。まだ整理し切れていないと思われるものも置かれている。

 何よりも興味を引かれたのは、年代物の戸棚に収納されている文書である。背表紙のタイトルからして興味をそそられるものが多い。しかし、どれもかなりの年代物なので簡単に手にとって見られるものでもなさそうだ。時間をかけて丁寧に中身を見なくてはならないだろう。その量からして日帰りではどうにもならない。

 会議を終えられてTさんとNさんが史料館にやってきてくださった。そこでお話を伺うと、私と同じような目的でこの史料館にやってきて、この文書をすでに見た研究者がいるとのこと。「いとうかずお」さんという方だったとのことで帰宅してから調べてみると、おそらく、伊藤和雄『まさにNCWであった日本海海戦』(光人社、2011年)だろうと分かる。この本はつい先日注文してあって、もう大学の研究室に届いているはずだ。一番乗りでなかったのは残念でならない。本の中身を確認して、私がまだやれる範囲があれば、もう一度この史料館に来て、文書を見てみたい。

 NTT-WEマリンを辞去して、市内でK君とチャンポンを食べる。チャンポン発祥の店だそうだ。食後、すぐ隣の全日空ホテルの入り口へ。ここに「国際電信発祥の地」と書かれた記念碑が建っている。新しく見えるが昭和46年(1971年)のものだそうだ。隣には「長崎電信創業の地」と「南山手居留地跡」の碑もたっている。なぜここに記念碑があるかというと、港近くで陸揚げされた海底ケーブルが陸線につながり、全日空ホテルの敷地にかつてあったホテル・ベルビューで通信業務が行われていたからだそうだ。

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 また車に乗り、今度はやや離れた国際海底電線小ヶ倉陸揚庫へ。ここには海底ケーブルの陸揚げに使われた小屋が残っている。港のすぐそばで、民家の隣にぽつんと立っている。しかし、ここは柵で囲われていて中に入ることはできない。柵はそれほど古いものではなく、最近作られたように見える。この建物の手がかりになるものは、外側の石碑だけである。それによれば、「原形を復元し」となっている。1971年頃に復元されたらしい。管理しているのはKDDIのようなので、もし長崎再訪のチャンスがあれば、中を見られるかどうか聞いてみよう。

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 この時点ですでに14時近くになっている。時間が十分に余れば、グラバー園に行くか(グラバーも海底ケーブルに関係していたらしい)、長崎県立図書館で資料を調べようと思っていたが、16時半には市内を出ないと帰りの飛行機に間に合わない。そこで、市内を車で走っている最中に見つけた出島を見に行くことにした。出島は明治の開国で不要になった後、周囲の埋め立てが進んだり、運河の整備で一部が削られたりして、場所がよく分からなくなっていたようだが、最近の調査で境界が確認され、復元された。復元と行っても何度も火災があったので時代によって出島の姿はさまざまだったようだ。

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 この日、長崎は台風の影響があって、午前中は雨、午後は非常に蒸し暑かった。出島はそれほど大きくないが、ここでバテてしまう。長崎駅前で土産物を少し物色して、K君は電車で福岡へ戻っていった。私はまた車で空港へ。帰りの機内で、出島の売店で買った小冊子を読む。出島についてよくまとまっていて勉強になった。国際政治のパワーの中心がポルトガルからオランダへ、そしてイギリスへ移っていったことが出島にも影響した。

 帰宅は21時頃になった。見たいと思っていた史料館が見られたという点では大いに満足した。しかし、そこに宝物のような文書が眠っていることも分かり、心が騒ぐ。次にケーブル敷設船が戻ってくる時期に行きたいが、授業があってその頃は難しそうだ。春休みにまた行けるかどうか考えてみよう。

小柏葉子「太平洋島嶼フォーラムと東アジア」

小柏葉子「太平洋島嶼フォーラムと東アジア」関根政美、山本信人編『海域アジア 現代東アジアと日本4』慶應義塾大学出版会、2004年、261〜280ページ。

 太平洋島嶼フォーラム(PIF)が日本、中国、台湾、ASEAN諸国との関係をどうやって発展しようとしてきたかが分析されている。その前提となるのは、旧宗主国であるヨーロッパとのロメ協定(第1次〜第4次)の終了が見えてきたことと、地域の大国であるオーストラリアとニュージーランドとの関係に変化が見えてきたこと。

 日本との関係でいえば、PIFからの強い働きかけで、国際機関である太平洋島嶼センター(PIC)が明治大学の中に開設されているらしい。知らなかった。ウェブを見る限りは、誰が所長なのか分からない。外務省はどれくらいかんでいるのだろう。