大統領選挙終わる

大統領選挙が終わった。ボストン在住の方々のブログでも一斉にコメントが出ている。今回の大統領選挙が印象的だったことがうかがえる。実際、これほどおもしろいエンターテイメントはなかった。下手なリアリティ・ショーよりもずっとおもしろい。無論、さまざまな点でショーアップされているのだけど、エンターテイメントでショーアップは不可欠だ。それも含めて楽しむのが良かったのだと思う。

オバマのネット戦略は実にうまかった。当初、不明にも私は彼のネット戦略をあまり評価していなかった。というのも、今さらSNSはないだろうと思っていたからだ。しかし、実名で行われているSNSは、選挙戦略と実にディープに絡まっていて、高い効果を発揮したようだ。日本のSNSでは実現できないような深いコミットメントが可能になっていた。

ネットと政治ということでは、2004年の民主党予備選で一世を風靡したハワード・ディーンが思い起こされる。11月4日付のNYタイムズの記事では、当時のディーンの担当者が、自分たち[ディーン陣営]がライト兄弟だったとしたら、彼ら[オバマ陣営]はアポロ11号だ、とコメントしているのが印象深い。それだけ一気にネットの政治利用が進んだのだ。それに乗り遅れたマケインに勝機は無かったと、後知恵では思える。

私は選挙当日何をしていたか。もちろん投票はできない。せっかくこの時期にアメリカにいるのに、忙しくてあまり大統領選挙はウォッチすることができていなかった。選挙当日ぐらいはちゃんと観察しようと思い、自宅から一番近い投票所を見物に行くことにした。

この投票所、近所の中ではちょっと危ない通りとして知られているところにある。妻の友人が夜間に強盗に遭ったことがあるらしい。しかし、昼間だし、投票所には人もたくさんいるだろうと思って、歩いていく。

投票所は通りから少し奥まったところにあるが、目立つところにオバマ陣営のプラカードを抱えた二人が立っている。私がきょろきょろしていると、「投票に来たのか!」と声をかけられた。「外国人だから投票できないんだけど、興味があるから見に来たんだ」というと、「投票所はあっちだ。じっくり見ていきなよ」と言ってくれる。

はたして投票所は、地域のコミュニティ・センターみたいなところで、さして大きくない。入口に案内の看板があるだけだ。警官がうろうろしているので、中に入って良いものか思案したが、ここで引き返してはつまらないと思い、追い返されるまで行ってみようとドアを開ける。

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小さなロビーになっていて、投票を終えた人たちが数人たむろしている。投票のための行列はできていないが、次々と人がやってくる。さすがに投票する部屋までは踏み込めなかったが、外から中の様子を撮影できた。誰にもとがめられることもなく、日本の投票所のような緊張感も漂っていない。ずいぶんのんびりした雰囲気である。

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入口の脇に投票用紙の見本がかざってあった。現物は両面印刷になっており、大統領選挙、上院議員選挙、下院議員選挙の投票欄の他、Councillor(ローカル政府の役職?)、Senator in General Court(州議会の上院議員?)、Representative in General Court(州議会の下院議員?)、Register of Probate(遺言検認裁判官の登録?)といった役職の投票欄があり、さらに三つの法律に関する賛否を問う質問が印刷されている。

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驚いたことに、大統領候補欄には6組が印刷されている。オバマ=バイデン、マケイン=ペイリンの他、消費者運動で名をはせたラルフ・ネーダーなどが立候補していた。マスメディアではほぼ全く無視されていたといってよい(ネーダーが立候補したニュースは確かに見た)。

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電子投票(機械による電子的な投票:ネット投票ではない)が取り入れられるという話だったが、この投票所には入っていなかった。

外に出ると、ちょうど同じアパートに住むおばちゃんと出くわした。同じく見物に来ているフランス人親子と一緒に投票に来たそうだ。話をしていると、オバマ陣営のボランティアの横に小学校のスクールバスが止まった。ここが停留所の一つらしい。ドアが開くと子供たちがわっと出てきて、「オ、バ、マ!!! オ、バ、マ!!!」と大合唱が始まり、オバマのボランティアも看板を振りながら踊り出す。ちょうどこのストリート近辺は黒人の子供たちが多いので、彼らにとってオバマは希望の星なのだろう。

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自宅に戻り、テレビで速報を見る。夕方になって開票が始まると、最初だけマケインがリードしたが、次の開票で一気にオバマが逆転し、どんどん差が付いていく。事前予想通り、大差の勝利だ。ただし、得票率と得票数ではそれほど差がない。勝者総取りが結果を大きく左右する。

マケインの地元のアリゾナまでオバマがとるのではという話もあったが、さすがにそれはなかった。しかし、2004年と比べて、民主党支持に変わった州が確かに増えている。ヒラリーとの予備選で大票田に弱かったオバマだが、民主党の地盤はもれなく取っている。

夜11時半頃にマケインの敗北宣言が行われた。マケインはさばさばと国民の団結を訴えたが、支持者たちはオバマ政権に不満のようでブーイングしている。オバマに対する根強い反発はなかなか消えないだろう。

しかし、上下両院の選挙で圧倒的な勝利を収めたことがオバマにとっては最高の贈り物だ。下院は民主党優勢が伝えられていたが、上院は拮抗すると見られていた。ところが上院も民主党が完全な優位に立った。オバマが変革を進めていくための法案審議には優位に働くだろう。

注意すべきは、議会を制する民主党議員たちとどうやって渡りを付けるかという点だ。彼らはオバマの人気に便乗しながらも、オバマをコントロールしようとするだろう。オバマは2004年に連邦上院議員になったばかりで、その前は州議会の上院議員だ。逆に議会をどれだけコントロールできるか、そして中間選挙までの最初の2年間でいかに成果を挙げるかがカギだ。それができなければ、ネットで集まった支持者たちはあっという間に批判者に転じるだろう。

テレビより安い

まだ暑かったアーカンソーから戻ると、ケンブリッジは秋になっていて、紅葉が始まっていた。近所のスーパーはハロウィーンに向けてどこもカボチャがいっぱいになっている。

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慌ててまだ見に行ってなかったレキシントンの古戦場跡へ紅葉狩りを兼ねて出かける。コンコードと並んでアメリカ独立戦争が始まったところとして知られているが、今はただの原っぱだ。一番興味深かったのは近くに立っているフリー・メイソンの建物。中には入れないようだったが、秘密結社というイメージとは少し遠い。

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近くのNational Heritage Museumをのぞくと、やはりフリー・メイソン関連の展示が充実している。ジョージ・ワシントン初代大統領はじめ革命の志士たちはこの結社に参加していたが、よく分からない組織だ。そして、ボストンの中華街に行くときにいつも前を通るビルが、実はフリー・メイソンのマサチューセッツ本部(グランド・ロッジ)だと知ってもう一度驚いた。エマーソン・カレッジの横に普通に立っていて、確かに変な装飾がされているのだが、風景にとけ込んでしまっている。後日、その前を通ると確かにそこに立っていた。

10月7日、3回目の大統領候補討論会が開かれた。前回よりも静かな戦いだったという印象。タウンホールミーティング形式だが、反応してはいけない聴衆を相手にしてやりにくそうだ。どちらも、過去の記録を見ろという。あいつはこうした、こう言った、過去を見ろという。聞いている方もあまりおもしろくない。この二人は現在のアメリカが有する本当にベストな二人なんだろうか。最高峰のリーダー二人なんだろうか。マケインはやはり年齢を感じさせ。彼が倒れたらペイリンか、という思いは誰にもあるだろう。

数日して旧友がサンフランシスコから来たので、一緒にボストンのダックツアーに乗る。第二次世界大戦時の水陸両用車を使った観光ツアーで、世界中の都市で見られるようになっている。ボストンの場合は当然ながらチャールズ川へどぶんと入る。川の中からMITが見られると期待していたが、そこまでは行ってくれずに引き返してしまったので残念。

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その後、急遽、またもやワシントンDCへ。今回一番おもしろかったのはアメリカ科学者同盟(FAS)というところ。もともとは核兵器が開発されたときに科学者たちがその軍事利用に反対するために組織したようだ(オッペンハイマーの伝記を読むとその辺の事情が分かる)。ここでSteven Aftergood氏が政府の秘密に関するプロジェクトを行っていて、Secrecy Newsというニュース配信を行っている。インテリジェンス・コミュニティの研究をする人には必読だ。

10月15日、3回目の大統領候補討論会はワシントンのホテルで見る。追い込まれたマケインの笑顔がぎこちない。どうも未来を語れないマケインは相手の批判ばかり。目がパチパチしているのが動揺に見えてしまう。しかし、二人ともユーモアがなく、おもしろくない。レーガンは確かに歳をとっていたけど見栄えがするしユーモアのセンスがあった。マケインが議論に口を挟みすぎで、感情を抑えきれなくなっているように見える一方で、オバマはわざと抑制的に話している。オバマは、ヘルスケアの話で、ここぞというときにカメラ目線を使う。毎回作戦を少しずつ変えながら調整しているのがうかがえる。それにしても、マケインは「ジョー」の話にこだわりすぎで説得力を欠いた。CNNで画面の下に出していたグラフでは、見ている人は全く反応していない。いよいよ決まった感がある。副大統領候補討論会を含めて4連勝のオバマが当選しなかったら、アメリカのデモクラシーはうまく機能してないということになるだろう。

ワシントンでは合間に知り合いと食事をしたのが楽しかった。KストリートのSichuan PavilionでYさんとIさんと麻婆豆腐をつつき、OさんとThai Kingdomでグリーン・カレーを楽しむ。もうしばらくワシントンには来られない。

ボストンに戻ってきて空港に降り立つとかなり寒い。すでに最高気温が摂氏8度、最低気温が摂氏2度という日もある。日本の感覚ではすっかり冬だ。先週末はチャールズ川でレガッタをやっていた。きれいに晴れた日で、競争するボートを眺めているのは楽しかった。ボストンの冬空は意外にも見事な快晴続きで、本家のイングランドとは異なるらしい。

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MITのキャンパスを歩きながら、ふと、そうか、オバマは無限の帯域を活用したのかと気づいた。かつての大統領選挙といえばテレビが勝敗を決めた。両陣営ともいまだにネガティブなコマーシャルを流しまくっている。しかしテレビ電波の帯域はものすごく高い。資金力が重要だった。ブロードバンドではオバマ陣営が払うお金は接続料だけだ。あれだけのブログのエントリーを垂れ流しているのだからけっこうな回線接続料だと思うが、テレビよりは安い。前回までの選挙では十分なネット利用者がいなかったが、今回はアメリカでもブロードバンドが普及している(日本から見れば数メガはミドルバンドぐらいだけど)。マケインはそれに全然乗りきれなかった。今回の選挙でテレビが死んだんだ。

しかし、こうやって書いてみると実に当たり前の話だ。それに今頃納得しているなんて疲れている証拠だ。とにかく眠い。

ローガン空港

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早朝の便で帰国する同僚のKさんと朝食をとるためローガン空港へ。刻一刻と冬が近づいてきていて朝はずいぶん涼しい。駐車場の屋上から夜明け間近のきれいな景色を見ることができた。

今日は9月11日じゃないか。それもモハメド・アタが乗り込んだボストン・ローガン空港とは。いろいろなことを思い出す。ちょうど先日、テレビで放映した映画『United 93』も観たばかりだった。しかし、空港はそれほど警戒が厳しくない。もう日常化してきているのだろうか。

ダイヤルアップ・キャンペーン

すごい勢いで時間が流れていくようになった。新学期が始まってキャンパスには人が溢れている。夏休み中はおみやげを買う観光客しかいなかったCOOPの売店には、教科書とノートを買いに来る学生が殺到している。

8月末から忙しくなってしまった私も久しぶりにオフィスに出てきたら席が変わっていた。早稲田の先生とインド系アメリカ人の博士課程の学生と相部屋だったのだが、今度は大広間のパーティションになった。開放感が増して居心地が良くなった感じ。博士課程の学生の乱雑な性格に閉口していたので、そこは改善された。周囲は研究員ではなく、研究所のサポート・スタッフなので、少し賑やかだ。

先週はボストンでAPSA(アメリカ政治学会)が開かれていたのに、ほとんどセッションには出られず、知り合いとご飯を食べただけで終わってしまった。そんな感じなので、せっかく共和党大会が開かれているのにテレビを見る暇がないが、オバマのキャンペーンがブロードバンドを駆使した「ブロードバンド・キャンペーン」なのに対し、マケインのキャンペーンは「ダイヤルアップ・キャンペーン」だと酷評されている。共和党政権ではブロードバンドの発展は期待できない。そう言えば2001年ぐらいにブロードバンド促進のための法案なんて出ていたけど、状況はあまり変わってないなあ。

Chloe Albanesius, “Democrats Criticize McCain’s ‘Dial-up Campaign,'” PC Magazine, August 26, 2008.

オバマがブログとYouTubeとFacebookでブロードバンドを駆使しているのに、マケインは昔ながらの電話攻勢で頑張っているのだろう。しかし、本選挙ではどちらが勝つか分からないというのだから、インターネットはまだ政治的なパワーとして弱いのだろうか。

以下のビデオはオバマの選挙事務所がネットを駆使している様子。

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MITの学生、猿ぐつわをはめられる

MITの学生たちが、ボストンの地下鉄に関するセキュリティについて分析し、カンファレンスで発表しようとしたところ、それを禁じられるという騒ぎが起きた。EFFがMITの3人の学生を支援するべく法廷で争おうとしている。学問の自由と抵触するというわけだ。MITの学生たちには頑張って欲しい。

EFF Urges Judge to Lift Gag Order on MIT Students

MITの寮

先週、SFCの同僚たちがたくさん来て、MITの寮を視察していった。MITにはおもしろい寮がいくつかあって、例えば、Simmons Hallは窓が6000もあり、内部はうねったコンクリートの壁がむき出しになっている(とても維持費が高いらしい)。建築はMITの売りの一つなので気合いが入っている。

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ジョージタウン大学に留学するゼミ生からちょうどメールが来て、寮に入れてうれしいとのことだった。しかし、私はもう寮に入って勉強したいとは思わない。20代なら喜んで入っただろうな。歳食った証拠だ。

MITとグッド・ウィル・ハンティング

MITの図書館からDVDを借りてきて、『グッド・ウィル・ハンティング(Good Will Hunting)』を見た。MITが舞台になっている映画である。主人公はMITの学生ではなく、MITの掃除夫の20歳の若者。実はものすごい天才なのだが、人とうまくコミュニケートできない。MITの数学の先生が彼を見出して……、と話は展開する。ヒロインはハーバードの学生なので、ケンブリッジの景色がたくさん出てくる。いつも使っているハーバード・スクエアのカフェも出てきた。しかし、若者言葉は速すぎて、ほとんど理解できない。少しは英語がうまくなったかと思っていたのに残念。

MITの廊下のシーンがあり、聞き間違いでなければ、ビルディング2と言っていた。MITの建物は全て番号で表示されている。ビルティング2はドームの前の芝生を囲むビルの一つで、最も古い建物の一つ。数字の前に何もアルファベットが付いていない建物が古い建物群で、Eが付くとキャンパスの東側になり、同じくWは西側、NWは北西側、Nは北側、NEは北東側になる。

DVDを図書館に返しに行くついでに、ビルディング2のロケーション・シーンを見に行った。ところが、どこにもない。映画ではレンガの壁に黒板がかかっていたが、レンガの壁なんてどこにもない。いったいどこなんだろうと上から下まで歩いて回る。夏休みで人がほとんどいないので怪しまれない。

結局見つからなかったが、噂の地下通路を通って自分の研究室まで戻ることにした。MITの地下は迷路のような地下道でほとんど全部がつながっている。私の研究室があるのはE38で、2→6→8→16→56→66→E17→E25の下を通って行けるらしい。寒い冬には外を歩かなくてすむ。

しかし、本当に迷路のようになっていて何度も迷う。地上の地図を持っていたし、地下の所々に地図が貼ってあるのだが、方向音痴の私は変なところを一周してしまったりする。それでもけっこうおもしろくて、いろいろなオフィスがあるし、パイプやらボンベやらがゴロゴロしていて、「DANGER」と表示された部屋もたくさんある。ついでにお化けも出るらしい。

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MITは危険物をたくさん扱っているので、火事になったらとにかく逃げろというのがポリシーだ。非常口の案内図には、「The Institute policy is to NOT FIGHT FIRES」なんて書いてある。危険すぎで素人に消火活動なんてできないらしい。

探検が終わり、ウィキペディアの英語版で『Good Will Hunting』を調べてみると、大学構内のシーンはカナダのトロント大学で撮影されたと書いてある。な〜んだ。カナダのほうがコストが安いので映画の撮影はよくカナダで行われると聞いたことがある。さらにおもしろいのは、主役のマット・デイモンとベン・アフレックが書いた脚本が元になっているということ。マット・デイモンはハーバードの学生だったらしく、授業で原作を書き、二人はこの作品で売れるようになった。ロビン・ウィリアムズもアドリブで撮影を盛り上げたらしい。

もうちょっとディープにMITらしさが出ていると楽しいのになあ。

このまま秋に

先週の金曜日の昼過ぎ、研究所の同僚の一人が、「今度はロシアと戦争かな」とぼそっと言った。私は論文のデータ処理をずっとやっていたので何のことかよく分からなかったが、ロシアとグルジアに関する報道が始まっていた。アフガニスタンとイラクを抱えていてアメリカがすぐ参戦するとは考えられないが、今のうちからそういう可能性を考えておくのが東部エスタブリッシュメントの頭の中なのだろう。グルジアとアメリカは近年関係が密になっているので、戦争の可能性が全くないわけではない。

ちょうどその晩、オリンピックの開会式の録画がNBCで放送された。アメリカ時間だと金曜日の朝に行われたことになるが、朝のニュースではスタジアムの中は見せず、録画を午後7時半から夜12時まで流した。インターネット時代に録画放送はないだろうと思ったが、視聴率を稼ぐためには仕方ないのかな。

マスゲームを見ていたアナウンサーが驚いて「あごが落ちちゃう(jaw dropping)」と言っていたのには笑った。中国に秩序があるところを見せたかった中国の気持ちも分かるけど、アメリカ人は多様な個性を称賛するから、アメリカ人はたぶん違う受け止め方をしてしまったと思う。その辺の感覚のずれを感じるなあ。

この日、小島朋之先生の最後の著書が届いた。国分良成先生の巻頭言を読み、小島先生の圧倒的執筆量に改めて驚く。きっとオリンピックもごらんになりたかっただろうな。先月末の偲ぶ会に出席したかったが、諸事情あって東京には戻れなかった。今書いている論文が終わったらこの本を読もう。

小島朋之『和諧をめざす中国』(芦書房、2008年)。

ケンブリッジ(ボストン)は雨ばかり。気温も上がらず、このまま秋になってしまいそうだ。今日は冷房も止まり、薄手のコートを着ている人もいた。暑そうな北京とはずいぶんなちがいだ。

MIT図書館

遅ればせながらMITの図書館をよく使い始めた。学生がいなくなっているのでがら空きだ。国際関係研究所から一番近い経営学・社会科学系のDewey Libraryはあいにく工事中でうるさいが、チャールズ側をはさんだボストンの景色を見ることができる。ただし、工事が完成して新しいスローン・スクールの建物ができたら見られなくなるかもしれない。

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ドームの近くにある人文系のHayden Libraryは静かだ。MITは基本的に理科系の大学ではあるが、人文・社会科学系もトップクラスである。フェルナン・ブローデルの『地中海』の英訳やアーノルド・J・トインビーの『歴史の研究』原書全12冊といった定番もちゃんとある。『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローの本はあるかと思って探してみたら、彼の本と関連本だけで5段もあった。ソローはそれなりの思想家なのだろう。誰かが寄付した福澤先生の『文明論の概略』の和装綴じ6巻セットもあった。

ハーバードには戦時中に集めた日本の貴重な文献もあるらしいし、ケンブリッジに来て、少し離れたところから日本研究というのも悪くないのだろう。Hayden Libraryのロビーの本棚を眺めていたら日本のマンガの英訳まで置いてあった。ドラゴン・ボールその他がずらりと並んでいる。さすがMITだ。

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森の生活と市民的不服従

タングルウッドの夜の公演からそのまま帰宅すると夜の1時ぐらいになるので、今回は途中の安宿で一泊。翌日は独立戦争で知られるコンコードを散策。イギリス軍と民兵が最初に戦火を交えたノース・ブリッジを見る。復元された橋が架かっていて渡ることができる。橋の手前には戦死したイギリス兵の墓がある。

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昼食を食べている間に大雨になって雷が鳴り始める。と思ったらすぐにやんだので、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが『森の生活』を送ったウォールデン湖を見に行く。駐車場の横に彼が暮らした小屋のレプリカがある。ワンルームで日本の学生の下宿みたいな感じだ。ベッドと机、それに暖房兼調理用のストーブがあるだけ。実際に小屋があったところは湖沿いに10分ほど歩くと見つかり、礎石が残っている。ソローの『森の生活』は最近は日本でも見直されてアウトドア系の雑誌などでも紹介されるようになっている。

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現在のウォールデン湖はレクリエーション・スポットになっていて、家族連れが湖水浴にたくさん来ている。

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数年前にカリフォルニアでネットの関係者にインタビューをしていたとき、「市民的不服従」という言葉が出てきた。これはソローの死後にまとめられた本のタイトルになっている。自分の信じるところに従って政府の政策には従わないといったような意味だと思うが、そのネット関係者は、政府が主導してネット・インフラを作ることに反対していて、その議論の中で出てきた言葉だ。とても印象に残っていて、ソローのことをもっと知りたいと思っていたので、彼の小屋を見るのは興味深かった。

2年あまりとはいえ、あんなところで一人で過ごすのは大変だろう。そうした反骨精神ともいえるような強い思いが当初のネットを作った人たちの中に息づいているとしたらおもしろい。市民的不服従はソローの後、ガンジーやアメリカの公民権運動にも受け継がれていく強い思想になっていく。

まだ若手……

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週末、また車に乗ってタングルウッドへ。前回は昼の公演で、Seiji Ozawa Hallだったが、今回はKoussevitzky Music Shedのほうで、夜の公演である。芝生席ではなく屋根のある席にした(写真は開演前に撮影)。ちょうどこの日は天気が悪く、開演前には雨と雷があったので芝生席はぬれて大変だったと思うが、前回と比べると格段に多くの人が来ていた。

3曲の演目のうち、2曲目にMIDORI(五嶋みどり)が出ることもあって、たくさん日本人が来ている。MIDORIを聴くのは初めてだが、なるほどすばらしい。どうやら演奏中に弓が二、三本切れたみたいだけど(バイオリンの弦ではない)、それもダイナミックな弾き方のせいだろう。

パンフレットに載っていた彼女の経歴を読むと、一年違いの同世代だと気づく。先日の野茂英雄の引退で、すごいおっさんだと思っていた彼が二つ上の同世代だということにも気づいた。MIDORIは11歳でデビューして四半世紀以上にわたってトップアーティストとして活躍している。野茂は一時代を築いて引退。それに引き替え、私は大学ではまだ「若手」と言われている……。帰国したら中堅と呼ばれる位にはなっているのだろうか。

都会離れ

いくつか用事があって一泊二日でニューヨークへ行く。朝7時15分にボストンのサウス・ステーションを出るアムトラックの特急アセラに乗り込む。アセラはファースト・クラスとビジネス・クラスしかないのだが、座席指定ができない。座席数以上の予約はとらないので全員座れるのだが、どの席に座るかは自由である。おまけにどのホームから発車するのか、発車10分前にならないと分からない。乗客は待合いホールでブラブラしていて、アナウンスがあると(電光掲示板でも表示される)発車ホームに殺到するというひどいシステムだ。

何とか座って3時間半の列車の旅である。アセラは電源がとれるのでパソコンが使えるのが良い。さすがに無線LANはない。昼前に到着し、連絡してあったJ先生とペン・ステーションで待ち合わせをする。

ニューヨークは暑い。地下鉄のホームがサウナのように暑くてしんどい(ボストンの地下鉄はなぜかそんなに暑くない)。地下鉄の車内は冷房がきいているが、電車が来るのを待っている間に汗が出てくる。おまけに路線が複雑で、ローカル電車に乗ったはずなのに駅をすっ飛ばすことがある。放送をしっかり聞いていないと変なところへ連れて行かれてしまう。J先生と電車で話しているうちに乗り過ごしてしまい、そのおかげで思いがけず世界貿易センターの跡地を見ることになった。

これまでテロのことについてそれなりに書いてきたし、テロ後も何度もニューヨークに来ているが、今まで一度も近づいたことがなかった。単なる見物で行くべきところではないような気がしていたし、当時の自宅近くにあったペンタゴンのすさまじい光景を見てからはますます行く気がなくなった。しかし、7年が経って、今回は時間があったら見に行こうと思っていた。

跡地は再開発工事の真っ最中だった。しかし、高いビルに囲まれてぽっかりと空いた空間は、いろいろなことを考えさせる。いまだに泣き崩れている人がいるのも悲しみの深さを感じさせる。あれからずっとアメリカは戦争をしている。戦争中であるという雰囲気はあまりないけれども、戦争がもうすぐ終わるという感じもない。ローマ帝国のヤヌスの神殿は戦争中は開けたままにしておいたそうだけど、アメリカにそんなものがあったとしたら7年間近く開きっぱなしだ。

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それにしても、ニューヨークは人が多い。車も多い。ボストンの調子で歩いていると轢かれそうになる。東京からニューヨークに来てもどうということは思わなかったのに、今回は人と車の動きと高層ビルにくらくらする。何度も見たはずのエンパイア・ステート・ビルに見とれてしまう。ふと自分が都会離れしてしまったのだと気がついた。ボストンにだって高層ビルはある。しかし、ケンブリッジ側に住んでいると、それは遠くから見るものになっていて、高層ビルの間に住んでいる感じがない。ボストンの運転の荒さは全米で最悪だと言われるが(すぐにクラクションを鳴らすのをやめて欲しい)、やはりニューヨークよりはのんびりしている気がする。ニューヨークのアパートの値段を聞いてびっくりしてしまうし、この街には住めないなと思う。きっと東京に帰ったらしばらくはくらくらするのだろう。

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二日目、東京から来ているHさんとSさんと一緒にフリーダム・ハウスを訪問したり、研究者に会ったりする。フリーダム・ハウスは1941年にエレノア・ルーズベルトが作った非営利団体で、民主主義のための調査や支援活動を行っており、近年は報道の自由に関する指標を作っている。インターネット規制についても調査を行っているので、その辺を聞くことができて有益だった。実は面談相手は5月のニュー・ヘブンのカンファレンスで知り合った人なのだが、今回改めて話してみると、私がお世話になったY先生の娘さんとクラスメートだということが分かった! 世の中狭すぎる。たまたま知り合った人の交友関係を深く調べることができたら、こんな偶然はもっと見つかるのだろう(あまり他人のSNSの友人リストをのぞく気はしないけどね)。

全ての用事を終え、再び汗をかきながらペン・ステーションに戻る。夕方6時の電車を待つが、平日のラッシュ時に重なったこともあって駅は乗客でごった返している。予約した電車は30分遅れの表示が出ている。しかし、6時半が近づくとアナウンスを待つ人たちが電光掲示板の下に集まり、なんだか殺気立ってくる。そして、ワシントンDCから到着した乗客がエスカレーターを上がってくると、そこが発車ホームに違いないと人だかりができる。アナウンスされたときには列も何もなく人が殺到している。まるで発展途上国のようだ。アメリカは世界で最も豊かな国という割には、こういう原始的なところが残っている。絶えず移民が入ってくる国ではこうならざるを得ないのだろうか。

大西洋を見てくる

もうすぐ渡米4ヵ月になる。生活が軌道に乗ってしまうといろいろ忙しくなる。あっという間に一日が過ぎていく。夢中で時間が過ぎていくのは良いことなんだけど、もっとじっくり味わって時間を過ごしたい気もする。

先日、ふと丸一日空いている日があったので、車に乗ってポーツマスまで出かける。まずはポーツマスを少し通り過ぎて大西洋を見てくる。日差しは強いのに涼しい風が吹いていて心地よい。

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ポーツマスは言わずとしれた日露戦争の講和条約が結ばれたところである。先日ポーツマスを訪れたSさんとOさんがとても良かったと言っていた展示を見に行く。確かにここの展示は良くできている。いわば、政策過程分析を詳細にやっているのだ。国際交流基金日米センターの支援があったそうだが、良い仕事を支援しているなと関心。講話成立は両国政府代表団の努力だけでなく、米国政府やポーツマス市、ポーツマス住民の支援があって初めて可能だったのだということが分かる。

出口のところで売っている資料を物色しているうちに私は出口をふさいでしまっていた。アメリカ人のおじさんがやってきて、「ちょっと失礼」と言う。それも日本語。おじさんはそのまま出て行ってしまった。買い物が終わって外に出てトイレに行こうとすると、さっきのおじさんが出てきて、「左です」とまた日本語。話をしてみると、早稲田に留学したり、同志社で先生をしたりしたこともあるアメリカの大学の先生だった。コロンビア大学で日本政治の博士号をとり、今はバージニア州の大学で先生をしていて、専門はなんと公明党の政治。いやはや恐れ入ります。

独立記念日

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7月4日はアメリカの独立記念日。ボストンは歴史ある街なのでここ一週間ぐらいはずっとイベントが続いている。3日と4日はチャールズ川沿いのエスプラネードで夜の無料コンサートがある。カントリー・ミュージックやボストン・ポップが聴ける。3日のほうが空いているので午後から席取りをしていたのに、開演直前に雷警報が出て近くのハイウェイのトンネルに避難するようにという指示が出てしまった。本降りになるとのことなので断念して帰宅。

4日も朝は雨だったので今日もダメかと思ったが、午後から晴れてくる。昼間は家でのんびり過ごす。夕食を食べてからテレビを見ると8時半からエスプラネードのコンサートが始まっている。独立記念日当日は朝から席取りをしないといけないというので行かなかった。しかし、コンサートの後にチャールズ川の上で花火がある。9時半に家を出て、MITのキャンパスへ。川沿いに出るとたくさんの人が集まっていて、日本の花火と同じくらいの人だかりだ。夜になると涼しいのが良い。

対岸のエスプラネードでコンサートが続いていて、スピーカーを通じて音が中継されている。しかし、テレビ中継のコマーシャルの時間になると演奏が止まってしまう。この辺がアメリカ資本主義だなあと感心してしまう。MIT側にいる人たちは勝手にわいわいやっている。でも野外でのアルコールは禁止なので酔っぱらいがいない。

10時半になると轟音とともに花火が上がる。音楽と合わせて上がる花火もなかなか良い。アメリカの花火もかなり進化して、一昔前のようにただ上に上がってど〜んだけではなくなっている。趣向を凝らした花火がどんどん上がってなかなかのハイレベルだ。日本の花火がなつかしい。

戦時中だというのに、そんな雰囲気は感じない賑やかな夜だった。

MITの先生たち

MITの先生二人と食事に行った。そのうちの一人が本を出したのでそのお祝いも兼ねている。こちらでは200ページの本は薄いと判断されて業績にならないのだそうだ。どうりで300ページとか400ページとかいう本が多いわけだ。

ひとしきり話をした後、あるテーマについて彼ら二人がすごい勢いで議論を始めてしまい、話についていけなくなる。同僚とでも激しく議論をするのだなあと感心。でももちろん人間関係が悪化するわけではなく、最後はハグをして分かれる。

二人のうち一人と私はジャズ・クラブへ。こちらでは夜遊びなんてしないのだが、良い機会なので連れて行ってもらう。ボストンには有名なバークリー音楽大学があり、その界隈にはジャズ・クラブがたくさんある。今回行ったところは、普通のジャズではなくて、ロックに近い激しいドラムとベースがおもしろかった。タングルウッドのクラシックも良いが、こういうのも楽しい。

音楽の合間に、ある有名な先生のうわさ話を聞く。その先生はライバル大学からかなり良い条件で引き抜きのオファーを受けた。ところが、そのオファーがあったことを人に話してしまうのだ。日本だと人事の話は極秘で進められることがほとんどで、途中で漏れると横やりが入ってダメになることが多い。しかし、こちらではわざと公にして、周囲の反応を見る。案の定、その有名な先生は現在の大学の学長から良い条件で慰留のオファーがあり、残ることになった。へええとこれにも感心してしまう。アメリカの大学の教員は給料で差を付けられるからこんなことも可能なのだろう。日本の大学は年齢給と勤続給で決まることが多いから、インセンティブを付けられない。

夜の12時を過ぎて帰宅することに。帰る途中、「明日は寝坊できるの?」と聞くと、「いや、9時から5時のペースで仕事することにしているんだ」とのこと。もうこちらの大学は夏休みに入っているから、ゆっくりできるはずなのに、3人の子供の面倒を見ながら自宅で毎日同じペースで仕事をしているそうだ。おまけに夜遊びも欠かさない。

せっかくの自由なのだからと最近の私は勝手気ままな生活をしている。好きな時間に研究し、眠くなったらひたすら眠る。何にもしない日もある。日本のある有名な先生に生活のリズムを聞いたとき、「リズムは一定してない。好きなときにやるだけだよ」と言っていた。その先生は自宅近くに仕事場を持っていて、そこにベッドもあるので、本当に好きなようにやっているようだった。高齢なのでそんなに睡眠時間が必要ではないらしいし、引退して授業も持っていないからそれで構わないらしい。

そのまねをすべく、好きなようにやっていたのだが、どうも私には合わない。不規則な生活をしていると集中力が持続しないような気がする。調子に乗って徹夜などすると、その後の二、三日は影響が出てしまう。結局のところ、集中できる時間を最大限確保するためには規則正しく、ルーティーンで研究をするほうが良いのかもしれない。ムラのある仕事をするよりも、たぶん毎日少しずつ積み重ねていく方が結果が出るのだろう。

散髪

散髪はアメリカ生活で困ることの一つだ。前にワシントンに滞在したときも苦労している。

すでに帰国したOさんから、彼のアパートの近くにあるレバノン人経営の散髪屋は大丈夫だと聞いていた。今日は帰りにそこへ行こうと意を決して家を出た。

MITのオフィスで仕事しながら、みんな散髪はどうしているのだろうと思って、ネットで検索してみると、MITのCOOP(生協)で切っている人がいた。この人は、ケンドールではなく、少し離れたスチューデント・センターのCOOPで切ったと書いているけど、ケンドールの生協にも床屋があるのを思い出した。フード・コート側にとても小さな入り口があるのだ。

ダメ元で行ってみようと思い立ち、入ってみるとアジア系の男性がいる。「髪を切って欲しいんだけど」と言うと、今暇だからいいよとのこと。本当にちょうど暇だったらしく、私が席に座ると次から次へとお客さんが来る。私の後にはアポが入っているらしく、みんな断っている。私はラッキーだったようだ。

彼は22歳の時にベトナムから家族と移民してきたそうだ。こちらに来てから英語と散髪を習い、15年ほどここでやっているという。アジア人の髪は難しいけど、俺はquick and goodだよという。

日本と比べるとずいぶん簡単だ。最初にスプレーで髪を濡らしてから、バリカン(?)で耳周りを切ってしまう。その後、上の方を櫛でときながらはさみでばさばさ切っていく。最後に櫛で整えて終わり。シャンプーとかひげそりとか整髪料でのセットとかそんなものはない。10分ぐらいで終わり(そう言えば、日本にもこんな床屋があるね)。

確かに期待以上のうまさだった。これなら通える。MITの皆さん、Kevinに頼むと良いですよ。ただし、もう一人いるらしい(今日はいなかった)女性の美容師はアジア人の髪が苦手らしいので要注意。

地球の歩き方とウィキペディア

アメリカの歴史を学ぶという名目でケープ・コッドとプリマスに行ってきた。ケープ・コッドはボストンから車で2〜3時間で行ける避暑地で、大西洋に腕のように飛び出している半島である。ケネディ家の別荘もある。

一日目は先端の町、プロビンス・タウンを目指す。ハイウェイの途中にある休憩所に旅行案内所があり、地図をもらおうと立ち寄ると、朝鮮戦争に行ったことがあるというおじいちゃんがいた。教えてもらって外を見ると、米国旗の横に韓国の旗がかかっている。ここでボランティア・ガイドをしながら募金も集めているらしい。戦争の後は工作機械メーカーで働いたそうで、YKKが取引先だったため、日本にも100回行ったと言っていた。こんな人が田舎にいるから奥深い。一通り話を聞いて、プロビンス・タウンでランチの良いお店はないかと聞いてみると、ロブスター・ポットが良いという。このお店は『地球の歩き方』にも書いてあった。

車に戻ってまたハイウェイを走りながら、『地球の歩き方』は、ウィキペディア・モデルの先行例だよなと思う。世界中を旅行した人が自分の体験談を書きつづり、それを手紙やファックスで編集部に送り、それを編集部がまとめて出版してきた。大した謝礼があるわけでもないのにみんな喜んで情報提供してきた。日本人がウィキペディアが好きなのもそういう先行例があったからか。

20080605shellfish.jpgはたして、ロブスター・ポットはうまかった。ロブスターももちろん良かったが、写真にあるShellfish Algarveという貝のブイヤベースもうまい。何種類かの貝やイカの他に細麺のパスタが入っている。しかし、ニンニクがきついので翌日までにおう。

20080605whydah.jpg食事の後、これも『地球の歩き方』に出ているWhydah Pirate Museumという海賊のミュージアムに行く。ここは、ケープ・コッド沖で莫大な財宝を積んだまま沈んだ海賊船ウィダーの引き上げプロジェクトについてのミュージアムである。海賊の生活がどのようなものだったか、どうやって海賊船を引き上げたか、どんなお宝が入っていたかなどが分かる。お宝ハンターにとっては最高のサクセス・ストーリーだ。館内で見られるビデオはヒストリー・チャンネルが作ったようだ。楽しそうだなあ。

散策した後、半島の真ん中辺りにあるハイアニスという街に泊まる。翌日はフェリーでナンタケット島に行くつもりだったが、天気が悪いのであきらめ、ケネディ大統領のミュージアムに行く。ケネディ家はハイアニスに別荘を持っていて、ヨットやゴルフをして過ごした。ミュージアムといっても、飾ってあるのは主としてハイアニスで過ごしたケネディ家の写真である。ビデオと写真を見ながら、ケネディ家がアメリカ人のあこがれるライフ・スタイルを実践していたのだなあと思う。

ケープ・コッドを出て半島の付け根にあるプリマスへ。1620年にメイフラワー号に乗ってピルグリムたちがやってきたところである。17世紀の様子を再現したプリマス・プランテーションという一種のテーマ・パークがある。ネイティブ・アメリカンの生活とイギリス人の生活がそれぞれ再現されていて興味深い。それぞれの言い分が分かるようになっていて、一方的な歴史観の押しつけにならないように配慮されている。

そこから3マイル離れたところに係留されているメイフラワーII号のチケットもコンビネーションで買える。車に乗ってメイフラワーII号を目指す。その近くにはプリマス・ロックというピルグリムたちが最初に足を乗せた石が残っているのだが、あいにく上に被さっている神殿風の建物が再建中で見られなかった。しかし、その横にある解説板を読むと、その石が最初の石として特定されたのは上陸から120年もたった後で、歴史的事実というよりも、象徴でしかないそうだ。こうやって歴史は作られる。

20080606mayflower.jpgさて、メイフラワーII号。ここで『地球の歩き方』に混乱させられた。『地球の歩き方』には「1620年9月6日、102人のピルグリムファーザーズを乗せたメイフラワーII世号が自由を求めて新大陸へと出航した。」「メイフラワーII世号は、最初のアメリカ移民を運んだ船として知られている」などと書いてある。じゃあ、メイフラワーは二隻あったのか。もう一隻はどうなったのか。先にアメリカに着いたんだっけ、別の場所に着いたんだっけ、と気になり始めた(歴史をちゃんと勉強していないことがばれる)。

近くの売店に入り、解説書を読んでようやく理解した。『地球の歩き方』が間違っている。ピルグリムたちが乗ってきたのはメイフラワー号であって、メイフラワーII世号ではない。メイフラワーII世号とは、この目の前にある復元船のことで、これは1955年に作られたものだ。メイフラワー号が実際にどのような船だったのか資料がないため、想像で復元されたのがメイフラワーII世号である。この船は実際にイギリスからアメリカまで航海している。

そうすると、「II世号」というのもおかしくて、単に「II号」としたほうがいいのではないか。

歩き方が意図的に間違えたとはまったく思わないが、これもウィキペディア的な間違いなんではないだろうか。ウィキペディアの記述は完璧ではない。地球のある方も完璧ではない。それを受け入れた上で自分で確かめてあるのが『地球の歩き方』の楽しみなのだ。おかげで私はこのことをより強く記憶に焼き付けることができる。しかし、帰宅して調べてみると、メイフラワーII号の記述ははるかに詳しく、正確だった(少なくとも私に間違いは見つけられない)。たくさんの人がチェックするとどんどん良くなる。『地球の歩き方』の間違いに気がついても私は直接書き換えられないし、時間もかかる。やはりネットの勝ちなのかな……。

リターン

同じアパートに住む先輩日本人夫婦にいろいろ教えてもらう。大笑いしながらも考えさせられたのがアメリカ経済の仕組み。

奥さんが料理教室に参加しようとしたときのこと、「お皿を持ってない」と言ったところ、「お店から借りればいいのよ」とアメリカ人の先生。「???」と思ったけど、よくよく聞いてみると、いったんお店からお皿を買い、料理教室で使ってからきれいに洗って、「やっぱり気に入らないからリターン(返品)」と言ってお店に持っていくのだという。それでお店は全額返してくれる。その商品はまた棚に並べられる。

噂には聞いていたが、本当らしい。

アメフトのスーパーボールの前に大型テレビがすごい勢いで売れる。スーパーボールが終わると、テレビは同じ勢いでリターンされる。販売店は売れれば売れただけ、メーカーからキックバックがあり、返品された商品はメーカーに突き返すだけだから痛くもかゆくもない。メーカーはそんなことは織り込み済みの値段を付けているので仕方ないと思っている(それでも日本より安い?)。

どちらも売上には計上される。しかし、本当の売上と言えるのだろうか。利益は出ているのか。訳の分からないアメリカ経済。消費者保護の下に変なことになっていませんかね。

「どうでも良いものから試してみて、『リターン』て言えるようになれば、アメリカ生活に慣れた証拠ね」との奥さんのアドバイス。なるほど〜。

ところで、入居前に申し込んでおいたのに電気代の請求が全く来ない。どうなっているのかと思って電力会社に問い合わせてみると、申し込みに不備があったので申し込みはキャンセルされているとのこと。「問題があれば連絡します」って最初のメールに書いてあったのになあ。どう見てもそっちの責任でしょ。やれやれ、また交渉か。でも電気はずっと使えているからこのまま放って置こうかなあ。

アメリカ経済は大丈夫ですか。ガソリン対策の前にやることあるでしょ。

真の勝者

寝ぼけまなこで起きると、テレビで民主党の党規委員会の中継が始まっていた。何気なく見始めたがかなりおもしろい。大統領選挙の行方を決める委員会になるのかもしれない。背景については、例えばこちらこちらこちらを参照。

2004年の選挙でインターネット旋風を巻き起こしたハワード・ディーンが民主党の委員長を務めており、彼の挨拶も気合いが入っていた。司会が二人いるのだが、そのうちの一人はどうやらフランクリン・ルーズベルト大統領の孫らしい。

今のところ一番盛り上がっているのは、オバマ派の下院議員でフロリダ州選出のRobert Wexler議員の演説と質疑応答。彼の発言に激しい拍手とブーイングが巻き起こる。

その後も延々と議論が続けられ、それぞれの立場から熱心に主張している。普段は偉そうに質問している議員たちが、党規委員会の委員たちにぐりぐり質問攻めにされている姿もおもしろい。

真の勝者は民主主義だという指摘ももっともだ。複雑な大統領選挙の仕組みについて、これだけ報道されればより分かった気がする。

Alan Wolfe, “The Race’s Real Winner,” Washington Post, May 11, 2008; Page B01.

徹底的に議論することで、結果に対する満足度は上がる。オバマにせよ、クリントンにせよ、マッケインに勝てるかどうかは別の話だが、比較的あっさりと決まった共和党よりも、民主党のほうがアメリカ政治が理想とする姿を描き出したといえるだろう。ここまでもめなかったとしたら、モンタナやサウスダコタの予備選なんて誰も注目しなかっただろう。

今日のボストンはサンダーストームの予報が出ているせいか、外出している人が少ない気がする。窓から見える駐車場の出入りが週末にしてはとても少ない。みんなこのテレビを見ているのだろうか。

ネットワーク中立性

20080529swan.JPGボストンには春がなかなか来ないなあと思っていたら、もう夏になってしまった。月曜日はメモリアル・デーで休日だった。この日を境にアメリカの学校は夏休みに入る。MITも先週は試験期間で、その前の週で授業も終わってしまっている。来月6日にはMITの卒業式も行われる。気温はぐんぐん上昇し、アメリカ人はTシャツと半ズボンで歩いている。ボストンの夏も日本並みに暑いそうで、気が滅入る(もっと涼しいと思っていたのに)。

今日は特に気持ちの良い天気なので仕事をさぼり、ダウンタウンのパブリック・ガーデンへ散歩に行き、A学部長が好きそうなスワン・ボートに揺られる(ちなみにこのブログの上部にある絵はボストンをイメージしたもので、左側に少しだけ見えているのがスワン・ボート)。

ところで、少し前にニューヨーク・タイムズの社説にネットワーク中立性のことが載った。さすが、新聞はうまく議論をまとめるものだと思う。日本のネットワーク中立性に関する懇談会では、アメリカの議論はずれているという話があったけど、やはりアメリカでは民主主義の話とつながっている。そうでなければこれだけみんなが議論するわけはない。普遍的な価値に引きつけて議論するからこそおもしろくなる。単なるビジネス・モデルの話ではない。

Democracy and the Web,” New York Times, May 19, 2008.

数日後、政府が規制してネットワーク中立性を確保しようとするのはおかしいという意見投稿もあった。

Mike McCurry and Christopher Wolf, “Regulating the Net,” New York Times, May 22, 2008.

「政府の介入を許してまでも」ネットワークの中立性を確保すべきなのかどうかが重要な論点で、日本の総務省も議論まではしたけれども、ダイレクトな規制にまでは踏み込めなかった。そのギリギリのラインを見定めるのがこの議論の肝なんだろう。

ニューヨーク大学でわいわい「インターネットの未来」について議論しているビデオもおもしろかった。

http://www.isoc-ny.org/?p=214