1年ぶりに教壇に

先週、友人とともにボストンのジャズ・カフェへ。ここに来るのは2回目。ジャズといってもファンク・ジャズとかいう分類らしくて、激しいジャズである。諸事情あって控えていたアルコールを再開。音楽のせいか、アルコールのせいか、何だか頭の中がしびれる。

演奏しているミュージシャンの一人は日本人だった。私のテーブルには他に3人アメリカ人がいたのだが、全員日本語がペラペラで、そのミュージシャンがテーブルの脇を通り過ぎたとき、いきなり全員から日本語で話しかけられて面食らっていたのが愉快だった。バークリー音楽院で勉強しているという。

翌日、MITの「日本のポピュラー・カルチャー」という授業で話をする。担当のイアン・コンドリー准教授が日本に来たとき、私の授業で話してくれたこともあり、アメリカの教壇に初めて立つことになった。授業自体が1年ぶりである。といっても少人数のゼミ形式の授業なので楽しみながら話すことができて良かった。普段接しているアメリカの大学院生は一癖ある人が多いが、学部生は素直な子が多い。議論で相手を負かそうという雰囲気でもなく、率直に自分の意見を述べている。ほんのわずかな時間だったが、良い経験だった。

授業が終わった後、女子学生二人が雑誌を見てキャーキャー言っている。ジャニーズの写真満載の日本語の雑誌だった。ほとんど読めないらしいが、少しは分かるらしい。ジャニーズに慶応出身の子がいるんだよと言ったら「知ってる!」と言っていた。たいしたもんだ。

写真は12月のMIT。ここ数日とても暖かかったので雪はほとんど溶けた。道路脇にかちんこちんになった固まりが残っているだけ。摂氏11度まで気温が上がった日、半ズボンで地下鉄に乗っている人がいてあきれた。さすがに寒そうだった。

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JFKライブラリー

週末は暖かかった。日曜日は摂氏8度まで上がり、年末から固まっていた雪がだいぶ溶けた。

ずっと行きたくて行けなかったジョン・F・ケネディ・ライブラリーへ。ボストン湾に突き出た州立マサチューセッツ大学のキャンパス内にある。

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ケネディ時代の研究はしていないので、アーカイブには行かず、ミュージアムの展示だけを見る(ここのアーカイブはアポが必要な上に、親切ではないと聞いたことがある)。

ケネディはいろいろなエピソードが知られているし、キューバ危機は国際政治を学ぶ者には必知事項なので、あまり新しい収穫はないが、それなりに楽しい。

大統領就任式のビデオを、オバマと比べながら見ると、ケネディは国際的な視点を持っており、世界の人々に語りかけているのが印象的だった。オバマは現下の情勢からアメリカ国内の話にフォーカスせざるを得ない。

有名なテレビ討論会のビデオも流されている。ニクソンの顔色が悪かったという話だが、白黒画像なので、顔色云々はどうかと思う。ニクソンの人相が悪いといわれればそうだが、若さというか、はつらつとしたところが無かったのだろう。

ライブラリーの中にあるカフェから海を挟んで見えるボストンの景色が良い。ヨット好きだったケネディにふさわしいロケーションだ。こんな景色を見ながら読書ができれば幸せだ。

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残り数十億人のための未来のインターネット

3月16日(月)に情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会の今年度最終回を開催します。

スピーカーは韓国のインターネットの父といわれるキルナム・チョン教授です。幸い、日本語で講演してくださる予定です。

チョン教授はアフリカとアジアで取り残されている人々にインターネット・アクセスを提供するためのプロジェクトを開始しておられます。その概要と意気込みを伺う予定です。

ようやく私も出席の見込みです。


【日時】2009年3月16日(月)18:30〜20:30

【発表者】キルナム・チョン氏(韓国KAIST教授、慶應義塾大学特別研究教授)

【テーマ】残り数十億人のための未来のインターネット

【概要】未来のインターネットに関する研究が世界中で始まっている。その多くは最初の10億人、つまり、先進国の現在のインターネット利用者に焦点を絞っている。残り数十億のインターネット・アクセスを持たない人々、特に発展途上国の人々のための研究努力もまた非常に重要である。これは、世界中の多くの研究者、先進国および発展途上国の双方の研究者にとって良い研究機会となるだろう。

※講演は日本語で行われます(資料は英語のみになります)。

【会場】インテル株式会社内 会議室

     千代田区丸の内 3-1-1 国際ビル 5階

     (JR有楽町駅徒歩3分。東京駅徒歩6分。)

http://www.intel.co.jp/jp/intel/map_tokyo.htm

【申し込み】情報通信学会事務局研究会窓口(kenkyu2◆jotsugakkai.or.jp)にメールでお申し込み下さい(◆を@に代えてください)。

アナログ停波延期

昨日、アメリカ議会はテレビのアナログ放送停波の延期を決めた。計画では今月17日にアナログ波は止まり、テレビはデジタル化されるはずだった。

ノース・カロライナ州のウェルミントンというところでは昨年のうちに実験が行われ、マーチン前FCC委員長がイベントにも参加している。マーチン委員長はデジタル・テレビへの移行を成果の一つとして退任した。

しかし、今年に入ってから急に、停波は難しいのではないかという話が持ち上がり、大統領就任前のオバマ次期大統領も延期を支持したため、先週、上院が延期を決め、昨日、下院も続き、オバマ大統領が法案にサインすれば延期が確定する。

アメリカはケーブルテレビや衛星放送が主流なのでアナログ停波は大きな問題にならないといわれてきたが、実際には1400万世帯がラビット・アンテナと呼ばれるアナログ用のアンテナをテレビの上に置いて使っている。貧困層、高齢層、過疎地ではアナログ放送に頼っている世帯が多い。

こうした世帯を支援するため、連邦政府はクーポンを配り、60ドルほどのコンバーターが20ドル程度で買えるようにしていた。ところが、予想以上にこのクーポンを求めた人が多く、クーポンが全て無くなった上に、希望者の長いウェイティング・リストができている。クーポン自体は印刷すればよいのだが、補助金の予算が無くなってしまったのだ。議会はオバマ政権の景気刺激策の中にこの補助金の予算を組み込むことを認めることにした。

何ともお粗末といえばお粗末な話だ。

おととい、見たい番組があって夜の8時からテレビの前に陣取っていた。ところが、画面がギザギザになり、音声は途切れ途切れになって、全く意味をなさなくなった。ケーブルテレビだから問題ないはずなのだが、実際にはケーブルテレビの映りはかなりの頻度で悪くなる。おそらくこの日は雪のせいだったのだろう(やはりアメリカのインフラストラクチャは問題が多いのだ)。

アナログ放送では、天気が悪いと画面の中にザーッと雨が降ることがあるが、しかし、それでもある程度判別できる。しかし、デジタル放送になると十分な信号が届かない場合にはほとんど意味不明になる。デジタル放送の受信には高性能のアンテナを正確な方向に向けないと入らないくなる場合があるらしく、単にコンバーターを付けるだけではうまくいかないことが多いとウェルミントンでは報告されている。

デジタル放送は予想以上に問題が大きいかもしれない。テレビと政治の結びつきは強い。6月まで4ヵ月の延期の間に紆余曲折がある可能性が高い。

またニュー・ヘブンへ

朝7時に家を出てボストンのサウス・ステーションへ。7月にNYに行って以来のアムトラック乗車。私は鉄分はそれほど多くないが、アムトラックはなぜか好きだ。ちょうど良い時間に特急のアセラがなかったので普通列車でニュー・ヘブンへ向かう。2時間20分ほど。前回乗ったとき、ボストンから南へ向かって左側の景色のほうが良いことに気づいたのでそちらの席を確保したが、雪まじりの天気で景色はあまり良くない。時折見える川や湖(あるいは海の入り江?)が凍っている。

定刻にニュー・ヘブンに着き、時間に余裕があったのでイェール大学までブラブラ歩く。5月にCFPというカンファレンスで来て数日過ごしたのでだいたい土地勘がある。

12時にイェール・ロー・スクールに行き、友人に会う。彼女はコロンビア大学で博士号をとったばかりで、イェールの情報社会プロジェクトでフェローをしている。いずれ彼女もどこかでテニュアをとり、立派な先生になるのだろう。

イェールの建物は統一されていて古めかしさを漂わせているが、ハリー・ポッター的でもある。ロー・スクールの建物もまさにそんな感じで、中の食堂も良い雰囲気だ。そういえば、インディ・ジョーンズの最新作のロケでもイェールが使われていた。

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今、アメリカの大学はセミナーの季節に入っている。セミナーというと日本では講習会というイメージだが、アメリカでは講演会だ。MITでもハーバードでも毎日のようにセミナーが開かれている。イェールの情報社会プロジェクトでも今日から毎週セミナー・シリーズが始まり、私はトップ・バッターの栄誉をいただいた。

これまで英語が下手なのも気にせず、けっこうな数の英語の講演や学会発表をしてきて、たまに大成功と呼べるようなものもある(最近では昨年のトルコはうまくいった)が、今回は明らかに準備不足であまりうまくいかなかった。考えてみると昨年4月のジュネーブ以来、日本語でも英語でも人前で話していなかった。もうしどろもどろで、途中で胃が痛くなってきた。やはり準備は周到にやらないとダメだ。

聴衆には申し訳ないのだけど、今回は自分の研究の進捗を話してフィードバックをもらうことが目的だった。テーマはブッシュ政権の令状なし傍受だったのだが、聴衆の反応が複雑。ロースクールの学生やファカルティだから、法的な側面について彼らはいくらでも語れるはずだが、政治的な側面になるとみんな奥歯に物が挟まっているような感じだ。こういう話もある、こういう動きもあると教えてくれたのはありがたい。しかし、自分のポジションを明確にするような意見はほとんど出てこなかった。

これまでこの問題をいろいろな人に質問をしてきたけれど、アメリカ人にとってもこれは自慢できる事例ではないので、語りにくいのだと思う。さらに言えば、イェールはブッシュ親子の母校である。そんなところでブッシュ批判ともうけとれないことを話す私がちょっとずれているのかもしれない。外国人に言われたくはないわな。例えば、日本の腐敗政治について研究しに来ましたというアメリカ人が東京で講演して受けるはずはない。ま、いいや。

天候が悪くなるという予報だったので、セミナー終了後、タクシーに飛び乗る。本当はイェールの中を案内してもらいたかったなあ。とても残念。もう当面はここに来ることもないだろう。しかし、雪で帰れなくなると困るので仕方ない。

ボストンに帰るアムトラックの特急アセラは数分遅れでニュー・ヘブンを発車。今度も景色の良いはずの右側(ボストンに向かって)の席に座れたが、雪が激しくなり、外の景色はほとんど見えない。日本の電車だったらスピードを落としそうなものだが、さすがニュー・イングランドの特急はスピードを落とさずに突っ走っているので余計景色は見えない。

景色が悪いのでN君が送ってくれた卒論を読む。締切ギリギリに出したためだろうが、誤字脱字が多いのがちょっと残念。でも彼がずっと主張していたコンセプトがかなりおもしろくまとまっている。忘れていた論点もいくつか思い出させてくれた。先学期も卒論を送ってくれた学生がいたが、忘れずに送ってくれるのはけっこううれしい。一年とか二年つきあって話を聞いていると、こうした時間が経ってから読んでもぱっと昔の議論がよみがえってくる。勉強から一歩でも踏み出して研究した成果を形にして卒業できる学生はすばらしい。

飛行機の旅も良いけど、電車はシートベルトに縛られることもなく、電源も使えるからリラックスできる。一つ終わってすっきりしたので、帰国までもう少し頑張ろう。

やめるための見きわめ

研究のための時間が足りない。予定していたことは全部できそうにないことがほぼはっきりしてきた。だから、取捨選択をしなくてはいけなくなっている。

そこで、ケンブリッジ界隈でちょっと話題になっているらしいSeth GodinのThe Dipを読む。薄い本なのですぐ読める。dipという言葉はいろいろな意味があるが(例えば、「能なし」という意味もある)、たぶんここでは「くぼみ」というのが一番良いだろう。

新しい仕事やプロジェクトを始めると最初はうきうきしている。新しい研究テーマに取り組むときもそうだ。しかし、しばらくすると行き詰まる。このままで良いのか。ちゃんと終わるのか。意味があるのか。悶々とし始める。この状態がdipである。

選択肢は二つ。頑張って続けるか、やめるか。Godinは「やめろ」という。とっととやめるのが賢い。一流の人はそもそもそんな仕事は始めもしない。一流になれないと分かったら手を出さない、手を出してしまっていても一流になれないと分かったらすぐやめろという。

普通は、成果が出るまであきらめるな、頑張れ、というところだ。Godinはそれはバッド・アドバイスだという。

仕事やプロジェクトには三つのパターンがある。努力をしていると最初のうちは容易に成果が上がる。しかし、そのうち成果が上がらなくなり、くぼみにおちこむ。あるいは壁にぶち当たる。その壁を乗り越えると多大な成果が手にはいる。これがDipのパターン。

二つ目のパターンは、Cul-de-Sac(袋小路)。努力を続けてもたいした成果が上がらない状態がずっと続いて袋小路に至る。

三つ目のパターンは、Cliff(断崖絶壁)。最初は努力の分が報われるが、そのうち成果は全く上がらなくなり、奈落の底に落ちる。

ここの図が分かりやすい。

http://www.lifeevolver.com/strategic-quitting/

Godinは、自分がやろうとしている仕事、やっている仕事が、この三つのうちどれなのかを見きわめろという。Cul-de-SacあるいはCliffであると分かった瞬間に「やめろ」というわけだ。

そして、それがDipであり、自分が乗り越えるべき壁にぶち当たっているなら、やめてはいけない。くぼみから抜けだし、壁を乗り越えたときに報酬が待っている。オバマが得た報酬は実に大きい。

凡人は、壁を前にしてやる気をなくし、やめてしまう。逆に、Cul-de-SacやCliffにしがみついている。見きわめがついていない。

卒論、修論、博論を書くのもこれと同じ。やめれば良いのになあというテーマにしがみついている人や、もう一踏ん張りすれば良い成果が出るのにあきらめてコロコロとテーマを変えてしまう人。

なんで学位くれないのですかという人がいるが、課題を乗り越えているのかもう一度考え直すべき場合が多い。簡単に手に入るものは意味がない。Godinも言っているように、落ちこぼれる人、やめる人がいるからこそ、資格には価値が出る。誰でもMBAやロースクールを簡単に出られるなら、多大な努力と投資をする意味はない。簡単にとれるものにありがたみはない。もっと意地悪な言い方をすれば、すでに学位を持っている人たちにとって仲間は少ない方が良い。だから、試練をちゃんとくぐり抜けた人にしか学位は出せない。

Dipから抜け出ることをゲームのように楽しめる人は強い。イライラしているとバンカーはいつまでたっても抜けられない(ゴルフをしたことはないけど)。早く抜け出る方法はあるはず。学術でもスポーツでもビジネスでも、努力を惜しまない、努力を努力と思わない人がDipを抜けられる。楽しければ簡単に感じられるだろう。楽しいと思えないものに努力は傾けられない。

Godinによれば、一流の人は自分がthe best in the worldになれるテーマに集中し、なれないものは戦略的にやめてしまう。簡単にやめられる人が一流になれる。やめてばっかりだと嫌われるかもしれないけどね。

自分を振り返ってみると、やったことを後悔している仕事・プロジェクトもある。見きわめができてなかった。ちょっとシニアの同僚から、帰国したら人のために使う時間を増やしなさいと言われている。そのためには仕事の棚卸しをして、集中すべき仕事の見きわめをしなくてはいけない。しかし、時間がもっと欲しいなあ。

大統領就任式

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大統領就任式はMITの研究所の会議室で、同僚たちとランチをとりながら見た。午前11時からCNNのネット・ストリーミングをプロジェクターで投影し、隣に音声を切ったテレビでFOXの中継を見る。ネット・ストリーミングはテレビより35〜40秒ほど遅れていて、LIVEと出ているのに何か変な感じだ。

11時45分ぐらいにCNNのストリーミングがかなり乱れた。世界中から一気にアクセスが増えたのだと思う。しかし、その後はかなり安定していて、見事なものだった。MITの回線が太いことも良かったのだろう。MITではキャンパス内の5カ所ぐらいの大きな部屋で中継していたらしい。個人的に見ていた人もいるだろうし、よくCNNのサーバーはパンクしなかったものだ。

就任式を通しで見るのは初めてで、かなりおもしろかった。元大統領や現職大統領、その他の要職にある人、家族たちが順番に呼ばれて登場する。座っているだけで良いブッシュ大統領は余裕綽々だ。チェイニー副大統領が車椅子に乗っているのは知らなかった。オバマの娘二人が登場したとき、研究所の黒人女性スタッフは「かわいらしい〜!」と実にうれしそうだった。

最初の笑いが起きたのは、オバマが登場するときに「Barack H. Obama」と呼ばれたため。「フセイン」というミドルネームを使うかどうかに注目していたのだが、「妥協したんだね」とみんなにやにやしていた。

次の笑いは、オバマが宣誓の言葉を言いよどんでしまったとき。彼でもさすがに緊張するんだなあ。

スピーチそのものは、それほどインプレッシブではなかったように思う。研究所のみんなも、あれ、終わったのという反応で、拍手もなかった。

演説の後の国歌斉唱では、元CENTCOMの司令官ウィリアム・J・ファロンがすっくと立ち上がり、半分ぐらいの人が立ち上がって一緒に歌う。しかし、さすがリベラルなケンブリッジ。立ち上がらない人もけっこういる。

日本のニュースで見ると大統領の宣誓と演説ぐらいしか見られないが、副大統領の宣誓や、アレサ・フランクリンの歌など、いろいろおもしろいものも見られた。なんと言っても詰めかけた群衆がすごい。オバマの姿は全く見られなかった人も多かったはずだが、あれだけの人が集まるのは大変なことだ。銅像や木によじ登っている人も多い。

パレードが始まる前、少しハーバード・スクエアを歩いてみたが特に何もなく、地下鉄に乗るとき政治集会のビラをもらったぐらいだった。レストランではいろいろサービスをやっていたらしい。リーガル・シーフーズではメインの料理を頼むと第44代大統領にちなんで名物のクラム・チャウダーが44セントだったとか。

帰宅してパレードを見ると、装甲車のような車からオバマ夫妻が出てきて、ペンシルベニア・アベニューを手を振りながら歩き出した。このときが一番感動的だった。シークレット・サービスは嫌がっただろうが、オバマ夫妻の覚悟が伝わってきた。

本当はワシントンで見てみたかったが、テレビで通しで見られただけでも良かった。アメリカに新しい時代が来た。日本の首相がいちいちこんなイベントやったらお金が続かないし、人も集まらないかもしれない。任期が決まっている大統領制だからこそできることだ。

FCC委員長人事

CIA人事に触れたからにはFCC(連邦通信委員会)の人事にも触れておきたい。オバマ次期大統領は、年末に噂に出ていたとおり、ハーバード・ロースクールの同級生をFCC委員長に指名する見通しになった。Julius Genachowskiはベンチャー・キャピタリストで、オバマのキャンペーンに50万ドルの資金提供をしている(猟官制という言葉が懐かしい)。

そして、現職のマーチン委員長は辞職し、アスペン・インスティチュートに行くという。ワシントン・ポストは、「スペクトラム・オークションの勝者に対してそのネットワークを外部の技術にオープンにすることを強いたとしてマーチンは記憶されるだろう。そして彼はまた、ネットワークで特定のインターネット・トラフィックをスローダウンさせる行為においてコムキャストに不利な裁定を下した」と記事をしめくくっている。

1996年通信法から12年経ち、ようやくもってFCCはインターネットに焦点を絞った政策・規制にシフトすると見られている。規制撤廃と言いつつ、これまでのFCCは細かいルールをやたらと作り、それが意味不明で裁判・裁定がたくさん必要になり、ブロードバンドが普及しないという事態になっていた。オバマ政権がブロードバンド普及に力を入れると言った以上、FCCの方向転換は不可欠だ。

ところで、これまでアメリカのインフラやサービスの悪口を書いてきたが、そうそうと思う記事がワイアード・ビジョンに出ていた。アメリカのトイレは紀元前と変わらない。紀元前でも別にいいのだけど、それでは世界一とは言えない。

アメリカのブロードバンドはダメなんだと日本で言うと信じてくれない人が多いが、FCCのブロードバンドの定義は768kbpsである。これでは世界一とは言えない。

チョムスキー講演

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MITで最も有名な人の一人がノーム・チョムスキーだ。現在79歳で、名誉インスティチュート・プロフェッサーである。彼の著作は英語でも日本語でもたくさんあるが、恥ずかしながら読んだことがない。私の所属する研究所の主催で講演会が開かれるというので聞きに行ってきた(ビデオもすでに公開されている)。会場は学生や一般の人でいっぱいで、立ち見が出ていた。

何となく過激な発言をする人というイメージがあったのだが、実際に見てみると物腰は柔らかい。開始時間になってもなかなか現れないので、キャンセルになるのではないかと思っていたのだが、よろよろと階段教室を降りてきた。ほっそりした人を想像していたが、割と体つきはがっしりしていて、裾をまくったゆるめのジーンズに愛嬌がある。

テーマはイスラエルのガザ侵攻だ。口ぶりは過激ではないのだが、やはり内容は辛辣で、今回の侵攻はイスラエルとアメリカが周到な準備を行い、周到なプロパガンダの下で展開されているという。

そう言われてみれば、「侵攻がまもなく始まる」と一報が流れ、CNNが中継をするとすぐにイスラエル側のスポークスマンが現れ、しかし、ガザの内部の様子はよく分からないという状態だった。

講演はその後、ガザをめぐる問題の詳細なクロノロジーになっていったので、私にはいまいちつかみきれないところがあったが、チョムスキーは2時間弱、立ったままよどみなく話し続けた。一緒に聞きに行ったY先生によれば、1960年代から彼の発言は日本でも影響力を持っていたという。本来の言語学から離れて政治的な発言を続ける彼のエネルギーはどこから出てくるのだろう。

CIA長官人事

ブッシュ政権のCIA長官マイケル・ヘイデンはNSA長官時代に令状なし通信傍受を始めた張本人で、プライバシー業界では非常に評判の悪い人だ。ところが、オバマ新大統領が彼を留任させるかもしれないという噂が出ていた。

結果的には、クリントン政権の古狸であるレオン・パネッタが指名され、インテリジェンスのプロたちを怒らせている。パネッタはインテリジェンスの経験が全くないからだ。

ヘイデン留任はなかったが、クリントン政権からブッシュ・W・ブッシュ政権に移る際、ジョージ・テネットCIA長官が政党を超えて留任したことがあるから、あり得ない話ではない。

さらにさかのぼると、フォード政権下でCIA長官だったパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)は、任期が短かったこともあり、カーター政権でも引き続き長官職に留任することを希望していたが、カーター新大統領に拒絶されたという話があるそうだ。

当時のパパ・ブッシュは非常に党派的な人間として知られていたので、そこが嫌われたようだ。

この話を読んで、10月にヒューストンのブッシュ・ライブラリーで見つけた資料を思い出した。歴史的価値が特にあるわけではないが、おもしろいのでスキャンして載せておこうと思う。なお、紙が青いのは、原資料と区別するために大統領ライブラリーのコピー用紙が青いため。

(1)ブッシュがフォード大統領に出した辞表

(2)フォード大統領からブッシュへの辞表受理と感謝の手紙

(3)ブッシュがCIA職員に出した手紙

ブッシュ退任スピーチ

昨晩、ブッシュ大統領がお別れスピーチを行い、テレビで中継された。

昨日の昼間はいろいろな人のお別れスピーチが行われていた。私がテレビで見ただけでも、ジョー・バイデン次期副大統領が上院でお別れスピーチを行い、その後、ヒラリー・クリントン次期国務長官が同じく上院でお別れスピーチを行った。それと同じ時間にブッシュ大統領がフォギーボトムの国務省に出向き、ここでお別れスピーチを行っていた。駐日大使がなぜあんなに早く離日するのかと思っていたが、これに参加するためだったらしい。

この国務省でのスピーチでブッシュ大統領は、日本、韓国、中国の三つの国と同時に良い関係を持った政権はなかったのではないかと言っていて、苦笑してしまった。この辺のロジックの展開がブッシュのおもしろさだ。

お別れスピーチの裏では、初の黒人司法長官承認のための公聴会が行われており、CIAの拷問問題やNSAの通信傍受の問題を抱える重要なポストだけに注目されていた。たぶん、他にも政権移行に伴う一連の出来事が行われたのではないかと思うが、ニューヨークの墜落事故のニュースで、雰囲気が一気に切り替わった。

墜落事故で犠牲者がなかったこともあり、午後8時からのブッシュ大統領のホワイトハウスでのお別れスピーチは予定通り行われた。

最初にブッシュ大統領のスピーチを生中継で見たのは、2001年8月のステム・セルに関するスピーチだったと思う。

http://www.whitehouse.gov/news/releases/2001/08/20010809-2.html

このページで見られる映像は、テレビで放送されたものと少し角度が違うと思うのだが(テレビではもっとカメラ目線に近かった)、頼りないなあという印象を持った。たぶん自分で理解していない話を一所懸命話しているという感じだった。

しかし、この後で9/11が起きたことで、大統領の雰囲気はずいぶん変わる。

今日のお別れスピーチも自信たっぷりに見えた。大統領は9/11とイラク戦争で腹が据わったのだろう。ブッシュ大統領の支持率はとても下がってしまったが、将来評価は改善するだろう。確かに安全保障・治安関係ではやり過ぎが目立ったが、大規模なテロを防いできたことも確かだ。オバマ政権になって大規模なテロが起きれば、やはりブッシュはちゃんとやっていたと言われるようになるだろう。

ブッシュ大統領も、自分の決断が万人に評価されないとしても、タフな決断をしたのだと主張していた。彼の決断で多くの人が命を落とした。彼はその評価を歴史に委ねるつもりだが、その責任に耐える鈍感さがないとアメリカの大統領は務まらない。決断をするに臆するところがなく、また意外な決断ができるという点では、まれな大統領であり、最初に受けた印象とは異なって凡庸な大統領とは言えないと今は思う。

ブッシュ大統領のスピーチはこれで最後になり、主役は入れ替わる。CNNの記者によれば、ブッシュはオバマの船出を心から祝福しているという。この率直さが、ブッシュの(かつての?)人気の要因だった。テロ、戦争、カトリーナ、経済危機といった出来事が続いた時代は歴史にどう評価されるのか。

クリスマス

アメリカではクリスマスはほとんどの仕事が休みになる。レストランもほぼ全部休みになり、日本のようにクリスマス・ディナーや忘年会で盛り上がることはない。ほとんど人も出歩かず、道路もすいている。一つの宗教に基づく休日は政教分離に反するのではないかと思うが、とにかくほとんどの人が仕事をしない。サンクスギビングは友人・知人を呼んでパーティーという人が多いが、クリスマスは家族水入らずというところが多いような気がする。クリスマス・イブはラストミニッツの買い物客がいるが、クリスマスになると街はとても静かだ。

CVSという薬局兼雑貨屋は開いているというので、デジカメの写真を印刷しに行った。隣にあるダンキン・ドーナッツも開いていて、かなり人が入っていた。他に行くところがないのだろう。CVSにはキヨスク端末が置かれていて、自分でデジカメの写真を印刷できる。これまでも何回かやっていて問題なかったので、今回も大丈夫だろうと踏んでいた。CVSの店内も、いつもよりも人が入っている気がする。やはり他に行くところがないのだから、案外かき入れ時かもしれない。

キヨスクはいつも通りの様子だったので、タッチスクリーン式の画面で写真と枚数を指定して、印刷の注文を出した。普通なら1分以内に写真が出てくる。しかし、今回は出てこない。画面を見ると、小さなエラーマークが出ているので、クリックすると、「インクリボンがない」と出ている。近くにいた店員に、「インクリボンがないと出ているのだけど、直してもらえますか」と聞いた。

「それ、今日は動いてないから。」でたでた、アメリカ的対応である。「機械は動いているし、注文しちゃったよ。」「担当者がいないから。」これもアメリカ的。「じゃあ、どうやってキャンセルするの。」「ワン・セカンド」といってその人は店の裏へと消えていく。しかし、待てど暮らせど帰ってこない。これもアメリカ的。

仕方ないので、別の人をつかまえて同じことの繰り返し。その彼は店の裏へと消える代わりに、「チッ」と舌打ちをした後、カギを取り出してキヨスクを開け、リボンの交換を始める。これもアメリカ的。こちらも黙って作業させる。すると、先ほど店の裏へ消えた男が、着替えて何知らぬ顔で帰っていく。これもまたアメリカ的。

作業を終えた男はばたんとキヨスクを閉めてあっちへ行ってしまう。写真がバラバラと出てくる。時間はかかったが目的は達したのでよしとしよう。クリスマスに仕事している彼らも楽しくはないのだろう。

今日の教訓:アメリカのクリスマスは家でおとなしくしているべし。

こんなことがあってから家に帰って、トーマス・フリードマンのクリスマス・イブのコラムを読むと、「アメリカをリブートせよ」と言っている。アメリカには才能ある人が集まっているけど、インフラストラクチャもサービスも全然ダメじゃないかと言っている。その通りだと叫びたくなる。

CVSのキヨスクと同じで、便利なものを設置したのは良いものの、ちゃんとメンテナンスが行われないで放置されている社会インフラストラクチャが多すぎる。道路や電車、空港、建物、みんなそうだ。古いものが良いとされるのはイギリスに任せておいた方が良い。歴史の長さが違うのだから。アメリカは金ピカで新しい方が似合う。アメリカは疲れてしまっている気がしてならない。

そして、サービスも悪すぎる。ワシントンDCに住んでいる人は、ボストンの店員がにこやかだと驚く。確かにそうだ。しかし、ボストンでもCVSの店員のようなのはゴロゴロいる。チップをもらえるレストランやホテルの従業員だけがきびきび動く。

先日の東京のシンポジウムでこうした点を批判したら、私は日本での生活にスポイルされているというコメントを頂戴した。日本のクオリティは確かに高すぎるかもしれない。しかし、アメリカが期待よりもただ低いのだと思う。アジアの都市では(暑いのと人が多いのをのぞけば)もっと快適に過ごすことができる。

アメリカは世界一の国だとアメリカ人は言うが、必ずしもそうだとは思えない。フリードマンが別のコラムで書いているとおり、もうアメリカと中国の差はぼけてきている。自慢の資本主義も政府の助力がないとダメになってしまった。他国の産業が政府に保護されているのを批判していたのだから、アメリカの自動車会社をアメリカ政府が救済するのは筋が通らない。エンロンのような不正会計があったと思ったら、マドフ・ファンドのようなネズミ講が社会的信用のある人によっておおっぴらに行われていた。

アメリカは本当にリブートすべきだと思う。よれよれになった社会をさっぱりと新調して欲しい。オバマ大統領就任まであと1カ月足らず。期待しすぎてはいけないと思いつつ、期待してしまう。

とここまで書いて、ブログに上げるのが面倒で放置していた。そして、クリスマス明けに近所のスーパーで買い物。翌日、大学時代の友人夫婦が自宅に来るので準備を開始したところ、買ったはずの品物が見あたらない。レシートを確認すると確かに支払っている。このスーパーでは商品を店員が袋に入れてくれるのだが、入れ忘れたようだ。リターン(返品)はありだとしても、入ってなかった(と客が主張する)商品はどうなるのだろう。

このまま泣き寝入りも悔しいので、レシートを持ち、スーパーに戻った。入っていなかった商品を手に取り、カスタマー・サービスへ。「こんにちは。」「こんにちは。どうされましたか。」「昨日、ここで買い物をして、この商品の支払いをしたのですが、家に帰ったら袋にこの商品が入っていませんでした。」「ああ、そうですか。今日はこれからまたお買い物ですか。」「いいえ、今日はもう買い物はありません。」「それでは、どうぞ。」と出口を指さされた。

ううむ。こちらの言い分を100%聞いてくれたのはありがたいが、いいんだろうか。レシートすら確認しようとしなかった。アメリカ経済が本当に心配になる。

ついに来た

昼前にMITの副学長からメール。12時で全員仕事を切り上げ帰宅するようにとのこと。午後になると雪嵐が来るというのだ。慌てて食料品の買い出しに行くと、すでに同じように買い出しに来ている人で溢れている。

買い物が終わって帰宅する途中、ちらほらと雪が舞い始める。道のところどころで除雪車が待機している。帰宅してしばらくすると本降りになった。アパートの窓から除雪車の動きを見ていると楽しい。夜半まで降った後、翌朝はアパートの窓から見る限りカチンカチンに凍っているようだ。ついに本格的な雪の季節が来た。週末で良かった。

写真がぼけているのは降っている雪のせい。

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笛を吹いた人

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通信傍受の話も追いかけているテーマの一つだが、こちらでも進展があった。3年前の今頃、ニューヨーク・タイムズがブッシュ政権の令状なし通信傍受をスクープした。その情報源が誰だったのか(少なくとも私は)分からなかったが、ニューズウィーク誌が司法省の職員Thomas M. Tammであるとして、今週発売された号でカバー特集記事にしている。

まだちゃんと目を通していないが、TammはFBI一家で育ち、あの悪名高いエドガー・フーバーFBI長官の机の下で遊んでいたというから、司法省/FBIの中でも筋金入りだ。その彼が、NSAが違法性の高い通信傍受をしていることに気づき、公衆電話からニューヨーク・タイムズにタレこんだということらしい。しかし、すぐにFBIが知るところとなり、かなりの嫌がらせを受けたようだ。彼は確かに筋金入りだが、組織に対して筋を通したのではなく、正義に対して筋を通す人だった。

「blow a whistle」は「笛を吹く」の意、「blow the whistle」は「内部告発をする」という意になる。

笛を吹いた人

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通信傍受の話も追いかけているテーマの一つだが、こちらでも進展があった。3年前の今頃、ニューヨーク・タイムズがブッシュ政権の令状なし通信傍受をスクープした。その情報源が誰だったのか(少なくとも私は)分からなかったが、ニューズウィーク誌が司法省の職員Thomas M. Tammであるとして、今週発売された号でカバー特集記事にしている。

まだちゃんと目を通していないが、TammはFBI一家で育ち、あの悪名高いエドガー・フーバーFBI長官の机の下で遊んでいたというから、司法省/FBIの中でも筋金入りだ。その彼が、NSAが違法性の高い通信傍受をしていることに気づき、公衆電話からニューヨーク・タイムズにタレこんだということらしい。しかし、すぐにFBIが知るところとなり、かなりの嫌がらせを受けたようだ。彼は確かに筋金入りだが、組織に対して筋を通したのではなく、正義に対して筋を通す人だった。

「blow a whistle」は「笛を吹く」の意、「blow the whistle」は「内部告発をする」という意になる。

オバマ政権で変わるFCC

MITは年内の授業と試験が終わり、大学は休みモードに入っているが、ワシントンは賑やかだ。情報通信政策でおもしろい動きが出てきている。

まず、12月6日にオバマ次期大統領が、大規模なインフラストラクチャ投資計画をラジオ演説とYouTubeでのビデオで発表した。アイゼンハワーが州際ハイウェーに投資して以来の規模になるという。ブッシュ政権の乱費と昨今の金融救済案もあって今年度の連邦政府の財政赤字は1兆ドルを超えると見られ、これまでの最高額の2倍以上になっている。それでもやるというのだ。

景気刺激策という意味ももちろんあるが、古くなり、世界的に見ても遅れ始めているアメリカのインフラを何とかしなければ、ますます競争力が低下するという危機感もあるようだ。

ブロードバンドへの投資も大きな柱となっている。オバマはインターネットの威力を分かっているだけに、力を入れたいところだろう。

As we renew our schools and highways, we’ll also renew our information superhighway. It is unacceptable that the United States ranks 15th in the world in broadband adoption. Here, in the country that invented the internet, every child should have the chance to get online, and they’ll get that chance when I’m President – because that’s how we’ll strengthen America’s competitiveness in the world. (引用元

そうなると、連邦通信委員会(FCC)の人事が焦点となるが、おそらくブッシュ政権退場とともに辞任するであろうケビン・マーチンFCC委員長に対する批判が吹き出てきている。下院のエネルギー・商業委員会の多数派スタッフがレポートを出し、そのタイトルは「欺瞞と不信:ケビン・マーチン委員長下の連邦通信委員会(PDF)」である。

タイトルほどには中身はすごくなくて、マーチン委員長が自分でマイクロコントロールしたがるので、他の4人の委員や部下たちがやってられないとこぼし、業者たちがぶつぶつ言っているということだろう。最大の問題とされているのは、視聴覚障害者のための資金を集めすぎていて、一般利用者の料金が(わずかに)上がっているということのようだ。

しかし、以前からマーチン委員長は議会の問いかけに応じないなど、問題が積もり積もった結果としてこうした批判が出ていると見た方がいい。FCCは独立委員会なので、行政府の一部のように見えながら、報告義務があるのは議会である。委員を指名するのは大統領だが、議会に対して説明責任を負っている。議会の問いかけに応じないのはやはり問題だ。

マーチン委員長が就任したとき、確か30代後半で、今の私の年齢とさほど変わらなかったはずだ。そんな大役を任されるとしたらぞっとするが、若さ(そんなに若くはないが、政治的には若い?)ゆえに、マイクロコントロールし、成果を出したかったのだろうか。マーチン委員長下のFCCはソ連のKGBのようだという冗談まで出ている。

そのマーチン委員長、一月さかのぼって11月にはテレビの電波の隙間にあるホワイト・スペースと呼ばれる電波の解禁を認める決定をした。この話もよく調べるとおもしろくて、ブロードウェーのアーチストたちが反対に回り、賛成派のグーグルなどと対決していた。ブロードウェーのミュージカルではマイクを使用しているが、ホワイト・スペースが解禁されると干渉するから嫌だというのだ。電波は見えないだけにいろいろ変な話が出てくる。

オバマ次期政権の技術顧問にはケビン・ワーバックなど技術と政策に明るい人が入っている。FCC委員長が誰になるのか見物だ。

観光気分の東京

12月5日に慶應の三田キャンパスで開かれたシンポジウムに参加するため、一時帰国。3月24日に渡米して以来なので、約8ヵ月ぶりの日本である。成田空港に着くと、まず暑いと思った。だいたいボストンの最高気温が東京の最低気温ぐらいなので仕方ない。成田エクスプレスに乗って品川に着くと、人が多い。歩けない。こんなところを毎日平気で歩いていたのかと思うと不思議だ。

シンポジウムの最中は時差ぼけで眠ってしまうのではないかと思ったが、思いの外、目は覚めていて楽しめた。翌日、オバマ次期大統領がインフラストラクチャへの大規模投資を発表して、我が意を得たりという気分だった。ブロードバンドへの投資も本腰を入れるようだ。

インフラやサービスのレベルを日本を規準にして考えてはいけないのは分かっているが、世界一の先進国だという割にはアメリカはあまりにもお粗末で嘆きたくなる。配達ものが本当にひどくて、指定した日に届かないのは当たり前というのはどうかしていると思う(だったら最初から指定させるべきではないだろう)。パネルの中でアメリカのコンビニの悪口を言ったが、要は物流インフラとそれを支える情報インフラがしっかりしていないので、新鮮な食品をコンビニの店頭に並べるということができない(例えばShintaroさんのブログを参照)。おそらく同じ理由で新鮮な魚がスーパーに並ぶということもない。電車はおんぼろでうるさく、一定の間隔で運行できないので、固まってきたと思ったらずっと来なくなったりもする。飛行機は国際スタンダードでそれなりに定時の運行ができるのだから、電車だってやればできるはずだ。

シンポジウム翌日の土曜日は朝からいくつかの用事を片付ける。春に亡くなった小島朋之前学部長の墓参にようやく行けたのも良かった。いろいろなめぐり合わせで葬儀にも偲ぶ会にも出られなかったので、やっとという思いだ。一緒に行ってくれた同僚の清水唯一朗さんとカツ丼セットを食べられたのも良かった。本物のカツ丼だった。

夜はICPCの合宿へ。さすがに時差ぼけが出てきて、夜通しの議論にはつきあえず残念だったが、議論は大いに盛り上がっていて良かった。この合宿で使った日本橋のホテルは、びっくりするほど狭い部屋のビジネス・ホテルなのだが、大きな風呂があるのはうれしかった。久しぶりに首まで湯につかることができた。やはり外国には長く住めない。私には風呂が必要だ。温泉に行きたい!

驚いたのはこのホテルには外国人旅行者がたくさん泊まっていて、白人の若い女性三人がぞろぞろと浴衣で歩いていたり、夜中に修学旅行生のように廊下で騒いでいたりしたこと。観光地としての東京の人気は上がっているのかなと思う。

翌朝、日本橋の小舟町から東京駅まで歩く。江戸橋の横を通り、日本橋を渡り、永代通りをゆっくり歩いた。日曜日の朝なので人通りは少なく、すがすがしい。振り返るとコレド日本橋に朝日が反射していてきれいだった。今回はホテルに3泊したが、観光気分で東京を見ると予想以上に楽しいなと思い直した。

ボストンはアメリカのスタンダードで言えば都会だけど、東京は桁違いに大きくて、人と文化がぎっしり詰まっている。東京は住むには通勤などが大変だけど、観光客として訪れるにはとても楽しいところなんだろう。東京駅で土産物屋が開くのを待っていたら、友人のNさんに見つかった。こんなにたくさん人がいるのに不思議なものだ。

あっという間に一時帰国は終わり、シカゴまで飛ぶと雪が積もっていた。ここでオバマ次期大統領は政権構想を練っている。さらにボストンまで飛ぶ。この日は雪が降ったそうだがまだここでは積もっていない。

と、ここまで一週間以上前に書いたのだが、ボストンに戻ってきてからあわただしく、そのままにしておいたら、今朝雪が積もった。いよいよ冬が本格化する。

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サンクスギビング

だいぶ前の話になるが、11月27日はサンクスギビングデーだった。この日の夜はMITで所属する研究所の所長宅に招いていただいた。実に広々としたリビングがあり、25人ぐらいのゲストが来ていたが、まだ余裕がある。日本研究者だけあって壁には浮世絵や日露戦争時のめずらしい漫画地図など、興味深いものが飾ってある。奥さまはプロの料理人ということもあって、たくさんの料理本も並んでいる。日本語の料理本も多い。

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アメリカの大学の先生の給料は平均するとそんなに高くないらしいが(日本のほうが高いという話も聞いたことがある)、こんな広々として居心地の良い家に住めるなんてうらやましい。まあ、実際にアメリカに住むとなると考え込んでしまうが、こんな家を日本で建てられたらさぞかし快適だろう。

サンクスギビングの主役ターキー(七面鳥)の丸焼きは時間をかけて作った自家製で、大きなものが二羽出てきた。マッシュポテトなど伝統料理も並んで壮観である。サンクスギビングの料理は、アメリカ料理らしくなく、手間暇かけて作られるので実においしい。

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ゲストも多様で、博士課程の日本人学生や中国人留学生、教授がメンターになっているバングラデシュからのエンジニアの学部生、MITジャパン・プログラムのスタッフ、イタリア人家族、その他、多様なグループから来ており、賑やかで実に楽しかった。皆で持ち寄ったデザートもおいしい。かなりカロリーオーバーだった気がする。

この多様なゲストと楽しい時間を過ごしながら、アメリカという国のダイナミズムを思う。ここにいる外国人のほとんどにとってサンクスギビングなんて関係ないのだが、こうした機会に集まり、いろいろな情報交換をして、ネットワークを広げていく。自宅(そして自国)をこれだけ開けっぴろげにして懐深く入れてしまう。外国人もいつの間にかアメリカ的生活様式を身につけ、アメリカ人になっていく。ここにいる何割かの人はアメリカに残り、グリーン・カードを手に入れ、帰化していくのだろう。

安楽椅子の学者はもう無理

「安楽椅子の○○学者」という言い方がある。安楽椅子の人類学者など、主にフィールドに出て行くことが想定されている学問分野で、フィールドリサーチをしない学者のことを揶揄していうことが多い。

梅田望夫さんはあえてネットだけで生きる決意をして、アメリカ国内では飛行機に乗らないとどこかで書いていた気がする。すごい実験だと思う一方で、一次資料へのアクセスが不可欠な学者にとっては難しいといわざるをえない。ネットで得た資料だけで論文を書いたら(まだ?)あまり評価されないだろう。

実際、今どきの学者はフィールドワークなしで研究することはできないように思う。文学や音楽であっても、著者や音楽家の背景を知るためにその人たちが生きたところへ行ってみることは理解を大きく促進する。アメリカ文学を研究している人がアメリカへ行ったことがないということが、昔はあったらしいが、今では考えにくい。

私自身も旅は嫌いではないので、機会があれば足を伸ばす。現場を見たり、当事者に話を聞いたり、現物の資料を見ることで得られることは実に大きい。カンファレンスやシンポジウムで聴衆の反応を共有しながら話し手の言葉を追いかけるのもやはり意味がある。私は国際政治学が主たる研究ドメインなので、世界の現場を見ないで国際政治の授業をするのはやはりどこか物足りない気がする。

しかし、来週に迫ったシンポジウムのために一時帰国するのはけっこうしんどい。アメリカでやらなくてはいけないことが山積みなので、総計20分程度しか話をする機会のないパネリストの一人として、往復30時間かけて一時帰国するのは少しやりきれない。シンポジウムでおもしろい話が聞けて、満足できれば良いなと思う。

他にも、ちょうど週末に、情報通信政策研究会議(ICPC)が開かれる(情報通信政策は私の研究のサブドメインだ)。今回、私はアメリカにいるのであまりお手伝いができておらず、その週末もどうしても外せない用事があるのでフル参加は無理だが、顔を出そうと思う。旧知のみなさん、新しい参加者のみなさんと議論できれば、無理して帰る意義も増すだろう(どなたでも参加できますので、申し込みの上、ご参加ください)。時間をもらえれば、夜のBOFでは、アメリカ大統領選挙とネットについて話そうと思う。

しかし、副次的に楽しみにしているのはおいしいものが食べられること。無論、アメリカにもおいしいものがある。ステーキはやはりアメリカのほうがおいしい。ボストンならロブスターをはじめとするシーフードだろう。しかし、もう飽きた。日本のおいしいものが食べたい。

先日、ボストンの日本料理屋に入ってカツ丼を食べた。カツ丼ではなかった。どんぶりの底には大量のご飯が詰め込まれ、その上に、普通のトンカツが乗っかっている。さらにその上に、卵とタマネギをあえたものが乗っかっている。カツ丼の良さはトンカツにだし汁がしみるようにさっと煮込んであるところだろう。料理人に説教してやろうかと思ったが、本物を食べたことがない人には分かるまい。

本物や現場、現物、当事者を知るためには自分が動かなくてはいけない。

今日はサンクスギビングデーだ。外に出ている人が本当に少ない。日本の正月のようだ。今晩は研究所の所長の自宅にお招きをいただいている。本物のサンクスギビングデーを見てこよう。

第3回 ソーシャル・イノベーション研究会

主査がいないまま行われている情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会の第3回研究会が開かれます。学会員以外でも参加可能ですので、お申し込みの上、ご参加ください。


ICTのイノベーションにより、選挙はどのように変わるのか―日米韓の比較討論会

開催日時 12月23日(火) 午後1時から3時

会場    国立情報学研究所(学術総合センター)12階講義室I・II

共催    国立情報学研究所

会場の準備の都合により、事前申込が必要になります。

12月19日(金)までに事務局(kenkyu3@jotsugakkai.or.jp)にお申込ください。

パネリスト

司会  上田昌史 国立情報学研究所助教

発表者 杉原佳尭 

インテル株式会社 渉外部長、 特定非営利活動法人 地域情報化推進機構 理事長

自民党本部勤務、長野県知事選挙の総括責任者、自身も芦屋市長選挙に出馬、残念ながら次点。著書に 『ソフトな政治(一世出版)、 民主主義は機能しているか?』(英治出版)

発表者 李洪千(り・ほんちょん)

慶應義塾グローバルCOE研究員、2002年韓国大統領選挙民主党候補演説秘書

発表者 清原聖子

情報通信総合研究所研究員、慶應義塾大学法学部・総合政策学部非常勤講師

著書に『現代アメリカのテレコミュニケーション政策過程 ユニバーサル・サービス基金の改革』(慶應義塾大学出版会)、情報通信総合研究所ホームページ記事「第4回:民主党オバマ候補の圧勝―Web2.0時代の大統領選挙戦」

http://www.icr.co.jp/newsletter/usvote/2008/uv2008004.html

講演題目と要旨

杉原

●タイトル 日本の選挙:その理想と現実

●要旨

アメリカやその他選挙戦をみているとメディア戦略、マーケット戦略など企業の戦略をとりいれて上手く生かしたものが、多い。また、当選している候補者は、メッセージをたくみに操り、国民への浸透に成功している。それに比べて、日本は、小泉選挙のときに、世耕参議院議員がその試みをしたものの、その後の展開は見受けられない。公職選挙法も含めて、実際の選挙現場でなにが行われているのかを紹介し、その理由を考えたい。

●タイトル:市民ジャーナリズムと大統領選挙に及ぼしたインターネットの影響

●要旨:選挙結果に与えるインターネットの影響は特に韓国において強いと言われている。特に2002年の大統領選挙は、オーマイニュースなどの市民ジャーナリズムが盧武鉉政権の誕生に大きな役割を果たしたという事が通説である。しかし、当時のメディア利用に関するアンケート調査を見るとインターネットから選挙情報を得ている人は少人数であり、年齢層においても20代〜30代に偏っており、多くの人は従来のオールドメディアを情報源としていた。また、盧武鉉氏への支持率も選挙告示前と選挙期間中に変化がなく、一環して野党の候補より優位であった。それにしても、インターネットの影響が強く語られていることを考えるとインターネットの影響が無かったとは言い切れない。従って、2002年の大統領選挙においては、インターネットから有権者という直接的な影響を考えるより、迂回または間接的な影響を考えることが妥当であろう。本報告では、その詳細を説明させていただきたい。

清原

●タイトル:2008年米国大統領選挙戦におけるインターネットの利用とその影響

●要旨:2008年米国大統領選挙戦は1年半の長期にわたったが、ついに民主党のオバマ候補の勝利により幕を閉じた。オバマ氏の勝利の要因の分析はこれから多くの政治学者の手により、様々な角度から行われるであろう。ここではインターネットを使った選挙運動戦略に焦点を当てたい。オバマ氏は予備選挙中からFacebookや携帯電話のテキストメッセージなど、新しいメディアを巧みに利用することで、選挙に関心の薄い若年層の掘り起こし、そして、多額の選挙資金を集めることに成功した。それは本選挙終盤での全国的なテレビCMを可能にする豊富な資金源ともなった。2008年の大統領選挙戦では、2000年や2004年の大統領選挙戦と比べても、インターネットが選挙戦において非常に大きな役割を果たしたと言えるだろう。今回の報告では、2008年大統領選挙戦を振り返り、特にオバマ陣営のインターネット選挙戦略を検討してみたい。