ネットワーク分析による政治的つながりの可視化

帰国してからもうずいぶん経つが、3月中はほぼ全く仕事をしなかった。帰国前に決まっていた数件の予定以外は、申し訳ないが断って、4月以降に回してもらった。原稿を書いていたわけでもなく、気晴らしに本を数冊読んだり、どうしても必要なメールの返事を書いたりするぐらいで終わった。こんなに仕事をしなかったのはいつ以来だろう。

仕事をしないと決めると、かえってたまっていた疲れがどっと出てきて、12時間ぐらい寝室にいるような日が続いた。研究は頭だけじゃなくて体力がないとできない。集中力の維持の元になるのは体力だし、図書館やアーカイブで文献資料を探すのもかなり体力がいる。ましてフィールドに出て行く際は言うまでもない。

回復した気はしないが、4月になったので、昨日からギアを入れ直して仕事を再開しつつある。アメリカ滞在中は今までの研究の棚卸し・在庫一掃をねらっていた。しかし、予想外の展開がいろいろあって、体力と気力を使い果たして帰ってきた。夏までになんとか挽回したいなあ。

数少ないアメリカ滞在中のアウトプットの一つが届いた。

土屋大洋「ネットワーク分析による政治的つながりの可視化—米国議会上院における日本関連法案を事例に—」日本国際政治学会編『国際政治』第155号「現代国際政治理論の相克と対話」2009年3月、109-125頁。

めずらしく学会誌に投稿した。特集に関連した論文なので、査読が付かないのかと思っていたら付いたそうだ。

私の研究テーマが比較的新しいせいか、あるいは私の筆力が単に足りないだけか、大学院生のころは学会誌に投稿しても全然相手にされず、別の学会へ出せとか、テーマが合ってないとかいわれることが続いた。10年前はインターネットや情報なんてのは際物扱いだった。だから、私は学会誌には書くのをやめて、主に書籍の形で成果発表を行ってきた。そういう意味で、今回載せてもらえたことで、テーマが少し受け入れられるようになってきたのかなと思う。

この論文の元になるネタは、富士通総研経済研究所(FRI)の客員研究員をしていたとき、FRIの皆さんと行っていた勉強会にさかのぼる。その時の成果は2006年2月23日のFRI社内発表会で出したのだが、あまり評判が良くなかった。たった3年前なのにとても昔のことのように感じる(懐かしいのでその時のファイルをアップロード)。

評判が良くないのでそのままペーパーにしないでやめてしまったのだが、昨年の6月、ハーバードで開かれたワークショップとカンファレンスに行き、もう一度やっても大丈夫だと確信したので、今回の投稿につながった。論文は早い者勝ちというところがあるが、早すぎても受け入れてもらえないことがある。査読システムは、品質を保つためには必要だろうけど、知のスピードに追いついて行けるかというと難しい。

確か、『国際政治』には謝辞を入れてはいけなかったような記憶があって入れなかったのだが、他の人はなんだかんだ入れている。関係者の皆さん、ここに書いておきますので、お許し下さい。富士通総研の吉田倫子さん浜屋敏さん湯川抗さん、サイバー大学の前川徹さん、SFCのインターリアリティ・プロジェクトの皆さん、特に西田亮介くん、京都大学の待鳥聡史さん、ありがとうございました。

二つの世界を生きる

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もうすぐ私のMITでの研究期間が終わり、帰国しなくてはならない。名残惜しい気もする反面、とっとと帰ってしまいたい気もする。

とっとと帰ってしまいたい気にさせるのは、研究環境としては日本にいてもアメリカにいてもあまり大差ないということを実感したからだろう。無論、ケンブリッジにはMITやハーバードがあって、連日のようにおもしろい講演会が開かれていて、知的な刺激に溢れている。ちょっと電車や飛行機に乗ればニューヨークやワシントンにも行ける。

しかし、そうした情報へのアクセスも、インターネットとジェット機の時代にはそれほどありがたみのあるものでも無くなってきている気がする。

東京からボストンまでは15時間飛行機に乗らなくてはいけないとはいえ、一昔前よりは短縮されているし(直行便が欲しい!)、航空運賃もずっと安くなっている。何より、大きなカンファレンスなどはネット中継・録画があり、論文のほとんどはオンラインのデータベースにほとんど載っていて、本もオンライン注文すればすぐに日本にも届くし、デジタル化される本も増えている。ダウンロードして聴くオーディオ・ブックも便利だ。

福澤諭吉やアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカを訪れたときには、すべてのものが新鮮だった。今回、アメリカに来る前に、いろいろな人のアメリカ滞在記を読んだが、山崎正和や江藤淳、藤原正彦がアメリカに来た時代とも大きく異なっている。彼らの時代には3泊5日で一時帰国するなんてことは考えられなかっただろう。この一年近くの間、毎月、友人・知人・家族が来てくれた。気軽に太平洋を越える時代になっている。

不満に感じたのは、日本の学術情報へのアクセスが難しいことだ。日本の学会誌に論文を書いたのだが、既存研究のカバーが足りないという査読コメントがあった。英語文献は簡単に手にはいるが、日本語文献はなかなか手に入らない。

アメリカ人の研究者の中には外国語がよくできる人もいるが、たいていは英語だけで生活している。しかし、私のように外国人としてアメリカに来ている人は、程度の差こそあれ、アメリカ生活に適応するのに苦労している。それを通じて実感したのは、私たちは二つの世界を生きているのだということだ。英語の世界ともう一つの世界。この二つを複眼的に見られることは、実は大きなアドバンテージである。

ケンブリッジは研究都市としては世界でトップクラスだ。しかし、元気さという点では劣る。ここに一年も住むと、アジアの元気さがなつかしい。不況に苦しんできた日本でさえ、ずっと元気なような気がする。大不況下、アメリカは元気を失いつつある。そろそろアジアに帰って元気になりたい。

そういうわけで、しばらく休みに入ります。メールの返信も遅れると思います。日本の携帯も解約してあるので、以前の番号は使えません。あしからずご了承ください。

ホームズの言葉

だいぶ春めいた陽気になってきた。

気分転換に屋外のベンチに座って『シャーロック・ホームズの冒険』を日本の文庫本で読んでいた。すると、白人の中年男性が近づいてきて、「英語分かる?」と聞いてきた。「分かるよ」と答えると、「今読んでいるのは中国語?」という。「日本語だよ。」「日本語も縦に読むの?」「そうだよ。」「ジョークを聞いたんだけどさ。英語は左から右へと横に読むでしょ。だからアメリカ人はいつもノー、ノー、ノー。中国人は縦に読むからいつもイエス、イエス、イエス。」「ははは、おもしろいね。」彼は突然きびすを返して無表情のまま行ってしまった。

いったい何だったのだろう。ジョークの実験台にされたのだろうか。ノーなのに何でもイエスと答えてしまうのは中国人より日本人ではないだろうか。

シャーロック・ホームズは小学生の頃に何度も読んだはずなのだけど、全然内容を覚えていないので楽しめる。初版の訳が昭和28年(1953年)のせいだろうけど、ホームズがコカイン常習者になっているのがおもしろい。翻訳には賞味期限があるというが、今ならどうやって訳すのだろう。ロンドンのアヘン窟の話も出てくるなど、時代背景がずいぶん違う。

『シャーロック・ホームズの冒険』の中の「ボヘミアの醜聞」におもしろいホームズの言葉がある。

資料もないのに、ああだこうだと理論的な説明をつけようとするのは、大きな間違いだよ。人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように、事実のほうを知らず知らずに曲げがちになる。

この部分、ある先生の博士論文の冒頭に引用されていた。自戒も込めてメモしておこう。

日本サイズ

USエアウェイズが1月にハドソン川で事故を起こしたせいか、ボストン=ニューヨーク(ラガーディア)間のUSエアウェイズのシャトル便が激安(1万1010円)だったので、今回はアムトラックではなく飛行機でニューヨークに行った。

ボストンからの便で隣に座ったのはコミュニティ・カレッジで先生をしているというおばあちゃんとその孫娘。私が首にヘッドホンを付けていたので、「あなたは話がしたくないと見えるわね。おまけにそんな書類の束を抱えちゃって」なんて言われてしまう。「これからニューヨークで学会発表があって……」なんて雑談をしているうちに、短いフライトなのでニューヨークに着陸してしまう。最後に、「学会発表は必ずうまくいくわよ。ボストンで最後の時間を楽しんで、日本に帰ったら良いことがまた待っているわよ」なんて言ってくれた。

こちらはあんまり気の利いたことは言えないが、昔ながらの良いアメリカ人がまだいるなあと久しぶりに感じた。気さくで親切で楽天的なアメリカ人をあまり見なくなった気がする。テロと戦争はアメリカを変えてしまったのだろうか。あるいは競争社会と不況のせいか。

翌日の帰りの便。早く帰りたい用事があったので16時にパネルが終わってからタクシーに飛び乗り、ラガーディア空港に向かうが、さすがに17時のフライトに前倒しでは乗れなかった。19時の予約だったが、18時のフライトには乗ることができた。

離陸まで少し時間があり、小腹が空いたのでフードコートへ。しかし、たいしておいしそうなものはない。アメリカに来てから一度もマクドナルドには行ってないので、ハンバーガーでも食べるかという気になった。私の博士論文はマクドナルドで書いた。昔は大変お世話になっていた(カロリーの高いものは食べずに爽健美茶やアイスティーばかり飲んでいた)。

今回は、一番安かったのでビックマックセットを注文(他のメニューは知らないものばかり)。たいして味は変わらないなあと思いつつ、学会でもらったコメントを思い出しながらぼーっともぐもぐ食べていた。ふと、あれっと思う。ポテトの量が少ない。

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写真のポテトはだいぶ食べてしまった後なので実際少ないのだが、もともとの量が少ない。確か、2001年にワシントンのマクドナルドで食べたときは、食べきれないほどのポテトが付いてきて、アメリカ人は食い過ぎだと思った。このときの1年間、負けてなるものかとアメリカでの食事を残さず食べていたら激太りして後悔した。今回はセーブしている。

しかし、目の前にあるポテトは日本のMサイズとおそらく変わらないだろう。これは不況のせいなんだろうか。あるいは『デブの帝国』で批判されたせいなのだろうか。

不況のせいでアメリカで日本が見直されている。過去20年近く、日本が不況の間にどんな政策をとってきたかが議論されているからだ。もちろん、すばらしいというわけではなく、反面教師的なところもあって、無駄な公共事業をやってもダメという引き合いにも使われている。

過去20年近く、アメリカには言われっぱなしだったのだから、ここは日本側からいろいろ言ってもいいのではないか。ま、喜んで聞いてくれるわけではないだろうけど、無駄をなくして適度なサイズにしなさいというのは良いアドバイスだと思う。

ISA

ニューヨークで開かれているISA(International Studies Association)に参加。全4日の日程のうち、最初の2日間しか出席できなかったが、初日にポスター発表、2日目にパネル発表をこなした。

ポスター発表はたぶん初めてやった。多少不安があったが、グーグルで指定の大きさに合ったフォーマットのパワーポイントをダウンロードして、コンテンツを埋めて、キンコーズに持ち込んで印刷してもらった。かなりの大筒を持って飛行機に乗らなくてはいけなかった。案の定、開けて中身をチェックされたらしい。

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普通、ポスターは学会の間ずっと掲示されていて、指定時間にポスターの前に立って説明するというスタイルだが、ISAではポスター発表はまだ実験段階のようで、指定時間だけ掲示して、そこに立っていれば良い。指定時間が終わったらはがしてしまい、掲示板は次のポスター発表に使われる。

実際に始まるまでは、1時間45分は長い気がしたが、やってみると割とすぐに終わってしまった。インテリジェンスに関連する発表だったのだが、Fのビューローに17年いたとか、Cのエージェンシーに35年いたとか強者がいろいろ現れて、私の研究発表をするよりも、こちらからインタビューする感じになって、けっこう楽しかったし、いろいろ聞けて良かった。それと、ポスター発表になれていない人が多いらしく、「ポスター発表ってどうやるの?」と後でポスター発表する人から質問を何回か受けた。

翌日のパネル発表はサイバーテロに関して。日本の国際政治学会もそうだけど、ISAもまだパワーポイントを使う文化が無くて、わざわざホテルと交渉しないとプロジェクターを持ってきてくれなかった。実際、3人のパネリストのうち使ったのは私だけ。

そもそも5人のパネリストがいたのだが、2人がドタキャン。国際学会はno showが多い。私以外の二人はヨーロッパの大学の同僚同士なので、何となく分が悪い。二人はお互いの研究をよく知っているからリファーしながら発表している。しかし、ヨーロッパの人は飾りっ気なしで、とうとうと話すスタイルがいまだ主流のようだ。

サイバーテロについてのパネルといいつつ、あまり中身の話はなくて、聞いている人は若干つまらなかったのではないかと思う。他の二人のうち一人は予告と違う内容で、テロリスト系ウェブサイトの静的な分析、もう一人はYouTubeでテロに関するどんなメッセージが流されているかという話だった。欠席した一人はペーパーだけ出したのだけど、彼の結論はサイバーテロはただのハイプだというもの。それはちょっと言い過ぎで賛成できない。現に起きているわけだし、使われる技術は核兵器と比べたら実に簡単でどこでも手にはいる(だから軽視されているともいえる)。

ま、私の発表はやはり準備不足の感は否めないが、まあまあだろう。終わった後にポーランドの先生から自分が編集している雑誌に載せるからペーパーを送ってくれと頼まれた。ちょっとうれしい。

今回の大きな収穫は、実積寿也先生の紹介で福田充先生とお知り合いになれたこと。地元ニューヨークのコロンビア大学で在外研究をされている(実積先生もコロンビア大学にいらしたがすでに帰国)。研究の関心が重なる部分もあり、大いに刺激を受ける。私のプレゼン中の写真まで撮っていただいた。

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7月以来のニューヨークはやはり楽しい。寒い季節のニューヨークのほうが良いと思う。

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1年ぶりに教壇に

先週、友人とともにボストンのジャズ・カフェへ。ここに来るのは2回目。ジャズといってもファンク・ジャズとかいう分類らしくて、激しいジャズである。諸事情あって控えていたアルコールを再開。音楽のせいか、アルコールのせいか、何だか頭の中がしびれる。

演奏しているミュージシャンの一人は日本人だった。私のテーブルには他に3人アメリカ人がいたのだが、全員日本語がペラペラで、そのミュージシャンがテーブルの脇を通り過ぎたとき、いきなり全員から日本語で話しかけられて面食らっていたのが愉快だった。バークリー音楽院で勉強しているという。

翌日、MITの「日本のポピュラー・カルチャー」という授業で話をする。担当のイアン・コンドリー准教授が日本に来たとき、私の授業で話してくれたこともあり、アメリカの教壇に初めて立つことになった。授業自体が1年ぶりである。といっても少人数のゼミ形式の授業なので楽しみながら話すことができて良かった。普段接しているアメリカの大学院生は一癖ある人が多いが、学部生は素直な子が多い。議論で相手を負かそうという雰囲気でもなく、率直に自分の意見を述べている。ほんのわずかな時間だったが、良い経験だった。

授業が終わった後、女子学生二人が雑誌を見てキャーキャー言っている。ジャニーズの写真満載の日本語の雑誌だった。ほとんど読めないらしいが、少しは分かるらしい。ジャニーズに慶応出身の子がいるんだよと言ったら「知ってる!」と言っていた。たいしたもんだ。

写真は12月のMIT。ここ数日とても暖かかったので雪はほとんど溶けた。道路脇にかちんこちんになった固まりが残っているだけ。摂氏11度まで気温が上がった日、半ズボンで地下鉄に乗っている人がいてあきれた。さすがに寒そうだった。

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JFKライブラリー

週末は暖かかった。日曜日は摂氏8度まで上がり、年末から固まっていた雪がだいぶ溶けた。

ずっと行きたくて行けなかったジョン・F・ケネディ・ライブラリーへ。ボストン湾に突き出た州立マサチューセッツ大学のキャンパス内にある。

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ケネディ時代の研究はしていないので、アーカイブには行かず、ミュージアムの展示だけを見る(ここのアーカイブはアポが必要な上に、親切ではないと聞いたことがある)。

ケネディはいろいろなエピソードが知られているし、キューバ危機は国際政治を学ぶ者には必知事項なので、あまり新しい収穫はないが、それなりに楽しい。

大統領就任式のビデオを、オバマと比べながら見ると、ケネディは国際的な視点を持っており、世界の人々に語りかけているのが印象的だった。オバマは現下の情勢からアメリカ国内の話にフォーカスせざるを得ない。

有名なテレビ討論会のビデオも流されている。ニクソンの顔色が悪かったという話だが、白黒画像なので、顔色云々はどうかと思う。ニクソンの人相が悪いといわれればそうだが、若さというか、はつらつとしたところが無かったのだろう。

ライブラリーの中にあるカフェから海を挟んで見えるボストンの景色が良い。ヨット好きだったケネディにふさわしいロケーションだ。こんな景色を見ながら読書ができれば幸せだ。

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残り数十億人のための未来のインターネット

3月16日(月)に情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会の今年度最終回を開催します。

スピーカーは韓国のインターネットの父といわれるキルナム・チョン教授です。幸い、日本語で講演してくださる予定です。

チョン教授はアフリカとアジアで取り残されている人々にインターネット・アクセスを提供するためのプロジェクトを開始しておられます。その概要と意気込みを伺う予定です。

ようやく私も出席の見込みです。


【日時】2009年3月16日(月)18:30〜20:30

【発表者】キルナム・チョン氏(韓国KAIST教授、慶應義塾大学特別研究教授)

【テーマ】残り数十億人のための未来のインターネット

【概要】未来のインターネットに関する研究が世界中で始まっている。その多くは最初の10億人、つまり、先進国の現在のインターネット利用者に焦点を絞っている。残り数十億のインターネット・アクセスを持たない人々、特に発展途上国の人々のための研究努力もまた非常に重要である。これは、世界中の多くの研究者、先進国および発展途上国の双方の研究者にとって良い研究機会となるだろう。

※講演は日本語で行われます(資料は英語のみになります)。

【会場】インテル株式会社内 会議室

     千代田区丸の内 3-1-1 国際ビル 5階

     (JR有楽町駅徒歩3分。東京駅徒歩6分。)

http://www.intel.co.jp/jp/intel/map_tokyo.htm

【申し込み】情報通信学会事務局研究会窓口(kenkyu2◆jotsugakkai.or.jp)にメールでお申し込み下さい(◆を@に代えてください)。

アナログ停波延期

昨日、アメリカ議会はテレビのアナログ放送停波の延期を決めた。計画では今月17日にアナログ波は止まり、テレビはデジタル化されるはずだった。

ノース・カロライナ州のウェルミントンというところでは昨年のうちに実験が行われ、マーチン前FCC委員長がイベントにも参加している。マーチン委員長はデジタル・テレビへの移行を成果の一つとして退任した。

しかし、今年に入ってから急に、停波は難しいのではないかという話が持ち上がり、大統領就任前のオバマ次期大統領も延期を支持したため、先週、上院が延期を決め、昨日、下院も続き、オバマ大統領が法案にサインすれば延期が確定する。

アメリカはケーブルテレビや衛星放送が主流なのでアナログ停波は大きな問題にならないといわれてきたが、実際には1400万世帯がラビット・アンテナと呼ばれるアナログ用のアンテナをテレビの上に置いて使っている。貧困層、高齢層、過疎地ではアナログ放送に頼っている世帯が多い。

こうした世帯を支援するため、連邦政府はクーポンを配り、60ドルほどのコンバーターが20ドル程度で買えるようにしていた。ところが、予想以上にこのクーポンを求めた人が多く、クーポンが全て無くなった上に、希望者の長いウェイティング・リストができている。クーポン自体は印刷すればよいのだが、補助金の予算が無くなってしまったのだ。議会はオバマ政権の景気刺激策の中にこの補助金の予算を組み込むことを認めることにした。

何ともお粗末といえばお粗末な話だ。

おととい、見たい番組があって夜の8時からテレビの前に陣取っていた。ところが、画面がギザギザになり、音声は途切れ途切れになって、全く意味をなさなくなった。ケーブルテレビだから問題ないはずなのだが、実際にはケーブルテレビの映りはかなりの頻度で悪くなる。おそらくこの日は雪のせいだったのだろう(やはりアメリカのインフラストラクチャは問題が多いのだ)。

アナログ放送では、天気が悪いと画面の中にザーッと雨が降ることがあるが、しかし、それでもある程度判別できる。しかし、デジタル放送になると十分な信号が届かない場合にはほとんど意味不明になる。デジタル放送の受信には高性能のアンテナを正確な方向に向けないと入らないくなる場合があるらしく、単にコンバーターを付けるだけではうまくいかないことが多いとウェルミントンでは報告されている。

デジタル放送は予想以上に問題が大きいかもしれない。テレビと政治の結びつきは強い。6月まで4ヵ月の延期の間に紆余曲折がある可能性が高い。

またニュー・ヘブンへ

朝7時に家を出てボストンのサウス・ステーションへ。7月にNYに行って以来のアムトラック乗車。私は鉄分はそれほど多くないが、アムトラックはなぜか好きだ。ちょうど良い時間に特急のアセラがなかったので普通列車でニュー・ヘブンへ向かう。2時間20分ほど。前回乗ったとき、ボストンから南へ向かって左側の景色のほうが良いことに気づいたのでそちらの席を確保したが、雪まじりの天気で景色はあまり良くない。時折見える川や湖(あるいは海の入り江?)が凍っている。

定刻にニュー・ヘブンに着き、時間に余裕があったのでイェール大学までブラブラ歩く。5月にCFPというカンファレンスで来て数日過ごしたのでだいたい土地勘がある。

12時にイェール・ロー・スクールに行き、友人に会う。彼女はコロンビア大学で博士号をとったばかりで、イェールの情報社会プロジェクトでフェローをしている。いずれ彼女もどこかでテニュアをとり、立派な先生になるのだろう。

イェールの建物は統一されていて古めかしさを漂わせているが、ハリー・ポッター的でもある。ロー・スクールの建物もまさにそんな感じで、中の食堂も良い雰囲気だ。そういえば、インディ・ジョーンズの最新作のロケでもイェールが使われていた。

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今、アメリカの大学はセミナーの季節に入っている。セミナーというと日本では講習会というイメージだが、アメリカでは講演会だ。MITでもハーバードでも毎日のようにセミナーが開かれている。イェールの情報社会プロジェクトでも今日から毎週セミナー・シリーズが始まり、私はトップ・バッターの栄誉をいただいた。

これまで英語が下手なのも気にせず、けっこうな数の英語の講演や学会発表をしてきて、たまに大成功と呼べるようなものもある(最近では昨年のトルコはうまくいった)が、今回は明らかに準備不足であまりうまくいかなかった。考えてみると昨年4月のジュネーブ以来、日本語でも英語でも人前で話していなかった。もうしどろもどろで、途中で胃が痛くなってきた。やはり準備は周到にやらないとダメだ。

聴衆には申し訳ないのだけど、今回は自分の研究の進捗を話してフィードバックをもらうことが目的だった。テーマはブッシュ政権の令状なし傍受だったのだが、聴衆の反応が複雑。ロースクールの学生やファカルティだから、法的な側面について彼らはいくらでも語れるはずだが、政治的な側面になるとみんな奥歯に物が挟まっているような感じだ。こういう話もある、こういう動きもあると教えてくれたのはありがたい。しかし、自分のポジションを明確にするような意見はほとんど出てこなかった。

これまでこの問題をいろいろな人に質問をしてきたけれど、アメリカ人にとってもこれは自慢できる事例ではないので、語りにくいのだと思う。さらに言えば、イェールはブッシュ親子の母校である。そんなところでブッシュ批判ともうけとれないことを話す私がちょっとずれているのかもしれない。外国人に言われたくはないわな。例えば、日本の腐敗政治について研究しに来ましたというアメリカ人が東京で講演して受けるはずはない。ま、いいや。

天候が悪くなるという予報だったので、セミナー終了後、タクシーに飛び乗る。本当はイェールの中を案内してもらいたかったなあ。とても残念。もう当面はここに来ることもないだろう。しかし、雪で帰れなくなると困るので仕方ない。

ボストンに帰るアムトラックの特急アセラは数分遅れでニュー・ヘブンを発車。今度も景色の良いはずの右側(ボストンに向かって)の席に座れたが、雪が激しくなり、外の景色はほとんど見えない。日本の電車だったらスピードを落としそうなものだが、さすがニュー・イングランドの特急はスピードを落とさずに突っ走っているので余計景色は見えない。

景色が悪いのでN君が送ってくれた卒論を読む。締切ギリギリに出したためだろうが、誤字脱字が多いのがちょっと残念。でも彼がずっと主張していたコンセプトがかなりおもしろくまとまっている。忘れていた論点もいくつか思い出させてくれた。先学期も卒論を送ってくれた学生がいたが、忘れずに送ってくれるのはけっこううれしい。一年とか二年つきあって話を聞いていると、こうした時間が経ってから読んでもぱっと昔の議論がよみがえってくる。勉強から一歩でも踏み出して研究した成果を形にして卒業できる学生はすばらしい。

飛行機の旅も良いけど、電車はシートベルトに縛られることもなく、電源も使えるからリラックスできる。一つ終わってすっきりしたので、帰国までもう少し頑張ろう。

やめるための見きわめ

研究のための時間が足りない。予定していたことは全部できそうにないことがほぼはっきりしてきた。だから、取捨選択をしなくてはいけなくなっている。

そこで、ケンブリッジ界隈でちょっと話題になっているらしいSeth GodinのThe Dipを読む。薄い本なのですぐ読める。dipという言葉はいろいろな意味があるが(例えば、「能なし」という意味もある)、たぶんここでは「くぼみ」というのが一番良いだろう。

新しい仕事やプロジェクトを始めると最初はうきうきしている。新しい研究テーマに取り組むときもそうだ。しかし、しばらくすると行き詰まる。このままで良いのか。ちゃんと終わるのか。意味があるのか。悶々とし始める。この状態がdipである。

選択肢は二つ。頑張って続けるか、やめるか。Godinは「やめろ」という。とっととやめるのが賢い。一流の人はそもそもそんな仕事は始めもしない。一流になれないと分かったら手を出さない、手を出してしまっていても一流になれないと分かったらすぐやめろという。

普通は、成果が出るまであきらめるな、頑張れ、というところだ。Godinはそれはバッド・アドバイスだという。

仕事やプロジェクトには三つのパターンがある。努力をしていると最初のうちは容易に成果が上がる。しかし、そのうち成果が上がらなくなり、くぼみにおちこむ。あるいは壁にぶち当たる。その壁を乗り越えると多大な成果が手にはいる。これがDipのパターン。

二つ目のパターンは、Cul-de-Sac(袋小路)。努力を続けてもたいした成果が上がらない状態がずっと続いて袋小路に至る。

三つ目のパターンは、Cliff(断崖絶壁)。最初は努力の分が報われるが、そのうち成果は全く上がらなくなり、奈落の底に落ちる。

ここの図が分かりやすい。

http://www.lifeevolver.com/strategic-quitting/

Godinは、自分がやろうとしている仕事、やっている仕事が、この三つのうちどれなのかを見きわめろという。Cul-de-SacあるいはCliffであると分かった瞬間に「やめろ」というわけだ。

そして、それがDipであり、自分が乗り越えるべき壁にぶち当たっているなら、やめてはいけない。くぼみから抜けだし、壁を乗り越えたときに報酬が待っている。オバマが得た報酬は実に大きい。

凡人は、壁を前にしてやる気をなくし、やめてしまう。逆に、Cul-de-SacやCliffにしがみついている。見きわめがついていない。

卒論、修論、博論を書くのもこれと同じ。やめれば良いのになあというテーマにしがみついている人や、もう一踏ん張りすれば良い成果が出るのにあきらめてコロコロとテーマを変えてしまう人。

なんで学位くれないのですかという人がいるが、課題を乗り越えているのかもう一度考え直すべき場合が多い。簡単に手に入るものは意味がない。Godinも言っているように、落ちこぼれる人、やめる人がいるからこそ、資格には価値が出る。誰でもMBAやロースクールを簡単に出られるなら、多大な努力と投資をする意味はない。簡単にとれるものにありがたみはない。もっと意地悪な言い方をすれば、すでに学位を持っている人たちにとって仲間は少ない方が良い。だから、試練をちゃんとくぐり抜けた人にしか学位は出せない。

Dipから抜け出ることをゲームのように楽しめる人は強い。イライラしているとバンカーはいつまでたっても抜けられない(ゴルフをしたことはないけど)。早く抜け出る方法はあるはず。学術でもスポーツでもビジネスでも、努力を惜しまない、努力を努力と思わない人がDipを抜けられる。楽しければ簡単に感じられるだろう。楽しいと思えないものに努力は傾けられない。

Godinによれば、一流の人は自分がthe best in the worldになれるテーマに集中し、なれないものは戦略的にやめてしまう。簡単にやめられる人が一流になれる。やめてばっかりだと嫌われるかもしれないけどね。

自分を振り返ってみると、やったことを後悔している仕事・プロジェクトもある。見きわめができてなかった。ちょっとシニアの同僚から、帰国したら人のために使う時間を増やしなさいと言われている。そのためには仕事の棚卸しをして、集中すべき仕事の見きわめをしなくてはいけない。しかし、時間がもっと欲しいなあ。

大統領就任式

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大統領就任式はMITの研究所の会議室で、同僚たちとランチをとりながら見た。午前11時からCNNのネット・ストリーミングをプロジェクターで投影し、隣に音声を切ったテレビでFOXの中継を見る。ネット・ストリーミングはテレビより35〜40秒ほど遅れていて、LIVEと出ているのに何か変な感じだ。

11時45分ぐらいにCNNのストリーミングがかなり乱れた。世界中から一気にアクセスが増えたのだと思う。しかし、その後はかなり安定していて、見事なものだった。MITの回線が太いことも良かったのだろう。MITではキャンパス内の5カ所ぐらいの大きな部屋で中継していたらしい。個人的に見ていた人もいるだろうし、よくCNNのサーバーはパンクしなかったものだ。

就任式を通しで見るのは初めてで、かなりおもしろかった。元大統領や現職大統領、その他の要職にある人、家族たちが順番に呼ばれて登場する。座っているだけで良いブッシュ大統領は余裕綽々だ。チェイニー副大統領が車椅子に乗っているのは知らなかった。オバマの娘二人が登場したとき、研究所の黒人女性スタッフは「かわいらしい〜!」と実にうれしそうだった。

最初の笑いが起きたのは、オバマが登場するときに「Barack H. Obama」と呼ばれたため。「フセイン」というミドルネームを使うかどうかに注目していたのだが、「妥協したんだね」とみんなにやにやしていた。

次の笑いは、オバマが宣誓の言葉を言いよどんでしまったとき。彼でもさすがに緊張するんだなあ。

スピーチそのものは、それほどインプレッシブではなかったように思う。研究所のみんなも、あれ、終わったのという反応で、拍手もなかった。

演説の後の国歌斉唱では、元CENTCOMの司令官ウィリアム・J・ファロンがすっくと立ち上がり、半分ぐらいの人が立ち上がって一緒に歌う。しかし、さすがリベラルなケンブリッジ。立ち上がらない人もけっこういる。

日本のニュースで見ると大統領の宣誓と演説ぐらいしか見られないが、副大統領の宣誓や、アレサ・フランクリンの歌など、いろいろおもしろいものも見られた。なんと言っても詰めかけた群衆がすごい。オバマの姿は全く見られなかった人も多かったはずだが、あれだけの人が集まるのは大変なことだ。銅像や木によじ登っている人も多い。

パレードが始まる前、少しハーバード・スクエアを歩いてみたが特に何もなく、地下鉄に乗るとき政治集会のビラをもらったぐらいだった。レストランではいろいろサービスをやっていたらしい。リーガル・シーフーズではメインの料理を頼むと第44代大統領にちなんで名物のクラム・チャウダーが44セントだったとか。

帰宅してパレードを見ると、装甲車のような車からオバマ夫妻が出てきて、ペンシルベニア・アベニューを手を振りながら歩き出した。このときが一番感動的だった。シークレット・サービスは嫌がっただろうが、オバマ夫妻の覚悟が伝わってきた。

本当はワシントンで見てみたかったが、テレビで通しで見られただけでも良かった。アメリカに新しい時代が来た。日本の首相がいちいちこんなイベントやったらお金が続かないし、人も集まらないかもしれない。任期が決まっている大統領制だからこそできることだ。

FCC委員長人事

CIA人事に触れたからにはFCC(連邦通信委員会)の人事にも触れておきたい。オバマ次期大統領は、年末に噂に出ていたとおり、ハーバード・ロースクールの同級生をFCC委員長に指名する見通しになった。Julius Genachowskiはベンチャー・キャピタリストで、オバマのキャンペーンに50万ドルの資金提供をしている(猟官制という言葉が懐かしい)。

そして、現職のマーチン委員長は辞職し、アスペン・インスティチュートに行くという。ワシントン・ポストは、「スペクトラム・オークションの勝者に対してそのネットワークを外部の技術にオープンにすることを強いたとしてマーチンは記憶されるだろう。そして彼はまた、ネットワークで特定のインターネット・トラフィックをスローダウンさせる行為においてコムキャストに不利な裁定を下した」と記事をしめくくっている。

1996年通信法から12年経ち、ようやくもってFCCはインターネットに焦点を絞った政策・規制にシフトすると見られている。規制撤廃と言いつつ、これまでのFCCは細かいルールをやたらと作り、それが意味不明で裁判・裁定がたくさん必要になり、ブロードバンドが普及しないという事態になっていた。オバマ政権がブロードバンド普及に力を入れると言った以上、FCCの方向転換は不可欠だ。

ところで、これまでアメリカのインフラやサービスの悪口を書いてきたが、そうそうと思う記事がワイアード・ビジョンに出ていた。アメリカのトイレは紀元前と変わらない。紀元前でも別にいいのだけど、それでは世界一とは言えない。

アメリカのブロードバンドはダメなんだと日本で言うと信じてくれない人が多いが、FCCのブロードバンドの定義は768kbpsである。これでは世界一とは言えない。

チョムスキー講演

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MITで最も有名な人の一人がノーム・チョムスキーだ。現在79歳で、名誉インスティチュート・プロフェッサーである。彼の著作は英語でも日本語でもたくさんあるが、恥ずかしながら読んだことがない。私の所属する研究所の主催で講演会が開かれるというので聞きに行ってきた(ビデオもすでに公開されている)。会場は学生や一般の人でいっぱいで、立ち見が出ていた。

何となく過激な発言をする人というイメージがあったのだが、実際に見てみると物腰は柔らかい。開始時間になってもなかなか現れないので、キャンセルになるのではないかと思っていたのだが、よろよろと階段教室を降りてきた。ほっそりした人を想像していたが、割と体つきはがっしりしていて、裾をまくったゆるめのジーンズに愛嬌がある。

テーマはイスラエルのガザ侵攻だ。口ぶりは過激ではないのだが、やはり内容は辛辣で、今回の侵攻はイスラエルとアメリカが周到な準備を行い、周到なプロパガンダの下で展開されているという。

そう言われてみれば、「侵攻がまもなく始まる」と一報が流れ、CNNが中継をするとすぐにイスラエル側のスポークスマンが現れ、しかし、ガザの内部の様子はよく分からないという状態だった。

講演はその後、ガザをめぐる問題の詳細なクロノロジーになっていったので、私にはいまいちつかみきれないところがあったが、チョムスキーは2時間弱、立ったままよどみなく話し続けた。一緒に聞きに行ったY先生によれば、1960年代から彼の発言は日本でも影響力を持っていたという。本来の言語学から離れて政治的な発言を続ける彼のエネルギーはどこから出てくるのだろう。

CIA長官人事

ブッシュ政権のCIA長官マイケル・ヘイデンはNSA長官時代に令状なし通信傍受を始めた張本人で、プライバシー業界では非常に評判の悪い人だ。ところが、オバマ新大統領が彼を留任させるかもしれないという噂が出ていた。

結果的には、クリントン政権の古狸であるレオン・パネッタが指名され、インテリジェンスのプロたちを怒らせている。パネッタはインテリジェンスの経験が全くないからだ。

ヘイデン留任はなかったが、クリントン政権からブッシュ・W・ブッシュ政権に移る際、ジョージ・テネットCIA長官が政党を超えて留任したことがあるから、あり得ない話ではない。

さらにさかのぼると、フォード政権下でCIA長官だったパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)は、任期が短かったこともあり、カーター政権でも引き続き長官職に留任することを希望していたが、カーター新大統領に拒絶されたという話があるそうだ。

当時のパパ・ブッシュは非常に党派的な人間として知られていたので、そこが嫌われたようだ。

この話を読んで、10月にヒューストンのブッシュ・ライブラリーで見つけた資料を思い出した。歴史的価値が特にあるわけではないが、おもしろいのでスキャンして載せておこうと思う。なお、紙が青いのは、原資料と区別するために大統領ライブラリーのコピー用紙が青いため。

(1)ブッシュがフォード大統領に出した辞表

(2)フォード大統領からブッシュへの辞表受理と感謝の手紙

(3)ブッシュがCIA職員に出した手紙

ブッシュ退任スピーチ

昨晩、ブッシュ大統領がお別れスピーチを行い、テレビで中継された。

昨日の昼間はいろいろな人のお別れスピーチが行われていた。私がテレビで見ただけでも、ジョー・バイデン次期副大統領が上院でお別れスピーチを行い、その後、ヒラリー・クリントン次期国務長官が同じく上院でお別れスピーチを行った。それと同じ時間にブッシュ大統領がフォギーボトムの国務省に出向き、ここでお別れスピーチを行っていた。駐日大使がなぜあんなに早く離日するのかと思っていたが、これに参加するためだったらしい。

この国務省でのスピーチでブッシュ大統領は、日本、韓国、中国の三つの国と同時に良い関係を持った政権はなかったのではないかと言っていて、苦笑してしまった。この辺のロジックの展開がブッシュのおもしろさだ。

お別れスピーチの裏では、初の黒人司法長官承認のための公聴会が行われており、CIAの拷問問題やNSAの通信傍受の問題を抱える重要なポストだけに注目されていた。たぶん、他にも政権移行に伴う一連の出来事が行われたのではないかと思うが、ニューヨークの墜落事故のニュースで、雰囲気が一気に切り替わった。

墜落事故で犠牲者がなかったこともあり、午後8時からのブッシュ大統領のホワイトハウスでのお別れスピーチは予定通り行われた。

最初にブッシュ大統領のスピーチを生中継で見たのは、2001年8月のステム・セルに関するスピーチだったと思う。

http://www.whitehouse.gov/news/releases/2001/08/20010809-2.html

このページで見られる映像は、テレビで放送されたものと少し角度が違うと思うのだが(テレビではもっとカメラ目線に近かった)、頼りないなあという印象を持った。たぶん自分で理解していない話を一所懸命話しているという感じだった。

しかし、この後で9/11が起きたことで、大統領の雰囲気はずいぶん変わる。

今日のお別れスピーチも自信たっぷりに見えた。大統領は9/11とイラク戦争で腹が据わったのだろう。ブッシュ大統領の支持率はとても下がってしまったが、将来評価は改善するだろう。確かに安全保障・治安関係ではやり過ぎが目立ったが、大規模なテロを防いできたことも確かだ。オバマ政権になって大規模なテロが起きれば、やはりブッシュはちゃんとやっていたと言われるようになるだろう。

ブッシュ大統領も、自分の決断が万人に評価されないとしても、タフな決断をしたのだと主張していた。彼の決断で多くの人が命を落とした。彼はその評価を歴史に委ねるつもりだが、その責任に耐える鈍感さがないとアメリカの大統領は務まらない。決断をするに臆するところがなく、また意外な決断ができるという点では、まれな大統領であり、最初に受けた印象とは異なって凡庸な大統領とは言えないと今は思う。

ブッシュ大統領のスピーチはこれで最後になり、主役は入れ替わる。CNNの記者によれば、ブッシュはオバマの船出を心から祝福しているという。この率直さが、ブッシュの(かつての?)人気の要因だった。テロ、戦争、カトリーナ、経済危機といった出来事が続いた時代は歴史にどう評価されるのか。

クリスマス

アメリカではクリスマスはほとんどの仕事が休みになる。レストランもほぼ全部休みになり、日本のようにクリスマス・ディナーや忘年会で盛り上がることはない。ほとんど人も出歩かず、道路もすいている。一つの宗教に基づく休日は政教分離に反するのではないかと思うが、とにかくほとんどの人が仕事をしない。サンクスギビングは友人・知人を呼んでパーティーという人が多いが、クリスマスは家族水入らずというところが多いような気がする。クリスマス・イブはラストミニッツの買い物客がいるが、クリスマスになると街はとても静かだ。

CVSという薬局兼雑貨屋は開いているというので、デジカメの写真を印刷しに行った。隣にあるダンキン・ドーナッツも開いていて、かなり人が入っていた。他に行くところがないのだろう。CVSにはキヨスク端末が置かれていて、自分でデジカメの写真を印刷できる。これまでも何回かやっていて問題なかったので、今回も大丈夫だろうと踏んでいた。CVSの店内も、いつもよりも人が入っている気がする。やはり他に行くところがないのだから、案外かき入れ時かもしれない。

キヨスクはいつも通りの様子だったので、タッチスクリーン式の画面で写真と枚数を指定して、印刷の注文を出した。普通なら1分以内に写真が出てくる。しかし、今回は出てこない。画面を見ると、小さなエラーマークが出ているので、クリックすると、「インクリボンがない」と出ている。近くにいた店員に、「インクリボンがないと出ているのだけど、直してもらえますか」と聞いた。

「それ、今日は動いてないから。」でたでた、アメリカ的対応である。「機械は動いているし、注文しちゃったよ。」「担当者がいないから。」これもアメリカ的。「じゃあ、どうやってキャンセルするの。」「ワン・セカンド」といってその人は店の裏へと消えていく。しかし、待てど暮らせど帰ってこない。これもアメリカ的。

仕方ないので、別の人をつかまえて同じことの繰り返し。その彼は店の裏へと消える代わりに、「チッ」と舌打ちをした後、カギを取り出してキヨスクを開け、リボンの交換を始める。これもアメリカ的。こちらも黙って作業させる。すると、先ほど店の裏へ消えた男が、着替えて何知らぬ顔で帰っていく。これもまたアメリカ的。

作業を終えた男はばたんとキヨスクを閉めてあっちへ行ってしまう。写真がバラバラと出てくる。時間はかかったが目的は達したのでよしとしよう。クリスマスに仕事している彼らも楽しくはないのだろう。

今日の教訓:アメリカのクリスマスは家でおとなしくしているべし。

こんなことがあってから家に帰って、トーマス・フリードマンのクリスマス・イブのコラムを読むと、「アメリカをリブートせよ」と言っている。アメリカには才能ある人が集まっているけど、インフラストラクチャもサービスも全然ダメじゃないかと言っている。その通りだと叫びたくなる。

CVSのキヨスクと同じで、便利なものを設置したのは良いものの、ちゃんとメンテナンスが行われないで放置されている社会インフラストラクチャが多すぎる。道路や電車、空港、建物、みんなそうだ。古いものが良いとされるのはイギリスに任せておいた方が良い。歴史の長さが違うのだから。アメリカは金ピカで新しい方が似合う。アメリカは疲れてしまっている気がしてならない。

そして、サービスも悪すぎる。ワシントンDCに住んでいる人は、ボストンの店員がにこやかだと驚く。確かにそうだ。しかし、ボストンでもCVSの店員のようなのはゴロゴロいる。チップをもらえるレストランやホテルの従業員だけがきびきび動く。

先日の東京のシンポジウムでこうした点を批判したら、私は日本での生活にスポイルされているというコメントを頂戴した。日本のクオリティは確かに高すぎるかもしれない。しかし、アメリカが期待よりもただ低いのだと思う。アジアの都市では(暑いのと人が多いのをのぞけば)もっと快適に過ごすことができる。

アメリカは世界一の国だとアメリカ人は言うが、必ずしもそうだとは思えない。フリードマンが別のコラムで書いているとおり、もうアメリカと中国の差はぼけてきている。自慢の資本主義も政府の助力がないとダメになってしまった。他国の産業が政府に保護されているのを批判していたのだから、アメリカの自動車会社をアメリカ政府が救済するのは筋が通らない。エンロンのような不正会計があったと思ったら、マドフ・ファンドのようなネズミ講が社会的信用のある人によっておおっぴらに行われていた。

アメリカは本当にリブートすべきだと思う。よれよれになった社会をさっぱりと新調して欲しい。オバマ大統領就任まであと1カ月足らず。期待しすぎてはいけないと思いつつ、期待してしまう。

とここまで書いて、ブログに上げるのが面倒で放置していた。そして、クリスマス明けに近所のスーパーで買い物。翌日、大学時代の友人夫婦が自宅に来るので準備を開始したところ、買ったはずの品物が見あたらない。レシートを確認すると確かに支払っている。このスーパーでは商品を店員が袋に入れてくれるのだが、入れ忘れたようだ。リターン(返品)はありだとしても、入ってなかった(と客が主張する)商品はどうなるのだろう。

このまま泣き寝入りも悔しいので、レシートを持ち、スーパーに戻った。入っていなかった商品を手に取り、カスタマー・サービスへ。「こんにちは。」「こんにちは。どうされましたか。」「昨日、ここで買い物をして、この商品の支払いをしたのですが、家に帰ったら袋にこの商品が入っていませんでした。」「ああ、そうですか。今日はこれからまたお買い物ですか。」「いいえ、今日はもう買い物はありません。」「それでは、どうぞ。」と出口を指さされた。

ううむ。こちらの言い分を100%聞いてくれたのはありがたいが、いいんだろうか。レシートすら確認しようとしなかった。アメリカ経済が本当に心配になる。

ついに来た

昼前にMITの副学長からメール。12時で全員仕事を切り上げ帰宅するようにとのこと。午後になると雪嵐が来るというのだ。慌てて食料品の買い出しに行くと、すでに同じように買い出しに来ている人で溢れている。

買い物が終わって帰宅する途中、ちらほらと雪が舞い始める。道のところどころで除雪車が待機している。帰宅してしばらくすると本降りになった。アパートの窓から除雪車の動きを見ていると楽しい。夜半まで降った後、翌朝はアパートの窓から見る限りカチンカチンに凍っているようだ。ついに本格的な雪の季節が来た。週末で良かった。

写真がぼけているのは降っている雪のせい。

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笛を吹いた人

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通信傍受の話も追いかけているテーマの一つだが、こちらでも進展があった。3年前の今頃、ニューヨーク・タイムズがブッシュ政権の令状なし通信傍受をスクープした。その情報源が誰だったのか(少なくとも私は)分からなかったが、ニューズウィーク誌が司法省の職員Thomas M. Tammであるとして、今週発売された号でカバー特集記事にしている。

まだちゃんと目を通していないが、TammはFBI一家で育ち、あの悪名高いエドガー・フーバーFBI長官の机の下で遊んでいたというから、司法省/FBIの中でも筋金入りだ。その彼が、NSAが違法性の高い通信傍受をしていることに気づき、公衆電話からニューヨーク・タイムズにタレこんだということらしい。しかし、すぐにFBIが知るところとなり、かなりの嫌がらせを受けたようだ。彼は確かに筋金入りだが、組織に対して筋を通したのではなく、正義に対して筋を通す人だった。

「blow a whistle」は「笛を吹く」の意、「blow the whistle」は「内部告発をする」という意になる。

笛を吹いた人

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通信傍受の話も追いかけているテーマの一つだが、こちらでも進展があった。3年前の今頃、ニューヨーク・タイムズがブッシュ政権の令状なし通信傍受をスクープした。その情報源が誰だったのか(少なくとも私は)分からなかったが、ニューズウィーク誌が司法省の職員Thomas M. Tammであるとして、今週発売された号でカバー特集記事にしている。

まだちゃんと目を通していないが、TammはFBI一家で育ち、あの悪名高いエドガー・フーバーFBI長官の机の下で遊んでいたというから、司法省/FBIの中でも筋金入りだ。その彼が、NSAが違法性の高い通信傍受をしていることに気づき、公衆電話からニューヨーク・タイムズにタレこんだということらしい。しかし、すぐにFBIが知るところとなり、かなりの嫌がらせを受けたようだ。彼は確かに筋金入りだが、組織に対して筋を通したのではなく、正義に対して筋を通す人だった。

「blow a whistle」は「笛を吹く」の意、「blow the whistle」は「内部告発をする」という意になる。