ニコラス・ウェイド(沼尻由起子訳)『5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった―』(イースト・プレス、2007年)。
衝撃的な内容だ。われわれの祖先は5万年前にアフリカ大陸を脱出した、たった150人にさかのぼることができるという。その150人は、アフリカ以外の大陸に広がった全ての人の祖先である可能性が高い。当然ながらその150人は一つの言葉を話していたに過ぎないが、5万年の間にわれわれの言葉は複雑に分化して通じなくなり、肌の色も、体格も、別々に進化してしまったという。
トンデモ本と違うのは、近年の遺伝子の分析結果に基づいていることだ。ヒトゲノムのデータ解析が終わったのは2000年であり、それから一気に人類の歴史を分析する作業が始まっている。そしてそこから得られた知見を本書では考古学や歴史学、社会学などの成果とすりあわせを行っている。著者は『ネイチャー』や『サイエンス』の科学記者を経て、『ニューヨークタイムズ』紙の編集委員をしていた。経歴から判断すれば、信頼できる人物ということになるだろう。
ヒトと最も近いのはチンパンジーである。チンパンジーの毛の下に隠されている皮膚は青白い。チンパンジーと分かれる前のヒトの祖先も同じだった。しかし、森の生活を脱して二足歩行をするなど生活環境が変わるうちに、毛がない個体が有利になって(異性へのアピールやシラミが寄生しにくいなど)、自然淘汰が進んだ。そして、アフリカの太陽に対応するために肌の色は黒くなった。その人たちがアフリカ大陸を脱出し、ユーラシア大陸に行った後、西方と東方に分かれ、ベーリング海を渡って南北アメリカ大陸に渡ったり、オーストラリアに渡ったりした。アフリカほど日差しが強くない地域ではビタミンDの合成のために肌の色を薄くする必要が出てきた。東アジアのわれわれのような顔は寒さに対応するために進化したらしい。
その他にもにわかには信じがたい話がたくさん出てくるが、遺伝子の解析を進めていくことで明らかになってきた仮説が興味深く展開されている。例えば、「現在の男性のY染色体はすべて、もとを正せば、供給源はたった1つしかない。つまり、全男性は、人類の祖先集団のメンバーだったたったひとりの男性か、あるいは祖先集団より少し前に生活していたひとりの男性のY染色体を受け継いでいる。これはミトコンドリアDNAにもいえることだ。じつは、現代人のミトコンドリアDNAはみな、たったひとりの女性のミトコンドリアDNAの複製なのである」(70ページ)というのだ。
これは国際政治学にとっても大きなインパクトを持つ話である。人種をめぐる優劣論が倫理的に問題があることは言うまでもないが、科学的にも無意味であることになるだろう。人類は同じ祖先を持っており、遺伝的浮動(世代ごとに遺伝子頻度がでたらめに変化すること)、遺伝子の突然変異、自然淘汰、環境変化とそれへの対応などによって進化し、分化してきた。
科学における理論はなるべく一般的な法則を見つけようとする。社会科学においても、例えば紛争の一般理論のように、世界の人々、国々に共通する普遍的な仮説を求めてきた。しかし、ウェイドの著述を受け入れるとすれば、社会科学における一般理論が成立するのは最初の150人だけであり、それ以降の人類に共通する一般理論を見つけるのは、歴史が下るにつれて困難になる可能性がある。世界に散らばる人類がそれでも同じ性質を保持し続けているなら、そこに一般理論を見つけ出すことは可能かもしれないが、それは望めないかもしれない。
その傍証となるのが言語である。同じ言語をわれわれは話していたはずなのに、敵と味方を区別するために方言を作り出し、それが別の言語へと進化していった(これは今でも行われている。若者言葉を年配者が理解できないのは、若者たちがわざと差別化しようとしているからだ)。元が同じだったとはいえ、現在の6000ほどある言語の中で一般法則を見出すのは困難である。
無論、これは程度問題で、われわれはまだ異人種間でも結婚し、子供を産むことができる。しかし、ウェイドは本書の後半で、人種のるつぼといわれるアメリカでも人種を越えて行われる結婚はそれほど多くなく、ひょっとすると将来は不可能になるかもしれないと示唆している。例えば、人種によって効く薬と効かない薬が出てきている。
そうすると、社会科学における一般理論は、発見するものではなく、構築ないし構成する、あるいは設計するものと考えた方が良いのではないだろうか。われわれは生物的には多様になっている。しかし、グローバリゼーションと呼ばれるコミュニケーション量の拡大は、お互いの知識と知恵を交換・共有することを可能にしている。われわれが共存するためにはどうしたらいいのかということを考えていくことで、人類に共通する一般理論を作っていくほうが望ましいアプローチなのではないだろうか。存在しないものを探すよりも、作ってしまった方が早いというわけである。
いろいろなことを考えさせられる本だった。30年前に書かれたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』も刺激的だが、その後の成果を織り込んだこの本も刺激的だ。たぶんこの本に対する批判や反論は多くあるだろうが、それも今後の遺伝子の研究によって検証されていくだろう。