オッペンハイマー

カイ・バード、マーティン・シャーウィン(河邉俊彦訳)『オッペンハイマー』(PHP研究所、2007年)。

アメリカの狂気を記した伝記だ。原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトをリードしたJ・ロバート・オッペンハイマーの生涯を分厚い上下巻で論じている。正直、上巻の途中までは読むのを止めようかと思うぐらい冗長な記述が続くが、上巻の最後に原爆実験を成功させた辺りから一気におもしろくなる。そして、上巻の冗長な記述が結局は(全部とは言わないけど)後の理解のために必要だと分かる。

原爆を落とされた国の人間としては、それを作った人たちがその投下に対して必ずしも肯定的な評価でなかったことにほっとする。今でも原爆投下を肯定するアメリカ人はたくさんいるけれども、少なくともオッピーは、敗北が明白になっていた国に対して使用したことを否定的に考えていた。彼自身は、ナチス・ドイツが先に原爆を開発してしまうことをおそれてアメリカが先に開発することを求めており、日本に使われることは想定していなかったようだ。

しかし、開発されてしまった原爆は、ワシントンの論理に縛られていくことになる。繊細な精神の持ち主であり、かつて左翼シンパであったオッピーは彼に降りかかる政治的難題をうまく切り抜けることができなかった。彼は魅力的な人ではあったのだろうが、政治的に洗練されていたかというとそうではなかったのだろう。

科学者が政治に関わる方法を考える上でも示唆的だ。彼が一科学者として、政府の言うことを聞くだけの存在だったらこんなことにはならなかった。しかし、彼は自分の信念のためにあえて政治の世界に踏み込んだ。体制に逆らい(今の言葉で言うなら空気を読まずに)、自分の信念を貫くことは誰にとっても大変だろう。

そして、何よりも、アメリカという国の汚点をしっかり書き記し直した著者たちの姿勢は立派だと思う。そもそもこうした事件が起きたこと自体が大きな問題ではある。「オッペンハイマーの敗北は、アメリカ自由主義の敗北でもあった」(下巻374ページ)。しかし、それを時間がかかっても正していこうという姿勢は、アメリカの強さでもある。

核政策を学ぶ人は是非読むべきだ。この文脈を理解しない、単純なゲーム論的核戦略は本質をつかみ損ねるのではないかと思う。

もう一つ、余計な感想としては、「セキュリティ・クリアランス」の訳語として「保安許可」というのは、判断が難しい。「セキュリティ・クリアランス」が本書の後半を読み解くカギだ。これに良い訳語はないだろうか。

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