ビッグデータの威力

土屋大洋「ビッグデータの威力」『治安フォーラム』2013年10月号、30〜33ページ。

 連載の第4回。NHKのクローズアップ現代に出演させてもらったことで刺激を受け、書きました。プリズムについての続きです。

プリズム問題が明らかにした米外国情報監視法(FISA)の課題

土屋大洋「プリズム問題が明らかにした米外国情報監視法(FISA)の課題」『治安フォーラム』2013年9月号、49〜52ページ。

 連載の第3回。すでに第4回(10月号)、第5回(11月号)の原稿を提出済みなので、なんだか時差を感じてしまう。そして、今は第6回(12月号)の原稿を書いている。

The Digital Divide

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Mito Akiyoshi, Motohiro Tsuchiya and Takako Sano, “Missing in the Midst of Abundance: The Case of Broadband Adoption in Japan,” Massimo Ragnedda and Glenn W. Mushert, eds., The Digital Divide: The Internet and Social Inequality in International Perspective, London: Routledge, 2013, pp. 85-103.

専修大学の秋吉美都先生と総務省の佐野貴子さんと行った共同研究が英語の本に収録された。良かった、良かった。もっと英語の成果は増やしていきたい。国際会議で話す機会はずいぶん増えたけど、それだけでは業績にはならない。こうして活字にならないとね。この英語版は、もともとワシントンDCのTPRCでの報告が元になっている。同じ共同研究の日本語の成果はこちら

作戦領域の拡大と日本の対応

土屋大洋「序論 作戦領域の拡大と日本の対応—第四と第五の作戦領域の登場—」『国際安全保障』第41巻1号、2013年6月、1〜11頁。

 国際安全保障学会の学会誌で「作戦領域の拡大と日本の対応」という特集が組まれ、その編集主任をさせていただいた。そのうち学会のウェブにも目次が載ると思うが(7月2日現在、載っていない)、加藤朗、橋本靖明、鈴木一人、永岩俊道の各氏にご寄稿をいただいた。私のところは序論だが、他の4本は読み応えがある。

  • 序論 作戦領域の拡大と日本の対応—第四と第五の作戦領域の登場— 土屋大洋
  • 新たな安全保障領域「サイバー空間」の理論的分析 加藤朗
  • サイバー・セキュリティの現状と日本の対応 橋本靖明
  • 宇宙空間の軍事的重要性の高まりと宇宙安全保障 鈴木一人
  • 米国の対中軍事戦略と日本の対応—日本版「接近阻止・領域拒否戦略」体制の構築— 永岩俊道

非伝統的安全保障としてのサイバーセキュリティの課題

土屋大洋「非伝統的安全保障としてのサイバーセキュリティの課題―サイバースペースにおける領域侵犯の検討―」渡邉昭夫編『防衛戦略研究会議論文集 2010年代の国際政治環境と日本の安全保障―パワー・シフト下における日本』防衛研究所、2013年。

 防衛省防衛研究所の研究会で11月に報告したものを、1月末に原稿に書き直したもので、半年以上経ち、古くなってしまった感がある。その間に、マンディアント報告書、韓国への攻撃、米中首脳会談、プリズム問題などがあった。ただ、これを書いていたときも、忙しくなり始めのときで、けっこうつらかった。

 ここで書いて領域侵犯の問題は、一昨日(6月28日)、ソウルで行われた会議でも報告した。ところが、やや過激な意見だったらしく、中国からの参加者には受けが良かったが、他の国の人たちは困惑し、司会のハンガリー人は完全に誤解してしまった。「自由なインターネットを守ろう」という意見とは必ずしもそぐわないのだが、防衛省や自衛隊のサイバーセキュリティを考えるときには、どこまでが日本の主権が及ぶ範囲なのかを考えないとどうにもならない。データやトラフィックに基づく境界設定を考えるとぐちゃぐちゃになるが、設備ベースの境界を設定すれば簡単なはずだ。しかし、それはサイバースペースの分断化にもつながりかねない。この最後の点は、必ずしも外交的な方針とはそぐわない。

 一つの問題提起としての原稿である。

プリズム問題で露呈した、オバマ政権下で拡大する通信傍受とクラウドサービスの危うさ

土屋大洋「プリズム問題で露呈した、オバマ政権下で拡大する通信傍受とクラウドサービスの危うさ」DIAMOND ONLINE(2013年6月17日)。

 プリズム問題について歴史的な経緯を書かせていただきました。(いろいろ追われていた時にすぐ書けとのお話だったので、タイトルも小見出しも付けない原稿を出したのですが、うまくまとめてくださいました。)

米国におけるサイバーサイバーセキュリティ政策

土屋大洋「米国におけるサイバーサイバーセキュリティ政策」日本国際問題研究所編『米国内政と外交における新展開』(2013年3月)

 昨年度の研究会の報告書が公開されています。前半は新しいことは書いていませんが(その点は大変申し訳なく思っています)、後半で議会の対応について書いたのはここが初出です(この原稿にはそこしか見るべきところがありません)。その後、いろいろなところでネタにしています。(これを書いている頃は苦しかった。その後、もっと苦しくなった。とにかく、編集担当の方にご迷惑をおかけしました。すみませんでした。)

「メール解析、憲法に反さない」の記事について

 2013年6月3日付けの日本経済新聞に「メール解析、憲法に反さない 慶応義塾大学大学院教授 土屋大洋氏」という記事が掲載されました。

 この記事は対面での取材と複数回の電話取材、および電子メールでのやりとりに基づいて書かれた記事です。

 私自身は文章を書いていません。また、事前にこの記事の文面も確認していません。担当記者さんから、こういう論点について書きますというメールが5月31日の16時過ぎにあり、私からは6月1日の昼の12時過ぎに「少しだけ修正・補足させてください」という返信を差し上げています。その返信の中では、私の主張をまとめて書いています。しかし、この私の返信メールは紙面に反映されなかったと、記事が出た後、6月3日の昼の12時過ぎにメールをもらっています。

 私が主張したかったのは、現在の通信の秘密に関する法制がインターネット時代に対応したものではなく、電信・電話の時代に作られたものであり、インターネットにおいては形骸化していること、また、サイバー攻撃に対処するには通信の解析は有効であり、それを可能にする措置が必要ということです。究極的には憲法の改正が必要かもしれませんが、電気通信事業法の改正で済むなら、それで対応すべきだと考えています。現在の憲法の条項が通信の解析をそのまま認めているとは考えていませんし、記事の冒頭で括弧でくくられている発言をそのまましたつもりはありません。

 記事中「メールに付随したデータ」とはヘッダー情報のことで、メールの本文(ペイロード)までは見る必要がない場合がほとんどだということです。どこからどこへ通信が行われているかを調べるだけで有益な場合があり、プライバシーの侵害の要素が大きくなるペイロードをいきなり見る必要はなく、ヘッダーの解析の結果、必要があれば、手続きをとってペイロードの解析も行うことができるようにもすべきでしょう。

 もちろん、通信の解析をしなくて済めばそれに越したことはありません。しかし、日本でサイバー攻撃が起きた場合にどうすれば良いのかと聞かれれば、通信の解析に踏み込んでいかなくてはならないと思います。そうでなければ、やられるがままを受け入れるしかないでしょう。それで良いのかという問題提起をしているわけです。皆さん、日本は大丈夫なのかとおっしゃいますが、具体論になると腰砕けになる方が多いのです。他に良策があるなら、是非それを検討すべきでしょう。それを是非パブリック・コメントとして寄せてください。

 こうした措置を可能にするために、それに従事する政府職員や通信事業者職員にセキュリティ・クリアランスの制度を適用することが必要です。それが記事中で「身元確認」と書かれていることです。解析の結果が外部に漏れるようであれば、それは違法行為に他なりません。

 さらには、行政の行き過ぎを監視する制度として、国会の中に情報委員会を設置すべきでしょう。この点については記事中で触れてもらえませんでした。

 憲法と電気通信事業法をそのままにして、なし崩し的に通信解析や通信傍受をできるようにすべきとはさらさら考えていません。

太平洋島嶼地域における情報通信政策と国際協力

 サイバーセキュリティ関係のニュースが続き、対応に追われているが、それとはあまり関係ない成果が出た。

土屋大洋「海底ケーブルとデジタル・デバイド――パラオを事例に」菅谷実編著『太平洋島嶼地域における情報通信政策と国際協力』慶應義塾大学出版会、2013年、第9章。

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 数年続けてきた菅谷先生のプロジェクトの成果。このプロジェクトでパラオに行かせてもらったのは、良いきっかけだった。

太平洋における海底ケーブルの発達

土屋大洋「太平洋における海底ケーブルの発達―情報社会を支える大動脈―」慶應義塾大学JSPワーキングペーパー、第2号、2012年10月。

日本研究プラットフォームのワーキングペーパーがアップロードされた。これはアメリカ学会の学会誌『アメリカ研究』に書いたものをアップデートしたもの。特にハワイにおける海底ケーブル接続について加筆している。

これと少し似ているが、違うバージョンが、今年中に出版される本に収録されるはず。はず。はず。だが先行き不透明。その出版社の近刊案内はからっぽである! またすごーく時間のかかるプロジェクトなんだろうか。

と思ったら……、その本の初校ゲラを返していなかったことに気づいて呆然としている。他の著者がまだだからゆっくりで良いとは言われたものの、すっかり意識から遠ざかっていた。まずい。

「コンカル」としての中国的動漫

 ロンドンに行く前に中国の上海と杭州にも行ってきた。

 今学期卒業する学生のひとりが、中国のアニメ(動漫)産業について卒論を書いてくれた。それによると、上海から新幹線で1時間のところにある杭州が一大拠点になっているとのこと。ちょうど上海に行かなくてはならない用事もあったので、同僚と院生と行ってきた。

 杭州は毎年4月末から5月にアニメフェスティバルを開催しており、日本のコミケ並みの賑わいになるらしい。

 今回の強力な助っ人は北京在住のAさん。この分野の専門家なので、Aさんが一時帰国されたときに手伝ってくださいよとお願いしたら、大変なことになった。杭州政府の担当者や地元企業の社長さん、若い幹部などがぞろぞろと出てきてくれた。

 日本のマンガやアニメはよくサブカル(サブカルチャー)と呼ばれる。それは、ハイカルチャーに対抗するカウンターカルチャーでもない別の文化的様式だろう。しかし、中国政府の宣伝・プロパガンダのツールとしてもともと位置づけられてきた中国の映画や動漫は、日本の影響を強く受けつつも、どこか少し違う。社会的問題を背景としてメッセージ性の高い動漫はまだ作れず、そのため、大人向けの動漫もほとんどない。いわば、「従順な」という意味の「コンフォーマブル(conformable)」を付けた「コンカル」という感じだ。

 議論をしながらもう一つ分かったのは、分業化がまだそれほど進んでいないので、利益を分け合う構造になっており、それなりにみんなが潤うようになっている。日本のマンガやアニメに携わる若者たちが貧窮しているのとは様相が違い、それなりに良い仕事として認知されていることだ。

 これからどうなるのかはまだ私には分からないが、見ているとおもしろいテーマだろうと思う。

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