イランなのだそうだ。シンガポールの研究者に教えてもらったが、本当かな。現実世界での身分制が厳しいところで流行りつつあるという。インドでも現実世界ではカーストがうるさいが、ネットでは自由に議論ができるところが受けているらしい。
昔のサイバースペース論の焼き直しみたいな感じがするが、それだけインターネットが広がりつつあるということなのだろう。
シンガポールではSNSがまったく流行していないらしい。これもなぜなのかよく分からない。存在すら知らないみたいだ。
イランなのだそうだ。シンガポールの研究者に教えてもらったが、本当かな。現実世界での身分制が厳しいところで流行りつつあるという。インドでも現実世界ではカーストがうるさいが、ネットでは自由に議論ができるところが受けているらしい。
昔のサイバースペース論の焼き直しみたいな感じがするが、それだけインターネットが広がりつつあるということなのだろう。
シンガポールではSNSがまったく流行していないらしい。これもなぜなのかよく分からない。存在すら知らないみたいだ。
同僚のKさんと一緒にシンガポールに来ている。遊びではないのだけど、楽しい部分だけ報告。しかし、ホテルにブロードバンドが、下りはそこそこのスピードだが、上りが遅いので、小さな写真を少しだけ。
朝ご飯はホテルの近くのモールで食べた焼きそば。上に乗っている湯葉の味がしない。
昼ご飯は後輩のNさん(こちらで数か月の調査中)が連れて行ってくれたチャイナ・タウン近くの屋台でチキン・ライス。残念ながら文東記と並んでおいしいという店は大人気で売り切れ、昼過ぎに行ったらすでに閉店していた。残念。写真は別の店のチキン・ライスだが、おいしかった。店によって少しずつ味が違う。
いろいろ見て歩くうちに見つけた店のショーウインドー。やっぱりこういうのが人気か!
IT関連のショップがぎっちり詰まったビル。品揃えは豊富で素晴らしい。マックもある。しかし、安くないので、何も買わない。
夕飯はOさんがメールで教えてくれたRendezvous Restaurantでカレーなど。豪華なレストランではないけど、とてもうまかった。Oさん、ありがとう。
シンガポールは来るたびにいいところだなと思う。東京の24番目の区だといわれるのも納得する。街を歩いているとしょっちゅう日本語が聞こえてくるが、だいぶ日本人は溶け込んでいる。私も普通にしているとお店で中国語で話しかけられる。
S. Jayakumar, “People, Principles, Policies: Why Singapore Succeeds,” The Straits Times, February 13, 2006, p. 21.
この新聞記事によると、シンガポールの成功は、原理、政策、人材ということになる。シンガポールは国土が小さいことが弱みだと考えられてきたが、国家よりも都市が重要だという視点に立てば、まちがいなく成功例の一つだ。
Barton Gellman, Dafna Linzer and Carol D. Leonnig, “Surveillance Net Yields Few Suspects: NSA’s Hunt for Terrorists Scrutinizes Thousands of Americans, but Most Are Later Cleared,” Washington Post, February 5, 2006; A01.
日本の新聞でも引用されていたが、ワシントン・ポストが報じたところによれば、昨年末に発覚したブッシュ政権の令状無し傍受の対象になった人は5000人にもなる可能性がある。当初の報道では3000人という数字が出ていたが、とにかく多い。そのほとんどがテロとは無関係だという。
この記事はさまざまな専門家に取材していておもしろい。法律が求めている「probable cause(相当な根拠)」がなければ傍受できないとすると、ほとんど使えなくなる可能性は高くなるが、それにしても5000人を傍受無しでやっているというのは尋常ではない。ブッシュ大統領は記者会見で「30件」と言っていたから、「5000人」という数字のインパクトとは大きくかけ離れている。
この記事がもう一つ面白いのは、ネットワーク分析で使う「degrees of separation」を使っていること。つまり、ケビン・ベーコン・ゲームをテロ分析に援用していることだ。
電子メールの傍受がどう行われているか、少し説明されている点も面白い。
ところで、下記は頼まれて書いた原稿だが、前にもほとんど同じことを書いていた(情けない)ので自分でボツにした。若干付け足されている情報もあるからここに載せておこう。
「毒が回るインターネット——ブッシュ政権の通信傍受と民主主義」
土屋大洋
米国でキング牧師を記念する休日となる1月16日、アル・ゴア前副大統領が演説を行った。ブッシュ政権による令状無しの通信傍受は、行政権の拡大を意味しており、立法、司法、行政の三権のバランスを目指した米国憲法の精神が深刻な危機に陥っていると指摘した。2005年12月、ニューヨーク・タイムズ紙の報道を受けて、ブッシュ大統領は、法律で求められている令状を得ることなく、30件以上の電話や電子メールの傍受を行わせていたと認めた。キング牧師は政府によって通信を日常的に傍受されていたという。この日に合わせてゴア前副大統領はブッシュ大統領を非難したことになる。
対米同時多発テロ(9.11)の直後から、ポスト冷戦の時代に死に体になっていたインテリジェンス・コミュニティ(情報機関)が再び活発になる様子を見るにつけ、いずれこうしたことが明るみになるだろうと考えていた。そもそも外国人を対象とした令状付きの通信傍受は日常的に行われている。それが米国市民を対象として令状無しで行われるようになるのにそれほど時間はいらなかったのだろう。
そもそもインターネットは性善説に立って作られている。プライバシーを守るようには作られていない。電子メールは丸裸のままさまざまなサーバーをすり抜けていく。ウェブ・ページは、普通のユーザーが想定している以上にたくさんの情報を収集している。クッキーやIPアドレスが収集されていることはよく知られているが、さらに、どのOSを使っているか、パソコンの解像度はどれくらいか、どのブラウザーを使っているか、どんな検索語を使ってそのページにたどり着いたかということまでウェブの管理者は把握することができる。
米国の通信事業者は法律によってインテリジェンス・コミュニティに協力することが義務づけられ、協力している事実を公表することは許されていない。公表を認めないことで通信事業者を守っていることになるが、ユーザーはそうした事実を知らされないまま、情報が収集されていることになる。
テロが脅威であることはいうまでもない。しかし、テロは通常の政治制度の中で意見を聞いてもらえない人たちが最終的にとる手段である。テロという行為が許せない行為であることに異論はないが、彼らが本当は何を求めていて、それがなぜ実現されないのか、なぜさまざまな人の意見をすりあわせていく政治制度としての民主主義が機能しないのかを考えることは重要だろう。ゴア前副大統領がいうように米国の民主主義が壊れていっているのなら、アルカイダのねらい通りということだろう。
日本の内閣情報調査室の室長だった大森義夫氏は、インテリジェンスとは毒だと論じている。一匙の毒は薬として効くこともある。しかし、毒が全身に回り、麻痺してしまえばもはや健康体とはいえない。テロを予測し、防止するためにインテリジェンス・コミュニティの役割は不可欠だ。日本について言えば、もっと拡充してもいいはずだと私は考えている。しかし、それをコントロールする目と制度が備わっていなければやめたほうがいいだろう。
米国のインテリジェンス・コミュニティがインターネットを傍受しようと、日本に住むわれわれには関係がないと思うかもしれない。確かにそうだ。しかし、インターネットはグローバルなメディアであり、米国よりももっと、ネット通信傍受を活用したいと考えている政府が世界にはたくさんある。それがインターネットのデフォルトになってしまったとき、日本だけが無縁でいられるかどうか分からない。アジアの一部の政府が日本のネット・トラフィックを傍受しつづけるということも、できなくはないだろう。
性善説に立って作られていたインターネットには深刻な問題がある。インターネットにおける自由を本当に欲するなら、何もしないのではなく、何かをしなくてはならない。PGPという個人用暗号ソフトウェアを開発したフィル・ジマーマンにインタビューした際、「なぜ日本の憲法に、(米国憲法で明記されていない)通信の秘密が書き込まれたのか考えた方がいい」といわれた。通信の秘密と言論の自由は、民主主義にとって不可欠の要素だ。これがなくなったとき、eデモクラシーの神話は崩壊してしまうのではないだろうか。
日経デジタルコアのネット時評に掲載。
真鶴で2泊3日の研究会(ゼミ)合宿をしてきた。真鶴の港が見下ろせる旅館。3日間、畳の生活だと実に腰が痛くなる。ネット接続も不可。PHS接続でスパムメールの語源となったモンティ・パイソンのビデオをダウンロードしようとしたが無理だった。ブロードバンドのありがたさを実感。10年前はネット接続といえば夜11時から朝8時だったよなあと。
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7人が無事に卒論を書き終えた。にぎやかな7人がいなくなると寂しくなる。最後にみんなでタッチフットを体験。普段元気のない連中も楽しそうに走り回って大声を出しているのが印象的だった。スポーツはいいもんだね。
今日はこれから日帰りで浜松に取材。そういうわけでメールの返事が遅れ気味。ごめんなさい。
大学の教員をやっていて一番いやな季節がまたやってきた。採点だ。何の因果で学生の格付けをやらなくてはいけないのかと嫌になる。そもそも履修者全員が素晴らしい答案やレポートを出してくれれば文句はないのだが、そうでもないのがたくさん出てくると、「おまえの教え方が下手くそだ」と言われている気がする。もっともだ。
それでも締め切りまでに採点はやらなくてはいけないので、ここ数日必死にやっているのだが、ついに昨晩、出席するはずの研究会のことを完全に忘れてしまった。気づいたのは今日の午後。まっずいなあ。すみません。居眠りしていたわけではないので許してください。
全然関係ないけど、気分転換に読んだニュース記事で、「いわゆる『ショベルカー攻撃』のほうが実際に起きる可能性は高く、『コード・レッド』をはじめとする、これまでに起きたいかなるサイバー攻撃よりもその地域に与える影響は大きいはずだ」という話には笑った。全くその通り。サイバー攻撃だといっても、物理インフラを攻撃できるのならそれが一番手っとり早い。
また京都に行ってきた。今回は日帰り。天気予報では午後から雪になるという話だったので、東京に戻れなくなるのではないかと思っていたけど、無事に帰ってきた。行きの新幹線で見た富士山に雪がかぶっている。今年は富士山の雪が少ないと新聞で読んだが、少ないのだろうか。
東山のほうにあるスタンフォード日本センターで夕方まで研究会。主査の林敏彦先生は、東京で開かれた話題の竹中総務相の懇談会に出席してから駆けつける。
研究会終了後、近くの権太呂で懇親会。
名物のうどんすきをいただく。
竹中懇談会やIP懇談会の裏話もうかがっておもしろかった。
RFID埋め込み(画像にリンク)
暗号研究で知られるBruce Schneierが「Sounds right to me.」とコメントしている。いらないよ〜。しかし、こういうアメリカ人はいるかもしれないな。
昨日の昼と夜とそれぞれ別の研究会でネットワークの中立性のことが話題になった。「インターネットはベスト・エフォートでバケツ・リレーしています」というのがこれまでインターネットの美しい説明だった。しかし、バケツ・リレーしている人が意地悪で、バケツの中身を見ながら差別し始めたらどうなるのだろう。「おまえが汲んできた水は気に入らないから後回し」という具合だ。
他のISPから流れてきたトラフィックを後回しにしたり、特定のサービスのトラフィックを止めてしまったりすることもできなくはないし、アメリカでは訴訟も起き始めているそうだ。アメリカの事情は日経デジタルコアで谷脇氏が解説してくれている。
しかし、日本の法令ではそれを止めるのは難しいようだ。「うちのサービスはベスト・エフォートです」と書いてあるのだから、サービスが遅延しても文句をつけにくい。サービスを止めてしまったら自明だが、トラフィックを遅らせるぐらいなら外部からは検証しにくい。
夜の研究会に参加されていたNさんは、なぜアメリカでこの問題が議論されているのかという文脈が気になると話されていた。確かにそうだ。現実にたくさんあるから議論されているということなのだろうか。
こんなことを議論していたら、近くで騒ぎが起きていることに気づかなかった。帰りがけに六本木ヒルズの前を通ると、報道陣がたむろしていた。
おととい、新年会の道すがら、浅草寺でお参り。トシノスケさんの酔っぱらいぶりが楽しかった。
昨日は歌舞伎座で坂田藤十郎の襲名披露公演を見る。歌舞伎に詳しいわけではないが、イヤホンガイド聞きながら観るとよく分かる。小泉首相が観劇した際にもイヤホンガイドを使っていたそうだ。「夕霧名残の正月」で悪役をやった吉右衛門や「曽根崎心中」で悪役をやった橋之助が素人には印象に残った。この写真を撮っていたら目の前に立命館大学のO先生が立っていてびっくりした。
それにしても坂田藤十郎を襲名したのは二百数十年ぶりとのことだけど、なぜそれまで誰も継がなかったのだろう。
帰りに松坂屋で「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」を見る。吉田屋というのは知らなかったけど、古九谷を一時的に復興させたらしい。私のお気に入りは、「海老図平鉢」だ(実際はもう少し明るい色に見えた)。古九谷はそもそも誰が注文して作られたのかよく分からないらしい。吉田屋は技術を取り戻したのに、復興させた伝右衛門が死んでしまうとマネージメントができなくなり、7年で廃窯になってしまった。現代にも通用する話だ。技術だけじゃダメ。マネージメントも重要。
もうすぐ正月休みも終わり。今年は比較的ゆっくりできて良かった。一年通してこれぐらい余裕があるといいのに。
「世界はフラットか、ギザギザか:都市と人の視点から日本のIT政策の見直しを」富士通総研『Economic Review』第10巻1号、2006年1月。
卒論のドラフトが全員出てきた。ちょっと遅刻はあったけどまずは順調。
自分の原稿もここ数日でだいぶ進んだ。これで年明けにMさんと顔を合わせることができそうだ。
といっている間に大晦日になっていた。今年はどういう年だったかというと、前半は比較的のんびりしていた気がする。3月に初めて上海に行った。4月にもう一度上海に行って転んで捻挫をしたのがけっこう響いた。夏休みは研究会合宿をして、呉で潜水艦に乗っただけで終わった気がする。その後、世界一周をして帰ってきて、立命館大学で授業をしている頃から目が回るほど忙しくなり、秋学期の授業は実にきつかった。会議と合宿もやたらと多かった。毎週のように続いたイベントが終わってほっとしたら12月になっていた。達成感がやや薄い。右のカテゴリーの「著作」をクリックしてみると、コラムとか共著で書いているものばかり。まじめな論文がない(書いているのに闇に葬り去られる)。まずい。
来年はゆとりをもって、じっくりと行きたいが、そうもいかないか。2月、3月、5月に海外出張の予定あり。やはり時間との戦いか。
皆様、お世話になりました。前にも書きましたが、喪中なので年賀状書いてません。すみません。
C&C振興財団編、上村圭介、原田泉、土屋大洋『インターネットにおける言語と文化受容』NTT出版、2005年、本体2800円+税、ISBN4-7571-0173-2
「世界情報社会サミットの余計な議論」@Hotwired
昨日、ある研究会で久しぶりに木村忠正先生の話を聞いた。日本、フィンランド、韓国の若者がどうやって情報技術を使っているのかを積極的に調査されている(各国の頭文字を録ってJFK調査というそうだ)。キーワードはEUなどで使われ始めているeInclusion。日本の学生のネット利用のキラー・アプリケーションは日記なのだそうだ。
日本はネット普及が遅れたといわれているが、人口構成比で高齢者人口が多い日本では、比率としてはどうしても低くなる。言われてみればその通りだ。韓国は朝鮮戦争のためにベビー・ブームが遅れ、人口構成が日本より若い。
たくさんあった論点のうち、興味深かった一つはSNSのとらえ方。SNSを積極的なコミュニケーションの場ないしツールとしてとらえるか、あるいはネット版のwalled gardenととらえるか。私は後者のように思うのだけど、どうなのだろう。
昨晩はDMCのクリエイティブ産業政策フォーラムに出るものの、今日の朝の授業の準備ができていないために早々に帰る。今朝はいつもと違って2コマ連続で授業がある。
夜中にだいたい準備が終わって寝ようかと思ったら、またもや頭を悩ませるメールが届いて、返事を書いているうちに遅くなってしまう。
でも早起きして余裕を持ってキャンパスへ来る。携帯の写真ではなかなか表現しきれないけど、SFCは朝がきれいだ。
昨日は夕景がきれいだった。
戻ってきたiMacのiTunesにCDを次々つっこみながら、三田の古本屋・清水書店の軒先でホコリかぶっていた堺屋太一著『イベント・オリエンテッド・ポリシー—楽しみの経済学—』(NGS、1984年)を読む。20年前の大阪21世紀計画の協賛出版となっていて、町おこし盛り上げ本かと思ったが、かなりおもしろい。日本の都市にはなぜ城壁がなかったか、フランスにはなぜルイ王朝の頃までトイレがなかったか、窓の少ないビルがなぜ建築されるようになったか、という雑学ネタもさることながら、万博などのイベントの重要性も分かる。
マーシャル・マクルーハンの理論が信用されなくなったのは大阪万博のせいだったそうだ。マクルーハン理論ではテレビのような「送達型情報メディア」の台頭によってイベントには人が集まらなくなるはずだったが、モントリオール万博や大阪万博ではマクルーハン理論に乗っかったスタンフォード・インスティチュートの予測がまったくはずれた。イベントとは「集人型情報メディア」であり、この重要性はテレビ(やこの時代には普及していなかったインターネット)が登場しても変わらない。
この議論はリチャード・フロリダのクリエイティブ都市論と同じだ。イベントをやり、楽しみがあふれた街作りをすることで経済も潤う。あれだけ開催前に批判されていた愛知万博が大成功を収めた理由もよく分かる。
堺屋さんはイベント学会というところの会長もしているらしい。
タッチフット初観戦。慶應対聖和大学。アメフトやラグビーのようにタックルで相手を倒すのではなく、両手でタッチすると止めたことになるからタッチフット。ルールはよく分からないけど、陣取り合戦みたいなもので、アメフトのようにタッチダウンすればいい。
試合は先行されつつも一時は同点に追いつく。第4クオーターで、あと一息で得点が入らなかったのが何とも悔やまれる。結果は14対28のダブルスコアだけど、あそこでタッチダウンが奪えていれば試合は分からなかったはず。それにしても、対戦成績は12敗2引き分けになってしまったそうだ。来年こそは初勝利だ。
冨田学部長が、ブレイクスの部長としてグランドに立っていた姿がけっこう格好良かった。それにしても寒かったよ。塾歌が歌えなくなっていたのもまずい。iTunesに塾歌を入れておこう。
昨晩、新橋の新 魚金でしこたま飲む。常人にはどうってことない量(生ビール中ジョッキ1杯、小ジョッキ1杯、梅酒ロック1杯未満)、私にはきつかった。中ジョッキ1杯が限界だな、やっぱ。トイレで意識を失うかと思った。魚はおいしかった。Tさんの話もおもしろかった。情報通信政策をもう一度ちゃんと勉強しようと思い直す。
ブロードバンドって、本当に定額制でいいのかなと議論する。ある意味、ヘビーユーザーに普通のユーザーは搾取されているところがある。
情報通信政策をちゃんと論じたジャーナルってどれくらいあるのだろう。情報通信学会とか、公共政策学会、公益事業学会ぐらいだろうか。外国のジャーナルもバラバラで、どれを読んでいいのかよく分からん。国際政治学のほうが、どれを読んでいればいいかはっきりしている。