初めてのハワイ

 実はハワイには行ったことがなかった。そんな軟派なところに行けるかという思いもあったし、用事もなかった。

 ところが、共同研究の一環として、毎年ホノルルで開かれているPTC(Pacific Telecommunications Council)に行かせてもらえることになった。授業を休講にしてしまって学生には申し訳なかったけれども、太平洋島嶼国のデジタル・デバイドが最近のテーマの一つで、その関係者がたくさん集まる会議だ。それと関連して、海底ケーブルのこともいろいろ調べていて、そっちの話もたくさんある。

 PTCは何十年も前から毎年ハワイで1月に開かれている。もともとは国際料金精算の交渉をする場だったらしいが、最近はパケット通信全盛になってしまい、そんな交渉はほとんど行われず、今は業界の最新情報を交換する場になっているようだ。学者よりもビジネスマンが多いところを見ると、毎年経費で行ける休暇先ということで続いているのかもしれない。

 学者中心の学会とは違って、基調講演なんかもリラックスした雰囲気。悪くいえばグダグダ。パワポもハンドアウトもなく、壇上でソファに座って座談するみたいなセッションが多い。しかし、学者が仕切っているパネルは、学会風になっている。

 期待していたほど、太平洋島嶼国の話は出てこなかったが、海底ケーブルのほうはいろいろおもしろい話が出てきて来た甲斐があった。北極海に海底ケーブルを通そうというプロジェクトもおもしろい。1980年代からいくつも同じようなプロジェクトが浮かんでは消えていったらしいが、また新たにやろうとしているところがある。そういえば、同僚の村井さんもその話をしていた

 人工衛星のほうも気になってセッションにいくつか出てみたが、こっちはそんなにイノベーションの徴候をつかめなかった。

 日本の総務省から審議官も来ていて、規制のパネルと震災のパネルに出ていた。研究者も何人か発表している。しかし、日本企業はスポンサーになっていなくて、ちょっとプレゼンスが足りない感じ。

 最終日の表彰式を兼ねたランチが終わると、同僚とともに、ハワイ大学へ。TIPG(Telecommunications Information Policy Group)というプロジェクトを主催するノーマン・オカムラ教授にインタビューする。太平洋島嶼国の光海底ケーブル敷設問題はあまりにも政治的で、国際政治学者としてはおもしろすぎる。これはしばらく追いかけたいテーマだ。恥ずかしながら、TIPGのウェブに写真が載っている(パーマリンクがないのでそのうち消えると思う)。写真を撮ったとき、同僚はすでに空港に向かうタクシーに乗ってしまっていたので私しか写っていない。

 私はもう一泊あったので、インタビューの後はハワイ大学の図書館で資料を漁る。1900年頃にどうやってハワイが海底ケーブルを敷設したか分かる資料が残っている。しかし、17時で書庫が閉まってしまい、すべてをコピーできず。またハワイに来る理由ができてしまった。

 大学からバスに乗ってホテルへ戻ろうとするが、どこで降りたら良いのか分からず、ワイキキの繁華街まで連れて行かれてしまった。夕暮れの中をブラブラ歩く。みんな楽しそうに騒いでいる。

 ホテルに戻り、日本から持ってきたプリンタをたくさん回して論文と資料を印刷し、翌日の機内では9時間半のフライトの中、7時間ひたすら読みまくった。エコノミーの3席を占領できたのでとても集中できた。来年も行けるといいなあ。予算があるかなあ。休講にするとひんしゅくかなあ。

大阪と広島

 年末から年明けはひたすら修論と卒論の対応に追われていたが、ようやく少し時間に余裕が出てきた。今年は年賀状は途中で挫折し、ちゃんと出せなかった。いただいたのに返せなかったのも多い。ごめんなさい。

 1月6日に久しぶりに大阪に行った。大阪に行ったのは2007年が最後だったんじゃないだろうか。よく覚えていない。

 帰省中の学生と昼御飯にネギ焼きなるものを食べ、研究会で司会をし、懇親会に行った。道頓堀の脇にある割と良い料理屋でハチャメチャないたずらをする先生たちの姿に腹を抱えて笑った。懇親会が終わって店を出て、近所のお店をフラフラと見ているうちに、気がついたみんなタクシーに乗って二次会会場に行ってしまった。

 酔っ払って気が大きくなっているので、迷子も良いかと地下鉄に乗り、宿に向かう。どの線に乗れば良いのかいまいち分からないのだが、目の前に来た電車に飛び乗った。車内の表示を見て、どこで降りるのかなあと考えていて、次の駅に着いたら、脇の席に座っていた女性二人組が「信じらんなーい」と話しているので何かと思ったら、女性専用列車に乗っていた。

 慌てて飛び降りて、ホームのベンチで次の電車を待っていたら、某常任理事から電話がかかってきて、何やっているのかと叱られた。そのまま次の電車に乗って来いというので梅田に着いたが、迎えに来てくださった方と巡り会えず(よほど酔っ払っていたのかなあ)、ひとまずホテルにチェックインして鍵をもらったところで、迎えの方が来てくださった。

 それじゃということで二次会会場に向かうが、それが別のホテルの高層階のバーだった。エレベータを待つ間、女性と二人でホテルのエレベータに乗るところを誰かに目撃されてツイッターで書かれたらまずいんじゃないかという変な恐怖感に襲われた。二次会の席でそんな話をしたら、確かに今時どこにカメラがあるか分からないから本当に怖いという話になった。ついでに、酔っ払って歌い踊る某国立大学の先生の姿をビデオに収めた。これをフェイスブックに載せるかどうか迷う。

 翌朝、早起きするはずがさすがにできず、それでもベッドから這い出して広島へ。前から一度行かなくてはと思っていたところへお邪魔する。そこでちょっと長居をしすぎて、昼御飯の約束に遅れてしまうが、前の職場の元同僚に本場の広島風お好み焼きをごちそうになる。大阪とはやっぱり違うね。

 つかの間の再会だし、他に広島では何も見られなかったが、夕方までには東京に戻らなくては行けなかったので新幹線に乗る。広島から品川まで丸々4時間もある。車内でもひたすら修論と卒論を読んでいた。

 駆け足だったけど、おもしろい2日間の小旅行だった。

今日はひたすら教育活動

 今日は早朝からSFCに行き、出張のため延期してもらっていた修士論文評価関連の手続きを済ませ、博士の学生のプレゼンを5人分聞き、学生数人と面談し、卒論をひたすら読んで終わり。昼寝する暇もない。卒論は全員終わったのかなあ。恐いから確認しないでおこう。

 そしてまた明日は早朝から飛行機に乗って、今日から始まっている会議に遅れて向かう(先発組は今晩料亭で御飯を食べたらしい。一番良いところ逃しているじゃないか!)。国内線だからあっという間に着いてしまうけど、ちょっとは眠りたい。そんなに急ぎの仕事はない(はず)。

卒論はまだ3人

 出張中も時間を見つけてひたすら卒論を読む。今学期の該当学生は12人。明日が締切なのに、合格はまだ3人。みんな大丈夫かな。

 ホテルのチェックアウトまでに送ってきた人は機内でチェックして帰国と同時にコメントを返した(今回の出張はプリンタを持参し、切れたインクを現地で調達もした)。残りの人は知らない。眠いから今日は眠っちゃうよ。

佐々木孝博「多面的なロシアのサイバー戦」

佐々木孝博「多面的なロシアのサイバー戦—組織・戦略・能力—」『ディフェンス』第49号、2011年、137〜151ページ。

 今回の『ディフェンス』は東日本大震災とサイバーセキュリティの特集。この中でもう一つ注目したいのが、佐々木さんの論考。ロシアのサイバー戦についてここまで書いてある日本語のものは見たことがないので、とても参考になる。ロシアの専門家とは聞いていたけど、さすがだ。

 他に、

田中達浩「サイバー戦への備え」『ディフェンス』第49号、2011年、152〜156ページ。

草場英仁「日本のサイバー攻撃対応の現状と課題」『ディフェンス』第49号、2011年、158〜172ページ。

もおもしろかった。

嶌末真「東日本大震災における指揮通信システムについて」

嶌末真「東日本大震災における指揮通信システムについて」『ディフェンス』第49号、2011年、62〜69ページ。

 出張から帰ってくる機内で、手元にあった学生の卒論を全部読み終わったので、久しぶりに学生以外の人の文章を読めるようになった。

 筆者は自衛隊の一等陸佐。一度お目にかかったことがある。そのときの印象とは若干異なるハイテンションで書かれている文章。おもしろい。「通信群長として今まで培ってきた自衛官としての全ての知恵、ノウハウを出し切り、全身全霊でこの未曾有の大災害を相手に戦い抜くことを誓った」とある。こうした方々の力は大きかったんだろうな。ありがとうございます。サイバーセキュリティを考える上でも参考になる。

 しかし、この『ディフェンス』という隊友会が出している雑誌、市販されてはいないようだけど、どこで手に入るのだろう。今回はたまたまいただいたから手に入った。

副査の修論3本

 副査をしている修論3本を読み終わった。それぞれ個性があっておもしろい。

 その個性は、院生それぞれの個性というよりも、研究室の個性という側面も強い。

 SFCでは、個々の教員による「研究室」は推奨されていない。our studentsが原則であって、○○研究室という形で囲い込まないようにしている。それでも、学生のほうは案外と「○○研究室」や「○○研究会」(○○は教員の姓)を求めていて、電子メールの署名に書いていることが多い。

 結局、普段過ごしている時間が多かったり、最後の踏ん張りのところでは主査の役割大きくなるので、論文には主査の色、研究室の色が出てくる。

 私は囲い込まないようにしているんだけど、他の教員から見ると色は出ているのだろうか。

 ともあれ、主査をした6人のうち、4人は在外研究中の同僚から預かった院生たち。彼らには大変だったろうが、our studentsを実践したわけで、許してもらおう。

修論追い込み

 会議の合間に卒論と修論の指導。修論は明日の締切を前に、2人はすでに提出。3人は印刷中。残る1人が最後の追い込み中。全員出せると良いね。

 副査をしているんだけど連絡のない3人は大丈夫なんだろうか。

 私は連日の寝不足で体調が悪くなってきているので、今日は早めに就寝する予定。

修論もう1本

 今日は某研究会で自分の報告があったのであまり時間がとれなかったが、修士論文の詰めを進める。要旨っていうのが案外くせ者だ。修論もう1本がほぼ完成。

 卒論は手を付けられず。

修論3本、卒論2本

 今日は修論3本と卒論2本のチェックを終える。修論2本はほぼ完成。もう疲れて今日はこれ以上できない。ストレスで体重が増えている。

 しかし、主査になっている修論はあと4本。締切は12日の午後3時。みんな間に合うのかなあ。心配だ。

 学部の卒論は21日の23:59だよ。みんな、がんばれ。

第一ラウンド終わり

 卒論、修論の第1ラウンド終わった。まだ合格は出ない。

 明日から第2ラウンド。博論も残っているけど、もう今日は眠い。

さらに修論一本

 さらに修論を1本読んでコメントを返した。これで送られてきた修論のドラフトは全部目を通した。明日からは残る9本の卒論に移る。

卒論一本コメント

 卒論も1本目を通してコメントを返した。まだ完成度が低い。早く書かないと間に合わないぞ。

 修論、卒論ともに出してきてないのが何人かいる。大丈夫かなあ。

これからたぶん出る成果

 今日も大して仕事が進まない。修士論文のドラフトを1本読み、コメントを返す。内容はおもしろいのだが、これがけっこう大変。

 他に、急ぎの自分の論文の初校ゲラを戻す。

 ついでに、これからたぶん出る成果を紹介(若干、現実逃避的)。

  • Kim Andreasson, ed., Cybersecurity: Public Sector Threats and Responses, CRC Press, 2011.

http://www.prlog.org/11742755-cybersecurity-public-sector-threats-and-responses.html

(日本のサイバーセキュリティ対応について一章書いた。)

  • 加茂具樹、小嶋華津子、星野昌裕、武内宏樹編著『党国体制の現在——変容する社会と中国共産党の適応』慶應義塾大学出版会、2012年。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766419108/

(中国のインターネット規制について一章書いた。)

  • 某学会学会誌に海底ケーブルについての論文(印刷中)
  • 某紀要に海底ケーブルについての論文(印刷中)

年末年始は時間がない。

 年末年始は家にいても仕事のための時間がほとんど取れない。何とかならないのかなあ。

 卒論、修論、博論を計20本ぐらい読まないといけないのだけど、今日読めたのは2本だけ。たぶん、一発OKの人はいないから、今月半ばまではずっと読み続けるんだろうな。

 元旦の読売新聞1面でコメントを取り上げてくださったのだけど、反応があったのは某国大使館だけ。そんなもんなのかな。正月っぽい話題ではなかったからね。

石毛直道「知の探検家・梅棹忠夫」

石毛直道「知の探検家・梅棹忠夫」『アステイオン』66号、160〜172ページ。

 梅棹忠夫の解説としてはコンパクトながらとてもよくまとまっていると思う。「モゴール族探検記」は恥ずかしながら未読だが、読みたくなった。人工衛星の時代、地理的な探検はもはや価値がなくなりつつあるが、知の探検はまだまだ未開の地がたくさんある。

スティーヴン・ヴォーゲル『新・日本の時代』

スティーヴン・ヴォーゲル『新・日本の時代―結実した穏やかな経済革命―』日本経済新聞社、2006年。

 大学院生たちとの輪読の課題書。父親のエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』から30年。日本はバブル崩壊以降の多大な課題を抱えている。そうした課題にどう日本が対応しているのか、比較制度分析などの成果を使って分析している。

 読後感は、とにかく単純には説明できなくなってきているということ。著者の関心が労働と金融にあって、そこからの説明は興味深い。企業が改革の一環としてダウンサイジングを進めたことが、今の大学生の就職難につながっている。それを吸収する新産業や新企業が育っていない。外国人が経営を握るほどダウンサイジングの幅が大きくなる傾向も見られ、日本市場における外資の役割を考える点でも興味深い。

 いずれにせよ、日本も多かれ少なかれ変わっている。エズラの『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』では企業経営者に外国人はおらず、大学では外国人は教授になれないと書かれていたが、もはやそんなことはない。

難波の宮

山根徳太郎『難波の宮』学生社、1964年。

 年明けに大阪に行く用事があるので、古本屋で買ったまま読んでいなかったこの本を一気に読む。もともとは数年前に大阪歴史博物館に行ったとき、展示で山根先生のことを知り、博物館の目の前に広がる難波の宮の遺跡に興味を持ったから。

 読んでみると何だかシュリーマンの『古代への情熱』を思い起こさせる。専門的なところはよく分からなかったけれども、山根先生が二枚の瓦から難波の宮を発見していくまでのストーリーがおもしろい。そして、その遺跡を守るために奮闘されたプロセスも興味深い。山根先生の頑張りがあったからこそ、遺跡は発見され、破壊されずに今も残っている。大阪城の真南という中心地にずっと難波の宮は眠っていたのに、長い間忘れ去られていた。そんなところにあるはずがないと他の学者たちに批判されながらも、山根先生は掘り続けてついに見つけた。

 考古学者というのも実に楽しい仕事だろうなあ。しかし、研究のアウトプットにはとても時間がかかるだろうし、職もなかなか見つからないだろう。大変な仕事だ。年明け、機会があればまた博物館と遺跡を見に行きたい。