オバマ政権で変わるFCC

MITは年内の授業と試験が終わり、大学は休みモードに入っているが、ワシントンは賑やかだ。情報通信政策でおもしろい動きが出てきている。

まず、12月6日にオバマ次期大統領が、大規模なインフラストラクチャ投資計画をラジオ演説とYouTubeでのビデオで発表した。アイゼンハワーが州際ハイウェーに投資して以来の規模になるという。ブッシュ政権の乱費と昨今の金融救済案もあって今年度の連邦政府の財政赤字は1兆ドルを超えると見られ、これまでの最高額の2倍以上になっている。それでもやるというのだ。

景気刺激策という意味ももちろんあるが、古くなり、世界的に見ても遅れ始めているアメリカのインフラを何とかしなければ、ますます競争力が低下するという危機感もあるようだ。

ブロードバンドへの投資も大きな柱となっている。オバマはインターネットの威力を分かっているだけに、力を入れたいところだろう。

As we renew our schools and highways, we’ll also renew our information superhighway. It is unacceptable that the United States ranks 15th in the world in broadband adoption. Here, in the country that invented the internet, every child should have the chance to get online, and they’ll get that chance when I’m President – because that’s how we’ll strengthen America’s competitiveness in the world. (引用元

そうなると、連邦通信委員会(FCC)の人事が焦点となるが、おそらくブッシュ政権退場とともに辞任するであろうケビン・マーチンFCC委員長に対する批判が吹き出てきている。下院のエネルギー・商業委員会の多数派スタッフがレポートを出し、そのタイトルは「欺瞞と不信:ケビン・マーチン委員長下の連邦通信委員会(PDF)」である。

タイトルほどには中身はすごくなくて、マーチン委員長が自分でマイクロコントロールしたがるので、他の4人の委員や部下たちがやってられないとこぼし、業者たちがぶつぶつ言っているということだろう。最大の問題とされているのは、視聴覚障害者のための資金を集めすぎていて、一般利用者の料金が(わずかに)上がっているということのようだ。

しかし、以前からマーチン委員長は議会の問いかけに応じないなど、問題が積もり積もった結果としてこうした批判が出ていると見た方がいい。FCCは独立委員会なので、行政府の一部のように見えながら、報告義務があるのは議会である。委員を指名するのは大統領だが、議会に対して説明責任を負っている。議会の問いかけに応じないのはやはり問題だ。

マーチン委員長が就任したとき、確か30代後半で、今の私の年齢とさほど変わらなかったはずだ。そんな大役を任されるとしたらぞっとするが、若さ(そんなに若くはないが、政治的には若い?)ゆえに、マイクロコントロールし、成果を出したかったのだろうか。マーチン委員長下のFCCはソ連のKGBのようだという冗談まで出ている。

そのマーチン委員長、一月さかのぼって11月にはテレビの電波の隙間にあるホワイト・スペースと呼ばれる電波の解禁を認める決定をした。この話もよく調べるとおもしろくて、ブロードウェーのアーチストたちが反対に回り、賛成派のグーグルなどと対決していた。ブロードウェーのミュージカルではマイクを使用しているが、ホワイト・スペースが解禁されると干渉するから嫌だというのだ。電波は見えないだけにいろいろ変な話が出てくる。

オバマ次期政権の技術顧問にはケビン・ワーバックなど技術と政策に明るい人が入っている。FCC委員長が誰になるのか見物だ。

観光気分の東京

12月5日に慶應の三田キャンパスで開かれたシンポジウムに参加するため、一時帰国。3月24日に渡米して以来なので、約8ヵ月ぶりの日本である。成田空港に着くと、まず暑いと思った。だいたいボストンの最高気温が東京の最低気温ぐらいなので仕方ない。成田エクスプレスに乗って品川に着くと、人が多い。歩けない。こんなところを毎日平気で歩いていたのかと思うと不思議だ。

シンポジウムの最中は時差ぼけで眠ってしまうのではないかと思ったが、思いの外、目は覚めていて楽しめた。翌日、オバマ次期大統領がインフラストラクチャへの大規模投資を発表して、我が意を得たりという気分だった。ブロードバンドへの投資も本腰を入れるようだ。

インフラやサービスのレベルを日本を規準にして考えてはいけないのは分かっているが、世界一の先進国だという割にはアメリカはあまりにもお粗末で嘆きたくなる。配達ものが本当にひどくて、指定した日に届かないのは当たり前というのはどうかしていると思う(だったら最初から指定させるべきではないだろう)。パネルの中でアメリカのコンビニの悪口を言ったが、要は物流インフラとそれを支える情報インフラがしっかりしていないので、新鮮な食品をコンビニの店頭に並べるということができない(例えばShintaroさんのブログを参照)。おそらく同じ理由で新鮮な魚がスーパーに並ぶということもない。電車はおんぼろでうるさく、一定の間隔で運行できないので、固まってきたと思ったらずっと来なくなったりもする。飛行機は国際スタンダードでそれなりに定時の運行ができるのだから、電車だってやればできるはずだ。

シンポジウム翌日の土曜日は朝からいくつかの用事を片付ける。春に亡くなった小島朋之前学部長の墓参にようやく行けたのも良かった。いろいろなめぐり合わせで葬儀にも偲ぶ会にも出られなかったので、やっとという思いだ。一緒に行ってくれた同僚の清水唯一朗さんとカツ丼セットを食べられたのも良かった。本物のカツ丼だった。

夜はICPCの合宿へ。さすがに時差ぼけが出てきて、夜通しの議論にはつきあえず残念だったが、議論は大いに盛り上がっていて良かった。この合宿で使った日本橋のホテルは、びっくりするほど狭い部屋のビジネス・ホテルなのだが、大きな風呂があるのはうれしかった。久しぶりに首まで湯につかることができた。やはり外国には長く住めない。私には風呂が必要だ。温泉に行きたい!

驚いたのはこのホテルには外国人旅行者がたくさん泊まっていて、白人の若い女性三人がぞろぞろと浴衣で歩いていたり、夜中に修学旅行生のように廊下で騒いでいたりしたこと。観光地としての東京の人気は上がっているのかなと思う。

翌朝、日本橋の小舟町から東京駅まで歩く。江戸橋の横を通り、日本橋を渡り、永代通りをゆっくり歩いた。日曜日の朝なので人通りは少なく、すがすがしい。振り返るとコレド日本橋に朝日が反射していてきれいだった。今回はホテルに3泊したが、観光気分で東京を見ると予想以上に楽しいなと思い直した。

ボストンはアメリカのスタンダードで言えば都会だけど、東京は桁違いに大きくて、人と文化がぎっしり詰まっている。東京は住むには通勤などが大変だけど、観光客として訪れるにはとても楽しいところなんだろう。東京駅で土産物屋が開くのを待っていたら、友人のNさんに見つかった。こんなにたくさん人がいるのに不思議なものだ。

あっという間に一時帰国は終わり、シカゴまで飛ぶと雪が積もっていた。ここでオバマ次期大統領は政権構想を練っている。さらにボストンまで飛ぶ。この日は雪が降ったそうだがまだここでは積もっていない。

と、ここまで一週間以上前に書いたのだが、ボストンに戻ってきてからあわただしく、そのままにしておいたら、今朝雪が積もった。いよいよ冬が本格化する。

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サンクスギビング

だいぶ前の話になるが、11月27日はサンクスギビングデーだった。この日の夜はMITで所属する研究所の所長宅に招いていただいた。実に広々としたリビングがあり、25人ぐらいのゲストが来ていたが、まだ余裕がある。日本研究者だけあって壁には浮世絵や日露戦争時のめずらしい漫画地図など、興味深いものが飾ってある。奥さまはプロの料理人ということもあって、たくさんの料理本も並んでいる。日本語の料理本も多い。

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アメリカの大学の先生の給料は平均するとそんなに高くないらしいが(日本のほうが高いという話も聞いたことがある)、こんな広々として居心地の良い家に住めるなんてうらやましい。まあ、実際にアメリカに住むとなると考え込んでしまうが、こんな家を日本で建てられたらさぞかし快適だろう。

サンクスギビングの主役ターキー(七面鳥)の丸焼きは時間をかけて作った自家製で、大きなものが二羽出てきた。マッシュポテトなど伝統料理も並んで壮観である。サンクスギビングの料理は、アメリカ料理らしくなく、手間暇かけて作られるので実においしい。

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ゲストも多様で、博士課程の日本人学生や中国人留学生、教授がメンターになっているバングラデシュからのエンジニアの学部生、MITジャパン・プログラムのスタッフ、イタリア人家族、その他、多様なグループから来ており、賑やかで実に楽しかった。皆で持ち寄ったデザートもおいしい。かなりカロリーオーバーだった気がする。

この多様なゲストと楽しい時間を過ごしながら、アメリカという国のダイナミズムを思う。ここにいる外国人のほとんどにとってサンクスギビングなんて関係ないのだが、こうした機会に集まり、いろいろな情報交換をして、ネットワークを広げていく。自宅(そして自国)をこれだけ開けっぴろげにして懐深く入れてしまう。外国人もいつの間にかアメリカ的生活様式を身につけ、アメリカ人になっていく。ここにいる何割かの人はアメリカに残り、グリーン・カードを手に入れ、帰化していくのだろう。

安楽椅子の学者はもう無理

「安楽椅子の○○学者」という言い方がある。安楽椅子の人類学者など、主にフィールドに出て行くことが想定されている学問分野で、フィールドリサーチをしない学者のことを揶揄していうことが多い。

梅田望夫さんはあえてネットだけで生きる決意をして、アメリカ国内では飛行機に乗らないとどこかで書いていた気がする。すごい実験だと思う一方で、一次資料へのアクセスが不可欠な学者にとっては難しいといわざるをえない。ネットで得た資料だけで論文を書いたら(まだ?)あまり評価されないだろう。

実際、今どきの学者はフィールドワークなしで研究することはできないように思う。文学や音楽であっても、著者や音楽家の背景を知るためにその人たちが生きたところへ行ってみることは理解を大きく促進する。アメリカ文学を研究している人がアメリカへ行ったことがないということが、昔はあったらしいが、今では考えにくい。

私自身も旅は嫌いではないので、機会があれば足を伸ばす。現場を見たり、当事者に話を聞いたり、現物の資料を見ることで得られることは実に大きい。カンファレンスやシンポジウムで聴衆の反応を共有しながら話し手の言葉を追いかけるのもやはり意味がある。私は国際政治学が主たる研究ドメインなので、世界の現場を見ないで国際政治の授業をするのはやはりどこか物足りない気がする。

しかし、来週に迫ったシンポジウムのために一時帰国するのはけっこうしんどい。アメリカでやらなくてはいけないことが山積みなので、総計20分程度しか話をする機会のないパネリストの一人として、往復30時間かけて一時帰国するのは少しやりきれない。シンポジウムでおもしろい話が聞けて、満足できれば良いなと思う。

他にも、ちょうど週末に、情報通信政策研究会議(ICPC)が開かれる(情報通信政策は私の研究のサブドメインだ)。今回、私はアメリカにいるのであまりお手伝いができておらず、その週末もどうしても外せない用事があるのでフル参加は無理だが、顔を出そうと思う。旧知のみなさん、新しい参加者のみなさんと議論できれば、無理して帰る意義も増すだろう(どなたでも参加できますので、申し込みの上、ご参加ください)。時間をもらえれば、夜のBOFでは、アメリカ大統領選挙とネットについて話そうと思う。

しかし、副次的に楽しみにしているのはおいしいものが食べられること。無論、アメリカにもおいしいものがある。ステーキはやはりアメリカのほうがおいしい。ボストンならロブスターをはじめとするシーフードだろう。しかし、もう飽きた。日本のおいしいものが食べたい。

先日、ボストンの日本料理屋に入ってカツ丼を食べた。カツ丼ではなかった。どんぶりの底には大量のご飯が詰め込まれ、その上に、普通のトンカツが乗っかっている。さらにその上に、卵とタマネギをあえたものが乗っかっている。カツ丼の良さはトンカツにだし汁がしみるようにさっと煮込んであるところだろう。料理人に説教してやろうかと思ったが、本物を食べたことがない人には分かるまい。

本物や現場、現物、当事者を知るためには自分が動かなくてはいけない。

今日はサンクスギビングデーだ。外に出ている人が本当に少ない。日本の正月のようだ。今晩は研究所の所長の自宅にお招きをいただいている。本物のサンクスギビングデーを見てこよう。

第3回 ソーシャル・イノベーション研究会

主査がいないまま行われている情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会の第3回研究会が開かれます。学会員以外でも参加可能ですので、お申し込みの上、ご参加ください。


ICTのイノベーションにより、選挙はどのように変わるのか―日米韓の比較討論会

開催日時 12月23日(火) 午後1時から3時

会場    国立情報学研究所(学術総合センター)12階講義室I・II

共催    国立情報学研究所

会場の準備の都合により、事前申込が必要になります。

12月19日(金)までに事務局(kenkyu3@jotsugakkai.or.jp)にお申込ください。

パネリスト

司会  上田昌史 国立情報学研究所助教

発表者 杉原佳尭 

インテル株式会社 渉外部長、 特定非営利活動法人 地域情報化推進機構 理事長

自民党本部勤務、長野県知事選挙の総括責任者、自身も芦屋市長選挙に出馬、残念ながら次点。著書に 『ソフトな政治(一世出版)、 民主主義は機能しているか?』(英治出版)

発表者 李洪千(り・ほんちょん)

慶應義塾グローバルCOE研究員、2002年韓国大統領選挙民主党候補演説秘書

発表者 清原聖子

情報通信総合研究所研究員、慶應義塾大学法学部・総合政策学部非常勤講師

著書に『現代アメリカのテレコミュニケーション政策過程 ユニバーサル・サービス基金の改革』(慶應義塾大学出版会)、情報通信総合研究所ホームページ記事「第4回:民主党オバマ候補の圧勝―Web2.0時代の大統領選挙戦」

http://www.icr.co.jp/newsletter/usvote/2008/uv2008004.html

講演題目と要旨

杉原

●タイトル 日本の選挙:その理想と現実

●要旨

アメリカやその他選挙戦をみているとメディア戦略、マーケット戦略など企業の戦略をとりいれて上手く生かしたものが、多い。また、当選している候補者は、メッセージをたくみに操り、国民への浸透に成功している。それに比べて、日本は、小泉選挙のときに、世耕参議院議員がその試みをしたものの、その後の展開は見受けられない。公職選挙法も含めて、実際の選挙現場でなにが行われているのかを紹介し、その理由を考えたい。

●タイトル:市民ジャーナリズムと大統領選挙に及ぼしたインターネットの影響

●要旨:選挙結果に与えるインターネットの影響は特に韓国において強いと言われている。特に2002年の大統領選挙は、オーマイニュースなどの市民ジャーナリズムが盧武鉉政権の誕生に大きな役割を果たしたという事が通説である。しかし、当時のメディア利用に関するアンケート調査を見るとインターネットから選挙情報を得ている人は少人数であり、年齢層においても20代〜30代に偏っており、多くの人は従来のオールドメディアを情報源としていた。また、盧武鉉氏への支持率も選挙告示前と選挙期間中に変化がなく、一環して野党の候補より優位であった。それにしても、インターネットの影響が強く語られていることを考えるとインターネットの影響が無かったとは言い切れない。従って、2002年の大統領選挙においては、インターネットから有権者という直接的な影響を考えるより、迂回または間接的な影響を考えることが妥当であろう。本報告では、その詳細を説明させていただきたい。

清原

●タイトル:2008年米国大統領選挙戦におけるインターネットの利用とその影響

●要旨:2008年米国大統領選挙戦は1年半の長期にわたったが、ついに民主党のオバマ候補の勝利により幕を閉じた。オバマ氏の勝利の要因の分析はこれから多くの政治学者の手により、様々な角度から行われるであろう。ここではインターネットを使った選挙運動戦略に焦点を当てたい。オバマ氏は予備選挙中からFacebookや携帯電話のテキストメッセージなど、新しいメディアを巧みに利用することで、選挙に関心の薄い若年層の掘り起こし、そして、多額の選挙資金を集めることに成功した。それは本選挙終盤での全国的なテレビCMを可能にする豊富な資金源ともなった。2008年の大統領選挙戦では、2000年や2004年の大統領選挙戦と比べても、インターネットが選挙戦において非常に大きな役割を果たしたと言えるだろう。今回の報告では、2008年大統領選挙戦を振り返り、特にオバマ陣営のインターネット選挙戦略を検討してみたい。

科学政策とオバマ政権

連日、最低気温が摂氏で氷点下になっている。木々の葉はすっかり落ちた。雪はまだ降らず、空は真っ青で快晴になっていることが多い。

科学政策とオバマ政権:新大統領へのアドバイス」と題する講演会がMITで開かれた。メインのスピーカーはMITスクール・オブ・サイエンスの学部長Marc Kastnerで、司会は名誉教授のEugene Skolnikoffである。

スコルニコフは、私がMITで所属している研究所の何代か前の所長で、私は『国際政治と科学技術』(NTT出版、1995年)という本の翻訳に大学院生のときにかかわった(残念ながら絶版で、出版社のホームページからも消えている)。今まで会ったことはなかったが、すごい年寄りで、よく分からない英語を話す人というイメージがあった。実際は、まだかくしゃくとしていて、英語も分かりやすい。英語が分かりにくいというイメージは彼の文章のせいだろう。残念ながらスコルニコフは司会なので少ししか話さなかったが、実際に会うことができたのはうれしかった。

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スコルニコフは、アイゼンハワー(共和党)、ケネディ(民主党)、カーター(民主党)の各大統領の下で科学技術政策に関わってきた。オバマ政権で返り咲くことは年齢的に見てもないが、新大統領にアドバイスしようと思えばできる立場なのかもしれない。

メインスピーカーの話はやや物足りなかった。時間が短かったせいもあるだろうが、質疑応答では、核兵器はどうするのか、なぜ宇宙には触れないのか、といった質問も出た。情報通信技術への言及もない。主たる関心はエネルギーとライフ・サイエンスのようだった。確かにエネルギーは大統領選挙の争点だったし、MITも力を入れているので分からなくもないが、もっと広範に議論しても良かっただろう。

ヴァネヴァー・ブッシュ以来、MITは政府の研究開発において積極的な役割を果たしてきた。現在のブッシュ政権(ヴァネヴァー・ブッシュとジョージ・ブッシュは何の関係もないと思う)はヒトゲノムなどには関心を持っていたが(しかし、宗教的なしがらみもあった)、一般的には科学技術政策への関心は薄かったように思う。オバマ政権ができることで、少なくとも情報通信政策の関係者たちは大いに沸き立っている。昨今の経済悪化で、大学の収入も悪くなると予測されている。大学もヘッジファンドなどに大金を預けているからだ。MITにとっても、オバマ政権の動向は、研究資金源がどうなるかという点で関心があるに違いない。

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質疑応答の中でもうひとつ、へえっと思ったのは、予算配分の偏り。過去10年ぐらいを見ると、ライフ・サイエンスに突出して予算が割り当てられていたが、それもピークを越え、最近は落ちてきている。そのため、オーバードクターの増加問題はどうしたらいいのかと詰め寄る学生らしき人がいた。講演者の答えは、意訳すれば、研究バブルに踊らされるなということだったように思う。特定の分野がもてはやされても、学部・大学院と時間が経ち、トレーニングが終わる頃にポストが残っているとは限らないということだ。その通りだが、それだけの見通しを持って大学院に行ける人も多くはないだろう。

変わるアメリカ、変わらぬアメリカ-大統領選挙後のアメリカ-

10月に大阪で開かれたシンポジウムの続編が東京で開かれる。

(私も本当に出るのか? 自分で心配だ。)


サントリー文化財団「社会と思想に関する特別研究助成」成果発表

The Symposium “Continuity and Change in America”

シンポジウム「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ―大統領選挙後のアメリカ―」

12月5日(金) 午後1時〜5時30分

慶應義塾大学三田キャンパス「北館ホール」

拝 啓

 秋冷の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

 さて、「文明論としてのアメリカ研究会」では、2006年から2008年にかけて、これまでのアメリカン・スタディーズの枠を超えて、歴史、文化、宗教、憲法、政治、経済、安全保障など各方面から、改めてアメリカという文明について考え、議論し、思索してまいりました。

 この度、本研究会の成果発表として、「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ」をテーマに、10月に大阪で、12月には東京でシンポジウムを開催する運びとなりました。日本にとってアメリカとは何か。世界にとってアメリカとは何か。そして、将来100年のスパンで見た場合、我々にとってアメリカはどういう意味を持つのか。本シンポジウムで、今後の日米関係の発展に資する、思想的・学問的・実務的な知的インフラを構築したいと考えております。

 つきましては、ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、大統領選挙後のアメリカと日米関係を考える東京でのシンポジウムに、何卒ご出席を賜りますようお願い申し上げます。

敬 具

2008年11月

文明論としてのアメリカ研究会

代表 阿川尚之

財団法人サントリー文化財団

理事長 佐治信忠

主催:文明論としてのアメリカ研究会

共催:慶應義塾大学(慶應義塾創立150年記念)

国立大学法人大阪大学(21世紀懐徳堂)

財団法人サントリー文化財団 

後援:読売新聞社、中央公論新社

協賛:サントリー株式会社


*日時:2008年12月5日(金) 午後1時〜5時30分

*場所:慶應義塾大学三田キャンパス「北館ホール」

    〒108-8345 東京都港区三田2-15-45(TEL:03-3453-4511)

*基調講演:午後1時〜

リチャード・アーミテージ氏(アーミテージ・インターナショナル代表、元アメリカ国務副長官)「U.S.’s Role in the World」(世界における米国の役割) -同時通訳付-

北岡伸一氏(東京大学教授、元特命全権大使・日本政府国連代表部次席代表)「アメリカと国連と日本」

*研究会趣旨説明:午後2時45分〜

文明論としてのアメリカ研究会代表 阿川尚之氏(慶應義塾大学教授)

*休憩:午後3時〜

*パネルディスカッション:午後3時20分

土屋大洋氏(慶應義塾大学准教授)

沼波 正氏(日本銀行国際局長)

待鳥聡史氏(京都大学教授)

簑原俊洋氏(神戸大学教授)

コーディネーター:阿川尚之氏(慶應義塾大学教授、文明論としてのアメリカ研究会代表)

*参加方法

お手数ですが、申し込み用紙にご記入のうえ、11月末日までに、FAXにてご返送ください。参加費は無料です。

*ご同伴者の参加について

ご同伴者の参加も歓迎いたします。特に、アメリカ及び日米関係をご研究の方、あるいはこれらにご関心をお持ちの方に多数ご参加いただきたく、お知り合いの皆様に広くご紹介いただければ幸いです。

*お問合せ

〒530-8204 大阪市北区堂島2-1-5 財団法人サントリー文化財団 / 担当:小島

TEL :06-6342-6221 / FAX:06-6342-6220 / E-MAIL:sfnd at suntory-foundation.or.jp(atを@に変えて送信してください。)

プロフィール

リーチャード・リー・アーミテージ氏(アーミテージ・インターナショナル代表、元国務副長官)

Richard Lee Armitage

1945年生まれ。アナポリス海軍兵学校卒業後、ベトナム戦争に従軍。その後、国防総省情報局員、レーガン政権の国防次官補代理、ジョージ・ブッシュ政権下の2001年〜2005年、国務副長官を務める。国防戦略の専門家、共和党穏健派の重鎮、知日派・アジア通として知られる。

北岡 伸一氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授、元日本政府国連代表部次席代表)

Kitaoka Shinichi

1948年生まれ。立教大学法学部教授を経て現職。専門は日本政治外交史。2004年〜2006年、特命全権大使としてニューヨークに赴任、日本政府国連代表部次席代表を務める。『清沢洌』(サントリー学芸賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞)、『自民党』(吉野作造賞)など、著書多数。

土屋 大洋氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授兼総合政策学部准教授)

Tsuchiya Motohiro

1970年生まれ。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター助教授を経て現職。現在、在外研究のため、マサチューセッツ工科大学客員研究員。専門は、国際政治学、情報社会論。著書に、『ネット・ポリティックス』(テレコム社会科学賞)、『情報による安全保障』など。

沼波 正氏(日本銀行国際局長)

Nunami Tadashi

1953年生まれ。日本銀行入行後、ブルッキングス研究所客員研究員、日本銀行ワシントン事務所長、那覇支店長、金融市場局審議役(決済・市場整備担当)、米州統括役ニューヨーク事務所長などを歴任し、2008年6月に国際局長に就任。著書に『私が見た沖縄経済』がある。

            

待鳥 聡史氏(京都大学大学院法学研究科教授)

Machidori Satoshi

1971年生まれ。大阪大学大学院法学研究科助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て現職。専門は、比較政治・アメリカ政治。著書に『財政再建と民主主義』(アメリカ学会清水博賞)、『日本の地方政治』(共著)、『比較政治制度論』(共著)がある。

簑原 俊洋氏(神戸大学大学院法学研究科教授)

Minohara Toshihiro

1971年アメリカ生まれ。ユニオン・バンク勤務後、神戸大学大学院法学研究科に入学。神戸大学法学部助教授を経て現職。専門は日米関係史。著書に、『排日移民法と日米関係』(アメリカ学会清水博賞)、『カリフォルニア州の排日運動と日米関係』がある。

阿川 尚之氏(慶應義塾大学総合政策学部教授、文明論としてのアメリカ研究会代表)

Agawa Naoyuki

1951年生まれ。ソニー株式会社、米国及び日本での弁護士事務所勤務などを経て現職。専門は米国憲法史、日米関係史。2002年〜2005年、在アメリカ日本大使館の広報文化担当公使を務めた。『海の友情』、『憲法で読むアメリカ史』(吉野作造賞受賞)など著書多数。

最後の授業

ボストンの書店に行くと『Last Lecture』という小さな本が並んでいる。前から何となく気になっていたのだが、その内容がYouTubeに載っているのに気がついた。同じ職業の身としてはたくさんのことを考えさせられる。

(ビデオは全部で9本)

彼と私は10歳しか違わない。私に残された時間があと10年だとすれば何をすべきだろう。私の子供の頃からの夢は何だったのだろう。いくつかはすでに実現し、もちろん不可能だと分かったものもある。あいにく、大学の教員になることは子供の頃の夢ではなかった。忘れていた夢を思い出して、できることは実現していかなければ。ひとまず、来年はアフリカに行く。

この人も(子供の頃からの?)夢を実現したのだろう。歯並びの悪い携帯電話のセールスマンがオペラを歌うというが、審査員たちは全く期待していない。彼らの顔がみるみる変わるのが実に愉快だ。

帝国の磁力

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土屋大洋「帝国の磁力」『アステイオン』第69号、2008年11月、40〜58頁。

久しぶりに原稿を書いた。50音順で名前が並んで私が2番目に来るなんてめったにない。

ちなみに同じタイトルはこちらでも使用。

新聞が消えた日

大統領選挙の翌日、朝寝坊して昼過ぎに地下鉄に乗り込んだ。いつもより車内がきれいだ。何が違うのかと考えると、いつもは散乱しているフリーペーパーが見あたらない。ボストンにはmetroというフリーペーパーがあり、電車の中ではみんなそれを読んでいる。今日は大統領選挙の記念にみんな持ち帰っているらしい。

駅の売店の新聞もすっからかんになっている。セブンイレブンやCVS(ファーマシー)の新聞売り場は一部も残っていない。通りに置いてあるコイン販売機の新聞も空っぽだ。NYタイムズもボストン・グローブもUSAトゥデイもない。ハーバード・スクエアの大きな新聞販売店ならあるかと思ったが、ここも選挙結果について報じた新聞はすべてない。完全に出遅れてしまった。

おまけに駅に置いてある新聞紙リサイクル用のゴミ袋までからっぽだ。半透明の袋なので、外から中身がうかがえるのだが、何も入っていないものが多い。

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これだけデジタルが発達しているといっても、記念に残る紙の新聞の需要は意外に大きかった。こんなことは滅多にないだろうが、オバマ当選のインパクトは、ケンブリッジでは甚大だったのだ。昨日のテレビによるとNYのタイムズ・スクエアやカリフォルニアのバークレーでは夜中まで若い人たちが騒いでいたそうだ。きっとハーバード・スクエアでも同じだっただろう。

大統領選挙終わる

大統領選挙が終わった。ボストン在住の方々のブログでも一斉にコメントが出ている。今回の大統領選挙が印象的だったことがうかがえる。実際、これほどおもしろいエンターテイメントはなかった。下手なリアリティ・ショーよりもずっとおもしろい。無論、さまざまな点でショーアップされているのだけど、エンターテイメントでショーアップは不可欠だ。それも含めて楽しむのが良かったのだと思う。

オバマのネット戦略は実にうまかった。当初、不明にも私は彼のネット戦略をあまり評価していなかった。というのも、今さらSNSはないだろうと思っていたからだ。しかし、実名で行われているSNSは、選挙戦略と実にディープに絡まっていて、高い効果を発揮したようだ。日本のSNSでは実現できないような深いコミットメントが可能になっていた。

ネットと政治ということでは、2004年の民主党予備選で一世を風靡したハワード・ディーンが思い起こされる。11月4日付のNYタイムズの記事では、当時のディーンの担当者が、自分たち[ディーン陣営]がライト兄弟だったとしたら、彼ら[オバマ陣営]はアポロ11号だ、とコメントしているのが印象深い。それだけ一気にネットの政治利用が進んだのだ。それに乗り遅れたマケインに勝機は無かったと、後知恵では思える。

私は選挙当日何をしていたか。もちろん投票はできない。せっかくこの時期にアメリカにいるのに、忙しくてあまり大統領選挙はウォッチすることができていなかった。選挙当日ぐらいはちゃんと観察しようと思い、自宅から一番近い投票所を見物に行くことにした。

この投票所、近所の中ではちょっと危ない通りとして知られているところにある。妻の友人が夜間に強盗に遭ったことがあるらしい。しかし、昼間だし、投票所には人もたくさんいるだろうと思って、歩いていく。

投票所は通りから少し奥まったところにあるが、目立つところにオバマ陣営のプラカードを抱えた二人が立っている。私がきょろきょろしていると、「投票に来たのか!」と声をかけられた。「外国人だから投票できないんだけど、興味があるから見に来たんだ」というと、「投票所はあっちだ。じっくり見ていきなよ」と言ってくれる。

はたして投票所は、地域のコミュニティ・センターみたいなところで、さして大きくない。入口に案内の看板があるだけだ。警官がうろうろしているので、中に入って良いものか思案したが、ここで引き返してはつまらないと思い、追い返されるまで行ってみようとドアを開ける。

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小さなロビーになっていて、投票を終えた人たちが数人たむろしている。投票のための行列はできていないが、次々と人がやってくる。さすがに投票する部屋までは踏み込めなかったが、外から中の様子を撮影できた。誰にもとがめられることもなく、日本の投票所のような緊張感も漂っていない。ずいぶんのんびりした雰囲気である。

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入口の脇に投票用紙の見本がかざってあった。現物は両面印刷になっており、大統領選挙、上院議員選挙、下院議員選挙の投票欄の他、Councillor(ローカル政府の役職?)、Senator in General Court(州議会の上院議員?)、Representative in General Court(州議会の下院議員?)、Register of Probate(遺言検認裁判官の登録?)といった役職の投票欄があり、さらに三つの法律に関する賛否を問う質問が印刷されている。

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驚いたことに、大統領候補欄には6組が印刷されている。オバマ=バイデン、マケイン=ペイリンの他、消費者運動で名をはせたラルフ・ネーダーなどが立候補していた。マスメディアではほぼ全く無視されていたといってよい(ネーダーが立候補したニュースは確かに見た)。

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電子投票(機械による電子的な投票:ネット投票ではない)が取り入れられるという話だったが、この投票所には入っていなかった。

外に出ると、ちょうど同じアパートに住むおばちゃんと出くわした。同じく見物に来ているフランス人親子と一緒に投票に来たそうだ。話をしていると、オバマ陣営のボランティアの横に小学校のスクールバスが止まった。ここが停留所の一つらしい。ドアが開くと子供たちがわっと出てきて、「オ、バ、マ!!! オ、バ、マ!!!」と大合唱が始まり、オバマのボランティアも看板を振りながら踊り出す。ちょうどこのストリート近辺は黒人の子供たちが多いので、彼らにとってオバマは希望の星なのだろう。

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自宅に戻り、テレビで速報を見る。夕方になって開票が始まると、最初だけマケインがリードしたが、次の開票で一気にオバマが逆転し、どんどん差が付いていく。事前予想通り、大差の勝利だ。ただし、得票率と得票数ではそれほど差がない。勝者総取りが結果を大きく左右する。

マケインの地元のアリゾナまでオバマがとるのではという話もあったが、さすがにそれはなかった。しかし、2004年と比べて、民主党支持に変わった州が確かに増えている。ヒラリーとの予備選で大票田に弱かったオバマだが、民主党の地盤はもれなく取っている。

夜11時半頃にマケインの敗北宣言が行われた。マケインはさばさばと国民の団結を訴えたが、支持者たちはオバマ政権に不満のようでブーイングしている。オバマに対する根強い反発はなかなか消えないだろう。

しかし、上下両院の選挙で圧倒的な勝利を収めたことがオバマにとっては最高の贈り物だ。下院は民主党優勢が伝えられていたが、上院は拮抗すると見られていた。ところが上院も民主党が完全な優位に立った。オバマが変革を進めていくための法案審議には優位に働くだろう。

注意すべきは、議会を制する民主党議員たちとどうやって渡りを付けるかという点だ。彼らはオバマの人気に便乗しながらも、オバマをコントロールしようとするだろう。オバマは2004年に連邦上院議員になったばかりで、その前は州議会の上院議員だ。逆に議会をどれだけコントロールできるか、そして中間選挙までの最初の2年間でいかに成果を挙げるかがカギだ。それができなければ、ネットで集まった支持者たちはあっという間に批判者に転じるだろう。

テキサス

先週の後半、テキサス州ヒューストンに行ってきた。正確にはそこから車で1時間半ぐらいのカレッジ・ステーションという町である。レンタカーを借りて片道4車線ほどあるフリーウェイを走り続ける。テキサスはまだまだ暖かくて気持ちがよい。気温は27度くらいあるらしいが、乾燥しているせいか、不快感はない。

途中、牧場が続く田舎道を通るのだが、道はナビに任せて(ようやくアメリカでもナビが普及してきた!)、ちらちらと横を見ていると、マケインとペイリンの名前が入った看板が目立つ。オバマ陣営の看板を出しているところは無かった。やはりブッシュ家の牙城なのだろう。

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カレッジ・ステーションには、その名の通り、テキサスA&G大学という大学がある。巨大な大学で、スポーツが盛んらしい。スタジアムやフィールドや体育館がずらっと並んでいて、車がないとキャンパス内も移動できないのではないかという感じだ。

このテキサスA&G大学のキャンパス内にパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)のライブラリーがある。すっかり私は大統領図書館のファンになっており、レーガン、クリントンに続いて三つ目である(もっと行きたいが、たぶんこれで打ち止め)。なぜこんなところに作ったのかと元大統領はよく聞かれるらしいが、展示の最初に見せられるビデオでは、「分からないと思うけど、この雰囲気が好きなんだ」と言っていた。

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アーカンソーのクリントン・ライブラリーでは、そこそこの資料は見つかったものの、大ヒットはついに出てこなかった。FOIA(情報自由法)請求はしてみたものの、まだ結果は来ない。私が調べているテーマは国家安全保障にも絡むので、ほとんどの文書が非公開になっている。

ブッシュ・ライブラリーにも事前にメールを送って問い合わせてあったが、「あまりないよ」というつれない返事だった。だから、それほど時間は必要ないだろうと短めの日程を組んでいた。

ヒューストンのホテルで朝寝坊したせいで、レンタカーを借りてカレッジ・ステーションに着いたのは昼過ぎだった。アーキビストも私のテーマを聞いて、気乗りしていないのがありありと分かる。失敗だったかなあという思いがよぎる。

結局、欲しいと思っていた大統領時代の文書はほとんど何も出てこなかった。しかし、「ブッシュ大統領は、CIA長官だったこともあるよね」とふと言ってみると、「その時代の資料なら少し公開されているわよ。見てみる?」というので、是非見たいと頼んだ。これが、私にとっては宝の山だった! その重要性に気づいたとき、手に汗がにじんでくるのが分かった。来た甲斐があった。

一日目の夜、テキサス・ビーフを食べようと、安っぽいステーキハウスに入った。大繁盛していて少し待たされたので観察してみると、店員がパリス・ヒルトンみたいな雰囲気の若い女性しかいないのが異常だった。ボストンなら体格の良い中年女性や男性もたくさん働いている。食事に来ている客を見ると白人ばかりだ。バーに座っていた黒人男性一人と私だけが、見える範囲で白人ではなかった。テキサスってこわいなあ。多様性を重んじるアメリカには思えない(ヒューストンのような大都市ではもちろん違うだろうけど)。こういう州が共和党政権を支えているのだろう。

二日目、閉館間際に展示も駆け足で見る。ブッシュ家はテキサスというイメージが強いけれども、パパ・ブッシュの父親(現大統領の祖父)はオハイオ州出身、母親はメイン州出身、自身はマサチューセッツ州で生まれている。テキサスとのつながりは、大学卒業後に石油ビジネスに身を投じてからだ。ブッシュがテキサスで政治の世界に進んだとき、今では想像も付かないが、テキサスは民主党が圧倒的に強かったらしい(共和党員は飲んだくれて選挙に行かなかったのだとブッシュは言っている)。息子のジョージ・W(現在の大統領)は父親がイェール在学中にコネチカット州で生まれているから、テキサスとブッシュ家のつながりは、新しいものだと分かる(息子も後にイェールに進学)。息子のブッシュ大統領が休暇を過ごしにテキサスの牧場に行くのも、州知事だったとはいえ、政治的なポーズなのかもしれない。

ライブラリーからヒューストンへ戻る際、金曜日の夕方の渋滞にはまってしまう。フリーウェイで車が動かなくなってしまった。ふと前の車の窓を見ると、オバマのステッカーが貼ってある。おおっと思ってよく見ると、「STOP OBAMA EXPRESS」と書いてあった。やっぱりアンチ・オバマらしい。ボストンではマケインのステッカーを貼っている人は見たことがない。やはり土地によってはっきりしているようだ。

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読んでばかり

最近、他の人の文章を読む機会が多い。学生の卒論、修論、博論はもちろん、学会やジャーナルの査読を頼まれることも増えた。コロンビア大学の博士論文の謝辞に入れてもらう光栄にも浴した。別の人がこれから出版する本の原稿にもコメントを求められている。

おそらくこういう仕事をもっとしている人がいると思う。しかし、私の研究テーマはニッチだったので、頼まれることは少なかった。それが増えてきたということは、関連する研究テーマをやっている人が増えてきているということかもしれない。そう思うと、うれしい反面、少し焦りも感じる。ほとんど人のいない荒野でこつこつ開拓していたはずなのに、気がつくと周りに人が増えているという気分だ。

他の人の文章を読むのは、時には苦痛だ。先日読んだ論文は、全28ページのうち、イントロダクションが14ページもあって、どういう構成をしているのかとあきれた。しかし、出版される前の最新の研究に触れられるというのは一種の特権でもあり、こうして研究コミュニティが発展・成熟していくのかとも思う。

しかし、自分の文章を読み直すのが一番苦痛だ。いつまでたってもうまくならない。ゲラの校正をするのが至上の喜びという人もいるらしいが、私は書き散らして忘れてしまいたいタイプなのだろう。

二日前、日本からゲラが届いた。なんと二年前に書いた原稿のゲラだ。このプロジェクトはつぶれたと思っていたのですっかり忘れていたのだが、突然のように動き出した。二年間原稿を遅れさせた執筆者がいるらしい。のんびりした人がいるものだ(あるいは、よほど忙しいのか)。幸い、ほとんどアップデートしなくても使えそうなので、最小限の手直しで返送する。

そういえば、同じく二年前に書いた原稿が、別の本に収録されるらしいが、こちらは出版助成取得に時間がかかっているらしい(同じく原稿出さない人もいるらしい)。学術出版はどうしても時間がかかる。

二つの原稿は重なる部分があって、当時の問題意識を思い起こさせる(ネタがなかったのか)。ボストンでの在外研究も2/3が終わる。この一年の成果はどうなることやら。なかなか筆が進まない。

なんでそんなに書けるんですかと聞かれることがある。もっとたくさん書いている人はいると思うのであまり自分ではそう思わないが、そうしないと気が済まないからだろう。私は自分がこの仕事が好きなのだと思っていたが、こちらの話を読んで、ひょっとすると違うのかもしれないと思い始めた。好きであるより、得意であることのほうが重要だという。私にとっては他の仕事よりこの仕事が得意なのだろう。

大学院に行きたいんですけど、という相談もよく受ける。しかし、勉強が好きなだけ、成績が良いだけでは生き残れない。勉強と研究の違いが分かっていて、研究することに苦痛を感じない人でないとものにならない。まして衰退・縮小する大学業界では生き残りは大変だ。

テレビより安い

まだ暑かったアーカンソーから戻ると、ケンブリッジは秋になっていて、紅葉が始まっていた。近所のスーパーはハロウィーンに向けてどこもカボチャがいっぱいになっている。

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慌ててまだ見に行ってなかったレキシントンの古戦場跡へ紅葉狩りを兼ねて出かける。コンコードと並んでアメリカ独立戦争が始まったところとして知られているが、今はただの原っぱだ。一番興味深かったのは近くに立っているフリー・メイソンの建物。中には入れないようだったが、秘密結社というイメージとは少し遠い。

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近くのNational Heritage Museumをのぞくと、やはりフリー・メイソン関連の展示が充実している。ジョージ・ワシントン初代大統領はじめ革命の志士たちはこの結社に参加していたが、よく分からない組織だ。そして、ボストンの中華街に行くときにいつも前を通るビルが、実はフリー・メイソンのマサチューセッツ本部(グランド・ロッジ)だと知ってもう一度驚いた。エマーソン・カレッジの横に普通に立っていて、確かに変な装飾がされているのだが、風景にとけ込んでしまっている。後日、その前を通ると確かにそこに立っていた。

10月7日、3回目の大統領候補討論会が開かれた。前回よりも静かな戦いだったという印象。タウンホールミーティング形式だが、反応してはいけない聴衆を相手にしてやりにくそうだ。どちらも、過去の記録を見ろという。あいつはこうした、こう言った、過去を見ろという。聞いている方もあまりおもしろくない。この二人は現在のアメリカが有する本当にベストな二人なんだろうか。最高峰のリーダー二人なんだろうか。マケインはやはり年齢を感じさせ。彼が倒れたらペイリンか、という思いは誰にもあるだろう。

数日して旧友がサンフランシスコから来たので、一緒にボストンのダックツアーに乗る。第二次世界大戦時の水陸両用車を使った観光ツアーで、世界中の都市で見られるようになっている。ボストンの場合は当然ながらチャールズ川へどぶんと入る。川の中からMITが見られると期待していたが、そこまでは行ってくれずに引き返してしまったので残念。

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その後、急遽、またもやワシントンDCへ。今回一番おもしろかったのはアメリカ科学者同盟(FAS)というところ。もともとは核兵器が開発されたときに科学者たちがその軍事利用に反対するために組織したようだ(オッペンハイマーの伝記を読むとその辺の事情が分かる)。ここでSteven Aftergood氏が政府の秘密に関するプロジェクトを行っていて、Secrecy Newsというニュース配信を行っている。インテリジェンス・コミュニティの研究をする人には必読だ。

10月15日、3回目の大統領候補討論会はワシントンのホテルで見る。追い込まれたマケインの笑顔がぎこちない。どうも未来を語れないマケインは相手の批判ばかり。目がパチパチしているのが動揺に見えてしまう。しかし、二人ともユーモアがなく、おもしろくない。レーガンは確かに歳をとっていたけど見栄えがするしユーモアのセンスがあった。マケインが議論に口を挟みすぎで、感情を抑えきれなくなっているように見える一方で、オバマはわざと抑制的に話している。オバマは、ヘルスケアの話で、ここぞというときにカメラ目線を使う。毎回作戦を少しずつ変えながら調整しているのがうかがえる。それにしても、マケインは「ジョー」の話にこだわりすぎで説得力を欠いた。CNNで画面の下に出していたグラフでは、見ている人は全く反応していない。いよいよ決まった感がある。副大統領候補討論会を含めて4連勝のオバマが当選しなかったら、アメリカのデモクラシーはうまく機能してないということになるだろう。

ワシントンでは合間に知り合いと食事をしたのが楽しかった。KストリートのSichuan PavilionでYさんとIさんと麻婆豆腐をつつき、OさんとThai Kingdomでグリーン・カレーを楽しむ。もうしばらくワシントンには来られない。

ボストンに戻ってきて空港に降り立つとかなり寒い。すでに最高気温が摂氏8度、最低気温が摂氏2度という日もある。日本の感覚ではすっかり冬だ。先週末はチャールズ川でレガッタをやっていた。きれいに晴れた日で、競争するボートを眺めているのは楽しかった。ボストンの冬空は意外にも見事な快晴続きで、本家のイングランドとは異なるらしい。

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MITのキャンパスを歩きながら、ふと、そうか、オバマは無限の帯域を活用したのかと気づいた。かつての大統領選挙といえばテレビが勝敗を決めた。両陣営ともいまだにネガティブなコマーシャルを流しまくっている。しかしテレビ電波の帯域はものすごく高い。資金力が重要だった。ブロードバンドではオバマ陣営が払うお金は接続料だけだ。あれだけのブログのエントリーを垂れ流しているのだからけっこうな回線接続料だと思うが、テレビよりは安い。前回までの選挙では十分なネット利用者がいなかったが、今回はアメリカでもブロードバンドが普及している(日本から見れば数メガはミドルバンドぐらいだけど)。マケインはそれに全然乗りきれなかった。今回の選挙でテレビが死んだんだ。

しかし、こうやって書いてみると実に当たり前の話だ。それに今頃納得しているなんて疲れている証拠だ。とにかく眠い。

エサが良ければどんな魚でも食いつく

ワシントンから戻って数日で、またアーカンソー州のリトルロックへ。前回カバーできなかった分の資料を探す。旅に出るといろいろな刺激を受けるし、考える時間が取れるのが良い。空港での待ち時間や機内での時間は無駄と言えば無駄だが、なかなか手が付けられない仕事や本に手を出すにはとても良い機会だ。それしか時間をつぶす方法がないようにしておくと、意外に効率的に進む。

今回はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』(上下)を持参。往路で上巻を読み終える。『銃・病原菌・鉄』のほうがおもしろかったが、この本もおもしろい。グローバリゼーションの負の側面は無視できないとしても、交易がなかったとしたらわれわれの生活はもっと貧しく、悲惨なものであっただろう。そして、環境変化というのも実にくせものだ。石油以前から人類は環境破壊を繰り返し、文明を崩壊させて来ている。ついでに、モンタナに是非とも行きたくなった。モンタナで何か仕事はないものか。

クリントン・ライブラリーで何とか欲しい資料のコピーをとり終えた。前回もそうだったけど、他に誰も閲覧者がいないので、アーキビストとマンツーマンになってしまう。閲覧室は教室のようになっていて、教壇に当たる位置にアーキビストが座り、学生の位置に閲覧者が座る。閲覧者が変なことをしないようにアーキビストが見張っているわけだ。資料を抜き取るなんてことを考える人はいないと思うが、持ち込んだ後に持ち出す白い紙はすべて点検され、スタンプが押される。コピーはとれるが、すべて青い紙にコピーされるので、オリジナルと区別される。

クリントン・ライブラリー

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閲覧室

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ライブラリーの近くにリバー・マーケットという場所がある。こぢんまりとした飲食店街なのだが、一応「マーケット」なので、夕方には閉まってしまう。この裏手には、リトルロックの地名発祥となった小さな岩があるはずなのだが、前回は見つからなかった。今回はと思って駐車場の管理人に聞いてようやく分かった(気がする)。たぶん、この落書きされている寂しげな石のことらしい。しかし、本当かな……。

写真手前にある小さな角張った石がリトルロック?

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木曜日、早めの夕食を取り、ホテルで午後8時(中部時間)から副大統領候補討論会を見る。二人のカメラ目線が気になった。前回はオバマが最初のステートメントでカメラ目線を使い、その後は司会者に向けて話をすることが多かった。マケインはほとんどカメラ目線を使わなかったように思う。今回は、ペイリン(どちらかというと「ペイラン」と私には聞こえる)がほぼずっとカメラ目線だったのに対し、バイデンは最初はカメラ目線を使わなかった。どうしたのかなと思っていたら、バイデンはここぞと言うときにカメラ目線を使って訴えていた。意識的に使い分けていたのだろうか。

バイデンは顔が怖いけれども、人が良いみたいで、ペイリンが言うことに頷いたり、笑ったりしてしまって、どうなのかなあと思ったが、CNNの画面の下に出ていた印象度のプラス=マイナスのグラフでは、ペイリンよりプラスに触れる幅が大きかったように思う。バイデンは得意の外交になってからは特に説得力が上がった。それに対してペイリンはやはり外交ではあまり説得力がない。国際経験が不足しているのか。答えに詰まっているように見えることも何度かあった。司会者に問い詰められた同性愛結婚でも、(マケインが認めているため)ペイリンが同意してしまったのはどうなのだろうか。彼女は強硬な保守派を引き込むためのカードだったのだから、少し含みを持たせた方が良かったのではないかと思う。

ペイリンも「変化はやってくる」と、マケインと同じ言い回しをしているが、「変化」が争点だということを認めてしまったのも疑問だ。相手に引きずられてしまっている。すかさずバイデンは、「根本的な違い」、「根本的な変化」という言葉を使って差を付けようとする。ペイリンも「ミドルクラスのために戦う」というけれども、あれだけバイデンに金持ち優遇だと非難された後だと説得力が弱い。

今回食べておいしかったのはステーキとナマズ。ステーキはクリントン大統領が通ったというDOE’Sという店。ライブラリーからは一本道だが歩くと遠くて疲れた。店内には大統領はじめいろいろな人の写真が飾ってある。写真はランチメニューのTボーンステーキ。ボリュームがすごい。肉は最初からカットされて出てくる。これにサラダが付く。焼き加減はミディアムにしたので表面は焦げているが中はちょうど良い。肉が大きいのでレアやミディアムレアでは中がほとんど生肉に近くなる。アメリカでステーキを食べるときはミディアムがちょうど良いと思うようになった。

DOE’SのTボーンステーキ

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これも割とよく知られているFlying Fishという店のナマズのフライ。あっさりしていておいしい。この店の店内はお客さんが持ち込んだ釣りの写真でいっぱい。ウェイターはいなくて、ファーストフード感覚で好きな席に座って食べられるのも良い。

ナマズとエビのフライのコンボ・セット

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店の入り口には、「エサが良ければどんな魚でも食いつく」と書いてある。なるほどねえ。意味深だ。

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帰りは朝4時に起きて6時の飛行機に乗る。US Airwaysは機内の飲み物が有料になった。カンのソフトドリンクが2ドル、コーヒーが1ドル、アルコールが7ドル。乗る前に買った方が安い。機内で『文明崩壊』の下巻を読む。意外にも徳川時代の育林政策が成功例として紹介してあった。日本は国土の75%が森で覆われており、先進国の中では最も高い。しかし、それは原生林ではなく、一度枯渇しかかった森林資源を徳川幕府のトップダウン政策で回復したものだという。徳川時代を見直す機運が最近高まっているが、こんなところでも紹介されているとは。ただし、現在の日本はアジアやオーストラリアから木材を輸入していて、国内の高い森林資源を持て余している。何かおかしい。

その後の章で中国の話も出てくるのだが、中国は徳川時代の政策をもっと研究すると良いのではないかと思う。今の日本やアメリカを見ても中国の参考にはあまりならない。日本のお上意識は徳川時代に端を発している。その前は下克上の戦国時代もあった。中国が求める秩序ある社会のモデルは徳川時代ではないだろうか。これを研究したいという留学生がいたら大歓迎だ(最近、留学したいという外国人からのコンタクトが多いのはなぜなんだろう。このエサに食いつく留学生はいるかな)。

TPRC

先週末、TPRC(通信政策研究会議)に参加するため、ワシントンDCへ行ってきた。SFCに移ってからTPRCの時期は必ず授業初回と重なるため、参加するのは2003年以来ではないかと思う。ずいぶん久しぶりになってしまった。主催者の一人に日程を変えてくれないかと頼んだことがあるが、ユダヤ人の休みの関係で日程が決まるので仕方ないとのことだった。来年からまた当分出られないだろう(ちなみに日本ではICPCというのがある)。

会場では昔なじみがけっこういて懐かしい。2月に経団連のシンポジウムに呼んだChris MarsdenやThomas Hazlettも来ている。日本からの参加者も今年は多いような気がする。大阪学院大の鬼木先生がパネル発表された他、国立情報学研究所の上田さんたちがポスター発表。GLOCOMの渡辺さんと庄司さんが来ていた他、常連の中大の直江先生もいらっしゃる。

次期政権への通信政策の提言をするというセッションに期待していたのだが、地味でつまらない。これまで議論されてきた枠組みを乗り越えずに何となく継続を促すような議論が多い。その次のNGNのセッションも、相変わらずNGN(あるいはNGA)が何かということが定まらないまま議論が進んでいる。ものすごい時代遅れの話をしている人もいる。コムキャストがやる気満々なのが印象的だったが、それでも次世代と言えるほどではない。1ギガのアクセス網なんて夢の世界という感じだ。日本から誰か分かっている人が話すべきだっただろう。最後にChris Marsdenが日本のことをちょろっと触れただけで終わった。

金曜日は、大統領選挙討論会が夜の9時からあったので夜は早めにホテルに戻る。オバマは支持者に囲まれて演説するときとは顔つきが違った。何となく焦りというか、いらつきのようなものも感じた。しかし、私はひどい寝不足のせいで後半は集中できなかった。残念。翌朝、セットもしてない目覚まし時計に起こされた。くやしい。

土曜日の朝のセッションで九州大学の実積寿也先生が日本のネットワーク中立性議論も含めて非対称規制について発表された。ブロードバンド普及が遅れている米国から見ると日本はどうしても特殊事例に見えてしまうが、それでも日本の現状を説明してくださったことは重要だ。

TPRCは完成された議論というよりも、荒削りの議論が出てくるところがおもしろい。首をかしげたくなるようなものから、なるほどと思うものまで幅がある。少し変わったなと思うのは、政策の直接的なネタになるようなものよりも、アカデミックな論考が増えてきた点。毎年ぶれがあるのかもしれない。

土曜日の昼休み、気分転換にクラレンドンまで歩くと、お祭りをやっていた。屋台がたくさん出ている。ジップカーが置いてあったり、オバマとマケインのブースもあったり、なかなか楽しい。子供たちのためのアトラクションには長い行列ができている。クラレンドンは7年前には何もなかったのに、今は世界各国のレストランと商店とマンションが並ぶ賑やかなところになって、街おこしに成功したんだなあと思う。

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オバマ陣営の様子

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マケイン陣営の様子

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1時間半のフライトでワシントンDCまで来られるのは良いなあ。東京にも1時間半で帰れたら良いのに……、と思っていたら、またもやナショナル空港で足止めを食らった。ゲートを離れてから機内で1時間半。疲れたけど、離陸までパソコン使って良いというので仕事が進んだ。

滑走路の向こうにかすかに見えるワシントン記念塔

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リンゴのマッキントッシュ

私はアップルのマッキントッシュを使っている。マックはウインドウズよりもproprietaryなシステムだし、軽さ優先でウインドウズのノートパソコンも使っているが、マックだけで済むならそれに越したことはない。

「マッキントッシュ」というのはかねてから変な名前だなと思っていたのだが、単にリンゴの品種なのだということが、スーパーでリンゴを見つけて分かった。ちゃんとウィキペディアにも書いてあった

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軽いマックが欲しいなら、MacBook Airを買えば良いという話だが、アップルの場合、だいたい新しいコンセプトの製品にはトラブルが多い。しかし、MacBook Airの改訂版が来月出るというが流れている。いよいよ検討すべきか。現在使っているパワーブックのハードディスクは残り1ギガとなり、危険水域に入っている。

このエントリーをウインドウズ・パソコンで書いていたところ、2回クラッシュした。すねているらしい。

イラク復興計画

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研究所の定例ランチ・セミナーがあり、テーマはイラク復興だった。発表者はChristopher Kirchhoff(Lead Writer, SIGIR [Special Inspector General for Iraq Reconstruction])で、いつもより聴衆が多い。

軍と民間のそれぞれで多大な努力が払われているが、しかし、(1)行政権限が欠如している、(2)どんな復興が行われているかについてほとんどコンセンサスがない、(3)ネイション・ビルディンを実行する能力の制度化よりも、その理論の構築が重要である、というのが彼の結論。

発表中、Iraq Reconstruction 1.0から4.0までの発展を示した後、ひそかにブッシュ政権が計画の後退を始めていると示唆していた。やはりうまくいってないのかなあ。2003年5月(?)の大規模戦闘終結宣言で手を引くことができれば良かったのだろうが、やはり誤算だったのだろう。

しかし、ブッシュ大統領としては、華々しい成果が上がらない以上、退任までやり続けるしかない。退任後に新政権が何をしようとも、自分のせいではなく、新政権の対応が悪いと言えばすむ。経済がメチャクチャになりつつある中、争点としてのイラク戦争は相対的に小さくなりつつあるが、避けては通れない。いよいよ今週の金曜日、最初の候補者討論会が行われる。

変わるアメリカ、変わらぬアメリカ

私も参加していた研究会の成果発表シンポジウムが行われます。関西方面の方は是非ご参加ください(またしても私は参加できませんが)。登壇者はまちがいなくおもしろい人ばかりです。


サントリー文化財団「社会と思想に関する特別研究助成」成果発表

シンポジウム「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ ―世界とアメリカ」

The symposium “Continuity and Change in America”

10月20日(月) 午後1時30分〜5時30分

大阪大学中之島センター「佐治敬三メモリアルホール」

拝 啓

 仲秋の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

 さて、「文明論としてのアメリカ研究会」では、2006年から2008年にかけて、これまでのアメリカン・スタディーズの枠を超えて、歴史、文化、宗教、憲法、政治、経済、安全保障など各方面から、改めてアメリカという文明について考え、議論し、思索してまいりました。

 この度、本研究会の成果発表として、「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ」をテーマに、大阪と東京でシンポジウムを開催する運びとなりました。日本にとってアメリカとは何か。世界にとってアメリカとは何か。そして、将来100年のスパンで見た場合、我々にとってアメリカはどういう意味を持つのか。本シンポジウムで、今後の日米関係の発展に資する、思想的・学問的・実務的な知的インフラを構築したいと考えております。

 つきましては、ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、世界の中でのアメリカを、普遍的な視点で考える大阪でのシンポジウムに、何卒ご出席を賜りますようお願い申し上げます。

敬 具

2008年9月

文明論としてのアメリカ研究会

代表 阿川尚之

財団法人サントリー文化財団

理事長 佐治信忠

主催:文明論としてのアメリカ研究会

共催:国立大学法人大阪大学(21世紀懐徳堂)

慶應義塾大学(慶應義塾創立150年記念)

財団法人サントリー文化財団 

後援:読売新聞社、中央公論新社

協賛:サントリー株式会社


シンポジウム「変わるアメリカ、変わらぬアメリカ ー世界とアメリカ」

The symposium “Continuity and Change in America”

*日時:2008年10月20日(月) 午後1時30分〜5時30分

*場所:大阪大学中之島センター10階「佐治敬三メモリアルホール」

大阪市北区中之島4-3-53(TEL 06-6444-2100)

*趣旨説明:午後1時35分〜

文明論としてのアメリカ研究会代表 阿川尚之(慶應義塾大学教授)

*基調講演:午後2時〜

白石 隆氏(政策研究大学院大学副学長)

「アジアの中のアメリカ」

谷内正太郎氏(外務省顧問、前外務事務次官)

「日本の外交戦略から見たアメリカ」

*パネルディスカッション:午後3時50分〜

池内 恵氏(国際日本文化研究センター准教授)

ロバート・D・エルドリッヂ氏(大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授)

細谷雄一氏(慶應義塾大学法学部准教授)

松田 誠氏(外務省大臣官房人事課企画官)

コーディネーター:待鳥聡史氏(京都大学大学院法学研究科教授)

*参加方法

お手数ですが、参加申込書(MS-Wordファイル)にご記入のうえ、10月14日(火)までに、FAXにてご返送ください。参加費は無料です。

*ご同伴者の参加について

ご同伴者の参加も歓迎いたします。

特に、アメリカ及び日米関係をご研究の方、あるいはこれらにご関心をお持ちの方に多数ご参加いただきたく、お知り合いの皆様に広くご紹介いただければ幸いです。

*お問合せ

 〒530-8204 大阪市北区堂島2-1-5 財団法人サントリー文化財団 / 担当:小島

 TEL :06-6342-6221 / FAX:06-6342-6220 / E-MAIL:sfnd@suntory-foundation.or.jp

プロフィール

阿川尚之(慶應義塾大学総合政策学部教授、文明論としてのアメリカ研究会代表)

1951年生まれ。ソニー株式会社勤務、米国及び日本での弁護士事務所勤務などを経て、99年より現職。専門は米国憲法史、日米関係史。2002年から2005年まで在米日本大使館の広報文化担当公使を務めた。『海の友情』、『憲法で読むアメリカ史』(吉野作造賞受賞)など著書多数。

白石 隆(政策研究大学院大学副学長、アジア経済研究所所長)

1950年生まれ。コーネル大学アジア研究学科・歴史学科教授、京都大学東南アジア研究センター教授などを経て、現職。専門は、インドネシア政治を中心とした東南アジア地域研究。『インドネシア』(サントリー学芸賞受賞)、『海の帝国 -アジアをどう考えるか』(吉野作造賞)など著書多数。

谷内正太郎(外務省顧問、早稲田大学客員教授、前外務事務次官)

1944年生まれ。在アメリカ日本大使館参事官、在ロス・アンジェルス日本領事館総領事、外務省条約局長、内閣官房副長官補などを経て2005年外務事務次官、2008年退官。事務次官として3年の任期を務め、「凛とした志の高い外交」を目指し、価値観外交、対北朝鮮政策における「対話と圧力」の基本方針などを策定し実行。

池内 恵(国際日本文化研究センター准教授)

1973年生まれ。日本貿易振興会アジア経済研究所研究員を経て、現職。専門は、社会思想を中心としたアラブ研究。著書に、『現代アラブの社会思想』(大佛次郎論壇賞)、『アラブ政治の今を読む』などがある。

ロバート・D・エルドリッヂ(大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授)

1968年生まれ。平和・安全保障研究所研究員などを経て、現職。専門は日本政治外交史、日米関係論。著書に『沖縄問題の起源』(アジア・太平洋賞、サントリー学芸賞)、『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』などがある。

細谷雄一(慶應義塾大学法学部准教授)

1971年生まれ。現在、在外研究のため、プリンストン大学客員研究員。専門は国際政治学・外交史。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『外交による平和』、『大英帝国の外交官』などがある。

松田 誠(外務省大臣官房人事課企画官)

1965年生まれ。京都大学原子核工学科卒業、同大学経済学部経済学科卒業後、外務省入省。1993年オックスフォード大学卒業(哲学及び政治学専攻)。在米日本大使館勤務などを経て現職。

待鳥聡史(京都大学大学院法学研究科教授)

1971年生まれ。大阪大学大学院法学研究科助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て、現職。専門は、比較政治・アメリカ政治。著書に『財政再建と民主主義』(アメリカ学会清水博賞)、『日本の地方政治』(共著)、『比較政治制度論』(共著)がある。

ローガン空港

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早朝の便で帰国する同僚のKさんと朝食をとるためローガン空港へ。刻一刻と冬が近づいてきていて朝はずいぶん涼しい。駐車場の屋上から夜明け間近のきれいな景色を見ることができた。

今日は9月11日じゃないか。それもモハメド・アタが乗り込んだボストン・ローガン空港とは。いろいろなことを思い出す。ちょうど先日、テレビで放映した映画『United 93』も観たばかりだった。しかし、空港はそれほど警戒が厳しくない。もう日常化してきているのだろうか。