黒崎輝「日本の宇宙開発と米国—日米宇宙協力協定(1969年)締結に至る政治・外交過程を中心に—」『国際政治』第133号、2003年、141〜156ページ。
外交史的な観点から日本の宇宙開発の初期の様子を論じている。
米国がインテルサットによる世界的通信衛星体制に日本を取り込もうとしていたという指摘にへええと思う。まあ、確かに今でもそういって良い状態かもしれないが、光海底ケーブルに通信容量で負けるようになってからは、通信衛星の重要性は相対的に下がったかもしれない。
土屋大洋のブログ
黒崎輝「日本の宇宙開発と米国—日米宇宙協力協定(1969年)締結に至る政治・外交過程を中心に—」『国際政治』第133号、2003年、141〜156ページ。
外交史的な観点から日本の宇宙開発の初期の様子を論じている。
米国がインテルサットによる世界的通信衛星体制に日本を取り込もうとしていたという指摘にへええと思う。まあ、確かに今でもそういって良い状態かもしれないが、光海底ケーブルに通信容量で負けるようになってからは、通信衛星の重要性は相対的に下がったかもしれない。
松島泰勝「沖縄—海洋文明学の視点から—」東海大学文明研究所編『文明』第5号、2004年、3〜13ページ。
著者の故郷沖縄への熱い思いが語られている。
松島泰勝「ミクロネシアとアジア」『外務省調査月報』1999年度第1号、1999年、75〜104ページ。
「”帝国”の島 グアムと沖縄」と比べるとずいぶん落ち着いた筆致だが、問題意識は同じようだ(こちらのほうが古い論文)。執筆当時は在パラオ日本国大使館専門調査員。
政治力学的には米国に引き寄せられており、経済力学的にはアジアに引き寄せられているミクロネシアについて分析。
なお、松島先生はミクロネシアを中心とする北太平洋、小柏先生はメラネシア、ポリネシアをカバーする南太平洋をフィールドにしているという感じがする。松島先生は地域協力や国際組織には興味がなさそうだが、小柏先生はSPFやPIFに多大な関心を持っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pacific_Culture_Areas.jpg
松島泰勝「”帝国”の島 グアムと沖縄」『週刊金曜日』第354号、2001年3月9日、52〜55ページ。
媒体のせいか、学術論文ではなく、日米両政府と国民を糾弾する文章といった印象を受ける。『ミクロネシア』(早稲田大学出版部)の落ち着いた筆致とは違う。
沖縄出身の著者はグアムと沖縄が事実上の植民地であると訴える。どちらも両国の憲法で保障された理念が制限されている。それはマハンに始まる地政学の考え方により、島嶼を海洋戦略の中に位置づけているからだという。
松島泰勝「太平洋覇権を狙う中国」『Voice』2001年9月号、158〜165ページ。
中国が太平洋に出て行く元気を持っているのは当然のことだと思うけど、ここに描かれていることが本当だとすると、複雑な気持ちになる。
日本が太平洋島嶼フォーラム(PIF)や太平洋共同体(PC)の正式メンバーになれという著者の提言はおもしろい。
古橋好夫「太平洋島嶼国間のテレコミュニケーション」『太平洋学会誌』第24号、1984年、109〜122ページ。
まだパラオ独立の10年前の講演録。ここで期待されているのは、予想以上に寿命が延びたATS-1という通信衛星の活用。海底ケーブルについてはほとんど言及がなく、人工衛星の時代まっただ中だったことがうかがえる。
ATS-1についてはこちらも参照。
http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/007/007.htm
小柏葉子「太平洋島嶼諸国の紛争と地域協力—グッド・ガバナンス構築に向けての試み—」『広島平和科学』第30号、2008年、49〜70ページ。
手元にある最後の小柏論文。
「グッド・ガバナンス」をキーワードに、太平洋島嶼フォーラム(PIF)がどう変わってきたかを分析。外来の「グッド・ガバナンス」を上からと下から普及させようという試みがあった。
「グッド・ガバナンス」は1989年に世界銀行が初めて唱えたが、PIFの中では、説明責任(accountability)、透明性(transparency)、政策決定過程へのすべての層の参加の三つの要素からなる。
「紛争の多発するメラネシアでは、世界の言語の約4分の1にあたる約1200の言語が話されていると言われている」(52ページ)というのは驚きだ。
アジア太平洋島嶼地域のデジタル・デバイドというのが私の関心事で、一連の小柏論文はその点については全く触れていないが、この地域の背景を知る上では有用だった。
小柏葉子「太平洋島嶼フォーラムの対ASEAN外交」『広島平和科学』第27号、2005年、1〜22ページ。
さらに続く小柏論文。
太平洋島嶼フォーラム(PIF)が経済関係を求めてASEANにアプローチするも、「人種的・文化的」違いからASEANに拒否されてしまう。しかし、2000年頃から政治・安全保障的な文脈からの関係再構築が行われる。パプアニューギニアと「人種的・文化的」に同じ「パプア特別州」がインドネシアにあり、独立運動が盛んなこともPIFとASEANの関係を難しくしている。
いや、本当に太平洋島嶼国もいろいろあるもんだなと妙に感心。
小柏葉子「太平洋島嶼フォーラムの変化と連続性—オセアニアにおける多国間主義の現段階—」『国際政治』第133号、2003年、93〜107ページ。
さらに小柏論文。
前半はこれまでの論文の集大成のような感じ。
後半になって、南太平洋フォーラム(SPF)が太平洋島嶼フォーラム(PIF)へ移行する過程で、地域機構としてのまとまりを強めていく様子を描いている。それには、フィジーとソロモン諸島におけるクーデターが大きく影響しており、PIFはそれまで消極的だった地域内の問題への介入を決意していく。
それにしても、フィジーというのは政治的にはけっこう不安定なんだなあ。南の島というと平和なイメージがあるが、しっかり見ていくと、それぞれ血なまぐさい歴史を持っている。
小柏葉子「南太平洋地域の核問題と日本」広島大学平和科学研究センター編『ポスト冷戦時代の核問題と日本』IPSHU研究報告シリーズ第27号、2001年、21〜38ページ。
引き続き、小柏論文。
南太平洋島嶼フォーラムは1971年に結成されたが、その後、1980年代に活動を活発化させたのは、日本による放射性廃棄物の海洋投棄計画、その後の海上輸送がもたらした問題だったことを指摘している。前者はすったもんだの挙げ句、中曽根政権によって事実上中止される。
原発問題が厳しい今から見ると、日本の原子力政策は総合的な視野を欠いていたのではないかと思ってしまう。
江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」『科学』第34巻12号、1964年、658〜659ページ。
47年前の論文。ただし、論文と呼べるほどの長さはなく、見開き2ページのB4サイズ。著者は日本国際電信電話株式会社の人。
1906年に太平洋の海底ケーブルは開通しているが、電信線1本だった。1956年に大西洋で同軸海底ケーブルが開通し、太平洋には1964年に敷設された。そこで使われた技術について解説している。細かい技術的な点はよく分からないが、大きなイノベーションだったことは分かる。
駒村圭吾「国家なき立憲主義は可能か」『ジュリスト』第1422号、2011年5月1日〜15日、21〜28ページ。
慶應法学部の駒村先生。かつてSFCでも授業をしてくださっていたことがあって面識があるが、こんなことをお考えだったのかとちょっと驚く。ホッブズからサンデルまでいろいろな論者を引用しながら、国家の境界について議論されている。
構成的共同体の形成を批判的に査定しうる理論を用意することが必要である。ひとつの可能性は情報論であろう。互酬性の関係を担保するのは情報の相互交換のスケールである。だとすれば、愛着や安心を確保するために適切な情報を相互に提供できる範囲に構成的共同体は限定されるはずであり、それを超えて構想される構成的共同体は「想像の共同体」に等しく、抽象化された友敵関係の輪に転化する危険性をはらむことになる(28ページ)。
ソーシャル・メディアが実証的にそれをやっているともいえる。
友敵関係の境界線を相対化するには、国家の境界そのものの消去ではなく、それを前提とした上で多様な境界線を張り巡らすことによってなされるべきであろう。かかる重層的なネットワークが、共同体の実存的な要求を回収し、それに居場所を提供することになる(28ページ)。
ある共同研究のプロポーザルの参考にしようと思って読んだが、予想以上に刺激を受けた。
駒村圭吾「国家と文化」『ジュリスト』第1405号、2010年8月1日〜15日、134〜146ページ。
先の「国家なき立憲主義は可能か」を探したときについでにコピーしてきた論文。論文ではあるのだが、どうやら座談会の席の基調報告で、この後に長い座談会の記録が付いている(147〜169ページ)。
国家は文化に介入すべきではないという何となくのルールがあるような気がする。しかし、駒村先生は、「文化を掌握すれば意味の秩序を支配できたのである。国家は文化を支配することにより意味の秩序を支配しようとした。同時に、国家は、革命による政府転覆と同様に、急進や退廃による意味秩序の崩壊を常に恐れてきたのである」とある。なるほど。この視点はおもしろい。
戦後直後の日本に「文化国家」ブームというのがあったのもおもしろい。
座談会の最後に近いところに、こんな話が出ている。
私たちの業界で言えば、研究者・研究会を含む学界、査読システム、出版編集者……、ジュリストに寄稿するのに辿り着くまでは結構大変なわけです。下積みや修業の時代があって、同期・同僚の目を気にしながら、指導教授からいろいろなことを言われたり、出版社の人と飲み会をして執筆内容を揉んだり、あるいは長谷部[恭男]さんに鍛えられたりと、そういったことがあったと思うのです。(168ページ)
たしかに、こういう「業界秩序」は崩れつつあるなあ。
小柏葉子「太平洋統一機構構想と南太平洋フォーラムの地域協力」『アジア経済』第34巻1号、1993年1月、23〜35ページ。
引き続き、小柏論文。
アフリカ統一機構(OAU)にならってアジア太平洋統一機構(OPU)を作ろうというパプアニューギニアの構想がなぜ挫折したのかについて分析。パプアニューギニアとフィジーとの間の主導権争いや、アンザス条約との関係がおもしろい。あまり知られていないと思うが、アジア太平洋島嶼地域にも統一機構をめぐる政治的な駆け引きがあったことが分かった。
アンザス(ANZUS)条約(Australia、New Zealand、USの頭文字をとったもの)は米国の核戦力を基盤としていた。結局のところ、冷戦時代のこの地域は、米国の核なくして語れないということか。
小柏葉子「形成期SPFの性格と機能」『広島平和科学』第15号、1992年、53〜73ページ。
南太平洋フォーラム(SPF)初期の様子を考察している。
パラオが独立したのは1994年で、この論文が書かれたのは1992年。パラオはまだSPFに参加していないので、やはり記述がない。
SPF成立には、フランスの南太平洋での核実験や漁業問題があることが分かった。
小柏葉子「南太平洋フォーラム諸国の地域協力—南太平洋非核地帯条約成立をめぐって—」『国際法外交雑誌』第89巻5号、1990年、473〜499ページ。
パラオについて原稿を書かなくてはいけない一環で、南太平洋関連の論文を集めたうちの一本。著者は広島大学の先生(この論文を書いたときは津田塾大学助手)。
アメリカが核を太平洋島嶼国に持ち込むことがさまざまなところで問題になっていたことが分かった。オーストラリアとニュージーランドがそれに対してぶれた対応をしたことが島嶼国を困らせた。
しかし、パラオについてはひと言も書かれていなかった。残念。
フィジーの二大エスニック・グループがフィジー人とインド人というのは驚いた。