土屋大洋「通信拠点として見るハワイの戦略的重要性」『公明』2015年11月号、52〜57頁。
書き切れなかった感はありますが、なぜハワイに行ったのか、言い訳的に書いた原稿です。インチキな点はプロフィールの写真で、15年ぐらい前のものです。ゲラの確認が出張と学期はじめと重なってしまい、写真を差し替える時間がありませんでした。まあ、許してもらいましょう。念のためですが、媒体は支持政党を示唆するためのものではありません。
土屋大洋「通信拠点として見るハワイの戦略的重要性」『公明』2015年11月号、52〜57頁。
書き切れなかった感はありますが、なぜハワイに行ったのか、言い訳的に書いた原稿です。インチキな点はプロフィールの写真で、15年ぐらい前のものです。ゲラの確認が出張と学期はじめと重なってしまい、写真を差し替える時間がありませんでした。まあ、許してもらいましょう。念のためですが、媒体は支持政党を示唆するためのものではありません。
土屋大洋「意外だが、よく分かる米中のサイバー合意」『Newsweek日本版』2015年9月28日。
先月末に公開になったコラムです。
午前8時55分、羽田発の便でソウルへ。11時20分に金浦空港着。すぐに地下鉄に乗って高麗大学を目指す。本当はAREX(空港鉄道)に乗りたかったのだが、案内された電車が間違っていて普通の地下鉄に乗ってしまうが、引き返すのも時間がかかるのでそのまま向かう。高麗大学の駅で朴魯馨教授が出迎えてくれる。
朴教授と昼ご飯を食べながら打ち合わせ、その後、高麗大学のサイバー・ロー・センターで講演。急な話だったので誰も来ないんじゃないかと言っていたが、15人ほど集まってくれたので、日本のサイバーセキュリティ政策について話す。変化球の質問が多くておもしろかった。
場所を移動して、マイクロソフト・コリアの会議室で共同研究プロジェクトの打ち合わせ。このオフィスからは景福宮の前庭がよく見え、さらに奥には青瓦台(大統領府)も見える(下の写真の右奥、山の麓)。
来年ソウルで開く会議は、その場にいた誰もが専門としていないテーマを中心に開催することに決定。それぞれ知恵を出し合う中で、いろいろ新しいことを学んだ。
近くのホテルのレストランで会食。韓国料理ではなくイタリア料理。一品だけ、ソースが韓国風でとても辛かったが、あとはおいしい。テラス席だったので、秋の風を受けながら、イタリアのビールをいただく。これで月が見えれば最高だったが、角度が悪くて見えなかった。
マイクロソフト・ジャパンからいらしたKさんがとてもおもしろくて、CEO(Chief Entertainment Officer)の称号を受けていた。
翌朝、5時前に起床。地下鉄で金浦空港に向かい、途中AREXに乗り換える。金浦空港7時45分発の飛行機で帰国。滞在20時間ほど。
9月16日〜19日はアメリカのワシントンDC。17日は朝食から夕食までいろいろな人たちに会って話をうかがった。朝食の席では知人の年齢を聞いてのけぞり、昼食の席で聞いたブリーフィングにため息をつき、夕食の席では600本のワインを持っているというアメリカの外交官に目を丸くする。合間の午前と午後のヒアリングでもそれぞれサイバーセキュリティについて意見交換。
18日は、日米のサイバーセキュリティ協力について講演を2回。大使館の皆さんの手厚いサポートで充実した時間を過ごせた。
夜は大学時代の同級生たちがチケットをとってくれたので、メジャーリーグのワシントン・ナショナルズの試合へ。しかし、ここで失態。すっかりRFKスタジアムだと思い込んでスタジアムに着くものの、ここでやっていたのはサッカーのDC Unitedの試合。慌ててNavy YardのNats Stadiumへ。45分遅れで到着。相手チームはフロリダ・マーリンズ。つまり、イチローのチームである。
イチローは内野安打で出塁。周りはナショナルズのファンばかりだが、我々はイチローにだけは拍手。
メジャーリーグの試合は、ボストンでレッドソックス岡島を見て以来ではないか。そうだとすると7年ぶりだ。その間に何度もアメリカには来ているはずだけど、観る時間がなかった。結局、友人たちと話していてあまり試合は観ていなかったけど、球場の雰囲気を味わえたのはとても良い気分転換だった。
日本危機管理学会の皆さんに誘われ、中国四川省の成都へ。2008年に四川大地震があったため、四川大学には香港理工大学と共同で災後重建与管理学院という大学院が設置されており、そこで2015年9月8日と9日、第8回日中危機管理交流会が開かれた。「重建」は日本語で言う「再建」のことらしい。
実は、この災後重建与管理学院がどこにあるのか、日本側一行は把握していなかった。四川大学にはいくつかキャンパスがあり、到着日の空港出迎えでは、ホテルから10分と言われていた。ところが、翌日の朝になってタクシーに乗ったところ、大雨のために大渋滞。しかし、それにしてもなかなか着かない。至る所で交通事故が起きている。どの車も我先にと頭を突っ込んでくるので、進まないし、事故も起きる。
タクシーの中でいったいどうなっているのかとネット地図で場所を確認すると、どうやら郊外の空港に近い江安校区(キャンパス)らしい。いっこうにタクシーも進まないし、そもそも30分の移動時間しか確保していなかったので、完全に遅刻してしまう。9時開始予定のところ、着いた時には10時を過ぎていた。
香港の財界からの支援で建てられた建物はかなり立派で、後で見学させてもらうと、さまざまな演習・実習ができる部屋が充実していた。日本は震災の後、こういう研究・教育施設はどれぐらいできているのだろう。
1.5日にわたって行われた研究発表のうち、比較的多かったのが中国の社会秩序維持に関するもの。特に、大勢の人が一カ所に集まる場合にどうやって秩序を維持するかという研究を中国側が熱心にやっているのに驚いた。デモが暴徒化することを恐れているのだろうか。
腐敗防止キャンペーンの時節柄、昼ご飯はなんと弁当。中国で弁当を食べるのは初めての経験だ。分量が多くて食べきれないが、味は悪くない。
6月の北京での経験があったので、夜の宴会もないのかと思ったら、さすがにあった。グラグラと煮立つ四角い鍋を使ったしゃぶしゃぶ、いわゆる四川名物の火鍋だ。ビールは雪花というちょっと薄めの味のもの。おいしくて良かったが、着ていたスーツに強烈なにおいがしみこんだのはいただけない。
2日目のセッションを昼で終えて、また弁当を食べた後、雨の中を観光(後で知ったが、この頃、日本では大雨で大変なことになっていた)。
夜は、卒業生と再会。レストランがイトーヨーカドーの近くだった。少し早めに着いたので、イトーヨーカドーの中を見学。売られている肉の切り方が中国風。上海蟹もずらりと並んでいる。いけすに入っている魚もずいぶん違う。多宝魚や烏魚と書いてある。小さめのナマズも大量に泳いでいる。巻き寿司もきれいに並んでいる。なんだか日本企業が中国の皆さんの生活に貢献しているかと思うとうれしい。
成都の後は北京へ。北京に到着したときはやはり大雨だったが、翌日は晴れた。いつもの薄暗いスモッグではなく、少し青空も見えた。直前にあった軍事パレードの時の青空は「パレード・ブルー」と呼ばれたのも記憶に新しい。
土屋大洋「国連を舞台に、サイバースペースをめぐって大国が静かにぶつかる」『Newsweek日本版』2015年9月15日。
出張に行っている間に公開になっていました。
土屋大洋「年金情報流出とサイバーセキュリティ戦略—「共有」と「連携」の新戦略—」nippon.com、2015年9月3日。
たまたま時期が重なりましたが、こちらも公開されました。
土屋大洋「サイバー攻撃で、ドイツの製鋼所が甚大な被害を被っていた」『Newsweek日本版』2015年9月1日。
日本語でもニュースで流れた事例なので、新しいわけではありませんが、それなりにびっくりした事例なので、取り上げました。
文中で取り上げたBSIの報告書は以下にあります。
また、引用しているドラゴス・セキュリティのブログ・エントリーは以下にあります。BSIの報告書はドイツ語ですが、このブログ・エントリーに英訳があります。
https://dragossecurity.com/blog/9-ics-cyber-attack-on-german-steelworks-facility-and-lessons-learned
土屋大洋「サイバーセキュリティ」鈴木一人編『技術・環境・エネルギーの連動リスク』岩波書店、2015年、235〜253頁。
シリーズ日本の安全保障の第7巻。久しぶりの岩波書店。以前担当してくれたIさんは退職されて、今回は清水野亜さんが編集担当。
第8巻のグローバル・コモンズに呼ばれたのかと思ったら、技術の第7巻だった。
同僚の蟹江憲史が第4章に「地球システムと化石燃料のリスクガバナンス」を書いている。注目しているのは第7章の加藤朗先生による「ウォーボットの戦争」。おもしろそう(編者と編集者以外は他章の内容を事前には読んでいない)。
そして、気が付くと、出版待ちになっている残りの共著本はあと3冊で、いずれも英語。この1冊は間違いなく来年出るだろう。しかし、160ドルという価格設定がすごい。誰が買うのか。きっと私への印税はゼロで、印税が出るとすれば編者が総取りなんだろう。
2冊目は、すでに2年ぐらい棚晒しで、どうなっているのか分からない。聞けば「出る」と言われるのだが、著者が日本人ばかりなので難しいのだろう。3冊目は、今年の3月に原稿を出したものの、その後、編者に変更があったらしく、音沙汰がない。共有しているフォルダは4月以降誰も触っていないようだ。
他の本はまだ模索中。原稿はおろか、出版社も決まらず、企画も確定していない。のんびり行きましょう。
土屋大洋「サイバー攻撃が、現実空間に大被害をもたらしたと疑われる二つの事例」『Newsweek日本版』2015年8月20日。
その昔、ホットワイアード・ジャパンというオンラインメディアで連載の機会をいただいたことがあります。その時の縁でNewsweek日本版のオンラインで連載をさせていただくことになりました。短いものを頻繁にという編集方針のようなんですが、途中で息が続かなくなるかもしれません。
日本国際問題研究所の米中関係の研究会に入れてもらっています。関連するコラムを書きました。
土屋大洋「中国のサイバーセキュリティをめぐる霧」日本国際問題研究所編『US-China Relations Report』Vol. 1、2015年8月5日。
私は中国研究者ではありませんが、サイバーセキュリティをやっているとどうしても中国のことを見なくてはいけないので、この研究会で中国研究者の皆さんに教えてもらっています。
梅本哲也先生のコラム「米中の対外戦略と『安全保障のジレンマ』」も同時に出ています(上のリンクからたどれます)。
7月半ば、ハワイでお世話になったイースト・ウエスト・センター(EWC)のアルムナイ(OB・OG)の会合が東京であり、初めて参加した。EWCのスタッフ2人もたまたま来日していたので、来てくれた。来年1月にEWCはマニラで大きな会議を予定しており、その下見の後に立ち寄ったそうだ。2人とも100円ショップがお気に入りで大量に買い物をしたという。
その翌週、ハワイのEWCを再訪。2月末に帰国して以来、5ヵ月ぶりぐらいになる。その間、チャールズ・モリソン所長が引退を表明しており、来年8月に新しい所長が就任する予定だ。連邦政府(国務省)とのつながりが深い研究所なので、次の所長選びは簡単には行われず、1年かけて選ぶそうだ。すでに関心を示している人がいるという話だが、どんな人になるのだろう。研究部長とも話す機会があったので聞いてみたが、若い血を入れないとと言っていた。
今回の再訪の目的は、新しい共同研究プロジェクトのキックオフのため。サイバーセキュリティとは直接関係ない新しいテーマに取り組む。今回の会合にはその分野に詳しい方々にも集まってもらい、いろいろと意見を聞いた。私がよく理解していないことが多いことが分かった(だからこそ研究する意味はあるが、まずは最先端に追いつかないといけない)。3年計画の共同研究なので、またEWCに戻ってくる機会もあるはずだ。逆にEWCのスタッフに日本に来てもらうこともあるだろう。楽しみだ。
今回の滞在中、ハワイ大学のDavid Lassner学長にも短時間お目にかかった。学長には10月にSFCの25周年記念式典&シンポジウムにご参加いただくことになっている。学長の部屋の扉は観音開きの大きなもので、部屋の中も格好良かった。
6月25日、中国防衛科学技術情報センター(CDSTIC)というところの招きで、北京での国際ワークショップに参加してきた。CDSTICは、米国防総省の報告書(PDF)では以下のように書いてあって、なにやら物騒である。
an overt intelligence collection and clearinghouse operation, gathering together all manner of information across the world on militarytechnical affairs.
公然(overt)であって、非公然(covert)ではないから多少の救いはあるが、それでも相手は中国のインテリジェンス機関である。何せ、90分のセッションをひとりでやれと。60分話して、30分の質疑応答というから、普通の国際会議ではあり得ない。こちらから何を聞き出そうというのか。知り合いの中国人研究者からの依頼だったので、行くことにしたが、ちょっと警戒度を上げ、用心棒に後輩のK君に一緒に来てもらった。しかし、結果的には、どうということはない。何も困ったことは起きなかった。
そもそも、一緒に招待された欧米の研究者たちが私よりもはるかに有名な人たちで、「あの人たちにオペレーションをかけてはまずいでしょ」という人たちだった。全体のプログラムをもらったのは北京に行く2日前だったので、ちょっとほっとした。
ワークショップの私の番では、日本語と中国語のパワーポイントの整合性に問題があったのか、2回もパワーポイントがクラッシュするという失態。大変残念だった。この写真は別の人が話しているときのものだが、しっかりと私の失敗もビデオに撮られていただろう。
ワークショップは名目で、それが終わった後は宴会があって、じゃんじゃか飲まされていろいろしゃべらされるぞと東京の友人たちに脅されていた。しかし、ワークショップが終わってみると、会場のホテルのレストランの食事クーポンを渡され、食べ放題の夕食を勝手に食べてくれとのことだった。主催者側の人は全く来ず、聴衆の人たちがちらほらといるだけ。ビールもなんと有料自腹であった(実際にはK君が払ってくれた)。
K君となんだか拍子抜けだねと話して食事をしていたら、日本語が話せて、聴衆の中にいた女性がやってきた。おやおや、ついに来たかと思った。彼女はセッションの最中に細かい日本政府の動きをいくつか質問してきた人だ。話を聞いてみると、彼女の仕事は英語を中国語に翻訳する仕事だということだが、なぜか日本語を習っていた。しかし、日本に行ったことはないという。彼女は名刺を持っていないのでどこで働いているのかよく分からなかった。
そこに英国のキングスカレッジのThomas Rid教授がやってきた。彼はCyber War Will Not Take Placeという本で知られる有名な研究者である。彼はもちろん日本語が話せないので会話を英語に切り替えると、彼女はCDSTICで働いていると自己紹介した。それなら先に言ってくれよと思ったが、彼女の意図はよく分からない。私とRid教授が英語でサイバーセキュリティの話を始めると彼女は挨拶をして去って行った。結局、何者でもなかったらしい。朝一番の便で羽田から北京に飛び、すでに始まっていたワークショップにそのまま参加したので、とても疲れた一日で、疲れすぎてよく眠れなかったが、特に何事もなく夜は過ぎた。
翌朝、K君の案内で万里の長城に向かう。私は初めてだが、K君は修学旅行で来たことがあるという。最初は電車で行こうとするが、3時間待ち。仕方がないので隣駅からバスに乗る。このバスは満員になり次第、すぐに出発というもので、2台目で乗れた。バスは長距離用だが、少しシートは狭い。多少の不安はあったものの、ゴトゴトと揺れているうちに眠り込んでしまう。
長城のふもとに着くと、観光客がたくさん。体力に自信がないので、女坂といわれるゆるい方の傾斜を登る。しかし、蒸し暑さもあって、かなりへばる。案外、きれいに整備されている感じがする。観光用にずいぶん修復されているか、復元なのかもしれない。眺めが良いと言いたいところだが、少し離れたところはかすんで見える。ただの霞なのか、大気汚染の影響なのか。帰国後、この長城もかなり消失しているという記事を目にした。残念なことだ。
帰国便に乗る日の午前中は時間があったので、中南海を歩いてみようということで、K君と二人で中南海を一周してみる。正門にあたる新華門では写真を撮っても問題なかった。それほど人は多くないが、観光名所になっているようだった。門の奥には「為人民服務」と書いてある。是非そうあって欲しいものだ。
中南海は歩いてみると一周5〜6kmぐらいある。かなり大きい。南側と西側は高い塀になっているが、北側は中海という巨大な池になっている(ここは写真を撮ろうとすると止められた)。しかし、東側は住宅や商店、学校などが並んでおり、セキュリティは大丈夫なのかと興味深い。
そうそう、帰国した後で聞いたところでは、ワークショップの後で宴会がなかったのは、どうやら習近平国家主席の反腐敗キャンペーンの一環らしく、余計な宴会はやらないことになっているからではないかと聞いた。それは良いことだ。
6月15日、志摩で新しい海底ケーブルFASTERの陸揚げがあり、KDDI総研のご厚意で見学させていただいた。詳しい内容はすでにGigazineで報告されているので、簡単に。
FASTERは関東または関西で大きな災害が発生した時にも対応できるように、千葉県の千倉と三重県の志摩の両方で陸揚げされた。千倉のほうは陸から海底にドリリングをしてパイプを通し、そこにケーブルを通してしまうので、あまり見所がないそうだ。志摩のほうは19世紀と基本的に変わらない陸揚げをするとのことで、見学会が設けられた。
見学会は早朝5時集合である。見学者は前泊しないと間に合わない。最寄り駅は名古屋から近鉄で2時間半かかる。5時にホテルを出て海岸に到着すると、すでに関係者の皆さんが準備をしている。
沖合にはすでに前日からケーブルを積んだケーブル敷設船がスタンバイ。ここから、ブイを付けたケーブルが引っ張り出されてきて陸に揚げる。
浜側では、各種機械が設置されている。海中の防波ブロックを避けて引き上げられたケーブルは、海岸ですぐに直角に曲げられ、陸揚局近くまで引っ張られる。
作業前に関係者代表が集まって安全祈願祭。日本酒を捧げる。この後、ケーブル船から徐々にケーブルが引っ張られてくるが、かなり時間がかかるとのことで、他の皆さんはいったん引き上げる。私は作業完了前に大学に戻らなくてはならなかったので、そのまま海岸に居残る。関係者の皆さんと話したり、陸揚局の中を見せてもらって過ごす。他の皆さんは朝食をとってから8時にホテルに再集合して海岸に戻ってくるはずだった。ところが、ケーブルは7時半には陸揚げされてしまった。次の写真は、先端が陸に上がったところ。
居残っていたので、この瞬間が見られたのは良かった。すいすいとケーブルは揚がってくるが、時間が早まったのは関係者の作業が非常にスムーズだったからだ。前述のGigazineの報告でもこの瞬間は捉えられていない。
ケーブルが無事に上がってきたところで、シャンペンでお祝い。さっきは日本酒だったのに節操ないなと思うが、シャンペンを割るのは万国共通の習慣だそうだ。
私はこの時点で帰らなくてはいけないので、先に失礼した。
ケーブルの陸揚げはなかなか見るチャンスがない。日程的にきつかったが、授業にも間に合ったので、とても良い機会だった。どうやって陸揚げするかは知識としては知っていたが、自分の目で見られたのは大きい。KDDI総研およびKDDI、NECの皆さんに感謝したい。
土屋大洋「民主主義体制とインテリジェンス活動」『治安フォーラム』2015年7月号、64〜67頁。
連載「インターネットとインテリジェンス」は第20回にして最終回となりました。2013年7月号から続き、途中で飛び飛びになりましたが、2年にわたって続きました。
編集長はじめ編集部の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。読者の皆様にも御礼申し上げます。
ブリュッセルから帰ってきて、一晩自宅で休んでからシンガポール経由でクアラルンプールへ。途中、機中から富士山が見えた。もうずいぶん雪が溶けている。
シンガポールからの乗り換え便が少し遅れてしまってあたふたするが、午後7時にホテルに着き、すぐに着替えて会場へ。午後8時過ぎにマレーシアの首相と王室からのゲストがやってきて、首相が基調講演をする。しかし、会場に入るのに何もセキュリティチェックがなくてびっくりした。首相の基調講演の中身はほとんど覚えていないが、テロなどの脅威がサイバースペースによって増幅されているというフレーズだけ耳に残った。
演説が終わったのが8時半過ぎでそこからようやく夕食が始まったが、料理がなかなか出て来ない。おまけに生バンドの演奏がうるさくて隣の人とも顔をつきあわせないと話ができない。終わったのは10時過ぎ。やれやれだ。
翌日と翌々日が第29回Asia Pacific Roundtable(APR)の本番。主宰はISIS Malaysiaというマレーシアでは由緒正しきシンクタンク。ISISなんて今は物騒な名前の代名詞になってしまってかわいそうだ。いわゆるイスラム国と同じく「アイシス」と発音する。今年のAPRは320名の登録があったそうだ。
初日の最初のセッションはわが同僚の神保謙が登壇(なぜか東京財団の研究員として出ている)。さすがに格好良くこなしている。
私の出番は初日の最後のセッションだが、これが普通のセッションではなくディベートになっている。司会+4人のディベーターがいて2チームに分かれる。私のパートナーは在クアラルンプール米大使館の駐在武官Forrest Hare。米空軍の人だ。何とも頼もしい。相手側は中国の国際問題研究院(CIIS)で旧友の徐龍第とシンガポールのCENSのCaitriona Heinl。CENSのイベントには何回か呼んでもらったので彼女も知り合いだ。しかし、スライドを使って話せる普通のプレゼンとは違って、話だけで聴衆を説得しなくてはならないディベートは難しい。全くもってしどろもどろで落第点だった。まあ、終わった後にアメリカ、オーストラリア、カナダ、マレーシアなどの人たちがよくやってくれたと言ってくれたので良しとしよう。誉めて励ます文化はありがたい。アメリカの少年野球だと、空振りしても「Almost!」なんて言うくらいだ。
この写真は神保さん提供。
2日目は気楽に聞いていた。日本国際問題研究所の野上理事長もEPAのセッションに登壇。活発な質疑応答があった。
ところが、最後から2番目のセッションで番狂わせ。突然、北朝鮮の軍人らしき人がフロアから発言を始め、質問の振りをしながら手元の紙を長々と読み上げた。議長が質問は何なのかと途中で遮るが、あと1分しゃべらせろと言ってまた延々としゃべり、どうやらASEANが朝鮮半島の問題にも関心を持てと言っているらしい。壇上のパネリストは特に反応せずスルーする。
ところが、今度は、フロアの別の人が指名されているにもかかわらず、その近くにいた中国の人民解放軍の軍人が、勝手に話し出す。2日間を通じて中国に対する不満がたくさん表明され、特に南シナ海の問題が指摘されたことが気に入らなかったらしい。日本が東京湾を埋め立てているのと同じだなんて言い出すから、私はむかっとくるが、他の聴衆はおとなしい。すると、壇上のパネリストのベトナム人が怒りを込めて反論を始め、中国のせいでどれだけ被害が出ていると思っているのか、中国は国際法に注意を払うべきだと激しく責め立てた。
予定を大幅にオーバーしてセッションは終了。壇上にいたベトナム人は壇を降りたらそのまま中国軍人のところまでさっと歩き、握手を求めた。求められたほうは苦り切った顔をして握手するが、二人は会話をせずに別れていった。
最後のセッションは別の意味でおもしろい人が出てきた。過激派がさらに過激になっていることを論じるセッションだったが、「私は元過激派だった。バリのテロリストたちの友達だった」というインドネシアの若者が、自分がどうやって過激派になったかと話し始めたのだ。彼はイギリスに留学したときはウィリアム王子と同室になったこともあるという。彼はインドネシアの寄宿制の学校に入っている間に感化されて過激派になった。しかし、深刻なものではなく、気軽なものだったとユーモアを交えて話す。友人の一人は、お母さんが学校に来て涙を流してやめてくれと訴えたのでテロをやめたともいう。軽妙な話にすっかり魅了されてしまった。彼のような友達が過激派にいると乗せられてしまう人もいるのではないか。
観光のための時間は全然なかったが、あまり興味を引かれないセッションの間に抜け出して、モノレールに乗り、繁華街の有名な店でバクテー(肉骨茶)を食べられたので満足だった。元々は中国人クーリーたちのための安い食事として広まったようで、肉をそぎ落とした後の骨を煮込んだものだが、現代ではたっぷり肉が付いた骨が入っている。お茶で煮込んでいるので、漢方のスープような感じだがおいしい。店に着くまでにすでに汗をかいていたが、オープンエアの店で熱々のスープをいただくとすっかり汗だくになった。ホテルに戻ってさっとシャワーを浴びてから会議に戻った。
またマレーシアに行くのはずいぶん先になりそうな気がするが、かつてのサイバージャヤなどがどうなっているのか調べてみたい。
それにしても、私は東アジア、東南アジア、南アジアの情勢が全く頭に入っていないことを再確認した。帰りの飛行機の中では、機内で読もうと思って持ってきていた日本国際問題研究所の報告書「主要国の対中認識・政策の分析」を読む。話題の中心は中国だが、会議の中で出てきた話題が盛り込まれていて、そういうことだったのかとようやく分かったことがたくさんあって有益だった。
サイバーセキュリティをやっている人たちの多くがエストニアのタリンでCyConに出ているとき、私はベルギーのブリュッセルで開かれた2nd International Conference on Internet Scienceに出ていた。
羽田からドイツのミュンヘンに到着し、ブリュッセル行きの飛行機の乗り換えに50分しかないのでちょっと嫌だなあと思いながら長い廊下を進み、ようやく乗り継ぎ便の掲示板にたどり着くと、乗り継ぎ便にキャンセルの表示が出ている。おいおいと思ってルフトハンザのサービスカウンターを探し、「乗り継ぎ便がキャンセルみたいなんだけど」というと、係員はじーっと端末の画面を見つめた後、別便の搭乗券を出してくれた。「なぜキャンセルになったか知っていますか」と聞かれたが、全然分からない。「とにかく急いでゲートに行ってください。すぐに出ます」とのこと。
小走りでゲートに向かうと、係員が「ブリュッセル行き!」と叫んでいる。サービスカウンターの係員がゲートに電話してくれたそうだ。「あなたが最後なので急いで。下でバスが待ってますから」と英語で言われた後、「どうぞ良い旅を」と日本語でいわれた。ありがたいことだ。
何とか飛行機の一番後ろの窓際の席に滑り込む。機内放送を聞くと、どうやらこの便は午前9時半に予定されていた便だそうだ。すでに午後6時過ぎである。ずーっとこの人たちは空港で待っていたのだろう。私はラッキーだ。どうやらブリュッセル空港の管制システムに故障が起きているらしく、1時間に5本しか着陸させていなかったが、10本にまで増便されたのでようやく飛べるとのこと。サイバー攻撃かと思いながらも、たどり着けそうで良かったとほっとする。
ブリュッセル空港に着くと、飛行機に乗れない人たちがあふれかえっている。気の毒だ。私は幸い、当初予定より20分遅れぐらいで到着できたから良かった。出て来ないんじゃないかと思った荷物も無事に出てきた。
翌日から会議に参加。この会議は、
The 2nd international conference on Internet Science “Societies, governance and innovation” will be organised in Brussels from May 27 to 29, 2015, under the aegis of the European Commission, by the EINS project, the FP7 European Network of Excellence in Internet Science.
となっていて、EINSの一環になっている。中心人物の一人で旧友のChris Marsdenに誘ってもらって参加した。クリスは会う度にどんどん立派な先生になっていくので驚いてしまう。
キーノートスピーカーとして呼んでもらったが、この会議にはキーノートスピーカーがたくさんいて、合間に学生たちの発表が続く。私は朝一番のキーノートで、時間を守って話した。ところが、私の次のキーノートスピーカーは、24時間ロンドンの空港に閉じ込められたせいなのか、延々と話し続け、その結果、その後のスケジュールがグダグタになってしまう。学生たちはやたらとせかされて十分に話せなかったのに、欧州議会のメンバーのキーノートやその他のキーノートは誰も止めずにしゃべり続けるので、ずいぶん予定時間を超えて終了。スケジュールに厳しいアメリカのカンファレンスとはずいぶん違うなと感じる。
翌日も似たような感じでキーノートスピーチと学生の発表が行われた。意外だったのは、そもそも「Internet Scienceとは何なのか」という点でまだ合意がないということ。そのためのパネルディスカッションもあって、討論者の一人が、「それはfunなんだよ」といっていたのが印象的。定義にも何にもなっていないけど。
学生論文の優勝はセレブたちの写真漏洩に関する研究論文が選ばれ、500ユーロの巨大チェックが送られた。
次回は来年5月にイタリアのフィレンツェで開催とのこと。日程が合えば参加してみたい。
帰国便に乗る朝、ホテルの窓から空を見ると飛行機雲がたくさん出ていたので、飛行機が飛んでいることが分かった。良かった。
土屋大洋「グローバル・コモンズとしてのサイバースペースの課題」日本国際問題研究所編『平成26年度外務省外交・安全保障調査研究事業(調査研究事業)「グローバル・コモンズ(サイバー空間、宇宙、北極海)における日米同盟の新しい課題」』2015年、27〜37頁。
昨年度の報告書が公開されました。私の担当箇所は、サイバーセキュリティというよりは、サイバースペース全体にかかわる課題でしたので、少しぼんやりとした話になっているかもしれません。私の担当箇所では具体的な提言が入っていないので申し訳ないです。
土屋大洋「サイバーインテリジェンス」『治安フォーラム』2015年6月号、63〜66頁。
連載19回目。昨年中に書いた原稿ですが、編集部の都合で掲載がとびとびになっているため、ようやく掲載になりました。次回の20回目が最終回の予定です。
土屋大洋『サイバーセキュリティと国際政治』千倉書房、2015年。
『仮想戦争の終わり』(KADOKAWA、2014年)が昨年末に出たばかりなので、「またか」という声もあるが、単著本としては『サイバー・テロ 日米vs.中国』(文春新書、2012年)以来なので3年ぶりになる。
前著を出してからの一番大きな関心事はエドワード・スノーデンの問題であり、米国家安全保障局(NSA)については2001年の9.11以来追いかけてきたことでもあるので、米英の反応を中心にまとめたのが本書である。
ハワイのイースト・ウエスト・センターにいる間の昨年5月末に最初のドラフトを提出した。しかし、その後もいろいろなことが次々と起こるので、何度も加筆・修正を行い、ようやく出版にこぎ着けた。
今回はKDDI財団から寛大な出版助成をいただくことができたため、発行部数は少ないが、値段はそれほど高くなっていない。この出版助成は、KDDI総研が発行している『Nextcom』という雑誌に論文などを書くと申請資格が得られ、KDDI総研から推薦してもらうという枠組みになっている。私も知らなかったのだが、某先生からずいぶん前に教えてもらい、機会を狙っていた。幸い、審査を経て助成をいただくことができた。関係各位に感謝したい。
『サイバーセキュリティと国際政治』のおもしろいところは、編集担当の神谷竜介さんが頑張ってくださり、装丁の米谷豪さんとともに、とても印象的な表紙および装丁を作ってくださったことだ。米谷さんは拙著『ネットワーク・パワー』(NTT出版、2007年)でも印象的なオレンジの表紙を作ってくださっている。『サイバーセキュリティと国際政治』では神谷さんと米谷さんが、写真家の橋本タカキさんに掛け合ってくださり、橋本さんはたくさんの写真をこの本のために提供してくださった。この写真の意味するところは『サイバーセキュリティと国際政治』の「はじめに」に書いてあるので参照いただきたい。神谷さん、米谷さん、橋本さん、ありがとうございます! 千倉書房の皆さんにも御礼申し上げます。
千倉書房はもともと経営学の出版社として知られていたが、神谷さんが編集部長になられてから、政治学、国際政治学、歴史学分野の発行が充実してきている。これらの分野の研究者なら本棚に1冊、千倉書房の本が入っていてもおかしくない。これから出版をと考えている方にはお薦めしたい。千倉書房は一説によると東京駅に最も近い出版社だそうである。