CC-JP iSession Creative

charlieさんがccjpの下でCC-JP iSession Creativeを始めた。ここには日本発信の情報も載るし、アメリカのクリエイティブ・コモンズのブログを翻訳したものも載る(こっちは三山さんが多大な貢献をしてくれている)。クリエイティブ・コモンズ・ジャパンも次の段階に入った。是非ごらんあれ。

衣笠丼

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立命館大学の傍にある定食屋で味わった衣笠丼。油揚げとかまぼことねぎの卵とじ。油揚げにたっぷりと汁がしみこんでおいしい。立命館大学の京都のキャンパスは衣笠キャンパスといって、その後ろに衣笠山がある。しかし、このどんぶりがなぜ衣笠丼と呼ばれるようになったかは今のところ不明。

水上の都

京都に来た。立命館大学の集中講義のため。

京都駅ビルではいきなり麗蘭の無料ライブをやっていて大騒ぎだった。思っていたよりもずっと京都は元気があるように見える。観光シーズンが始まっているからか。

NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『NHKスペシャル アジア古都物語 京都 千年の水脈』日本放送出版協会、2002年。

を新幹線の中で読む。とてもおもしろい。京都は四方を山で囲まれているが、その山々は地下の基盤岩でつながっている。つまり、大きな岩の水がめになっている。長い年月の間に、その水がめの中に海水が入り込んで粘土を運んできたり、山々から流れてきた土砂がたまったりして、今の京都の町の基礎になる平野が作られた。この平野に雨が降ると水が入り込んでくるが、出て行くのは淀川一本だけ。つまり、水がめの中に水がたぷたぷと溜まっている状態になっている。鴨川の上流に行くと普段は水の流れが見えないが、その下には伏流水が流れている。京都で井戸を掘ると水がたくさん出るのは巨大な水がめになっているからというわけだ。その量は実に琵琶湖に匹敵するという。堀川や今出川など数々の水に関連する地名が残っているのも、京都が水の都であることを示している。水が豊かであるからこそ一千年の都として栄えたということになる。京都のイメージが少し変わった。

一区切り

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昨日と今日で大き目の仕事が二つ、小さめの仕事が一つ片付いた。もっと大きい仕事が二つ、三つ残っているけど、ひとまず今日はビールで息抜き(ktさん、いただいたビールは古くなったので飲んでしまいます)。来週は遅めの上に短い夏休みの予定。涼しい高原へ行くつもり(今日は暑かった)。この一杯で猛烈に酔っ払ったのでもう寝ます(まだ午後7時)。皆様、メールの返事は明朝出します。

ブロードバンド・マルクス主義

Peter Lurie and Chris Springman, “Broadband Marxism,” Foreign Policy, March/April 2004, pp. 82-83.

発展途上国ではブロードバンドよりもまず電話を普及させるべきだと主張する(これはエリ・ノームもどこかで言っていた)。そして、電話を普及させるためには、民営化のプロセスを逆転させて、バックボーンを国有化し、ローカル・アクセスのところで競争させるべきだという。

先進国ではすでにローカル・アクセスがほとんど普及しているから、ローカル・アクセス構築の二度手間を省くために、そこを開放せよということになっている。しかし、途上国ではローカル・アクセスがほとんど構築されていない。だからバックボーンをできるだけ安くして、そこから先は競争で構築させようという作戦だ。ローカル・アクセスを作ろうという会社が複数あるならうまくいくかもしれない。

意識朦朧

連日の夜更かしですっかりリズムを崩した。一昨日の晩は、5月に大病を患いながら、今日アメリカへと旅立つM先生の送別会。永田町近辺にお勤めの方々など7人が集まって政策話やら馬鹿話やらで楽しかったが、帰宅は終電一本前で、翌朝はなかなかふとんから起き上がることができない。

昨晩はSFCのセミナー・ゲスト・ハウスを占拠してプロジェクト合宿。午後6時半集合で、休憩まったくなしで12時半まで熱い議論。なぜだか不思議なくらいに盛り上がっておもしろかった。翌日仕事の先生たちが帰宅してから残った面々で酒を入れて仕切りなおし。私はさすがにバテて午前3時半にふとんに入ったが、一番最後まで残っていた人たちがふとんに入ったのは午前5時半。なぜ分かるかというと、その時間に目が覚めてしまったからだ。意識は朦朧としているのだが、どうにも眠れないので、6時半に研究室に来て仕事をしている。

夏休みだと残留している学生もいないので、キャンパスにはひとけが無い。暑いけど、きれいな朝だ。

ところで、昨日の合宿の前に、B先生と秋のオープン・リサーチ・フォーラム(ORF)の打ち合わせをした。B先生には初めて会ったが、世界的に活躍する有名人だ(しかし、キャンパスでは見かけたことがない)。とても刺激的な話だったのでおもしろくなりそう。

固定電話のIP化

固定電話網、2010年代に完全IP化目標 総務省」(asahi.com)

2010年代に国内の固定電話網をすべてIP(インターネット・プロトコル)電話に切り替える、という目標を総務省が掲げる。実現のための研究開発に、05年度から5年で100億円を投じる方針。従来の固定電話の利用者が減るのに対し、主にブロードバンド(高速大容量通信)網を使うIP電話は料金の安さで利用者を増やしているうえ、テレビ電話やデータ伝送など利用法も広がるためだ。

いずれ固定電話はなくなると皆が思っていたとはいえ、こんな目標が作られるとは思わなかった。

CIAの内幕

スタン・ターナー(佐藤紀久夫訳)『CIAの内幕—ターナー元長官の告発—』時事通信社、1986年。

カーター政権でCIAの改革に腐心したターナー長官の回顧録。よくある暴露本かと思ったが、いろいろと勉強になった。

一九四七年の国家安全保障法の起案者たちはDCI長官に、全情報機関が収集した情報の拡知に関する管理権を与えた。起案者たちは、日本の作戦計画に関する情報を狭く押し込めた結果、パールハーバーを招いたような事態の再現を望まなかった。(p. 239)

今とまったく同じではないかと思ってしまう。9.11を防げなかったことから、ブッシュ政権はインテリジェンス・コミュニティを総括するポストの新設を迫られている。しかし、すでにCIA長官=DIAであり、インテリジェンス・コミュニティを総括する役割を担っていたはずだ。

訳書では、ターナーの肩書をCIA長官ではなくDCI長官としたが、原書に従ってそうするのが適当だと思ったからである。もちろんCIA長官のことである。アメリカ政府の法制では、この地位はディレクター・オブ・セントラル・インテリジェンス(DCI)であって、CIAを含む全情報機関を統轄する。原書はすべて、この肩書で記述している。同長官はCIAの長でもあるが、それは権限の一部である。つまりDCI長官は全情報部門とCIAの双方の責任者であるわけで、単なるCIA長官ではない。(p. 262:訳者あとがき)

現在ブッシュ政権が求められているのは、CIAからも独立した総括ポストということになる。しかし、そうするとよほどうまくやらないとどこからも情報が上がって来なくなるという危険がある。それに、9.11後に国土安全保障省を新設し、その時にCIAやFBI、NSAなどは入れないということになったはずだ。コミュニティ全体の秩序が混乱するだけのような気がする。

リーズバーク・パイク通り5913番地

田中 宇「テロをわざと防がなかった大統領」(2002年1月24日)

そんな愛国的な雰囲気のフォールズチャーチには、アメリカを愛していないと思われる人々も住んでいた。この町には、911のテロ事件の容疑者のうち4人が以前に住んでいたと思われるアパートがある。リーズバーク・パイク通り5913番地(5913 Leesburg Pike)という住所である。

これもたまたま見つけた田中ニュースの記事。ここに出てくる番地は、私が住んでいたところに結構近い。Yahoo!のドライビング・マップでは車で12分の距離だ。先に知っていれば見に行ってきたのになあ。しかし、このアパートは本当に使われていたのだろうか。この辺は確かに住宅街で、ところどころ大きなアパート(日本のマンション)が立ち並んでいる。巨大アパートになると、隣がどんな人かはあまり気にしないのは日本と同じ。ワシントン近郊なら外国人が住んでいても特に目立つことはない。

情報デモクラシー

毎日新聞社会部『情報デモクラシー』毎日新聞社、1992年。

一昔前の本だが、「一見、便利で快適な「情報化社会」でありながら、重要な情報はテクノクラートに操られ、情報公開は遅々として進まない『日本的情報世界』」というのがテーマ。新聞社の取材本だけあっていろいろなエピソードが入っていておもしろい。

警視庁では「データを持ち出した、あるいは持ち込んだ行為に対して規制する法律はない。背任や横領など背景に明確な動機があれば別だが、これも認定がかなり難しい」(広報課)としている。(75〜76ページ)

という現状は今も変わらない。情報を盗む行為そのものを罰する規定がない。個人情報保護法は、情報管理を怠った者は罰することができるが、情報を盗んだ者はコピー用紙の窃盗罪として裁かれるだけだという。情報の価値を定義づけるのが困難だかららしい。プライバシーに関する情報は、当事者にとってはすごく高価だが、関係ない人にとってはゼロに等しい。商業的価値に換算するのは難しい。住居侵入や不正アクセスで捕まえることになるが、電子データをコピーしてその痕跡を残さなかったとすると、裁くのはますます難しくなる。外国では、スパイ防止法や産業スパイ防止法のようなものがあるが、日本ではトレード・シークレットとして守るのがせいぜいで、個人のプライバシーは裁判でいちいち争わないといけないようだ。

蛇足ながら、

私たちの身の回りを眺めると、一口に「情報」といっても、一次情報としてのinformationと、二次情報としてのintelligenceを混同していることが多いのではないか。(254ページ)

という記述はいただけない。形式的には二次情報ともいえなくはないが、これでは単なる伝聞もインテリジェンスになってしまわないか。インテリジェンスそのものの理解ができてないのではないかと思う。

オープン・キャンパス

今日は久しぶりにキャンパスに行って、オープン・キャンパスで模擬講義をやった。どうやったらいいのかよく分からなかったが、ひとまず終わってほっとした。

今日のオープン・キャンパスには総勢1000人ぐらい来ていたのではという話を聞いたが、本当だろうか。

そもそもオープン・キャンパスを日本で最初に始めたのはsfcで、それも学生が勝手に始めて、後から大学が公式行事にしたそうだ。今ではどこの大学でも行われている。他にも、AO入試もsfcが最初に始めたが、今では200大学近くが行っているらしい。革新の精神が生きている。

「情報は要らない」

岩島久夫「『情報無視・思惑先行』型日本政治-昔を思い今を憂う

当時外交当局を牛耳っていた最高幹部(今は退職)が冗談ともつかず言った。「日本が独自に撮影した写真に基づく自前情報が入ってくるようになると、国際政治上の日本の責任が増え、大きくなるので困るよ・・・」

ウェブを検索中にたまたま見つけた。この最高幹部はひょっとするとあの人かなあ。

さすがに今はそんなことはないと思いたい。