【再掲】第2回ソーシャル・イノベーション研究会

以前にもお知らせしたとおり、情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会第2回が9月18日に開催されます。総務省の情報流通行政局から追加ゲストが来てくださるそうです。

申し込みは学会のウェブページの載せられている電子メール・アドレスからどうぞ。軽食付きです。


日時:2008年9月18日(木)18時〜

場所:マルチメディア振興センター会議室

発表者:秋山美紀(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)

題目:地域医療におけるコミュニケーションとICT

発表要旨:地域医療連携のためにICTを用いる関する各地の取り組み事例の中から、組織を越えて他職種が日常的にITを用いて情報共有している成功事例について、密度の濃いフィールドワークを行い、定量的・定性的に分析を行った結果を報告する。非同期で蓄積型という特徴を持つメディアが、医師と共同で医療を行う職種に対して、効果をもたらしていることが明らかになっている。

参考資料:秋山美紀『地域医療におけるコミュニケーションと情報技術―医療現場エンパワーメントの視点から』慶應義塾大学出版会、2008年。

MITの学生、猿ぐつわをはめられる

MITの学生たちが、ボストンの地下鉄に関するセキュリティについて分析し、カンファレンスで発表しようとしたところ、それを禁じられるという騒ぎが起きた。EFFがMITの3人の学生を支援するべく法廷で争おうとしている。学問の自由と抵触するというわけだ。MITの学生たちには頑張って欲しい。

EFF Urges Judge to Lift Gag Order on MIT Students

森の生活と市民的不服従

タングルウッドの夜の公演からそのまま帰宅すると夜の1時ぐらいになるので、今回は途中の安宿で一泊。翌日は独立戦争で知られるコンコードを散策。イギリス軍と民兵が最初に戦火を交えたノース・ブリッジを見る。復元された橋が架かっていて渡ることができる。橋の手前には戦死したイギリス兵の墓がある。

20080720concord01.JPG

20080720concord02.JPG

昼食を食べている間に大雨になって雷が鳴り始める。と思ったらすぐにやんだので、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが『森の生活』を送ったウォールデン湖を見に行く。駐車場の横に彼が暮らした小屋のレプリカがある。ワンルームで日本の学生の下宿みたいな感じだ。ベッドと机、それに暖房兼調理用のストーブがあるだけ。実際に小屋があったところは湖沿いに10分ほど歩くと見つかり、礎石が残っている。ソローの『森の生活』は最近は日本でも見直されてアウトドア系の雑誌などでも紹介されるようになっている。

20080720thoreau.JPG

現在のウォールデン湖はレクリエーション・スポットになっていて、家族連れが湖水浴にたくさん来ている。

20080720walden.JPG

数年前にカリフォルニアでネットの関係者にインタビューをしていたとき、「市民的不服従」という言葉が出てきた。これはソローの死後にまとめられた本のタイトルになっている。自分の信じるところに従って政府の政策には従わないといったような意味だと思うが、そのネット関係者は、政府が主導してネット・インフラを作ることに反対していて、その議論の中で出てきた言葉だ。とても印象に残っていて、ソローのことをもっと知りたいと思っていたので、彼の小屋を見るのは興味深かった。

2年あまりとはいえ、あんなところで一人で過ごすのは大変だろう。そうした反骨精神ともいえるような強い思いが当初のネットを作った人たちの中に息づいているとしたらおもしろい。市民的不服従はソローの後、ガンジーやアメリカの公民権運動にも受け継がれていく強い思想になっていく。

Networked Governance Workshop

20080612networkedgovernance.JPG

ハーバードにProgram on Networked Governanceというプログラムがある(SFCの大学院プログラムにあっても良い名前だ)。そこが昨日と今日、ワークショップを開いており、明日と明後日、カンファレンスを開く。この4日間のイベントは、ネットワーク分析の手法を政治学に応用しようというものだ。いよいよここまで来たかという感じがするが、いわゆる大御所の政治学の先生たちは全然いない。やはり新しい分野なのだろう。

昨日と今日のワークショップではいくつかのソフトウェアの使い方が解説されている。一番なじみのあるのはUCINETだ。これは前に自分で使ったことがある。中心的な開発者であるSteve Borgattiは、ボストン・カレッジからケンタッキー大学に移り、そこでネットワーク研究の一大センターを作ろうとしているらしい。今はヨーロッパに出張中でこのワークショップには来られなかったが、ボストン・カレッジの博士課程の学生が来て、UCINETの使い方を3時間教えてくれた。知らない機能を教えてもらって役に立った。

しかし、他のソフトウェアはよく分からない。StOCNETvisoneRなどである。Rは昔のコマンドライン風のインターフェースでどうも使う気が起きない(しかし、大容量データを扱うのに有利なようだ)。どうやらvisoneが一番新しいらしい。しかし、どうやら周りの反応を見ていても、UCINET優勢は変わらないようだ。ところが、UCINETも、ボタンはあってもちゃんと機能していないコマンドなんかがあるらしく、常に一番新しいものを使うようにとのことだった。

ワークショップの参加者には意外にもヨーロッパの人がかなりいる。ヨーロッパでもこの辺りが進んでいるのかなあ。

明日と明後日は、こうしたツールを使った分析例の発表だ。どんなものが出てくるのか楽しみだ。

もう一つ。参加者の30%ぐらいがマックのパワーブックを使っている(Airは意外にもほとんどいない)。Intel Macだとウインドウズ用のUCINETやStOCNETがそのまま動いてしまっているようだ。そろそろ買っても良いかなあと思い始める。

地球の歩き方とウィキペディア

アメリカの歴史を学ぶという名目でケープ・コッドとプリマスに行ってきた。ケープ・コッドはボストンから車で2〜3時間で行ける避暑地で、大西洋に腕のように飛び出している半島である。ケネディ家の別荘もある。

一日目は先端の町、プロビンス・タウンを目指す。ハイウェイの途中にある休憩所に旅行案内所があり、地図をもらおうと立ち寄ると、朝鮮戦争に行ったことがあるというおじいちゃんがいた。教えてもらって外を見ると、米国旗の横に韓国の旗がかかっている。ここでボランティア・ガイドをしながら募金も集めているらしい。戦争の後は工作機械メーカーで働いたそうで、YKKが取引先だったため、日本にも100回行ったと言っていた。こんな人が田舎にいるから奥深い。一通り話を聞いて、プロビンス・タウンでランチの良いお店はないかと聞いてみると、ロブスター・ポットが良いという。このお店は『地球の歩き方』にも書いてあった。

車に戻ってまたハイウェイを走りながら、『地球の歩き方』は、ウィキペディア・モデルの先行例だよなと思う。世界中を旅行した人が自分の体験談を書きつづり、それを手紙やファックスで編集部に送り、それを編集部がまとめて出版してきた。大した謝礼があるわけでもないのにみんな喜んで情報提供してきた。日本人がウィキペディアが好きなのもそういう先行例があったからか。

20080605shellfish.jpgはたして、ロブスター・ポットはうまかった。ロブスターももちろん良かったが、写真にあるShellfish Algarveという貝のブイヤベースもうまい。何種類かの貝やイカの他に細麺のパスタが入っている。しかし、ニンニクがきついので翌日までにおう。

20080605whydah.jpg食事の後、これも『地球の歩き方』に出ているWhydah Pirate Museumという海賊のミュージアムに行く。ここは、ケープ・コッド沖で莫大な財宝を積んだまま沈んだ海賊船ウィダーの引き上げプロジェクトについてのミュージアムである。海賊の生活がどのようなものだったか、どうやって海賊船を引き上げたか、どんなお宝が入っていたかなどが分かる。お宝ハンターにとっては最高のサクセス・ストーリーだ。館内で見られるビデオはヒストリー・チャンネルが作ったようだ。楽しそうだなあ。

散策した後、半島の真ん中辺りにあるハイアニスという街に泊まる。翌日はフェリーでナンタケット島に行くつもりだったが、天気が悪いのであきらめ、ケネディ大統領のミュージアムに行く。ケネディ家はハイアニスに別荘を持っていて、ヨットやゴルフをして過ごした。ミュージアムといっても、飾ってあるのは主としてハイアニスで過ごしたケネディ家の写真である。ビデオと写真を見ながら、ケネディ家がアメリカ人のあこがれるライフ・スタイルを実践していたのだなあと思う。

ケープ・コッドを出て半島の付け根にあるプリマスへ。1620年にメイフラワー号に乗ってピルグリムたちがやってきたところである。17世紀の様子を再現したプリマス・プランテーションという一種のテーマ・パークがある。ネイティブ・アメリカンの生活とイギリス人の生活がそれぞれ再現されていて興味深い。それぞれの言い分が分かるようになっていて、一方的な歴史観の押しつけにならないように配慮されている。

そこから3マイル離れたところに係留されているメイフラワーII号のチケットもコンビネーションで買える。車に乗ってメイフラワーII号を目指す。その近くにはプリマス・ロックというピルグリムたちが最初に足を乗せた石が残っているのだが、あいにく上に被さっている神殿風の建物が再建中で見られなかった。しかし、その横にある解説板を読むと、その石が最初の石として特定されたのは上陸から120年もたった後で、歴史的事実というよりも、象徴でしかないそうだ。こうやって歴史は作られる。

20080606mayflower.jpgさて、メイフラワーII号。ここで『地球の歩き方』に混乱させられた。『地球の歩き方』には「1620年9月6日、102人のピルグリムファーザーズを乗せたメイフラワーII世号が自由を求めて新大陸へと出航した。」「メイフラワーII世号は、最初のアメリカ移民を運んだ船として知られている」などと書いてある。じゃあ、メイフラワーは二隻あったのか。もう一隻はどうなったのか。先にアメリカに着いたんだっけ、別の場所に着いたんだっけ、と気になり始めた(歴史をちゃんと勉強していないことがばれる)。

近くの売店に入り、解説書を読んでようやく理解した。『地球の歩き方』が間違っている。ピルグリムたちが乗ってきたのはメイフラワー号であって、メイフラワーII世号ではない。メイフラワーII世号とは、この目の前にある復元船のことで、これは1955年に作られたものだ。メイフラワー号が実際にどのような船だったのか資料がないため、想像で復元されたのがメイフラワーII世号である。この船は実際にイギリスからアメリカまで航海している。

そうすると、「II世号」というのもおかしくて、単に「II号」としたほうがいいのではないか。

歩き方が意図的に間違えたとはまったく思わないが、これもウィキペディア的な間違いなんではないだろうか。ウィキペディアの記述は完璧ではない。地球のある方も完璧ではない。それを受け入れた上で自分で確かめてあるのが『地球の歩き方』の楽しみなのだ。おかげで私はこのことをより強く記憶に焼き付けることができる。しかし、帰宅して調べてみると、メイフラワーII号の記述ははるかに詳しく、正確だった(少なくとも私に間違いは見つけられない)。たくさんの人がチェックするとどんどん良くなる。『地球の歩き方』の間違いに気がついても私は直接書き換えられないし、時間もかかる。やはりネットの勝ちなのかな……。

ICPCとソーシャル・イノベーション研究会

20080531socialinnovation.jpg

東京のGLOCOMICPCが開かれた。今回は諸事情あって、情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会も同時開催。篠崎彰彦先生のお話だけはiChatでつないで聞かせてもらう(KKさんありがとう)。1時間15分ほどはつながっていたのだが、話も佳境に入ったところで切れてしまった。どちらのネットワークが悪かったのか分からないけど残念。こちら側は夜中の3時を過ぎていたのでだいぶ疲れたけど、篠崎先生の話はかなりおもしろかった。聞いて良かった!

CFP 2008

20080521yale.JPGボストンのサウス・ステーションからアムトラックに乗り、イェール大学(左の写真)のあるコネティカット州ニュー・ヘブンに来ている。アムトラックの特急アセラだと電源が使えるので仕事もできる。電車の旅もなかなか良い。

ニュー・ヘブンで2年ぶりにCFP(Computers, Freedom and Privacy)に出ている。なんだか規模が小さくなってしまっていて残念だ。参加者の数も少ないし、おもしろいスピーカーも少ない。観光的にはほとんど魅力のないニュー・ヘブンで開催したせいだろうか。

SNSとプライバシーの話を議論しているところはだいぶ遅れているんじゃないかという気がする。2004年頃にアメリカでSNSってどう思いますかと聞いてもよく分からんという顔をされたのも当然だったのだろう。

ネットワーク中立性についてはパネルがあるが、ブロードバンドや周波数などのインフラ系の話が全くなくなっているのも特徴かもしれない。

時差ぼけは全くないのに退屈で居眠りしてしまうセッションが多い。

期待していたのは、オバマ陣営とマッケイン陣営の技術政策担当者によるパネルだったけど、ディベートではなくディスカッションにしましょうと司会が述べたため、あまり対立点がはっきりせず、期待はずれだった。

今のところ一番おもしろかったのは「21世紀のパノプティコン」というパネルで、連邦と州の間、インテリジェンスと法執行機関の間の情報共有について。これは3月に卒業したN君が卒論のテーマで書いたテーマで、彼は先見の明を持っていたのかもしれない。無論、CFPはプライバシーを大事にする人たちの集まりだから、フュージョン・センターのような形でやたらと情報が集められ、共有され、ブラックホールに入っていくのは危険という議論だ。

かつてのインテリジェンスの世界の合い言葉はneed to knowで、知る必要のある人だけが知れば良いというものだった。ネットワーク時代にはneed to shareにしなくてはならないと私も自分の本の中で書いたが、逆に、need to shareの弊害が大きくなっていることに気づく。やれといわれたことをまじめにやりすぎてしまって問題を起こすのが政府機関の悪いところだ。

今日はこれから各国のネット・フィルタリングについての話を聞き、最後にクレイ・シャーキーのキーノートを聞いて終わり。シャーキーは最近Here Comes Everybody: The Power of Organizing Without Organizationsという本を出している(まだ読んでない)ので期待している。

ニュー・ヘブンの近くに海軍潜水艦博物館というのがあり、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が置いてあるらしい。是非途中下車したいが、今晩用事があるのでまた次回だ。

【追記】

ネット・フィルタリングのパネルはすばらしかった。クレイ・シャーキーの話もおもしろかった。来た甲斐があった。

【さらに追記】

上述のネット・フィルタリングのパネルについての記事がWIRED VISIONに掲載されている。聴衆は20人ぐらいしかいなかったけど、そこにアメリカのWIREDの記者がいたということか。さすがだ。

可愛い警官キャラ『警警』と『察察』が活躍、中国のネット検閲事情

インターネットの未来

ハーバードのバークマン・センター10周年のイベントに出てきた。ハーバード・ロースクールの研究所だったのだけど、ハーバード全体の研究所に格上げになったそうだ。いつの間にかヨーハイ・ベンクラーもハーバードに移籍しているし、ジョナサン・ジットレインもオックスフォードを離れ、スタンフォードではなくハーバードに来るみたいだ。ロースクールのディーンが猛烈な勧誘をみんなの前でやっていた。

ジットレインのキーノートはアグレッシブでおもしろい(内容的には2年前?にオックスフォードで聞いたプレゼンテーションのほうがおもしろかった。あれは即興だったからかな)。インターネットは岐路に立っているということだろう。IETFはもうダメになって、ITUが助けに来るらしい(もちろん、皮肉を込めて言っているのだけど)。彼が始めたstopbadware.orgの解説もしていた。ベンクラーが自著をウィキで公開したところ、バッドウェアを仕込まれて、そのウィキはマルサイト扱いをグーグルにされてしまったらしい。まったく何かがおかしい。

カンファレンスが終わった後、ある大御所の先生に会いに行った。その先生はだいぶ高齢だし、ユーザーとしてしかインターネットに関わっていないのだけど、私がやっている研究の話をしたら、なんでそんなことが問題になるのかと言われてしまった。中国だって楽しそうにインターネットを使っているぞとのことだった。でも、すべて管理されて政府の顔色伺いながらインターネットを使って楽しいんですか、プライバシーも自由もイノベーションも無くなりますよと言ったのだけど、通じなかったような気がする。でもそれが一般的な認識なのかなあ。心配しすぎなのだろうか。レッシグやジットレインのあおりに乗せられ過ぎているのかなあ。

安全保障という幕

アメリカ議会図書館はジェファーソン、マジソン、アダムズの3人の名前が付いた三つのビルで成り立っている。1997年に初めて英語のスピーチをしたのがマジソン・ビルの6階だ。まだ大学院生だった。10年以上経ったのに雰囲気は変わらない。

20080509LOC.JPGこの3日間、隣のジェファーソン・ビル(左の写真)のメイン・リーディング・ルームにこもった。この閲覧室はとてもきれいだが(残念ながら写真撮影は禁止)、円形になっているので方向感覚を失ってしまう。外は嵐だったが、ここは別世界だ。山のようにある資料に絶望的な気になるが、宝の山が眠っていると思ってコピーをとった。宝探しといえば、映画『ナショナル・トレジャー2―リンカーン暗殺者の日記―』では、この閲覧室の真ん中の扉を開けてから地下に逃げるシーンがある。通り抜けてみたいけど無理だ。

木曜日の夜は若手のMさん、Kさん、Oさんと会食。安全保障問題をざっくばらんに話すことができてとても良かった。昨晩は旧知の夫妻と食事に出かける。奥さんはロシア人なのだが、その友達がようやく出産を終えてパーティーに出かけ、妊娠中に我慢していたタバコとウォッカをついがんがんやってしまったらしい。帰ってきて授乳をすると、赤ちゃんが二日間目を覚まさなくなった。慌てたおばあちゃんが病院に連れて行こうとしたが、お母さんは気まずくてタバコとウォッカのことを口に出せない。母乳を通じて赤ちゃんは酔っぱらってしまったのだ。今では立派なウォッカのみに成長したという。

いくつか気になる新聞記事。

アナログ・テレビからデジタル・テレビへの移行実験が、ノース・カロライナ州で、初めて行われる。

テレビのデジタル移行は各国で問題になっているが、アメリカも例外ではない。特に低所得者層が移行できないと見積もられている。うまくいくかどうかの最初のテストが始まる。

ホワイトハウスが2003年のイラク開戦時の電子メール記録を失う。

ブッシュ政権というのはやはりどうかしているとしか言いようがない。開戦という一番大事な時期の情報を失うというのはどういう神経なのだろう。

FBIがインターネット・アーカイブにNational Security Letterを出す(後に撤回)。

NSLは非常に大きな問題のある手法で、このレターを受け取った人は、配偶者にもそのことを話してはいけない。話せるのは自分の弁護士だけだ。今回レターを受け取ったのは、ブリュースター・ケールというインターネット・アーカイブの共同創設者で、すばらしいビジョンの持ち主だ。この人の講演を聴いてとても感銘を受けたことがある。情報を全ての人にという精神を体現している人だ。ケールは、レターに疑問を持ち、撤回訴訟を起こした。FBIがあっさり撤回したために公表できるようになったが、NSLを使って強圧的な情報収集が行われているのは異常な事態だ。

今回、議会図書館で調べていたテーマの一つであるCALEA(Communications Assistance for Law Enforcement Act of 1994)も、クリントン政権時代の話なのだが、似たようなところがある。大きな影響を与える法律なのに、議会はほとんど審議せずに可決させている。少なくとも委員会レベルの公聴会を開いていない。小委員会レベルの公聴会では、内容の公式記録が出てこない。成立に際してホワイトハウスも何もコメントを出していない。

安全保障という幕の向こうでいろいろなことが行われてしまう。ブッシュ政権が行ったことは、後の歴史的な検証に耐えるのだろうか。今のままだと、政権終了後もどんどん変な話が出てきてしまうのではないだろうか。5月10日付のワシントン・ポストはチェイニー副大統領のトップ・アドバイザーであるDavid Addington氏を公聴会に呼べと社説で述べている。歴史的な評価というのはえてして逆転するものだけど、ブッシュ大統領はアメリカを救った偉大な大統領という評価を受けることになるのだろうか。

電力線だ!

20060227powerline.jpg

ニューヨークにやってきた。ホテルでチェックインしたとき、ブロードバンドがあるよと言っていたのに部屋には何もない。おかしいなと思ってフロントで聞くと、「10分ぐらい待ってて。部屋に持っていくから」という。DSLのモデムでも持ってくるのかと思ったら、持ってきたのは電力線(パワーライン)ブロードバンドのモデムだった。確か2002年にワシントンDC近郊でテストが始まっていて、あまり普及していないと聞いていたけどこんなところで出会うとは。

モデムを電気のコンセントとつなぎ、モデムとパソコンをイーサーケーブルでつなぐだけ。DHCPであっさりネットにつながった。スピードも悪くない。モデムを持ってきてくれた人によると部屋の中のどのコンセントでもいいらしい。もちろん、裏でいろいろ設定が必要なんだろうけど、これは手軽でいい。

【追記】

この会社のデバイス。

20060228powerline1.jpg

他の電波と干渉するというのが日本で問題になっているが、アメリカではFCCのパート15ルールが適用されているらしい。

20060228powerline2.jpg

世界で一番ブロガーが多い国は?

イランなのだそうだ。シンガポールの研究者に教えてもらったが、本当かな。現実世界での身分制が厳しいところで流行りつつあるという。インドでも現実世界ではカーストがうるさいが、ネットでは自由に議論ができるところが受けているらしい。

昔のサイバースペース論の焼き直しみたいな感じがするが、それだけインターネットが広がりつつあるということなのだろう。

シンガポールではSNSがまったく流行していないらしい。これもなぜなのかよく分からない。存在すら知らないみたいだ。

eInclusion

昨日、ある研究会で久しぶりに木村忠正先生の話を聞いた。日本、フィンランド、韓国の若者がどうやって情報技術を使っているのかを積極的に調査されている(各国の頭文字を録ってJFK調査というそうだ)。キーワードはEUなどで使われ始めているeInclusion。日本の学生のネット利用のキラー・アプリケーションは日記なのだそうだ。

日本はネット普及が遅れたといわれているが、人口構成比で高齢者人口が多い日本では、比率としてはどうしても低くなる。言われてみればその通りだ。韓国は朝鮮戦争のためにベビー・ブームが遅れ、人口構成が日本より若い。

たくさんあった論点のうち、興味深かった一つはSNSのとらえ方。SNSを積極的なコミュニケーションの場ないしツールとしてとらえるか、あるいはネット版のwalled gardenととらえるか。私は後者のように思うのだけど、どうなのだろう。

コンテンツ政策研究会

コンテンツ政策研究会の設立総会に行ってきた。デジハリっていいところにある。久しぶりに楽器屋をのぞきたくなった。総会は知っている人がたくさんいてアットホームに進む。だけど、スーツがやたらと多かったのが印象的。何人かに後で言われたけど、現場の人の声が反映されないといけない。とにかくみんなでやりましょうというのがねらいなのでひとまず良かった。その後の懇親会に行ったら、知っている人がとても少なくなったので早々に退散。もともとパーティーは苦手だ。

議論の中では境さんの話が印象的だった。クリエイターのインセンティブと産業のインセンティブをどうやって折り合いつけるのか考えないとダメとのこと。これがトレードオフになっているのか、Win-Winの関係にできるのか。

政策や規制は、きちんと動いていない市場を是正するか、あるいは何らかの意図で市場を歪曲するかのどちらかだろう。しかし、レッセフェールにコンテンツ市場をしておいたらどうなるのかの経済学的な分析がまだない。今までのコンテンツ市場はテレビ、漫画、映画、ネットなど縦割りに規制されていたから、規制がなくなったときにどうなるのかさっぱり分からない。経営学的な分析が多く、「こうすれば我が社、我が国に儲けになります」、「あの企業のビジネス・モデルはこうです」という議論が先行している。中村さんが言うように、コンテンツ政策は省庁横断的なんだけど、市場が水平に展開してきたときに何が起きて、どんな政策・規制が必要になるのか誰も分からない。市場を創り出すという第三のタイプの政策・規制がありえるとしたら、かなりの想像力が必要だ。

その辺のところがはっきりしないから、コンテンツ政策といってもまだ迫力が出てこない。「戦略」というのなら、「コンテンツを売って、外貨を稼いで、石油を買います」ぐらいのことを言ったほうがいいのではないかと思う。言い方は悪いけど、コンテンツは生活にどうしてもなくてはならないものではない。潤いを与えるもの。ガルブレイスのいう「ゆたかな社会」で作り出される欲望だろう。

ついでに、関連して12月6日にこういうイベント(pdf)もある。

ネット左翼

最近、毎日新聞の座談会にお呼ばれして出ている。1回目は授業で欠席したけど、2回目は成田空港からかけつけてフラフラながら出席。昨日、3回目の座談会があった。それぞれが論客なので聞いていて、とてもおもしろい。

昨日はネットとナショナリズムがテーマだったのだが、そういえば、ネット右翼は元気だけど、ネット左翼は最近元気がないなとふと思う。私の周りにもいっぱいいたはずなんだけど、別のことで忙しかったり、引退モードだったり。革命は終わってしまったのだろうか?

コンテンツ政策研究会設立総会のご案内

えっ、私も出るの?って感じだ。

コンテンツ政策研究会設立総会のご案内】

今日、デジタル化の進展、日本コンテンツの世界的評価の高まりを背景に、

コンテンツ政策の重要性がクローズアップされております。

その時流に即して、この度、コンテンツ政策を学産官共同で学際的に

研究するプラットフォームを形成すべく、コンテンツ政策研究会を

発足する運びとなりました。

つきましては、下記日程にてコンテンツ政策研究会の設立総会を兼ねた

フォーラムを開催するにあたり、ご出席のお願いをいたしたく、

ここにご案内させていただきます。

お手数をおかけいたしますが、11月18日までにコンテンツ政策研究会事務

局(contents@ifit.or.jp)まで下記出欠シートに必要事項をご記入の上、ご

返信くださいますよう、お願い申し上げます。

また、会場の収容人員には限りがございますので、定員以上のお申込があ

った場合は、お申込の先着順にて締め切りとさせていただきます。あらかじ

めご了承下さい。

ご多忙中とは存じますが、万障お繰り合わせの上、ご出席くださいますよう、

宜しくお願い申し上げます。