江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」『科学』第34巻12号、1964年、658〜659ページ。
47年前の論文。ただし、論文と呼べるほどの長さはなく、見開き2ページのB4サイズ。著者は日本国際電信電話株式会社の人。
1906年に太平洋の海底ケーブルは開通しているが、電信線1本だった。1956年に大西洋で同軸海底ケーブルが開通し、太平洋には1964年に敷設された。そこで使われた技術について解説している。細かい技術的な点はよく分からないが、大きなイノベーションだったことは分かる。
江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」『科学』第34巻12号、1964年、658〜659ページ。
47年前の論文。ただし、論文と呼べるほどの長さはなく、見開き2ページのB4サイズ。著者は日本国際電信電話株式会社の人。
1906年に太平洋の海底ケーブルは開通しているが、電信線1本だった。1956年に大西洋で同軸海底ケーブルが開通し、太平洋には1964年に敷設された。そこで使われた技術について解説している。細かい技術的な点はよく分からないが、大きなイノベーションだったことは分かる。
電子メールに費やす時間が本当にばかばかしくなってきたので、メーリングリストや情報提供メールの類をどんどん購読解消している。
ここ数年、そうしたものは読めない状態が続いていたから、この先受信し続けていても意味はない。
メールサーバへの負荷を減らすためにも、必要最低限のものしか来ないようにして、アクセスする頻度も減らそう。
ついでに、長々と書くのもやめて、相手には悪いけれども、ごく簡単な返信で許してもらおう。
その分、必要な研究や教育、大学運営、家庭にちゃんと時間をとれるように努力しよう。
駒村圭吾「国家なき立憲主義は可能か」『ジュリスト』第1422号、2011年5月1日〜15日、21〜28ページ。
慶應法学部の駒村先生。かつてSFCでも授業をしてくださっていたことがあって面識があるが、こんなことをお考えだったのかとちょっと驚く。ホッブズからサンデルまでいろいろな論者を引用しながら、国家の境界について議論されている。
構成的共同体の形成を批判的に査定しうる理論を用意することが必要である。ひとつの可能性は情報論であろう。互酬性の関係を担保するのは情報の相互交換のスケールである。だとすれば、愛着や安心を確保するために適切な情報を相互に提供できる範囲に構成的共同体は限定されるはずであり、それを超えて構想される構成的共同体は「想像の共同体」に等しく、抽象化された友敵関係の輪に転化する危険性をはらむことになる(28ページ)。
ソーシャル・メディアが実証的にそれをやっているともいえる。
友敵関係の境界線を相対化するには、国家の境界そのものの消去ではなく、それを前提とした上で多様な境界線を張り巡らすことによってなされるべきであろう。かかる重層的なネットワークが、共同体の実存的な要求を回収し、それに居場所を提供することになる(28ページ)。
ある共同研究のプロポーザルの参考にしようと思って読んだが、予想以上に刺激を受けた。
駒村圭吾「国家と文化」『ジュリスト』第1405号、2010年8月1日〜15日、134〜146ページ。
先の「国家なき立憲主義は可能か」を探したときについでにコピーしてきた論文。論文ではあるのだが、どうやら座談会の席の基調報告で、この後に長い座談会の記録が付いている(147〜169ページ)。
国家は文化に介入すべきではないという何となくのルールがあるような気がする。しかし、駒村先生は、「文化を掌握すれば意味の秩序を支配できたのである。国家は文化を支配することにより意味の秩序を支配しようとした。同時に、国家は、革命による政府転覆と同様に、急進や退廃による意味秩序の崩壊を常に恐れてきたのである」とある。なるほど。この視点はおもしろい。
戦後直後の日本に「文化国家」ブームというのがあったのもおもしろい。
座談会の最後に近いところに、こんな話が出ている。
私たちの業界で言えば、研究者・研究会を含む学界、査読システム、出版編集者……、ジュリストに寄稿するのに辿り着くまでは結構大変なわけです。下積みや修業の時代があって、同期・同僚の目を気にしながら、指導教授からいろいろなことを言われたり、出版社の人と飲み会をして執筆内容を揉んだり、あるいは長谷部[恭男]さんに鍛えられたりと、そういったことがあったと思うのです。(168ページ)
たしかに、こういう「業界秩序」は崩れつつあるなあ。
小柏葉子「太平洋統一機構構想と南太平洋フォーラムの地域協力」『アジア経済』第34巻1号、1993年1月、23〜35ページ。
引き続き、小柏論文。
アフリカ統一機構(OAU)にならってアジア太平洋統一機構(OPU)を作ろうというパプアニューギニアの構想がなぜ挫折したのかについて分析。パプアニューギニアとフィジーとの間の主導権争いや、アンザス条約との関係がおもしろい。あまり知られていないと思うが、アジア太平洋島嶼地域にも統一機構をめぐる政治的な駆け引きがあったことが分かった。
アンザス(ANZUS)条約(Australia、New Zealand、USの頭文字をとったもの)は米国の核戦力を基盤としていた。結局のところ、冷戦時代のこの地域は、米国の核なくして語れないということか。
小柏葉子「形成期SPFの性格と機能」『広島平和科学』第15号、1992年、53〜73ページ。
南太平洋フォーラム(SPF)初期の様子を考察している。
パラオが独立したのは1994年で、この論文が書かれたのは1992年。パラオはまだSPFに参加していないので、やはり記述がない。
SPF成立には、フランスの南太平洋での核実験や漁業問題があることが分かった。
小柏葉子「南太平洋フォーラム諸国の地域協力—南太平洋非核地帯条約成立をめぐって—」『国際法外交雑誌』第89巻5号、1990年、473〜499ページ。
パラオについて原稿を書かなくてはいけない一環で、南太平洋関連の論文を集めたうちの一本。著者は広島大学の先生(この論文を書いたときは津田塾大学助手)。
アメリカが核を太平洋島嶼国に持ち込むことがさまざまなところで問題になっていたことが分かった。オーストラリアとニュージーランドがそれに対してぶれた対応をしたことが島嶼国を困らせた。
しかし、パラオについてはひと言も書かれていなかった。残念。
フィジーの二大エスニック・グループがフィジー人とインド人というのは驚いた。
CENS-GFF Workshop on “The Geostrategic Implications of Cyberspace”にお招きいただき、シンガポールに来ました。久しぶりのシンガポール、噂に聞いていたビルの上の船が見えました。
初日の第2パネルで私はプレゼンテーション。第1パネルがいまいち停滞気味だったので、その間にスライドを作り直しておもしろく修正。相変わらずへたくそな英語ですが、笑いはたくさんとれました。次のIBMの人もエキサイトして話していたのでおもしろいパネルになりました。
私のプレゼンテーションの中で、日本ではインテリジェンスが弱いままで、サイバーセキュリティを担当しているNISC(内閣情報セキュリティセンター)とインテリジェンスを担当している内閣情報調査室(内調)の間に距離があると発言したところ、終わった後のランチタイムに当のNISCと内調の人が挨拶に来てびっくり。
ブレイクアウトセッションの後、第3パネルでは司会を仰せつかりました。3人のパネリストは、弁護士、法学教授、米国務省の役人で、それぞれ難しい法律用語を使い、米国法や国際法を引用するので何を言っているのかよく分かりませんでしたが、質問もたくさん出て無事に終了したので、良かったとしましょう。
最後は夕食会。ホテル内のレストランでバイキング(英語ではバフェーと言いますね)。小さめだけどロブスター食べ放題、オイスター食べ放題、カニ足食べ放題。すばらしい。
隣に座ったCentre of Excellence for National Security(CENS)の代表代理のBilveer Singh先生は日本の温泉好きと聞いてびっくり。その頭で温泉に入るときはどうするのでしょうと聞こうかと思ったけど、やめておきました。
反対の隣に座ったのはイギリスのエネルギーの研究者。福島の原発の話などをしているとき、「思い出してごらんよ。2000年は良かったよね。世界は平和で、経済も好調だった。その後の世界がこんなことになるなんて思わなかったよねえ」と言われて、その通りだなあと感傷的になりました。
2000年、30歳の私は研究者として駆け出しで、デジタル・デバイドなんかをやりながら、初めての本を出す努力をし、アメリカにでも行ってみるかと準備をしていました。サイバーセキュリティもインテリジェンスも研究テーマにはなっていなくて、インターネットがこれほど安全保障につながるとも思っていませんでした。地震も津波も原発問題もない、平和な時代でした。失われて初めて実感するものですね。
土屋大洋「日本のサイバーセキュリティ対策とインテリジェンス活動—2009年7月の米韓同時攻撃への対応を例に—」『海外事情』2011年6月号、16〜29ページ。
『海外事情』の情報セキュリティ特集に掲載していただきました。事前に名和利男さんが書かれていることは知っていましたが、他にも同僚の武田圭史さんや旧知の須田祐子さんなどが書かれいます。拓大の佐藤丙午先生のラインナップのようです。
情報セキュリティではないですが、旧友の坪内淳さんも書かれています。
土屋大洋「執筆ノート『ネットワーク・ヘゲモニー——「帝国」の情報戦略』」『三田評論』2011年5月号、79ページ。
こちらも自著紹介を書かせていただきました。
隣のページは、同僚の小川克彦先生の『つながり進化論——ネット世代はなぜリア充を求めるのか』の執筆ノートになっています。
土屋大洋「読書・著者が語る『ネットワーク・ヘゲモニー』」『公明』2011年6月号、79ページ。
以前原稿を書かせていただいたご縁で、自著紹介のページをいただきました。
土屋大洋「深く静かに潜行する中国のサイバー攻撃」『撃論』富国強兵号(vol. 1)、96〜103ページ。
「富国強兵号」というのがなんともすごい。
日本経済新聞で日本大学の岩崎正洋先生が拙著『ネットワーク・ヘゲモニー』の書評をしてくださりました。ありがとうございます。(でも、怖くてまともに読めません。)
チュニジアから始まった動乱が中東諸国に広がっています。ソーシャル・メディアが政治体制に影響を与えることは、すでにいろいろなところで議論されています。クレイ・シャーキーがフォーリン・アフェアーズに「ソーシャル・メディアの政治的パワー」という文章を書いていますし、ヒラリー・クリントン長官が昨年に続き、今年もインターネットの自由に関する演説を行いました。私の『ネットワーク・ヘゲモニー』にも中国の反日デモを題材に書いてあります。
『ネットワーク・ヘゲモニー』にはウィキリークスやフェイスブックのことはほとんど書けなかったのですが、脱稿後にいろいろ読んでみて、一連の動きは「透明性革命」といえるだろうと思い始めました。「透明な革命」ではありません。「社会の透明性を求める革命」という意味です。
デビッド・カークパトリック『フェイスブック 若き天才の野望』(日経BP、2011年)には以下のような言葉があります(290ページ)。
自分が誰であるかを隠すことなく、どの友だちに対しても一貫性をもって行動すれば、健全な社会づくりに貢献できる。もっとオープンで透明な世界では、人々が社会的規範を尊重し、責任ある行動をするようになる。