創発する社会@ORF

Souhatsu_coverh1on國領二郎編著『創発する社会—慶應SFC〜DNP創発プロジェクトからのメッセージ—』日経BP企画、2006年。

ちょっと宣伝。今月22日、23日のORF(Open Research Forum)2006に合わせて発売。私も少しだけ書く。プロジェクトは参加していてすばらしく刺激的で創発的。そうした雰囲気がうまく本を通じて伝わるといいのだけどどうだろう。この画像では分かりにくいが、表紙カバーに少し凹凸がついていて、おもしろい。

書籍自体は22日朝から下記二店舗で先行発売。

◎丸善 丸ビル店
◎丸善 丸の内本店(オアゾ内)

ORFでも関連セッションあり。

「慶應SFC〜DNPセミナー『創発する社会』」11月22日(水)18:00-19:30

ORFでは他に二つのセッションに顔を出す予定。

「クリエイティブ社会のための法制度-クール・ブリタニカとクール・ジャパン」11月22日(水)14:00-15:30

「SFC研究プロジェクト見学会」11月23日(木・祝)10:00-11:30 ※高校生向け

人脈づくりの科学

安田雪『人脈づくりの科学』日本経済新聞社、2004年。

著者はネットワーク分析の第一人者。お目にかかったことはないが、本書の中のご本人の弁によれば、人見知りをされる方のようだ。だから、前半の書きっぷりは控えめなのだが、後半になるとおもしろい。自分の人間関係を見つめ直そうかという気になる。どうやら堅固なネットワークよりも、緩いネットワークのほうがいいらしい。どうにもならなくなったネットワークの壊し方まで書いてある。

観艦式

20061022sdf自衛隊の観艦式予行を見に行った。おそらく9年ぶりではないかと思う(昨年、江田島を見学させてもらったけど)。

観艦式とは、観閲官である総理大臣が海上自衛隊の防衛力を実地で見るというもので、相模湾で行われる。来週の本番までに予行が3回行われる。それぞれ数千人の一般の人々が数十隻の護衛艦などの上から見守る一大イベントだ(写真の護衛艦のデッキにも人がわさわさ乗ってます)。

何とか級何番艦というスペックが全然頭に入らない私はミリオタではないし、自衛隊に強い興味があるわけでもないが、自衛隊を語る前にこういう現場を見ておくことは重要だと再認識する。

それにしても、自衛隊には何も興味ないはずの同僚T氏が、フネオタ(船のオタク)というだけで、高級カメラと一脚を持ってきていたのにはびっくりした。

コンサート・オブ・デモクラシーズ

久しぶりに国際政治学会に行ってきた。ここ数年はいろいろ重なってしまって行けないでいた。自分の発表は初日の最初の部会で終わってしまったので、残りの時間はじっくりと他の部会や分科会を見て回ることができた。

今回は50周年記念大会で、記念シンポジウムが開かれた。基調講演は緒方貞子さん。パネル・ディスカッションでG・ジョン・アイケンベリー教授が「コンサート・オブ・デモクラシーズ」という言葉を使っていたのにはっとした。興味深い言葉だ。報告書が出たばかりのようだ。デモクラシーのように定義する人によって違う言葉を使ってコンサート(調和)が築けるのだろうか。

北京弾丸ツアー

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水曜日に一泊二日で北京まで行く。記憶違いでなければ北京は5年ぶりだ。2001年に行ったきりのような気がする。ネット関係の聞き取り調査で、Hさんにお世話になりっぱなしだった。ありがとうございます。

回れたところは当然少ないけれど、人民日報のウェブ版である人民網や政府とパイプを持つコンサルティング会社などで良い話を聞くことができて、大きな収穫があった。一枚目の写真は、人民網でライブチャットをするときのスタジオ。ちょうど終わったところだったが、こんな風に輪になりながら、オンラインで議論しているらしい。

本当はいつもお話しをうかがう星流さんにも行きたかったのだが、時間がなくて断念。平壌ウォッチャーの方との朝食も実におもしろかった。

20060920beijing_1夜は、Hさんの友人であるYさんの会社の大宴会に参加させてもらった。なんと西太后の避暑地だった頤和園である。ネット系ベンチャー企業なのだが、中国、アメリカ、日本、ドイツ、カナダに拠点を持つ勢いのいい会社だ。舞台では音楽や踊りを見せてくれているが、宴会自体が賑やかなので実に楽しい。英語、中国語、日本語が飛び交う。

しかし、疲労と寝不足と北京の砂埃にやられて、帰国してから一日ダウンしてしまった。おかげで出なくてはいけない研究会に出られず、何のために弾丸ツアーにしたのかよく分からなくなってしまった。

有効期限付きの帝国

大学の夏休みは長くていいですねといわれるが、そんなことはない。単に授業がないというだけだ。確かに自由裁量の余地が大きいが、こういう時にしかできない仕事も山ほどある。そうした仕事が終わらないうちに授業開始が迫ってくるのは恐怖に近い。世の中は連休なのだろうが、休んでいる余裕はない。

Niall Feruguson, “Empires with Expiration Dates,” Foreign Policy, Semptember/October 2006, pp. 46-52.

昔の帝国は長命だったが、20世紀以降の帝国は短命だそうだ。15世紀に始まったオスマン帝国は469年、ハプスブルグ帝国は392年、大英帝国は336年。しかし、継続中の米国は106年、同じく継続中の中国は57年、ソ連は69年、大日本帝国は49年、ナチスは6年。帝国の定義が広いのだと思うけど、おもしろい数字だ。

帝国としての米国も短命になりそうだと示唆している。国内的な制約があるからだ。第一に兵士の赤字、第二に財政の赤字、第三に注目の赤字である。米国は兵士もお金も失いたくない。国民が戦争を支持してくれる期間も短いというわけだ。

人間の終わり

フランシス・フクヤマ『人間の終わり—バイオテクノロジーはなぜ危険か—』ダイヤモンド社、2002年。

金曜日から一泊で慶應の鶴岡タウンキャンパスへ行ってくる。慶應のバイオ研究の拠点だ。一度行ってみたかったのだが、バイオのことはあまり分からないので、この本を読む。

フクヤマは、冷戦が終わりかけた1989年に「歴史の終わり?」と題する論文を書いて大騒ぎを起こした。リベラルな民主主義が勝利し、体制間論争が終わったという点で歴史が終わったと指摘したのだ。これはたくさんの議論を呼び起こした。

この拙稿に対する多くの批評を通じて考えさせられたが、唯一反論できないと思ったのは、科学の終わりがない限り、歴史も終わるはずがない、ということだった。(iページ)

というわけで書かれたのがこの本である。冷戦後の世界をポスト冷戦というが、フクヤマは、バイオが社会に浸透することによって、人間の時代が終わり、ポストヒューマンの世界が来るという。

本書の目的は、[『素晴らしき新世界』を書いた]ハックスリーが正しいと論じること、現代バイオテクノロジーが重要な脅威となるのは、それが人間の性質を変え、我々が歴史上「人間後」の段階に入るかもしれないからだ、と論じることである。(9ページ)

バイオテクノロジーは、将来大きな利益をもたらす可能性がある反面で、物理的に見えやすい脅威、あるいは精神的で見えにくい脅威を伴う。これに対して、我々はどうすべきなのか。答えは明白である——国家の権力を用いて、それを規制するべきだ。(13ページ)

飛行機でこれを読みながら、どんな恐ろしいことが起きているのかと思って、庄内空港に到着。

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朝一番早いフライトにしたので、午前中は世界で一番クラゲの種類を集めているという加茂水族館へ。規模はそれほど大きくないが、クラゲだけは多い。クラゲには脳も心臓も血液もない。生物だから遺伝子は持っているが、意識はないわけだ。水槽の中で傘を閉じたり開いたりしながら浮遊している。ヒトも生物だが、クラゲも生物だ。クラゲアイス(刻んだクラゲが入っている)を食べながら、あらためて生物とは何かを考えるが、当然結論は出ない。バスに揺られて鶴岡へ(しかし、この水族館は、車がないとアクセスが悪い。バス停は遠くて、数が少ないので要注意。山形は車社会だ)。

鶴岡キャンパスのの施設はいくつかに分かれていて(行くまで知らなかった)、大きく分けるとキャンパスセンターとバイオラボ棟に分かれている(ここを参照)。両者は2キロぐらい離れていて、前者は市内中心部のお堀端、後者は田んぼの中。

バイオラボで施設見学をしたり、院生や教員の話を聞いたりする。ここでの研究の中心はメタボロームである。生物の細胞の中は、genome<transcriptome<protenome<metabolomeというようにレベル分けがされる。それぞれの細胞には600〜4万ぐらいの代謝物質というのがあり、メタボローム研究というのは、この代謝物質が何なのか、これがどんな病気と関係しているのか、というのを研究するものらしい。鶴岡にある先端生命科学研究所は、この分野で世界のトップだという。

メタボロームという言葉自体は新しくはないそうだが、最近ではメタボリック・シンドロームという言葉がバブル気味に使われている(ウエスト・サイズが問題だという話だ)。メタボロームの研究を始めたときは、センスが悪いといわれたそうだが、新しい電気泳動の装置を開発することによってブレークスルーが起きた(数年前アメリカで聞いたとき[この文章の後半のフォーマットが崩れているなあ]にはゲル電気泳動と言っていたが、それより進化しているらしい)。

話を聞きながら、『人間の終わり』とは違って、実にドライで、ビジネス・オリエンティッド(特許や創薬の話が絡むので)だと思った。フクヤマのような悲観論ではなく、科学が病気を治すことができるという信念に基づく楽観論である。ヒトはこのままどんどん変わっていくのだろうか。

それにしても、研究環境としては鶴岡キャンパスはすばらしい。ご飯はうまいし、四季折々を楽しめる。車社会だから若干渋滞はあるみたいだが、通勤地獄はない。SFCへの交通アクセスと比較すると何ともうらやましい。

知的生産者たちの現場

藤本ますみ『知的生産者たちの現場』講談社文庫、1987年。

古本屋でたまたま見つける。筆者は京都大学時代の梅棹忠夫先生の秘書。秘書に雇われた経緯から、国立民族学博物館の開設に伴う京大研究室閉鎖までの時代について書いてある。

低血圧であること、先生がお酒好きなこと、それをだしにしているかどうかは知らないけれど、原稿がなかなかできあがらず、いつも締め切りにおくれること、それで編集のかたがご苦労なさること、どれもみなほんとうのことである。(97ページ)

『知的生産の技術』の番外編みたいで興味深い。梅棹先生が実は遅筆だったと知って驚く。一週間も編集者が見張っていたのに原稿が書けなかったエピソードも紹介されている。あんなにおもしろい著作がたくさんあるのに不思議な感じだ。

それにしても、アイデア・ハックの先駆者だなあ。

膨張中国

読売新聞中国取材団『膨張中国—新ナショナリズムと歪んだ成長—』中公新書、2006年。

 中国側は靖国問題にひときわ神経をとがらし、[二〇〇五年]八月十五日を見据えていた。なぜ、こうまで靖国神社にこだわり続けていたのか。
 七月末、南部の広東省で会った党内事情に詳しい関係者が、ようやく答えを与えてくれた。彼は声をひそめながら、「カギは四月の反日デモだ。実は、あの時、政権は追い詰められていた」と口を開いた。

新聞連載時から時々読んでいた。まとめて読み直すとやはりおもしろい。迫力がある。

「みんなの意見」は案外正しい

ジェームズ・スロウィッキー(小高尚子訳)『「みんなの意見」は案外正しい』角川書店、2006年。

富士通総研の吉田倫子さんに原書の時から薦めてもらっていたが、翻訳が出るまでほったらかしにしていて、ようやく読んだ。おもしろかった。原書のタイトル『The Wisdom of Crowds』は、チャールズ・マッケイの『Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds(狂気とバブル)』のオマージュなんだそうだ。

正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断を下せる。一度も誤った判断を下すことがない人などいないのだから、これは嬉しい知らせだ。(9〜10ページ)

確かにうれしい知らせだ。

一〇〇年の間にはどんなに賢い人でもおバカな発言をすることがあるので、彼らの見当違いの予測を珍しい例外と見做すこともできる。だが、専門家たちの悲惨な業績の記録はとても例外的とは思えない。(51ページ)

これはうれしくはないが、たぶんその通りだ。専門家(研究者)は、常識とは違う説明を追い求めている。常識通りの研究の価値は低いからだ。今までと違うからこそ研究の意義がある。

マスコミにコメントを求められるときも、「なるほど」と人をうならせるコメントを求められる。しかし、真実は常識的なところにあることが多い。人が知らないことならいざ知らず、奇想天外な仮説はやはり外れることが多い。だからこそ研究は難しい。

あの香りの原因

わがSFCの卒業生はすでに1万人ぐらいになるらしい。そのほぼ全員が驚き、失望したのが、あの「香り」であろう。雨が降った後などにキャンパス中に漂う強烈な「香り」である。おしゃれなシティ・キャンパスでないことは分かっていても、あの香りと慶應のイメージとは明らかにかけ離れており、新入生をがっかりさせてしまう。

その原因についてはすでにSFC CLIPが詳細なレポートを出している。この辺から香りが飛んでくる。

誰もが忌み嫌うこの香りなのだが、一度この豚肉を味わうと許せるようになるという噂がある。

藤沢市遠藤近辺ではSFCができる前から畜産が行われていたとのことで、頑張っているのがみやじ豚.comである。SFCの卒業生の宮治さんがやっている。しかし、ここの豚肉はなかなか手に入りにくいらしい。

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そのみやじ豚をなんとlunch_lunchさんが苦労してなんとか入手し、バーベキューに持ってきてくれた。この写真ではそのおいしさは伝わらないと思うけど、やはり許してしまおうかなという気になった。mshoujiさんやktagumaさん他、皆さんもありがとう。

日本の神々

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先週、九州を旅してきた。一番おもしろかったのは、高千穂の天岩戸神社だ。神話にある天照大神が隠れてしまったという岩戸がある。岩戸は神社から川を挟んだ崖っぷちにあって、お願いすれば川を挟んで20〜30メートル位のところから見せてもらえる。写真はNGだが、洞窟はかなり大きな岩壁の中腹にあって、屋根にあたる部分と床にあたる部分は崩れ落ちてしまっているそうだ。大きな岩の裂け目になっているといったほうがいい。崖の斜面に生えた木々で覆われてしまっているが、大きな台風が来ると、その木々も崩れ落ちていってしまうという。

神社の方のお話しがまたおもしろい。日本で神様になる人は、生まれたときから神様なのではない。菅原道真など、実際に生きていた人が、死後になって神様として祭られるようになる。天照大神も今では太陽の神ということになっているが、実は普通の人だった。しかし、亡くなった後にその人を偲ぶ人たちから天照大神と呼ばれるようになったのであって、生前には普通の人間としての名前を持っていたはずだという。

しかし、本当なのかなあ?

聞きながら、キリスト教やイスラームのような一神教の神と、日本の神々とは本質的に異なるのだと思った。一神教の神はこの世に生まれたことはない。預言者を通じて話をするだけだ。天岩戸神社の方によれば、日本の神々になった人々は、この世に生きた人たちだ。

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九州の最終日、中津まで足を伸ばして、福澤諭吉記念館にも立ち寄る。福澤先生(とKOでは呼ばなくてはならない)が19歳まで過ごした旧居が保存されている。勉強したという土蔵はあいにく修復作業中だった。記念館の中では50分もかかる福澤先生の生涯についてのビデオが流されている。その冒頭で、少年時代の福澤先生が、神社のお札を踏みつけてみたけど何も罰が当たらなかったという有名なエピソードが紹介されていた。愉快な人だ。

フロー体験

鎌倉の円覚寺で暁天坐禅会に参加する機会があった。早朝5時半から1時間で、誰でも参加できる。坐禅に参加するのは初めてだ。友人H君とその義弟M君とともに参加。20人ほどの人が参加していて、常連に見える人たちも多い。20分坐禅、1分休憩、20分坐禅、最後に読経という流れだった。テレビでよく肩をバチーンと叩いているが、ここではお坊さんが前を通りかかった際に手を合わせながらお辞儀をすると叩いてくれる。

残念ながら、初めてで好奇心が高ぶっていたせいか、汗が流れ落ちるほど暑かったせいか、無我の境地にも悟りの境地にも達することができなかった。残念。

その後、M・チクセントミハイ著『フロー体験—喜びの現象学—』を読み始める。最初は誰に教えてもらったのか忘れたが、買ったまま本棚に入っていた。その後、3月に知り合った人に読むといいよと教えてもらったが、それでも読まなかった。自分の研究に直接関係はなさそうだし、細かい字で分厚い本だということで敬遠していた。しかし、ダニエル・ピンク著『ハイ・コンセプト』にも紹介されていたし、夏休みだということで読み始める。

ここでいうフロー体験とは、要するに楽しくて没入してしまうこと、時間が流れる(フロー)のを忘れてしまうほど没頭してしまうことだ。あらゆる楽しいことには文化を越えてフロー体験が見られるという。自分が今正しいことをしているという感覚があり、他のことに気をとられない状態になっていないとフロー体験は得られない。「フロー体験」という言葉は何となくいかがわしい感じがするが、文化を越えて大規模なインタビュー調査をした結果に基づくまじめな心理学・社会学の本だ。日本の暴走族の少年にもインタビューしている。

お金持ちになるとか、権力を持つとか、そういったことは実は幸せや喜びにはつながらない。原始人と比べればわれわれは物質的にはるかに豊かなのに、われわれが精神的な満足を得られないのはなぜなのかというのがハンガリー移民でシカゴ大学の教授になったチクセントミハイの問題意識だ。幸せや喜びは、実は自分の内的なところに発している。

たぶん、私が研究を職業としたいと思ったのも、いろいろな出来事を調べ、研究することでフロー体験が得られるからだろう。逆にいろいろな瑣事で没入ができないといらいらしてしまう。いかにして好きなことに没入できる環境と時間を確保するかが重要なのだろう。

坐禅をしながらいろいろ考えてしまうのも、集中できる環境・状態にないからに違いない。坐禅は自分の状態をチェックすることにつながるのかもしれない。

鎌倉で旧友とその家族たちと過ごすのも時間を忘れる一種のフロー体験だった。

ハイ・コンセプト

荒野高志さんのおすすめでダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』を読む。芸術的センスのなさを悲観し、左脳主導的な仕事ばかりしてきたことを反省する。

今、SFCではカリキュラムを作り直しているが、「『専門力』ではない『総合力』の時代!」という<はじめに>の言葉には励まされる。本の帯や大前研一さんの訳者解説には、給料とか富という言葉が出てきて、ノウハウ本なのかと思うが(私はノウハウ本も好きだけど)、大きな社会変化を示唆している本だ。トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』とも呼応している。

「ハイ・コンセプト」とは「パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力、などだ」という。そして、対になる「ハイ・タッチ」とは、「他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力など」である。

そして、「今の仕事をこのまま続けていいか」という疑問に三つのチェックポイントを提示してくれている。

(1)他の国なら、これをもっと安くやれるだろうか

(2)コンピュータなら、これをもっとうまく、早くやれるだろうか

(3)自分が提供しているものは、この豊かな時代の中でも需要があるだろうか

ううむ。教育は例外だとはいえない時代だよなあ。

滋賀の旅:長浜

旅の最終地は長浜。秀吉が城と町を作った。その後、NHKの大河ドラマ『功名が辻』で取り上げられている山内一豊と千代が、土佐藩に移る前に住んでいたところだ。残念ながら再建された長浜城はいまいち迫力がない。近くに大きなマンションが建ってしまっているのも興ざめだ。しかし、中の博物館は割と楽しめた。ここの売店で中公新書の宇田川武久『鉄炮伝来』(中公新書、1990年)を思わず買ってしまう。

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長浜では食べ物が楽しめた。彦根には申し訳ないけど、長浜のほうがおいしいような気がする。みんな観光客向けのお店だけど、まずは鳥喜多の親子丼。けっこう繁盛している。おいしいけど分量が物足りない。地元の人らしきおっちゃんたちは麺類も一緒に食べていた。

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二軒目は茂美志(もみじ)やの「のっぺうどん」大きくて分厚い椎茸が入ったあんかけうどんだ。

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最後に、滋賀といえば近江牛。もちろんおいしかったけど、ヒットは「よいこのびいる」だ。きれいに泡がたって色もそっくりだが、甘いジュースだ。東京の飲み屋にも置いてくれれば、私は飲むぞ。

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滋賀の旅:国友

今回の旅でもう一カ所行きたかったのが国友だ。戦国時代に鉄砲を作ったところである。技術と国際政治を研究している者としては避けられない。

国友は長浜のすぐそばだが、やたらと静かなところだ。なぜか司馬遼太郎の碑がいくつもある。『街道をゆく24 近江散歩・奈良散歩』で紹介されたらしく、そこからの引用がいくつも碑になっているのだ。そのうちの一つにあるように、とても静かだ。しかし、決して貧しいわけではない。人影が無く、物音がしないのだが、家々はとても大きく立派で、よく手入れがされている。昔ながらの豊かさをうまく受け継いでいるのだろうか。もちろん、今は鉄砲は作っておらず、火薬を応用した花火や、鉄砲の装飾を応用した金細工などが行われているらしい。しかし、工場や作業場らしきものは見あたらなかった。

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ここには国友鉄砲の里資料館というのがある。それほど大きなものではなく、受付のおじさんがいるだけで、他に見物人もいなかったが、なかなか楽しい。最初に真っ暗な部屋でスライドショーを見せてくれる。後ろでスライドががしゃがしゃと入れ替わるおもしろいシステムなのだが、映画のように鉄砲と国友の歴史を見せてくれる。

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二階の展示室にはずらりと鉄砲が並んでいる。火縄銃を見るのも初めてだ。けっこう長い。

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実物を持ってみることもできる。ずしりと思い。これを持ち歩くのは大変だろう。弾込めにもそれなりに時間がかかりそうなので、信長がやったように、何列かに分けて順番に使わないとあっという間に相手の馬が迫ってきてしまうに違いない。弾が撃てる状態になっていないと、この重さでは足手まといになったのではないだろうか。

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このお店も司馬遼太郎の本に出てくるらしい。天文十三年というのは、種子島に鉄砲が伝わった翌年だという。このお店の中に国友鉄砲鍛冶資料館というのがあって、司馬はそこにも入ったようだ。しかし、今は見られないそうなので、外からだけ。

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滋賀の旅:安土

なぜ琵琶湖周辺を旅しようかと思ったかというと、小学校の時に織田信長の安土城について調べたことがあって、是非行ってみたいと思っていたからだ。安土城は信長が本能寺の変で敗れてからすぐに燃えてしまったので、小学校の時に調べたときは謎の城ということになっていた。しかし、先日お酒の席で、T先生が「安土城は発掘が進んできてかなりおもしろい」と言っていて、これはいかなくてはと思っていたのだ。

たぶん1980年代だったと思うが、安土城の図面が見つかったので、それを元にいくつか模型が作られている。下の写真は安土駅前の安土町城郭資料館にある20分の1のもの。ちなみにこの模型はまっぷたつに割れて、内部も見ることができる。

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また、いつだったかの万博のために天守閣も実物大で復元されている。信長の館というところにそれが置いてある。

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最上階の内部は実にきらびやかだ。しかし、内部の装飾については文献に基づいて「こんな感じだったのでは」という想像よるものだそうだ。

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今は普通の山になってしまっている安土城。真ん中の山の頂上に天守閣があった。

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天守閣跡まで登ることができる。この階段は入り口付近。城が焼け落ちた後、中腹にあるお寺だけが残り、そのお寺がずっと管理してきた。発掘調査が進むとともに、観光地化も進められるようで、今年の秋からは入山が有料になるそうだ。この写真の階段は、土砂で埋もれていたものを掘り起こし、石を積み直して登りやすくしているが、上に行くほど段差がきつく、非常にくたびれる。真夏なので汗がしたたり落ちる。こんなもの毎日登っていたら大変だ。

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この写真はところどころにある石仏。信長はこんなものまで敷石にしてしまった。彼のラディカルな思想が現れていておもしろい。現物は見つけられなかったが、墓石まで敷石になっているそうだ。

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入り口に近いところにある羽柴秀吉の邸宅跡。ここの発掘が一番進んでいて、安土城考古博物館というところに解説がある。石階段を挟んで秀吉邸の向かい側には前田利家の邸宅跡とされているところがあるが、こちらの発掘はあまり進んでいないようだ。どちらも山の中にあるせいか、それほど大きなスペースではない。

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30分ほどかけて急な石階段を上ると、二の丸に信長の廟がある(入れない)。その上の天守跡がこの写真。礎石が並んでいるだけで、木々に覆われている。

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天守跡の石垣を登って藪の中へ入っていくと、琵琶湖が見えるスペースがある。安土山の周りは、今は田畑になっているが、これは埋め立て地で、信長の時代は城のすぐ下にまで湖が来ていたという。さぞかしいい眺めだっただろう。

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エジプトのピラミッドにも中国の万里の長城にも行ったことはないが、権力者というのはとてつもないものを作るものだ。

滋賀の旅:彦根

だいぶ間があいてしまった。春学期はいろいろあって書く暇と気力がなかった。

ある研究会の合宿で琵琶湖まで行ってきた。遅ればせながら読んだ『ウェブ進化論』によると「あちら側」に情報を置いておくことが重要なので、写真と感想を書いておこうと思う。

たぶん、琵琶湖を直に見るのは初めてだったと思う。鉄ちゃんのA先生が、湖西線は最高だと言っていたので期待していたが、電車の中は部活の合宿の高校生であふれかえっていて、景色など楽しめなかった。

合宿が終わった後、かんかん照りの中、最初に行ったのは彦根城。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼ゆかりの場所。なかなか立派なお城だ。

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船に乗って遊びに行ったのが竹生島。船で30分ぐらいかけて行くのだが、琵琶湖は広いと実感。

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この島は断崖絶壁で囲まれていて、一カ所だけ船が着けられる港がある。島は山になっていて、神社や資料館などがある。下の写真は豊臣秀吉が寄進したという竹生島神社。

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ここから見ると琵琶湖は海のように見える。

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ホテルから見えた夕日。

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トラフィック横流し

AT&TがトラフィックをNSA(国家安全保障局)にそのまま横流ししているという話が駆けめぐっている。AT&Tの元従業員の協力を受けたEFFが訴訟を起こした。

Whistle-Blower Outs NSA Spy Room@Wired News

AT&T Forwards ALL Internet Traffic Into NSA Says EFF@LinuxElectrons

使われているのはNarusというアメリカの会社の機器で、最近では上海テレコムがVoIPをブロックするために発注したという。

China Firm Wants Internet Calls Blocked@ABC News

『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンの『パズル・パレス』という訳本が出た。NSAが舞台らしいので買った。しかし、原題はDigital Fortress(デジタル要塞)だ。パズル・パレス(The Puzzle Palace)はJames Bamford が書いたNSAのノンフィクションの本のタイトルだろうに。原書を読もうと思って勘違いする人がいそうな気がする。

ちなみに『ダ・ヴィンチ・コード』は著作権侵害で訴えられたが、著作権は表現をカバーするだけだから、アイデアは著作権ではカバーできないのでは。同じアイデアで売れた本に対する腹いせの訴訟なんだろうか。

さらについでに、4月7日の日経夕刊に、聖書に出てくる裏切りのユダは、実はキリストに頼まれて裏切りをセットアップしたという内容の古文書が発見されたという記事が出ていた。これも何だか小説になりそうなネタだ。2000年を超えてユダの名誉が回復されるのだろうか。考古学って地味だけど楽しそうであこがれる。

1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開:ユダに関する新説を提示@ナショナルジオグラフィック日本版