デイヴィッド・ワイズ『中国スパイ秘録』

デイヴィッド・ワイズ(石川京子、早川麻百合訳)『中国スパイ秘録—米中情報戦の真実—』原書房、2012年。

 どぎつくやっているなあというのが感想。

 FISA(Foreign Intelligence Surveillance Act)の実際の運用についていくつも記述があるのがとても参考になる。

 最終章はサイバーセキュリティを扱っているが、これはあっさりとしている。

ボブ・ウッドワード『ディープ・スロート―大統領を葬った男―』

ボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『ディープ・スロート―大統領を葬った男―』文藝春秋、2005年。

 つい最近のことと記憶していたけれども、発行されたのは7年も前。7年間も「つん読」状態になっていた。

 「ディープ・スロート」は言うまでもなく、ウォーターゲート事件でワシントン・ポスト紙の情報源となった人物のこと。実際にはFBI副長官だったマーク・フェルトであった。彼は、長くFBI長官として君臨していたフーバーの後継をねらっていたが、そうはならなかったという事情がある。

 当時と2000年以降の裏事情を説明した本。

 しかし、晩年のフェルトが記憶をかなり失ってしまい、2008年に亡くなってしまったので、全容は分からなくなってしまった。

ボブ・ウッドワード『ディープ・スロート―大統領を葬った男―』

ボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『ディープ・スロート―大統領を葬った男―』文藝春秋、2005年。

 つい最近のことと記憶していたけれども、発行されたのは7年も前。7年間も「つん読」状態になっていた。

 「ディープ・スロート」は言うまでもなく、ウォーターゲート事件でワシントン・ポスト紙の情報源となった人物のこと。実際にはFBI副長官だったマーク・フェルトであった。彼は、長くFBI長官として君臨していたフーバーの後継をねらっていたが、そうはならなかったという事情がある。

 当時と2000年以降の裏事情を説明した本。

 しかし、晩年のフェルトが記憶をかなり失ってしまい、2008年に亡くなってしまったので、全容は分からなくなってしまった。

ジョージ・W・ブッシュ『決断のとき』

ジョージ・W・ブッシュ(伏見威蕃訳)『決断のとき』(上・下)日本経済新聞社、2011年。

 ウッドワードの一連のブッシュ政権内幕ものと内容は一致しているところが多いが、強弱の付け方や記述の厚みの付け方はずいぶん違う。意外なところが詳しく書いてあり、興味深い。私が知りたいFISA(Foreign Intelligence Seruveilannce Act)についてもそれなりに書いてある。

 それにしても、キリスト教への信仰によって政治が動かされていたということが印象に残る。

ウッドワードもの

ボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『ブッシュのホワイトハウス(上・下)』日本経済新聞社、2007年。

ボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『オバマの戦争』日本経済新聞社、2011年。

 できれば毎日一本は専門の論文を読みたいと思っていて、なるべくこのブログで記録しようと思っている。それなりに読んでいるけど、記録する手間を惜しんでしまう。

 論文ではないけれども、最近は気分を変えたくて、仕事帰りのバスと電車の中で上記の3冊を読んでいた。『ブッシュのホワイトハウス』はかなり評判が良くて、原著発売直後に買っていたけれども、どこかに行ってしまい、そのうち翻訳が出るからいいやと思っていたら読み損ねていた。

 評判通り、『ブッシュのホワイトハウス』はおもしろい。さんざんインタビューに応じたと思われるラムズフェルド国防長官がぼろくそに書かれていて気の毒でもある。同じ著者による『ブッシュの戦争』や『攻撃計画』と重なる部分もあり、つながっている本でもある。

 ただ、『ブッシュの戦争』と『攻撃計画』でブッシュ政権がぼろくそに書かれたこともあり、『ブッシュのホワイトハウス』についてはブッシュ大統領はインタビューに応じなかったようだ。

 その後、『オバマの戦争』を読み始めたら、ラムズフェルド国防長官が解任されたシーンが出てこない。翻訳されていないけれども、『ブッシュのホワイトハウス』と『オバマの戦争』の間には、

Bob Woodward, The War Within: A Secret White House History 2006-2008, New York: Simon & Schuster, 2008.

というのが出ていた。しまった。慌てて手に入れたが読めていない。

 翻訳されなかったのはおもしろくなかったからだろうか。

 そのまま『オバマの戦争』を読み終えたが、こちらはアフガニスタンへの米軍増派のプロセスが延々と書かれていて、いまいちおもしろくない。ラムズフェルドやコリン・パウエル国務長官、コンドリーザ・ライス安全保障担当補佐官、ジョージ・テネットといった役者が揃っていないからか。それに比べてオバマ政権の閣僚たちはいまいち小物だ。この本の出版時点ではオサマ・ビン・ラディン殺害も起きていない。

 オバマ大統領への直接のインタビューは1時間ほどだったようだ。ネタもとはジョーンズ補佐官や軍関係者なのだろうか。しかし、軍の将軍たちがどうしようもない存在として描かれている。

 ただ、この本の冒頭で描かれているブッシュ政権からオバマ政権への移行プロセスと、インテリジェンスの役割については非常におもしろいので、授業でも使おうと思う。

 The War Withinに戻らないで、今はブッシュ大統領の回顧録『決断のとき(上・下)』を読んでいる。当然ながらウッドワードの視点とは全然異なる。読み比べるとおもしろい。特に、ブッシュが信仰によって強く支えられているという点が印象的だ。

井出明「東日本大震災における東北地域の復興と観光について」

井出明「東日本大震災における東北地域の復興と観光について—イノベーションとダークツーリズムを手がかりに—」『運輸と経済』第72巻第1号(2012年1月)、24〜33ページ。

 誰かが手渡してくれた(誰だっけ?)井出先生の論文。いろいろ参考になる。キーワードはダークツーリズム。死や災害といった人間にとってつらい体験をあえて観光対象とする新しい観光のカテゴリーなのだそうだ。日本では広島の原爆ドームや沖縄のひめゆりの塔、水俣などがあてはまるらしい。福島など東北は、今回の経験を長期的にはダークツーリズムへと転換させてはどうかと提言している。

壊れた北京コンセンサス

Christopher K. Johnson, “Beijing’s Cracked Consensus: The Bo Scandal Exposes Flaws in China’s Leadership Model,” Foreign Affairs, April 18, 2012.

 著者は元CIAで現在はCSISの中国研究のチェア。今話題になっている中国のスキャンダルのインパクトを解説している。胡錦濤から周近平への政権移行とも密接に関連しているらしい。胡錦濤が北京とワシントンとの間に「戦略的不信」を生み出したという指摘はおもしろい。

斜め移動

 中根千枝が『タテ社会の人間関係』を書いたのは1967年。ずいぶん経った。

 日本社会ではタテの関係が重要、「ヨソ」より「ウチ」が重要といわれてなるほどなあと昔は思った。

 もちろん、今でも通じるところがあるのだろうけど、でも世の中はずいぶん変わったなあとも思う。フラット化とか中抜きなんていわれるようになり、上と下だけ見ていれば通じる社会ではなくなった。

 若い人たちはどんどん横に移動するし、斜めにも移動し始めている。若い人だけでもない。例えば、いろいろな仕事をしていた人たちが大学院で勉強しようとしたり、大学の教員になろうとしたりする。

 素直に大学院生になろうとする人はまだ良いのだけど、社会的経験があるから自分にも授業ぐらいできる、大学教授なんて簡単だと思っている人はけっこういる。

 思い切って一般化すると、実業界や政界、官界で著名な人でも、大学教員としてのネームバリューが通用するのは3年ぐらい。3、4年も経つと学生はどんどん入れ替わってしまうから、あるときに一世を風靡した人でも新入生にはネームバリューが通用しない。高校生の狭い世界の中では大人が有名にはなりにくい。芸能人のほうが圧倒的な存在感を持っている。

 また、実業界や政界、官界で生きてきた人は、組織に支えてもらってきた部分を軽視している。学者は基本的に個人商店で、自分ひとりでやるか、チームを自分の力で構成しないといけない。大学の外で活躍してきた人たちは、プレゼンの資料も部下に作ってもらっていた人が多い。突然一人で放り出されて、コピーをとってくれる人もいないという事実に唖然とする。

 自分の手柄話を学生がおもしろがってくれるのもせいぜい3年だ。下手をすれば1年で飽きられる。SFCの場合だと1年間で少なくとも四つの講義を担当しないといけない(ゼミなどを除く)。それぞれ90分の講義を14回やる。そうすると、90分の講義を56回(14×4)やらなくてはいけないわけだ。いくら講演で引っ張りだこだった人でも56個分のネタを持っている人はまずいないだろう。90分話し続けられる手柄話を56個持っていたらたいしたものだ。

 必然的に、大学教員は他人から学ばなくてはならない。論文や本に書いてあること、学会で聞いたことなどを自分なりに咀嚼して学生に伝えなくてはならない。常に学び続けなくてはいけない。部下に資料を作ってもらっていた人には到底つとまらない。大学教員になりたいという相談をよく受けるけれども、大学院で学ぶ訓練を受けていないとけっこうきついのだ。

 さらにやっかいなのは、専門家として生きるのが面倒な時代になっているということだ。単なる知識はインターネットにも転がっているし、電子ジャーナルをひけば専門論文も手に入る。誰でもが専門家を気取れる時代だし、ちょっとでも専門家が間違えればすぐにあげ足をとられる。批判するほうは匿名の陰に隠れて言いたい放題でもある。自分で論文を書いたり、本を書いたりして反論するというアカデミックな作法に乗っ取った批判は展開されない。

 ひとりの人間が一つの組織に埋もれず、いろいろな帽子をかぶりながら自己実現を図れる時代になったのはとても良いことだし、情報社会とは機会開発者の時代だと増田米二は言っている。斜め移動も大いにするべきだろう。ただし、それほど簡単ではないだろうなとも思う。

 私は教育者としてはまったく不出来なので、ときどき他にできる仕事はないかと妄想にふけるときがある。しかし、どれもあまり実現性を伴わない。実現性はないものの、そうした妄想にふけることができるようになっただけでも良い社会かもしれない。

薬師寺泰蔵「技術革新と国際システムの変容—動学分析へ向けて—」

薬師寺泰蔵「技術革新と国際システムの変容—動学分析へ向けて—」『国際問題』第274号(1983年1月)2〜20ページ。

 学部生、大学院生の頃に何度も読んだ論文だけど、来週の大学院のゼミ(SFCでは「大学院プロジェクト」と呼ぶ)で輪読文献にしたので、読み直す。今にも通じる論点があっておもしろい。でも、初めて読む人にはさっぱり分からないかもしれないなあ。

アジア太平洋資料室

 昨日、太平洋諸島地域研究所(JAIPAS)の中にあるアジア太平洋資料室に行ってきた。いやあ、すごかった。

 パラオにあった南洋庁の資料などがずらりと並んでいる。なかなか太平洋島嶼国に関する資料は見つからないが、ここにはあふれている。

 残念ながら、資料はデータベース化されていないため、検索して探すことはできない。その分、本棚をじっくりみながら、資料を開いて中身を確認しながら探す楽しみがある。

 十分に時間がとれなかったけど、初回としてはそれなりの資料を見つけることができた。モノクロコピーが1枚50円というのが痛いが(72枚で3600円だった)、時々行って資料を探そう。

勇気のハック

Yochai Benkler, “Hacks of Valor: Why Anonymous Is Not a Threat to National Security,” Foreign Affairs, April 4, 2012.

 Wealth of Networksなどで知られる経済学者のヨーハイ・ベンクラーがForeign Affairsに書いている(彼のファースト・ネームは「ヨーハイ」だと思っていたけど、別の読み方をしているのもある。どうなんだろう)。クレイ・シャーキー(Clay Shirky)が書いたときも驚いたけど、ベンクラーまで書く時代になった。

 この論考でベンクラーは、米国にとって脅威とレッテルを貼られているアノニマスは、必ずしも悪ではなく、インターネットの自由を守ったり、政府や大企業のパワーの濫用に抗議するなど、彼らなりの正義を追求しているのであって、一概に責めるべきではないと論じている。

 そして、アノニマスは、ネットワーク的、民主的な社会におけるパワーの新しい中核的な側面を見せているとも指摘している。

高田義久、藤田宜治「太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド解消に向けての方向性」

高田義久、藤田宜治「太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド解消に向けての方向性—基幹通信ネットワークの整備について—」『情報通信学会誌』第101号(第29巻4号)、2012年3月、87〜101ページ。

 太平洋島嶼国の課題についてまとめてある。この地域における衛星通信の現状について勉強になった。

海底ケーブルの地政学的考察

土屋大洋「海底ケーブルの地政学的考察—電信の大英帝国からインターネットの米国へ—」『アメリカ研究』第46号、2012年3月、51〜68ページ。

アメリカ学会の学会誌で「海と国家」という特集を組むということで、これは書かねばなるまいと投稿した。特集論文は4本しかなく、普通の研究論文が6本収録されている。

「地政学的考察」というのは今となっては大げさで、気恥ずかしい。私としてはパラオの海底ケーブルの論文とセットで書いたつもりだ。

伊藤孝治「国威の代償—世紀転換期のハワイをめぐる日米対立の一解釈—」

伊藤孝治「国威の代償—世紀転換期のハワイをめぐる日米対立の一解釈—」『アメリカ研究』第46号、2012年3月、33〜50ページ。

 『アメリカ研究』第46号に掲載されたいた論文。ちょうどハワイのこと、セオドア・ルーズベルトのことには興味があったので読む。日本はハワイを併合するつもりはなかったけれども、国威を傷つけられたのに憤慨してハワイに戦艦を送ってしまい、それが米国の疑念を呼び起こして、米国がハワイを併合してしまうという話。ストーリー自体は各所で書かれていると思うが、この論文は日米双方の資料に当たって裏をとっている。

 国威を傷つけられるのを嫌がるというのは今の中国と重なるなと思う。若い国家とはそのようなものなのだろうか。

 論文の本筋ではないのだけど、ハワイの人口に関する記述が気になる。

  • 34ページ 「1896年時点のハワイの全人口は約11万人だったが、そのうちのおよそ2万4000人が日本人であり、ハワイの全人口の約22パーセントを占めていた。」
  • 35ページ (1893年3月頃?)「ハワイの約9万5000人の全人口のうち約2万人を占める日本人」
  • 36〜37ページ (1897年3月から4月?)「ハワイの人口の約4分の1を占める2万6000人の日本人」

 時間順に並べれば増えているので、それほどおかしくないのだけど、1893年3月に約2万人だった日本人が3年後の1896年に2万4000人になるのは、移民が数千人規模で入っていたということなのだろうか。翌年にはさらに2000人増えて2万6000人になる。ハワイの総人口も3年で2万5000人増えている。これらの数字が正しいとすると、急激な社会変革がハワイで起きていたことになるだろう。それだけの移民が各国からやってきたらネイティブが受けるプレッシャーは大きかったに違いない。

矢口祐人『ハワイの歴史と文化』

矢口祐人『ハワイの歴史と文化』中公新書、2002年。

 これもハワイ本。日本からの移民の苦難の歴史、日本におけるハワイのイメージや、フラが単なるダンスではない点などを詳しく論じている。

山中速人『ハワイ』

山中速人『ハワイ』岩波書店、1993年。

 ハワイに行く際に読んだ。ハワイについての本としては定番のようだ。通俗的なハワイのイメージの背景にあるものを教えてくれておもしろい。アメリカによるハワイ併合についてもようやく理解した。海底ケーブルがハワイに接続されたのも併合と前後していて興味深い。

 執筆当時、著者は放送教育開発センター助教授だったが、現在は関西学院大学教授のようだ。

小林泉『ミクロネシアの小さな国々』

小林泉『ミクロネシアの小さな国々』中公新書、1982年。

 論文でもないし、今日読んだわけでもないがメモ。

 パラオを含めてミクロネシアの国々について書いてある。まだパラオは本書の執筆時点で独立していない。ヤップなど他の国々も、たぶんここで描かれているのとはずいぶん様子が変わったのではないだろうか。だからこそ、ここでの記述は貴重でおもしろい。

 今まで見過ごしていたけど、著者はミクロネシア研究、太平洋島嶼国研究の第一人者の一人(変な言い方だけど)なんだろうと思う。執筆当時は日本ミクロネシア協会常務理事とのことだが、現在は大阪学院大学教授のようだ。そして、同協会は太平洋諸島地域研究所に変わっている。ここには図書室があるようなので、今度訪問してみる。

史康迪「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史」

史康迪(Curtis Smith)「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史–中国大陸のマスコミ報道の検視と海底通信ケーブルの新発見」『南島史学』第65・66合併号、2005年、294〜282ページ。

 沖縄に行った際、自由時間に沖縄県立図書館までホテルから歩いて行った。方向音痴気味の私としては、知らない町をフラフラ歩くだけでけっこう楽しいのだが、余り時間もなかったのでiPhoneの地図を使って最短距離を探して行った。観光客が通らない裏道を通って生活の様子を眺めるのはけっこう楽しかった。

 なぜか県立図書館と市立図書館が隣り合わせで建っているようなのだが、県立図書館のほうだけ行く。公園の中にあって、日曜日だったので多くの人が出てきている。

 いくつか見たい資料があり、そのうちのひとつがこれだった。

 南島学会というのはウェブももなく、いまいちよく分からない(琉球新報による解説)。

 県立図書館の郷土資料のコーナーでようやくこの論文を見つけたが、なんと要旨以外は中国語でずっこけた。台湾との合同学会で発表された報告らしい。中国と台湾の間で最初に敷設された海底ケーブルの解説らしく、それが中国で報道されているものとはルートなどが違うと主張しているようだ。切断されたケーブルの写真などが出ていて興味深いのだが、いかんせん読めない。残念。

 著者は多分この人だろう。ミシガン州の大学で中国語を教えているようだ。

http://www.gvsu.edu/mll/curtis-smith-27.htm