壊れた北京コンセンサス

Christopher K. Johnson, “Beijing’s Cracked Consensus: The Bo Scandal Exposes Flaws in China’s Leadership Model,” Foreign Affairs, April 18, 2012.

 著者は元CIAで現在はCSISの中国研究のチェア。今話題になっている中国のスキャンダルのインパクトを解説している。胡錦濤から周近平への政権移行とも密接に関連しているらしい。胡錦濤が北京とワシントンとの間に「戦略的不信」を生み出したという指摘はおもしろい。

斜め移動

 中根千枝が『タテ社会の人間関係』を書いたのは1967年。ずいぶん経った。

 日本社会ではタテの関係が重要、「ヨソ」より「ウチ」が重要といわれてなるほどなあと昔は思った。

 もちろん、今でも通じるところがあるのだろうけど、でも世の中はずいぶん変わったなあとも思う。フラット化とか中抜きなんていわれるようになり、上と下だけ見ていれば通じる社会ではなくなった。

 若い人たちはどんどん横に移動するし、斜めにも移動し始めている。若い人だけでもない。例えば、いろいろな仕事をしていた人たちが大学院で勉強しようとしたり、大学の教員になろうとしたりする。

 素直に大学院生になろうとする人はまだ良いのだけど、社会的経験があるから自分にも授業ぐらいできる、大学教授なんて簡単だと思っている人はけっこういる。

 思い切って一般化すると、実業界や政界、官界で著名な人でも、大学教員としてのネームバリューが通用するのは3年ぐらい。3、4年も経つと学生はどんどん入れ替わってしまうから、あるときに一世を風靡した人でも新入生にはネームバリューが通用しない。高校生の狭い世界の中では大人が有名にはなりにくい。芸能人のほうが圧倒的な存在感を持っている。

 また、実業界や政界、官界で生きてきた人は、組織に支えてもらってきた部分を軽視している。学者は基本的に個人商店で、自分ひとりでやるか、チームを自分の力で構成しないといけない。大学の外で活躍してきた人たちは、プレゼンの資料も部下に作ってもらっていた人が多い。突然一人で放り出されて、コピーをとってくれる人もいないという事実に唖然とする。

 自分の手柄話を学生がおもしろがってくれるのもせいぜい3年だ。下手をすれば1年で飽きられる。SFCの場合だと1年間で少なくとも四つの講義を担当しないといけない(ゼミなどを除く)。それぞれ90分の講義を14回やる。そうすると、90分の講義を56回(14×4)やらなくてはいけないわけだ。いくら講演で引っ張りだこだった人でも56個分のネタを持っている人はまずいないだろう。90分話し続けられる手柄話を56個持っていたらたいしたものだ。

 必然的に、大学教員は他人から学ばなくてはならない。論文や本に書いてあること、学会で聞いたことなどを自分なりに咀嚼して学生に伝えなくてはならない。常に学び続けなくてはいけない。部下に資料を作ってもらっていた人には到底つとまらない。大学教員になりたいという相談をよく受けるけれども、大学院で学ぶ訓練を受けていないとけっこうきついのだ。

 さらにやっかいなのは、専門家として生きるのが面倒な時代になっているということだ。単なる知識はインターネットにも転がっているし、電子ジャーナルをひけば専門論文も手に入る。誰でもが専門家を気取れる時代だし、ちょっとでも専門家が間違えればすぐにあげ足をとられる。批判するほうは匿名の陰に隠れて言いたい放題でもある。自分で論文を書いたり、本を書いたりして反論するというアカデミックな作法に乗っ取った批判は展開されない。

 ひとりの人間が一つの組織に埋もれず、いろいろな帽子をかぶりながら自己実現を図れる時代になったのはとても良いことだし、情報社会とは機会開発者の時代だと増田米二は言っている。斜め移動も大いにするべきだろう。ただし、それほど簡単ではないだろうなとも思う。

 私は教育者としてはまったく不出来なので、ときどき他にできる仕事はないかと妄想にふけるときがある。しかし、どれもあまり実現性を伴わない。実現性はないものの、そうした妄想にふけることができるようになっただけでも良い社会かもしれない。

薬師寺泰蔵「技術革新と国際システムの変容—動学分析へ向けて—」

薬師寺泰蔵「技術革新と国際システムの変容—動学分析へ向けて—」『国際問題』第274号(1983年1月)2〜20ページ。

 学部生、大学院生の頃に何度も読んだ論文だけど、来週の大学院のゼミ(SFCでは「大学院プロジェクト」と呼ぶ)で輪読文献にしたので、読み直す。今にも通じる論点があっておもしろい。でも、初めて読む人にはさっぱり分からないかもしれないなあ。

アジア太平洋資料室

 昨日、太平洋諸島地域研究所(JAIPAS)の中にあるアジア太平洋資料室に行ってきた。いやあ、すごかった。

 パラオにあった南洋庁の資料などがずらりと並んでいる。なかなか太平洋島嶼国に関する資料は見つからないが、ここにはあふれている。

 残念ながら、資料はデータベース化されていないため、検索して探すことはできない。その分、本棚をじっくりみながら、資料を開いて中身を確認しながら探す楽しみがある。

 十分に時間がとれなかったけど、初回としてはそれなりの資料を見つけることができた。モノクロコピーが1枚50円というのが痛いが(72枚で3600円だった)、時々行って資料を探そう。

勇気のハック

Yochai Benkler, “Hacks of Valor: Why Anonymous Is Not a Threat to National Security,” Foreign Affairs, April 4, 2012.

 Wealth of Networksなどで知られる経済学者のヨーハイ・ベンクラーがForeign Affairsに書いている(彼のファースト・ネームは「ヨーハイ」だと思っていたけど、別の読み方をしているのもある。どうなんだろう)。クレイ・シャーキー(Clay Shirky)が書いたときも驚いたけど、ベンクラーまで書く時代になった。

 この論考でベンクラーは、米国にとって脅威とレッテルを貼られているアノニマスは、必ずしも悪ではなく、インターネットの自由を守ったり、政府や大企業のパワーの濫用に抗議するなど、彼らなりの正義を追求しているのであって、一概に責めるべきではないと論じている。

 そして、アノニマスは、ネットワーク的、民主的な社会におけるパワーの新しい中核的な側面を見せているとも指摘している。

高田義久、藤田宜治「太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド解消に向けての方向性」

高田義久、藤田宜治「太平洋島嶼国におけるデジタル・デバイド解消に向けての方向性—基幹通信ネットワークの整備について—」『情報通信学会誌』第101号(第29巻4号)、2012年3月、87〜101ページ。

 太平洋島嶼国の課題についてまとめてある。この地域における衛星通信の現状について勉強になった。

海底ケーブルの地政学的考察

土屋大洋「海底ケーブルの地政学的考察—電信の大英帝国からインターネットの米国へ—」『アメリカ研究』第46号、2012年3月、51〜68ページ。

アメリカ学会の学会誌で「海と国家」という特集を組むということで、これは書かねばなるまいと投稿した。特集論文は4本しかなく、普通の研究論文が6本収録されている。

「地政学的考察」というのは今となっては大げさで、気恥ずかしい。私としてはパラオの海底ケーブルの論文とセットで書いたつもりだ。

伊藤孝治「国威の代償—世紀転換期のハワイをめぐる日米対立の一解釈—」

伊藤孝治「国威の代償—世紀転換期のハワイをめぐる日米対立の一解釈—」『アメリカ研究』第46号、2012年3月、33〜50ページ。

 『アメリカ研究』第46号に掲載されたいた論文。ちょうどハワイのこと、セオドア・ルーズベルトのことには興味があったので読む。日本はハワイを併合するつもりはなかったけれども、国威を傷つけられたのに憤慨してハワイに戦艦を送ってしまい、それが米国の疑念を呼び起こして、米国がハワイを併合してしまうという話。ストーリー自体は各所で書かれていると思うが、この論文は日米双方の資料に当たって裏をとっている。

 国威を傷つけられるのを嫌がるというのは今の中国と重なるなと思う。若い国家とはそのようなものなのだろうか。

 論文の本筋ではないのだけど、ハワイの人口に関する記述が気になる。

  • 34ページ 「1896年時点のハワイの全人口は約11万人だったが、そのうちのおよそ2万4000人が日本人であり、ハワイの全人口の約22パーセントを占めていた。」
  • 35ページ (1893年3月頃?)「ハワイの約9万5000人の全人口のうち約2万人を占める日本人」
  • 36〜37ページ (1897年3月から4月?)「ハワイの人口の約4分の1を占める2万6000人の日本人」

 時間順に並べれば増えているので、それほどおかしくないのだけど、1893年3月に約2万人だった日本人が3年後の1896年に2万4000人になるのは、移民が数千人規模で入っていたということなのだろうか。翌年にはさらに2000人増えて2万6000人になる。ハワイの総人口も3年で2万5000人増えている。これらの数字が正しいとすると、急激な社会変革がハワイで起きていたことになるだろう。それだけの移民が各国からやってきたらネイティブが受けるプレッシャーは大きかったに違いない。

矢口祐人『ハワイの歴史と文化』

矢口祐人『ハワイの歴史と文化』中公新書、2002年。

 これもハワイ本。日本からの移民の苦難の歴史、日本におけるハワイのイメージや、フラが単なるダンスではない点などを詳しく論じている。

山中速人『ハワイ』

山中速人『ハワイ』岩波書店、1993年。

 ハワイに行く際に読んだ。ハワイについての本としては定番のようだ。通俗的なハワイのイメージの背景にあるものを教えてくれておもしろい。アメリカによるハワイ併合についてもようやく理解した。海底ケーブルがハワイに接続されたのも併合と前後していて興味深い。

 執筆当時、著者は放送教育開発センター助教授だったが、現在は関西学院大学教授のようだ。

小林泉『ミクロネシアの小さな国々』

小林泉『ミクロネシアの小さな国々』中公新書、1982年。

 論文でもないし、今日読んだわけでもないがメモ。

 パラオを含めてミクロネシアの国々について書いてある。まだパラオは本書の執筆時点で独立していない。ヤップなど他の国々も、たぶんここで描かれているのとはずいぶん様子が変わったのではないだろうか。だからこそ、ここでの記述は貴重でおもしろい。

 今まで見過ごしていたけど、著者はミクロネシア研究、太平洋島嶼国研究の第一人者の一人(変な言い方だけど)なんだろうと思う。執筆当時は日本ミクロネシア協会常務理事とのことだが、現在は大阪学院大学教授のようだ。そして、同協会は太平洋諸島地域研究所に変わっている。ここには図書室があるようなので、今度訪問してみる。

史康迪「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史」

史康迪(Curtis Smith)「台湾から中国への海底通信ケーブルの歴史–中国大陸のマスコミ報道の検視と海底通信ケーブルの新発見」『南島史学』第65・66合併号、2005年、294〜282ページ。

 沖縄に行った際、自由時間に沖縄県立図書館までホテルから歩いて行った。方向音痴気味の私としては、知らない町をフラフラ歩くだけでけっこう楽しいのだが、余り時間もなかったのでiPhoneの地図を使って最短距離を探して行った。観光客が通らない裏道を通って生活の様子を眺めるのはけっこう楽しかった。

 なぜか県立図書館と市立図書館が隣り合わせで建っているようなのだが、県立図書館のほうだけ行く。公園の中にあって、日曜日だったので多くの人が出てきている。

 いくつか見たい資料があり、そのうちのひとつがこれだった。

 南島学会というのはウェブももなく、いまいちよく分からない(琉球新報による解説)。

 県立図書館の郷土資料のコーナーでようやくこの論文を見つけたが、なんと要旨以外は中国語でずっこけた。台湾との合同学会で発表された報告らしい。中国と台湾の間で最初に敷設された海底ケーブルの解説らしく、それが中国で報道されているものとはルートなどが違うと主張しているようだ。切断されたケーブルの写真などが出ていて興味深いのだが、いかんせん読めない。残念。

 著者は多分この人だろう。ミシガン州の大学で中国語を教えているようだ。

http://www.gvsu.edu/mll/curtis-smith-27.htm

自衛隊沖縄基地見学

 3年ほど続けてきたアメリカの海洋戦略に関する共同研究が終了に近づき、まとめの議論をするために沖縄で合宿をした。無論、リゾート気分を味わいたいからではなく、アメリカの海洋戦略の要衝となっている沖縄を見学するためだ。

 3日間の合宿のうち、初日と2日目は4人の研究報告。私は11月に済ませているので司会だけでよく、割と気軽だった。

 3日目は自衛隊基地と米海兵隊基地の見学。海兵隊のほうは、旧知のロバート・エルドリッヂさん(大阪大学の教官から海兵隊に転身)に案内してもらい、彼が中心になって進めた気仙沼の大島小学校との交流の話を中心に聞く。

http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Releases/110803-Release.html

 自衛隊基地は、研究メンバーに自衛隊関係者が二人いたので実現した。基地内に残る旧海軍の砲台を見たり、P-3C哨戒機、F-15を間近に見せてもらったりした。

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 両方ともよく整備されているが、いささか装備が古いという印象も受ける。哨戒機としてはゆっくり飛ぶことができるプロペラ機のP-3Cは優秀とのことだったが、それでも導入から30年経っている。F-15も次世代の戦闘機には対抗できない。日本の防衛はなかなか難しい。

 共同研究の成果は来年出版される見通し。私はしつこく海底ケーブルの話を書く予定。先のパラオやハワイの話もここにつながる。

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その4:終わり)

 週末に陸揚げ局を見に行ったのだが、平日はハワイ大学の図書館で資料を漁っていた。ハワイ大学は州立大学なので誰でも入れる。本の貸し出しはできないが、ほぼ全ての資料にアクセスできる(日本の国立大学もそうすべきだと思うのだが、なぜかそうなっていない)。州立大学は政府関連資料も充実しているのが良い。

 だいたい100年ぐらい前の資料を目当てに探していて、いくつかはすでに電子化されてデータベースに載っていた。インターネット万歳。他の古い資料はマイクロフィッシュになっている。たぶん、これも東京のアメリカン・センターにあるのかもしれない。

 ただ、ここでしかアクセスできない資料もいくつかあって、その中でも他ではアクセスできないなと思ったのは1956年にハワイ大学に提出された修士論文。まだパラパラと目を通しただけだが、かなり使えそうだ。参考文献リストからたどって、1911年にハワイ歴史学会の会報に載った文章にもたどりついた。芋ずる式に資料が見つかるとおもしろい。

 いろいろ見つかった資料をざっと眺めてみると、ハワイがまだ王国だった1890年代から太平洋ケーブルをつなげようという動きはあったようだ。ハワイにはフィリピンから移民が来ているが、在マニラ米商工会議所から早くケーブルをつなげという催促が来ていて、おもしろい。

 王国だったハワイは、1898年の米西戦争によってハワイの戦略的重要性を認識した米国によって併合されてしまう。そして、海底ケーブルがサンフランシスコ〜ホノルル間で開通するのは1903年である。その年の7月4日の米独立記念日にはミッドウェー、グアム、マニラまでが開通してしまう。すごい早業だ。

 そして、この太平洋ケーブルをつないだのは英米の合弁会社である。はからずもこの太平洋ケーブルの敷設が、大英帝国による海底ケーブル支配を終わらせ、通信事業においても米国の時代が来るきっかけになる。

 大英帝国は太平洋ケーブルをニュージーランドからハワイへ、そして米西海岸へとつないでいたが、米国はハワイから真西へ向かい、グアムにつないだ。そして、そこからフィリピンと日本へとつないだ。東海岸13州から始まった米国は、西部を開拓し、ハワイを併合し、アジアへと辿り着いたのだ。

 戦略という言葉は安易に使うべきではないが、何を考えて米国は海底ケーブルを太平洋に敷設したのか。1900年前後に米国議会は何度も公聴会を開いている。その内容をじっくりこれから読んでみる。

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ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その3)

 次の訪問地は、マカハ(Makaha)である。ここでは、Hide Fukuharaさんがマンホールと陸揚げ局の建物を容易に確認できたとしている。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

 ここはマカハ・ビーチ・パークの中にある。カヘとは違って、ビーチ・パークという名前にふさわしく、白い砂浜の広がるきれいな海岸である。ワイキキからは遠いので、地元の人向けなのかもしれない。

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http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii/makaha

 ここは詳しい図が上のリンクでも確認できるように、確かにマンホールとAT&Tの陸揚げ局の建物があった。ケーブルそのものは砂浜に埋まっている。

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 ここの様子については、ハワイ大学の図書館で関連文書を見つけた。1970年代に海底ケーブルを追加する際にハワイ・テレコムが州政府に提出した環境評価報告書である。新しくケーブルを敷設する際に工事が行われるが、珊瑚礁はなく、砂浜をほじくり返してケーブルを通すだけだから環境に悪い影響はないと論じていて、詳しい図も載せてある。

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 マカハにつながっているのは、Japan-US CNという海底ケーブルで、太平洋の大動脈と言って良い重要なケーブルである。

http://www.submarinenetworks.com/systems/trans-pacific/japan-us-cn

 しかし、その重要なケーブルがのんびりとした海岸に埋められて陸揚げされているというのも何となく不思議な感じである。

 ハワイは日米間(あるいはアジアと米国の間)の太平洋上にあって、中継点となっているからこそ、高速のインターネット・サービスを享受することができる。しかし、そうした中継点になれなかった太平洋の島々は、人工衛星にサービスを頼るしかない。人工衛星はかつて地球上を覆い尽くす画期的な技術的解決法とされたが、インターネットの大容量通信の時代には対応できなくなっている。今は光ファイバの海底ケーブルが命綱なのだ。

 やや心配になるのは、私のような素人でも簡単に陸揚げ地を見つけられるということだ。何らかの工具を持って夜中にこのマンホールをこじ開け、回線を切断することもできなくはないのではないだろうか。少なくとも2、3日は通信を途絶させることができるだろう。重要インフラストラクチャの防護という点では、心配になってくる。

(続く)

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その2)

 まずは、ホノルルから一番近い「カヘ(Kahe)」の陸揚げ局へ。ここにはサザンクロス(Southern Cross)という海底ケーブルが来ている。

 場所はカヘ・ポイント・ビーチ・パークという公園になっているのだが、海水浴には適していない。道路から廃線になっている鉄道の線路を横切ると公園の駐車場になっている。駐車場にはそれなりに車が止まっていて、みんなダイビングの準備をしている。

 ビーチ・パークといいながら、ここには砂浜はない。駐車場の向こうは草地になっていて、その向こうは断崖絶壁である。どう見ても崩れかかっている。あちこちに危険だから近づくなという看板が立ててあり、おまけに亡くなった人の十字架まで立っている。

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 ダイビングに行く人たちはやや北側の防波堤のようなところまで行ってから水に入るらしく、プカプカ浮いている人たちが見える。波はけっこう荒く、初心者向きには見えない。

 さらに気になるのは駐車場に散らばるガラス片である。少なくとも二カ所ある。これはどうやら車上荒らしの後ではないか。ダイビングに行ってしまうと、長時間戻ってこないのは明らかだ。その隙にガチャンと車の窓を割られて貴重品を盗まれるのだろう。海の中にまで財布を持っていく人はいないだろう。

 先に訪問しているHide Fukuharaさんは海底ケーブルの痕跡が見つけられなかったという。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

 確かに、それらしきものは見当たらない。あたりを見渡して目に付くのは火力発電所だ。陸揚げ局らしきものは見当たらない。マンホールも見当たらない。無論、ケーブルそのものも見えない。うろうろ歩いてみるが、それらしきものはない。

 道路を挟んで陸側にある火力発電所の入り口まで行き、何か看板でもないかと見てみるが、何もない。すると守衛が出てきてしまった。正直に海底ケーブルの陸揚げ局を探しているんだけどというと、はあっという顔をしていて、知らないとのことだった。あっちにディズニーのリゾートホテルがあるからそっちじゃないかという。退散。

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 次の場所に行くかと車に乗り込み、バックさせていると、ふと駐車場の南側の仕切りを越えたところにマンホールらしきものが見えた。慌てて車を降りて確認しに行くと、確かにマンホールだった。

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 マンホールにはGTEと書いてある。GTEは吸収合併されてすでに消滅している通信会社だ。現在はベライゾンになっている。

http://en.m.wikipedia.org/wiki/GTE

 サザンクロスはベライゾンが現在の共同所有者の一つになっている。見つけた。これが海底ケーブル陸揚げのためのマンホールだ。

 周りをよく見ると、土とアスファルトが海から陸にかけてはがされた跡がある。マンホールから海に向かっていくと、そこだけ小さな入り江のようになっている。岩がゴロゴロしていて降りていく気にはならないが、上から海中に目をこらすと、何となくケーブルらしきものが見える。普通、海底ケーブルは沖合から地中に埋めるが、ここは海岸からすぐのところから地中に入れているのかもしれない。写真に撮っても写らなかったが、あれはケーブルそのものではないかと思う。これがはるかアジアまでつながっているかと思うと感慨ひとしおである。

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 ふとこの入り江の一番奥をのぞいてみると、洞窟のようになっており、なにやら椅子などが置いてある。どうもここに住み着いている人がいるようだ。もういないのかもしれないが、住んでいた形跡がある。邪魔をしないように早々に退散した。

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 陸揚げ局の建物は確認できなかったが、マンホールを見つけただけでも一応の成果だ。

(続く)

ハワイの海底ケーブル陸揚げ局(その1)

 最近、海底ケーブルのことについていろいろ調べている。サイバーセキュリティという点では、物理的なインフラストラクチャとしての海底ケーブルも、重要インフラストラクチャの一部をなしており、その保護をどうするかというのも関心の一つだ。この点はまだあまり議論されていない。

 そこで、海底ケーブルの陸揚げがどうなっているかということにも必然的に関心が及び始めている。そこで、先日訪問したハワイの海底ケーブル陸揚げがどうなっているかを少し調べた。ハワイは米国西海岸と日本との間の中継点になっており、歴史的にも重要である。20世紀初頭に最初の電信の海底ケーブルが日米間で結ばれたときもハワイが中継点になった。

 ハワイには現在五つの主要な海底ケーブル陸揚げ局があるそうだ。

http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii

 そのうち、二つはハワイ島にあり、残りの三つがオアフ島にある。ホノルルからハワイ島には飛行機か船に乗らなくてはいけないので、オアフ島の三つが比較的アクセスしやすい。三つはいずれもオアフ島の西岸に位置する。

 しかし、ホノルルから一番遠く、オアフ島の北西端に位置するケアワウラ(Keawaula)陸揚げ局は、カエナ・ポイント州立公園(Kaena Point State Park)の中にあり、ここはあまり治安が良くないようだ。サーファーたちが好んで集うそうだが、車上荒らしなどもあるらしい。ここに行くのは断念した。

http://www.submarinenetworks.com/stations/north-america/usa-hawaii/keawaula

http://www.hawaiistateparks.org/parks/oahu/index.cfm?park_id=19

http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/Nana/blog/15846.html

 残りの二つは、カエナ・ポイント州立公園に行く途中の海浜公園にある。しかし、いずれの二つも、すでにHide Fukuharaさんが訪問している。その後追いになってしまうが、やはり現地は見ておきたい。

http://fhide.wordpress.com/2011/09/08/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E9%99%B8%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%B1%80/

(続く)

サイバーセキュリティに関する日米協力

 サイバーセキュリティに関する日米協力についての未公刊論文を読ませてもらった(英語)。インタビューを受けたので先に読ませてもらった。

 ところで、この年齢になるとだんだん情報が自分に向かって集まってくるんだなと最近気がついた。

 学生の頃は、どこに情報があるのかも分からず、手に入れた情報の価値も分からなかったけど、今はパズルのようにその情報の位置づけが分かるようになりつつある。

 無論、まだ瞬時に判断できないものもあるし、間違えるものもある。後から、あれはそういう意味だったのかと気づく。

 社会科学ってこういう経験値の高さが重要だって気がする。専門家と見なされている人に情報は集まってくるし、情報を処理すればするほど経験値が高まる。

 無論、自然科学にもあるんだろうけど、自然科学者のピークが30歳から40歳の間に来るのに対し、社会科学者は年の功が大きい。大御所の先生はやはりその分だけすごい。社会の変化に対する差分を理解しやすいというのもあるんだろうな。

 首都圏にいると、政府関連の情報も入りやすい。逆にそれに頼りすぎる傾向も出てくる。関西の人たち、特に京都の研究者たちは、そうした現場の情報が入りにくい分、理論的に考え、おもしろい発想が出てくる。

太平洋国家アメリカ-国境を越える統治機構と文明-

 3月27日(火)14時から、三田でシンポジウムを開催。

 たぶん、ほとんどの人がシンポジウムのテーマにピンと来ないと思うのだけど、言うまでもなくパラオのような太平洋島嶼国やアジア諸国はアメリカ合衆国の影響を強く受けている。しかし、その内容については漠たるイメージで語られていて、ちゃんと議論されていないのではないだろうか。

 憲法のような統治機構と、各種の技術のような文明という視点からそれを捉え直してみようという企画。

 基調講演をしてくださる加藤良三・元駐米大使は、沖縄の統治システムについてアメリカが与えた影響を論じてくださる予定。パネリストの3人は打ち合わせ段階から異常に盛り上がっているので、私はちゃんと司会ができるかどうか不安。

■アメリカ研究プロジェクト年次シンポジウム

  「太平洋国家アメリカ -国境を越える統治機構と文明-」

  今年度開始となりましたG-SECアメリカ研究プロジェクトの

  年次シンポジウムを開催いたします。ぜひご参加ください。

  

日 時 2012年3月27日(火) 14:00〜17:00(13:30 開場)

  会 場 慶應義塾大学三田キャンパス 東館6階G-SEC Lab. 

【基調講演】

加藤 良三(元駐米大使)

【パネルディスカッション】

待鳥 聡史(京都大学大学院法学研究科教授)

阿川 尚之(慶應義塾常任理事)

駒村 圭吾(慶應義塾大学法学部教授)

<司会>

土屋 大洋(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授、

       グローバルセキュリティ研究所副所長)

【概要】

「太平洋大統領」を自認するオバマ大統領のもとで、米国はアジア太平洋地域へ転換あるいは回帰しつつある。しかし、歴史を見れば、これまで何度も米国はアジア太平洋地域に、憲法、法制度、行政機構、金融・経済体制、教育、科学技術、さらには広く文明や文化のさまざまな側面において、大きな影響を与えてきている。アジア太平洋地域重視を進める米国の動きを、特に第二次世界大戦終了後から振り返り、米国の統治機構と文明が日本をふくむこの地域にどのような影響を残してきたかをさまざまな角度から検討する。

【お申込方法】

お申込情報登録フォームより、必要情報を入力の上、お申込ください。

http://www1.gsec.keio.ac.jp/text/workshop/index