Networked Governance Workshop

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ハーバードにProgram on Networked Governanceというプログラムがある(SFCの大学院プログラムにあっても良い名前だ)。そこが昨日と今日、ワークショップを開いており、明日と明後日、カンファレンスを開く。この4日間のイベントは、ネットワーク分析の手法を政治学に応用しようというものだ。いよいよここまで来たかという感じがするが、いわゆる大御所の政治学の先生たちは全然いない。やはり新しい分野なのだろう。

昨日と今日のワークショップではいくつかのソフトウェアの使い方が解説されている。一番なじみのあるのはUCINETだ。これは前に自分で使ったことがある。中心的な開発者であるSteve Borgattiは、ボストン・カレッジからケンタッキー大学に移り、そこでネットワーク研究の一大センターを作ろうとしているらしい。今はヨーロッパに出張中でこのワークショップには来られなかったが、ボストン・カレッジの博士課程の学生が来て、UCINETの使い方を3時間教えてくれた。知らない機能を教えてもらって役に立った。

しかし、他のソフトウェアはよく分からない。StOCNETvisoneRなどである。Rは昔のコマンドライン風のインターフェースでどうも使う気が起きない(しかし、大容量データを扱うのに有利なようだ)。どうやらvisoneが一番新しいらしい。しかし、どうやら周りの反応を見ていても、UCINET優勢は変わらないようだ。ところが、UCINETも、ボタンはあってもちゃんと機能していないコマンドなんかがあるらしく、常に一番新しいものを使うようにとのことだった。

ワークショップの参加者には意外にもヨーロッパの人がかなりいる。ヨーロッパでもこの辺りが進んでいるのかなあ。

明日と明後日は、こうしたツールを使った分析例の発表だ。どんなものが出てくるのか楽しみだ。

もう一つ。参加者の30%ぐらいがマックのパワーブックを使っている(Airは意外にもほとんどいない)。Intel Macだとウインドウズ用のUCINETやStOCNETがそのまま動いてしまっているようだ。そろそろ買っても良いかなあと思い始める。

オッペンハイマー

カイ・バード、マーティン・シャーウィン(河邉俊彦訳)『オッペンハイマー』(PHP研究所、2007年)。

アメリカの狂気を記した伝記だ。原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトをリードしたJ・ロバート・オッペンハイマーの生涯を分厚い上下巻で論じている。正直、上巻の途中までは読むのを止めようかと思うぐらい冗長な記述が続くが、上巻の最後に原爆実験を成功させた辺りから一気におもしろくなる。そして、上巻の冗長な記述が結局は(全部とは言わないけど)後の理解のために必要だと分かる。

原爆を落とされた国の人間としては、それを作った人たちがその投下に対して必ずしも肯定的な評価でなかったことにほっとする。今でも原爆投下を肯定するアメリカ人はたくさんいるけれども、少なくともオッピーは、敗北が明白になっていた国に対して使用したことを否定的に考えていた。彼自身は、ナチス・ドイツが先に原爆を開発してしまうことをおそれてアメリカが先に開発することを求めており、日本に使われることは想定していなかったようだ。

しかし、開発されてしまった原爆は、ワシントンの論理に縛られていくことになる。繊細な精神の持ち主であり、かつて左翼シンパであったオッピーは彼に降りかかる政治的難題をうまく切り抜けることができなかった。彼は魅力的な人ではあったのだろうが、政治的に洗練されていたかというとそうではなかったのだろう。

科学者が政治に関わる方法を考える上でも示唆的だ。彼が一科学者として、政府の言うことを聞くだけの存在だったらこんなことにはならなかった。しかし、彼は自分の信念のためにあえて政治の世界に踏み込んだ。体制に逆らい(今の言葉で言うなら空気を読まずに)、自分の信念を貫くことは誰にとっても大変だろう。

そして、何よりも、アメリカという国の汚点をしっかり書き記し直した著者たちの姿勢は立派だと思う。そもそもこうした事件が起きたこと自体が大きな問題ではある。「オッペンハイマーの敗北は、アメリカ自由主義の敗北でもあった」(下巻374ページ)。しかし、それを時間がかかっても正していこうという姿勢は、アメリカの強さでもある。

核政策を学ぶ人は是非読むべきだ。この文脈を理解しない、単純なゲーム論的核戦略は本質をつかみ損ねるのではないかと思う。

もう一つ、余計な感想としては、「セキュリティ・クリアランス」の訳語として「保安許可」というのは、判断が難しい。「セキュリティ・クリアランス」が本書の後半を読み解くカギだ。これに良い訳語はないだろうか。

アラブ諸国の情報統制

山本達也『アラブ諸国の情報統制』慶應義塾大学出版会、2008年。

同門の山本達也君の本が出た。アラブ諸国のインターネット統制がどうやって行われているか3年かけてフィールド・ワークを行い、理論的に整理した力作だ。博士論文で読んだときよりもずっと読みやすくなっている。

おまけに、私には手厳しい。

残念ながら、土屋は、情報国家モデルの議論の中で、各モデル間の移行可能性や移行の条件など動的なダイナミズムについてはほとんど議論していない。(50ページ)

確かに私は理念型を出すところまではしたが、移行メカニズムについては論じなかった。それに、博論には書いたけれども、それをベースにした『情報とグローバル・ガバナンス』には載せないで隠しておいた表まで引っ張り出されてしまっている(48ページ)。まずい。

しかし、こういう建設的批判をもらえるのは良いことだ。

この本で一番おもしろいのは、アラブ諸国の独裁者たちがふんぞり返って国民の情報活動をコントロールしているわけではなく、グローバリゼーションが進展する中で、自国の経済発展をとるか、政治的な安定をとるかという独裁者のジレンマに直面していることを浮き彫りにしたことだ。

私は中国についてリサーチした後、中東についてもやってみたいと思ったことがある。しかし、山本君のようにアラビア語を習ってから3年も現地に行ってリサーチする機会も気力もなかった。外から見てアラブ諸国を批判するのは簡単だけれども、中に入って調べ上げてきた点は他に勝る。

アメリカ外交50年

ジョージ・F・ケナン(近藤晋一、飯田藤次、有賀貞訳)『アメリカ外交50年』岩波書店、1991年。

一度読んだ本はめったに読み返さないのだが、せっかくアメリカに来たのだからと思って読み返す。1898年の米西戦争から第二次世界大戦後までの話なので、今に直接つながる話ではないが、本書の後半に収録されている「X論文」でのソ連分析は今でもなるほどなと思わせる。

また、前半に出てくる以下のところが興味深い。

これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人びとが、終始われわれに警告したとおりのこととなった。今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任とを引き継いだのである。 (83ページ)

今さらながら、アメリカは日本との戦争に勝ってしまったがために、東アジアの安全保障に責任を持たなくてはいけなくなってしまったことを思い起こさせる。ケナンの分析からさらに50年経っても(原著の出版は1951年)、アメリカは東アジアから手を引くことができない(あるいは引きたくない)。

アメリカがイラクから手を引けるのはいつになるのだろう。

安全保障という幕

アメリカ議会図書館はジェファーソン、マジソン、アダムズの3人の名前が付いた三つのビルで成り立っている。1997年に初めて英語のスピーチをしたのがマジソン・ビルの6階だ。まだ大学院生だった。10年以上経ったのに雰囲気は変わらない。

20080509LOC.JPGこの3日間、隣のジェファーソン・ビル(左の写真)のメイン・リーディング・ルームにこもった。この閲覧室はとてもきれいだが(残念ながら写真撮影は禁止)、円形になっているので方向感覚を失ってしまう。外は嵐だったが、ここは別世界だ。山のようにある資料に絶望的な気になるが、宝の山が眠っていると思ってコピーをとった。宝探しといえば、映画『ナショナル・トレジャー2―リンカーン暗殺者の日記―』では、この閲覧室の真ん中の扉を開けてから地下に逃げるシーンがある。通り抜けてみたいけど無理だ。

木曜日の夜は若手のMさん、Kさん、Oさんと会食。安全保障問題をざっくばらんに話すことができてとても良かった。昨晩は旧知の夫妻と食事に出かける。奥さんはロシア人なのだが、その友達がようやく出産を終えてパーティーに出かけ、妊娠中に我慢していたタバコとウォッカをついがんがんやってしまったらしい。帰ってきて授乳をすると、赤ちゃんが二日間目を覚まさなくなった。慌てたおばあちゃんが病院に連れて行こうとしたが、お母さんは気まずくてタバコとウォッカのことを口に出せない。母乳を通じて赤ちゃんは酔っぱらってしまったのだ。今では立派なウォッカのみに成長したという。

いくつか気になる新聞記事。

アナログ・テレビからデジタル・テレビへの移行実験が、ノース・カロライナ州で、初めて行われる。

テレビのデジタル移行は各国で問題になっているが、アメリカも例外ではない。特に低所得者層が移行できないと見積もられている。うまくいくかどうかの最初のテストが始まる。

ホワイトハウスが2003年のイラク開戦時の電子メール記録を失う。

ブッシュ政権というのはやはりどうかしているとしか言いようがない。開戦という一番大事な時期の情報を失うというのはどういう神経なのだろう。

FBIがインターネット・アーカイブにNational Security Letterを出す(後に撤回)。

NSLは非常に大きな問題のある手法で、このレターを受け取った人は、配偶者にもそのことを話してはいけない。話せるのは自分の弁護士だけだ。今回レターを受け取ったのは、ブリュースター・ケールというインターネット・アーカイブの共同創設者で、すばらしいビジョンの持ち主だ。この人の講演を聴いてとても感銘を受けたことがある。情報を全ての人にという精神を体現している人だ。ケールは、レターに疑問を持ち、撤回訴訟を起こした。FBIがあっさり撤回したために公表できるようになったが、NSLを使って強圧的な情報収集が行われているのは異常な事態だ。

今回、議会図書館で調べていたテーマの一つであるCALEA(Communications Assistance for Law Enforcement Act of 1994)も、クリントン政権時代の話なのだが、似たようなところがある。大きな影響を与える法律なのに、議会はほとんど審議せずに可決させている。少なくとも委員会レベルの公聴会を開いていない。小委員会レベルの公聴会では、内容の公式記録が出てこない。成立に際してホワイトハウスも何もコメントを出していない。

安全保障という幕の向こうでいろいろなことが行われてしまう。ブッシュ政権が行ったことは、後の歴史的な検証に耐えるのだろうか。今のままだと、政権終了後もどんどん変な話が出てきてしまうのではないだろうか。5月10日付のワシントン・ポストはチェイニー副大統領のトップ・アドバイザーであるDavid Addington氏を公聴会に呼べと社説で述べている。歴史的な評価というのはえてして逆転するものだけど、ブッシュ大統領はアメリカを救った偉大な大統領という評価を受けることになるのだろうか。

歴史は繰り返す?

20080425geneva.JPGジュネーブでの二日目の発表で一番おもしろかったのはTony Rutkowskiのものだ。彼は、100年前に起きたことが繰り返されると言った。100年前、無線電信の技術と標準が入り乱れ、それを何とかするために万国無線電信会議が開かれ、国際的な調整が行われた。やがてこれが国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)へとつながっていく。同じことが今起きており、やがて政府がインターネットを規制し、コントロールするようになるというのだ。

彼の名前は10年以上前から知っていた。Internet Society(ISOC)のExecutive Directorだったからだ。彼はインターネット・コミュニティの役割を支持するのかと思いきや、すでに彼は見限っていて、EFFやCDT、ACLUは必ず負けるとまで言い切っていた。インターネットは政府が支配するところになるというのだ。つまり、歴史は繰り返されるという。

私は彼とは違う主張をしたのだけど、どうなるのだろう。強い政府規制を求める国の政府代表に、「私は政府規制は反対だし、やるとしたらインターネット・コミュニティの支持を得る努力をしたほうが良い、WSISの混乱を見たら分かるだろう」と述べたら、露骨に嫌な顔をしていた(もう呼んでもらえないね)。政府はネットを規制したいようだ。もし彼らが正しければ、私は『情報とグローバル・ガバナンス』を書き直さなくてはいけなくなる。

昨日は国連がこの問題を取り上げてくれたことにのんきに喜んでいたが、考えてみれば、いままでハンズ・オフ・アプローチでやってきたインターネット・ガバナンスに政府規制の手が伸びてきているということだ。デジタル・デバイドは政府介入の糸口となったわけだけど、情報通信技術が国家安全保障に本格的に影響するようになってきた今、黙ってはいられなくなってきたようだ。研究者としてはおもしろいけれども、ユーザーとしてはおもしろくない。

ジュネーブ

火曜日の夜、肩が痛いまま、ボストンのローガン空港へ向かった。地下鉄でアクセスできる空港はすばらしい。スイス航空に初めてチェックイン。2002年に一度つぶれているが、その後どうなったのだろう。夜の9時半のフライトなのに、食事がどんと出てくるのには文字通り閉口する。その分、早く眠らせて欲しい。しかし、食事が終わっても肩の痛みでよく眠れない。結局、一睡もしないままチューリッヒに到着。乗り換えて30分のフライトでジュネーヴへ。初めてのスイスだ。

空港の外に出ると暑かった。額に汗がにじんでしまう。スーツケースにマフラーと手袋を入れてきたが、バカなことをしたと思った。バゲージクレームのところで手に入れた無料バスチケットを持って5番のバスに乗る。2両連結の長いバスだ。ドアは自分でボタンを押して開ける。6つめの停留所がホテルの目の前だ。周りの人たちを見ると、乗るときも降りるときもチケットを見せていない。ちょっと心配なので降りるときに運転手に見せるが、興味なさそうだ。豊かな国なんだなあ。ホテルにチェックインすると、さらに滞在中全ての乗り物が無料になるチケットをくれた。何なんだ。

少し眠りたいので横になるが、ホテルの改修工事が行われていてうるさい。NHKの国際放送がテレビで見られるようになっていたので、騒音を消すためにつけっぱなしで眠る。1時間ぐらいで目を覚ますと、『プロフェッショナル』をやっていた。トヨタ方式の大野さんに弟子がいたとは知らなかった。山田日登志さんという方の話。無駄を省くって重要だ。

20080424geneva01.JPG気を取り直して夕ご飯を食べに行く。またもや5番のバスに乗り、レマン湖を渡るまで乗ってみる。途中、国連欧州本部の前を通り、UNHCRの前も通る。鉄道の駅を通り、繁華街を通り抜け、レマン湖から流れ出る川を渡ったところで降りる。なかなか良い雰囲気だ。湖岸を少し歩いて散策する。ヨーロッパの都市は川沿いにあることが多いが、湖畔にこれだけ大きな街ができているところは他にあるのだろうか。

市街で食事。フランス語で分からないものを食べる元気がないので中華料理屋に入る。味はまあまあだけど、高い。何で3000円もするんだ。

20080424geneva03.JPG20080424geneva02.JPG帰りは歩いてホテルまで戻る。途中、国連欧州本部の前を通る。門の前に大きな椅子のオブジェがあり、足が1本かけている。その下にある解説を読むと、対人地雷防止条約の批准を呼びかけるためのものだそうだ。最初はよく分からなかったが、意味が分かるとインパクトがある。とにかく大きい。周りにはITU(国際電気通信連合)やWIPO(知的所有権機構)がある。こういう位置関係は現場に来てみないと分からない。グーグルのストリートビューを使ってもこの距離感はまだつかめないのだ。

国連欧州本部はもともと国際連盟本部だったところだ。日本は国際連盟の創設から常任理事国だった。しかし、自ら脱退してしまった。なぜそうなってしまったのだろう。

翌朝4時に目が覚める。時差ぼけだ。やはり東に行くと時差ぼけになりやすい。6時半まで寝直す。

ジュネーブに来た目的は、国連欧州本部で開かれる「情報通信技術と国際安全保障」というセミナーで話をするためだ。こういうテーマで国連がセミナーを開くなんて、今までやってきて良かったなあと思う。陽の目を見ないテーマでもいつか出番が来るものだ。聞き手は各国政府代表部の方々や本部のスタッフの方々など(一般にはオープンになっていない)。

20080424geneva04.JPG8時半にホテルを出て、国連欧州本部の裏口へ歩いていく。受付で2日間有効なIDを作ってもらい、中へ。会場はCouncil Chamberだ。ここは国際連盟時代の本会議場というわけではないだろうが、かなり大きな部屋で、天井と横壁に大きな絵が描いてある。開始前に日本代表部の人が声をかけてくれ、ロシア代表部の人も紹介してくれる。このセミナーを企画したのはロシアなのだそうだ。ロシアはこの分野に関心を強く持つようになっているという。意味深だ。

オープニング・セッションは国連側とロシア側の挨拶。セッション1の最初のスピーカーが私だ。トルコで話した内容をアップデートし、短くしたものを話す。今回はまじめな会議なのでジョークは控えたのだが、笑ってくれても良いようなところでもしーんとしている。笑ってくれるのは政府代表ではないパネリストだけだ。国連の会議というのは拍手がない。誰が話してもしーんとしていて、伝わったのかどうか分からない。話が終わった後の休憩時間やランチタイムにいろいろコメントをもらって、おもしろかったと言ってくれた人が多かったのでほっとする。

他のパネリストたちも、インターポールやスウェーデンの研究機関、ケルン大学の人などで、おもしろい話が多い。初日で一番おもしろかったのは、最後のセッションの最後の発表者。某国からオンラインで攻撃された国の研究者が、その時の分析を発表した。相手国の名前は一言も発しなかったので、知らない人には何が何だか分からなかったらしい。だけど、その相手国の代表がかなりむきになって何度も発言を求めたのだ。発表者の国の政府代表も負けじと発言する。表面的には穏やかな言い方なのだけど、緊張した40分だった。外交の現場を見た気がする。これを見られただけでも来た甲斐があった。明日はどんな話が聞けるのだろう。自分の出番が終わってしまうと気が楽だ。

コンビニ弁当の白身魚のフライ

今日は福澤先生の誕生日のため休みだ。たまった仕事をほっぽりなげて、師匠が「国際関係論の担当者必見」と推薦する『ダーウィンの悪夢』を見てきた。渋谷のシネマライズで19日まで上映している。

アフリカのビクトリア湖に放流されたナイルパーチという魚が引き起こした悲劇のドキュメンタリーだ。これはアフリカのローカルな悲劇ではなくグローバリゼーションがもたらした悲劇だ。大型で良質の白身がとれるナイルパーチは工場で加工されてヨーロッパと日本に輸出される。日本では別名「白スズキ」となってコンビニ弁当や学校給食の「白身魚のフライ」に化ける。

ビクトリア湖周辺の人々はナイルパーチが作りだした産業で潤う一方で、湖の環境は大きく代わり、新たな貧困と暴力が生まれている。

情報通信技術から見るグローバリゼーションは良い側面が目立つ。しかし、この映画が描くグローバリゼーションは圧倒的に悲劇的だ。そして、自分に何ができるのかが分からないことが腹立たしい。コンビニ弁当をボイコットしてもさしたる変化はないだろう。知らず知らずに貧困と暴力にわれわれは加担している。忸怩たる思いだ。次は『不都合な真実』を見に行かなくては。

観艦式

20061022sdf自衛隊の観艦式予行を見に行った。おそらく9年ぶりではないかと思う(昨年、江田島を見学させてもらったけど)。

観艦式とは、観閲官である総理大臣が海上自衛隊の防衛力を実地で見るというもので、相模湾で行われる。来週の本番までに予行が3回行われる。それぞれ数千人の一般の人々が数十隻の護衛艦などの上から見守る一大イベントだ(写真の護衛艦のデッキにも人がわさわさ乗ってます)。

何とか級何番艦というスペックが全然頭に入らない私はミリオタではないし、自衛隊に強い興味があるわけでもないが、自衛隊を語る前にこういう現場を見ておくことは重要だと再認識する。

それにしても、自衛隊には何も興味ないはずの同僚T氏が、フネオタ(船のオタク)というだけで、高級カメラと一脚を持ってきていたのにはびっくりした。

コンサート・オブ・デモクラシーズ

久しぶりに国際政治学会に行ってきた。ここ数年はいろいろ重なってしまって行けないでいた。自分の発表は初日の最初の部会で終わってしまったので、残りの時間はじっくりと他の部会や分科会を見て回ることができた。

今回は50周年記念大会で、記念シンポジウムが開かれた。基調講演は緒方貞子さん。パネル・ディスカッションでG・ジョン・アイケンベリー教授が「コンサート・オブ・デモクラシーズ」という言葉を使っていたのにはっとした。興味深い言葉だ。報告書が出たばかりのようだ。デモクラシーのように定義する人によって違う言葉を使ってコンサート(調和)が築けるのだろうか。

有効期限付きの帝国

大学の夏休みは長くていいですねといわれるが、そんなことはない。単に授業がないというだけだ。確かに自由裁量の余地が大きいが、こういう時にしかできない仕事も山ほどある。そうした仕事が終わらないうちに授業開始が迫ってくるのは恐怖に近い。世の中は連休なのだろうが、休んでいる余裕はない。

Niall Feruguson, “Empires with Expiration Dates,” Foreign Policy, Semptember/October 2006, pp. 46-52.

昔の帝国は長命だったが、20世紀以降の帝国は短命だそうだ。15世紀に始まったオスマン帝国は469年、ハプスブルグ帝国は392年、大英帝国は336年。しかし、継続中の米国は106年、同じく継続中の中国は57年、ソ連は69年、大日本帝国は49年、ナチスは6年。帝国の定義が広いのだと思うけど、おもしろい数字だ。

帝国としての米国も短命になりそうだと示唆している。国内的な制約があるからだ。第一に兵士の赤字、第二に財政の赤字、第三に注目の赤字である。米国は兵士もお金も失いたくない。国民が戦争を支持してくれる期間も短いというわけだ。

アジア発の理論

ローリング・ストーンズの東京ドーム公演を逃すという失態をしたが、収穫のある学会参加だった(昨日夕食を一緒したNK先生はサンディエゴで日本対キューバ戦を観戦したらしい。こっちも逃した私はアホだ)。

あるパネルで、シンガポールの研究者が、「なぜアジア発の国際関係の理論はないのか」と問題提起していた。日本国際政治学会がスポンサーになったパネルでも日本の国際関係論の現状について論じたようだ(私は出ていない)。

アジアや日本発の理論が皆無というわけではないが、量的には確かに少ない。一般論として言えば、それぞれの時代の覇権国で理論は栄えるものだ。それは自己正当化のためでもあるし、そうした研究に費やすリソースが豊富だということもあるだろう。

長風呂でおすすめだった『国家の品格』を休憩時間を利用して読んだ。著者の藤原正彦氏によると、数学の世界では美的な感覚が理論(定理)を生み出すために必要であり、日本は多くの数学の天才を生んでいるという。

この本は、「論理一辺倒だと破綻するよ」ということをいっているが、現在のアメリカの実証主義的な国際関係論のパラダイムでは論理がすべてといってもいい。今回の学会のパネルでも、分析の枠組みは何なのか、仮説は何なのか、適切な方法で仮説が検証されているか、といったことが厳しく議論されている。

薬師寺泰蔵先生が、イギリスの歴史主義・規範主義を第一の国際政治学とし、アメリカの実証主義を第二の国際政治学とすると、第三の国際政治学は、公共政策論の視点を入れた現実即応型になるだろうと指摘した。論理で演繹して社会で実験するというやり方は危険だ。社会実験が失敗したら取り返しが付かないからだ。だから、現実の問題をいかに解決するかという視点で理論を組み立てることが重要になるだろう。

日本や韓国は、アメリカ人の研究者から見たら「奇跡」といわれるやり方(つまり、なかなかそれまでの理論パラダイムでは理解できないやり方)で、経済復興を成し遂げた。ということは、うまくやれば新しい理論を組み立てられるということだろう。現実の後追い理論になる可能性はあるとしても、帰納的に出す理論があってもいい。

国際関係論とは離れるが、例えば、日本や韓国のブロードバンドがなぜこんなに普及したのか、欧米の人たちには理解できない。これをうまく概念化して説明できればいいのになと思う。

さて、飛行機に乗ろう。

極論争

まだサンディエゴで学会に出ている。昨日と今日はそれほどヒットする発表がなかった。インテリジェンス関連の発表は、3週間前にCIAを辞めたばかりですとか、国務省の担当者でしたとか、現職のDNIのスタッフですとか、そうそうたる人たちがいるので話の中身が濃く、得るところは多い。しかし、他の普通のパネルはno-showが多すぎる。まあ、6月にプロポーザルを出して翌年の3月に学会だから予定がフィックスできないのは分かるが、それにしてもねえ。特に有名人はキャンセルが多くて残念だ。

おもしろかったうちの一つは、John Mearsheimer教授(”Back to the Future”という論文で知られる)が出ていたラウンドーテーブル。誰か(日本人?)が「二極システムのほうが安定しているんじゃないか」と質問したら、Mearsheimer教授たちが「いや、一極システムのほうが安定している。覇権国は覇権を引き延ばすために公共財(サービス)を提供するからだ」というようなことを言っていた。当然、一極が安定しているという議論は現状の米国の覇権維持を肯定することになる。三極のほうが安定するという議論もあるし、極論争はまだ続くのだろうか。

夕方、気分転換に電車に乗ってハーバーに出かける。ちょうど巨大フェリーが出航したところだった。

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日本の暗号解読

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日本チームと入れ替わりで昨日からサンディエゴに来ている。しかし、ダウンタウンから離れたホテルで開かれている学会(International Studies Association)に缶詰なので野球の余韻はまったく味わえない。ただし、日本の面影は写真のような店で見ることができる。店内はミニ秋葉原みたいな感じだ。私が泊まっている別のホテルにも本格的な寿司バーがある。寿司は本格的に流行っているなあ。

この学会は、40ほどのセッションが同時並行で進み、それが午前2回、午後2回、4日間繰り広げられる巨大なものなので、きっとおもしろい話を聞き逃しているに違いない。テーマと発表者で選んで聞くしかないが、当たり外れが当然ある。外れだと非常にがっかりする。

今日聞いた中でおもしろかったのを紹介すると、まず、ジョージタウンのJennifer Simsの「インテリジェンス理論の開発」と題する話。「インテリジェンスの目的は真実を見つけることではない。競争上の優位を獲得することだ」とのこと。そうだとすると、イラク戦争は必ずしも失敗ではない。

次に、インディアナ大学のJeffrey Hartの「情報通信技術の国際レジーム」。私と問題意識が近い。同じセッションのアメリカン大学のSimon J. Nicholsonの「遺伝子組み換え食品のアンビバレントな政治」。ザンビアへの援助として遺伝子組み換え食品が送られているのに対し、ザンビアの大統領は「毒付きだ」といっているそうだ。

一番おもしろかったのは「インテリジェンスにおける歴史的な教訓を活用する」という題のセッション。イスラエルのハイファ大学のUri Bar-Josephは、イスラエルの情報機関のパフォーマンスを1953年から2003年まで検証すると、成功したのはたった5%だという。これは低すぎる数字のような気がするが、どうなのだろう。

同じセッションで神戸大学の簑原俊洋助教授が「日本のブラック・チェインバー」と題して発表した。アメリカの暗号解読機関について暴露したハーバート・ヤードリーの『American Black Chamber』をもじったタイトルだ。日本の戦時中のインテリジェンス活動については、1945年8月13日にほとんどの文書が燃やされてしまったが、簑原先生が見つけた文書では、米国、英国、中国などの暗号を解読していたらしい。パネルの聴衆はインテリジェンスの専門家ばかりだが、みんなよく知らなかったらしい。これは大きな発見かもしれない。ペーパーが公刊されるのが楽しみだ。

象牙の塔の内側

たまたま読んだForeign Policyの記事がおもしろかった。

Inside the Ivory Tower,” Foreign Policy, November/December 2005.

アメリカの大学で国際関係論を教える教員1084人にアンケートをとったそうだ。その結果、若い教員ほど理論や学術的論争について教えているのに対し、キャリアが進むにつれて現実世界の問題を論じるようになる。したがって、象牙の塔にこもって十年一日のごとく、古いノートにしがみついた授業をやっているわけではないという。

まあ、それは当然だろう。堅実に業績を出しつつけていれば、そのうち政府の委員会などに呼ばれる機会が増えるはずだ。そうするとだんだん現実世界の仕組みがはっきり見えてくる。反面、学会誌の論文を読んでいる時間はなくなる。

教員の博士の学位の25%は、コロンビア、ハーバード、UCバークレー、MIT、ミシガン、スタンフォードのいずれかだそうだ。もっと独占率は高そうな気もするが、そんなものか。

アメリカの学者は安全保障、政治経済、米国の外交政策が得意だが、地域研究の経験が足りないという。それは強く感じるなあ。もっと在外研究やればいいのに。

ドンケル氏が死去

元GATT事務局長のドンケル氏が亡くなったそうだ。彼がまだ現役か、引退直後の頃だったと思うが、日本にシンポジウムで来たことがあった。私は学部の3年生か4年生で、ゼミの悪友たちと会議誘導のアルバイトをした。その後、アルバイトもレセプションに呼んでもらったのだが、そうそうたる顔ぶれに気後れしてしまっていた。

しかし、勇気を出して、しどろもどろの英語でドンケルに話しかけた。その時、扉が開いて、シンガポールのリー・クアン・ユーがオーラを発しながら登場して、ドンケルとの話は中断してしまっった。ところが、一息ついたところでドンケルが手招きしてくれた。日米半導体摩擦の勉強をしていたので、多角的な貿易自由化の視点から見たら、日米の二国間の合意は的はずれじゃないかというようなことを聞いた気がする。

残念ながら私の英語力は今よりはるかに悪かったので、彼の(おそらく)ドイツ語なまりの英語はほとんど理解できなかった。しかし、最後に「お前はもっと勉強しなくちゃいけない」といわれたことだけは鮮明に覚えている。

ドンケルとのこの何気ない会話は、勉強している間に思い出すことがあった。実は最近もあった。ドンケルとの議論に負けないためにはどうロジックを組み立てたらいいかと考えるのだ。そういう意味では、彼は私の中で教師のひとりとして存在してきた。

彼にとってはどうでもいいパーティー・トークだったと思うが、私にとっては本気で勉強しなくてはと思わされた重大な出来事だったと今では思う。ご冥福をお祈りしたい。

第四のパワー

Gary Hart, The Fourth Power: A Grand Strategy for the United States in the Twenty-First Century, Oxford University Press, 2004.

アメリカの元上院議員ゲーリー・ハートが書いたグランド・ストラテジー本。元政治家の本とはいえ、彼は引退後の2001年にオックスフォードから政治学の博士をとっている学者肌で、これまで13冊の本を出しているそうだ。

B・H・リデルハートの戦略論を引用しながら、冷戦体制崩壊後のアメリカにはグランド・ストラテジーがないと嘆いている。前書きを読む限りはジョン・ギャディスやポール・ケネディ(リデルハートの弟子)の影響を受けているようだ。

第四のパワーとは、政治力、経済力、軍事力に次ぐ「理念の力(the power of principle)」だそうだ。アメリカが今進み始めている帝国主義のグランド・ストラテジーは、建国の理念である民主的な共和主義の理念(the democratic republican principles)にそぐわないというのが彼の批判だ。

話はそれるがシンガポールの紀伊國屋書店はすばらしい。東南アジア一の売り場面積だそうだが、日本語、英語、中国語の本がどっさりある。東京でもこれだけ英語と中国語が揃っているところはないだろう。日本語の本だってその辺の本屋よりずっとたくさんある。ここに住んでいても研究上苦労することはないだろう。

もう一つついでに言うとハートとネグリがいつの間にか『Multitude』という『Empire』の続編を出していた。知らなかった。私にはどうも難解でピンとこないのだが読んでみよう。

2008年大統領選挙は……

気の早いアメリカのメディアは2008年大統領選挙の候補者を論じ始めている。半ば冗談、半ば本気で論じられているのがアーノルド・シュワルツネッガー! 彼はヨーロッパ生まれだから、憲法の規定で大統領になる資格はない(アメリカ国籍を持っていても、アメリカ生まれでなければ大統領になれない)。憲法を改正すべきかどうかというテレビ投票も始まっている。

今日の会議のランチョン・スピーカーはニューズウィークの記者。田舎から来た役人のみなさんにワシントン小話を繰り広げて笑いをとりまくる。最後に「2008年の大統領候補は?」との質問が出ると、両党からいろいろ名前を挙げる。しかし、最後には、「共和党はシュワルツネッガーだね。民主党はヒラリーだよ。副大統領候補はビル・クリントンだね。これなら雑誌が売れまくるよ」だって。本当になりそうで怖い。