ICPCとソーシャル・イノベーション研究会

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東京のGLOCOMICPCが開かれた。今回は諸事情あって、情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会も同時開催。篠崎彰彦先生のお話だけはiChatでつないで聞かせてもらう(KKさんありがとう)。1時間15分ほどはつながっていたのだが、話も佳境に入ったところで切れてしまった。どちらのネットワークが悪かったのか分からないけど残念。こちら側は夜中の3時を過ぎていたのでだいぶ疲れたけど、篠崎先生の話はかなりおもしろかった。聞いて良かった!

ネットワーク中立性

20080529swan.JPGボストンには春がなかなか来ないなあと思っていたら、もう夏になってしまった。月曜日はメモリアル・デーで休日だった。この日を境にアメリカの学校は夏休みに入る。MITも先週は試験期間で、その前の週で授業も終わってしまっている。来月6日にはMITの卒業式も行われる。気温はぐんぐん上昇し、アメリカ人はTシャツと半ズボンで歩いている。ボストンの夏も日本並みに暑いそうで、気が滅入る(もっと涼しいと思っていたのに)。

今日は特に気持ちの良い天気なので仕事をさぼり、ダウンタウンのパブリック・ガーデンへ散歩に行き、A学部長が好きそうなスワン・ボートに揺られる(ちなみにこのブログの上部にある絵はボストンをイメージしたもので、左側に少しだけ見えているのがスワン・ボート)。

ところで、少し前にニューヨーク・タイムズの社説にネットワーク中立性のことが載った。さすが、新聞はうまく議論をまとめるものだと思う。日本のネットワーク中立性に関する懇談会では、アメリカの議論はずれているという話があったけど、やはりアメリカでは民主主義の話とつながっている。そうでなければこれだけみんなが議論するわけはない。普遍的な価値に引きつけて議論するからこそおもしろくなる。単なるビジネス・モデルの話ではない。

Democracy and the Web,” New York Times, May 19, 2008.

数日後、政府が規制してネットワーク中立性を確保しようとするのはおかしいという意見投稿もあった。

Mike McCurry and Christopher Wolf, “Regulating the Net,” New York Times, May 22, 2008.

「政府の介入を許してまでも」ネットワークの中立性を確保すべきなのかどうかが重要な論点で、日本の総務省も議論まではしたけれども、ダイレクトな規制にまでは踏み込めなかった。そのギリギリのラインを見定めるのがこの議論の肝なんだろう。

ニューヨーク大学でわいわい「インターネットの未来」について議論しているビデオもおもしろかった。

http://www.isoc-ny.org/?p=214

CFP 2008

20080521yale.JPGボストンのサウス・ステーションからアムトラックに乗り、イェール大学(左の写真)のあるコネティカット州ニュー・ヘブンに来ている。アムトラックの特急アセラだと電源が使えるので仕事もできる。電車の旅もなかなか良い。

ニュー・ヘブンで2年ぶりにCFP(Computers, Freedom and Privacy)に出ている。なんだか規模が小さくなってしまっていて残念だ。参加者の数も少ないし、おもしろいスピーカーも少ない。観光的にはほとんど魅力のないニュー・ヘブンで開催したせいだろうか。

SNSとプライバシーの話を議論しているところはだいぶ遅れているんじゃないかという気がする。2004年頃にアメリカでSNSってどう思いますかと聞いてもよく分からんという顔をされたのも当然だったのだろう。

ネットワーク中立性についてはパネルがあるが、ブロードバンドや周波数などのインフラ系の話が全くなくなっているのも特徴かもしれない。

時差ぼけは全くないのに退屈で居眠りしてしまうセッションが多い。

期待していたのは、オバマ陣営とマッケイン陣営の技術政策担当者によるパネルだったけど、ディベートではなくディスカッションにしましょうと司会が述べたため、あまり対立点がはっきりせず、期待はずれだった。

今のところ一番おもしろかったのは「21世紀のパノプティコン」というパネルで、連邦と州の間、インテリジェンスと法執行機関の間の情報共有について。これは3月に卒業したN君が卒論のテーマで書いたテーマで、彼は先見の明を持っていたのかもしれない。無論、CFPはプライバシーを大事にする人たちの集まりだから、フュージョン・センターのような形でやたらと情報が集められ、共有され、ブラックホールに入っていくのは危険という議論だ。

かつてのインテリジェンスの世界の合い言葉はneed to knowで、知る必要のある人だけが知れば良いというものだった。ネットワーク時代にはneed to shareにしなくてはならないと私も自分の本の中で書いたが、逆に、need to shareの弊害が大きくなっていることに気づく。やれといわれたことをまじめにやりすぎてしまって問題を起こすのが政府機関の悪いところだ。

今日はこれから各国のネット・フィルタリングについての話を聞き、最後にクレイ・シャーキーのキーノートを聞いて終わり。シャーキーは最近Here Comes Everybody: The Power of Organizing Without Organizationsという本を出している(まだ読んでない)ので期待している。

ニュー・ヘブンの近くに海軍潜水艦博物館というのがあり、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が置いてあるらしい。是非途中下車したいが、今晩用事があるのでまた次回だ。

【追記】

ネット・フィルタリングのパネルはすばらしかった。クレイ・シャーキーの話もおもしろかった。来た甲斐があった。

【さらに追記】

上述のネット・フィルタリングのパネルについての記事がWIRED VISIONに掲載されている。聴衆は20人ぐらいしかいなかったけど、そこにアメリカのWIREDの記者がいたということか。さすがだ。

可愛い警官キャラ『警警』と『察察』が活躍、中国のネット検閲事情

インターネットの未来

ハーバードのバークマン・センター10周年のイベントに出てきた。ハーバード・ロースクールの研究所だったのだけど、ハーバード全体の研究所に格上げになったそうだ。いつの間にかヨーハイ・ベンクラーもハーバードに移籍しているし、ジョナサン・ジットレインもオックスフォードを離れ、スタンフォードではなくハーバードに来るみたいだ。ロースクールのディーンが猛烈な勧誘をみんなの前でやっていた。

ジットレインのキーノートはアグレッシブでおもしろい(内容的には2年前?にオックスフォードで聞いたプレゼンテーションのほうがおもしろかった。あれは即興だったからかな)。インターネットは岐路に立っているということだろう。IETFはもうダメになって、ITUが助けに来るらしい(もちろん、皮肉を込めて言っているのだけど)。彼が始めたstopbadware.orgの解説もしていた。ベンクラーが自著をウィキで公開したところ、バッドウェアを仕込まれて、そのウィキはマルサイト扱いをグーグルにされてしまったらしい。まったく何かがおかしい。

カンファレンスが終わった後、ある大御所の先生に会いに行った。その先生はだいぶ高齢だし、ユーザーとしてしかインターネットに関わっていないのだけど、私がやっている研究の話をしたら、なんでそんなことが問題になるのかと言われてしまった。中国だって楽しそうにインターネットを使っているぞとのことだった。でも、すべて管理されて政府の顔色伺いながらインターネットを使って楽しいんですか、プライバシーも自由もイノベーションも無くなりますよと言ったのだけど、通じなかったような気がする。でもそれが一般的な認識なのかなあ。心配しすぎなのだろうか。レッシグやジットレインのあおりに乗せられ過ぎているのかなあ。

アラブ諸国の情報統制

山本達也『アラブ諸国の情報統制』慶應義塾大学出版会、2008年。

同門の山本達也君の本が出た。アラブ諸国のインターネット統制がどうやって行われているか3年かけてフィールド・ワークを行い、理論的に整理した力作だ。博士論文で読んだときよりもずっと読みやすくなっている。

おまけに、私には手厳しい。

残念ながら、土屋は、情報国家モデルの議論の中で、各モデル間の移行可能性や移行の条件など動的なダイナミズムについてはほとんど議論していない。(50ページ)

確かに私は理念型を出すところまではしたが、移行メカニズムについては論じなかった。それに、博論には書いたけれども、それをベースにした『情報とグローバル・ガバナンス』には載せないで隠しておいた表まで引っ張り出されてしまっている(48ページ)。まずい。

しかし、こういう建設的批判をもらえるのは良いことだ。

この本で一番おもしろいのは、アラブ諸国の独裁者たちがふんぞり返って国民の情報活動をコントロールしているわけではなく、グローバリゼーションが進展する中で、自国の経済発展をとるか、政治的な安定をとるかという独裁者のジレンマに直面していることを浮き彫りにしたことだ。

私は中国についてリサーチした後、中東についてもやってみたいと思ったことがある。しかし、山本君のようにアラビア語を習ってから3年も現地に行ってリサーチする機会も気力もなかった。外から見てアラブ諸国を批判するのは簡単だけれども、中に入って調べ上げてきた点は他に勝る。

安全保障という幕

アメリカ議会図書館はジェファーソン、マジソン、アダムズの3人の名前が付いた三つのビルで成り立っている。1997年に初めて英語のスピーチをしたのがマジソン・ビルの6階だ。まだ大学院生だった。10年以上経ったのに雰囲気は変わらない。

20080509LOC.JPGこの3日間、隣のジェファーソン・ビル(左の写真)のメイン・リーディング・ルームにこもった。この閲覧室はとてもきれいだが(残念ながら写真撮影は禁止)、円形になっているので方向感覚を失ってしまう。外は嵐だったが、ここは別世界だ。山のようにある資料に絶望的な気になるが、宝の山が眠っていると思ってコピーをとった。宝探しといえば、映画『ナショナル・トレジャー2―リンカーン暗殺者の日記―』では、この閲覧室の真ん中の扉を開けてから地下に逃げるシーンがある。通り抜けてみたいけど無理だ。

木曜日の夜は若手のMさん、Kさん、Oさんと会食。安全保障問題をざっくばらんに話すことができてとても良かった。昨晩は旧知の夫妻と食事に出かける。奥さんはロシア人なのだが、その友達がようやく出産を終えてパーティーに出かけ、妊娠中に我慢していたタバコとウォッカをついがんがんやってしまったらしい。帰ってきて授乳をすると、赤ちゃんが二日間目を覚まさなくなった。慌てたおばあちゃんが病院に連れて行こうとしたが、お母さんは気まずくてタバコとウォッカのことを口に出せない。母乳を通じて赤ちゃんは酔っぱらってしまったのだ。今では立派なウォッカのみに成長したという。

いくつか気になる新聞記事。

アナログ・テレビからデジタル・テレビへの移行実験が、ノース・カロライナ州で、初めて行われる。

テレビのデジタル移行は各国で問題になっているが、アメリカも例外ではない。特に低所得者層が移行できないと見積もられている。うまくいくかどうかの最初のテストが始まる。

ホワイトハウスが2003年のイラク開戦時の電子メール記録を失う。

ブッシュ政権というのはやはりどうかしているとしか言いようがない。開戦という一番大事な時期の情報を失うというのはどういう神経なのだろう。

FBIがインターネット・アーカイブにNational Security Letterを出す(後に撤回)。

NSLは非常に大きな問題のある手法で、このレターを受け取った人は、配偶者にもそのことを話してはいけない。話せるのは自分の弁護士だけだ。今回レターを受け取ったのは、ブリュースター・ケールというインターネット・アーカイブの共同創設者で、すばらしいビジョンの持ち主だ。この人の講演を聴いてとても感銘を受けたことがある。情報を全ての人にという精神を体現している人だ。ケールは、レターに疑問を持ち、撤回訴訟を起こした。FBIがあっさり撤回したために公表できるようになったが、NSLを使って強圧的な情報収集が行われているのは異常な事態だ。

今回、議会図書館で調べていたテーマの一つであるCALEA(Communications Assistance for Law Enforcement Act of 1994)も、クリントン政権時代の話なのだが、似たようなところがある。大きな影響を与える法律なのに、議会はほとんど審議せずに可決させている。少なくとも委員会レベルの公聴会を開いていない。小委員会レベルの公聴会では、内容の公式記録が出てこない。成立に際してホワイトハウスも何もコメントを出していない。

安全保障という幕の向こうでいろいろなことが行われてしまう。ブッシュ政権が行ったことは、後の歴史的な検証に耐えるのだろうか。今のままだと、政権終了後もどんどん変な話が出てきてしまうのではないだろうか。5月10日付のワシントン・ポストはチェイニー副大統領のトップ・アドバイザーであるDavid Addington氏を公聴会に呼べと社説で述べている。歴史的な評価というのはえてして逆転するものだけど、ブッシュ大統領はアメリカを救った偉大な大統領という評価を受けることになるのだろうか。

Berkman@10

Berkman at 10

ハーバード大学のバークマン・センターが10周年のイベントを来月開く。キーノートは最近The Future of the Internetという本を出したJonathan Zittrain教授やYochai Benkler教授など。ウィキペディアのJimmy Walesも来るらしい。FCCの元委員長Reed HundtやICANN初代理事長のEsther Dysonらの名前も見える。

Zittrainの本もそうだけど、インターネットが曲がり角に来ているという議論がだいぶ出てきた。どんな議論がかわされるのだろう。

(宣伝エントリーを自分のブログに書くと割引になるそうなので書いてます。)

歴史は繰り返す?

20080425geneva.JPGジュネーブでの二日目の発表で一番おもしろかったのはTony Rutkowskiのものだ。彼は、100年前に起きたことが繰り返されると言った。100年前、無線電信の技術と標準が入り乱れ、それを何とかするために万国無線電信会議が開かれ、国際的な調整が行われた。やがてこれが国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)へとつながっていく。同じことが今起きており、やがて政府がインターネットを規制し、コントロールするようになるというのだ。

彼の名前は10年以上前から知っていた。Internet Society(ISOC)のExecutive Directorだったからだ。彼はインターネット・コミュニティの役割を支持するのかと思いきや、すでに彼は見限っていて、EFFやCDT、ACLUは必ず負けるとまで言い切っていた。インターネットは政府が支配するところになるというのだ。つまり、歴史は繰り返されるという。

私は彼とは違う主張をしたのだけど、どうなるのだろう。強い政府規制を求める国の政府代表に、「私は政府規制は反対だし、やるとしたらインターネット・コミュニティの支持を得る努力をしたほうが良い、WSISの混乱を見たら分かるだろう」と述べたら、露骨に嫌な顔をしていた(もう呼んでもらえないね)。政府はネットを規制したいようだ。もし彼らが正しければ、私は『情報とグローバル・ガバナンス』を書き直さなくてはいけなくなる。

昨日は国連がこの問題を取り上げてくれたことにのんきに喜んでいたが、考えてみれば、いままでハンズ・オフ・アプローチでやってきたインターネット・ガバナンスに政府規制の手が伸びてきているということだ。デジタル・デバイドは政府介入の糸口となったわけだけど、情報通信技術が国家安全保障に本格的に影響するようになってきた今、黙ってはいられなくなってきたようだ。研究者としてはおもしろいけれども、ユーザーとしてはおもしろくない。

舞台裏

20080226keidanren.jpgおととい、経団連ホールで国際シンポジウム「通信と放送の融合をめぐる法制のあり方について」を開いた。慶應のSFC研究所と21世紀政策研究所の共催である。あまり深く考えていなかったのだが、13時から18時まで5時間かかるシンポジウムというのも、言われてみればあまりないかもしれない。

第1部では海外からのゲスト3人がキーノートとして話した。米国ジョージ・メイソン大学のトーマス・ヘイズレット教授は規制撤廃が投資を促進すると主張し、エコノミスト誌のケン・クーキエ氏はメディア融合とは脅威ではなく機会であり、早くコンバージェンスに対応するほど強くなれるという。延世大学のイ・ミョンホ教授は規制改革、制度改革には政治的な決断が必要だと韓国の事例から述べた。

第2部で慶應の國領二郎&中村伊知哉の対談があり、総務省研究会の舞台裏、思惑が議論された。それがおもしろかったのか、最前列で聞いていた元政治家二人が「官僚統制はダメなんだ」と叫びだして異様な盛り上がりになった。

私は第3部のパネル・ディスカッションの司会をしたが、ここはちょっと時間が足りなくて、壇上のパネリストには2回ずつしか発言の機会を与えられなかった。実に残念。しかし、それぞれの主張は明確で、総務省の内藤氏が総務省の議論を紹介し、世界最先端の法体系を作ると述べたのに対し、経団連の上田氏は、事業者主導からの転換、事後規制への転換という対案を示した。ソウル国立大学のキム・サンベは、韓国のIPTV論議は3年もかかり、新大統領の下で新しい規制機関を作ることを明らかにし、エセックス大学のクリス・マーズデンは、レギュレーターが大きな杖を持って後ろに立っているというco-regulationというアイデアを紹介した。慶應の金正勲は、ただ法律をいじる話をしてもダメで、市場にとっての意味、法政策にとっての意味を考えろと主張した。

フロアからも、制作プロダクション、芸能プロダクションという作り手の話をしなくちゃダメだというもっともな指摘などがあり、とても有意義だった。

私の感想は、(1)大きなチャンスだ、(2)グローバルに通用するものにしたい、(3)まだまだやることが山積みだ、という三つ。やることとしては、話に出ていたように、著作権のこと、電波割り当てのこと、レギュレーターのこと、広告ビジネスの変容のこと、基幹放送のことなどなど。融合の話をすると、いつも放送局がやり玉に挙がる。確かに放送局にはもっと変わってもらいたい。しかし、通信事業者ももっと変わって良いと思う。中村さんによれば、日本はインフラでは先進国だったのに、コンテンツでは後進国になってしまったそうだ。

後進国でもいいのかなという気も私はするのだけど、おもしろいコンテンツやサービスが出てくるのは大歓迎だ(ついでにアメリカのように日本でもネット政治が盛り上がってくれるといいなあ)。

ところで、冒頭の写真は舞台裏の控え室でのもの。登壇者がみんなで窓の外の風景を議論しているところ。みんな暇だったんだね。私はとにかく疲れた。だけど、多くの人が手伝ってくれたからこそうまくいったのは言うまでもない。感謝!

2/26 国際シンポジウム「通信と放送の融合をめぐる法制のあり方について」

夏から続けてきたプロジェクトのシンポジウムがあります。

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国際シンポジウム「通信と放送の融合をめぐる法制のあり方について」開催のご案内

慶應義塾大学SFC研究所は、経団連21世紀政策研究所と「通信と放送の融合をめぐる法制のあり方」をテーマに、共同研究プロジェクトを進めてまいりました。

本プロジェクトの一環として、下記内容で国際シンポジウムを開催します。シンポジウムでは、日・米・英・韓の研究者の講演・パネルディスカッションを行います。各国の研究者を交えて、新産業創造のための法整備のあり方といった幅広な視点からこの問題を議論し、理解を深めたいと思います。

年度末でご多用の折ではございますが、お差し繰りご出席賜りますようご案内申し上げます。

 #本メールの末尾に出席連絡フォームをつけております。

 #ご出席の場合は、添付のフォームにてお知らせいただけますと幸いです。

皆様のお越しを心よりお待ち申しあげております。

                 記

1.日時    2008年2月26日(火) 13:00-18:00

2.場所    経団連会館11階 国際会議場

3.プログラム(予定、敬称略)

【第1部 基調講演】

トーマス・ヘイズレット 米・ジョージメイソン大学教授

ケネス・クーキエ    英・エコノミスト特派員

イ・ミョンホ      韓・延世大学教授

中村伊知哉&國領二郎  日・慶應義塾大学教授(対談)

【第2部 パネルセッション】

内藤 茂雄     日・総務省情報通信政策局通信・放送法制企画室長

クリス・マーズデン 英・エセックス$’学ITメディア・電子商取引法ディレクター

キム・サンベ    韓・ソウル国立大学教授

上田 正尚     日・日本経団連産業第二本部

金 正勲      日・慶應義塾大学准教授

土屋 大洋     日・慶應義塾大学准教授

  *日英同時通訳をご準備しております。

4.参加費     無料

5.出席連絡フォーム

下記フォームにご記入頂き、【2008年2月18日までに】下記宛先にご送付

くださいますようお願い申しあげます。

  • <送付先>-

日本経団連事業サービス 岩松様 宛

iwamatsu@keidanren-jigyoservice.or.jp

グリーン・ブロードバンド

情報通信機器の省エネルギー問題というのを今年のテーマの一つとしてきた。国際社会経済研究所と中国の現代国際関係研究院との共同研究に参加して中国の人たちとも議論してきた。世界中でブロードバンドが普及すれば、24時間サーバーがエネルギーを食いつぶし、すごい熱を発散する。サーバー・ルームを冷やすためにエアコンが酷使される。特に中国でインターネットが普及するとそのインパクトは大きい。

そう思って細々と研究していたら、あれよあれよという間に世の中が動き出した(もっと早く研究しておけば良かった)。6月にはIntelやGoogleらがClimate Savers Computing Initiativeを立ち上げた。

11月にGoogleは、「石炭燃料より安い再生可能エネルギー」を開発するためのイニシアチブとして「RE<C」を立ち上げた。REとは再生可能エネルギー(Renewable Energy)のことであり、Cの化石燃料を上回るようにするという。

ヨーロッパからも「Saving the Climate @ the Speed of Light(PDFファイル)」という報告書が出ている。欧州委員会のINFSOが出しているパンフレット(PDFファイル)もある。

日本でも総務省が9月から「地球温暖化問題への対応に向けたICT政策に関する研究会」を始めた。

今月はCOP13の合意があって、米国も国連の枠組みに戻ってきた。

そして、「グリーン・ブロードバンド」と題するプロジェクトがカナダのCANARIEから始まっており、米欧のメーリング・リストで盛んに議論されるようになってきている。CANARIEはしばらく前にコミュニティ・ベースの光ネットワーク構築を盛んに行っていたが、その中心人物の一人、ビル・セントアーノーがグリーン・ブロードバンドを推進しようとしている。

彼のブログでパブリック・ドメインのPPTファイルが公開されていたので、それをざっと翻訳した(よく分からないネットワーク用語も入っているので誤訳はご容赦を)。

地球温暖化を低減するための次世代インターネット(PPTファイル)」by Bill St. Arnaud

元の英語のファイルはこちら(PPTファイル)。

「グリーン・ブロードバンド」は来年のキーワードになるだろうか。上述のプロジェクトについては1月25日に日中共同セミナーで発表する予定。

コンテンツ政策学会へ向けて

前のエントリーにあるとおり、コンテンツ政策研究会の総会があった。三部構成のうち、第三部は「コンテンツ学会の設立に向けて」というものだった。その場でも発言したけれども、十分に言いたいことが言えなかったので、ここにメモしておきたい。

■コンテンツ学とは

コンテンツ学とは何なのかという議論が出ていた。いったいどの学問分野に立脚するのかという議論もあった。しかし、これはあまり議論しても意味がない。新しい学問を作るために学会を作るのだから、既存の学問との接点を気にしすぎるのは良くないと思う。

コンテンツ学は、吉田民人や公文俊平が言うところの設計学であり、これまでの学問がやってきた認識学ではない(注)。「いったいどうなっているのか」を研究するのが認識学であり、「いったいどうやるのか」というのが設計学だ。昔ながらの言葉で言えば、理学と工学に近い。理学と工学は一緒になって理工学(部)になっているが、本来は別物だ。法学や経済学、政治学なども理学的な要素が強い。それに対して、どうやったら新しい概念、政策、組織、そしてコンテンツを作れるかというのが工学である。そして、工学は単なる応用研究ではなく、現場から見えてくる新しい知見もある(そちらのほうがおもしろいことも多い)。

別の言葉で言えば、分析学と総合学の違いである。1990年に慶應は総合政策学部を作った。「総合政策学」とは何なのかと17年も議論してきたわけだが、その中身は設計学であり、実践学であるという合意がほぼ固まった。出来事や対象物をバラバラにしてその構造や仕組みを明らかにしようとするのが分析学であり、いったんバラバラにしたものを組み立て直す、もっと新しくするのが総合学である。分析学がどちらかというと過去志向であるのに対し、総合学はどちらかというと未来志向であるといってもいいだろう。

コンテンツ学もそういう意味では、設計学であり、既存の認識学・分析学の視点からそれを評価しようと考えるのには無理がある。だから、新しい評価軸を作らなくてはいけない。

学問であるためには、一般的に体系と方法が必要である。コンテンツ学の体系は徐々に作っていけば良い。その体系が確立すれば、科研費の新しい項目としても追加されるし、図書館の分類表にも追加してもらえるだろう。そして、認識学・分析学のための手法は「どうなっているのか」を明らかにするための手法であり、設計学・総合学のための手法は「どうやるのか」を明らかにするための手法である。

そうすると、コンテンツ学における手法とは、コンテンツをどうやって作るかという手法である。コンテンツにはニュース番組や映画、アニメ、漫画、ブログ、音楽などさまざまなコンテンツがどうやって作られるのかを明らかにすることだろう。もしコンテンツ学部ができたとすれば、アニメ学科やウェブ学科ができても良い。映画の作り方に一定のノウハウがあるとすれば、それを体系的に(つまり効率的に)学べるようになれば良い。それを法学や政治学の視点から評価し直すというのはナンセンスだろう(ただし、分析学と総合学をブリッジするということは当然必要だ)。

■学会にするということ

学会にするということには手放しでは賛成できない。学会というのは一般にイメージされているよりも楽しくないし、運営が大変である。現在のコンテンツ政策研究会は非常にフレキシブルであり、誰でも参加できるようになっている。しかし、学会にして日本学術会議に正式に認めてもらうには、会則を定め、会長を選び、学会誌を作らなければならない(情報社会学会の設立でも同じことをやった)。そのためのコストは馬鹿にならない。

時間的なコストだけでなく、金銭的なコストをカバーするためには学会費を集めなくてはならない。学会誌を出すためには金銭的なコストがどうしても必要である。情報社会学会は入会金だけをとり、年会費をとっていないが、この方式で運営を続けるのは大変である(情報社会学会はイベントごとに参加費を集めている)。

「学会」という名前が付き、会費を集めることになると、敬遠する人が出てくるだろう。ビジネスマンはコンテンツの分野を研究するならまだしも、学術的な議論をしたいわけではないだろうし、お金まで払いたいとは思わないかもしれない。学生にとっても敷居が高くなるだろう。しかし、コンテンツ学には若い世代のクリエーターたちの参加が不可欠だ。その人たちが参加するインセンティブをうまく設計しないと空論だけになる。コンテンツを作る手法を見いだすためなのだから、クリエーターがいなければ意味が無い。

念のために言うと、コンテンツ学会に反対ではない。ただし、学会にすることのデメリットも少なからずあるので、うまく設計しないといけない。金正勲さんが言っていたように、志ある人が集まって作らなければいけないだろう(コンテンツ政策研究会とパラレルに動かすことも一案だと思う)。世の中にある学会の数だけ親分がいる。親分職を作るための学会設立はいけない。コンテンツの研究が既存の学会で認められないという主張も十分に理解できる。私も自分の研究を既存の学会で認めてもらうのにはとても苦労した(いまだに認められていないかもしれない)。しかし、だからといって内輪の学会を作ればいいということにもならないと思う。緩く開かれた、おもしろい学会にしたい。楽しいコンテンツについて研究する学会がおもしろくないのはしゃれにならない。

一言だけおわびを言えば、私もコンテンツ政策研究会の幹事の一人であり、学会化に向けた動きが進んでいることは知っていたのだから、今さらこんなことをいうのはフェアではないかもしれない。ごめんなさい。しかし、強く意識はしていなかった。前のエントリーにあるとおり、「学会になってしまうらしい」というのが正直な認識だった。今回、パネル・ディスカッションを聞いて、ようやく頭が反応した(その点、集まって議論するということはやはり重要だ)。このメモが建設的な議論につながればと思う。

注:公文俊平「一般認識学試論」『KEIO SFC JOURNAL』第7巻1号、2007年、8〜27頁。吉田民人「理論的・一般的な<新しい学術体系試論>」『新しい学術の体系—社会のための学術と文理の融合—』日本学術会議、2003年。

コンテンツ政策研究会総会

毎年秋はいつの間にか終わってしまう。今年もあっという間に終わってしまった。湘南台からSFCへと続く道の黄色い銀杏もすぐに散り始めた。それもどうやら30億シーズンぶりに秋がキャンセルされてしまったからのようだ。もう戻ってこないかもしれないという。実に寂しい。

といっている間に12月になっていて、毎年恒例のコンテンツ政策研究会の総会がある。学会になってしまうらしい。

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2007年コンテンツ政策研究会総会 -コンテンツ学とコンテンツ学会の構築に向けて-

日時:12月21日(金)16時30分〜19時
会場:慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール
http://www.keio.ac.jp/access/mita.html

■第1部「総会:2007年コンテンツ政策」
コーディネーター:
 中村伊知哉(慶應義塾大学DMC機構教授/国際IT財団専務理事)
 小野打恵(ヒューマンメディア代表取締役社長)

■第2部「コンテンツ学の課題」
パネリスト:
 高橋光輝(デジタルハリウッド大学)
 佐々木尚孝(愛知産業大学造形学部デザイン学科教授)
 山口浩(駒沢大学グローバルメディアスタディーズ学部准教授)
 木村誠(長野大学企業情報学部准教授)
コーディネーター:
 福冨忠和(専修大学ネットワーク情報学部教授)

■第3部「コンテンツ学会の設立に向けて」
パネリスト:
 田川義博(マルチメディア振興センター専務理事)
 中村伊知哉(慶應義塾大学DMC機構教授/国際IT財団専務理事)
 小野打恵(ヒューマンメディア代表取締役社長)
 境真良(早稲田大学大学院国際情報通信研究科客員准教授)
コーディネーター:
 金正勲(慶應義塾大学DMC機構准教授)

■懇親会
 19時30分より2時間程度、立食、フリードリンク
 会場:三田82ALE HOUSE http://www.pub-82.com/page033.html
 参加費:社会人5000円、学生3000円を予定

■参加申込
「ご氏名」「ご所属」「懇親会参加の有無」をご記入の上、
contents@ifit.or.jpまでメールにてご連絡ください。

ガラパゴス

Galapagoseo

ガラパゴス諸島に一度行ってみたい(連休に行けたらどんなに幸せか)。しかし、ICTの世界では日本市場が「ガラパゴス諸島」のような様相を呈していると「ICT国際競争力懇談会」の最終とりまとめが指摘している。そのまま保存しておいたほうがおもしろいんじゃないだろうか。

他にも「国際共生力」「技術外交」といったおもしろい言葉が出てきている。

アメリカの田舎にブロードバンドを

大統領選に向けてヒラリー・クリントンがアメリカの田舎を活性化する案を出し、その一環として「Rural Broadband Initiatives Act(田舎ブロードバンド主導法って感じか)」を出した。法案番号はS.1032。労働組合も支持しているというが、民主党らしい政策パッケージだ。

おもしろいのは、連邦通信委員会(FCC)に何かをさせるのではなく、農務省の中に「田舎ブロードバンド主導局(Office of Rural Broadband Initiatives)」を作ってしまおうということだ。その際、「Rural

Electrification Act of 1936(1936年田舎電化法)」とかいう古い法律を改正するという。電力のアナロジーでいこうということみたいだ。

ブロードバンドの導入によって農業の生産性を上げようと演説するのかな。確かに大事だと思う。このテーマは研究したいと思っていて、7年前からいろいろなところで言っているのだけど、あまり相手にしてもらえない。

でも、法案の成立は難しいだろうなあ。上院の「農業、食料、森林(Agriculture, Nutrition, and Forestry)委員会」に付託されているが、こんなところでブロードバンドの議論なんてできるのだろうか。

これも中立性問題か

マイナーな話題なんだけど、備忘録を兼ねて。

Molly Peterson, “FCC Grants Internet Phone Access,” Washington Post, March 2, 2007; D03.

タイム・ワーナーが訴えた請願を許可する形で、FCC(連邦通信委員会)がインターネット電話のための回線開放を決めた。構図としては大手の通信会社が中小の通信会社のネットワークを経由してVoIPを使えるようになったということらしい。

一般的にはケーブル会社のタイム・ワーナーと電話会社のAT&Tやベライゾンは競争関係にある。しかし、三社ともこの決定を歓迎している。

中小の(そしてたぶん過疎地にある)通信会社はまだ収益の大部分を固定電話サービスで上げている(アメリカの田舎にはうじゃうじゃ小さな電話会社がある)。このFCCの決定で、都会の大手通信会社のネットワークを使う加入者がVoIPを使って田舎の通信会社の固定電話と通話できるようになる。その結果、田舎の通信会社が得られる収益が変わるのだろう。

たぶん中小の通信会社のロビーイングを受けてサウス・カロライナの規制当局はそうした通信を認めていなかったが、FCCはこの規制をくつがえした。

ネットワークとネットワークをつなぐ際の相互接続料やアクセス・チャージは複雑怪奇でよく分からないが、「VoIPだけはつなぎたくないよ」という中小の通信会社のぼやきが聞こえてきそうだ。

ネットワークは中立的であるべきで、サービスやコンテンツを差別してはいけないという中立性原則に立てば、FCCの決定は正しい。それによって田舎にもブロードバンドが普及するとマーチン委員長は考えているようだ。しかし、その提供者が地元の中小通信会社ではなく、それを買収した大手になるかもしれない。利用者にとってはどちらがいいのだろう。

ネットワークの中立性と表現の自由

ネットワークの中立性が少しだけ世の中の話題となっている。この問題はいろいろな様相を見せているので、理解しがたい。

先日、あるところでの議論で、アメリカの中立性論議は表現の自由の問題にまで発展していてやりすぎだ、という話があった。日本の文脈でそれを論じるのは確かに少し無理があるかもしれない。

しかし、アメリカの政治や法律を学んだことがある人は、それほどかけ離れた話だとは思わないはずだ。というのも、情報公開法にあたる「情報自由法(FOIA)」の論議では、表現の自由の前提として情報への自由なアクセスが必要となるという認識が共有されているからだ。

情報自由法は、政府の情報独占に対抗するために市民が持てるツールである。政府が持つ情報とは、国民の税金によって活動した結果として持つようになった情報なのだから、当然国民のものである。国民が政府情報にアクセスするのは当然の権利だというのが情報自由法の論理である。

表現の自由とは、好き勝手なことを言うことではなく、政府の規制や検閲に怯むことなく自由な発言ができるということである。政府に対する批判を行うには、政府情報に自由にアクセスできなくてはならない。

そして、この考え方は、アメリカの中では、政府だけでなく公開企業の持つ情報や、市民活動に関わる広範な情報にも適用されるようになっている。情報は民主主義の通貨であるからだ。

こうした考えが背景にあって、インターネットは自由でなくてはならないという思想も形作られてきた。無責任な自由をインターネットの中で求めているわけではない。したがって、ネットワークのトラフィックを差別するということは、情報への自由なアクセスを奪うことにつながり、表現の自由を損なうおそれがある、というのがアメリカでのネットワーク中立性論議の「一つの」側面だ。

この文脈を理解するのにはそれなりの時間がかかるし、日本の文脈とは異なるということを考えれば、日本のネットワーク中立性論議にこの話を持ち出すのは不適切かもしれない。しかし、このアメリカの文脈を理解していなければ、グローバルな存在としてのインターネットを理解することも難しいだろう。

ネットワーク中立性の話を、「アメリカと日本は違う」と切り捨て、単純化し、日本の国境の中に閉じこめた話にするのは、それこそ議論を歪めることにならないだろうか。インターネットはグローバルな存在なのだから。

コンテンツ政策研究会2006年総会

1 コンテンツ政策研究会2006年総会
 日時 12/15(金)17:00〜19:00
 場所 慶應義塾大学東館6F
    東京都港区三田2-15-45
    http://www.keio.ac.jp/access/mita.html
 テーマ コンテンツ政策2006〜2007
 参加費 無料

2 懇親会
 日時 12/15(金)19:30〜21:00
 場所 白十字
    東京都港区芝5-14-2 徐ビル
   (慶應東館から東門を出て1分)
    Tel;03-3451-1219
 参加費 社会人5,000円  学生3,000円

ご参加いただける方は、事務局<contents@ifit.or.jp>あてメールにてご連絡ください。
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