今日は言わずとしれた9.11。東日本大震災から半年。9.11テロから10年。
10年前のアメリカでの経験から私の研究テーマはずいぶん変わった。インテリジェンスなんて大学・大学院ではほとんど教えてもらわなかったが、自分では授業で取り上げるようになった。
今日は何事もありませんように。私は日吉キャンパスで仕事の予定。
土屋大洋のブログ
今日は言わずとしれた9.11。東日本大震災から半年。9.11テロから10年。
10年前のアメリカでの経験から私の研究テーマはずいぶん変わった。インテリジェンスなんて大学・大学院ではほとんど教えてもらわなかったが、自分では授業で取り上げるようになった。
今日は何事もありませんように。私は日吉キャンパスで仕事の予定。
CENS-GFF Workshop on “The Geostrategic Implications of Cyberspace”にお招きいただき、シンガポールに来ました。久しぶりのシンガポール、噂に聞いていたビルの上の船が見えました。
初日の第2パネルで私はプレゼンテーション。第1パネルがいまいち停滞気味だったので、その間にスライドを作り直しておもしろく修正。相変わらずへたくそな英語ですが、笑いはたくさんとれました。次のIBMの人もエキサイトして話していたのでおもしろいパネルになりました。
私のプレゼンテーションの中で、日本ではインテリジェンスが弱いままで、サイバーセキュリティを担当しているNISC(内閣情報セキュリティセンター)とインテリジェンスを担当している内閣情報調査室(内調)の間に距離があると発言したところ、終わった後のランチタイムに当のNISCと内調の人が挨拶に来てびっくり。
ブレイクアウトセッションの後、第3パネルでは司会を仰せつかりました。3人のパネリストは、弁護士、法学教授、米国務省の役人で、それぞれ難しい法律用語を使い、米国法や国際法を引用するので何を言っているのかよく分かりませんでしたが、質問もたくさん出て無事に終了したので、良かったとしましょう。
最後は夕食会。ホテル内のレストランでバイキング(英語ではバフェーと言いますね)。小さめだけどロブスター食べ放題、オイスター食べ放題、カニ足食べ放題。すばらしい。
隣に座ったCentre of Excellence for National Security(CENS)の代表代理のBilveer Singh先生は日本の温泉好きと聞いてびっくり。その頭で温泉に入るときはどうするのでしょうと聞こうかと思ったけど、やめておきました。
反対の隣に座ったのはイギリスのエネルギーの研究者。福島の原発の話などをしているとき、「思い出してごらんよ。2000年は良かったよね。世界は平和で、経済も好調だった。その後の世界がこんなことになるなんて思わなかったよねえ」と言われて、その通りだなあと感傷的になりました。
2000年、30歳の私は研究者として駆け出しで、デジタル・デバイドなんかをやりながら、初めての本を出す努力をし、アメリカにでも行ってみるかと準備をしていました。サイバーセキュリティもインテリジェンスも研究テーマにはなっていなくて、インターネットがこれほど安全保障につながるとも思っていませんでした。地震も津波も原発問題もない、平和な時代でした。失われて初めて実感するものですね。
土屋大洋「日本のサイバーセキュリティ対策とインテリジェンス活動—2009年7月の米韓同時攻撃への対応を例に—」『海外事情』2011年6月号、16〜29ページ。
『海外事情』の情報セキュリティ特集に掲載していただきました。事前に名和利男さんが書かれていることは知っていましたが、他にも同僚の武田圭史さんや旧知の須田祐子さんなどが書かれいます。拓大の佐藤丙午先生のラインナップのようです。
情報セキュリティではないですが、旧友の坪内淳さんも書かれています。
昨年末、授業が終わってからアメリカのアトランタに行きました。アメリカでは感謝祭からクリスマスまでがホリデーシーズンですが、クリスマスが終わってしまうと普通の生活に戻ってしまいます。日本人のような年末年始という感覚がなく、年末までしっかり働いて、年始も休むのは元旦だけ。2日から営業が始まるところが多くなっています。日本はクリスマス後は休みになるので、年末の1週間をねらい、かねてから行きたかったアトランタのジミー・カーター図書館に行きました。
ワシントンDCのダレス空港経由だったのですが、入国審査で行き先を聞かれ、「ジミー・カーター・ライブラリーに行く」と言ったところ、入国審査官に「ジャマイカ・ライブラリー???」と聞き返され、私の英語はまだまだだとがっかりしました。
その頃、アメリカにはとてつもない寒波が来ていて、アトランタもメチャクチャ寒い。知り合いの信長野ヤボ夫さんはニューヨークにいたらしく、大変な思いをしていたそうです(でもほほえましい)。
http://kingdom.cocolog-nifty.com/dokimemo/2010/12/post-bbce.html
カーター図書館にも雪が少し残っていました。
図書館に併設されているミュージアムにはホワイトハウスのオーバル・ルームも再現してあります(これはどこの大統領図書館にもありますね)。カーターの若い頃はとてもハンサムでした。
図書館で欲しい文書の目星は付けてあり、事前に連絡してから行ったのですが、なんとCIAが秘密解除した文書が大量にアクセス可能になっていました。まだオンラインには載っておらず、図書館の中の端末2台でしかアクセスできないとのこと。USBにダウンロード出せてくれればい良いのですが、印刷するか、画面をデジタルカメラで撮影するしかダメとのこと。でも良い文書が大量に手に入りました。写真にあるように大統領やスタッフが自筆で書き込んでいるものもあります。時間をかけて読み込んでいかないといけません。
アトランタは初めてだったので、お約束の「ワールド・オブ・コカコーラ」とCNNを駆け足で見学しました。もうちょっと時間があれば良かった。キング牧師関連のものは見る時間がありませんでした。とても残念。知り合いが一人アトランタにいたことをすっかり忘れていて、連絡を取り忘れたのはもっと残念。会いたかったなあ。
3泊だけの短い滞在だったので、時差ボケは気にせず、おなかがすいたら食べ、眠くなったら眠り、図書館と観光以外の時間は、ひたすらたまった仕事をしていました。往復の飛行機の中もひたすら仕事。『ネットワーク・ヘゲモニー』の再校ゲラもこの旅行中にチェックしました。これだけ集中できたのは久しぶりで、良い「一人合宿」でした。
11月11日の夜、正確には12日(金)の0時5分、羽田の国際線ターミナルから飛行機に乗り、ロサンゼルスへと向かった。羽田の国際線ターミナルが開業してから初めての利用だ。ゲートを離れた飛行機は、整備上の横をゆっくりタクシー(地上走行)しながら滑走路へと向かう。飛び立った飛行機は東京の夜景を少しだけ見た後、一路、アメリカへ向かう。
ロサンゼルスへ着くと日付が戻り、11日の夕方16時55分になる。まだ外は明るく、カリフォルニアの青い空が見え、準備不足の出張だが、幾分気分が軽くなる。今回は同僚のSさんが一緒で、目的はサイバーセキュリティに関する調査である。本当は東海岸に行く予定だったのだが、メインで行きたいと考えていたところのアポが取れなかったこと、東海岸まで行っている時間がとれなかったこともあり、西海岸にした。木曜日に授業があるので、金曜日の飛行機に乗って東海岸に行くと、金曜日の夕方に到着になり、いきなり週末に入ってしまうが、西海岸だと金曜日がまるまる使えるのだ。
といっても今回の出張では準備期間が短かったせいでロサンゼルスで会いたかった2組に会えなかった。そのため、金曜日はロナルド・レーガン図書館を再訪し、資料集めを行った。
金曜日の夜にはサンフランシスコに移動し、週末と月・火はUCバークレー、スタンフォード、CDT(Center for Democracy and Technology)、EFF(Electronic Frontier Foundation)といったところを回る。9月に東海岸にちょっとだけ行ったときとは全然違う話が聞けておもしろかった。
週末には20年来の友人Cに会えたのも良かった。バークレーには今回2回行ったのだけど、最初の日はフットボールの試合があって大騒ぎ。旧知のKさんがBRIEを案内してくれたのだが、その前には試合前のバーベキュー会場と化していた。Kさんと待ち合わせたStradaというカフェはフェルマーの定理が解明されたところだとか。ずっとここでお茶を飲みながら仕事していたいと思った。
UCバークレーのキャンパス
Caffe Strada:フェルマーの定理が解明されたところ?
スタンフォード大学は私が初めて行ったアメリカの大学。1週間ほど寮に潜り込ませてもらった。ブックストアの2階のカフェでも少し仕事。ここも懐かしい。キャンパスの中には間近に迫っていたUCバークレーとのフットボールの試合に合わせて「BEAT CAL」の巨大な垂れ幕がかかっていた。
スタンフォード大学の垂れ幕「BEAT CAL(カリフォルニア大学をやっつけろ)」
サンフランシスコのホテルは9年前の9.11のときに泊まっていたところと同じにした。来年で10年かと思うと感傷的になる。あれからアメリカも世界も変わってしまった。ウィキリークスの問題までつながっている。
火曜日の夜にサンフランシスコからロサンゼルス経由で羽田へ。到着は木曜日の朝5時。飛行機に乗っている間に水曜日がすっかり蒸発してしまう。5時まで眠っていられるからいいやと思って搭乗後はしばらく仕事をしていた。ところが日本時間の午前2時半には食事で起こされてしまう。これは失敗。その日は午後から仕事だったので疲れてしまった。
CASIS一日目の夜は午前2時まで発表の準備をする。時差ぼけなのは間違いないが、眠いのか眠くないのか分からないまま、とにかく翌朝11時に発表しなくてはいけないのだから仕方がない。結局、直前まで準備している自分が情けない。これでは学生と同じだ。
眠りが浅いまま朝になり、6時に起きてパッキング。少しプレゼンの修正をしてからチェックアウト。8時20分に会場に入ってパンをほおばり、8時30分からの基調講演を聴く。講演は海軍のリア・アドミラル(少将?)。インテリジェンスと海軍の関係について。
9時からは一番注目していたサイバーセキュリティのセッション。なんと登壇予定だったロシア人がカナダ入国を拒否されてしまったらしい! そんなことがまだ起こるんだね。ゴーストネットの著者の一人であるラファル・ロージンスキーが司会。イギリスのチャタムハウスに行っているアメリカ人、ベル・カナダの人、カナダ国防省の人がパネル・ディスカッション。あまり頭に入らないが、中国とロシアの動向がやはり議論されている。
11時からは自分のパネル。なんだかよく分からないことが起きていて、最初のプログラムでは二つのパネルが別の部屋で同時並行で行われる予定で、私の部屋や小さいほうだったのだが、もう一つのパネルが取り消しになったようた。そのため、一番大きな部屋で一つだけやることになった。その上、私のパネルには私を含めて二人しか発表者がいなく、二人の発表の内容は全然関係ない。私は日本のサイバーセキュリティ政策で、もう一人はボスニアを事例にしたインテリジェンスのデータベース管理の話。パネルのタイトルは「民間とインテリジェンスの協力」という変なものになっている。
司会者は「パネルのタイトルは忘れてくれ」という言葉で始め、私が最初にプレゼン。90分で二人なので30分使って良いという寛大なもの。たぶんちょうど30分ぐらいで終える。準備不足だった割に笑いもとれたし、楽しんでもらえたらしい。ジュネーブで発表したときよりも大きな部屋で、今までで聴衆が一番多かった気がする。
もう一人は時間に余裕があると思ったのか、割り当ての30分を超えて延々と45分ぐらい話し続けた。それも小さな文字が並ぶプレゼンなので良く頭に入らない。ランチ直前ということもあり、質問もなくパネルは終わってしまった。難しい質問が出たらどうしようと心配していたけど、逆に残念だった。寝不足のせいか、ストレスのせいか、終わってから締め付けられるように腹が痛くなった。
終了後に何人か声をかけてくれて、前のパネルに出ていたチャタムハウスの人とは共通の友人がいることが分かってびっくり。村井純学部長とも知り合いとのことだった。やはり世界は狭い。彼と一緒にご飯を食べていたら隣に座っていたカナダ政府の分析官も声をかけてくれた。なんと彼は大学ではイタリア文学を勉強して、バチカンの図書館で資料を見たとか。インテリジェンスはやはり不思議な世界だ。
休憩時間に展示を見ながらぶらぶらしていたら、「おもしろかったよ」とさらに何人か声をかけてくれてうれしい。カナダのNSAにあたるCSEC(Canada’s National Cryptologic Agency)もブースを出している。昨年はエニグマを出していたが、今年は初めて展示という何かよく分からない暗号機を出していた。片付け中で詳しく話を聞けなかったのが残念。
その後、エネルギー政策とインテリジェンスのパネル、最後に「Puzzles, Problems, and Messes」と題したインテリジェンス分析のパネルを聞いて終わり。タクシーに乗ってそのまま空港に向かう。それなりに充実した楽しい二日間だった。
夜の飛行機に乗っても東京便はないのだが、トロントに飛んで5年ぶりに会う友人宅で一泊。久しぶりによく眠る。閑静な住宅街でプール付き。家族4人暮らしで車は2台。ゲスト用の部屋ももちろん完備。日本に長く住んでいた夫婦(子供2人は東京生まれ)は日本の食事が懐かしくて仕方ないそうだが、住環境はこっちのほうがよく見える(もっとも冬はどっかり雪が降るらしい)。日本から直行便もあるし、トロント大学にポジションはないかなあ。
今回のCASISでびっくりしたことの一つが、カナダのトロントで起きた「トロント18」というテロ未遂事件。恥ずかしながら知らなかった。
トロントはカナダのニューヨークみたいなところで、金融機関や企業の本社が集中している大都市である。ここで中東系の若い「ホームグロウン・テロリスト」が出てきて、爆弾テロをしようとしたらしい。
事前にこれを察知したカナダのインテリジェンス機関がおとり捜査を行い、二人の捜査員を一味の中に潜入させ、一網打尽にしたそうだ。驚いたことにその潜入捜査に参加した捜査員がCASISにやってきてパネル討議に参加してしまった。もう一人の捜査員はまだ顔を公開していないそうだが、彼はトロント18のグループの活動を詳細に話してくれた。
顛末を聞くと9.11のアル・カイダと比べるとお粗末な感じもするが、ヨーロッパでよく見られるようになった「ホームグロウン・ラディカライゼーション」が起きたことはカナダにとってショックだったようだ。中東で生まれた子供たちが幼いうちに西欧社会にやってきてストレスを抱え、インターネットやモスクで感化されて「聖戦」に参加するという筋書きそのままである。
インターネットも想定以上に活用されているようで、もっとここは調べたほうが良いなと感じた。
昨年参加しておもしろかったので、またカナダの首都オタワで開かれているCASIS(Canadian Association for Security and Intelligence Studies)に来ている。よせばいいのに今回は発表することになっているので、うわの空で他の発表に集中できない。
CASISは一見すると学会のようだが、カナダのインテリジェンス・コミュニティの全面的な協力を得ているため、役人や企業人の参加も多い。また、米国や英国と密接なつながりをもちながら、中立的なイメージもあるので、米英はじめ西側各国からの参加者も多い。しかし、アジアや中東からの参加者はあまりいない。
今年の基調講演は、ニューヨークのコロンビア大学のロバート・ジャービス教授である。確かに国際政治学者なのだが、インテリジェンスをやっている印象はなかった。ところが、今年になってWhy Intelligence Failsという本を出していたのだ。知らなかった。基調講演の中身は、社会科学の手法がインテリジェンスに貢献できるかというもの。なぜイラク戦争でインテリジェンスは失敗したのか、社会科学者だったらどう分析したかを論じている。
一般的にはイラク戦争では「インテリジェンスの政治化」が起きたとされている。ブッシュ政権が望む結果をインテリジェンス機関が出してしまったというわけだ。経験を積んだ社会科学者なら、蓄積してきた知見と照らし合わせて何かおかしな事実が出てきたとき、それに集中して取り組む。その事実が何らかのエラーなのか、新しい仮説の導出が必要なのか検討し、一つの事実だけで結論を出したりはしない。インテリジェンス機関が集める秘密情報はバラバラの点でしかない。それをつなぎ合わせるには社会科学的な分析手法が役に立つはずだというわけだ。
それはその通りなのだが、しかし、インテリジェンス機関の分析官がやっていることも同じなのではないだろうか。彼らも政治家がちょっと介入したぐらいでは自分の分析を変えたりはしないだろう。社会科学者と同じくらいの情熱で対象を分析しているのではないだろうか。そうすると、分析官と政治家の間のコミュニケーションが問題なのではないかという気がする。
いずれにせよ、ジャービスの話を聞きながら思ったのは、社会科学者には蓄積がものをいうということ。自然科学の世界では30歳前後で大きな発見をすることが多いが、社会科学者は年齢を重ねてから偉業を成し遂げることが多い。30歳前後の社会科学者は元気だが、経験が足りないことが多く、長老の一言でつぶされてしまうこともある。
ジャービスは政府の内部情報にいろいろ接しているようだった。それは彼が長く活躍する著名な国際政治学者であることもあるが、彼の弟子の多くがそういう世界で働いているせいでもあるようだ。優秀な先生のところには優秀な学生が集まり、卒業してから彼らが先生に新鮮な情報を運んでくれる。こういう好循環が先生の知的生活をより豊かにする。研究と教育はここでも密接に結びついているのだ。教育活動もしっかりがんばろう。
出張や旅行は計画しているときが一番楽しい。実際に出かける前日は終えておかないといけない仕事や用事が山積みになってイライラが高まる。今回のワシントンDC出張は某常任理事からの依頼で、慶應も参加しているU.S.-Japan Instituteのイベントの一環としてパネル討論をするというもの。急な話だったし、日程的に厳しいのでいったんは断ったのだが、他に行ける人がいなくてお鉢が戻ってきた。知り合いを集めてサイバー・セキュリティに関するパネルを9月8日の午前中に開くことになった。
9月7日、ワシントン直行の全日空2便(B777-300)に乗り込む。見たい映画がたくさんあるのがすばらしい。パラオに行くときに乗ったコンチネンタル航空は見たい映画が一つもなかった。ユナイテッド航空に乗ることが多かったけど、全日空に切り替えようかな。ユナイテッドのマイルを消化してしまおう。サイバー・セキュリティのパネルだから、見たことはあったものの、『ダイハード4.0(Live Free or Die Hard)』を見る。ま、ハリウッド映画的なやりすぎだよね。「fire sale」という言葉を覚えたのが収穫。三段階のサイバー攻撃で社会を混乱に陥れるというもの。
ダレス空港がきれいになっていてちょっと驚いたが、入国審査が延々と長いのは変わらず。ダレス空港の名前はJohn Foster Dullesから来ている。彼のことはいつか研究対象にしたい。ダレス空港からタクシーに乗ると緑の中のハイウェイを抜けていく。ワシントン近郊にはたくさんの緑があってうらやましい。ホテルはデュポン・サークルの近くなので、見慣れた道とは違う道を通る。ポトマック川沿いを走り、ジョージ・タウン大学(実は中に入ったことがない)を左に見ながらキー・ブリッジをくぐると帰ってきたという感じがする。
ホテルで一休みしてから友人に会いに行く。昨年子供が生まれたばかり。9ヶ月にしてよちよち歩いて少しおしゃべりも。びっくり。
夕食は知り合いと6人でデュポン・サークルのギリシャ料理へ。いろいろな話ができておもしろかった。
ホテルに帰って翌日のパネル・ディスカッションの準備をして眠る。機内でほとんど眠らなかった割には元気だ。
翌日、10時半から12時までHilton Washington Embassy Rowにてパネル・ディスカッション。ちょっと時間不足の感があったが、滞りなく終了。終わった後、米国政府のインテリジェンス関係者二人から名刺をいただく。これはありがたい。彼らも困っているんだろうな。何人か知り合いも来てくれていた。地元(?)のテレビからのインタビューをいきなり受ける。なんだかよく分からないうちにカメラの前でしゃべらされて冷や汗が出る。DVDを送ってくれるというがどうなることやら。参加してくださった皆さん、ありがとうございます。
なんだか唐突に、アメリカとイギリスがエシュロン(UKUSA)に関する文書を公開していた。まだ読めていないけど、何なんだろう。
始動が遅れていたUSCYBERCOM(U.S. Cyber Command)が5月21日、ようやく動き出した。四つ星の将軍Keith Alexanderが責任者になり、NSA(国家安全保障局)の敷地内に置かれたようだ。
オバマ政権のサイバースペースへの取り組みは、当初急ピッチだったが、USCYBERCOMの司令官任命は遅れに遅れ、ようやく4月になって決まった。ワシントンDCの知り合いによると、サイバーセキュリティの優先順位は下がり気味だという。ちょっと残念だ。
福田充『テロとインテリジェンス―覇権国家アメリカのジレンマ―』(慶應義塾大学出版会、2010年)。
昨年、ニューヨークでお会いした福田先生が、こんな本を出された。そのものずばりのタイトルで、ちょっと悔しいなあ。まだ内容は読めていないけど、目次を見る限りはさまざまな組織やプログラムを丁寧に追いかけているようだ。さすがだ。
インテリジェンスの研究、日本でも一気に進んで来ている。私も頑張らなくては。
これは2007年の参院選の前に載せてもらったもの。
土屋大洋「情報活動 立法府の無理解」『読売新聞』(2007年6月30日夕刊)。
グーグルとNSA(国家安全保障局)が協力するという記事をワシントン・ポストが載せた。
『情報による安全保障』などでギーク(技術オタク)とインテリジェンス機関が手を結ぶと言ってきた私としては、やっぱりなという感じがするが、違っていたのはグーグルのほうからNSAに助けを求めたということ。私はNSAの力を見くびっていたのか。
ただ、米国のメーリングリストの議論などでは、数年前から両者は協力関係にあったという話も出ており、グーグルの大規模なインフラストラクチャはNSAにも魅力だろうという。そりゃそうだ。
10月17日から21日まで、またイスラエルに行った。といっても、到着は17日(土)の深夜、出発は20日(火)の早朝で、実質的には2日しかいなかった。授業はあまり休めないので仕方ない。観光はできなかった。
今回はIIHA(International Intelligence History Association)という学会での発表。1993年にドイツで設立された学会で、初回はオーストリア、その後はずっとドイツ国内で年次会合が開かれてきたが、今回初めて国外で開かれるということだった。
まだ9月のイスラエル行きが決まってなかった頃に発表募集の締切があり、一度イスラエルに行ってみたいという気持ちだけで応募した。その後、9月のイスラエル行きが決まり、この10月の学会のときは用事ができてしまったので、辞退のメールを送った。ところが、日本からの参加というのがめずらしかったらしく、是非来てくれと催促が来た。学会の途中で帰ることになるけど良いかと聞くと、それで構わないということなので出かけることにした。
ところが、確定したプログラムを後で見てみると、学会の最終日に発表はなく、「戦略的エルサレム・ツアー」なるものが設定され、おまけにモサド関連の施設も見学するという。いちばんおもしろいところに参加できないことがわかって残念だった。
深夜にテルアビブに到着。一眠りしてから午前中は発表の準備。午後から学会。外国からの参加者はほとんど同じホテルに泊まっているので、学会がバスを手配してくれる。近くの席の人が「こんにちは」と日本語で話しかけてきた。ニューヨークの大学で教えているイタリア人で、ファーストネームが「イタイ」なので、日本人によくからかわれるそうだ。
学会の場所は、バリラン(Bar-Ilan)大学という、宗教色が強いという意味で保守的な大学の教室を借りて行われた。私から見ると違いがよく分からないが、地元の人から見ると、テルアビブ大学とはずいぶん雰囲気が違うらしい。参加者は100人ぐらい。大きな階段教室に収まる。
プログラムにヘブライ語で名前が書いてあった。ヘブライ語は右から書く。
受付を済ませると、9月のカンファレンスで会った人たちが何人かいたり、「お前、日本人だろ。発表楽しみにしているぞ」と言われたり、なんだか歓迎されている。
最初のパネルでは、古代ギリシャのインテリジェンスや、ヘロデ王のインテリジェンスなんて発表があり、なかなかおもしろい。CIAやDIA、FBIの現役の人(ヒストリアンも含めて)も発表している。夜は発表者全員でレストランに出かけてイスラエル料理。韓国の研究者といろいろ話す。
私の発表は二日目の午後、最後のラウンドテーブルの直前のパネルである。日本のインテリジェンス機関の再構築について。今回は準備の時間が足りなくて、自分としては70点未満のできだったが、日本の話はめずらしいらしく、たくさん質問をもらえて良かった。司会者が「今日は日本が人気だねえ」というと、フロアから「いつもだよ!」と叫んでいる人もいた。後でその人と話したら黒沢映画の大ファンだった。
その晩は、テルアビブ市街のロスチャイルド通りにある店に連れて行ってもらい、地ビールを飲んだ。たぶんキリスト教徒の店で、豚肉料理もあった。疲れとビールでふらふらになり、ホテルに帰るとそのまま眠ってしまう。フロントに頼んであったウェイクアップコールで午前1時に起床。2時にホテルを出て空港に向かい、長いセキュリティを抜けて午前5時半の帰国便に乗った。
10月17日から21日まで、またイスラエルに行った。といっても、到着は17日(土)の深夜、出発は20日(火)の早朝で、実質的には2日しかいなかった。授業はあまり休めないので仕方ない。観光はできなかった。
今回はIIHA(International Intelligence History Association)という学会での発表。1993年にドイツで設立された学会で、初回はオーストリア、その後はずっとドイツ国内で年次会合が開かれてきたが、今回初めて国外で開かれるということだった。
まだ9月のイスラエル行きが決まってなかった頃に発表募集の締切があり、一度イスラエルに行ってみたいという気持ちだけで応募した。その後、9月のイスラエル行きが決まり、この10月の学会のときは用事ができてしまったので、辞退のメールを送った。ところが、日本からの参加というのがめずらしかったらしく、是非来てくれと催促が来た。学会の途中で帰ることになるけど良いかと聞くと、それで構わないということなので出かけることにした。
ところが、確定したプログラムを後で見てみると、学会の最終日に発表はなく、「戦略的エルサレム・ツアー」なるものが設定され、おまけにモサド関連の施設も見学するという。いちばんおもしろいところに参加できないことがわかって残念だった。
深夜にテルアビブに到着。一眠りしてから午前中は発表の準備。午後から学会。外国からの参加者はほとんど同じホテルに泊まっているので、学会がバスを手配してくれる。近くの席の人が「こんにちは」と日本語で話しかけてきた。ニューヨークの大学で教えているイタリア人で、ファーストネームが「イタイ」なので、日本人によくからかわれるそうだ。
学会の場所は、バリラン(Bar-Ilan)大学という、宗教色が強いという意味で保守的な大学の教室を借りて行われた。私から見ると違いがよく分からないが、地元の人から見ると、テルアビブ大学とはずいぶん雰囲気が違うらしい。参加者は100人ぐらい。大きな階段教室に収まる。
プログラムにヘブライ語で名前が書いてあった。ヘブライ語は右から書く。
受付を済ませると、9月のカンファレンスで会った人たちが何人かいたり、「お前、日本人だろ。発表楽しみにしているぞ」と言われたり、なんだか歓迎されている。
最初のパネルでは、古代ギリシャのインテリジェンスや、ヘロデ王のインテリジェンスなんて発表があり、なかなかおもしろい。CIAやDIA、FBIの現役の人(ヒストリアンも含めて)も発表している。夜は発表者全員でレストランに出かけてイスラエル料理。韓国の研究者といろいろ話す。
私の発表は二日目の午後、最後のラウンドテーブルの直前のパネルである。日本のインテリジェンス機関の再構築について。今回は準備の時間が足りなくて、自分としては70点未満のできだったが、日本の話はめずらしいらしく、たくさん質問をもらえて良かった。司会者が「今日は日本が人気だねえ」というと、フロアから「いつもだよ!」と叫んでいる人もいた。後でその人と話したら黒沢映画の大ファンだった。
その晩は、テルアビブ市街のロスチャイルド通りにある店に連れて行ってもらい、地ビールを飲んだ。たぶんキリスト教徒の店で、豚肉料理もあった。疲れとビールでふらふらになり、ホテルに帰るとそのまま眠ってしまう。フロントに頼んであったウェイクアップコールで午前1時に起床。2時にホテルを出て空港に向かい、長いセキュリティを抜けて午前5時半の帰国便に乗った。
IDCとかICTとか言えば、これまでの私ならInternet Data CenterとかInformation and Communications Technologyのはずだが、今回は違う。
イスラエルのテルアビブ郊外にあるIDC(Interdisciplinary Center)のICT(International Institute for Counter-Terrorism)によるWorld Summit on Counter Terrorismというカンファレンスに参加した(発表はなし)。このカンファレンスは2001年の9月11日に第1回が開かれるという因縁めいたカンファレンスで、今年で9回目になる。
イスラエルで開かれるテロ対策のカンファレンスということで、少し敷居が高く、参加にあたっては簡単な審査がある。私は昨年日本から参加した方に紹介していただいた。
イスラエルは日本のメディアを通してみると物騒な国というイメージが強い。実際、テロもあるし、ガザ侵攻もある。しかし、そうした現場以外では一見すると平穏で、テルアビブの西に広がる地中海の海岸線はとても美しい。ホテルから見える日没は写真では伝えきれない。この国は治安の問題がなければきっとすばらしい観光大国になるだろう。
カンファレンスは、「ワールド・サミット」と言いつつ、アラブ系の人はいないし、各国首脳が来るわけでもない。初日の夜の主賓はアメリカの下院議員とイスラエルの野党の党首だった。野党と言いつつ、議会では実は第一党で、連立工作に失敗したために、野党になっているらしい。
話がイスラエルと中東の話に偏っているけど、それなりにおもしろいカンファレンスだった。リピーターが多いのも特徴だ。昨年は1100人も参加者がいたらしいが、今年は金融危機の影響か、800人らしい(しかし、本当に800人もいたのかなあ。水増しされている気がする)。
ミスター・アルカイダと呼ばれているシンガポールの人がいて、彼の発表はアフガニスタンとパキスタンの国境付近の詳細な地図と写真がいっぱいでとてもおもしろかった。他にもテロリストがどうやってインターネットを使っているかとか、欧米のメディアがハマスやヒズボラのメディア戦略に引っかかっているとか、おもしろい話が聞けた。ただ、全体としては、イスラエルと米国の意識合わせ&諸外国へのパブリック・ディプロマシーという感じが強い。イスラエルの立場をこれでもかと主張する論者が多い。
中東はこれまでチュニジアとトルコしか行ったことがなかったので、初めてのイスラエル経験はおもしろかった。
しくじったのは入国審査。飛行機を降りたらいきなりセキュリティにつかまって質問されてしまったので、入国審査で別紙にスタンプを押してもらうはずが、すっかり忘れてしまった。イスラエルと国交のないアラブの国は、イスラエルのスタンプがあると入国を拒否する。そもそも、乗り継ぎを含めて20時間のフライトの後、夜中の1時(日本時間の朝7時)に到着というのがいけない。しっかりパスポートにはイスラエルのスタンプが押されていた。これでシリアには行けなくなりましたよ、O先生。
朝7時に家を出てボストンのサウス・ステーションへ。7月にNYに行って以来のアムトラック乗車。私は鉄分はそれほど多くないが、アムトラックはなぜか好きだ。ちょうど良い時間に特急のアセラがなかったので普通列車でニュー・ヘブンへ向かう。2時間20分ほど。前回乗ったとき、ボストンから南へ向かって左側の景色のほうが良いことに気づいたのでそちらの席を確保したが、雪まじりの天気で景色はあまり良くない。時折見える川や湖(あるいは海の入り江?)が凍っている。
定刻にニュー・ヘブンに着き、時間に余裕があったのでイェール大学までブラブラ歩く。5月にCFPというカンファレンスで来て数日過ごしたのでだいたい土地勘がある。
12時にイェール・ロー・スクールに行き、友人に会う。彼女はコロンビア大学で博士号をとったばかりで、イェールの情報社会プロジェクトでフェローをしている。いずれ彼女もどこかでテニュアをとり、立派な先生になるのだろう。
イェールの建物は統一されていて古めかしさを漂わせているが、ハリー・ポッター的でもある。ロー・スクールの建物もまさにそんな感じで、中の食堂も良い雰囲気だ。そういえば、インディ・ジョーンズの最新作のロケでもイェールが使われていた。
今、アメリカの大学はセミナーの季節に入っている。セミナーというと日本では講習会というイメージだが、アメリカでは講演会だ。MITでもハーバードでも毎日のようにセミナーが開かれている。イェールの情報社会プロジェクトでも今日から毎週セミナー・シリーズが始まり、私はトップ・バッターの栄誉をいただいた。
これまで英語が下手なのも気にせず、けっこうな数の英語の講演や学会発表をしてきて、たまに大成功と呼べるようなものもある(最近では昨年のトルコはうまくいった)が、今回は明らかに準備不足であまりうまくいかなかった。考えてみると昨年4月のジュネーブ以来、日本語でも英語でも人前で話していなかった。もうしどろもどろで、途中で胃が痛くなってきた。やはり準備は周到にやらないとダメだ。
聴衆には申し訳ないのだけど、今回は自分の研究の進捗を話してフィードバックをもらうことが目的だった。テーマはブッシュ政権の令状なし傍受だったのだが、聴衆の反応が複雑。ロースクールの学生やファカルティだから、法的な側面について彼らはいくらでも語れるはずだが、政治的な側面になるとみんな奥歯に物が挟まっているような感じだ。こういう話もある、こういう動きもあると教えてくれたのはありがたい。しかし、自分のポジションを明確にするような意見はほとんど出てこなかった。
これまでこの問題をいろいろな人に質問をしてきたけれど、アメリカ人にとってもこれは自慢できる事例ではないので、語りにくいのだと思う。さらに言えば、イェールはブッシュ親子の母校である。そんなところでブッシュ批判ともうけとれないことを話す私がちょっとずれているのかもしれない。外国人に言われたくはないわな。例えば、日本の腐敗政治について研究しに来ましたというアメリカ人が東京で講演して受けるはずはない。ま、いいや。
天候が悪くなるという予報だったので、セミナー終了後、タクシーに飛び乗る。本当はイェールの中を案内してもらいたかったなあ。とても残念。もう当面はここに来ることもないだろう。しかし、雪で帰れなくなると困るので仕方ない。
ボストンに帰るアムトラックの特急アセラは数分遅れでニュー・ヘブンを発車。今度も景色の良いはずの右側(ボストンに向かって)の席に座れたが、雪が激しくなり、外の景色はほとんど見えない。日本の電車だったらスピードを落としそうなものだが、さすがニュー・イングランドの特急はスピードを落とさずに突っ走っているので余計景色は見えない。
景色が悪いのでN君が送ってくれた卒論を読む。締切ギリギリに出したためだろうが、誤字脱字が多いのがちょっと残念。でも彼がずっと主張していたコンセプトがかなりおもしろくまとまっている。忘れていた論点もいくつか思い出させてくれた。先学期も卒論を送ってくれた学生がいたが、忘れずに送ってくれるのはけっこううれしい。一年とか二年つきあって話を聞いていると、こうした時間が経ってから読んでもぱっと昔の議論がよみがえってくる。勉強から一歩でも踏み出して研究した成果を形にして卒業できる学生はすばらしい。
飛行機の旅も良いけど、電車はシートベルトに縛られることもなく、電源も使えるからリラックスできる。一つ終わってすっきりしたので、帰国までもう少し頑張ろう。
ブッシュ政権のCIA長官マイケル・ヘイデンはNSA長官時代に令状なし通信傍受を始めた張本人で、プライバシー業界では非常に評判の悪い人だ。ところが、オバマ新大統領が彼を留任させるかもしれないという噂が出ていた。
結果的には、クリントン政権の古狸であるレオン・パネッタが指名され、インテリジェンスのプロたちを怒らせている。パネッタはインテリジェンスの経験が全くないからだ。
ヘイデン留任はなかったが、クリントン政権からブッシュ・W・ブッシュ政権に移る際、ジョージ・テネットCIA長官が政党を超えて留任したことがあるから、あり得ない話ではない。
さらにさかのぼると、フォード政権下でCIA長官だったパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)は、任期が短かったこともあり、カーター政権でも引き続き長官職に留任することを希望していたが、カーター新大統領に拒絶されたという話があるそうだ。
当時のパパ・ブッシュは非常に党派的な人間として知られていたので、そこが嫌われたようだ。
この話を読んで、10月にヒューストンのブッシュ・ライブラリーで見つけた資料を思い出した。歴史的価値が特にあるわけではないが、おもしろいのでスキャンして載せておこうと思う。なお、紙が青いのは、原資料と区別するために大統領ライブラリーのコピー用紙が青いため。