MITとグッド・ウィル・ハンティング

MITの図書館からDVDを借りてきて、『グッド・ウィル・ハンティング(Good Will Hunting)』を見た。MITが舞台になっている映画である。主人公はMITの学生ではなく、MITの掃除夫の20歳の若者。実はものすごい天才なのだが、人とうまくコミュニケートできない。MITの数学の先生が彼を見出して……、と話は展開する。ヒロインはハーバードの学生なので、ケンブリッジの景色がたくさん出てくる。いつも使っているハーバード・スクエアのカフェも出てきた。しかし、若者言葉は速すぎて、ほとんど理解できない。少しは英語がうまくなったかと思っていたのに残念。

MITの廊下のシーンがあり、聞き間違いでなければ、ビルディング2と言っていた。MITの建物は全て番号で表示されている。ビルティング2はドームの前の芝生を囲むビルの一つで、最も古い建物の一つ。数字の前に何もアルファベットが付いていない建物が古い建物群で、Eが付くとキャンパスの東側になり、同じくWは西側、NWは北西側、Nは北側、NEは北東側になる。

DVDを図書館に返しに行くついでに、ビルディング2のロケーション・シーンを見に行った。ところが、どこにもない。映画ではレンガの壁に黒板がかかっていたが、レンガの壁なんてどこにもない。いったいどこなんだろうと上から下まで歩いて回る。夏休みで人がほとんどいないので怪しまれない。

結局見つからなかったが、噂の地下通路を通って自分の研究室まで戻ることにした。MITの地下は迷路のような地下道でほとんど全部がつながっている。私の研究室があるのはE38で、2→6→8→16→56→66→E17→E25の下を通って行けるらしい。寒い冬には外を歩かなくてすむ。

しかし、本当に迷路のようになっていて何度も迷う。地上の地図を持っていたし、地下の所々に地図が貼ってあるのだが、方向音痴の私は変なところを一周してしまったりする。それでもけっこうおもしろくて、いろいろなオフィスがあるし、パイプやらボンベやらがゴロゴロしていて、「DANGER」と表示された部屋もたくさんある。ついでにお化けも出るらしい。

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MITは危険物をたくさん扱っているので、火事になったらとにかく逃げろというのがポリシーだ。非常口の案内図には、「The Institute policy is to NOT FIGHT FIRES」なんて書いてある。危険すぎで素人に消火活動なんてできないらしい。

探検が終わり、ウィキペディアの英語版で『Good Will Hunting』を調べてみると、大学構内のシーンはカナダのトロント大学で撮影されたと書いてある。な〜んだ。カナダのほうがコストが安いので映画の撮影はよくカナダで行われると聞いたことがある。さらにおもしろいのは、主役のマット・デイモンとベン・アフレックが書いた脚本が元になっているということ。マット・デイモンはハーバードの学生だったらしく、授業で原作を書き、二人はこの作品で売れるようになった。ロビン・ウィリアムズもアドリブで撮影を盛り上げたらしい。

もうちょっとディープにMITらしさが出ていると楽しいのになあ。

このまま秋に

先週の金曜日の昼過ぎ、研究所の同僚の一人が、「今度はロシアと戦争かな」とぼそっと言った。私は論文のデータ処理をずっとやっていたので何のことかよく分からなかったが、ロシアとグルジアに関する報道が始まっていた。アフガニスタンとイラクを抱えていてアメリカがすぐ参戦するとは考えられないが、今のうちからそういう可能性を考えておくのが東部エスタブリッシュメントの頭の中なのだろう。グルジアとアメリカは近年関係が密になっているので、戦争の可能性が全くないわけではない。

ちょうどその晩、オリンピックの開会式の録画がNBCで放送された。アメリカ時間だと金曜日の朝に行われたことになるが、朝のニュースではスタジアムの中は見せず、録画を午後7時半から夜12時まで流した。インターネット時代に録画放送はないだろうと思ったが、視聴率を稼ぐためには仕方ないのかな。

マスゲームを見ていたアナウンサーが驚いて「あごが落ちちゃう(jaw dropping)」と言っていたのには笑った。中国に秩序があるところを見せたかった中国の気持ちも分かるけど、アメリカ人は多様な個性を称賛するから、アメリカ人はたぶん違う受け止め方をしてしまったと思う。その辺の感覚のずれを感じるなあ。

この日、小島朋之先生の最後の著書が届いた。国分良成先生の巻頭言を読み、小島先生の圧倒的執筆量に改めて驚く。きっとオリンピックもごらんになりたかっただろうな。先月末の偲ぶ会に出席したかったが、諸事情あって東京には戻れなかった。今書いている論文が終わったらこの本を読もう。

小島朋之『和諧をめざす中国』(芦書房、2008年)。

ケンブリッジ(ボストン)は雨ばかり。気温も上がらず、このまま秋になってしまいそうだ。今日は冷房も止まり、薄手のコートを着ている人もいた。暑そうな北京とはずいぶんなちがいだ。

インテリジェンス機関に関わる大統領命令改正

ぼやっとしているうちに、ブッシュ政権がインテリジェンスに関する大統領命令12333を改正し、議論を呼んでいる。

オリジナルの大統領命令12333はレーガン政権の時に出されたもので、インテリジェンス機関の活動を規定している。大枠は法律で決まるが、詳細は大統領命令で決められる。この大統領命令は、秘密だらけで訳の分からなかったインテリジェンス機関の法的制約を明らかにする画期的なもので、CIAによる暗殺を明示的に禁じたものとしても知られている。

改正された大統領命令には、オリジナルには入っていなかった以下の文章がある。

米国政府は、連邦法によって保証されている自由(freedoms)、市民的自由(liberties)、そしてプライバシーの権利を含む、あらゆる米国民の法的権利を完全に守るという厳粛な義務を負っており、この命令の下でのインテリジェンス活動の実施において継続しなければならない。

わざわざこんなことを追加して書くとは、近年のさまざまな問題は何なのだろうと勘ぐりたくなる。しかし、わざわざ書くのは前進だという見方もある。

ブッシュ政権は最近、大統領命令はこっそり改正できるという法律的立場をとっていることが分かり、問題になっている。アメリカは法律社会だというが、法律に準ずる大統領命令が、誰も知らない間に無効になっていたり、書き換えられていたりしたら、法治国家ではなくなるだろう。ますますインテリジェンス機関をコントロールできなくなる。

今回の大統領命令の改正は、近年のインテリジェンス・コミュニティの改革を反映するためのものだが、これをこっそり書き換えられるとすれば、形式的な改正でしかないのか。

マーチンFCC委員長とネットワーク中立性

ウォール・ストリート・ジャーナルの社説が連邦通信委員会(FCC)のケビン・マーチン委員長を徹底的にこき下ろしている。

FCC.politics.gov,” Wall Street Journal, June 30, 2008, Page A14.

書き出しはこうだ。

悪い人事決定がブッシュ政権にはつきまとってきたが、最大の失望のうちの一つは連邦通信委員会委員長のケビン・マーチンである。メディア・ユニバースの主としての最後の半年で、彼はインターネットの政府規制を拡大しようとしているようだ。

ネットワーク中立性に関連してマーチン委員長は、「中立性を確保するための」規制を導入しようとしている。この中立性の議論はなかなかねじれているが、「ネットを中立にしておくために規制が必要」とする人たちと、「ネットを自由にしておくために規制は不要」という派に収斂しつつあるようだ。「ネットを中立にしておくために規制は不要」や、「ネットを自由にしておくために規制は必要」というオプションはなくなってきている(ややこしい上に、どれも議論としては成り立ちそうだ)。

伝統的に共和党は規制反対のはずなのに、マーチン委員長(共和党)は、他の4人の委員のうち民主党の2人と組んで規制を導入しようとしている。

この記事は、言うことを聞かないコムキャスト社をこらしめるためにマーチン委員長が規制を導入しようとしているという政治的な意図を示唆している。しかし、その結果として政府の規制が拡大するのはけしからんというのが同紙の立場だ。記事の最後はこう締めくくられている。

規制者たちは、通信市場全体を競争的にしておくことに集中することで良い仕事をするだろう。もしコムキャストの顧客が同社のネットワーク管理方針が気に入らないのなら、ベライゾンやAT&T、その他のインターネット・サービス・プロバイダーに乗り換えるのは自由だ。ケビン・マーチンと彼の政治的な友達が運営するワールド・ワイド・ウェブは、粗末の質の数少ない選択肢しかわれわれに残さないだろう。

マーチン委員長の本心がどこにあるかは分からないが、この議論はよく分かる。日本でネットワーク中立性の議論がそれほど盛り上がらなかったのは、ユーザーに選択肢があるからだ。NTTが変なネットワーク規制をしたなら、KDDIにでもソフトバンクにでも切り替えれば良い。ISPなら他にもたくさんある。問題は日本でもアメリカでも、選択肢の少ない過疎地で、そこでの選択肢を確保できるようにすることが政策的に必要なことだろう。

社会学者と政治学者

全米社会学会はいろいろ用事があってフルに参加できなかったけど、視点の違いが見られておもしろかった。政治社会学者(political sociologist)と政治学者(political scientist)は協力できるのかというパネル・ディスカッションでは、「やってられない」という人と「できるよ」という人がフロアを交えて議論していて、聞いていると苦笑してしまう。

社会学者から見ると政治学者は価値や制度にコミットしすぎているそうだ。例えば、民主主義は良いものだということを前提として議論している。社会学者は良いかどうかの判断はさておいて、人々がどうやってインタラクションしているかに関心があるので、民主主義がどうなっても構わない!

まあ、そうかもしれない。社会学の議論を聞いていると、とっかかりがないという気がする。「それで?」と聞いてみると、「それだけ。それがおもしろい」という答え。

政治学は社会のデザインとか批判ということを重視しているから、自分が依拠する立場に自覚的でありながらも、特定の価値を持つことを躊躇しない。リアリストでもリベラリストでも構わない。立場の違いに過ぎない。

社会学は何でも相対化してみて、自分たちに埋め込まれた価値からできるだけ中立的であろうとするみたいだから、何でもぶった切ろうとするマクロな一般論と、一般化を拒否するミクロな個別論に分かれていて、両者をつなぐ議論がなかなか出てこない。

政治学はアリストテレスまでさかのぼる伝統があるくせに節操が無くて、いろいろな分野から知見や手法を借りてきてしまって恥じるところが全然無い。社会学者は新興勢力だからか、社会学らしさにこだわりつつ、まだそれが誰にもよく分からない。

いずれにせよ、事前登録参加者だけで4900人を超えるという大きな全米社会学会である。優勢な学問分野であることには変わりない。

越境

自分で決めてしまった、あるいは誰かに決められてしまった境界を越えて探検するのは、しんどいものでもあるが、楽しいものでもある。SFCにいると、「自分は○○学者です」と名乗るのはけっこう恥ずかしくなってくる。聞かれると私は「国際政治学者です」と答えているが、他人から見るとそうは見えないかもしれない(総務省関連の仕事が多いし)。最近は大学院のインターリアリティ・プロジェクトで社会学をかじってみたりした(ウェブは全然更新されていないけどね)。

今週末、ボストンで全米社会学会(ASA)が開かれている。二度と全米社会学会に参加する機会なんてなさそうだからと思って参加している。おもしろいことに、「私は社会学者ではありません」と自己申告すると参加料が割引になる。全米政治学会(APSA)並に大きな学会だ(こちらも今月末にボストンで開かれる)。

昨日は、社会学の成果が軍事政策にどうやって応用されているかというテーマのワークショップに参加した。「ミリタリー・ソシオロジー(軍事社会学?)」という言葉は初めて聞いた。国防総省はいろいろな形で社会学者を雇っているようで、軍隊という一つの社会で起きる問題についてアドバイスをしているらしい。しかし、そうした研究成果は敵を利することになる可能性があるということで公開されない。そうした社会学者たちの研究成果は軍の中だけで消化されている。

このワークショップで一番驚いたのは「social network analysis(社会ネットワーク分析)がサダム・フセインを捕まえるのに使われた」という話。なるほど、彼がどこに隠れているかを探すために彼の持っていた社会的ネットワークを分析すれば、誰がかくまっているのかが推測できたのかもしれない。政治学より社会学は役に立っているではないか。

現在のアフガニスタンとイラクでの作戦では、1976年と2006年に発表された社会学の研究が応用されているという。越境するとおもしろい風景を見ることができる。

(考えてみると、SFCでも自衛隊の社会学的研究がけっこう行われている。防衛研究や政治学の研究として自衛隊を取り上げるのもおもしろいが、社会学から見るのもおもしろいだろう。SFCでの先駆的なものとしては、今は一橋大学にいらっしゃる佐藤文香先生の研究だろう。)

第2回ソーシャル・イノベーション研究会

情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会第2回が9月に開催されます。だいぶ先ですが、お知らせしておきます(私は物理的には出席できませんけど)。

ブロードバンドを使って何するのというのはよく言われることですが、地域医療は期待されている領域の一つであり、ソーシャル・イノベーションの実践例だと思います。

申し込みは学会のウェブページの載せられている電子メール・アドレスからどうぞ。軽食付きです。


日時:2008年9月18日(木)18時〜

場所:マルチメディア振興センター会議室

発表者:秋山美紀(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)

題目:地域医療におけるコミュニケーションとICT

発表要旨:地域医療連携のためにICTを用いる関する各地の取り組み事例の中から、組織を越えて他職種が日常的にITを用いて情報共有している成功事例について、密度の濃いフィールドワークを行い、定量的・定性的に分析を行った結果を報告する。非同期で蓄積型という特徴を持つメディアが、医師と共同で医療を行う職種に対して、効果をもたらしていることが明らかになっている。

参考資料:秋山美紀『地域医療におけるコミュニケーションと情報技術―医療現場エンパワーメントの視点から』慶應義塾大学出版会、2008年。

MIT図書館

遅ればせながらMITの図書館をよく使い始めた。学生がいなくなっているのでがら空きだ。国際関係研究所から一番近い経営学・社会科学系のDewey Libraryはあいにく工事中でうるさいが、チャールズ側をはさんだボストンの景色を見ることができる。ただし、工事が完成して新しいスローン・スクールの建物ができたら見られなくなるかもしれない。

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ドームの近くにある人文系のHayden Libraryは静かだ。MITは基本的に理科系の大学ではあるが、人文・社会科学系もトップクラスである。フェルナン・ブローデルの『地中海』の英訳やアーノルド・J・トインビーの『歴史の研究』原書全12冊といった定番もちゃんとある。『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローの本はあるかと思って探してみたら、彼の本と関連本だけで5段もあった。ソローはそれなりの思想家なのだろう。誰かが寄付した福澤先生の『文明論の概略』の和装綴じ6巻セットもあった。

ハーバードには戦時中に集めた日本の貴重な文献もあるらしいし、ケンブリッジに来て、少し離れたところから日本研究というのも悪くないのだろう。Hayden Libraryのロビーの本棚を眺めていたら日本のマンガの英訳まで置いてあった。ドラゴン・ボールその他がずらりと並んでいる。さすがMITだ。

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森の生活と市民的不服従

タングルウッドの夜の公演からそのまま帰宅すると夜の1時ぐらいになるので、今回は途中の安宿で一泊。翌日は独立戦争で知られるコンコードを散策。イギリス軍と民兵が最初に戦火を交えたノース・ブリッジを見る。復元された橋が架かっていて渡ることができる。橋の手前には戦死したイギリス兵の墓がある。

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昼食を食べている間に大雨になって雷が鳴り始める。と思ったらすぐにやんだので、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが『森の生活』を送ったウォールデン湖を見に行く。駐車場の横に彼が暮らした小屋のレプリカがある。ワンルームで日本の学生の下宿みたいな感じだ。ベッドと机、それに暖房兼調理用のストーブがあるだけ。実際に小屋があったところは湖沿いに10分ほど歩くと見つかり、礎石が残っている。ソローの『森の生活』は最近は日本でも見直されてアウトドア系の雑誌などでも紹介されるようになっている。

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現在のウォールデン湖はレクリエーション・スポットになっていて、家族連れが湖水浴にたくさん来ている。

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数年前にカリフォルニアでネットの関係者にインタビューをしていたとき、「市民的不服従」という言葉が出てきた。これはソローの死後にまとめられた本のタイトルになっている。自分の信じるところに従って政府の政策には従わないといったような意味だと思うが、そのネット関係者は、政府が主導してネット・インフラを作ることに反対していて、その議論の中で出てきた言葉だ。とても印象に残っていて、ソローのことをもっと知りたいと思っていたので、彼の小屋を見るのは興味深かった。

2年あまりとはいえ、あんなところで一人で過ごすのは大変だろう。そうした反骨精神ともいえるような強い思いが当初のネットを作った人たちの中に息づいているとしたらおもしろい。市民的不服従はソローの後、ガンジーやアメリカの公民権運動にも受け継がれていく強い思想になっていく。

まだ若手……

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週末、また車に乗ってタングルウッドへ。前回は昼の公演で、Seiji Ozawa Hallだったが、今回はKoussevitzky Music Shedのほうで、夜の公演である。芝生席ではなく屋根のある席にした(写真は開演前に撮影)。ちょうどこの日は天気が悪く、開演前には雨と雷があったので芝生席はぬれて大変だったと思うが、前回と比べると格段に多くの人が来ていた。

3曲の演目のうち、2曲目にMIDORI(五嶋みどり)が出ることもあって、たくさん日本人が来ている。MIDORIを聴くのは初めてだが、なるほどすばらしい。どうやら演奏中に弓が二、三本切れたみたいだけど(バイオリンの弦ではない)、それもダイナミックな弾き方のせいだろう。

パンフレットに載っていた彼女の経歴を読むと、一年違いの同世代だと気づく。先日の野茂英雄の引退で、すごいおっさんだと思っていた彼が二つ上の同世代だということにも気づいた。MIDORIは11歳でデビューして四半世紀以上にわたってトップアーティストとして活躍している。野茂は一時代を築いて引退。それに引き替え、私は大学ではまだ「若手」と言われている……。帰国したら中堅と呼ばれる位にはなっているのだろうか。

都会離れ

いくつか用事があって一泊二日でニューヨークへ行く。朝7時15分にボストンのサウス・ステーションを出るアムトラックの特急アセラに乗り込む。アセラはファースト・クラスとビジネス・クラスしかないのだが、座席指定ができない。座席数以上の予約はとらないので全員座れるのだが、どの席に座るかは自由である。おまけにどのホームから発車するのか、発車10分前にならないと分からない。乗客は待合いホールでブラブラしていて、アナウンスがあると(電光掲示板でも表示される)発車ホームに殺到するというひどいシステムだ。

何とか座って3時間半の列車の旅である。アセラは電源がとれるのでパソコンが使えるのが良い。さすがに無線LANはない。昼前に到着し、連絡してあったJ先生とペン・ステーションで待ち合わせをする。

ニューヨークは暑い。地下鉄のホームがサウナのように暑くてしんどい(ボストンの地下鉄はなぜかそんなに暑くない)。地下鉄の車内は冷房がきいているが、電車が来るのを待っている間に汗が出てくる。おまけに路線が複雑で、ローカル電車に乗ったはずなのに駅をすっ飛ばすことがある。放送をしっかり聞いていないと変なところへ連れて行かれてしまう。J先生と電車で話しているうちに乗り過ごしてしまい、そのおかげで思いがけず世界貿易センターの跡地を見ることになった。

これまでテロのことについてそれなりに書いてきたし、テロ後も何度もニューヨークに来ているが、今まで一度も近づいたことがなかった。単なる見物で行くべきところではないような気がしていたし、当時の自宅近くにあったペンタゴンのすさまじい光景を見てからはますます行く気がなくなった。しかし、7年が経って、今回は時間があったら見に行こうと思っていた。

跡地は再開発工事の真っ最中だった。しかし、高いビルに囲まれてぽっかりと空いた空間は、いろいろなことを考えさせる。いまだに泣き崩れている人がいるのも悲しみの深さを感じさせる。あれからずっとアメリカは戦争をしている。戦争中であるという雰囲気はあまりないけれども、戦争がもうすぐ終わるという感じもない。ローマ帝国のヤヌスの神殿は戦争中は開けたままにしておいたそうだけど、アメリカにそんなものがあったとしたら7年間近く開きっぱなしだ。

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それにしても、ニューヨークは人が多い。車も多い。ボストンの調子で歩いていると轢かれそうになる。東京からニューヨークに来てもどうということは思わなかったのに、今回は人と車の動きと高層ビルにくらくらする。何度も見たはずのエンパイア・ステート・ビルに見とれてしまう。ふと自分が都会離れしてしまったのだと気がついた。ボストンにだって高層ビルはある。しかし、ケンブリッジ側に住んでいると、それは遠くから見るものになっていて、高層ビルの間に住んでいる感じがない。ボストンの運転の荒さは全米で最悪だと言われるが(すぐにクラクションを鳴らすのをやめて欲しい)、やはりニューヨークよりはのんびりしている気がする。ニューヨークのアパートの値段を聞いてびっくりしてしまうし、この街には住めないなと思う。きっと東京に帰ったらしばらくはくらくらするのだろう。

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二日目、東京から来ているHさんとSさんと一緒にフリーダム・ハウスを訪問したり、研究者に会ったりする。フリーダム・ハウスは1941年にエレノア・ルーズベルトが作った非営利団体で、民主主義のための調査や支援活動を行っており、近年は報道の自由に関する指標を作っている。インターネット規制についても調査を行っているので、その辺を聞くことができて有益だった。実は面談相手は5月のニュー・ヘブンのカンファレンスで知り合った人なのだが、今回改めて話してみると、私がお世話になったY先生の娘さんとクラスメートだということが分かった! 世の中狭すぎる。たまたま知り合った人の交友関係を深く調べることができたら、こんな偶然はもっと見つかるのだろう(あまり他人のSNSの友人リストをのぞく気はしないけどね)。

全ての用事を終え、再び汗をかきながらペン・ステーションに戻る。夕方6時の電車を待つが、平日のラッシュ時に重なったこともあって駅は乗客でごった返している。予約した電車は30分遅れの表示が出ている。しかし、6時半が近づくとアナウンスを待つ人たちが電光掲示板の下に集まり、なんだか殺気立ってくる。そして、ワシントンDCから到着した乗客がエスカレーターを上がってくると、そこが発車ホームに違いないと人だかりができる。アナウンスされたときには列も何もなく人が殺到している。まるで発展途上国のようだ。アメリカは世界で最も豊かな国という割には、こういう原始的なところが残っている。絶えず移民が入ってくる国ではこうならざるを得ないのだろうか。

大西洋を見てくる

もうすぐ渡米4ヵ月になる。生活が軌道に乗ってしまうといろいろ忙しくなる。あっという間に一日が過ぎていく。夢中で時間が過ぎていくのは良いことなんだけど、もっとじっくり味わって時間を過ごしたい気もする。

先日、ふと丸一日空いている日があったので、車に乗ってポーツマスまで出かける。まずはポーツマスを少し通り過ぎて大西洋を見てくる。日差しは強いのに涼しい風が吹いていて心地よい。

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ポーツマスは言わずとしれた日露戦争の講和条約が結ばれたところである。先日ポーツマスを訪れたSさんとOさんがとても良かったと言っていた展示を見に行く。確かにここの展示は良くできている。いわば、政策過程分析を詳細にやっているのだ。国際交流基金日米センターの支援があったそうだが、良い仕事を支援しているなと関心。講話成立は両国政府代表団の努力だけでなく、米国政府やポーツマス市、ポーツマス住民の支援があって初めて可能だったのだということが分かる。

出口のところで売っている資料を物色しているうちに私は出口をふさいでしまっていた。アメリカ人のおじさんがやってきて、「ちょっと失礼」と言う。それも日本語。おじさんはそのまま出て行ってしまった。買い物が終わって外に出てトイレに行こうとすると、さっきのおじさんが出てきて、「左です」とまた日本語。話をしてみると、早稲田に留学したり、同志社で先生をしたりしたこともあるアメリカの大学の先生だった。コロンビア大学で日本政治の博士号をとり、今はバージニア州の大学で先生をしていて、専門はなんと公明党の政治。いやはや恐れ入ります。

独立記念日

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7月4日はアメリカの独立記念日。ボストンは歴史ある街なのでここ一週間ぐらいはずっとイベントが続いている。3日と4日はチャールズ川沿いのエスプラネードで夜の無料コンサートがある。カントリー・ミュージックやボストン・ポップが聴ける。3日のほうが空いているので午後から席取りをしていたのに、開演直前に雷警報が出て近くのハイウェイのトンネルに避難するようにという指示が出てしまった。本降りになるとのことなので断念して帰宅。

4日も朝は雨だったので今日もダメかと思ったが、午後から晴れてくる。昼間は家でのんびり過ごす。夕食を食べてからテレビを見ると8時半からエスプラネードのコンサートが始まっている。独立記念日当日は朝から席取りをしないといけないというので行かなかった。しかし、コンサートの後にチャールズ川の上で花火がある。9時半に家を出て、MITのキャンパスへ。川沿いに出るとたくさんの人が集まっていて、日本の花火と同じくらいの人だかりだ。夜になると涼しいのが良い。

対岸のエスプラネードでコンサートが続いていて、スピーカーを通じて音が中継されている。しかし、テレビ中継のコマーシャルの時間になると演奏が止まってしまう。この辺がアメリカ資本主義だなあと感心してしまう。MIT側にいる人たちは勝手にわいわいやっている。でも野外でのアルコールは禁止なので酔っぱらいがいない。

10時半になると轟音とともに花火が上がる。音楽と合わせて上がる花火もなかなか良い。アメリカの花火もかなり進化して、一昔前のようにただ上に上がってど〜んだけではなくなっている。趣向を凝らした花火がどんどん上がってなかなかのハイレベルだ。日本の花火がなつかしい。

戦時中だというのに、そんな雰囲気は感じない賑やかな夜だった。

MITの先生たち

MITの先生二人と食事に行った。そのうちの一人が本を出したのでそのお祝いも兼ねている。こちらでは200ページの本は薄いと判断されて業績にならないのだそうだ。どうりで300ページとか400ページとかいう本が多いわけだ。

ひとしきり話をした後、あるテーマについて彼ら二人がすごい勢いで議論を始めてしまい、話についていけなくなる。同僚とでも激しく議論をするのだなあと感心。でももちろん人間関係が悪化するわけではなく、最後はハグをして分かれる。

二人のうち一人と私はジャズ・クラブへ。こちらでは夜遊びなんてしないのだが、良い機会なので連れて行ってもらう。ボストンには有名なバークリー音楽大学があり、その界隈にはジャズ・クラブがたくさんある。今回行ったところは、普通のジャズではなくて、ロックに近い激しいドラムとベースがおもしろかった。タングルウッドのクラシックも良いが、こういうのも楽しい。

音楽の合間に、ある有名な先生のうわさ話を聞く。その先生はライバル大学からかなり良い条件で引き抜きのオファーを受けた。ところが、そのオファーがあったことを人に話してしまうのだ。日本だと人事の話は極秘で進められることがほとんどで、途中で漏れると横やりが入ってダメになることが多い。しかし、こちらではわざと公にして、周囲の反応を見る。案の定、その有名な先生は現在の大学の学長から良い条件で慰留のオファーがあり、残ることになった。へええとこれにも感心してしまう。アメリカの大学の教員は給料で差を付けられるからこんなことも可能なのだろう。日本の大学は年齢給と勤続給で決まることが多いから、インセンティブを付けられない。

夜の12時を過ぎて帰宅することに。帰る途中、「明日は寝坊できるの?」と聞くと、「いや、9時から5時のペースで仕事することにしているんだ」とのこと。もうこちらの大学は夏休みに入っているから、ゆっくりできるはずなのに、3人の子供の面倒を見ながら自宅で毎日同じペースで仕事をしているそうだ。おまけに夜遊びも欠かさない。

せっかくの自由なのだからと最近の私は勝手気ままな生活をしている。好きな時間に研究し、眠くなったらひたすら眠る。何にもしない日もある。日本のある有名な先生に生活のリズムを聞いたとき、「リズムは一定してない。好きなときにやるだけだよ」と言っていた。その先生は自宅近くに仕事場を持っていて、そこにベッドもあるので、本当に好きなようにやっているようだった。高齢なのでそんなに睡眠時間が必要ではないらしいし、引退して授業も持っていないからそれで構わないらしい。

そのまねをすべく、好きなようにやっていたのだが、どうも私には合わない。不規則な生活をしていると集中力が持続しないような気がする。調子に乗って徹夜などすると、その後の二、三日は影響が出てしまう。結局のところ、集中できる時間を最大限確保するためには規則正しく、ルーティーンで研究をするほうが良いのかもしれない。ムラのある仕事をするよりも、たぶん毎日少しずつ積み重ねていく方が結果が出るのだろう。

リトアニアにサイバー攻撃

昨年のエストニアに続いて、リトアニアもやられたようだ。

Sara Rhodin, “Web sites in Lithuania attacked,” International Herald Tribune, June 30, 2008.

この問題、ジュネーブでも議論されていたが、こうした攻撃は多くなるかもしれない。社会がインターネットに依存すればするほど、被害は大きくなる。そして、政府がインターネットに介入する口実になる。

タングルウッド

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日曜日、ジップカーに乗ってI-90号線をひたすら西へ向かう。ケンブリッジから120マイル(190キロ)ほど離れたところにストックブリッジという町がある。ここに、ノーマン・ロックウェルのミュージアムがある。ロックウェルの絵はとてもアメリカ的でほほえましいものが多い。彼は自分の仕事が好きだったんだなあと感じさせる。自分の仕事を愛せる人は幸せだ。

その後、タングルウッドへ向かう。有名な音楽祭のシーズンが始まった。ボストン・シンフォニーが夏の間タングルウッドに引越し、そこでカジュアルなコンサートを開いてくれる。ボストンで聞くときはきちんとした格好をしなくてはならないが、タングルウッドではみんなTシャツに短パンだ。

開門すると、みんな持参した椅子を持って芝生の席取りに向かう(でもわれ先にという雰囲気ではない)。今回はSeiji Ozawa Hallだった。ステージから見てホールの正面の壁が開き、芝生に座って音楽を聴くことができる。子連れでも良いし、持参したお酒を飲んだり、食事を楽しんだりできるのもすばらしい。折りたたみ式の椅子も4ドルで借りられる。

この日は開幕したばかりなので満席というわけではなかった。大物が来たり、良い演目になったりすると席取りは大変なんだろう。この日の昼の公演の演目は以下の通り。

HARBISON, Wind Quintet

MOZART, Quintet in E-flat for piano and winds, K.452

DVORA’K, Quintet in A for piano and strings, Op. 81

ドヴォルザークがとても良かった。でもモーツァルトの陽気さも印象に残る。モーツァルトもまた仕事が好きな人だったんだろうなあ。音楽は仕事だとも思ってなかったのかもしれない。

もうアメリカに来てから3ヵ月も経ってしまった。ロックウェルやモーツァルトのように作品をぽんぽん出すわけにはいかないけど、好きなことをやって何かを残せるのは幸せなことだ。残りの時間でちゃんと成果を出せると良いなあ。

今日の教訓:好きじゃなくちゃ、やってられない。

情報自由法請求

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リトルロックに着いたのは月曜日の夜中、荷物がホテルに届いたのは水曜日の午後。その間、必要品を揃えようと思って街を歩いたけど何もない。ワシントンやボストンではいたるところにある薬局兼雑貨屋のCVSもない。ついでにボストンではうじゃうじゃあるダンキン・ドーナッツもない。南部は別の国だ。

リトルロックは州都なので行政都市である。大きくて無愛想なビルが並んでいるだけで、繁華街と言えるものが見あたらない。リバー・マーケットというアーカンソー川沿いのエリアが観光ガイドには書いてあるが、ちょっと物足りない。

ここに来た目的はクリントン・ライブラリー(William J. Clinton Presidential Library)での公文書探し。外交文書は公開まで30年かかるので、クリントン時代の外交文書公開はまだまだ先だ。そのためか、文書アーカイブは閑散としている。しかし、内政に関する文書は、差し支えなければ公開されている。また、情報自由法(FOIA:アメリカでは情報公開法を情報自由法と呼ぶ)で公開が決まったものも出てくる。恒例のエリア51ロズウェル事件についてはもう文書が公開されていた(好きな人がいるんだなあ)。

本当に欲しかった文書はまだ見つかっていないが、関連するものは見つかった。クリントン政権の中堅幹部だった人にワシントンでインタビューしたことがある。その人が教えてくれた会議の議事録が出てきて驚いた。文書には「sensitive」とスタンプが押されているが、非公開にはなっていない。外交にも少し関係する文書なのだが、そのままあっさり出てきた。閲覧室には私しかいないことが多いので、アーキビストが私の動きをじっと見ているのだが、良い文書が出てくると思わずにやりとしてしまう。

しかし、一番欲しい情報はどうも見つかりそうにない。アーキビストに相談したところ、FOIA請求してみてはどうかとのことだった。10年前にFOIAがデジタル対応したことについて調べて書いたことがある(『ネットワーク時代の合意形成』という本に入っている)。いよいよ自分でFOIA請求するとはと思うとちょっと興奮したが、手続きは実にあっさりしたものだった。紙一枚に連絡先と欲しい情報を書くだけ。出てくるといいなあ。最短で1ヵ月ぐらいは待たないといけない。

クリントン・ライブラリーに行こうと思っている人のためにちょっとアドバイス。上述の通り、外交・安全保障関連の情報、大統領自身についての情報はほぼ全く公開されていない。内政についての情報はだいぶ出ている(基本的にはホワイトハウスの補佐官たちが保有していた書類が中心)。福祉政策関係の情報はかなり出ているようだった。アポは必要ないものの、事前にコンタクトをもらった方がスムーズだとアーキビストは言っていた(せっかく行って何もないとつらい)。きちんと調べるテーマが決まっていないと追い返されると思う(簡単には入れない)。一番近いホテルはCourtyard Little Rock Downtown(521 President Clinton Avenue)。ここからなら歩いていける。ホテルの隣にあるFlying Fishのなまずのフライがおいしい。

今日の教訓:やってみれば意外に簡単なこともある。

リトルロックにたどり着く

ボストンからワシントンDC経由でアーカンソー州リトルロックへ。ここはビル・クリントンの本拠地だ(ヒラリー・クリントンはなぜかニューヨークが地盤)。

この時期のアメリカは天気が悪く、トルネードやサンダーストームが暴れまくる。ボストン発の便はほぼ定刻に離陸したものの、予定時間になっても着陸しない。ワシントンDCが天候不良でダレス空港に着陸できないのだ。1時間ぐらい旋回し続けた後、ようやく着陸。

乗り換え時間が30分ぐらいしかないので心配だったが、どうせ出発便も遅れているに違いないと思って電光掲示板を確認すると、案の定、1時間遅れ。機内で食べようと持ってきた夕ご飯をコンコースで食べる。しかし、天候悪化で、他のフライトがどんどんキャンセルされていく。私のフライトも遅れていく。

ゲートの前で待っていると、私のフライトの表示が消えてしまった。げっ、アナウンスを聞き逃して飛んでしまったか!と思ったが、しばらくするとまた表示され、元のフライトから4時間遅れになっている。待っている間もどんどん他のフライトがキャンセルされていく。

ワシントンDC市内に近いナショナル空港で一泊するのなら楽しみはいろいろあるが、市内から遠いダレス空港だと何もない。何とか飛んでくれ〜と神頼みをしていると、搭乗のアナウンス。やれやれと乗り込むと、今度は滑走路が大渋滞。ゲートを離れてから離陸するまでに1時間。機長のアナウンスによると、この飛行機はシャーロッツビルに行く予定だったが、リトルロック行きに振り替えたとのこと。そりゃありがたいのだけど、嫌な予感がする。窓の外を見ると、空港職員が飛行機から荷物を引きずり出している。おそらくシャーロッツビル行きのカバンを出しているのだろうけど、リトルロック行きのカバンはどうなっているのだろう。

離陸すると、飛行機は西に向かい、私の席は左の窓側だったのでお月さんがきれいに見える。周りに明るい星も見える。星を見たのは何ヶ月ぶりだろう。ボストンでは夜はほとんど出歩かないので星なんか見ていない。お月さんの下にある雲が時々ぴかっと光る。何事かとじっと見ていると雷だった。積乱雲の固まりの中で雷がぴかっ、ぴかっとやっているわけだ。音が聞こえないので変な感じだ。こんなに雷をじっとみるのも久しぶりだ。写真を撮ろうと思ったが、暗すぎて何も写らない。ビデオで撮っておきたかった。

リトルロックは中部時間なので、ボストンと1時間時差がある。ボストン時間の夜1時、リトルロックの夜12時に着陸。予想通り、カバンは出てこなかった。しかし、予想外は航空会社の職員が誰もいないこと。もう真夜中だもんなあ。みんな帰ってしまった気配である。他にもカバンのない人が10名ほど。関係ないTSA(運輸保安局)職員にみんなで詰め寄ると、航空会社の人を引っ張り出して来てくれた。しかし、私の仕事じゃないわよーという顔をしている。アメリカ的だなあ。ここで怒っていると疲れるだけなので、みんな順番にクレーム用紙を渡していく。

さらに嫌な予感がして、ダッシュで空港の外に出る。最後のタクシーが一台止まっている。と思ったら先客がいた。交渉して相乗りさせてもらうことにした。助かった。リトルロック時間の午前1時にホテル着。荷物はないが、ホテルの人が親切にいろいろ出してくれた。良かった。

おそらく、朝早くボストンを出て、昼にリトルロックに着くフライトならここまでひどいことにはならなかったのではないか。知人と朝ご飯を食べて、家で昼ご飯を食べて、ゆっくり出かけたのが敗因だ。

今日の教訓:田舎に着くときはなるべく早いフライトにせよ。田舎の夜は早い。

政策過程分析の最前線

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草野厚編著『政策過程分析の最前線』慶應義塾大学出版会、2008年。

やっと手元に届いた。この本も昨年中に出したかったのだけど、時間がかかってしまった。

私は第6章「国際的な政策の『模倣』過程—情報通信政策を例に」を担当。このテーマは数年前から取り組んでいて、一冊本を書く予定だったのだけど、どうも行き詰まったのでひとまずこの一章で終わり。今取り組んでいる他のテーマが終わったら戻るつもり。

Networked Governance Workshop

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ハーバードにProgram on Networked Governanceというプログラムがある(SFCの大学院プログラムにあっても良い名前だ)。そこが昨日と今日、ワークショップを開いており、明日と明後日、カンファレンスを開く。この4日間のイベントは、ネットワーク分析の手法を政治学に応用しようというものだ。いよいよここまで来たかという感じがするが、いわゆる大御所の政治学の先生たちは全然いない。やはり新しい分野なのだろう。

昨日と今日のワークショップではいくつかのソフトウェアの使い方が解説されている。一番なじみのあるのはUCINETだ。これは前に自分で使ったことがある。中心的な開発者であるSteve Borgattiは、ボストン・カレッジからケンタッキー大学に移り、そこでネットワーク研究の一大センターを作ろうとしているらしい。今はヨーロッパに出張中でこのワークショップには来られなかったが、ボストン・カレッジの博士課程の学生が来て、UCINETの使い方を3時間教えてくれた。知らない機能を教えてもらって役に立った。

しかし、他のソフトウェアはよく分からない。StOCNETvisoneRなどである。Rは昔のコマンドライン風のインターフェースでどうも使う気が起きない(しかし、大容量データを扱うのに有利なようだ)。どうやらvisoneが一番新しいらしい。しかし、どうやら周りの反応を見ていても、UCINET優勢は変わらないようだ。ところが、UCINETも、ボタンはあってもちゃんと機能していないコマンドなんかがあるらしく、常に一番新しいものを使うようにとのことだった。

ワークショップの参加者には意外にもヨーロッパの人がかなりいる。ヨーロッパでもこの辺りが進んでいるのかなあ。

明日と明後日は、こうしたツールを使った分析例の発表だ。どんなものが出てくるのか楽しみだ。

もう一つ。参加者の30%ぐらいがマックのパワーブックを使っている(Airは意外にもほとんどいない)。Intel Macだとウインドウズ用のUCINETやStOCNETがそのまま動いてしまっているようだ。そろそろ買っても良いかなあと思い始める。