散髪

散髪はアメリカ生活で困ることの一つだ。前にワシントンに滞在したときも苦労している。

すでに帰国したOさんから、彼のアパートの近くにあるレバノン人経営の散髪屋は大丈夫だと聞いていた。今日は帰りにそこへ行こうと意を決して家を出た。

MITのオフィスで仕事しながら、みんな散髪はどうしているのだろうと思って、ネットで検索してみると、MITのCOOP(生協)で切っている人がいた。この人は、ケンドールではなく、少し離れたスチューデント・センターのCOOPで切ったと書いているけど、ケンドールの生協にも床屋があるのを思い出した。フード・コート側にとても小さな入り口があるのだ。

ダメ元で行ってみようと思い立ち、入ってみるとアジア系の男性がいる。「髪を切って欲しいんだけど」と言うと、今暇だからいいよとのこと。本当にちょうど暇だったらしく、私が席に座ると次から次へとお客さんが来る。私の後にはアポが入っているらしく、みんな断っている。私はラッキーだったようだ。

彼は22歳の時にベトナムから家族と移民してきたそうだ。こちらに来てから英語と散髪を習い、15年ほどここでやっているという。アジア人の髪は難しいけど、俺はquick and goodだよという。

日本と比べるとずいぶん簡単だ。最初にスプレーで髪を濡らしてから、バリカン(?)で耳周りを切ってしまう。その後、上の方を櫛でときながらはさみでばさばさ切っていく。最後に櫛で整えて終わり。シャンプーとかひげそりとか整髪料でのセットとかそんなものはない。10分ぐらいで終わり(そう言えば、日本にもこんな床屋があるね)。

確かに期待以上のうまさだった。これなら通える。MITの皆さん、Kevinに頼むと良いですよ。ただし、もう一人いるらしい(今日はいなかった)女性の美容師はアジア人の髪が苦手らしいので要注意。

地球の歩き方とウィキペディア

アメリカの歴史を学ぶという名目でケープ・コッドとプリマスに行ってきた。ケープ・コッドはボストンから車で2〜3時間で行ける避暑地で、大西洋に腕のように飛び出している半島である。ケネディ家の別荘もある。

一日目は先端の町、プロビンス・タウンを目指す。ハイウェイの途中にある休憩所に旅行案内所があり、地図をもらおうと立ち寄ると、朝鮮戦争に行ったことがあるというおじいちゃんがいた。教えてもらって外を見ると、米国旗の横に韓国の旗がかかっている。ここでボランティア・ガイドをしながら募金も集めているらしい。戦争の後は工作機械メーカーで働いたそうで、YKKが取引先だったため、日本にも100回行ったと言っていた。こんな人が田舎にいるから奥深い。一通り話を聞いて、プロビンス・タウンでランチの良いお店はないかと聞いてみると、ロブスター・ポットが良いという。このお店は『地球の歩き方』にも書いてあった。

車に戻ってまたハイウェイを走りながら、『地球の歩き方』は、ウィキペディア・モデルの先行例だよなと思う。世界中を旅行した人が自分の体験談を書きつづり、それを手紙やファックスで編集部に送り、それを編集部がまとめて出版してきた。大した謝礼があるわけでもないのにみんな喜んで情報提供してきた。日本人がウィキペディアが好きなのもそういう先行例があったからか。

20080605shellfish.jpgはたして、ロブスター・ポットはうまかった。ロブスターももちろん良かったが、写真にあるShellfish Algarveという貝のブイヤベースもうまい。何種類かの貝やイカの他に細麺のパスタが入っている。しかし、ニンニクがきついので翌日までにおう。

20080605whydah.jpg食事の後、これも『地球の歩き方』に出ているWhydah Pirate Museumという海賊のミュージアムに行く。ここは、ケープ・コッド沖で莫大な財宝を積んだまま沈んだ海賊船ウィダーの引き上げプロジェクトについてのミュージアムである。海賊の生活がどのようなものだったか、どうやって海賊船を引き上げたか、どんなお宝が入っていたかなどが分かる。お宝ハンターにとっては最高のサクセス・ストーリーだ。館内で見られるビデオはヒストリー・チャンネルが作ったようだ。楽しそうだなあ。

散策した後、半島の真ん中辺りにあるハイアニスという街に泊まる。翌日はフェリーでナンタケット島に行くつもりだったが、天気が悪いのであきらめ、ケネディ大統領のミュージアムに行く。ケネディ家はハイアニスに別荘を持っていて、ヨットやゴルフをして過ごした。ミュージアムといっても、飾ってあるのは主としてハイアニスで過ごしたケネディ家の写真である。ビデオと写真を見ながら、ケネディ家がアメリカ人のあこがれるライフ・スタイルを実践していたのだなあと思う。

ケープ・コッドを出て半島の付け根にあるプリマスへ。1620年にメイフラワー号に乗ってピルグリムたちがやってきたところである。17世紀の様子を再現したプリマス・プランテーションという一種のテーマ・パークがある。ネイティブ・アメリカンの生活とイギリス人の生活がそれぞれ再現されていて興味深い。それぞれの言い分が分かるようになっていて、一方的な歴史観の押しつけにならないように配慮されている。

そこから3マイル離れたところに係留されているメイフラワーII号のチケットもコンビネーションで買える。車に乗ってメイフラワーII号を目指す。その近くにはプリマス・ロックというピルグリムたちが最初に足を乗せた石が残っているのだが、あいにく上に被さっている神殿風の建物が再建中で見られなかった。しかし、その横にある解説板を読むと、その石が最初の石として特定されたのは上陸から120年もたった後で、歴史的事実というよりも、象徴でしかないそうだ。こうやって歴史は作られる。

20080606mayflower.jpgさて、メイフラワーII号。ここで『地球の歩き方』に混乱させられた。『地球の歩き方』には「1620年9月6日、102人のピルグリムファーザーズを乗せたメイフラワーII世号が自由を求めて新大陸へと出航した。」「メイフラワーII世号は、最初のアメリカ移民を運んだ船として知られている」などと書いてある。じゃあ、メイフラワーは二隻あったのか。もう一隻はどうなったのか。先にアメリカに着いたんだっけ、別の場所に着いたんだっけ、と気になり始めた(歴史をちゃんと勉強していないことがばれる)。

近くの売店に入り、解説書を読んでようやく理解した。『地球の歩き方』が間違っている。ピルグリムたちが乗ってきたのはメイフラワー号であって、メイフラワーII世号ではない。メイフラワーII世号とは、この目の前にある復元船のことで、これは1955年に作られたものだ。メイフラワー号が実際にどのような船だったのか資料がないため、想像で復元されたのがメイフラワーII世号である。この船は実際にイギリスからアメリカまで航海している。

そうすると、「II世号」というのもおかしくて、単に「II号」としたほうがいいのではないか。

歩き方が意図的に間違えたとはまったく思わないが、これもウィキペディア的な間違いなんではないだろうか。ウィキペディアの記述は完璧ではない。地球のある方も完璧ではない。それを受け入れた上で自分で確かめてあるのが『地球の歩き方』の楽しみなのだ。おかげで私はこのことをより強く記憶に焼き付けることができる。しかし、帰宅して調べてみると、メイフラワーII号の記述ははるかに詳しく、正確だった(少なくとも私に間違いは見つけられない)。たくさんの人がチェックするとどんどん良くなる。『地球の歩き方』の間違いに気がついても私は直接書き換えられないし、時間もかかる。やはりネットの勝ちなのかな……。

リターン

同じアパートに住む先輩日本人夫婦にいろいろ教えてもらう。大笑いしながらも考えさせられたのがアメリカ経済の仕組み。

奥さんが料理教室に参加しようとしたときのこと、「お皿を持ってない」と言ったところ、「お店から借りればいいのよ」とアメリカ人の先生。「???」と思ったけど、よくよく聞いてみると、いったんお店からお皿を買い、料理教室で使ってからきれいに洗って、「やっぱり気に入らないからリターン(返品)」と言ってお店に持っていくのだという。それでお店は全額返してくれる。その商品はまた棚に並べられる。

噂には聞いていたが、本当らしい。

アメフトのスーパーボールの前に大型テレビがすごい勢いで売れる。スーパーボールが終わると、テレビは同じ勢いでリターンされる。販売店は売れれば売れただけ、メーカーからキックバックがあり、返品された商品はメーカーに突き返すだけだから痛くもかゆくもない。メーカーはそんなことは織り込み済みの値段を付けているので仕方ないと思っている(それでも日本より安い?)。

どちらも売上には計上される。しかし、本当の売上と言えるのだろうか。利益は出ているのか。訳の分からないアメリカ経済。消費者保護の下に変なことになっていませんかね。

「どうでも良いものから試してみて、『リターン』て言えるようになれば、アメリカ生活に慣れた証拠ね」との奥さんのアドバイス。なるほど〜。

ところで、入居前に申し込んでおいたのに電気代の請求が全く来ない。どうなっているのかと思って電力会社に問い合わせてみると、申し込みに不備があったので申し込みはキャンセルされているとのこと。「問題があれば連絡します」って最初のメールに書いてあったのになあ。どう見てもそっちの責任でしょ。やれやれ、また交渉か。でも電気はずっと使えているからこのまま放って置こうかなあ。

アメリカ経済は大丈夫ですか。ガソリン対策の前にやることあるでしょ。

ついに決着

今日、東京からアメリカ人の友人がやってきた。たった1時間お茶を飲みながら話しただけなのに元気が出た。友人というのは良いものだ。その彼がMITで研究している彼の友人を紹介してくれた。この彼がまたおもしろい。rocket scientistだとは聞いていた。rocket scientistは文字通りロケットを研究している人という意味もあるが、頭の切れる人という意味もある。彼は両方なのだ。それも宇宙工学と医学を組み合わせていて、宇宙服をデザインするために人の細胞がどう機能するか研究しているらしい。MITらしいなあ。

夜、ついに民主党の予備選が決着した。10時前にヒラリー・クリントンが演説した。彼女は今晩は何も決めないと言ったが、残される道はミシガンの代議員の扱い見直しを党大会に訴えるぐらいしかない。でも彼女の演説は良かった。われわれ日本人はそのありがたさにあまり気づかないけれども、国民全員が健康保険を持っているのは実にありがたいことだ。アメリカには健康保険に入っていないために満足な医療が受けられない人たちがたくさんいる。健康保険をみんなに提供したいという彼女の政策は十分に訴えるものがある。

ヒラリーの演説が終わった後、オバマの演説が始まった。いつもの彼らしい演説で、ドリーム、フューチャー、チェンジをキーワードにだんだん盛り上げていく。しかし、ヒラリーへの攻撃はない。むしろ、彼女と競ったために自分は良い候補になれた、政策を競い合えたと評価している。今後の党の団結を見越した配慮なのだろうし、実際、全ての州で予備選が重要な意味を持ったことは歴史的な出来事だ。この二人の接戦はこれからもずっと研究対象となるのではないだろうか(まだはっきりしないけど、得票で上回る見込みのクリントンが選出されなかったことは、予備選という不可思議なシステムの問題点を再び明らかにするのではないだろうか。さらにオバマが本選で苦戦することになればこのことは何度も蒸し返されるだろう。ヒラリーがここまでキャンペーンを続けたのは、オバマよりもマッケインに勝てる見込みがあるということだった)。

オバマの演説が終わった後、CNNのアナウンサーと解説者たちは、レーガン大統領、キング牧師、リンカーン大統領に匹敵する演説のうまさだと誉めていた。オバマはますます強くなるのだろうか。彼に軍歴がないのがなんとも残念だ。マッケインとはこの点が違う。マッケインはここを突いてくるだろう。イラク戦争は避けられない争点だ。保守的な軍人がオバマを支持できるかどうかが一つの見所だ。

演説が終わった後の音楽が、ヒラリーはティナ・ターナー、オバマはブルース・スプリングスティーンだったことも何となく対照的だった。

【追記】

CNNはヒラリーを副大統領候補にすればオバマは本選で勝てるという見通しを出した。ありえるかなあ?

真の勝者

寝ぼけまなこで起きると、テレビで民主党の党規委員会の中継が始まっていた。何気なく見始めたがかなりおもしろい。大統領選挙の行方を決める委員会になるのかもしれない。背景については、例えばこちらこちらこちらを参照。

2004年の選挙でインターネット旋風を巻き起こしたハワード・ディーンが民主党の委員長を務めており、彼の挨拶も気合いが入っていた。司会が二人いるのだが、そのうちの一人はどうやらフランクリン・ルーズベルト大統領の孫らしい。

今のところ一番盛り上がっているのは、オバマ派の下院議員でフロリダ州選出のRobert Wexler議員の演説と質疑応答。彼の発言に激しい拍手とブーイングが巻き起こる。

その後も延々と議論が続けられ、それぞれの立場から熱心に主張している。普段は偉そうに質問している議員たちが、党規委員会の委員たちにぐりぐり質問攻めにされている姿もおもしろい。

真の勝者は民主主義だという指摘ももっともだ。複雑な大統領選挙の仕組みについて、これだけ報道されればより分かった気がする。

Alan Wolfe, “The Race’s Real Winner,” Washington Post, May 11, 2008; Page B01.

徹底的に議論することで、結果に対する満足度は上がる。オバマにせよ、クリントンにせよ、マッケインに勝てるかどうかは別の話だが、比較的あっさりと決まった共和党よりも、民主党のほうがアメリカ政治が理想とする姿を描き出したといえるだろう。ここまでもめなかったとしたら、モンタナやサウスダコタの予備選なんて誰も注目しなかっただろう。

今日のボストンはサンダーストームの予報が出ているせいか、外出している人が少ない気がする。窓から見える駐車場の出入りが週末にしてはとても少ない。みんなこのテレビを見ているのだろうか。

ICPCとソーシャル・イノベーション研究会

20080531socialinnovation.jpg

東京のGLOCOMICPCが開かれた。今回は諸事情あって、情報通信学会のソーシャル・イノベーション研究会も同時開催。篠崎彰彦先生のお話だけはiChatでつないで聞かせてもらう(KKさんありがとう)。1時間15分ほどはつながっていたのだが、話も佳境に入ったところで切れてしまった。どちらのネットワークが悪かったのか分からないけど残念。こちら側は夜中の3時を過ぎていたのでだいぶ疲れたけど、篠崎先生の話はかなりおもしろかった。聞いて良かった!

ネットワーク中立性

20080529swan.JPGボストンには春がなかなか来ないなあと思っていたら、もう夏になってしまった。月曜日はメモリアル・デーで休日だった。この日を境にアメリカの学校は夏休みに入る。MITも先週は試験期間で、その前の週で授業も終わってしまっている。来月6日にはMITの卒業式も行われる。気温はぐんぐん上昇し、アメリカ人はTシャツと半ズボンで歩いている。ボストンの夏も日本並みに暑いそうで、気が滅入る(もっと涼しいと思っていたのに)。

今日は特に気持ちの良い天気なので仕事をさぼり、ダウンタウンのパブリック・ガーデンへ散歩に行き、A学部長が好きそうなスワン・ボートに揺られる(ちなみにこのブログの上部にある絵はボストンをイメージしたもので、左側に少しだけ見えているのがスワン・ボート)。

ところで、少し前にニューヨーク・タイムズの社説にネットワーク中立性のことが載った。さすが、新聞はうまく議論をまとめるものだと思う。日本のネットワーク中立性に関する懇談会では、アメリカの議論はずれているという話があったけど、やはりアメリカでは民主主義の話とつながっている。そうでなければこれだけみんなが議論するわけはない。普遍的な価値に引きつけて議論するからこそおもしろくなる。単なるビジネス・モデルの話ではない。

Democracy and the Web,” New York Times, May 19, 2008.

数日後、政府が規制してネットワーク中立性を確保しようとするのはおかしいという意見投稿もあった。

Mike McCurry and Christopher Wolf, “Regulating the Net,” New York Times, May 22, 2008.

「政府の介入を許してまでも」ネットワークの中立性を確保すべきなのかどうかが重要な論点で、日本の総務省も議論まではしたけれども、ダイレクトな規制にまでは踏み込めなかった。そのギリギリのラインを見定めるのがこの議論の肝なんだろう。

ニューヨーク大学でわいわい「インターネットの未来」について議論しているビデオもおもしろかった。

http://www.isoc-ny.org/?p=214

CFP 2008

20080521yale.JPGボストンのサウス・ステーションからアムトラックに乗り、イェール大学(左の写真)のあるコネティカット州ニュー・ヘブンに来ている。アムトラックの特急アセラだと電源が使えるので仕事もできる。電車の旅もなかなか良い。

ニュー・ヘブンで2年ぶりにCFP(Computers, Freedom and Privacy)に出ている。なんだか規模が小さくなってしまっていて残念だ。参加者の数も少ないし、おもしろいスピーカーも少ない。観光的にはほとんど魅力のないニュー・ヘブンで開催したせいだろうか。

SNSとプライバシーの話を議論しているところはだいぶ遅れているんじゃないかという気がする。2004年頃にアメリカでSNSってどう思いますかと聞いてもよく分からんという顔をされたのも当然だったのだろう。

ネットワーク中立性についてはパネルがあるが、ブロードバンドや周波数などのインフラ系の話が全くなくなっているのも特徴かもしれない。

時差ぼけは全くないのに退屈で居眠りしてしまうセッションが多い。

期待していたのは、オバマ陣営とマッケイン陣営の技術政策担当者によるパネルだったけど、ディベートではなくディスカッションにしましょうと司会が述べたため、あまり対立点がはっきりせず、期待はずれだった。

今のところ一番おもしろかったのは「21世紀のパノプティコン」というパネルで、連邦と州の間、インテリジェンスと法執行機関の間の情報共有について。これは3月に卒業したN君が卒論のテーマで書いたテーマで、彼は先見の明を持っていたのかもしれない。無論、CFPはプライバシーを大事にする人たちの集まりだから、フュージョン・センターのような形でやたらと情報が集められ、共有され、ブラックホールに入っていくのは危険という議論だ。

かつてのインテリジェンスの世界の合い言葉はneed to knowで、知る必要のある人だけが知れば良いというものだった。ネットワーク時代にはneed to shareにしなくてはならないと私も自分の本の中で書いたが、逆に、need to shareの弊害が大きくなっていることに気づく。やれといわれたことをまじめにやりすぎてしまって問題を起こすのが政府機関の悪いところだ。

今日はこれから各国のネット・フィルタリングについての話を聞き、最後にクレイ・シャーキーのキーノートを聞いて終わり。シャーキーは最近Here Comes Everybody: The Power of Organizing Without Organizationsという本を出している(まだ読んでない)ので期待している。

ニュー・ヘブンの近くに海軍潜水艦博物館というのがあり、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が置いてあるらしい。是非途中下車したいが、今晩用事があるのでまた次回だ。

【追記】

ネット・フィルタリングのパネルはすばらしかった。クレイ・シャーキーの話もおもしろかった。来た甲斐があった。

【さらに追記】

上述のネット・フィルタリングのパネルについての記事がWIRED VISIONに掲載されている。聴衆は20人ぐらいしかいなかったけど、そこにアメリカのWIREDの記者がいたということか。さすがだ。

可愛い警官キャラ『警警』と『察察』が活躍、中国のネット検閲事情

オッペンハイマー

カイ・バード、マーティン・シャーウィン(河邉俊彦訳)『オッペンハイマー』(PHP研究所、2007年)。

アメリカの狂気を記した伝記だ。原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトをリードしたJ・ロバート・オッペンハイマーの生涯を分厚い上下巻で論じている。正直、上巻の途中までは読むのを止めようかと思うぐらい冗長な記述が続くが、上巻の最後に原爆実験を成功させた辺りから一気におもしろくなる。そして、上巻の冗長な記述が結局は(全部とは言わないけど)後の理解のために必要だと分かる。

原爆を落とされた国の人間としては、それを作った人たちがその投下に対して必ずしも肯定的な評価でなかったことにほっとする。今でも原爆投下を肯定するアメリカ人はたくさんいるけれども、少なくともオッピーは、敗北が明白になっていた国に対して使用したことを否定的に考えていた。彼自身は、ナチス・ドイツが先に原爆を開発してしまうことをおそれてアメリカが先に開発することを求めており、日本に使われることは想定していなかったようだ。

しかし、開発されてしまった原爆は、ワシントンの論理に縛られていくことになる。繊細な精神の持ち主であり、かつて左翼シンパであったオッピーは彼に降りかかる政治的難題をうまく切り抜けることができなかった。彼は魅力的な人ではあったのだろうが、政治的に洗練されていたかというとそうではなかったのだろう。

科学者が政治に関わる方法を考える上でも示唆的だ。彼が一科学者として、政府の言うことを聞くだけの存在だったらこんなことにはならなかった。しかし、彼は自分の信念のためにあえて政治の世界に踏み込んだ。体制に逆らい(今の言葉で言うなら空気を読まずに)、自分の信念を貫くことは誰にとっても大変だろう。

そして、何よりも、アメリカという国の汚点をしっかり書き記し直した著者たちの姿勢は立派だと思う。そもそもこうした事件が起きたこと自体が大きな問題ではある。「オッペンハイマーの敗北は、アメリカ自由主義の敗北でもあった」(下巻374ページ)。しかし、それを時間がかかっても正していこうという姿勢は、アメリカの強さでもある。

核政策を学ぶ人は是非読むべきだ。この文脈を理解しない、単純なゲーム論的核戦略は本質をつかみ損ねるのではないかと思う。

もう一つ、余計な感想としては、「セキュリティ・クリアランス」の訳語として「保安許可」というのは、判断が難しい。「セキュリティ・クリアランス」が本書の後半を読み解くカギだ。これに良い訳語はないだろうか。

インターネットの未来

ハーバードのバークマン・センター10周年のイベントに出てきた。ハーバード・ロースクールの研究所だったのだけど、ハーバード全体の研究所に格上げになったそうだ。いつの間にかヨーハイ・ベンクラーもハーバードに移籍しているし、ジョナサン・ジットレインもオックスフォードを離れ、スタンフォードではなくハーバードに来るみたいだ。ロースクールのディーンが猛烈な勧誘をみんなの前でやっていた。

ジットレインのキーノートはアグレッシブでおもしろい(内容的には2年前?にオックスフォードで聞いたプレゼンテーションのほうがおもしろかった。あれは即興だったからかな)。インターネットは岐路に立っているということだろう。IETFはもうダメになって、ITUが助けに来るらしい(もちろん、皮肉を込めて言っているのだけど)。彼が始めたstopbadware.orgの解説もしていた。ベンクラーが自著をウィキで公開したところ、バッドウェアを仕込まれて、そのウィキはマルサイト扱いをグーグルにされてしまったらしい。まったく何かがおかしい。

カンファレンスが終わった後、ある大御所の先生に会いに行った。その先生はだいぶ高齢だし、ユーザーとしてしかインターネットに関わっていないのだけど、私がやっている研究の話をしたら、なんでそんなことが問題になるのかと言われてしまった。中国だって楽しそうにインターネットを使っているぞとのことだった。でも、すべて管理されて政府の顔色伺いながらインターネットを使って楽しいんですか、プライバシーも自由もイノベーションも無くなりますよと言ったのだけど、通じなかったような気がする。でもそれが一般的な認識なのかなあ。心配しすぎなのだろうか。レッシグやジットレインのあおりに乗せられ過ぎているのかなあ。

アラブ諸国の情報統制

山本達也『アラブ諸国の情報統制』慶應義塾大学出版会、2008年。

同門の山本達也君の本が出た。アラブ諸国のインターネット統制がどうやって行われているか3年かけてフィールド・ワークを行い、理論的に整理した力作だ。博士論文で読んだときよりもずっと読みやすくなっている。

おまけに、私には手厳しい。

残念ながら、土屋は、情報国家モデルの議論の中で、各モデル間の移行可能性や移行の条件など動的なダイナミズムについてはほとんど議論していない。(50ページ)

確かに私は理念型を出すところまではしたが、移行メカニズムについては論じなかった。それに、博論には書いたけれども、それをベースにした『情報とグローバル・ガバナンス』には載せないで隠しておいた表まで引っ張り出されてしまっている(48ページ)。まずい。

しかし、こういう建設的批判をもらえるのは良いことだ。

この本で一番おもしろいのは、アラブ諸国の独裁者たちがふんぞり返って国民の情報活動をコントロールしているわけではなく、グローバリゼーションが進展する中で、自国の経済発展をとるか、政治的な安定をとるかという独裁者のジレンマに直面していることを浮き彫りにしたことだ。

私は中国についてリサーチした後、中東についてもやってみたいと思ったことがある。しかし、山本君のようにアラビア語を習ってから3年も現地に行ってリサーチする機会も気力もなかった。外から見てアラブ諸国を批判するのは簡単だけれども、中に入って調べ上げてきた点は他に勝る。

アメリカ外交50年

ジョージ・F・ケナン(近藤晋一、飯田藤次、有賀貞訳)『アメリカ外交50年』岩波書店、1991年。

一度読んだ本はめったに読み返さないのだが、せっかくアメリカに来たのだからと思って読み返す。1898年の米西戦争から第二次世界大戦後までの話なので、今に直接つながる話ではないが、本書の後半に収録されている「X論文」でのソ連分析は今でもなるほどなと思わせる。

また、前半に出てくる以下のところが興味深い。

これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人びとが、終始われわれに警告したとおりのこととなった。今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任とを引き継いだのである。 (83ページ)

今さらながら、アメリカは日本との戦争に勝ってしまったがために、東アジアの安全保障に責任を持たなくてはいけなくなってしまったことを思い起こさせる。ケナンの分析からさらに50年経っても(原著の出版は1951年)、アメリカは東アジアから手を引くことができない(あるいは引きたくない)。

アメリカがイラクから手を引けるのはいつになるのだろう。

マリーン・ワン

ナショナル空港が懐かしいと書いてしまったばかりに、帰りは足止めを食ってしまった。機内に入ってから2時間、機械の故障で待たされた。挙げ句にフライトはキャンセルになってしまい、全員おろされ、取り直しになったフライトは5時間後。それも機体のやりくりが付かなかったみたいで、さらに45分遅れ。かなり疲れた。

おもしろいことが一つだけ。ナショナル空港で待っている間に、ポトマック側の向こう岸でヘリコプターが3機並んで飛んできた。ワシントンDCの上空を飛行機やヘリコプターが飛ぶことはまずない。ナショナル空港に離着陸する飛行機はポトマック側の上を飛ぶことになっている(騒音対策でもある)。3機並んで飛ぶとは何事かと思ったら、1機はホワイトハウス辺りに着陸した。大統領のマリーン・ワンだったのだろう。大統領が乗る大型ジェット機はエアフォース・ワンという空軍の飛行機だが、アンドリューズ空軍基地からホワイトハウスまでは海兵隊のヘリコプターであるマリーン・ワンに乗る(このエントリーにレーガン大統領が乗っていたマリーン・ワンが写っている)。

帰宅して調べてみると、前日の10日にブッシュ大統領夫妻はテキサスの牧場で娘の結婚式に出ており、翌11日にホワイトハウスに戻ってきたところだったのではないだろうか(ホワイトハウスのプレスリリース。大統領の後ろにエアフォース・ワンが写っている)。

夏時間のせいで、午後7時にボストンに着いてもまだ明るいのが救いだ。でもやはりまだ寒い。まだ寒いのに、MITは今週で授業が終わり、試験期間の後、5月26日のメモリアル・デーからは夏休みだ。サマー・セッションもあるけど、長い人は9月1日のレイバー・デーまで3カ月の休みに入る。うらやましい(私はずっと休みみたいなものだけど)。

安全保障という幕

アメリカ議会図書館はジェファーソン、マジソン、アダムズの3人の名前が付いた三つのビルで成り立っている。1997年に初めて英語のスピーチをしたのがマジソン・ビルの6階だ。まだ大学院生だった。10年以上経ったのに雰囲気は変わらない。

20080509LOC.JPGこの3日間、隣のジェファーソン・ビル(左の写真)のメイン・リーディング・ルームにこもった。この閲覧室はとてもきれいだが(残念ながら写真撮影は禁止)、円形になっているので方向感覚を失ってしまう。外は嵐だったが、ここは別世界だ。山のようにある資料に絶望的な気になるが、宝の山が眠っていると思ってコピーをとった。宝探しといえば、映画『ナショナル・トレジャー2―リンカーン暗殺者の日記―』では、この閲覧室の真ん中の扉を開けてから地下に逃げるシーンがある。通り抜けてみたいけど無理だ。

木曜日の夜は若手のMさん、Kさん、Oさんと会食。安全保障問題をざっくばらんに話すことができてとても良かった。昨晩は旧知の夫妻と食事に出かける。奥さんはロシア人なのだが、その友達がようやく出産を終えてパーティーに出かけ、妊娠中に我慢していたタバコとウォッカをついがんがんやってしまったらしい。帰ってきて授乳をすると、赤ちゃんが二日間目を覚まさなくなった。慌てたおばあちゃんが病院に連れて行こうとしたが、お母さんは気まずくてタバコとウォッカのことを口に出せない。母乳を通じて赤ちゃんは酔っぱらってしまったのだ。今では立派なウォッカのみに成長したという。

いくつか気になる新聞記事。

アナログ・テレビからデジタル・テレビへの移行実験が、ノース・カロライナ州で、初めて行われる。

テレビのデジタル移行は各国で問題になっているが、アメリカも例外ではない。特に低所得者層が移行できないと見積もられている。うまくいくかどうかの最初のテストが始まる。

ホワイトハウスが2003年のイラク開戦時の電子メール記録を失う。

ブッシュ政権というのはやはりどうかしているとしか言いようがない。開戦という一番大事な時期の情報を失うというのはどういう神経なのだろう。

FBIがインターネット・アーカイブにNational Security Letterを出す(後に撤回)。

NSLは非常に大きな問題のある手法で、このレターを受け取った人は、配偶者にもそのことを話してはいけない。話せるのは自分の弁護士だけだ。今回レターを受け取ったのは、ブリュースター・ケールというインターネット・アーカイブの共同創設者で、すばらしいビジョンの持ち主だ。この人の講演を聴いてとても感銘を受けたことがある。情報を全ての人にという精神を体現している人だ。ケールは、レターに疑問を持ち、撤回訴訟を起こした。FBIがあっさり撤回したために公表できるようになったが、NSLを使って強圧的な情報収集が行われているのは異常な事態だ。

今回、議会図書館で調べていたテーマの一つであるCALEA(Communications Assistance for Law Enforcement Act of 1994)も、クリントン政権時代の話なのだが、似たようなところがある。大きな影響を与える法律なのに、議会はほとんど審議せずに可決させている。少なくとも委員会レベルの公聴会を開いていない。小委員会レベルの公聴会では、内容の公式記録が出てこない。成立に際してホワイトハウスも何もコメントを出していない。

安全保障という幕の向こうでいろいろなことが行われてしまう。ブッシュ政権が行ったことは、後の歴史的な検証に耐えるのだろうか。今のままだと、政権終了後もどんどん変な話が出てきてしまうのではないだろうか。5月10日付のワシントン・ポストはチェイニー副大統領のトップ・アドバイザーであるDavid Addington氏を公聴会に呼べと社説で述べている。歴史的な評価というのはえてして逆転するものだけど、ブッシュ大統領はアメリカを救った偉大な大統領という評価を受けることになるのだろうか。

無知とは怖いもので

昨日会った方との雑談の中で、トルコで起きたことを話したところ、その方はトルコに駐在されたことがあるそうで、「それは天皇陛下とのアポをドタキャンしようとしたようなものですよ。駐在武官の方は青くなられたことでしょうね」とのコメントをいただいた。トルコの参謀本部の総司令官とはそれだけの立場の人らしい。無知とは怖いものだ。

ワシントンDCへ

20080507washington.JPG昨日、ワシントンDCへ来た。過ごした時間のせいか、ワシントンDCは私にとってアメリカでのふるさとだ。ナショナル空港のターミナルに着いただけで懐かしい思いでいっぱいになる。ここをホームにいろいろなところへ飛んでいった。遠くに見えるワシントン記念塔を見ると帰ってきた気になる。

といっても10ヵ月前にもワシントンDCには来ているから、そんなに久しぶりでもない。でもほっとするのは、やはりふるさとだからだろう。ボストンに戻ったときもそんな気になる日が来るのだろうか。

ワシントンはボストンと比べて暖かい。南部に来たという感じがする。今日は特に初夏といっても良いような陽気で、半袖で歩いている人も多い。

午前中、ウォーミングアップの意味を込めて、昔よく通ったLストリートの本屋ボーダーズへ。だいぶ本の配置が変わっている。地下に行ったらMANGAコーナーができていた。ボストンとは違う品揃えで、政治関係・軍事関係の本が充実している。6冊ほど欲しいものがあったが、3冊だけ購入し、後はネットで買うことにする。

ランチは二人の専門家におもしろい話をうかがいながら、Kストリートで中華をいただく。ここの麻婆豆腐も懐かしくて食べ過ぎてしまった感がある。知りたかったけど良く知らなかったことが聞けて良かった。このランチだけでもワシントンに来た甲斐がある。

Kストリートはロビイストの事務所やシンクタンクなどが多いことで知られている。しかし、数字とアルファベットをストリートの名前にするというのはボキャ貧も甚だしい。ワシントンDCの街を設計したランファンはわかりやすさを重視したのかもしれないが、その割にはJストリートがないなどよく分からないところがある。西洋流の一種の風水を取り入れて作られていると主張する本(デイヴィッド・オーヴァソン『風水都市ワシントンDC』)もあるけど、どうなのかなあ。

午後はジョージ・ワシントン大学の図書館の中にあるナショナル・セキュリティ・アーカイブに行く。ここはインテリジェンス関連の資料をたくさん集めている。しかし、行ってみて分かったのは、ここの資料のほとんどはオンラインに上がっており、わざわざ資料室をひっくり返して出てくるような目新しいものはないということだ。しかし、ここで専門家数人の連絡先を教えてもらえたので、それをたぐっていくことができる。

資料がないことは少しがっかりしたが、新しい可能性がいくつか見えてきた。調べるべきポイントもより明確になってきたし、話を聞ける人が見つかったことも大きい。フィールド調査をやるときは、こうした可能性に自分の心を開いておくことが重要だと思う。うまくいかないことも多いが、そこでふてくされていると先に進まない。

Go Green

日本でもガソリン価格が問題になっているようだけど(正確には税金の話か)、アメリカのガソリン価格も深刻だ。たまにジップカーに乗るぐらいで、普段は乗らないことにしたので、私には大して影響がないが、ニュースでは毎日その話をしている。

2001年から2002年にワシントンにいた頃はたしか1ガロン108セント(1.08ドル)で安いなあと思った記憶がある。データを確かめてみると確かにそうなのだが、それはかなり安かった特別の時期だということが分かる。次のグラフはエネルギー省のデータを元に作ってみたもので、1990年の湾岸危機以降のデータが出ている。湾岸危機前のデータがないのが残念だが、湾岸危機でほんの一瞬上がってからは、比較的安定していて、1999年後半から市場が荒れているようだ。9.11以後はなぜか安くなり、2002年春から上昇に転じている。その後は上がる一方で、3.5倍近くなっている。

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今住んでいるアパートからは駅に併設されている駐車場がよく見える。朝と夕方のラッシュ時間は車の行列ができていて、クラクションがうるさい(ボストンの人は意外にもかなりクラクションを鳴らす)。毎日毎日車に乗っている人にはこの値上がりはたまらないだろうなと思う。地下鉄のないエリアに住んでいる人には車は不可欠だ。東京のような満員電車もどうかと思うけど、地下鉄を延伸すれば良いのにと思う。やはり電車は嫌いなのかなあ。

ガソリン価格の高騰のせいで、燃費のいい小型の日本車が売れ始めているそうだ。不必要にでかい車が多いから良い傾向だと思う。MITやハーバードのイベントでも環境問題、エネルギー問題関連のものが多い。Go Greenはかなり根付いてきている。

こういう生活上の不満は大統領選挙にどう影響するのだろう。もし法的に可能だとしても、この状況ならブッシュ大統領の三選はあり得ないだろう。何だかアメリカ人も民主党の混乱には疲れているような様子があり、決め手を欠くオバマを見離す声も出てきている。

MIT学長のコラム

Susan Hockfield, “MIT’s Burgeoning Role in the Green Movement,” Boston Globe, April 7, 2008.

【追記】

米国の1ガロンは約3.785リットルである。1リットル当たりに換算すると92セント(約100円)にしかならない。税金の上乗せ幅が違うとしても(米国のガソリンにも税金が入っている)、まだまだ米国のガソリンは安いことになる。

Berkman@10

Berkman at 10

ハーバード大学のバークマン・センターが10周年のイベントを来月開く。キーノートは最近The Future of the Internetという本を出したJonathan Zittrain教授やYochai Benkler教授など。ウィキペディアのJimmy Walesも来るらしい。FCCの元委員長Reed HundtやICANN初代理事長のEsther Dysonらの名前も見える。

Zittrainの本もそうだけど、インターネットが曲がり角に来ているという議論がだいぶ出てきた。どんな議論がかわされるのだろう。

(宣伝エントリーを自分のブログに書くと割引になるそうなので書いてます。)

歴史は繰り返す?

20080425geneva.JPGジュネーブでの二日目の発表で一番おもしろかったのはTony Rutkowskiのものだ。彼は、100年前に起きたことが繰り返されると言った。100年前、無線電信の技術と標準が入り乱れ、それを何とかするために万国無線電信会議が開かれ、国際的な調整が行われた。やがてこれが国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)へとつながっていく。同じことが今起きており、やがて政府がインターネットを規制し、コントロールするようになるというのだ。

彼の名前は10年以上前から知っていた。Internet Society(ISOC)のExecutive Directorだったからだ。彼はインターネット・コミュニティの役割を支持するのかと思いきや、すでに彼は見限っていて、EFFやCDT、ACLUは必ず負けるとまで言い切っていた。インターネットは政府が支配するところになるというのだ。つまり、歴史は繰り返されるという。

私は彼とは違う主張をしたのだけど、どうなるのだろう。強い政府規制を求める国の政府代表に、「私は政府規制は反対だし、やるとしたらインターネット・コミュニティの支持を得る努力をしたほうが良い、WSISの混乱を見たら分かるだろう」と述べたら、露骨に嫌な顔をしていた(もう呼んでもらえないね)。政府はネットを規制したいようだ。もし彼らが正しければ、私は『情報とグローバル・ガバナンス』を書き直さなくてはいけなくなる。

昨日は国連がこの問題を取り上げてくれたことにのんきに喜んでいたが、考えてみれば、いままでハンズ・オフ・アプローチでやってきたインターネット・ガバナンスに政府規制の手が伸びてきているということだ。デジタル・デバイドは政府介入の糸口となったわけだけど、情報通信技術が国家安全保障に本格的に影響するようになってきた今、黙ってはいられなくなってきたようだ。研究者としてはおもしろいけれども、ユーザーとしてはおもしろくない。