ロバート・S・ロス(八木直人訳)「中国の海軍ナショナリズム:その起源と展望、米国の対応」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、47〜85ページ。
ちょっと長いが、海軍力を増大させている中国が何を考えているか分かる。地政学的な考察をしている。著者はボストン・カレッジ教授。
ロバート・S・ロス(八木直人訳)「中国の海軍ナショナリズム:その起源と展望、米国の対応」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、47〜85ページ。
ちょっと長いが、海軍力を増大させている中国が何を考えているか分かる。地政学的な考察をしている。著者はボストン・カレッジ教授。
Yan Xuetong, “How China Can Defeat America,” New York Times, November 20, 2011.
著者は精華大学の教授。「どうやって中国はアメリカを打ち負かすか」という鷹派的なタイトルだが、中味は、中国は思想やモラルを重視しないとアメリカに勝てないというもの。アメリカは50カ国以上の同盟国を持ち、アフガニスタン、イラク、リビアと三つの戦争を同時に戦う能力があるが、中国は正式な同盟国は一つもなく(半同盟国として北朝鮮とパキスタンがあるのみ)、人民解放軍は近年戦争を経験していない。中国がグローバルなリーダーとなるには世界の人々のハーツ&マインズを勝ち取らなければならないという。
中国がこうした政策に最も成功したのは唐の時代だったという指摘もおもしろい。遣唐使があったように、日本もたくさんの留学生を唐に送っていた。経済や軍事にフォーカスした政策を改めよというのが著者の提言。
今日は日本国際政治学会の以下の部会で討論者をしてくる。お三方の論文を読んで、それぞれおもしろかった。
この部会、けっこう若い。前嶋先生が65年生まれ、中山先生が67年生まれ、私が70年生まれ、阿古先生が71年生まれ、山本先生が75年生まれ。でも10年の幅がある。本当のネット世代は74年生まれ以降というから、実はほとんどの人がネット・イミグラント。きっと聞きに来る人も若い人ばっかりなんだろうけど、どんな議論になるかな。
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部会 9 ソーシャルメディアと政治変動の国際比較
司会 中山俊宏(青山学院大学)
報告 前嶋和弘(文教大学)「アメリカの政治過程におけるソーシャルメディア―ティーパーティ運動と『インターネット・フリーダム』をめぐって」
山本達也(名古屋商科大学)「アラブ諸国における政治変動とソーシャルメディア」
阿古智子(早稲田大学)「ネット世論の高まりに見る中国の『民主』」
討論 土屋大洋(慶應義塾大学)
増田米二『原典 情報社会—機会開発者の時代へ—』TBSブリタニカ、1985年。
第I部 情報社会総論(25〜57ページ)
未来を予測することはとても難しいが、増田は本当によく見通していたなと思う。
第I部では「機会産業(opportunity industry)」の概念も示される。増田が予測したほどわれわれは自由時間を享受できていない感じがするが、それも主観的な判断に過ぎず、労働による拘束時間は減っているのかもしれない。もう一つは、政治体制が増田が予測したほど変化していない。
増田米二『原典 情報社会—機会開発者の時代へ—』TBSブリタニカ、1985年。
序論——情報社会論へのアプローチ(15〜24ページ)
これも大学院の課題文献。
序論では基本認識が示されている。ここで出てくる「情報ユーティリティ(情報市民公社)」というのは結局インターネットだったんだな。この本よりさらに古く、1967年に出た『コンピュートピア―コンピュータがつくる新時代』の中で「情報ユーティリティ」の発想は出てきているらしい。探してみるか。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第10章 教訓——西洋は東洋から何を学ぶべきか(261〜296ページ)
これで『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』は終わり。
外国人は日本の大学で教授になれないと書いてあるけど、今はたくさんいる。企業の社長やCEOにも外国人がなっている。この時代からずいぶん日本も変わった。
訳者あとがきによると、グレン・フクシマさんの奥さんの咲江さんも翻訳に参加していたそうだ。咲江さんはヴォーゲルの助手をしていたようだ。この頃留学して人たちの奥さんたちもその後活躍している。訳者で、広中平祐夫人の和歌子さんは、その後、国会議員にもなっている。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第9章 防犯——取り締まりと市民の協力(237〜258ページ)
インテリジェンスに対するアレルギーが強いのとは対照的に、警察への協力度が高かったのはなぜなんだろう。案外、インテリジェンスに反対しているのはマスコミだけなのかもしれない。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第8章 福祉——すべての人の権利としての生活保障(214〜236ページ)
やはり福祉と雇用は一体なんだなあ。雇用があれば、福祉への負担は軽減される。好景気を維持することが重要。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第7章 教育——質の高さと機会均等(189〜213ページ)
予想通り、大学生は勉強してないと書いてある。外国人は日本の大学に留学するのではなく、小学校〜高校に留学したほうが良いかもしれない。日本語も学べるし、学力は上がり、日本人のコミュニティの中で居場所を見つけられるだろう。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第6章 大企業——社員の一体感と業績(160〜188ページ)
月末までの仕事でアップアップだったけど、ようやく少し余裕が出てきた。
この大企業の話も、今では考えにくいな。おもしろいのは、日本の大企業の成功は「日本民族のなかに流れている神秘的な集団的忠誠心などによるのではなく、この組織が個人に帰属意識と自尊心を与え、働く人々に、自分の将来は企業が成功することによってこそ保証されるという自覚を与えているからである」という点。なぜこういう組織が維持できなくなったのだろう。経済のパイ全体が小さくなったからなんだろうか。
ラウル・ペドロゾ(高山裕司、石井浩一訳)「至近距離での遭遇—インペッカブル事件—」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、35〜46ページ。
同じくインペッカブル事件を国際法的な観点から分析し、中国の主張には無理があるとしている。
季国興「『インペッカブル事件』の合法性」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、28〜34ページ。
同じ雑誌(広報パンフレット)の中に掲載されている中国側の主張。中国は、米国海軍音響観測艦「インペッカブル(USNS Impeccable)」の排他的経済水域内でのインテリジェンス活動は、平和目的ではないから国連海洋法条約の規定に違反するという主張をしている。
そうだとすると、日本の領海内に潜水艦を潜らせてインテリジェンス活動をしている中国は何なんだろうね。
ピーター・A・ダットン(吉川尚徳訳)「中国の視点から見た南シナ海の管轄権」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、19〜27ページ。
南シナ海は中国の主権が及ぶ海域であると中国は主張している。しかし、筆者はその四つの論拠がいずれも脆弱であると指摘している。
どうやら、中国は国連海洋法条約の規定を無視して、排他的経済水域にも安全保障上の主権が及ぶと解釈しているようだ。それはあまりにもムチャクチャだろう。
ところでこの『海幹校戦略研究』の海幹校とは海上自衛隊幹部候補生学校のことで、『海幹校戦略研究』は一見するとその紀要のように見える。しかし、ISBNが振られていなくて市販されてはいない。関係者に聞いたところ、これは広報用パンフレットなのだそうだ。新手の広報だ。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第5章 政治——総合利益と公正な分配(122〜159ページ)
日本は共同体の団結が強く、フェア・プレイよりもフェア・シェアが重視される。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第4章 政府——実力に基づく指導と民間の自主性(79〜121ページ)
エリート官僚が幸せだった時代の話。
もうこんな時代は来ないんだろうなあ。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第3章 知識——集団としての知識追求(47〜78ページ)
この第3章の記述はおもしろいなあ。日本人がどうやって知識を集めているか。そして、それを元にコンセンサスを作っているか。知識と組織のあり方は日本では直結している。
常々、なんで日本ではこんなに翻訳本が多いのか、なんでこんなにわれわれは海外調査をしているのかが気になっていた。進んでいる国から学ぶのは当然だと思っているけれど、それにしても好き。閉鎖的で内向きだといわれているけど、海外を見てくる、海外から学ぶのはとても好き。私自身も、アウトプットのために海外に行くのと、インプットのために行くのとを比較すれば、後者が多い。
ヴォーゲルがこの本を書いた頃に比べれば、米国も海外に学ぼうとしている。先日も日本の通信政策を調査に来た人のインタビューを受けた。でも日本からアメリカに調査に行く人のほうが圧倒的に多いだろうなあ。
中尾克彦「米国における安全保障情報等に関する人的保全制度(1)—セキュリティクリアランス制度を中心として—」『警察学論集』第60巻4号、2007年、104〜143ページ。
詳しいのはいいが、とにかく長い。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第1章 アメリカの「鏡」(19〜25ページ)
第2章 日本の奇跡(26〜43ページ)
これも明日の大学院の授業の課題文献。今回は第2章まで。
ずっと前に読んだはずなのに、全然覚えていない。読んでないのかなあ。
こんな時代もあったんだねえと思うと同時に、今の中国とも重なる部分がある。
また、日本や韓国がアメリカと経済摩擦でさんざんやり合った後に出てきた中国は、いちいちアメリカとそうした交渉をしなくて済んでいるというのも感じる。特定の品目について米中経済交渉が行われて、中国側が輸出自主規制をしたなんて話は聞かない。中国は日韓の遺産をうまく使っているな。
2008年〜09年にボストンに滞在したとき、ヴォーゲル先生は「ヴォーゲル塾」というのを主宰していて、日本の若手官僚たちを鍛えておられた。私は参加できなかったけど、一度ご自宅にお邪魔してお話をうかがうことができた。しかし、その日はずっと面会の予定が続いていて、相変わらず精力的に活動されているのに驚いた。
また、中国語を勉強されていて、中国語で講演されていたのも印象的だった。
日本の大学の先生は年取ると新しいことに挑戦するのをやめてしまう人が多いし、退職したら何もしなくなってしまうこともあるけど、本当に終身のテニュアを持っている先生たちは、いつまでも元気にやっている。
松本清張「内閣調査室論」『松本清張全集31』文藝春秋、1973年、483〜498ページ。
明日の授業の課題文献の一つ。毎年読むたびにいろいろ考える。現代まで尾を引きずる日本のインテリジェンスの問題。
A Naval Officer Specializing in Information Ops, “Stuxnet: It’s a Real Threat, but Not Something We Should Shovel Money at,” Foreign Policy <http://ricks.foreignpolicy.com/posts/2011/04/25/stuxnet_its_a_real_threat_but_not_something_we_should_shovel_money_at> April 25, 2011.
論文と呼べるような内容と分量ではないけれど。
著者は「米海軍で情報戦に携わるオフィサー」ということになっている。
近年のサイバーセキュリティの盛り上がりはメディアと防衛産業が人工的に作り出しているものだという。
この手の話はアメリカで話しているとたまに聞く。例として出されているのは元国家情報長官(DNI)のマイケル・マッコネルで、今はブーズ・アレン・アンド・ハミルトンの副社長をしている。ブーズ・アレン・アンド・ハミルトンは防衛系のコンサルティング会社として知られていて、サイバーセキュリティのハイプ(誇大広告)で大もうけしているといわれている。
スタックスネットなどの重要インフラに対する攻撃は実際の脅威だが、それ以外はちょっと頭を冷やせというのが論旨。