井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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「島」を買いました!

先月、大きな買い物をした。プライベートな「島」を買ったのだ。65平方Kmという、なかなか広い土地。地価が高いので少し迷ったが、思い切って購入してみた。


 この「島」というのは、実は、セカンドライフ上に存在するヴァーチャルな島のこと。セカンドライフでは、島を購入するとそこに建物を建てたり、モノを作ったりすることができるようになる。他の人に権限を与えて、一緒に何かをつくりあげることもできる。この新しい世界で、みんなで遊んでみよう!――― そう思って、セカンドライフの島を購入したのだ。

InitialIsland このヴァーチャルな島は、現実世界のお金を支払って購入する。値段は米ドルで$1,675、日本円に換算すると約20万円だ。これが購入の初期費用で、あとは月々$295、つまり約3万5千円を支払うことになる。正直、結構高い。それでも、僕はこの島の購入に踏み切った。というのは、僕の研究会や授業の学生たちに、「新しい遊び場」を提供したかったからだ。そう思うのには、十数年前の僕の経験が関係している。

 僕はちょうどWorld Wide Web (WWW)の黎明期に、大学時代を過ごした。大学2年のとき(1994年)、Mosaicが登場し、目の前にWWWという未開のフロンティアが広がっていることを知った。まだほとんど何も存在しないその世界で、僕はいろいろなものをつくっては公開していった。例えば、オリジナルの絵本やゲーム、ちょっと実用的なシステムなどだ。そうすると、僕の知らない人たちがたくさん僕のサイトに訪れて、楽しんでいった。感想もたくさんもらった。そして、雑誌にもたびたび紹介された。WWW上にはまだ日本発のコンテンツがほとんどない時代だったから、何をやっても珍しく新しかった。こうやって大学時代の僕は、その「新しい遊び場」で考えて、作って、コミュニケートした。この経験が、今の僕をつくっているといっても過言ではない。

 こういう経験を、僕の後輩たちにも味あわせてあげたい。そう思ってからもう何年も経つのだが、今回セカンドライフに出会ったとき、これだ!と思った。理屈ではなく、直感的に。僕は大学(SFC)が用意してくれたインターネットを使って、たくさん遊ばせてもらった。今度は僕が、学生のみんなのために場を提供しよう。そう思ったのが、今回セカンドライフに島を買った理由なのだ。InitialIslandSnapshot

 購入後1週間ほどで、更地の島が手渡される。ほんとに何もない土地。ここに何でも自由に構築できる。

 何でも自由に―――こういうとき僕はいつも、アラン・ケイの言葉を思い出す。

「コンピュータに実行可能なシミュレーションを制約するのは、人間の想像力の限界だけである。」(Alan Kay, 1977)

そういえば、セカンドライフのキャッチコピーも、「Your World. Your Imagination.」だったね。まさに。


* Alan Kay (1977): "Microelectronics and the Personal Computer", Scientific American, September 1977, pp.231-244 (アラン・ケイ, 「マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ」, 『アラン・ケイ』, アスキー出版局, 1992, p.61-91)
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『ウェブ仮想社会「セカンドライフ」』(浅枝大志)

もう1ヶ月ほど前になってしまったが、『ウェブ仮想社会「セカンドライフ」:ネットビジネスの新大陸』(浅枝大志, アスキー新書, 2007)を読んだ。なかなかよかったので紹介したい。

ウェブ仮想社会この本は、3次元ヴァーチャル世界「セカンドライフ」とは何かを知りたいという人に、僕がいつもおすすめしているものだ。この本には、セカンドライフとはどのようなもので、これまでにどのような企業が参入しているのかなどが、わかりやすくまとめられている。日産やインテル、シェラトンなど初期の参入企業がどのような工夫でその世界をつくりあげたのか、というエピソードはなかなか興味深い。セカンドライフに関する本というと、たいていはカラー画像が多用されていてゲーム攻略本のような雰囲気のものが多いが、この本は縦書きの文章のところどころに白黒の画像が入っているという、いわゆる新書版の本なので、落ち着いて読むことができる。

 内容的な面で、僕がこの本を気にいっている理由は、著者が「2Dウェブから3Dウェブへ」という流れを踏まえて、セカンドライフを捉えているところにある。ウェブは今後3D (3次元)の世界に進化するのではないか、ということを考えていた僕としては、とても面白く読めた(僕がどういうことを考えているかは、また別の機会に書くことにしよう)。

 これまでの電子掲示板やSNS、ブログのような文字・画像ベースの2Dと、セカンドライフのような3Dは、どのような違いがあるのだろうか。3Dでは、身体的な存在や振る舞いを含ませることができるというところが大きな特徴なのだ。「セカンドライフなどの3D空間の構築によって、新しいコミュニケーションがインターネットで可能になるのです。セカンドライフでは、リアルタイム性とアバター利用による個性の表現ができ、文字表現よりもニュアンスに富んだメッセージが可能であると同時に、強制されない会話が可能です。そうした機能を持ちながら、Web2.0的なユーザー発信のコンテンツを基礎に成立しているのが、セカンドライフなのです」(p.55)。

 もちろん、セカンドライフ以前にも、このような3Dヴァーチャル世界というのはいろいろあった。しかし、そのようなサービスでは、アバターの操作の自由度はあっても、環境を構築する(建物やモノをつくる)自由度がここまで高いものはなかったように思う。つまり、これまではサービスの提供側が環境を用意し、ユーザーはそれを利用するだけ、というものだったのだ。これに対し、セカンドライフでは、建物やモノはすべてユーザーによってつくられたものだ。その意味で、セカンドライフは、3Dヴァーチャル世界とWeb2.0が融合した最初の好例なのだと思う。

 著者も、セカンドライフは「2Dインターネットの限界に対して突破口を与えてくれた」(p.53)と指摘している。このような3Dへの変化は、セカンドライフという1サービスにとどまるものではない。「インターネットが、これまでのページ表現から3D表現へと置き換えられていく流れは、ますます加速していきます。この流れと並行して、いまのWeb2.0的なサービスも3D表現化されていきます。」(p.46)と予想する。さらにこの本では、新しいデジタルデバイドの問題についての新しい視点も述べられている。「『デジタルデバイド』とは、パソコンやインターネットが使える人と使えない人の間でアクセスできる情報に段違いの格差があることを示した用語です。10年後には前述のような感性の隔たりによって、インターネット利用者の間にもデジタルデバイドが発生しえます。いうまでもなく、2Dウェブが限界の人と、3Dウェブを活用できる人との情報格差です」(p.155)。

 このように、Web世界の潮流を踏まえて書かれているという点で、ほかのセカンドライフ賞賛本や、遊び方のガイドブックとは一線を画すると思う。薄くてすぐ読める本なので、セカンドライフに興味をもっている人やWebの未来について考えたい人は、読んでみるといいのでは。
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ヴァーチャル世界「セカンドライフ」

secondlife-title.jpg 「Second Life」(セカンドライフ)という言葉を聞いたことがあるだろうか。Second Lifeとは、米国リンデンラボ社が提供する3Dヴァーチャル世界のこと。そのヴァーチャル世界では、ユーザーは自分で好きなように「生活」することができる。この世界では、いわゆるオンラインRPG (Role Playing Game)とは違って、敵を倒したり目的を達成するというようなゲーム設定は存在しない。いうなれば、ただヴァーチャルな場が提供されているにすぎない。しかし、海外ではかなりのユーザーが参加していて、いろいろ面白いことが起こっている。そして、日本でも徐々に話題になり始めたところだ。
 このSecond Life上で、僕も最近、井庭研のメンバーといろいろ遊んでいる。そこでの面白い話がいろいろあるのだけど、まずはSecond Lifeがどんな世界なのかを紹介することにしたい。
 僕が思うに、Second Lifeには、「自由度の高さ」、「新しい経済圏の創出」、「モノづくりと世界構築」という特徴がある。

Second Lifeの特徴(1) 自由度の高さ
 Second Lifeの世界では、すでにいろいろな企業や個人が魅力的な島を作っているので、その場所に遊びに行くことができる。そこで、近くにいる人と話す(チャットする)ことができ、また、いろいろなジェスチャで感情を表現することもできる。友達リストに登録してあれば、場所が離れていてもインスタントメッセンジャーでコミュニケーションもできる。経済活動をして儲けることもできるし、モノをつくることもできる。このように、Second Lifeの世界では、行動の自由度がかなり高い。本当に人それぞれのLife=人生/生活を送ることができるというわけだ。

Second Lifeの特徴(2) 新しい経済圏の創出
 Second Lifeの世界では、経済取引ができる。ここでの通貨は、「リンデンドル」(L$)という単位。物を売ったり、物を買ったりできるだけでなく、Second Life内でアルバイトをすることもできる。例えば、ラーメン屋で働いたり、用意された洋服を着て立っているモデルのバイトや、集客を気にするサイトでただ座っているだけのバイトというのもある。もちろん、実際に何かのモノや建物を作ることができればそれを売ることも出来る。
 これまでにも、オンラインRPGなどで経済取引が行われていたが、Second Lifeがユニークなのは、このヴァーチャル通貨であるリンデンドルが現実世界のアメリカドルと換金できるということだ。つまり、外国為替のように、アメリカドルを払って、リンデンドルを買うことが出来るし、逆にリンデンドルでアメリカドルを買うことも出来るのだ。なので、このSecond Life上で儲けるということが、ユーザーにも可能だということになる。すでにアメリカでは、1億円稼いだという人もいるらしい。なんとも、すごいことだ。

Second Lifeの特徴(3) モノづくりと世界構築
 Second Lifeの世界では、権限がある人(土地を所有する人 or 土地の所有者から許可された人)であれば、オブジェクト(モノ)をつくることができる。作り方は、いわゆる3Dモデリングをしていく。「プリム」(プリミティブの略)といわれる基本的な形を変形させたり組み合わせたりしながら、つくりたいオブジェクトをつくっていくのだ。
 このオブジェクト生成は、Second Lifeの世界の中で行うというのもユニークだ。外部のモデリングツールでモノを作ってからそれを世界に配置するというのではなく、その世界のなかで、モノをつくっていく。なので、あるアバターがオブジェクトをつくっているところを、他のアバターが見ることができる。これによって、チャットで相談しながら、一緒につくるということが可能になるわけだ。

secondlife-world1.jpg 興味深いのは、Second Lifeを提供しているリンデンラボ社はその世界にほとんど何もつくっていないということ。彼らが提供しているのは、基本的には何もない土地だ。そこに魅力的な建物を作っているのは、ユーザーたち(企業も含む)なのだ。それはとてもWeb2.0的な出来事だといえるだろう。
 リンデンラボ社は、サーバービジネスのようなものなので、何らかのリソースを使うようなことをするには、お金がかかる仕組みになっている。例えば、土地を所有したり、画像(テクスチャ)をアップロードするなどだ。自分で土地を所有しない一般ユーザーであれば、無料で十分楽しむことができる。

secondlife-world2.jpg そもそも、目的のない仮想世界なんて、そんなに面白いのかな? と初めは思うかもしれないけれど、意外とハマる、というのが僕の実感。いろいろな場所を旅しながら写真を撮っておくことができるのだけど、それが現実世界での経験と同様に、とても思い出深い写真に思えてくるのが、なんとも不思議だ。自分でモノをつくったりすると、世界に対する愛着はますます強まる。
 まずは騙されたと思って、この世界に足を踏み入れてみてはどうだろうか? でも、ファーストライフに戻ってこれなくならないように、ご注意を!(笑)

■Second Lifeホームページ
http://www.secondlife.com/
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『水うちわをめぐる旅』(水野馨生里)

『水うちわをめぐる旅:長良川でつながる地域デザイン』(水野馨生里, 新評社, 2007)を紹介したい。

『水うちわをめぐる旅』この本を手にすると、まず素敵な装丁に魅せられてしまう。とてもみずみずしく、さわやかなのだ。

そっと表紙をめくってみる。透明感のある写真と、それに添えられた言葉たち。その世界観に浸りながら進んでいくと、「水うちわをめぐる旅」が始まる。

この本の著者、水野馨生里さんはSFC 総合政策学部の卒業生だ(いま卒業3年目)。出身は、この旅の舞台となっている岐阜。テーマになっている「水うちわ」とは、「水のように透けて見える「面」(おもて)をもつうちわで、目にも涼しく、さらに水につけて扇ぐことにより、気化熱の効果によって吹く風をいっそう冷涼に感じることができるうちわ」(p.ii)である。120年ほど前に誕生した、岐阜の伝統工芸品のひとつだ。ここ十年ほど途絶えてしまっていたが、著者も参加している「復活プロジェクト」によって、現在は復活を遂げている。

 「面(おもて)の紙はトンボの羽のように半透明で張りがあり、光にかざすと透明さをさらに増して輝く―――私たちが思い浮かべる“うちわ”という道具の概念を打ち破る美しさをそれは備えていた」(p.9)と、その美しさに魅せられた水野さんは、なぜ岐阜で水うちわが生まれてきたのか、そしてなぜそれは途絶えてしまったのか、という歴史を紐解いていく。その過程で、水うちわは「ものの成り立ちを、そして手仕事の重要性を教えてくれた」のだという。「教科書からでもなく、学校の先生でも親でもなく、水うちわが教えてくれたことはかけがえのないことばかりであった」(p.96)。これは著者の素直な気持ちであろう。そういった気持ちが、本全体から伝わってくる。

 この本に好感がもてるのは、著者の視点と語り口がフレッシュだからかもしれない。地域の歴史を取り上げるときも、目線が読者と同じなのだ。著者が知っていることを書き、読者がそれを読むというのではなく、著者が歩いた「水うちわをめぐる旅」に、僕たちも案内されているような感覚なのだ。そして、小説のような叙述的な書き方も、モノや地域に対するあったかい眼差しを感じさせるのだろう。

 この本を僕が気にいっている点がもうひとつある。基本的には水うちわと岐阜の話をしているのだが、時折一歩引いて、現代について触れられている部分があるという点だ。例えば・・・

「とても身近なものだけど、あまりにも近くにさりげなくあるものだから、それ以上一歩奥へと踏み込むことはこれまでなかった。いや、うちわだけではなくて身の周りにはあまりにもたくさんの商品が溢れていて、その裏にある物語を何も知らずに通りすぎていくことが多い。あらゆる情報が次々と流れ込んでくる現在において、一つ一つの商品に込められた思いを取り出すことなんてそうそうない。・・・・・うちわの歴史や成り立ちを追究して好奇心を満たしていくと同時に、これまでとっても身近にあったうちわのことさえ知らなかった私自身は、生活のなかで出会うあらゆるものやそこに潜んだ物語を取りこぼしてきてしまったのではないかという危惧さえ抱くようになっていた。」(p.12, 13)

「ところで、「繁栄」、「発展」とはいったい何だろうか。アスファルトで囲われ、高層ビルが立ち並び、あらゆる商品がすぐに手に入り、時間を消費する娯楽を提供してくれる場が人々の「繁栄」と「発展」を示しているのだろうか。現代の科学技術の功績を捨てて過去への回帰を促すわけではない。ただ、脈々と続いてきた私たちの生活の背景にあったものをもう一度認識するときが迫っているのではないだろうか。自分の知らなかった故郷の歴史を辿っていくにつれ、そんな思いを抱くようになっていった。」(p.36)

「モノゴトが成立するためにあらゆる条件が満たされているという状況は、実はとても稀なことなのかもしれない。・・・・・一つのモノを継続的に生産・製造する条件、それは素材となる原材料が持続的に供給され、そのモノをつくるにあたって、それにかかわる人々がそれぞれの役割を果たし、さらにそのモノがあり続けるための社会環境があること、である。逆に、その一つのものがなくなる条件は、それをつくる条件のなかのたった一つが消えることである。現にこうしてなくなってきたものは数知れないほどある。」(p.72, 76)

というようにである。水うちわにまつわる活動を通じて得た実感が、現代社会についての考えに昇華している点がすばらしい。こういった記述があることで、単に水うちわと岐阜の話としてではなく、僕らは自分たちのこととして、イメージをふくらませながら読むことができるのだと思う。

 この本を貫いているのは、現にいま在るものの存在を当たり前として見ない視点―――現に在るものも誰かによってつくられ、それを支えるいくつもの条件が重なるときにのみ成立するという視点である。逆にいえば、存在は絶妙なバランスの上に成り立っているのであり、いつでも消えゆく可能性をはらんでいるという視点。そのような視点・感覚によって初めて、かけがえのなさ、に出会うことができる。そういったことを、この本から僕は感じる。

 ぜひこの本で、水うちわと岐阜に親しみを抱くとともに、私たちひとりひとりの「自分にとっての『水うちわ』」、「自分にとっての『岐阜』」を探してみることにしよう。
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