井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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井庭研究会 2010年度最終発表会【最終案内】

明日1月29日(土)に開催する「井庭研究会 2010年度最終発表会」の最終案内です。

★ キーノート・スピーチ(基調講演)のみ、USTREAMで映像配信します。
→ 井庭研チャンネル http://www.ustream.tv/channel/井庭研

★ 本発表会の公式twitterハッシュタグが決まりました。
#ilab2011

★ 開場時間の10時から、コーヒーとお菓子を用意しております。
早く到着された方は会場で談話等、お楽しみください。


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井庭研究会 2010年度最終発表会
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日時:2011年1月29日(土)
時間:10:00開場、10:30開始~17:00終了
会場:慶應義塾大学SFC 大学院棟 τ 11(タウ11)


■ 開場→コーヒーサービス(10:00~10:30)

■ 開会式(10:30~10:40)
 ・開会の辞(井庭 崇)

■ キーノート(10:40~11:30)
 ・「リアリティの把握と参加:デカルト的パラダイムを超えて」(井庭 崇)
   ※ USTREAM配信( http://www.ustream.tv/channel/井庭研

  ー小休憩 ー

■ プロジェクト発表(11:40~12:40)
 ・「カテゴリからみたWikipediaの編集者の記事選択」(馬塲 孝通, 村松 大輝)
 ・「Characteristics behind Productive Collaboration in Wikipedia: Concerning Japanese, English, and Vietnamese Articles」(Natsumi Yostumoto, Ko Matsuzuka, Bui Hong Ha)
 ・「パターン・ランゲージを学ぶためのカードゲームの提案:学習パターンを事例として」(坂本 麻美, 藤井 俊輔, 河野 裕介)

  ー 昼休み ー

■ リフレッシュセッション(13:40~14:10)
 ・学習パターンカードゲーム

   ー小休憩ー

■ 修論発表(14:15~15:45)
 ・「成長するネットコミュニティにおける参加パターンの分析:料理レシピサイトを事例に」(加藤 剛)
 ・「書籍販売における定常的パターンの形成原理」(北山 雄樹)
 ・「育児にひそむ問題発見・問題解決:語りのメディアとしてのパターン・ランゲージ」(中條 紀子)

  ー小休憩ー

■ 修士発表(15:55~16:20)
 ・「集合知パターン試論:戦略策定におけるweb上の集合知活用に向けて」(清水 たくみ)

■卒論発表(16:20~16:45)
 ・「Evolving Collaboration Networks in Japanese Wikipedia」(Natsumi Yotsumoto)

■ 閉会式(16:45~17:00)
 ・閉会の辞(井庭 崇)

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【会場案内】

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ11

キャンパスまでのアクセス → http://www.sfc.keio.ac.jp/maps.html
※小田急線 湘南台駅からバス、もしくは、JR辻堂駅からバスとなります。

キャンパスマップ → http://www.sfc.keio.ac.jp/about_sfc/campus_map.html
※ 大学院棟は、キャンパスマップの (11) です。

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イベント・出版の告知と報告 | - | -

『芸術と政治をめぐる対話』(エンデ × ボイス)がかなり刺激的だった

Ende16Book150.jpg 『芸術と政治をめぐる対話(エンデ全集16)』(岩波書店, 1996)を読んだ。ドイツのファンタジー作家であるミヒャエル・エンデと、同じくドイツの現代美術家・社会活動家であるヨーゼフ・ボイスが行なった1985年の対談である。二人ともすでに亡くなっていることもあり、かなり貴重な記録だといえる。これが(ドイツ語ではなく)日本語で読めるというのは、実にうれしいことだ。

二人の話は最初から最後までほとんどすれ違ったまま進むのであるが、それゆえ、それぞれの考えが何度も違うかたちで語られていて興味深い。

ボイスは、社会という芸術作品をみんなでつくりあげる「社会芸術」というものを提唱する。芸術はこれからかたちを変えて「社会」をも作品とする段階にくる。そして、それは誰か一部の人間によってつくられるのではなく、全員がそれに関わり、いわば「社会芸術家」になる(ならなければならない)。そう語る。

これに対してエンデは、芸術というものをもっと狭く———といっても、僕たちが知っている常識的な範囲で———捉える立場をとる。芸術は美の領域での創造である。そして、未来へのひとつのお手本やスケッチとなるようなものを具体的なレベルで描くこと、そして、それによって何かを伝えるのではなく経験してもらうことこそが芸術にとって大切なのだ、と語る。

このように、定義も方向性も違っているわけだが、僕はそのどちらにも共感を覚えた。いや、「共感」という言葉では、うまく言い表せていないかもしれない。だって、僕が考えてきたことや考えていることが、まさにそこに文字として書かれていたのだから。

しかも興味深いことに、この対談のやりとりを読んで、3年前の自分と今の自分が対話しているような錯覚さえ覚えた。大雑把にいうならば、3年前の自分がボイスで、今がエンデだ。(恐れ多いが…^^;)

この対談には、魅力的で力がある言葉が詰まっている。少し紹介したい。

「私に言わせれば、創造的であるというのは、要するに、人間的であるということにほかならない。」(エンデ:p.19)

僕の研究の根本的な問いは「創造的とはどういうことか」というものであるが、それは「人間的である」ことだ、と最近行き着いた。要素に還元はできない。全体性との関係でしか定義できない何か。その点について、エンデは、次のように語る。

「美の領域で創造的であるというのが、芸術家の特性なのです。では、美とはなにか、もちろんそれは ———ほかのその種の概念とおなじく———定義できない。美の概念に境界はない。つねに新しくつくりあげられるしかないわけです。真理とはなにか、その定義も不可能です。善とはなにか、その定義も不可能です。ユニバーサルな概念ですからね。全体にかかわる概念ですからね。私に言わせれば、美というものはつねに、———まあ、これも言葉にすぎないわけですが———心、頭、感覚の全体性がうちたてられる場所に成立するのです。いいかえれば、人間がもとの全体性にもどされた場所で、成立するのです。」(エンデ:p.22)

科学哲学史を紐解けばわかるように、近代科学では真・善・美という概念は科学の世界から追放されてしまっている。それは、デカルトの要素還元的な分析アプローチの影響である。全体は部分に分けて考えられるべきであり、全体性というのは探究の対象とはならないのだ。それでは、全体性とは何なんだろうか。

「全体性とはなにか、それも定義できません。定義できれば、全体性でなくなってしまうわけですから。全体性というのは、特定できないものです。」(エンデ:p.23)

このエンデの言葉からもわかるように、全体性ということを考え始めると、途端に神秘主義的になってしまう。あるいは、宗教的な世界観に入ってしまう。僕が興味があるのは、宗教にもオカルトにもいかずに、この全体性の問題にアプローチすることはできないか、ということである。オートポイエーシスのシステム理論等によって、あるいはパターン・ランゲージ等の方法によってアプローチすることはできないか。

僕にとって、ニクラス・ルーマンは、全体性に対して動的な自己生成プロセスの観点からアプローチした理論家であり、クリストファー・アレグザンダーは、真・善・美を備えた全体性をつくるための方法について探究した方法論者であった。これらを新しいかたちで結合・融合・進化させることが僕のやりたいことになる。


そして、最近ますます興味が出てきた、主観/客観の二分法への疑問についても、エンデは次のように語る。

「純粋な客観性というニュートン流の真理の基準は、核物理学によって、疑問視されたわけです。……こんにちでは真理の概念は、かつて知恵と呼ばれていたものに、どんどん接近しているのです。つまり、自分で経験し、自分の内部にもっているものだけを、あなたは外部ででも認識できるのです。昔の自然科学は、事実を矛盾なく記述することを要求していましたが、こんにちでは、だれもそんなことを信じちゃいない。世界を客観的な世界と、主観的な世界に引き裂くというイデオロギーを、私たちはちょうど克服しようとしているところなんです。」(エンデ:p.85)

主観/客観の二分法をイデオロギーであると言い切ってしまうあたりが心地よい。

さらに、なぜ創造性の問題が今なお学問の世界で置き去りにされているのか、それについてもエンデは明快に語っている。

「自然科学の思考は、本質的に因果関係の論理にもとづいています。因果関係の論理がなければ、精確な自然科学は存在しない。さて、ところが人間は、一番人間的である場所で、つまり創造の場で、因果の鎖に縛られてはいません。縛られていたら、自由な創造がなくなります。だから創造は、自然科学の思考ではたいてい見落とされるわけです。因果の鎖とは縁がないので、証明できませんからね。」(エンデ:p.89)

僕の「創造システム理論」も、ここで指摘されているように、因果関係では捉えられないということが前提となっている。だからこそ僕は、オートポイエティックな———因果関係ではなく生産関係のネットワークの———システムとして創造を捉えたいと考えているわけだ。


以上、エンデの言葉を中心に紹介してきたが、エンデだけに共感したわけではない。ボイスの言葉にも、ぐっとくる言葉は多々あった。芸術の価値と使命という文脈で、ボイスは次のように語っている。

「理解できるものなんて、うんざりするほどあるよ。もちろんそれも大切だけどさ。だが芸術にとっては、理解できないほうが、ずっといい。人びとのなかに力を、想像とか直観にたいする力を呼びさまし、さらに、それ以上のことをするわけだから。それが僕の方法なんだ。」(ボイス:p.150)

これまで教育や文章で、とにかく徹底した「わかりやすさ」を追究してきた僕は、最近「わからない」という状況をつくることの大切さについて考えている。ここでボイスが語っていることは、先日池上高志さんが「メディアがつくる違和感」というフォーラムで、「ある種のクレイジーネスが必要だ」とか「わからなさ・違和感を生む」と言ったことと重なる。

そして、世界を変えるということについて。エンデは、新しい芸術作品が存在するだけで世界はすでに変わっているんだという立場をとるのに対し、ボイスの方はもっと過激だ。司会者が話を現実に引き寄せようとしたところ……

「いや、ともかく突撃しておくことが、とても重要なことなんだよ。でないといつだって、敷居のむこう側を見ることは不可能ということになる。『こいつはまずい、こいつはまずい』って、みんな嘆く。だが僕は、嘆こうなんて思わない。可能性はひとつしかない。で、それはいまの現実にたいするポジティブな提案にほかならない。」(ボイス:p.17)

ここで言わんとしていることは、わかる気がする。そうでもしなければ、社会はいつまでたっても「想像の圏外」に到達できない。

ボイスの過激さと、エンデの静かな力。どちらをとるかではなく、その両方が必要なのだと思う。

それにしても、このような話が1985年にすでに語られていたというのがすごい。それと同時に、こうやって語られていたにも関わらず、依然として世界が変わっていないはなぜなのか? その点についても考えながら、自らの道をしっかりと切り拓いていこうと、決意を新たにした。

  • 『芸術と政治をめぐる対話(エンデ全集16)』(岩波書店, 1996)
  • Joseph Beuys, Michael Ende, KUNST UND POLITIK: Ein Gespräch, FIU-Verlag, 1989
  • 最近読んだ本・面白そうな本 | - | -

    井庭研究会 2010年度最終発表会 プログラム

    来週土曜日(1月29日)に開催する「井庭研究会 2010年度最終発表会」のプログラムが確定しました。

    学内外の方はどなたでも聴講できます。資料準備等の関係で、事前に ilab [atmark] sfc.keio.ac.jp にメールでご連絡いただければと思います。

    井庭研最終発表会として初の試みですが、僕が最近考えている最先端の話を紹介する「キーノート」(基調講演)をやることにしました。こちらもお楽しみに。


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    井庭研究会 2010年度最終発表会
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    日時:2011年1月29日(土)
    時間:10:00開場、10:30開始~17:00終了
    会場:慶應義塾大学SFC 大学院棟 τ 11(タウ11)


    【プログラム】

    ■ 開会式(10:30~10:40)
     ・開会の辞(井庭 崇)

    ■ キーノート(10:40~11:30)
     ・「リアリティの把握と参加:デカルト的パラダイムを超えて」(井庭 崇)

      ー小休憩 ー

    ■ プロジェクト発表(11:40~12:40)
     ・「カテゴリからみたWikipediaの編集者の記事選択」(馬塲 孝通, 村松 大輝)
     ・「Characteristics behind Productive Collaboration in Wikipedia: Concerning Japanese, English, and Vietnamese Articles」(Natsumi Yostumoto, Bui Hong Ha, Ko Matsuzuka)
     ・「パターン・ランゲージを学ぶためのカードゲームの提案」(坂本 麻美, 藤井 俊輔, 河野 裕介)

      ー 昼休み ー

    ■ リフレッシュセッション(13:40~14:10)
     ・学習パターンカードゲーム

       ー小休憩ー

    ■ 修論発表(14:15~15:45)
     ・「成長するネットコミュニティにおける参加パターンの分析:料理レシピサイトを事例に」(加藤 剛)
     ・「書籍販売における定常的パターンの形成原理」(北山 雄樹)
     ・「育児にひそむ問題発見・問題解決:語りのメディアとしてのパターン・ランゲージ」(中條 紀子)

      ー小休憩ー

    ■ 修士発表(15:55~16:20)
     ・「集合知パターン試論:戦略策定におけるweb上の集合知活用に向けて」(清水 たくみ)

    ■卒論発表(16:20~16:45)
     ・「Evolving Collaboration Networks in Japanese Wikipedia」(Natsumi Yotsumoto)

    ■ 閉会式(16:45~17:00)
     ・閉会の辞(井庭 崇)

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    【会場案内】

    慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ11

    キャンパスまでのアクセス → http://www.sfc.keio.ac.jp/maps.html
    キャンパスマップ → http://www.sfc.keio.ac.jp/about_sfc/campus_map.html
    イベント・出版の告知と報告 | - | -

    井庭研B2(社会システム理論)は、どういう人に来てほしいのか

    前回の井庭研B1に引き続き、井庭研B2にどのような人に来てほしいのかについて書きたい。


    井庭研B2「新しいシステム理論にもとづく社会研究」
    (コミュニケーションの連鎖の分析とメディア構築)

    この研究会では、ニクラス・ルーマンの社会システム理論をみんなで学びながら、各人の問題意識にもとづく個人研究を行なう。

    この井庭研B2では、各人がもっている問題意識がとても大切だ。この問題意識から始まる個人研究を育てるのが、この研究会の場である。ここが、まず、前回の井庭研B1とは大きく異なる点だ。

    だから、現実世界の何かに対して具体的な問題意識をもっていない人は、この研究会には向かない。「研究への情熱」をもてるテーマを持っていなければ、これから始まる大変で苦しい研究活動をやりきることなどできないからだ。

    「これはおかしい、なんとかしたい」というような現状に対する強烈な怒り、あるいは「これをなんとかして、もっともっとうまくいくようにしたい」という対象への強い愛がなければだめだなのだ。「コミュニケーションに興味がある」とか「ルーマンの理論を勉強したい」とかいうような動機では、乗り切れない。

    だから、最も大切なのは、具体的な問題意識=研究会で取り組みたいテーマがあるかどうかなのである。エントリーではそこを見るし、春学期の最初から(あるいは春休み中から)そのテーマで勉強・研究を始めてもらうことになる。


    この各人のテーマを研究しながら、井庭研2では、共通フレームとして「社会システム理論」の理解を深める。

    各人の問題意識にもとづいて個人研究を進める際、どうやって考えればいいのかという「型」が必要になるだろう。考えるための「方法」や「枠組み」といってもいい。しかも、これまでの研究でやられてきたものとは異なるアプローチがしたい。そのような新しい発想の型として、ニクラス・ルーマンの社会システム理論を学ぶ。

    ニクラス・ルーマンの社会システム理論については、僕が毎年春学期に「社会システム理論」という授業で解説している。この授業を取ったことがある人は、さらにその知識を深めるということになる。もしまだ履修していないのであれば、来学期、同時並行で履修してもらう。

    あらかじめ言っておくが、ルーマンの理論は、とても難解だ。「これまでに出会ったことがないような難しさ」と聞いてイメージするものの10倍以上難しい。現実の複雑さの原理を捉えるために、理論そのものの複雑さが従来の理論よりも劇的に増しているからだ。しかも、そのシステム理論が、想像力をフルに求められるような、新しいシステム理論にもとづいている。だから、生半可な努力では、理解することができない。

    このような超難解な理論であるからこそ、逆にその発想を身につけてしまえば、他の人とは異なる見方で物事を見ることができるという旨味もある。このような超難解な理論にめげずにアタックし続けるためにも、上に書いたような「研究への情熱」が持てるような問題意識が不可欠なのだ。


    このように、井庭研2では、個人研究の遂行と、ルーマン理論の理解という二兎を追う。二兎を追うわけだから、それだけの覚悟が必要だ。SFCらしい新しいアプローチで研究を始めたい人も、他の研究会で取り組んできたアプローチに限界を感じている人も歓迎だ。ぜひ、知的なことにハングリーで、ガッツのある人に来てほしい。

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    井庭研だより | - | -

    井庭研B1(パターン・ランゲージ)は、どういう人に来てほしいのか

    来週の土曜日1月22日エントリー〆切で、来学期の井庭研の履修希望者を募っている。これまで、シラバスも公開し、昨日説明会も行なった(詳しくは、井庭研B1シラバス井庭研B2シラバス説明会の映像配信のエントリを参照)。

    そういう媒体・場で一生懸命伝えようとしても、研究会での活動について、なかなかイメージできないかもしれない。そこで、シラバスに書くような“公式”なコトバではなく、ざっくばらんなコトバで、どういう人に来てほしいのかを書きたいと思う。

    まずは、パターン・ランゲージをつくる井庭研B1の方から。


    井庭研B1「パターン・ランゲージによる実践知の言語化プロジェクト」
    (魅力があり、想像力をかきたて、人を動かす「ことば」の探究)

    この研究会では、履修者全員でひとつのアウトプットに向かって、パターン制作プロジェクトに取り組む。10人くらいでやる「グループワーク」というわけだ。

    この研究会の最大の特徴は、僕がかなりコミットするということ。プロジェクトリーダーとしてファシリテートするし、一緒につくる作業にも参加する。僕も本気で取り組むので、その意味では大変だろうけど、やりがいはあると思う。教員とガチでグループワークするというのは、なかなかできない体験だと思う。

    過去にこの手のプロジェクトを経験した井庭研の先輩たちは、こういうプロジェクトに参加したときが一番成長した、と語っている。結局、プロジェクトの文脈のなかで、授業などでは伝えることができない「とても大切なこと」をたくさん語り、議論することになる。もちろん、僕からだけでなく、他のプロジェクトメンバーからも学ぶことも多い。

    そんな本気のプロジェクトに、自分は参加できるのだろうか?

    そう思うかもしれない。しかし、このプロジェクトが面白いのは、共通の前提知識やスキルが特にないということ。パターン・ランゲージの知識は、SFC-GC(グローバルキャンパス)で映像が公開されている僕の授業「パターンランゲージ」で4月までに身につけてもらうとして、それ以外に何か特別なスキルが必要なわけではない(でも特殊なスキルを持っていたり、センスがいい人も大歓迎!)。

    だから、シラバスに書いてあるテーマ・内容をすべて理解できなくても、どこか感覚的にビビッときたなら、この研究会への参加を考えていいのだと思う。


    でも、ひとつだけ、とても大切なことがある。

    やると決めたら、とことんこだわり抜いて、やりきること。

    これに尽きる。

    すべての研究や創造と同じように、実践知をパターン・ランゲージとして記述する活動も、99%は地味な作業だ。その地味で大変な作業にへこたれず、さらにもっとクオリティを上げるんだ!というこだわりを持ち続ける。そういうことができる人に来てほしい。

    映画監督の宮崎駿さんがよく言う。映画をつくるというのは、一見きらびやかに見えるけれども、実際にはものすごく地味な作業の連続。「映画をつくっている」はずが、「映画につくらされている」という感覚をもつのが常だ、という。

    何かものをつくるとか、探究するというのは、まさにそういうことなんだと思う。やり始めたらそれ自体が運動性をもち、つくり手は全てをコントロールしているというよりは、コントロールを奪われ、まるでつくらされているような感覚に至る。ここまで感じられたら本物だ。「こうあるべきだ」とか「どう考えても、この方向に行かざるを得ない」という創造的な流れを掴んでいるということだからだ。


    それでは、そんな地味で大変なプロジェクトワークの後には、何があるのか?

    このプロジェクトの成果は「つくっておしまい」ではなく、学内外でいろいろなかたちで活用していく。自分たちがやった成果に対して来年度のうちにフィードバックを体感できるのも魅力のひとつだろう。


    以上の文章を読んで、こういうプロジェクトに参加したい!と思った人は、井庭研B1シラバスの内容をもう一度よく読んで、エントリーしてほしい。

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    井庭研だより | - | -

    井庭研 研究発表カンファレンス(2010年度秋学期)

    1月29日(土)に、今年度の井庭研 研究発表カンファレンスを開催します。

    後輩にコメント/アドバイスをいただけるOB・OGのみなさん、井庭研に興味がある在校生のみなさん、井庭研の研究に興味がある学外のみなさん、ぜひお越し下さい。

    井庭研 研究発表カンファレンス(2010年度秋学期)
    2011年1月29日(土) 10時〜17時(予定)
    慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス) 【アクセス】
    大学院棟 τ11(タウ11) 【キャンパスマップ】

    当日の飛び入りも歓迎ですが、(資料印刷の)人数把握のため、事前にご連絡をいただければ幸いです。→ iba [atmark] sfc.keio.ac.jp


    発表タイトル(仮)の一覧 (発表の順番は後日追って告知します)


    【キーノート】

    ●「リアリティの把握と参加:デカルト的パラダイムを超えて」(井庭)


    【修論発表】

    ●「成長するネットコミュニティにおける参加パターンの分析:料理レシピサイトを事例に」(加藤)

    ●「書籍販売における定常的パターンの形成原理」(北山)

    ●「育児にひそむ問題発見・問題解決:語りのメディアとしてのパターン・ランゲージ」(中條)


    【卒論発表】

    ●「Evolving Collaboration Networks in Japanese Wikipedia」(Yotsumoto)


    【修士発表】

    ●「集合知パターン試論:戦略策定におけるweb上の集合知活用に向けて」(清水)


    【プロジェクト発表】

    ●「パターン・ランゲージを学ぶためのカードゲームの提案」(坂本, 藤井, 河野)

    ●「Characteristics behind Productive Collaboration in Wikipedia: Concerning Japanese, English, and Vietnamese Articles」(Yostumoto, Bui, Matsuzuka)

    ●「カテゴリからみたWikipediaの編集者の記事選択」(馬塲, 村松)
    井庭研だより | - | -

    井庭研説明会(2011年度春学期 新規履修者対象)の映像配信

    今日、井庭研説明会(2011年度春学期 新規履修者対象)を開催しました。

    その模様を、ustreamで映像配信&アーカイブしました。
    http://www.ustream.tv/channel/井庭研

    IlabUstream.jpg


    井庭研に興味がある人は、説明会映像と下記のシラバスをご覧ください。

    ■井庭研究会B1(2011年春学期)シラバス
    「パターン・ランゲージによる実践知の言語化プロジェクト」
    (魅力があり、想像力をかきたて、人を動かす「ことば」の探究)

    ■井庭崇研究会B2(火曜5限)
    「新しいシステム理論にもとづく社会研究」
    (コミュニケーションの連鎖の分析とメディア構築)
    井庭研だより | - | -

    学習パターン対話ワークショップの分析(1)

    以前紹介したように、SFCの授業「パターンランゲージ」では、「学習パターン」(Learning Patterns)を用いた「学びに関する対話ワークショップ」を行なった。

    ワークショップの内容については、「"Design Your Learning!" Dialogue Workshop @SFC」を、狙いについては、「メディアとしての学習パターン:対話ワークショップの狙い」を、ご覧いただきたい。

    今回は、このワークショップの際に提出してもらったデータの分析結果を紹介したい。なお、ワークショップ参加者は計36人で、学年別の内訳は1年生6人、2年生16人、3年生13人、4年生3人であった。


    ■ 体験パターン(全体)

    個々のパターンごとに、そのパターンを体験している人数をまとめると、以下のようになる。参考までに、学年別の内訳を色分けで示してある(学年によって履修者数が異なるので、読み取りの際には注意)。

    ExperiencedPatternsSmall.jpg


    体験したことがあるパターンとして、最も人数が多かったのが「『まねぶ』ことから」「身体で覚える」であった。約7割が体験している。

    「『まねぶ』ことから」の体験について具体的なエピソードをみてみると、体験の場面はかなり多岐にわたっている。受験勉強の仕方、外国語学習の方法、研究のやり方、スポーツのフォーム、コーチングの方法、楽器の演奏、コミュニケーションの取り方、イベント司会の仕方、文章の書き方、ものづくりの基礎技術、アイデアの出し方などが挙げられている。

    「身体で覚える」の具体的な体験談は、スポーツが最も多く、次に音楽、そして、コンピュータ等の技術の習得であった。

    次に多かったのは「『はなす』ことでわかる」であり、それから「まずはつかる」が続く。このあたりまでが、参加者の約半数が体験しているパターンである。

    逆に、誰も体験していないというパターンもあった。「フロンティアンテナ」だ。“研究プロジェクト中心”のSFCであるから、本来は最先端の動向を知るということは不可欠なはずだが、今回の参加者(全員学部生)についてはそのあたりの体験はないようだ(大学院生であれば、もっと多くの人が体験しているはずである)。


    ■ 体験パターン(学年別)

    次に、各パターンを体験したことがある人数を、学年別にみてみよう。学年によって人数が大きく異なるので、このグラフから、横軸を「体験している人の、その学年の全人数における割合」としてある。

    ExperiencedPatterns1stSmall.jpg

    1年生は母数が6人なので、この結果から統計的な含意を読み取るのは難しいが、他の学年にはない大きな特徴がいくつかある。

    まず第一に、パターンNo.0〜3という抽象度の高いパターンがひとつも選択されていないという点である。具体的にいうと、No.0「学びのデザイン」、No. 1「SFCマインドをつかむ」、No. 2「研究プロジェクト中心」、No. 3「SFCをつくる」であり、これらのパターンは、それ以降に続く個別パターンを束ねる役割をしているものである。これらの抽象的なパターンは、入学後1年未満では、体験や意識がないということだろう。

    第二に、2年生以上では体験されている No.37「セルフプロデュース」が選択されていない点も注目に値する。これは、1年生はまだ「SFCらしい学びのスタイル」を身につけている途中である、ということの表れかもしれない(とはいえ、母数を増やしたときに結果が変わる可能性もあるので、これらはあくまでも仮説的な考察にすぎない)。


    ExperiencedPatterns2ndSmall.jpg

    ExperiencedPatterns3rdSmall.jpg

    2年生と3年生は、それぞれ16人と13人におり、分布の特徴がわかりやすい。どちらの場合も、基本的には、学び始めのパターン(「『まねぶ』ことから」「身体で覚える」)に大きな山がある。

    興味深いのは、2年生では小さな山であった対人関係のなかの学びのパターン(「『はなす』ことでわかる」「教えることによる学び」)が、3年生では大きく伸びていることである。これは、研究会で後輩ができたり、授業のアシスタントをする等の「半学半教」の経験と関係しているのかもしれない。

    ExperiencedPatterns4thSmall.jpg

    最後の4年生の分布に関しては、3人のデータなので、ここから何かを導きだすことは難しいだろう(できるならば、今後、どの学年も、ある程度の人数が確保できる調査をしたいものである)。


    ■ 不可視の「体験」を把握する調査ツールとしてのパターン・ランゲージ

    以上の結果によって、それぞれの学習パターンが、SFCの一部の学生たちに体験されている/徐々に体験されていく、ということがわかった。このことは、「学習パターン」のパターン・ランゲージとしての妥当性を支持する結果だといえる。

    しかし、もっと興味深いのは、本来は個人的な営みであり不可視である「学びの体験」を掘り起こし、把握するということに、パターン・ランゲージが役立っているという点である。以前、「語りのメディアとしてのパターン・ランゲージ」という話を書いたが、今の文脈でいうならば、「新しい調査ツールとしてのパターン・ランゲージ」と捉えることもできるだろう。


    有限のパターンを相手に投げかけることで初めて捉えられるリアリティがある ——— その意味において、パターン・ランゲージは新しい調査ツールになり得る。

    今回の試みでは、「有限のパターンを相手に投げかけることで初めて捉えられるリアリティ」が「学びの体験」だということになる。


    パターン・ランゲージは、本来は分解不可能/記述不可能な実践知を、パターンという単位でまとめ、記述したものである。本来は分解できないものを分解し、本来は書くことができないものを書くわけなので、いわば “不完全” な方法だといえるかもしれない。

    しかし、僕ら人間は、ある単位にまとめ、表現しなければ、認識することも伝えることもできない。そう考えると、たとえ不完全だったとしても、役に立つのであれば、ひとまず成功と言えるのではないだろうか。


    不可視の「体験」を把握する調査ツールとしてのパターン・ランゲージ ——— この可能性を、しばらく探ってみたい。


    (つづく)

    ※ 今回の分析は、授業SA(Student Assistant)の四元さんと坂本さんに手伝ってもらいました。ありがとう。
    授業関連 | - | -

    イベント告知「建築の計算(不)可能性」(松川昌平 × 井庭崇)

    来週の1月13日(木)2限の「複雑系の数理」の授業では、松川昌平さんを遠隔ゲストにお迎えして、対談を行います。

    松川 昌平 × 井庭 崇 「建築の計算(不)可能性」
    日時:2011年1月13日(木)2限(11:10~12:40)
    会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) ε 11教室

    松川 昌平さんは、複雑系の考え方を取り入れながら、コンピュテーショナル・デザイン(アルゴリズミック・デザイン)の最先端で、独自のアプローチを探究している建築家です。松川さんのアプローチは、単にアルゴリズムを用いて「形」を生成するというのではなく、機能も含めた構造の可能性を探索するためにコンピュータを用いている点に特徴があります。複雑系の考え方が、どのように新しい建築設計の方法に結びつくのか? コンピュテーションは、物理的空間の設計をどう変えるのか? その可能性と不可能性について、『複雑系入門』著者の井庭 崇と語り合います。

    松川 昌平
    建築家。1974年生まれ。1998年、東京理科大学工学部建築学科卒業。1999年、000studio/ゼロスタジオ設立。2010年現在文化庁派遣芸術家在外研修員および客員研究員としてハーヴァード大学GSD在籍。アルゴリズミック・デザインの研究、実践を行なう。共訳書=コスタス・テルジディス『アルゴリズミック・アーキテクチュア』
    (彰国社、2010)。

    ※ 松川さんは現在米国在住のため、インターネット経由の遠隔参加となります。

    この対談イベントは、授業の一環として行われますが、履修者以外の聴講も歓迎しますので、興味がある方はぜひお越し下さい。なお、この対談は、映像配信の予定はありません。

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    『決断力』(羽生善治)に羽生さんの創造性を見る

    将棋棋士の羽生善治さんの『決断力』を読んだ。

    非常に示唆に富んだ本で、大変興味深く読ませてもらった。
     
    羽生さんがどういう人なのかがわかるとともに、将棋の世界がどういうものなのかも垣間見ることができた。そして、将棋を指すということについて、僕は何もわかっていなかったと思わざるを得なかった。将棋は無限の世界であるという羽生さんが、その世界にいかに向き合っているのか。その世界観が大変興味深い。また、コンピュータの登場が将棋の世界をどのように変えているのかについても面白かった。

    しかしながら、より興味深いのは、将棋を通じて育まれた彼の考え方が、将棋の世界のみならず、多くの物事に通じる普遍性をもっているということだ。まさに、個を突き詰めたゆえの普遍性だ。彼は将棋とスポーツには共通点があると語り、またビジネスや研究にも通ずるものがあるという。僕は、この羽生さんが語る「エクスパティーズ」(熟練)の本質に、ただただ頷くばかりであった。

    その普遍性を羽生さんも十分承知していて、それぞれの話題の後に必ず「将棋にかぎらず…」として、読者の携わる世界でも同様であることに言及している。このことが、本書が将棋好き以外の読者にも広く読まれてきた理由なのだろう。


    「棋士は指し手に自分を表現する。音楽家が音を通じ、画家が線や色彩によって自己を表現するのと同じだ。小説家が文章を書くのにも似ている。二十枚の駒を自分の手足のように使い、自分のイメージする理想の将棋を創りあげていく。ただ、将棋は二人で指すものなので、相手との駆け引きのなかで自分を表現していく。その意味では、相手は敵であると同時に作品の共同制作者であり、自分の個性を引き出してくれる人ともいえる。」(p.67)


    この部分で、将棋における「創造性」についてのイメージがぐっと広がった。

    これまで、僕のなかには、将棋は有限の配置の組合せのなかでの勝負だというイメージがあったが、その見方は将棋の本質を矮小化した見方であるということがわかった。その有限性はたしかに「神」の視点からは正しいかもしれないが、人間は神の位置にいるわけではない。あくまでも広大に広がる展開の一節点に立っているにすぎない。

    将棋が有限の局面の集合でしかないという見方は、まるで小説や詩が有限の文字の組合せに過ぎないと看做すようなものなのである。それでは、創造性という存在は無化されてしまう。もし小説や詩に創造性を見いだすならば、将棋にも創造性を見いだすことができるはずだ。僕はこの立場をとっているし、とりたいと思う。

    羽生さんのこの本には、そういった将棋の創造性についての彼の考え方が書かれているように、僕には思えた。これは僕の過剰な読み込みかもしれない。しかし、僕にとっては、この本はその点において、大変示唆に富む本であったことは間違いない。

    『決断力』(羽生善治, 角川oneテーマ21, 角川書店, 2005)
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