井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

<< August 2007 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

『プロフェッショナル 仕事の流儀 13』―――(1) 大きなスケールの研究

ProfessionalBook13最近出た『プロフェッショナル仕事の流儀 13』(茂木 健一郎 & NHK「プロフェッショナル」制作班, 日本放送出版協会, 2007)を読んだ。

 この本は、NHKの同じタイトルの番組を書籍化したものだ。第13巻には、弁護士の村松謙一さん、漫画家の浦沢直樹さん、コンピュータ研究者の石井裕さんの話が紹介されている。どの方の話もとても面白く、おすすめの1冊だ。今回は、石井裕さんの話を取り上げることにしたい。


HiroshiIshii 石井裕さんは、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ教授で、メディアラボ初の日本人ファカルティ・メンバーだ。現在51歳。「タンジブル」(触れることができる、実体がある)というキーワードで、新しいコンピュータをつくっている(⇒ Tangible Media Group, MIT Media Lab)。

 この石井さんの話に、僕は研究者として、そして大学教員として、とても刺激を受けた。研究というのは、ともするとどんどん小さくまとまっていく傾向がある。研究には新規性が求められるから、いままでの先行研究との差異を絶えず意識することになる。そして、ただ差異があればいいわけではないので、どのくらいの差異ならばきちんと検証・論証できるだろうか、ということも計算する。しかし、そんなふうに差異ばかりに意識がいってしまうと、全体としてどこに向かっているのか、何を成し遂げようとしているのかが、あいまいになってしまいがちだ。

 そんな悩みに僕もいつも直面している。3年ほど前にSFCに着任したとき、僕に課されたのは「スケール感を出す」ということ。小さくまとまるな、ということだ。それまで「新しい思考の道具をつくる」というテーマで、複雑系とシミュレーションの分野の研究をしてきたが、そういう個別分野でのイノベーションではなく、もっと世界にインパクトをもたらすような研究をしろ、ということなのだ。そんなこともあって、ここ数年は社会学や社会哲学などの新しい領域にもどんどん踏み込んでいき、新しい視点と感覚を磨いてきた。学問分野の組み合わせでいうと、普通じゃない動きをしていると思う。それでも、個々の研究の話になると、着実に成果を出そうとして、どうしても小さくまとめがちだと思う。だめだなぁと思いながらも、なかなかそういうサイクルから抜け出せていない。

「現在あるインターネットを使ってちょっと工夫すれば、様々な価値を生み出すことが可能です。それはそれで素晴らしいことですよ。でも、今までになかった新しいものをつくり出すということは、それとは別物です。」(石井, p.141)

 そう、別物なのだ。そして、クリエイター志向だった僕が研究者になろうと思ったのは、まさにその別物の「今までになかった新しいものをつくり出す」ためだった。その意味で、今回の石井さんの話はとても魅力的で、僕の大きな一歩に向かって背中を押してくれるものだった。

「研究は本質的に、オリジナルでなければいけない。でも、ただほかと違っているだけではダメで、ユニークであり、なおかつそこに意味がなければならないんです。」(石井, p.140)

「今までの世界観が大きく変わるようなもの。新しい可能性が突然、目の前に現れてきて、楽しくて仕方がなくなったり、想像が止まらなくなったりするもの。そういったものをいっぱいつくっていきたいですね、命の続く限り。」(石井, p.161)

「われわれが世界で初めてそのアイデアを思いついたグループであればよし、そうでなければゴミなので捨てる。研究成果が世の中に喜んでもらえる、インパクトを与える、そういう方向にエネルギーを集中させる―――。それが僕の仕事です。」(石井, p.121)

 最後の、自分たちで考え出した真にオリジナルなものでなければ「ゴミなので捨てる」、ここまで言い切れるところがかっこいい。そしてこのくらいの気持ちでいなければ、本当の意味で「今までになかった新しいものをつくり出す」ことなんでできないのだ。納得。

「自分の研究がコンピュータの主流とは外れた方向に進んでいることを、とてもうれしく思っています。なぜなら、みんなが同じことをしたら、私の商売はあがったりでしょう。研究することの意味がどこにあるかといえば、世の中で誰もやっていないけれど価値のあるものを創造することです。その価値をわかる人はわかってくれる。」(石井, p.141)

「『誰も理解してくれない』ですって?最高じゃないですか。それは勲章ですよ。もしかしたら、誰も行ったことのない極致に到達できるかもしれないわけですからね。」(石井, p.159)

 僕は博士時代に、結構ここで言われているようなスタンスで研究をしていたと思っている。それに比べて最近は、あんまり理解されないような無謀な目標を立てなくなったなぁ。そんなことに気づいた今、自分を見つめなおし、次なるテーマを考えるチャンスなのかもしれない。そんなわけで、この本、刺激的でとてもおすすめだ。
最近読んだ本・面白そうな本 | - | -

学会発表「プロジェクト推進のパターン・ランゲージとその評価」

2007年8月17日から19日に開催された「日本ソフトウェア科学会 ネットワークが創発する知能研究会&情報処理学会 数理モデル化と問題解決研究会 合同ワークショップ」で、「プロジェクト推進のパターン・ランゲージとその評価」という研究発表をしてきた。

 プロジェクト推進のノウハウを「パターン・ランゲージ」としてまとめるという僕らの研究については、すでにこのブログでも紹介しているが(⇒学会発表「プロジェクトを推進するためのパターンの提案」)、今回の発表は、そのプロジェクト・パターンを実際に授業に導入し、その評価を行ったというもの。

 プロジェクト・パターンを導入した授業は、SFCで僕が担当している創造実践科目「コラボレーション技法ワークショップ」という授業だ。この授業では、履修者は学期を通じてグループワークに取り組んでいる。今回の研究では、その履修者に提出してもらった、プロジェクト・パターンについてのフィードバックを、定量的・定性的に解析した。僕らはこれまでにいろんなパターン・ランゲージを提案してきたが、開発したパターンをきちんと評価したのは、実は今回が初めて。その意味で、今回の研究は大きな前進だと思っている。

 さらに、フィードバックの解析においても工夫をしてみた。パターンの「選択ネットワーク」(Choice Network)というものの可視化を行ったのだ。パターンの「選択ネットワーク」では、それぞれのパターンをノードとし、一人ひとりが同時に選択したパターン同士をリンクで結んでいく。これは、先日、商品の選択ネットワークを描く方法として提案したものと同じやり方だ(⇒学会発表「商品ネットワークの成長モデル:市場の秩序形成の探究に向けて」)。

JWEIN-ChoiceNetwork

 この選択ネットワークの分析を通じて、今後、重みつきネットワーク(重みつきグラフ)を解析する手法を開発していくことがとても重要だと痛感した。これまでのネットワーク科学では、主にネットワークにおける「リンクがあるか/ないか」という構造面に注目が集まっていたが、実データの解析となると、リンクの重み(強さ)を考慮しなければならない。この点については、いろいろ考えていることがあるので、また近いうちに書きたいと思う。

JWEIN-Presentation
●井庭 崇, 湯村 洋平, 若松 孝次, 古市 奏文, 「プロジェクト推進のパターン・ランゲージとその評価」, 日本ソフトウェア科学会 ネットワークが創発する知能研究会&情報処理学会 数理モデル化と問題解決研究会 合同ワークショップ, 東京, 2007年8月
Paper 論文(PDF)
井庭研だより | - | -

再び、セカンドライフ上でゼミを実施(井庭研究会2)

以前このブログで、井庭研究会1のゼミをセカンドライフ上で実施した話をしたが、今回はもう一つのゼミ、井庭研究会2「新しい思考の道具をつくる」をセカンドライフ上で実施した話を紹介したい(2007年7月20日実施)。この研究会では、複雑系の考え方にもとづき、思考のための新しい方法や新しい道具をつくるという研究に取り組んでいる。現在17人が参加者している(学部生15人+大学院生2人)。

SeminarPanel

ゼミは今回も、パンダフル島の会議室で行った。学期末テストの時期だったこともあり、学校の研究室やコンピュータ室などで参加した人が多かった。さらに、自宅から参加した人もいた。 ゼミは、個人研究の進捗報告を簡単にした後、輪読に入った。このときの輪読文献は、高安秀樹さんの『経済物理学の発見』の後半部分だ。チャットで輪読発表と議論が進められた。今回も、輪読する文献やレジュメは、形だけのものを作成しておいた。

SeminarPresen BookAndHandout

 今回の参加者の感想からも、いくつか抜粋してみることにしよう。まずはやはり、「同じ空間にいる感覚がする」という点について言及している人が多い。

- 「今回みたいに時間を指定すれば、みんなRealLifeでは違う場所にいても、SecondLifeでは集まることができるんだなぁと、当たり前のことなんですが、なんだか不思議な気分でした。はじめはメッセと似たような感じなのかなぁと思っていたのですが、メッセと違ってそれぞれの顔や動きが分かるので面白いですね。三次元なので、「そこに人がいる」というのがはっきり分かりますし。」

- 「自分が思っていたよりも、同じ空間にいる感じはありました。それは、リアル世界でも同じ空間にいた人が数人いたからかもしれないですが、それでも、誰かが立って歩いたり、人が新しく入ってきたりすると、文字情報以外の視覚情報で得られる感覚の大きさを感じたりしました。」

- 「セカンドライフの利点は人の位置関係とかが分かるということと、画像とかがその場で見られるということだと思います。なので、位置関係で何かが変わるような取組みをすると、ただのチャットで終わらないものになるのではないでしょうか。」

- 「何をしているのかがキャラクターの動きで分かるというのは、メッセンジャーとは異なる興味深い特徴だと思いました。メッセンジャーでは過去の情報は見ることができるけど、話している瞬間に関しては予想しかできなかったのに対して、セカンドライフではある程度今何をしているのかを振る舞いから知ることができるのが面白く感じました。」


 興味深いことに、今回の取り組みでは、チャットにおいて顔文字が頻繁に使われた。チャットに慣れているからかわからないが、アバターの3次元表現があるにもかかわらず、笑いや苦笑が顔文字で表現されることが多かった。画面上でチャットのウィンドウに注目していると、アバターの動きが目に入りにくくなるため、ある意味自然な結果だったともいえる。チャットで顔文字が使われるというのは、こんな感じだ。↓

FaceCharacter

参加者の感想にも、その点について触れられていた。

- 「アバターが視覚情報として与えられているのに、顔文字を打たなければならない感覚は不思議でした。表情や抑揚って、会話において非常に重要な要素なのだと改めて感じました。」

- 「目が合うというか話してる人の顔が見れるともっと違った印象になるのかなと思いました。客観的に見ているだけだと、話してる内容と話してる人の姿があまり一致しないので、文字は文字、人は人という感じで、話の内容に注力していると普段のメッセとの違いはあまり感じませんでした。」

- 「セカンドライフで3Dの凝ったアバターがあるのに、メッセージで顔文字などを使って表情を表現していることが少し違和感を感じました。アバターの表情が読み取れるようになると良いですね。」

- 「現実世界では聞いている人の反応をそのまま知ることができるけど、SL上では発言しないと参加している感が薄いと思いました。でも、SL上での新常識で、顔文字を使うとか「()」の中に入れるとちょっと言ってみた雰囲気になったりして、いろいろと新常識が誕生していくんだろうと思います。」


realwold さらに、フォーマルな会話とインフォーマルの会話が、リアルとヴァーチャルで入れ替わったという点も面白かった。どういうことかというと、通常のゼミでは、現実世界での会話がフォーマルで、PC上のチャットはインフォーマルな会話となる(井庭研は以前から、学生の提案により、ゼミ中のPC使用は禁止なので、そういうことはないけれど)。しかし、セカンドライフ上のゼミでは、PC上のチャットがフォーマルで、現実世界での会話がインフォーマルとなる。今回、研究室では僕を含め3人いたので、チャットでの発言に対し、口頭で突っ込みを入れたり、笑いあったりしていた。この入れ替えは、なかなか面白い感覚だった。

- 「授業中に友達とチャットしていることは本来ダメなことですが、昨日はパソコンの中の会話がすべきことで周りにいる人との会話はその時では余計なおしゃべり扱いでおもしろい感覚でした。」

- 「セカンドライフで集まって何かするというのは新しい取組だったので、楽しんで参加できました。ただ、自分は共同研究室で何人かと一緒にいたので、わいわいやっていられましたが、 一人で画面に向かっていたら鬱になりそうな感じはしました。」

- 「SLでは顔文字などで笑っていることを表現したりしても、現実の私は正直全く笑っていないので、こういう仮想空間が当たり前になると、今でも無表情なのにさらに無表情になっていくんだとうと少し不安です。」


 たしかに、ヴァーチャル世界におけるアバターが派手な動きや表情をしたとしても、操作している現実世界の自分は無表情だったりすると、精神的に分裂症気味になっていくかもしれない。チャットと異なり、画面上に「自分」がいるのだから、事はさらに深刻だ。

 むしろ、Webカメラの映像をもとに現実世界のユーザーの動きや表情をキャプチャして、それをアバターに反映してくれたらいいのにね。技術的にはある程度できそう。もしかしたら、そんな日も近いのかもしれない。

SeminarScreen

慶應義塾大学 SFC
総合政策学部/環境情報学部/政策・メディア研究科
井庭研究会2「新しい思考の道具をつくる:複雑系とシミュレーションによる社会研究」
担当:井庭 崇
ヴァーチャル世界の探険 | - | -

井庭研究会2007年度夏休みの宿題

井庭研の今年の夏休みの宿題は、「ウェブと社会の未来を考える。」がテーマだ。ここで紹介することにしたい。



井庭研究会 2007年度夏休みの宿題
「ウェブと社会の未来を考える。」


時代感覚をつかみ、未来を想像し、じっくり考え、自分なりのヴィジョンを生み出し、そしてそれを書き上げるという能力を身につけてもらうため、以下のような夏休みの宿題を設定します。よく読んで、しっかり取り組んでください。

Aさん「井庭研ってどんな研究をやってるんだろう?」
Bさん「調べてみようか。えっと、「井庭研」っと。」
    (Googleで「井庭研」をキーワードに検索。)
Bさん「研究室のホームページがあったよ。どれどれ。」
Aさん「へぇ、こういうことをやってるんだ!」
 ・・・

 このように、今日知りたいことがある場合には、まずウェブで調べるということが日常的に行われています。しかし、ほんの十数年前、このようなことはまったくありませんでした。というのは、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)というものが存在しなかったからです。いまではごく当たり前の存在であるため、そのような時代は想像できないかもしれませんが、WWWは実はごく最近の社会技術なのです。
 ここ十数年で、世界は大きく変わりました。情報通信のひとつの技術にすぎなかったインターネットが、社会的なインフラとして不可欠なものになりました。そしてその上に、新しい社会が構築されているのです。そこではオープンなコラボレーションなど、従来では考えられなかった可能性も見え始めています。
 今後社会は、どのような方向に進んでいくのでしょうか? そこでの可能性や問題点はどのようなものでしょうか? そういったことを考えるためには、表層的で一時的な現象に囚われることなく、その本質を理解する必要があります。ウェブの登場で社会の何が変わったのか、変えつつあるのか、ということを踏まえて、「ウェブと社会の未来」について自由に論じてください。
 以下の3冊が、宿題に取り組むための基本文献です。これを軽く読みこなした上で、自分なりに「ウェブと社会の未来」について論じてください。論じるときには、たんなる本のまとめや一般論ではなく、「自分なりの視点・切り口」をもってオリジナルな論考を書き上げてください(授業のレポートのような浅い議論にならないように)。

『フラット化する世界』(上)(下)(トーマス・フリードマン, 日本経済新聞社, 2006)
『Google誕生:ガレージで生まれたサーチ・モンスター』(デビッド・ヴァイス, マーク・マルシード, イースト・プレス, 2006)
『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』(ドン・タプスコット, アンソニー・D・ウィリアムズ, 日経BP社, 2007)

WorldIsFlat1Book WorldIsFlat2Book GoogleBook WikinomicsBook

 今回の宿題は、文献を読むことではなく、文献を読んでから「考える」ことが重要なので、文献は早めに読んでしまってください。ポイントは、視点・切り口を工夫すること、しっかり考え、書いたものを推敲することです。また、誰がやっても同じというような、単なる「未来予測」にならないように、「自分」をうまく反映させてください。「The best way to predict the future is to invent it」(Alan Kay)ということを忘れずに。

【理解・発想の補助線】
 以上の本に加えて、深い理解や新しい発想を得るためのおすすめの本には、例えば、次のものがあります。
●『Webの創成:World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか』(ティム・バーナーズ-リー, 毎日コミュニケーションズ, 2001)
●『リテラリーマシン:ハイパーテキスト原論』(テッド・ネルソン, アスキー, 1994)
●『ウェブ進化論:本当の大変化はこれから始まる』(梅田 望夫, 筑摩書房, 2006)
●『ロングテール:「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』(クリス アンダーソン, 早川書房, 2006)

このほかにも関係する本はいろいろあるので、各自本屋さんで探してみてください。
井庭研だより | - | -

ニクラス・ルーマンの著作歴

LuhmannBookHistoryオートポイエーシスの社会システム理論の提唱者であるニクラス・ルーマン(1927-1998)の著作歴を、年表風にまとめたので紹介したい。

 「社会システム理論」の授業用に作成したものだが、あまりこのようなまとめ方をしたものを見たことがないと思うので、参考にどうぞ。取り上げた本は、基本的には邦訳があるものを中心に選んでいる。たしか、ルーマンは60冊くらい本を書いているという話。すごいなぁ。

Paper 「ニクラス・ルーマンの著作歴」(PDF)
- | - | -

セカンドライフ上でゼミを実施(井庭研究会1)

井庭研究会では、先日、正規のゼミをセカンドライフ上で実施した(2007年7月10日)。僕が担当する2つ研究会の両方で行ったのだが、まずは井庭研究会1「理論と実践の社会研究」での実践について紹介したい。この研究会では、社会学者ニクラス・ルーマンの社会システム理論をベースに、新しい捉え方で社会を理解し、新しい方法による実践を行うという研究に取り組んでいる。この研究会には、現在16人が参加者している(学部生14人+大学院生2人)。
ilab1-seminar

 セカンドライフ上でのゼミは、パンダフル島の会議室で行った。この会議室も、研究会のメンバーがつくったものだ。この場所に、ゼミが始まる時間の少し前から、研究会メンバーが集ってきた。この日は補講期間中でほとんど授業がなかったので、それぞれ家にいたり、カフェにいたり、学校で課題をやっていたりした。

 ゼミは、いつものように僕の話のあと、個人研究の進捗報告をそれぞれ行った。僕の話も進捗報告も、チャットで行う。いつもであればサッと終わる報告も、キー入力のスピードに引きずられて結構長い時間かかってしまった。チャットの世界というのは、キー入力のスピードが、コミュニケーション能力を規定する最初の要因になっているのだ。ある意味シビアな世界だ。

 SeminarRoom Seminar1

 その後、輪読に入った。このときの輪読文献は、リチャード・フロリダの『The Rise of Creative Class』の後半部分だ。チャットで輪読発表と議論が進められた。内容的に面白かったのは、創造性と「場所」についての議論だ。フロリダは創造的な活動のために実際の「場所」を重視するが、セカンドライフのような「場」を、僕らはどう捉えていけばいいのか? この点について、ゼミ方法と輪読内容が連動して、面白い議論が展開された。

BookAndHandout 輪読する文献やレジュメについても、形だけだが、セカンドライフ上にも作成しておいた。残念ながら、この本は開いて読むことはできない。参加者は、現実世界で手元にある本物の書籍をめくることになる。輪読レジュメについても、本物のレジュメがテクスチャとして貼られているが、読みづらいので、すでにメールで送られていたレジュメを読むことになる。

 結局3時間ほど、セカンドライフ上でゼミを行ったが、終わったあとは、どっと疲れが出た。参加者はそれぞれにいろんなことを考えたようだ。通常のゼミとは異なる雰囲気と異なるコミュニケーションの連鎖を生み出す。このことについて、いくつか参加者の感想を取り上げてみよう。

- 「みんなが沈黙する場面がなかった。・・・・・発言しやすいという雰囲気はやはりあると思う。」

- 「私は自宅から参加したのですが、自分の部屋だと気持ち的に楽で、思ったことが言えた気がします。」

- 「自分の家からやってたんでリラックスして出来るかなぁと思ったのですが、案外そこまででもなかったです。でも発言がしやすいというのは感じたので、(ブレストみたいな)立場を気にしないほうが効果を生むようなことには向いていると思いました。」

 これらは発言のしやすさという気持ちの問題だが、チャットで会話することの実質的なメリットもある。複数人が同時並行で書くことができるということと、ログが残るということだ。

- 「対面下では二人同時に別々の話題で会話をするということはありえないが、テキストでの会話ならそれも可能になる(発言のタイミングにこだわる必要性が低い)というのも、発言しやすい理由の一つだろう。」

- 「会話のやりとりがチャットで記憶されるため、何を言っていたか確認するのに便利だと感じました。」

SeminarChat しかし、セカンドライフでゼミを行うことの最も重要な点は、単なるチャットと違って、同じ場に「いる」という感覚があるということだ。チャットの場合は、しばらく文字を打っていない人の存在感はどんどん薄れていってしまうが、セカンドライフでは黙っているアバターの姿が見える。しばらく何も操作しないと、アバターはウトウトしだすので、メンバー間で「起きろ~」なんて発言があったりする。このようなヴァーチャルな存在感については、参加者の感想でも指摘されている。

- 「お互いにリアルでは同じ場所にはいないのに、セカンドライフ上では同じ場所にアバターが集まっていて、それが意外と「同じ場所にいる感覚」がするものだなぁ、というのが発見でした。この同じ場所にいる感覚、というのがただのチャットと違うところなんだなぁと思います。」

- 「会話に参加していない人も、アバターによって認識できるという点、そしてその場を共有しているという雰囲気が議論を有意義なものにするのかなと思いました。」

- 「ちょうど今朝、ポリコムのテストで3地点を結んだのですが、同じ画面上にいるという共通点はあるものの、Second Lifeでバーチャルでありながらも同じ場にいるのと、明らかに別の場所にいるのでは、会話をするときの距離感が違うと感じました。(SecondLifeのほうが近く感じて、同じ場にいるという感覚がありました)」

- 「一体のアバターが動くということが多くの可能性をもたらしてくれそうです。インターネットでは個人はあまり見ることができないので。」

 あとは、PCのスペックや通信速度の問題で、動きが粗く、反応も悪かったという感想もあった。それだけでなく、本体が異様に熱くなったりフリーズしてしまったりする人が数名いた。今後、このような場を設けるときには、参加者の参加環境についても意識しておくことが重要だということがわかった。

 このように、実際にセカンドライフ上でのゼミを行ってみると、いろいろなことを感じ、考えることができた。なかなか面白い試みだったと思う。

SeminarScreen


慶應義塾大学 SFC
総合政策学部/環境情報学部/政策・メディア研究科
井庭研究会1「理論と実践の社会研究:社会システム理論を究める」
担当:井庭 崇
ヴァーチャル世界の探険 | - | -

日本初 !? セカンドライフの世界を通したゲスト講演

今学期、僕の授業「コラボレーション技法ワークショップ」では、セカンドライフに関するゲストスピーカー講演を行った(2007年6月19日)。ゲストスピーカーには、千葉 功太郎さんと秋山 剛さんをお迎えしたのだが、この講演が「普通」の講演ではなく、とてもユニークなものだったので、ここで紹介することにしたい。

Collabo-Guest3 この講演のテーマは、「セカンドライフの紹介」と「セカンドライフ上でのモノづくりの方法」について。ゲストスピーカーの千葉さんは、先日各種メディアで話題になった参議院議員の鈴木寛さんのセカンドライフでの試み(日本の国会議員として初めてのセカンドライフ事務所開設や、そこでの演説会)をプロデュースした人だ。実はSFCの卒業生で、僕の昔からの友人でもある。もうひとりの秋山さんは、同じく鈴木寛さんのセカンドライフ事務所などを手がけているモデラーだ。

 セカンドライフとは何か、どのような可能性があるのか、そして、セカンドライフ上ではどのようにモノをつくることができるのか? この授業は2コマ連続開講(90分×2)なので、たっぷりと時間をかけてレクチャーをしてもらった。 履修者のなかには、セカンドライフを知っている人もいたが、知らなかった人がほとんどだった。

 実はこの講演中、二人のゲストスピーカーのうち、実際に教室に来たのは千葉さんだけで、秋山さんは教室には一切顔を出していない。秋山さんは沖縄在住で、この日も沖縄からネットワーク中継で講演をしてもらったのだ。こういう場合、よくあるのは「ポリコム」(Polycom)によって映像・音声の中継をするというものだが、今回はセカンドライフの世界を通して、遠隔講演をしてもらった。秋山さんの姿はセカンドライフ上のアバターとして、そして音声はSkypeを使って中継した。

  Collabo-Guest3 Collabo-Guest2

 セカンドライフでモノをつくるときには、外部のツールで作ったものをヴァーチャル世界に持ち込むのではなく、その世界内でモノをつくる。そして、その作業を、他のアバターが見ることもできる。今回はその仕組みを活かして、アバターによる実演をしてもらいながら、ものづくりの方法について語ってもらったのだ。そのときも、一人でしゃべり続けるというよりも、途中で千葉さんや僕がつっこんだり質問したりというコミュニケーションの連鎖を、履修者が見るというスタイルになった。これはなかなか面白かった。また、秋山さんも、体を張った(アバターの体だが)ギャグで、会場をわかせていた。最初に登場したときには床で倒れ込んでいたし(眠っている振り)、アバターはスターウォーズのStormtrooperの姿なのに頭にキャンディを乗せていたり、いろいろなアバターを着ぐるみを着てみたり、と、ヴァーチャルならではの新しい笑わせ方だった。

 講演を聞いた履修者の感想には、セカンドライフの世界と可能性に触れて「とても面白かった」、「興味深い内容で刺激的だった」、「感動した」というようなものが多かった。それに加えて、今回の実験的な講演スタイルについても刺激を受けてくれたようだ。

item 「本日の講演は非常に刺激的なものでした。まず何よりも、セカンドライフ上のアバターとSkypeの音声を使って授業を行うというスタイル自体が画期的で、大変面白かったです。」(1年生・男)

item 「画面に映っているものを動かしているのが、講演してくださっている方であるということで、どこからともなく親近感が湧き、通常の形態の講演よりも興味深く、そして楽しくお話を聞くことができたように思います。」(1年生・女)

item 「アバターを用いて講演という奇抜なアイデアも、よりセカンドライフの面白さを引き出すと同時に、分かりやすくて全く飽きることなく聞くことが出来た。」(1年生・女)

item 「今までにないもので興味深かったし、新鮮だった。そしてセカンドライフの先進性、創造性というのが全体を通してよく伝わってきた。」(1年生・男)

item 「今までは遠隔講義といえば、別のところで行われている講義が映像で流れてくるだけであったが、SLでの別世界からの(そしてこちらの世界にはいないキャラクターからの)講義は新鮮かつ、なぜか映像講義より、より身近に感じた。これからSLの中にSFC(SL版)をつくり、GCなどはそこから見ることができるようにし、また特別な講義などもそこで行えたら今までより世界中に情報を発信できるかもしれない。世界各国の人と一緒にSFCの講義を受けて一緒にグループワークが行えるようになったらSFCの講義が本当の意味で生きてくると思う。」(2年生・女)


 大学の正規の授業で、セカンドライフを通してアバターで講演をしてもらったのは、初めての試みなのではないだろうか。少なくとも日本においては聞いたことがないと思う(国内外を問わず、先行事例を知っている方がいたら、ぜひ教えてください)。

Collab-Guest1-2慶應義塾大学 SFC
総合政策学部/環境情報学部
創造実践科目:2007年度春学期開講
「コラボレーション技法ワークショップ」
担当:井庭 崇
ヴァーチャル世界の探険 | - | -

パンダフル島 (Pandaful Island)

セカンドライフ上で僕が所有している島は、「パンダフル島」(Pandaful Island)という名前の島だ。

PandafulShape名前の通り「パンダ」をモチーフとした島で、その外観もかわいいパンダの形をしている(島の基本形から、地道に整地してこの形にしたのだ)。なぜパンダなのかというと………それは単にパンダが好きだから(笑)。あと、せっかく島を所有するなら、チャーミングな島がいいと思ったからだ。

パンダフル島のオープンは、8月中旬を目指している。現在、それに向けてミュージアムを建築中だ。あとは、僕の研究会や授業でいろいろな実験を行っている。この島はまだ一般アクセスできない設定になっているので、このブログではいろいろと島の様子・出来事を紹介していきたいと思う。

Pandaful-Scene1Pandaful-Scene2Pandaful-Scene3

"Pandaful" = Location (875, 1010) @ Second Life
ヴァーチャル世界の探険 | - | -

「イノベーター精神とプロデューサー感覚を」(井庭 崇)

前の記事で、学生に「未開のフロンティア」=「新しい遊び場」を提供するために、セカンドライフの島を買ったという話をしたが、どうやら僕はずいぶん前からこういうことの重要性を考えていたようだ。

SFCreview6 僕がまだ博士課程の学生だったころ、雑誌に「未開のフロンティア」の重要性を書いていたのを思い出した。「私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。………コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである」とか、「社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということ」こそが大学が行うべきことだ、ということを、今から7年前にも考えていたようだ。

 懐かしく読み返してみると、いまでも同じ気持ちでいることに驚かされる。せっかくの機会なので、ここで紹介することにしたい。この記事は2000年に『KEIO SFC REVIEW』という雑誌に書いたものだ。その号は、SFC創設10周年記念号で、「慶應義塾大学SFCこれまでの10年、これからの100年」という特集が組まれていた。以下のものは、その一環として書いたものだ。



「イノベーター精神とプロデューサー感覚を」(井庭 崇, KEIO SFC REVIEW No.6, 2000年4月1日, p.115)

 試行錯誤を通してしか身につかないものがある。ここで取り上げたいイノベーター精神やプロデューサー感覚というものは、そういった類のものだ。人が何か新しいことをするとき、あるいは小さな物事を大きな規模に育てていくとき、その試行錯誤の過程において体得するものは計り知れない。ところが社会基盤が整備されグローバル化や大規模化が進むと、このような体験は困難になる。既にある枠組みの中で、後から入ってきた世代がフォロワーになってしまうのである。その結果、組織や社会の活力が失われてしまうということは、日本社会や企業、大学などが現在直面している共通の問題ではないだろうか。

 このような状況を打破するための姿勢と方法を、私はイノベーター(クリエーター)とプロデューサーから学ぶことがことができると考えている。そこには、研究や創作、開発、ビジネスといった個別活動の背後にある共通のエッセンスが存在するように思うからである。

 イノベーションとは新しい何かを生み出すことだが、上記の個別活動はイノベーションを起こすということに他ならない。それは、既存の選択肢の中からどれかを選ぶという行為ではなく、新しい選択肢を創っていくという行為である。そのためには既存の選択肢に満足せず、その矛盾や限界を見抜き、一歩引いて新たな次元から物事を眺めてみる姿勢が重要である(複雑系科学では、このプロセスこそが生命が根本的にもつ生命性・創造性だといわれている)。

 もう一つ重要なのが、プロデューサー感覚である。問題解決に取り組む場合、単に解決のための思索に全エネルギーを注ぐのではなく、絶えず全体像をイメージして全体と部分との間を行き来する、そういったプロセスが重要である。その全工程の調整やバランスの感覚が、プロデューサー感覚ということである。

 私は、私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。生まれた時には既に日本社会の枠組みが存在し、新しいことをするのが困難だったものの、コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである。それは今までの常識が通用しないフロンティアであり、何ができるかは想像できない。何もないから小さな試行錯誤が可能であるし、小さなことでも注目や反応がある。そういったことが、ネットワークを駆使した創作やベンチャービジネスという形で体験されていったのである。

 世の中には直近で考えるべき問題がたくさんあるのは言うまでもない。また情報通信技術を活用してどのような社会をつくっていくのか、ということもまた重要な課題である。しかし同時に、社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということも、社会の中での研究機関・社会提言装置としてのSFCの役割だろう。そして、イノベーター精神やプロデューサー感覚を持った人材をいかに社会に送り込んでいくのか。それもまた、教育機関としてのSFCの果たすべき役割なのである。しばらくの間、私は学生という立場でこの課題に取り組み、実践していきたいと考えている。

(井庭崇, 2000)

「研究」と「学び」について | - | -
CATEGORIES
NEW ENTRIES
RECOMMEND
ARCHIVES
PROFILE
OTHER