井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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モバイル時代の英語力強化法

人工知能学会誌 Vol. 25 No. 5(2010 年9 月)の「世界のAI,日本のAI」のコーナーにエッセイを書きました。

  • 井庭 崇, 「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」, 人工知能学会誌 Vol. 25 No. 5, pp.710-714, 2010 年9 月

    以下、そのイントロ部分。



    昨年度(2009 年度),1 年間大学業務をお休みし,海外で研究する貴重な機会をいただいた.筆者が所属したのは,MIT Center for Collective Intelligence という,マサチューセッツ工科大学スローン経営学大学院の研究所である.研究所のディレクターは,『The Future of Work』[Malone 04] の著者であり,情報技術が経営・組織をどう変えるのかを長年論じてきたThomas W. Malone 教授である.オープンソース開発やオープンコラボレーション,予測市場などの「集合知による新しい組織化」が社会・組織の在り方をいかに変えるのかを考え,実践する研究所である.

    筆者は, この研究所のResearch Scientist であるPeter Gloor 氏と,彼のもとに集まる学生・研究員との共同研究プロジェクトに参加した.Gloor 氏は,ダイナミックなネットワーク分析によってトレンドの予測をするという,この分野では珍しいタイプの研究をしている研究者である(その成果は,彼の『Swarm Creativity』[Gloor 06] や『Coolhunting』[Gloor 07],『Coolfarming』[Gloor 10] という本で紹介されている).筆者は,この研究所を軸足として,MIT Media Lab,Harvard University Graduate School of Design,Harvard Kennedy School,Northeastern University などにも,ことあるごとに足を運んだ.ボストンならではの多様な知的コミュニティとそこでの交流を垣間見ることができた.

    このエッセイでは,筆者自身が1 年間の滞在を通じて最も強く感じ考えたことについて書こうと思う.それは,簡単にいうならば,「英語力は,いったいどうやったら伸ばすことができるのか」ということである.筆者は滞在中,これまで日本で長い期間英語教育を受けてきたにもかかわらず,どうして自分はこれほどまでに英語ができないのか,と何度も情けなるとともに,自分や日本の英語教育に対してある種の怒りさえ覚えた.日米の研究スタイルの違いなどよりも,何よりもこの英語の問題が最も痛感した問題なので,このエッセイのテーマを「英語」にすべきだと判断した.変に格好をつけたりせず,まずは,筆者の経験を赤裸々に語ることにしよう.そのうえで,どうしたら英語力を高めることができるのか,特に日本にいながらそれを行うにはどうしたらよいのかについて,筆者の考えを書くことにしたい.
    ・・・



    続きは、学会誌の方をご覧ください。かなり具体的な方法や、おすすめのコンテンツについても書いてあります。以下が、エッセイ内の目次です。

    「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇)

    1. 米国での研究生活で感じた自分の英語力の低さ

     1.1 スピーキング
     1.2 リスニング
     1.3 ライティング
     1.4 リーディング

    2. 日本にいながら英語力を高める方法

     2.1 「言語のシャワー」を浴びる環境をつくる
     2.2 表現のストックをため込む/使う

    3. 多面的なアプローチによるスパイラルアップ

  • 英語漬け生活 | - | -

    英語能力をどう強化するか

    今回のアメリカ生活は、留学経験のない僕にとっては、いろいろと学ぶことが多い。

    こちらの生活や文化についてもそうなのだけれども、外国語(英語)の習得ということについても、いろいろ考えさせられる。実際、英語が通じなくて苦労することが多い。旅行の英語はあんまり問題ないのだけど、日常的な会話(なにげない話)や研究の話は、相当厳しい。これにはいくつかの理由がある。


    まず、言い回しや表現のパターンが、自分のなかにまったくストックされていないということを痛感している。レゴで、ブロックがないので何もつくれない、というイメージ。竹中先生が『竹中式マトリックス勉強法』に書いていたが、「頭に『英語』が入っていなければ、逆立ちしたって喋れない」は本当だと思う。

    そんなわけで、今年僕は、これまで日本語で読んでいた本も、英語で読み直している。単語や言い回しを身につけようと思って。そうすると、知りたかった単語や言い回しだけでなくて、日本語では何気なくできてしまうような、話の展開のための言い回しや補足的な文の言い回しについても学ぶことができる。内容的にはすでに知っていることなので、純粋に英語の勉強になっている。


    そして次に、発音や喋り方のリズムというのも、なんとかしないと通じないと痛感している。日本ではしばしば「発音は気にしなくていい。それよりも積極的にしゃべることが重要」というようなことが言われるが、それは一面では正しいが、他方で正しくないと思う。やっぱり、発音やリズムの基本ができていないと、伝わらないのは事実。しかも、話していてつらい。これは、意識して練習しないとうまくならないと思った。

    最近、教会で開催されているESLに行っているのだけど、そこで参加しているAcademic Presentation & Pronunciationというクラスのやり方が、とてもよい。そのクラスでは、自分の研究に関係する単語で、言いたいけどうまく言えないものを持ち寄って、みんなで練習する。これがものすごくためになる。みんな専門分野は違うのだけど、だいたいもってくる単語は、一般的なものになる。例えば、僕の研究に重要な単語、"pattern"とか"theory"("systems theory")とかの発音がよくなった。これまでなかなか通じにくかったんだよね。一般的な単語で発音練習するだけでなく、自分の言いたい単語がうまくなるので満足度も高い。これだけでは足りないと思うけど、いままで考えたことがないやり方なので、日本の大学・大学院の英語教育でもどんどんやったらいいと思った。

    リズムや会話のテンポ・展開については、英語ドラマを見るといいと言われているが、たしかにそうだと思う。僕もたまにDVDで見たりしているが、研究の時間を減らしてドラマを見るというのが、なかなか難しくて、あまり実践できていない。でも、効果はありそう。


    そして最後に、持久力の面でも、限界を感じる。学会で個々の発表を聞くのは、なんとかいけたとしても、一日英語の発表を聞き続けると、疲れ果ててしまう。コーヒーブレイクは交流のチャンスなのだけど、もはや誰かと話そうという気力が起きない。もったいない。でも、これは純粋に経験値の問題だと思う。長い時間英語を聞き続ける経験を積むしかないんじゃないかな。「言語のシャワー」を浴び続けるしかない。


    というわけで、僕の最近の考えとしては、大学・大学院での英語教育では、研究分野の徹底した読書と、各自の研究に関係する発音や喋り方のリズムを強化をすべきだと思う。持久力については、日本で長く英語に触れる環境をつくるのは難しいと思うので、英語のオーディオブックとかインターネットラジオをずっと聞き続けるというのが、いまのところ考えられる現実的な策だと思う。

    いずれにしても、こちらに来ている各国の人たちを見ていると、日本はもっともっと英語を強化しないとまずいと思う。大学・大学院は、多面的に、しかし徹底して学ぶチャンスをもっと提供し、各自はそれをフルに活用しながら、自らの英語能力を強化する。そのための「断固たる決意」が、今必要だと思う。
    「研究」と「学び」について | - | -

    【英語で読む!講座】 Thing Knowledge (物のかたちをした知識) その2

    引き続き、Thing Knowledge; A Philosophy of Scientific Instruments(Davis Baird, University of California Press, 2004)、邦訳『物のかたちをした知識:実験機器の哲学』(デービス・ベアード, 松浦 俊輔 (訳), 青土社, 2005) を取り上げたい。

    この本では、"Thing Knowledge" (物のかたちをした知識) について論じられているが、その事例として、この本で最初に取り上げられているのが、マイケル・ファラデーの器具である。

    "On September 3 and 4, 1821, Michael Faraday, then aged thirty, performed a series of experiments that ultimately produced what were called "electromagnetic rotations." Faraday showed how an appropriately organized combination of electric and magnetic elements would produce rotary motion. He invented the first electromagnetic motor."(p.1)
    「1821年9月3日と4日、当時30歳のマイケル・ファラデーがいくつかの実験を行ない、これは最終的に、「電磁回転 (エレクトロマグネティック・ローテーション)」と呼ばれたものを生み出した。ファラデーが示したことは、電気と磁気の要素をしかるべく配置すれば、回転運動を生み出すことだった。初の電磁石によるモーターを発明したのである。」(邦訳 p.23)

    この部分でまず驚くのが、ファラデーが電磁回転を考え出したのが30歳だということ! 発見や発明って、結構このくらいの歳のときに起きていることって多いよね。本筋とは関係ないけど、ちょっと衝撃。

    "Faraday's work resulted in several "products." He published several papers describing his discovery. He wrote letters to many scientific colleagues. He built, or had build, several copies of an apparatus that, requiring no experimental knowledge or dexterity on the part of its user, would display the notable rotations, and he shipped these to his scientific colleagues."(p.1)
    「ファラデーの研究はいくつかの「産物 (プロダクト)」に結実した。その発見のことを述べる論文を何本か発表している。科学界の多くの仲間に手紙も書いた。ファラデーが組み立てたのは、実験に関する知識も手先の器用さも必要とせず、はっきりとした回転運動を示す何台かの器具 (アパレイタス) で、それを同じ分野の人々に送った。」(邦訳 p.24)

    "The apparatus produces a striking phenomenon: when an electric current is run through the wire, via the magnet and the mercury bath, the wire spins around the magnet. The observed behavior of Faraday's apparatus requires no interpretation. While there was considerable disagreement over the explanation for this phenomenon, no one contested what the apparatus did: it exhibited (still does) rotary motion as a consequence of a suitable combination of electric and magnetic elements."(p.2)
    「この器具は目を引く現象を生む。電流が導体から水銀だめを通ってワイヤに流れると、ワイヤは磁石のまわりを回転する。ファラデーの器具で観察されるふるまいには、解釈の余地はない。この現象の説明をめぐっては相当の異論があったものの、器具がしていることについてはほとんど一致していた。それは、電気と磁気の要素をしかるべく組み合わせた結果として、回転運動を示した (今でも示す) ということだ。」(邦訳 p.24)

    "Faraday's work resulted in several products."という言い回しは、結構使えそう。プロジェクトが、いくつかの成果を生み出すことはよくある話だろう。

    "apparatus" は、「器具」、「道具」、「装置」という意味だが、「一組の器具」や「装置一式」というニュアンスをもっている。"dexterity" は、「器用さ」、「腕前」、「うまさ」。
    二文目の"striking"は、「目立つ」、「人目をひく」、「印象的な」。"current" は、ここでは「現行の」という意味ではなく、「電流」。

    "The observed behavior of Faraday's apparatus requires no interpretation." と "While there was considerable disagreement over the explanation for this phenomenon, no one contested what the apparatus did" の部分は、"Thing Knowledge"を理解する上で重要な部分。実際に目の前で、回転運動をしているという事実は、解釈や理論を介さずとも事実なのだ。それがどのように可能となっているのかという「理論」の知識とは別に、そこに回転運動を体現している「物のかたち」をしている知識がある。これが、まさに Bairdの言う"Thing Knowledge"というわけだ。このことをBairdは、次のように象徴的な言葉で書き表している。

    "we learn by interacting with bits of the world even when our words for how these bits work are inadequate."(p.3)
    「この動きを言葉にして表したことが間違っていてさえ、われわれは世界のある断片をやりとりすることで、何かを学んでいる。」(邦訳 p.26)

    訳文ではわからないが、"world"、"words"、"work"あたりの重ね具合がうまいところ。

    そしてBairdは、この装置がもつ知識のことをわかっていたからこそ、ファラデーは手紙だけでなく装置も送ったのだ、という。

    "Why Faraday think it necessary to ship ready-made versions of this motor to his colleagues?"(p.3)
    「なぜファラデーは、この組み立てずみのモーターを、同業の人々に発送する必要があると思ったのだろう。」(邦訳 p.26)

    "When Faraday built it, this phenomenon was striking and proved to be very important for the future development of science and technology."(p.3)
    「ファラデーがこれを組み立てたとき、この現象は目を引き、科学と技術の将来の展開にとって非常に重要だということもわかった。」(邦訳 p.26)

    "it is significant that Faraday did not depend on the imaginations of his readers. He made and shipped "pocket editions" of his newly created phenomenon to his colleagues. He knew from his own experience how difficult it is to interpret descriptions of experimental discoveries. He also knew how difficult it is to fashion even a simple device like his motor and have it work reliably."(p.3)
    「ファラデーは、その読者の想像力に頼らなかった。そこが重要だ。ファラデーは、自分が新しく生み出した現象の「ポケット版」を作って、同じ分野の人々に送った。ファラデーは自身の経験から、実験による発見の記述を解釈することが、いかに難しいかを知っていた。ファラデーのモーターのような単純な装置でさえ、それをこしらえ、信頼できるように動かすのは難しいことも知っていた。」(邦訳 p.26)

    "The material product Faraday sent his colleagues encapsulated his considerable manipulative skill ------ his "fingertip knowledge" ------ in such a way that someone without the requisite skill could still experience the new phenomenon firsthand. He did not have to depend either on the skills of his colleagues or on their ability to interpret a verbal description of his device. He could depend on the ability of the device itself to communicate the fact of the phenomenon it exhibited."(p.3)
    「ファラデーが送った実物は、ファラデーの相当の操作の腕------ファラデーの「手についた (フィンガーチップ)」知------も具現していた。そのため、作るのに必要な技能がない人でも、新しい現象を直接体験できた。送った相手の技能にも、言葉による説明を解釈する能力にも頼る必要がなかった。装置そのものが、それが示す現象という事実を伝える力をあてにすることができた。」(邦訳 p.26)

    "ready-made"は、「既製の」という意味よりは、「すぐ使える」の意味。
    "the future development of science and technology"という表現、かっこいいねぇ。今後、どこかで使えそう。
    "fingertip"は、「指先」や「すぐ利用できる」の意味。"fingertip knowledge"は、ファラデーであればすぐに出来てしまう身体知のことだろう。

    ということで、今回は、"Thing Knowledge"の具体例として、ファラデーのモーターを取り上げた。次回は、ファラデーの装置のようなものと理論の間にある「モデル」について取り上げることにしたい。
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    【英語で読む!講座】 Thing Knowledge (物のかたちをした知識) その1

    Imagined World (科学の未来)に引き続き、新しい観点の科学哲学の本を取り上げることにしたい。

    今回紹介したいのは、科学的な知識というものは、理論のなかだけにあるのではなく、物のなかにもあると主張する Davis Baird の Thing Knowledge という本だ。ふつう、知識というものは、形式的なものであれ、暗黙的なものであれ、「物」ではないと考える。というよりも、そもそも知識が物というかたちをとっているという発想はない。

    Bairdは、この本で、物が体現する知識というものに着目し、その視点の重要性を唱える。科学的な装置は、単に理論を生み出す補助的な道具なのではなく、そのものが知識だというわけである。

    この新しい知識論は、概念・方法・道具という軸で研究する僕にとっては、かなり重要な視点となる。具体的にいうと、「思考の道具」としてのシミュレーションモデルとは何か、ということを真に理解するためにも、この"Thing Knowledge"という考え方は重要なのだ。

    Book_ThingKnowledge.jpgDavis Baird, Thing Knowledge; A Philosophy of Scientific Instruments, University of California Press, 2004

    邦訳は、『物のかたちをした知識:実験機器の哲学』(デービス・ベアード, 松浦 俊輔 (訳), 青土社, 2005

    まず、この本の基本的な視点は、以下の一文に集約される。

    "Things and theory can both constitute our knowledge of the world."(p.12)
    「物と理論は、いずれもわれわれの世界に関する知識を構成しうる。」(邦訳 p.37)

    "constitute"は、この本でよく出てくるのだが、「~を構成する」の意味。類義語である"compose"や"comprise"、"consist"に比べ、抽象的なものを構成するときに使われるという。

    この"Things and theory can both constitute our knowledge of the world."って、かっこいい表現だと思う。

    さて、この本の目的は、以下のとおり。

    "In this book I aim to contribute techniques for understanding the material products of technology and science. I do so by articulating a materialist epistemology for instrumentation. I argue for a material counterpart to our language-centered understanding of knowledge. Instruments, on par with theory, bear knowledge. Instruments are not in the intellectual basement; they occupy the same floor as our greatest theoretical contributions to understanding the world."(p.xvii)
    「本書で私がねらっているのは、技術と科学の物質的な産物を理解するための技法を提供することだ。それを機器使用のための実物論的(マテリアリスト)認識論を立てることで行なう。われわれの言語中心の知識理解に相当する、物による(マテリアル)理解の側に立って論じて行く。機器も、理論と並んで、知識を担っている。機器は知の土台ではない。世界の理解に対する最大の理論的貢献と同じ階を占めているのだ。」(邦訳 p.16)

    "Knowledge has been understood to be an affair of the mind. To know is to think, and in particular, to think thoughts expressible in words. Nonverbal creations --- from diagrams to densitometers --- are excluded as merely "instrumental"; they are pragmatic crutches that help thinking --- in the form of theory construction and interpretation. In this book I urge a different view. I argue for a materialist conception of knowledge. Along with theories, the material products of science and technology constitute knowledge. "(p.1)
    「知識とは頭の中のものだと理解されてきた。知とは考えることであり、とりわけ、言葉に表現できることを考えることだ。非言語的な産物------図解から光学濃度計まで------は、単なる「機器による補助(インスツルメンタル)」として除かれる。その類のものは、思考------構築された理論や解釈の形の------を助ける実用的な支柱だ。本書で私は、それとは違う見方を説く。知識の実物論的(マテリアリスト)なとらえ方を唱える。理論だけでなく、科学や技術の物質的な産物も知識を構成するのだ。」(邦訳 p.23)

    この本では、従来の言語的な知識論 ("language-centered understanding of knowledge") に対し、実物論的認識論 (materialist epistemology) を打ち立てることが目指されている。

    "epistemology"は、「認識論」(エピステモロジー)。知識の理論や科学哲学ともほぼ同義で使われるが、認識の起源や本質、諸形式について論ずる哲学の一部門である。知識や学問について語るときには、認識論的な考察は避けられない。ニクラス・ルーマンも、『社会システム理論』の最終章に「認識論にとっての諸帰結」という章を設けて、「認識論のシステム論的展開」ということを語っている。

    "materialist epistemology"の"materialist"は、"materialism"の立場(の人)という意味だが、ここは少し注意が必要だ。"materialism"は、分野によって、物質こそが真に存在するものだとする「唯物論」や、 宗教や超自然的な解釈を排除する「実質主義」、「実物主義」、「実利主義」など、いろいろな意味があるからだ。ここでは、「唯物論」や「実質主義」というような物に極端に偏る強い意味ではなく、「言葉」に対する「物」という点を強調して使われている、と捉えるべきだろう。このことは、「理論」と「物」の両方が知識である、と主張していることからもわかる。

    "instruments"は、「器具」、「器械」、「道具」、「楽器」などの意味があるが、道具のなかでも精密なものを指す場合が多い。"instrumental"は、「助けになる」、「手段になる」という意味。

    "on (a) par (with)"は、「同様で」、「同等で」という意味だそうだ。

    話を本の内容に戻そう。「物のかたちをした知識」も知識として捉える認識論は、従来の認識論の枠組みのなかに位置づけることができないが、科学と技術の関係を考えるうえで重要だという。

    "The kind of epistemology that I advocate here brings out relationships that, while of recognized importance, have not found a comfortable place in the philosophy of science and technology."(p.17)
    「私がここで唱えるような認識論は、重要性は認識されてはいるが、科学と技術の哲学に収まりのいい場所を、まだ見いだしていない。」(邦訳 p.46)

    "The most immediate consequence of recognizing instruments as knowledge is that the boundary between science and technology changes. Recent science studies scholarship has recognized a more fluid relationship between science and technology than earlier positivist and postpositivist philosophy of science. Still, it is to theoretical science that one turns to examine knowledge. Previously ignored contributions of craftsmen and engineers are now understood to have provided important, and in many cases essential, contributions to the growth of scientific knowledge. But it is theory that is seen to be growing."(p.18)
    「機器を知識として認識することから直ちに導かれる帰結は、科学と技術の境が変わるということだ。近年の科学研究の学者は、科学と技術の間に、かつての実証主義やポスト実証主義の科学哲学よりも、もっと流動的な関係があることを認識している。それでも、知識の検討のために目を向けるのは、理論的な科学だ。以前は無視されていた職人や技術者の寄与は、重要で、多くの事例では必須の寄与を、科学知識の成長に与えてきたと理解されている。しかし成長するのは理論らしい。」(邦訳 p.46)

    "The picture I offer here is different. I see developments of things and of theory as being on a par. In many cases, they interact, sometimes with beneficial results all around, but in many cases, too, they develop independently, again sometimes with beneficial results. Work done in industry, putting together bits of the material world, is as constitutive of knowledge as work done by `theoretical scientists.'"(p.18)
    「本書で私が出す構図は違う。物と理論の発達を同列に見る。多くの場合、両者は相互作用し、時には有益な結果をもたらすが、それぞれ別個に発達し、やはり有益な結果を伴う場合も多い。産業でなされる研究は、物の世界の部分とまとめられ、「理論科学者」によってなされる仕事と同じく、知識を構成している。」(邦訳 p.46)

    たしかに、このような新しい認識論は、「理論」が純粋な科学の産物であり、「物」は応用科学的なもの、もしくは工学的なものであるという見方を変えるだろう。知識創造ということを、矮小化して捉えないためにも、この本で提案されている考え方は重要だと思う。

    次回も引き続き、この本を取り上げたいと思う。次に取り上げるのは、この本で最初に事例として取り上げられているマイケル・ファラデーの器具についてである。
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    【英語で読む!講座】 Imagined Worlds (科学の未来)

    僕のアカデミックな活動は、「概念」、「方法」、「道具」をつくる、という3つの軸で構成されている(過去にも少しだけ書いたことがあるので、こちらを参照)。

    これに3つの軸に関連する話題として、科学革命に関するフリーマン・ダイソン(Freeman Dyson)の分類がある。ダイソンは、科学革命を、「概念による科学革命」(concept-driven revolution)と「道具による科学革命」(tool-driven revolution)の二つに分けて考えることが重要だと指摘している。今回は、その話を取り上げることにしたい。

    Book_ImaginedWorlds.jpgFreeman Dyson, Imagined Worlds, Harvard University Press, 1997
    今回取り上げるのは、この本の第2章"SCIENCE" の部分。

    邦訳は、『科学の未来』(フリーマン・ダイソン, はやし・はじめ, はやし・まさる (訳), みすず書房, 2005)。
    以下で取り上げる訳文は、この邦訳本より。

    この本は、以前、同僚の内藤さんに教えてもらったのだが、まさに僕の興味にドンピシャだった(内藤さん、ありがとう)。


    "There are two kinds of scientific revolutions, those driven by new tools and those driven by new concepts."(p.49)
    「科学革命には二つの種類がある。新しい道具によって推し進められるものと、新しい概念によって推し進められるものだ。」(邦訳 p.49)

    "The effect of a concept-driven revolution is to explain old things in new ways. The effect of a tool-driven revolution is to discover new things that have to be explained."(p.50)
    「概念によって推し進められた革命の効果は、昔ながらの物事を新しい仕方で説明することにある。道具によって推し進められた革命の効果は、説明すべき新しい物事を発見することにある。」(邦訳 p.50)

    "scientific revolution"は、言うまでもなく「科学革命」。科学者たちの拠って立つ「パラダイム」(paradigm)が変化すること。

    ダイソンによると、"scientific revolution"には、"concept-driven"のものと、"tool-driven"のものがあるというわけだ。邦訳書では、「概念によって推し進められる革命」や「道具によって推し進められる革命」と訳されているが、僕は短く「概念による科学革命」と「道具による科学革命」と訳すことにしたい。もちろん "-driven" なので、「~による」は「~によって推し進められる」というニュアンス。

    "-driven"という言い方で僕が思い出すのが、ソフトウェア分野の"Event-Driven ~"(イベントドリブン~, イベント駆動~)や"Model-Driven Architecture"(モデル駆動アーキテクチャ)など。「駆動」と訳されることが多いが、「○○ドリブン」というふうに言うことも多い。

    さて、話を戻すと、科学革命というので有名なのは、科学哲学者のトーマス・クーン(Thomas Kuhn)。クーンのいう科学革命はどう位置づけられるのだろうか。

    "Thomas Kuhn in his famous book, The Structure of Scientific Revolutions, talked almost exclusively about concepts and hardly at all about tools. "(p.49)
    「トーマス・クーンは、有名な『科学革命の構造』で、ほとんどもっぱら、概念について語っており、道具についてはほとんど語っていない。」(邦訳 p.49)

    "His idea of a scientific revolution is based on a single example, the revolution in theoretical physics that occurred in the 1920s with the advent of quantum mechanics. This was a prime example of a concept-driven revolution. Kuhn's book was so brilliantly written that it became an instant classic. It misled a whole generation of students and historians of science into believing that all scientific revolutions are concept-driven."(p.50)
    「クーンの考える科学革命の概念は、ただ一つの例にもとづいている。それは、一九二〇年代に起こった理論物理学の革命である。概念によって推し進められる革命の格好の例だ。クーンの本はその見事な筆致のため、たちまち古典的名著となった。この本のおかげで、まるまる一世代の科学研究者と科学史家が、科学革命はすべて概念によって推し進められると誤って信じた。」(邦訳 p.49)

    "The concept-driven revolutions are the ones that attract the most attention and have the greatest impact on the public awareness of science, but in fact they are comparatively rare."(p.50)
    「概念によって推し進められる革命は、最も注目され、一般の人々が科学について抱いている意識に最も大きなインパクトを与えるが、こういう革命は比較的まれなのだ。」(邦訳 p.49)

    それでは、概念による科学革命と、道具による科学革命の具体例としてはどういうものがあるのだろうか。

    "In the last 500 years, in addition to the quantum-mechanical revolution that Kuhn took as his model, we have had six major concept-driven revolutions, associated with the names of Copernicus, Newton, Darwin, Maxwell, Freud, and Einstein."(p.50)
    「この五〇〇年の間に、クーンがモデルとした量子力学革命のほかに、概念によって推し進められる大きな革命が六つ起こった。それぞれ、コペルニクス、ニュートン、ダーウィン、マクスウェル、フロイト、アインシュタインの名前と結びついている。」(邦訳 p.50)

    "During the same period there have been about twenty tool-driven revolutions, not so impressive to the general public but of equal importance to the progress of science."(p.50)
    「同じ時期に道具によって推し進められる革命は二〇ほど起こった。一般大衆にはそれほど強い印象を与えないが、科学の進歩にとっては同じくらい重要である。」(邦訳 p.49)

    "Two prime examples of tool-driven revolutions are the Galilean revolution resulting from the use of the telescope in astronomy, and the Crick-Watson revolution resulting from the use of X-ray diffraction to determine the structure of big molecules in biology."(p.50)
    「道具によって推し進められる革命の格好の例に、天文学で望遠鏡を使うようになったことから生じたガリレオ革命と、生物学で高分子の構造を特定するのにX線回析を使うようになったことから生じたクリック-ワトソン革命がある。」(邦訳 p.50)

    "After the Crick-Watson revolution of the 1950s, the next great tool-driven revolution was the advent of electronic computers and memory banks in the 1960s. Electronic data processing revolutionized every branch of experimental science, while electronic computer simulations revolutionized every branch of theoretical science. Both the Crick-Watson and the computer revolutions were driven by tools imported from physics."(p.51)
    「一九五〇年代のクリック-ワトソン革命の次に起こった、道具によって推し進められた大きな革命は、一九六〇年代の電子式コンピューターとメモリーバンクの登場だった。電子データ処理は、実験科学のあらゆる分野を革命的に変え、電子式コンピューター・シミュレーションは、理論科学のあらゆる分野を革命的に変えた。クリック-ワトソン革命もコンピューター革命も物理学から輸入された道具によって推し進められた。」(邦訳 p.50)

    "advent"は、「出現」、「到来」の意味。"the advent of ~"(~の出現, ~の到来)として使う。

    "revolutionize ~"は、「~に大変革をもたらす」、「~を激変(一変)させる」、「~根底(根本)から変える」ということ。一度使ってみたいかっこいい言葉だ。

    道具による科学革命は、どのような分野で起きてきたのだろうか。

    "In almost every branch of science, and especially in biology and astronomy, there has been a preponderance of tool-driven revolutions."(p.51)
    「科学のほとんどあらゆる分野で、とりわけ生物学と天文学では、道具によって推し進められた革命が優位を保ってきた。」(邦訳 p.50)

    "We have been more successful in discovering new things than in explaining old ones. In recent times my own field of physics has had great success in creating new tools that have started revolutions in biology and astronomy. Physics has been less successful in creating new concepts with which to understand its own discoveries."(p.51)
    「最近、私の専門である物理学は、諸々の新しい道具をつくりだすのに大きな成功を収め、それが生物学と天文学で革命を引き起こしてきた。一方、物理学自身の発見を理解する助けとなる新しい概念をつくりだすことには、それほどの成功を収めてこなかった。」(邦訳 p.50)

    "preponderance"は、訳文にあるように「優位」だが、「重さ(力, 重要性, 数量など)で勝ること」や「優勢」というニュアンス。本質的にそうだ、というよりも、結果的に現状ではこうなっているという感じだろう。

    ダイソンの分類でいうならば、僕は、社会科学において道具による科学革命が必要だと思っている。そして、ニクラス・ルーマンが社会学におけるconcept-drivenの革命を引き起こしたのに対して、僕はどちらかというと、tool-drivenの方を目指したいと思っているのだ。
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    「英語で読む!」講座、スタート!

    すでに書いたように、英語で文章を書いたり、喋れるようになるには、とことん読むことが大切だ。しかも、ある分野の内容を書いたり喋ったりするためには、その分野の文献を読むことが重要となる。専門的な単語を知るというだけでなく、動詞の選び方や、独特の言い回しなどを学ぶことができるからだ。

    ということで、僕も、自分の研究や興味・関心 ――― 創造性、コラボレーション、システム理論、情報社会論など ――― に関連する文献をどんどん読んでいくことにしたい。文献を最初から最後までザーっと読んでいくという以外にも、邦訳で読んだときに重要だと思った箇所を中心に、その原文にあたって言い回しをマスターするということもやっていこうと思う。

    本当は、そういうものがまとまめられたガイドブックがあれば便利なのだけど、当然そんなものは無い。「重要だけど世の中に存在しないなら、自分でつくる」がポリシーの僕としては、自分でそういうものを書いていくことにする。これらは、自分のためのメモであり、さらには、この分野の内容や英語力強化に興味がある人への勝手な支援でもある。

    取り上げるのは、英文だけでなく、できる限り邦訳も載せることにする。取り上げる内容は重要箇所ばかりなので、英語の勉強のためだけでなく、内容的にもかなり興味深いものになるはずだ。
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    「英語漬け生活」の挑戦

    「真の国際化」に向けて、まずもってできるようにならないといけないのが、英語によるコミュニケーションだろう。現在、英語が世界共通のコミュニケーションツールになっていることは間違いない。それが良いか悪いかということは別として、紛れもない事実だ。「フラット化」したグローバル社会においては、英語圏だけでなく、非英語圏の人たちとコミュニケーションをとるためにも、英語が使えることが重要となる。「あたり前」のように英語を使えることが求められているのだ。

    今年、国際学会やアメリカの研究所などを訪れる機会が多かったのだが、そこにいた人たちは、みんな母国語でないにも関わらず、英語を駆使してコミュニケーションをとっていた。僕ももっとできるようにならないとまずいし、なりたいと心から思った。そして、日本人は英語をもっとちゃんとやらないといけない、とも思った。

    そんなことを考えていたら、先日読んだ『村上式シンプル英語勉強法』のなかに、まさにその点についてズバリ書いてある箇所をみつけた。村上さんは、米Google副社長であり日本法人の社長でもある。そんな村上さんだからこそ、こう言い切れるのだろう。

    グローバル規模に仕事をしていて英語がしゃべれないのは、世界で日本人だけになりました。この一事をとってみても、日本は“かなりヤバい”。英語に関しては、少なくとも世界から取り残されているんです。これは本当に由々しき問題です。」(p.20)

    「今現在、英語が出来ないということ自体、すでに追い詰められている状態なのです。そのことに気づいていない人が多すぎます。たまたま日本は、人口1億2000万人という“そこそこなサイズ”の社会です。その社会にいる分には、日本語さえ分かれば“そこそこの生活”が成り立ってしまう。だから英語の重要さになかなか気づかない。これはものすごく怖いことだと思います。」(p.19)

    「もちろんどの国も、全員が英語をしゃべれるわけではありません。しかしグローバルにビジネスをしようという人たちは、もう英語はペラペラになってきているんです。それどころか、3ヵ国語以上話せる人もザラにいます。・・・もはや英語が出来るということは、なんてことないというのが現状です。それに比べると日本は……。どこかで手を打たないと、確実に国際社会から置いていかれるでしょう。いや、すでに置いていかれ始めています。」(p.19)


    それでは、どうやって英語を身につければよいのか。この村上さんの本はとても示唆的なので、ぜひ読んでみることをおすすめしたい(その一部については、次回取り上げたいと思う)。

    Book_Murakami.jpg『村上式シンプル英語勉強法:使える英語を、本気で身につける』(村上憲郎, ダイヤモンド社, 2008)

    Prologue 英語が出来なきゃ話にならない
    Chapter 1 英語を読む
    Chapter 2 単語を覚える
    Chapter 3 英語を聴く
    Chapter 4 英語を書く
    Chapter 5 英語を話す



    そんなわけで、最近僕が挑戦しているのは、日本にいながら「英語漬けの生活」を送り、英語での読み書きや会話の力を向上させるという試みだ。「英語漬け」というのは理想であって、実際にはなかなか浸かりきれないのだけど、それでも志としては、生活のなかを英語でじゃぶじゃぶにする、ということを目指している。その具体的な方法については、今後どんどん紹介していくことにしたい。
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    「真の国際化」に向けて

    ここ半年ほど、ずっと気になっていることがある。「国際化」という問題だ。もっと具体的に言うと、現代のグローバル社会で「生き生き」と生きていくためにはどうしたらよいのか、という問題だ。これは、僕個人の問題でもあり、大学・学部の問題でもあり、日本社会の問題でもあると思う。

    僕自身がまだまだ国際化できていないので、大きなことは言えないのだが、現在、日本や大学で語られている「国際化」の議論はどうも手ぬるいと思う。「国際化」といいながら、格差を活用した「アジア化」という印象が拭えないからだ。例えば大学を例にとると、欧米先進国も含めて全世界から留学生を受け入れる体制を整えるというよりは、アジアからの学生をいかに受け入れるのか、という点が議論の中心となっているように見える。アジアとの連携が重要でないとか、欧米を重視すべきだというつもりはさらさらないが、「国際化」の議論がその観点からのみなされているという現状は、問題だと思う。それでは、真の国際化には到達できない。

    また、海外から外国人を受け入れる「大学・学部の国際化」も重要だが、「日本人の学生がどう国際化するのか、それをいかに支援するのか」という話もとても大切だと思う。それを正面切って支援できなければ、これからの大学は使命を果たしていないということになるのではないか。さらに、この問題は、国際化を支援・推進する教職員自身の国際化の問題とも密接に関係している。

    近年、フラット化した世界を基盤として、グローバルなコラボレーションが可能となっている。そのコラボレーションを楽しみながら、新しい物事を生み出していくためには、アウトプット能力もコミュニケーション能力も高めていかなければならない。また、文化の違いに敏感であり、しかしながらその背後にある共通項を見いだすことができるセンスも必要となるだろう。ただし、語学力があったり多文化に精通していたりするだけではだめで、新しい付加価値を含むアウトプット(創造・実践)の力が伴わないといけない。

    このような真の国際化の能力がどのようなものであるのか、また、それをいかにして高めることができるのか、ということについて、今僕は自信を持って語り切ることはできない。いま言えるのは、その能力が今後ますます重要となり不可欠になる、という直観だけだ。

    そこで、自らの実践を通じて、この問題について考えていきたいと考えている。僕自身の活動、そして僕の研究会の活動を「真の国際化」という点から見直し、実践していく。僕がSFCに教員として戻ってきてから5年が経った。これまでの5年間はSFCの「研究プロジェクト中心」というコンセプトを真摯に受け止め、学部生が学術的なアウトプットを生み出すということに注力して教育に取り組んできた。それは、学会発表できるレベルまで研究を高めるという経験を通して、知的なスキルやマインドを高めていく、という試みであった。

    これから5年間は、「真の国際化」ということをテーマに、活動のチューニングをしていくことにしたい。もちろん、研究という軸は外せないと思うが、意識として「真の国際化」を一番の目標に掲げたい。このブログでも、その試みや考えについて、書いていきたいと思う。
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