終わりと始まりの季節
春は新しい時代が始まる季節であり、ひとつの時代が終わる季節でもある。
この3月に卒業した井庭研卒業生は全部で9人。学部生が8人、修士が1人だ。大学のほとんどを井庭研で過ごした人、期間こそ短いが深くコミットした人、学部・修士の時代を通じて井庭研をつくってきた人など、研究会にかなりコミットをしてきたメンバーたち。
1年ほど前は、みんな頼りなくて「最高学年として大丈夫かなぁ?」と心配したもの。でも、不思議なもので、だんだん最高学年としての自覚がでてきて「腹をくくる」ことができた後は、ますます活躍して輝き、信頼のおける仕事・研究をこなすようになる。今回の卒業生たちも、そのようにして井庭研で花を咲かせてきた。
そんな卒業生たちを心からお祝いしたいと思い、僕は卒業関連のイベントにはできる限り出席する。教員の「仕事」としてではなく、純粋にお祝いにかけつけるために。そんなわけで、今年もテイクオフラリー、卒業式、修了式に参加した。

テイクオフラリーというのは、「SFCから飛び立つ(テイクオフする)人たちの集まり(ラリー)」という意味の、SFC独自の卒業パーティーだ。1期生が卒業したときから続いている伝統的なイベントで、僕も学部を卒業した時には実行委員として映像を制作したりした。当時はSFCで開催されていたが、ある時期から船上で行われるようになったのだが、今年は久しぶりに船から陸に戻っての開催となった。会場は、横浜みなとみらいの「アートグレイス・ポートサイドヴィラ」。よく結婚式で使われる会場で、雰囲気のいいところだ。パーティーの最後には、慶應の応援歌である「若き血」を、みんなで肩を組んで何度を歌った。

卒業式や修了式(修士の卒業式)は、日吉記念館で行われた。華やかな袴姿の人たちも多く、みんな晴れやかな笑顔をしていて、とても素敵な空間になる。卒業式の日はあいにくの雨模様だったが、会場はとても晴れやかな空気で詰まっていた。僕は一眼レフのカメラを片手に、井庭研卒業生たちの写真を撮る。パシャ。パシャ。そしてみんなで一緒に撮ってもらう。こんなふうにして、卒業式後の時間は素敵な記念の時間に変わっていく。(この日吉記念館は近々建て替えられるらしい。とてもシックで「深い」感じのする建物だけに残念だ。卒業式の重みは、この建物からもきていると思う。)
大学の教員をやっていると、毎年春は複雑な気持ちになる。研究会を通じて大きく成長し、「ようやく一緒に研究や仕事ができるようになった」と思った瞬間、卒業してしまうからだ。僕が教え、学生が教わるという単純な関係性ではなく、まさに「半学半教」のかたちで一緒に考え試行錯誤をともにした「仲間」なのだ。「ようやくここからが面白いところなのに」と思いながら、毎年卒業生を見送る。その反面、卒業生たちが社会のいろいろなところで活躍すると思うと、それはそれでうれしい。
寂しさとうれしさ―――それが共存するから、春は複雑な気持ちに満ちている。別れと出会い、終わりと始まり。きっと僕だけでなく、日本中でいろんな人がその複雑な気持ちを抱えて新しい生活を初めているのだろう。そういう気持ちを味わいながら、新しいスタートをきることにしよう。
この3月に卒業した井庭研卒業生は全部で9人。学部生が8人、修士が1人だ。大学のほとんどを井庭研で過ごした人、期間こそ短いが深くコミットした人、学部・修士の時代を通じて井庭研をつくってきた人など、研究会にかなりコミットをしてきたメンバーたち。
1年ほど前は、みんな頼りなくて「最高学年として大丈夫かなぁ?」と心配したもの。でも、不思議なもので、だんだん最高学年としての自覚がでてきて「腹をくくる」ことができた後は、ますます活躍して輝き、信頼のおける仕事・研究をこなすようになる。今回の卒業生たちも、そのようにして井庭研で花を咲かせてきた。そんな卒業生たちを心からお祝いしたいと思い、僕は卒業関連のイベントにはできる限り出席する。教員の「仕事」としてではなく、純粋にお祝いにかけつけるために。そんなわけで、今年もテイクオフラリー、卒業式、修了式に参加した。

テイクオフラリーというのは、「SFCから飛び立つ(テイクオフする)人たちの集まり(ラリー)」という意味の、SFC独自の卒業パーティーだ。1期生が卒業したときから続いている伝統的なイベントで、僕も学部を卒業した時には実行委員として映像を制作したりした。当時はSFCで開催されていたが、ある時期から船上で行われるようになったのだが、今年は久しぶりに船から陸に戻っての開催となった。会場は、横浜みなとみらいの「アートグレイス・ポートサイドヴィラ」。よく結婚式で使われる会場で、雰囲気のいいところだ。パーティーの最後には、慶應の応援歌である「若き血」を、みんなで肩を組んで何度を歌った。
卒業式や修了式(修士の卒業式)は、日吉記念館で行われた。華やかな袴姿の人たちも多く、みんな晴れやかな笑顔をしていて、とても素敵な空間になる。卒業式の日はあいにくの雨模様だったが、会場はとても晴れやかな空気で詰まっていた。僕は一眼レフのカメラを片手に、井庭研卒業生たちの写真を撮る。パシャ。パシャ。そしてみんなで一緒に撮ってもらう。こんなふうにして、卒業式後の時間は素敵な記念の時間に変わっていく。(この日吉記念館は近々建て替えられるらしい。とてもシックで「深い」感じのする建物だけに残念だ。卒業式の重みは、この建物からもきていると思う。)
大学の教員をやっていると、毎年春は複雑な気持ちになる。研究会を通じて大きく成長し、「ようやく一緒に研究や仕事ができるようになった」と思った瞬間、卒業してしまうからだ。僕が教え、学生が教わるという単純な関係性ではなく、まさに「半学半教」のかたちで一緒に考え試行錯誤をともにした「仲間」なのだ。「ようやくここからが面白いところなのに」と思いながら、毎年卒業生を見送る。その反面、卒業生たちが社会のいろいろなところで活躍すると思うと、それはそれでうれしい。寂しさとうれしさ―――それが共存するから、春は複雑な気持ちに満ちている。別れと出会い、終わりと始まり。きっと僕だけでなく、日本中でいろんな人がその複雑な気持ちを抱えて新しい生活を初めているのだろう。そういう気持ちを味わいながら、新しいスタートをきることにしよう。
井庭研だより | - | -
2008年度春学期の井庭研究会がスタートした。今学期から、ゼミ生全員が火曜と金曜の両方のゼミに参加するという形式に変わった。火曜日は輪読、金曜日は研究レビューの日として、週2回集まる。以前からこの形式にしたかったので、ようやく実現したという感じだ。新規生は3人。全体としては、学部生が15人、修士が2人という構成だ。












「創造」、「先端」、「方法」というキーワードをつかって、「研究」を語ると左図のようになる。「研究」とは、「先端」領域において「創造」するということである。そして、それを実践するためには「方法」が必要なのであり、「方法」自体のイノベーションも求められる。実はこのような考えのもと、SFCの現行カリキュラムは、研究プロジェクトを中心に、「創造」支援系と「先端」支援系の授業を配置した構造になっている。

僕はいま、「パターンランゲージ」という授業を担当している。慶應義塾大学 総合政策学部・環境情報学部(SFC)において、今年度から隔年開講されることになった科目である。今回のカリキュラムで新しくできた授業だ。
あけましておめでとうございます!
『2007 Concept Book』制作は、編集係の学部生3人を中心として、研究会メンバー全員でコンテンツを作成した。編集デザインは今年は、Adobe InDesignを使用した。今年はとてもかわいいデザインで、とても気に入っている。
トークセッション

「SFCブックカフェ」には、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の教員・学生・卒業生が書いた「本」を一堂に集めて展示してあります。まずは、書架を辿りながら、SFCで取り扱っている研究分野の広がりと深さを味わってください。さらにこの空間には、「本」というメディアをキーとして、「知」の関係性と広がりを感じることができるシステムが組み込まれています。
これらは、既存の分類上は一見バラバラに見えるSFCの研究領域が、どのように「つながっているのか/つながる可能性があるのか」を発見するとともに、本やブース展示などの見えない関係性を「知の生態系」としてとらえなおし、参加者が本を手に取りテーブルへ置くことで、その生態系がダイナミックに育っていくことを実感するためのものです。システムはすべて、ICタグの技術、メディアデザインの技術、関係性を解析する技術など、SFCで日頃から研究されている技術と知恵の組み合わせで実現されています。
展示場所:40カフェ内の「ブックカフェ」スペース