井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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中動態で表されるべき「創造」(深い創造)

最近の僕の「創造の研究」において、創造と中動態の関係について考えていて、とても重要な気づきがあったので、そのことを書き留めておきたい。

中動態で表されるべき「創造」(深い創造)の話である。

今回は「深い創造の原理」の話は省略するが、中動態に関わる面だけを取り上げて、わかりやすくシンプルに述べていきたいと思う。

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スティーブン・キングは、小説を書くときのことについて、次のように語っている。

「結末を想定している場合もあるが、作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうではない場合も少なくない。」(スティーブン・キング『書くことについて』)


日常的な感覚では、にわかには信じられないことであるが、実は多くの作家・芸術家が同様のことを言っている。つくり手は、頭の中にあるものを外化しているというわけではなく、自分が「ああしよう、こうしよう」と考えていることを文字や絵で表現しているといわけでもないと言う。

そうではなく、つくっている何か・作品そのものが展開し成長するのに寄り添い、伴走し、それを見守り、支援する、そういうことをしていると言うのだ。

つまり、それは、「創造」というものが、単に能動態で表されるような事態ではない、ということを表している。

他方、こういうことを言う作家もいる。

「物語が何を求めているのかを聴き取るのが僕の仕事です」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)

「一旦決めて映画作りだすと、映画作ってるんじゃないですね。映画に作らされるようになるんです。」(宮崎駿『出発点 1979〜1996』)。


これを読むと、「創造」というものが受動態で表される事態のようにも見える。しかしながら、創造の思考・行為をしているなかで起きることについて言っているので、作家・芸術家は単なる受け身(受動)ではない。それは、能動的な面(つくろうという姿勢+思考+手を動かいて書いたり描いたり構築する)と受動的な面(物語の声を聴く、導かれる)という面を併せ持っている

つまり、「創造」というものを、能動/受動のフレーム(構造)で捉えることことに無理があるのではないか、と感じる。能動/受動ではうまく捉えられないような事態が「創造」ということなのだ。

そうだとすると、どう捉えればいいのか?

このような「創造」(深い創造)がどういうことなのかを捉える鍵は、能動/受動のフレームではなく、かつての能動/中動というフレームである、と僕は考えている。言語で言うと、中動態(middle voice)と呼ばれる態で表現されるものである。

「創造」(creation)とは、中動態で表される事態であって、それを無理に能動/受動のフレームで理解しようとするから、無理が生じていると考えることができるのではないか。

我々は現在、能動/受動 を対に考える言語・思考 に慣れ親しんでいる。「する/される」の対立である。

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しかし、人類は長い間、インド=ヨーロッパ語や、古代ギリシア語、サンスクリット語などが示すように、能動/中動 が対になっていて、受動の感覚・捉え方は無かったようだ。しかも、能動/中動の時代には、同じ「能動」でも、能動/受動のときとは異なる意味で、能動が定義されていたという。

言語学者のエミール・バンヴェニストは『一般言語学の諸問題』で、能動/中動のフレームにおける能動では、「動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している」といい、これに対立する態である中動では、「動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある」と指摘した。

この言葉を借りて言うならば、「創造」とは、「動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある」出来事なのではないだろうか。

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このことを実践的な感覚で述べているのが、スティーブン・キングだ。

「作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである」(スティーヴン・キング『書くことについて』)


この発言は、その作品をつくっている主語(作家)が「場」(座)となるということを言い表していると捉えることができる。

建築家のクリストファー・アレグザンダーも同様のことを述べている。

「あなたの頭は一つの媒体である。そこでパタンと現実世界との間の創造の火花をちらすことができる。あなた自身は、この創造の火花の単なる媒体にすぎず、その発生源ではない。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)

「人は単なる媒体にすぎず、そこでパタンに生命が吹き込まれ、ひとりでに新しい何かが生み出されるのである。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)

「だが、いったん肩の力を抜き、自分が媒体になったつもりで、自分を通してその場のさまざまな力を作用させてみれば、何の助けも借りず、ランゲージがほとんどすべての作業を行い、建物が自力で形成されることが分かるのである。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)


このように、「創造」が自分を場(座・媒体)として起きるのである。

createという動詞がインド=ヨーロッパ語や、古代ギリシア語、サンスクリット語などでどのような態で使われどのような意味を持っていたのかは、いまの僕にはわからない(なので、サンスクリット語を勉強しようと思って、最近いろいろ入門書や文法書を買い集めている。インド=ヨーロッパ語や古代ギリシア語なども、わかる人がいたら教えてください)。

しかし、僕が思うに、おそらくcreateというのは、中動態に合う動詞であっただろうと推察する。

もともと動詞は、人間の行為ではなく、出来事を表す言葉であったことが知られている。のちに能動/受動のフレームのなかでは、それが主語に紐づけられ、主語の行為を表す品詞として定着することになった。「創造」とは、行為ではなく、出来事を表す言葉だったのではないだろうか。

creationに関して、ひとつ興味深い話がある。

西洋では、creationと言えば、その最大のものは、大文字のCで始まるCreation、すなわち、神による世界の創造(創生)である。

神は、自分を座として、世界の創造を行った。神を人のような主体と捉えると、世界は主体の外でつくられる。

しかしながら、スピノザの神の理解によれば、神は無限であり、限りがない(外部をもたない)ので、世界全体が神だということになる(國分功一郎『はじめてのスピノザ』など参照)。

そうやって中動態+スピノザで理解すれば、神は座となり世界を中動態として表されるべき出来事としての「創造」によって世界が立ち現れたと言えるのではなかろうか。これが中動態+スピノザでCreationを考えるときの、僕の捉え方である。

神の世界のCreationについては、森田亜紀が『芸術の中動態:受容/制作の基層』で興味深いことを指摘している。

「旧約聖書「創世記」の冒頭には、神が「光あれ」と言って光が出来たその後、「神は光を見てよしとされた」と書かれている。天地創造において、神は自らの創造したいちいちのものについて、それを見て「よし」とする。すべてをつくり終わった後にも神は「その造られたすべてのものを御覧になると、見よ、非常によかった」と述べたという。全知全能であるという神の定義からすれば、これは不思議な記述である。全能である以上、神は、意図したこと着想したことをそのまま実現することができる。こうつくろうと思った世界を、思った通り確実につくることができる。」(森田亜紀『芸術の中動態』)

「どのような世界が出来上がるか、神はあらかじめ知っていたはずなのだ。それなのに神は、出来た世界をわざわざ目で見て確認し、「よし」と評価する。このことは、たとえ神においてであれ、実現に先立って頭に思い浮かべられていたものとそれが実現してできた実味の事物とのあいだに、区別があることを示唆する。創造によって現実に存在するようになったものには、創造主にとってすらあらためて目で見て「よし」と確認する必要や余地があるような、見ることによってはじめて捉えられる何事かがあるらしい。」(森田亜紀『芸術の中動態』)

「おそらくつくり手は、出来上がった作品を「見る」ことで、頭の中にあったことを超える何かが、今まで知らなかった何事かに出会うのだろう。」(森田亜紀『芸術の中動態』)


"万能"の神でさえ、「創造」(creation)とはそのような事態なのだ。創造とは、頭のなかで考えたことを外化するということではないのである。

それは、自分を座(場)として何かが生成するという出来事のことを言うのである。

これが、僕の、中動態で表されるべき「創造」の考えである。

創造は、能動/受動フレームでは正しく捉えることができず、どうしても中動態という物の見方を取らないと理解できない。「中動態」の捉え方でなければ、正しく捉えることができない事態である必然性と必要性が、そこにはある。

以上が、創造と中動態の関係として、僕が考えていることである。

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【論文公開】多様なあり方・取り組み方を言語化するスタイル・ランゲージ

2018年3月1・2日に早稲田大学で開催される国際学会AsianPLoP2018 (7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs)で発表する(ライターズ・ワークショップにかける)論文の3つ目は、「多様なあり方・取り組み方を言語化するスタイル・ランゲージ」です。

昨年井庭研で生み出した新しい創造実践支援の言語形式「スタイル・ランゲージ」(Style Language)の考え方についての論文です。「スタイル・ランゲージ」は、ある特定のテーマ・分野における多様なあり方・取り組み方のスタイルを言語化し、自分らしいスタイルを育てていくことを支援するものです。花王さんとの共同研究で制作した「家族を育むスタイル・ランゲージ」と、クックパッドさんとの共同研究で制作した「料理教室のスタイル・ランゲージ」の事例も載っています。僕はいま、スタイル・ランゲージのいろいろな分野での適用可能性を感じてワクワクしているので、ぜひその一端をご覧いただければと思います。


「多様なあり方・取り組み方を言語化するスタイル・ランゲージ」
(井庭 崇, 野崎 琴未, 下田 裕介, 宗像 このみ)

Abstract:
本論文では、ある特定のテーマ・分野における多様なあり方・取り組み方のスタイルを言語化し、自分らしいスタイルを育てていく方法として「スタイル・ランゲージ」(Style Language)を提案する。「スタイル・ランゲージ」では、対象に置ける物事のあり方・取り組み方における個々のスタイル(様式)の要素を、それがどのようなものであるかを記述し、それに名前(スタイル・ワード)をつける。そのようなスタイルを数多く言語化することで、そのスタイルについて語りやすくなったり、その発想がなかった人がその発想を持てるようになったりすることを支援する。このように、スタイル・ランゲージは、パターン・ランゲージと同様に、創造実践を支援するための語彙・構成要素として用いることができるが、大きな違いもある。まず、パターン・ランゲージが質を高めるよりよい方法の方向性を示し、創造実践の質を高める支援をするのに対して、スタイル・ランゲージは、創造実践の具体的実現方法についての多様な可能性があると認識することを支援する。その意味で、スタイル・ランゲージは、それだけでも用いることができるが、パターン・ランゲージと併用することで、創造実践の強力な支援ツールとなるものである。本論文では、スタイル・ランゲージの具体的な事例として、「家族を育むスタイル・ランゲージ」と、「料理教室のスタイル・ランゲージ」を紹介する。そして、スタイル・ランゲージの活かし方として、それぞれのスタイルに関する実践・経験について語り合うことで「ピアに学び合う」という活用方法と、提供されているスタイルと自分の好みのスタイルのマッチングに用いるという活用方法を取り上げる。

パターン・ランゲージは、いきいきとした質(名づけ得ぬ質:quality without a name)の実現を支援し、スタイル・ランゲージは、多様な可能性へと発想を広げることを支援する
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スタイル・ランゲージの各スタイルには、名前(スタイル・ワード)がつけられる。
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家族を育むスタイル・ランゲージ
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料理教室のスタイル・ランゲージ
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井庭 崇, 野崎 琴未, 下田 裕介, 宗像 このみ, 「多様なあり方・取り組み方を言語化するスタイル・ランゲージ
, 7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs(AsianPLoP2018) , 2018

論文PDF: http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/papers/AsianPLoP18_StyleLanguage_WWS.pdf

この論文に興味を持っていただいた方は、ぜひ、3月1・2日に早稲田大学で開催される国際学会AsianPLoP 2018 (7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs)にお越しください。そこでライターズ・ワークショップという場が設けられ、この論文について語り合う時間があります。ぜひ、事前登録の上、ご参加ください。
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【論文公開】「無我の創造」(Egoless Creation)とパターン・ランゲージ

2018年3月1・2日に早稲田大学で開催される国際学会AsianPLoP2018 (7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs)でいくつか論文(日本語)を発表する(ライターズ・ワークショップにかける)のですが、その論文、これまでにないかなり面白いものが書けたと思っています。そこで、ここでも紹介したいと思います。(このブログでは、僕がファーストオーサーの論文3本だけ紹介しますが、この他にも、創造的読書のパターン・ランゲージやパターン・アプリなど、井庭研の成果の論文も発表されます。)

最初の論文は、「パターン・ランゲージによる無我の創造のメカニズム:オートポイエーシスのシステム理論による理解」です。ここ数年僕が興味をもってきたテーマを扱った本格的な論文です。「無我の創造」(egoless creation)とは、自分の身体や感覚を総動員して全身全霊で取り組むが、「こうしてやろう」という作為を生む自我を抜く創造のことです。この論文は、パターン・ランゲージが無我の創造を可能とするためのメディアとしてどのように機能するのかをシステム理論的に明らかにするという論文なのですが、その説明の過程で、作家が「登場人物が勝手に動き出す」と言っているはどういうことかという話や、仏教のマインドフルネスの話なども交えるという"すごい"論文です(しかも32ページの大作!)。ぜひお楽しみください!

「パターン・ランゲージによる無我の創造のメカニズム:オートポイエーシスのシステム理論による理解」
(井庭 崇)

Abstract:
本論文では、パターン・ランゲージの思想のなかでも最も重要であるが、見過ごされがちであり胡散臭いものだと片付けられてしまいがちな、自我を入れない創造のプロセスについて論じる。アレグザンダーは、デザイナー個人の能力ではなく、個々人のレベルを超えた生成的なメカニズムを見据え、それにもとづく創造を重視した。本論文では、アレグザンダーが主張していることは、物語作家たちが「物語をつくるときには、自分がつくっているというよりも、登場人物が自律的に動き、物語自身が展開していく」と語っていることに共通点があるとして、それを「無我の創造」(egoless creation)という概念で捉える。ここでいう「無我の創造」とは、自分の身体や感覚を総動員して全身全霊で取り組むが、「こうしてやろう」という作為を生む自我を抜く創造のことである。そして、その無我の創造では何が起きているのかを、オートポイエーシスのシステム理論である社会システム理論と創造システム理論から考察する。その結果、無我の創造とは、創造システムでの発見の生成・連鎖の結果を、心的システムが「体験」しているということだと捉えることができる。このとき、仏教の瞑想におけるマインドフルネスの状態と類似した状態になっていると考えられる。そのような無我の創造を可能とするのが、パターン・ランゲージである。再び、システム理論の概念で考えるならば、パターン・ランゲージのパターンは、創造システムにおける発見の選択を支援するための発見メディアであるとともに、言語として心的システムと社会システムを構造的カップリングさせる機能をもつ。本論文では、このように、近代的思考の感覚からすると理解しがたい「無我の創造」について、システム理論で捉え直すという新しい道を拓いた。


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井庭 崇, 「パターン・ランゲージによる無我の創造のメカニズム:オートポイエーシスのシステム理論による理解」, 7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs(AsianPLoP2018) , 2018

論文PDF: http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/papers/AsianPLoP2018_EgolessCreationWWS.pdf

この論文に興味を持っていただいた方は、ぜひ、3月1・2日に早稲田大学で開催される国際学会AsianPLoP 2018 (7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs)にお越しください。そこでライターズ・ワークショップという場が設けられ、この論文について語り合う時間があります。ぜひ、事前登録の上、ご参加ください。
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コラボレーション・パターン プロジェクト活動映像#2

創造的なコラボレーションのパターン・ランゲージである「コラボレーション・パターン」(Collaboration Patterns)の制作活動映像の第二弾をつくった。

第一弾のパターン・マイニングのためのブレイン・ストーミングに引き続き、今回はブレインストーミングで出た「コラボレーション」のコツ/こだわりを、KJ法で体系化した。4日間で計20時間の活動を、映像では1000倍速で一気に駆け抜けます。

短い時間で一気に見るからこそ捉えられるものがあります。ぜひご覧ください!

Visual Mapping for Making a New Pattern Language for Creative Collaborations (Collaboration Patterns Project #2)
Recorded by Collaboration Patterns Project, Edited by Takashi Iba.
http://vimeo.com/42780071

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コラボレーション・パターン | - | -

KJ法のコツ(パターン・マイニングのための収束思考)

井庭研では、パターン・ランゲージをつくる際に、自分たちのこだわりをブレインストーミングによってたくさん出したあと、KJ法によってまとめていく。そのときのコツがあるので、以下に書き出してみたい。

KJ法では、まず、大きなテーブルの上に、模造紙敷き詰める。複数枚の模造紙をテープでつなげて広い平面をつくる。この紙面の広さが、思考の可能性の広さだと考えた方がよい。なので、なるべく広くとりたい。

そして、その上に、アイデア(パターン・マイニングの場合には、取り組んでいるテーマに対するこだわり・コツ)を付箋に書いたものをランダムに貼っていく。この付箋は、その前の段階のブレインストーミングで書かれたものである。

模造紙の上に、貼ってみて、適度に空白のスペースがある方がよい。(ただし、実際問題として、かなり多くの付箋がある場合には、空白がつくりにくい場合もある。次のコラボレーション・パターン プロジェクトでの写真のように。)

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僕らはKJ法は、いつも、立って行っている。座ってしまうと、遠くの付箋が見えない上に、気持ちが落ち着いてしまって、取り組みの姿勢がスタティックになってしまう。立っていれば、テーブルの違う位置に移動して、違う角度から見たりすることもしやすい。

あとは、話し合いや思考を促すような、音楽をかける。音楽に思考を占領されないように、ノリがよくてあまりみんなが知らない曲の方がよい。


KJ法では、付箋に書かれた意味を考え、その意味が近い付箋同士を近づけて再配置する。ぺたぺたと付箋を張り替えるのである。

複数人でKJ法をやる場合には、他の人に、どの付箋とどの付箋がどういう意味で近いと思うのか、を表明し、話し合う。このことで、付箋の意味の再確認ができ、かつ、全員が付箋間の距離についてのイメージが、少しずつわかってくるようになる。

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パターン・マイニングのKJ法では、ひとつの付箋にはひとつのこだわりが書かれているので、付箋間の距離はこだわり間の距離ということになる。だから、付箋と付箋を近づけるというのは、こだわりとこだわりが近いということを確認するということ。

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KJ法をやるときに、一番気をつけなければならないのは、既存の枠組みに当てはめて配置するのではだめだということ。つい、「○○系」とか「○○的」と言って近づけたくなるのだけど、この言葉が出たら危険。当てはめる枠組みを想定して、そこれに所属させようとしている証拠。

KJ法の最初の段階(最初と言ってもここが一番ながい)では、まとまりは見ず、あくまでも二つの付箋の近さという観点で考える。すでに近づけたAとBにCを近づけるときには、Cと「AとBのまとまり」との距離を考えるのではなく、「CとA」の距離と「CとB」の距離を考える。

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この「二者間の距離を積み上げていく」意識はとても重要。これを強く意識してやらないと、あっという間に、形成しつつあるまとまりに、他の付箋を吸着する作業になってしまう。これでは、真に「付箋(こだわり)間の距離」を考えることにはならず、KJ法としては失敗となる。

そして、KJ法では、一度近づいたものもまた離れたり、一度まとまったものもまたばらけたりすることが頻繁に起こる、ということを十分理解することも大切。そうしないと一度考えたことにずっと囚われることになってしまう。すべてが一時的で流動的でありながら、徐々に組織化がなされていく。

なので、中盤でまとまりが認識できるようになってきたとき、早くペンや鉛筆で囲ってしまいたくなる衝動にかられるのだが、そこはぐっと堪えたいところ。まとまりを丸で囲ってしまうと、心理的に安心してしまって、もうそこは不動のものとなってしまう。この安心感も、KJ法の敵である。

まだ場所が定まっていない付箋を、一度場外に出してもよいか、という質問も受ける(場が複雑で読み取りにくいという理由)。僕の答えはNO。すべての付箋は、その空間上に置くべき。変なところに置いてあるのであれば、それが違和感や気持ち(居心地)の悪さを生み、早く動かそうという気持ちを生む。

この「混沌」とした状態からはじめ、「混沌」としたものと徹底的につきあうというのが大切だと思っている。それが川喜田二郎さんの言う「その混沌のなかから、“何とかしなければならない”という意思が生まれてくる」ということだと思っている。

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もうひとつ、付箋を場外に出してはいけない理由は、まだ誰とも近づいていない付箋同士が近づく可能性もあるからだ。場外に出してしまうと、場外に出したものをなかのまとまりに吸着させていく、という作業になりやすい。これは、先ほど書いたようにまずい。

KJ法を進めていくと、すべての付箋はそれが置かれている位置との関係が、ほのかに記憶に残っているもの。トランプの「神経衰弱」やカルタの場合と同様。だから、「あ、似たようなのが、あっちにあった!」というようなことになる。なので、他の人に黙って、勝手に付箋の場所を変えてはならない。

井庭研でやっているなかで、定番となったのは、いろんな色の付箋を使うということ。そうすると、大量の付箋のなかから探すときに、「黄色の付箋だった」というように、色をキーにして探しやすくなる。実際、みんな、言われなくても、自然と色を覚えている。

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あとは、実際に探すときのキーになっているのは、字の特徴や書かれた雰囲気。「○○の書いた汚い字のやつ」とか「大きく○○と強調されている付箋」というように、そういう情報も、ほのかな記憶として、KJ法の作業を後押ししてくれる。

パターン・マイニングの中盤以降は、まとまりを囲っていく。そうすることで、落ち着かせる。その段階にいくまでは、妥協せず、とことん話し合いながら、配置換えを繰り返す。ここを急いではいけない。井庭研のコラボレーション・パターン プロジェクトでは、ここまでに11時間かけた。

次回は、この囲ったまとまりを、その台紙になってる模造紙ごと切って、まとまりの浮遊物をつくり、今度は、それらのまとまり間の距離について考えていく。普通なら、そういう関係性も付箋を貼り直してやるのだけれども、数百枚の付箋があると、実際問題としてかなり難しい。そこで、そうすることに。

パターン・マイニングのKJ法の目的は、一つには、ローカルな距離の考察からボトムアップで全体を組織化していくということがあるが、もう一つ重要な目的がある。それは、パターンの粒度をあわせるということ。このKJ法が終わると、小さなまとまりを1つの「パターンの種」として捉える。

こだわりを出していったブレインストーミングでは、具体的なものもあれば抽象的なものもあり、細かい話もあれば大きな話もある。それをそのままパターンにすると、バラバラなレベルのものができてしまう。なので、KJ法で、それらの粒度や抽象度をあわせる、ということを行っている。

なので、パターン・マイニングのKJ法では、徐々に全体像をつくりながらも、部分の粒度や抽象度を合わせていく、という二兎を追っていることになる。ここがまた時間のかかるところであり、後半戦が大変な理由でもある。

以上が、パターン・マイニングにおけるKJ法で重要なことである。
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コラボレーション・パターン プロジェクト活動映像#1

現在、井庭研では、創造的なコラボレーションのパターン・ランゲージ「コラボレーション・パターン」(Collaboration Patterns)を制作しています(→ 井庭研B1シラバス)。

そのパターン・ランゲージ制作の活動風景を、映像としてまとめて、公開していきます。

第一弾は、パターン・マイニングのためのブレイン・ストーミングの回。
コラボレーションにおける重要なこだわりについて、とにかくたくさん挙げていきます。テーブルの上が徐々に埋まっていく感じを、映像で追体験してみてください。


Vimeo "Brain Storming for Making a New Pattern Language for Creative Collaborations (Collaboration Patterns Project #1)"
Recorded by Collaboration Patterns Project, Edited by Takashi Iba.
http://vimeo.com/41613781

vimeo1.jpg


これまで、井庭研でのパターン・ランゲージ制作は、事後的に講演・ブログ等で紹介してきましたが、今回は、制作途中の段階からどんどん紹介していきます。

また、これまでは、写真で活動の紹介をしていましたが、今回は動画です。とてもよく雰囲気がでていると思うので、ぜひ、ご覧ください。
コラボレーション・パターン | - | -

「創造」とはどういうことか?

先日の井庭研 2011年度最終発表会での僕の講演「創造社会の思想と方法」のスライドをアップしました。

この講演では、「創造」とはどういうことかについて、作家の言葉を紹介しながら迫っていきました。

僕のメインメッセージは、次の通り。

本格的な「創造」とは、自分と創造物との間の主客の境界があいまいになるなかで、意識の外にある必然的な流れをつかまえるということである。


講演では、このことに関係する発言をしている作家の言葉をたくさん取り上げました。取り上げたのは、宮崎 駿 氏、久石 譲 氏、ミヒャエル・エンデ 氏、村上 春樹 氏、スティーヴン・キング 氏、森 博嗣 氏、小川 洋子 氏、谷川 俊太郎 氏と、川喜田 二郎氏。

これらの作家たちの言葉を次のようなまとまりで束ねて、「創造」とはどういうことかについて語りました。

  • つくっているのではなく、つくらされているという感覚
  • つくるというのは、冒険である。
  • 必然的な流れ
  • 創造に求められるタフネス
  • 創造の“ふるさと”

「創造性」の探究 | - | -

2011年度に僕が行った対談・鼎談の公開映像一覧

今年もたくさんの対談・鼎談を行いました(おつきあいいただいたみなさん、ありがとうございました!)。

その対談・鼎談のうち、SFC Global Campus(SFC-GC)のサイトで映像が公開されているものをリストアップしました。どなたでも無料でご覧になれますので、興味がある回があれば、ぜひどうぞ。リンクをクリックすると、ブラウザ上で映像再生が開始します。

■「“自分”から始まる学びの場のデザイン」
(市川 力さん × 今村 久美さん × 井庭 崇 鼎談, 2011年5月21日, 3時間)
→ 鼎談映像 《前半》《後半》

■「学びと創造の場づくり」
(中原 淳さん × 井庭 崇 対談, 2011年7月9日, 3時間)
→ 対談映像 《前半》《後半》

■「カオスの生成力」
(合原 一幸先生 × 木本 圭子さん × 井庭崇 鼎談, 2011年11月5日, 3時間)
→ 鼎談映像 《前半》《後半》

■「社会を変える仕組みをつくる」
(井上 英之さん × 中室 牧子さん × 井庭 崇 鼎談, 2011年11月12日, 3時間)
→ 鼎談映像 《前半》《後半》

■「内からのことばを生み出す」
(山田 ズーニーさん × 井庭崇 対談, 2011年11月28日, 1時間半)
対談映像

■「ユーザーエクスペリエンスデザイン」
(長谷川 敦士 さん × 井庭崇 対談, 2011年12月12日, 1時間半)
対談映像

■「デジタル・ファブリケーション、パターン・ランゲージ、複雑系」
(田中 浩也 さん × 井庭崇 対談, 2011年12月13日&20日, 計3時間)
→ 対談映像 《前半》《後半》
イベント・出版の告知と報告 | - | -

ORF2011 井庭研ブースで配布する論文集

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2011年11月22日(火)・23日(水・祝) に六本木ミッドタウンで開催される ORF2011 の井庭研の展示ブース(B12 および B13)では、以下の論文が収録された『井庭研究会 学会発表論文集 2011』を配布します。


展示B12
インターリアリティプロジェクト

展示B13
井庭崇研究会


『Iba Lab. Papers Collection ̶ 井庭研究会 学会発表論文集 2011』

【パターン・ランゲージ】
  • 「パターンランゲージ 3.0:新しい対象 × 新しい使い方 × 新しい作り方」(井庭 崇, 情報処理, Vol.52 No.9, 2011)
  • "How to Write Tacit Knowledge as a Pattern Language: Media Design for Spontaneous and Collaborative Communities" (Takashi Iba, Mami Sakamoto, & Toko Miyake, 2nd Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs2010), 2010)
  • "Collaborative Mining and Writing of Design Knowledge" (Mami Sakamoto & Takashi Iba, 3rd Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs2011), 2011)
  • 「『コラボレーションによる学び』の場づくり:実践知の言語化による活動と学びの支援」(井庭 崇, 人工知能学会誌 24(1), 70-77, 2009)
  • "Learning Patterns III: A Pattern Language for Creative Learning" (Takashi Iba & Mami Sakamoto, 18th Conference on Pattern Languages of Programs (PLoP11), 2011)
  • "Pedagogical Patterns for Creative Learning" (Takashi Iba, Chikara Ichikawa, Mami Sakamoto, & Tomohito Yamazaki, 18th Conference on Pattern Languages of Programs (PLoP11), 2011)
  • 「A Pattern Language for Child Rearing:育児のパターン・ランゲージ」(中條 紀子 & 井庭 崇, 2nd Asian Conference on Pattern Languages of Programs (Asian PLoP2011), 2011)

【創造システム理論】
  • 「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン:パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」(井庭 崇, 10+1 web site, INAX Publishing, 2009 年9 月号)
  • "An Autopoietic Systems Theory for Creativity" (Takashi Iba, Procedia - Social and Behavioral Sciences, Vol.2, Issue 4, 2010, pp.6610-6625)
  • "Autopoietic Systems Diagram for Describing Creative Processes" (Takashi Iba, 2nd Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs2010), 2010)

【複雑系/カオス/ネットワーク】
  • "The Origin of Diversity: Thinking with Chaotic Walk" (Takashi Iba & Kazeto Shimonishi, Unifying Themes in Complex Systems Volume VIII: Proceedings of the Eighth International Conference on Complex Systems, Sayama, H., Minai, A. A., Braha, D. and Bar-Yam, Y. eds., NECSI Knowledge Press, 2011, pp.447-461.)
  • "Hidden Order in Chaos: The Network-Analysis Approach To Dynamical Systems"
    (Takashi Iba & Kazeto Shimonishi, Unifying Themes in Complex Systems Volume VIII: Proceedings of the Eighth International Conference on Complex Systems, Sayama, H., Minai, A. A., Braha, D. and Bar-Yam, Y. eds., NECSI Knowledge Press, 2011, pp.769-783)
  • "Analyzing the Creative Editing Behavior of Wikipedia Editors Through Dynamic Social Network Analysis" (Takashi Iba, Keiichi Nemoto, Bernd Peters, & Peter A. Gloor, Procedia - Social and Behavioral Sciences, Vol.2, Issue 4, 2010, pp.6441-6456)
  • 「Wikipedia におけるコラボレーションネットワークの成長」(四元 菜つみ & 井庭 崇, 情報処理学会 第7 回ネットワーク生態学シンポジウム, 2011)
  • 「書籍販売における定常的パターンの形成原理」(北山 雄樹 & 井庭 崇, 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Notes 2011-MPS-82(20), 2011)

【エッセイ】
  • 「モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築」(井庭 崇, 人工知能学会誌 25(5), 2010, pp.710-714
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「創造の知」の言語化 − なぜ僕はパターン・ランゲージをつくるのか?

僕は、個人・組織・社会の創造性(クリエイティビティ)に興味がある。創造的なプロセスと言ってもいい。そこで、創造性や創造的プロセスについてあれこれ考えたところ、創造という事態は、円環的なシステムとしてしか描けない、という結論に至る。こうして、オートポイエーシスのシステム概念を用いた 創造システム理論(Creative Systems Theory)を提唱することになる。心理学でも組織論でもない、創造性についてのまったく新しい捉え方である。

その理論の核心は、創造とは《発見》の生成・連鎖である、という点だ。生成した途端に消滅してしまう出来事としての《発見》。しかも、物理的世界とは異なり、《発見》はコンティンジェント(偶有的)な存在であり、別様でもあり得た可能性が絶えず伴っている。決定論的な因果関係で決められるのではなく、コンティンジェントな選択として、《発見》は生起するということだ。因果法則的でもなく、しかしでたらめでもないような事態 −−− このような事態を、我々はどのように “理論” 化することができるのだろうか?

この問いに対するひとつの答えとして、僕は、パターン・ランゲージによる記述に挑戦している。パターン・ランゲージには、ある状況においてどのような問題が生じるのか(と認識されているのか)と、それをどう解決するのか(とよいと考えられているのか)が記述される。これは、熟達者がそのドメインにおいて、どのように世界を見て、どのように思考・行動しているのか、ということを記述することに他ならない。

僕のみるところ、コンティンジェントな《発見》の生成には、それを下支えする「型」のようなものがある。しかも、型はひとつではなく、数多く存在する。ただし、それらがどの順番で生起するのかについては、かなり自由度が高く、それは生成の状況に委ねられている。それゆえ、法則としてきっちり示すことはできなくても、ゆるやかにつながり、ダイナミックに結合できるパターンとしてなら、記述することができるかもしれない。その可能性に賭けているのである。

そして、パターン・ランゲージで記述するメリットとしては、それが言語であることから、それを思考やコミュニケーションの手段として用いることで、他者と共有することができる点である。つくった “理論”(と呼びうるかは微妙だが)が、そのまま利用可能だということである。


もちろん、パターン・ランゲージの形式で、すべての《発見》の型が記述できるとは考えてはいない。というのは、すべての《発見》が、問題発見・問題解決型でなされるわけではないからだ。思考の癖やレトリック、思考スタイルの影響をうけながらの“自由”な想像によって《発見》に至ることもある。そうなると、問題発見・問題解決型のパターン・ランゲージ以外のランゲージも考えられそうである。

こうして僕は最近、パターン・ランゲージも含むより上位の概念として、「創造言語」(Creation Language)というレイヤーを考えるようになった。パターン・ランゲージは、《発見》の連鎖を促す創造言語の一種だが、創造言語には、パターン・ランゲージ以外の言語もあるというイメージだ(現在はまだ、その言語に適切な名前を見出せていない)。

CreationLanguage.jpg


いずれにしても、いろいろなドメイン(の熟達者の心/身体、そして道具/制度/文化)に埋もれている「創造の知」(knowledge of creation)を、次々と言語化していく −−− これが、僕が中長期的に取り組む活動・テーマになりそうだ。

社会システム理論を提唱したニクラス・ルーマンが、経済、政治、法、学術、教育、宗教、家族、愛など、様々な社会領域について一つの理論で記述していったように、僕も、芸術、科学、工学、経営、政策、教育、建築、自然など、様々な創造領域の創造の知を言語化していくことになるだろう。学習パターン政策言語探究型学習のためのパターンの作成というのは、その一環であるといえる。

また、FAB Lab のニール・ガーシェンフェルドが、「How to Make (Almost) Anything」という授業を展開しているように、僕も、いわば「How to Share the Knowledge of Creation in (Almost) Any Domains」というような授業を展開することになるだろう(僕の場合は特殊な機械は必要ない、いたってローテクなアプローチではあるが)。このような展開を見据えて、「パターンランゲージ」の授業を現在、開講・担当している。

今回は、今僕がみている方向性について、ざっくりと書いてみた。このような方向性に興味がある方、一緒に取り組みたいという方は、連絡をいただければと思う。具体的な活動は未定だが、ネットワークづくりは徐々に始めていきたいと思う。
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